相撲史その10、



 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).2.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「相撲史その10、」をものしておく。「日本相撲史概略」、「相撲の歴史」その他を参照する。別章【貴乃花光司

 2018(平成30).1.23日 れんだいこ拝


【大砂嵐引退事件】
 2018.1.3日、エジプト出身で西十両8枚目の大砂嵐(25、本名アブデルラフマン・シャーラン、エジプト出身、大嶽部屋)が、夫人とともに乗っていた乗用車で長野県山ノ内町の奥志賀高原スキー場の駐車場付近で追突事故を起こした。無免許のまま車を運転した疑いが持たれている。大砂嵐側の主張によると、今月3日に長野県内で乗用車同士による交通事故を起こしたが、あくまで夫人が運転した乗用車だという。相撲協会は現役力士の車の運転を禁じている。「日本の雪山を見たい」という夫人の希望に応えようと、稽古の正月休みに出かけた際の事故だったが協会にも師匠の大嶽親方(元十両大竜)にも報告はなかった。1.21日に捜査関係者への取材で分かった。大砂嵐は無免許運転だった疑いがあり、長野県警は道交法違反の疑いで捜査している。

 大嶽部屋の稽古は4日から行われ、事故が起きた3日は休みを利用し「エジプト出身の奥さんに、日本の雪山を見せたかった」(長谷弁護士)と長野県を訪れていた。その途中で起きた事故だった。夫人はエジプト政府から発行された国際免許証を保持していたというが、その効力があったかどうかなども含めて長野県警は捜査しているとみられる。また、一部報道では本人が運転する様子が防犯カメラに写っていたとされるが、運転は否定。大砂嵐は日本の運転免許証も国際運転免許証も保持していないという。

 1.7日、大砂嵐は7日に警察から事情を聴かれたが、相撲協会にも大嶽親方にも報告はしていなかった。夫人の運転する車であったこと、けが人がいなかったことなどから報告は後からするつもりだったという。事態が発覚するまで、日本相撲協会や師匠の大嶽親方(元十両大竜)への報告はなかった。

 1.21日、大砂嵐の追突事故をNHKが報道した。この件について、日本相撲協会は大砂嵐を両国国技館に呼び、聴取した。この日夜、春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)が報道陣に聴取内容の概略を説明。大砂嵐が協会に話した内容と、NHKで報道されている内容とで、食い違っている点があることを明らかにした。大砂嵐が日本相撲協会からの聴取に応じ、あくまでも運転は夫人と主張。自身は日本の運転免許も国際免許も保有していないと協会に説明した。会見した春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は夫人が妊娠中とあって、とっさにかばおうとして運転席に移ったと説明していた。「身重の奥さんをかばおうと運転席に移った。そこが報道とは違う」と補足した。事故は追突による物損事故で相手側への弁済は済んでいると説明した。同協会は引き続き事実関係の確認に努めるとしている。大砂嵐は会見で無言を貫いた。大嶽親方が大砂嵐の事故の件で頭を下げた。長谷弁護士は「無実を証明してから報告するつもりだった」と説明した。

 1.22日、長野県警は道路交通法違反(無免許運転)容疑で、書類送検の方針を固めた。

 1.23日、協会はこの日、長野県警に電話し、捜査状況をたずねた。協会の聴取に対して運転していたことを否定しているだけに、春日野広報部長は「大砂嵐の主張は警察しか知らない」と話した。協会としては今後、県警の捜査結果を待ち、初場所後に処分などを決める。

 大砂嵐は9日目のこの日から休場。大砂嵐は8日目を終えて1勝7敗。このまま千秋楽まで休場すれば、3月の春場所は幕下に陥落する。

 相撲界は元横綱日馬富士関の暴行事件、立行司式守伊之助のセクハラ行為と相次いで不祥事が起きた。今回もテレビ報道で一報が流れると、瞬く間に騒動となった。 

 1月3日に長野県内で追突事故を起こしたことが判明し、現在は休場している十両の大砂嵐(25=大嶽)が、長野県警に「自分が運転していた」などと述べ、容疑を認めていたことが23日、捜査関係者への話で分かった。日本相撲協会では内規で現役力士の運転を禁止しており、事故が判明した後の協会の聴取に対し、夫人が運転していたと否定していた。虚偽の報告をしていたことになる上に、県警は有効な運転免許証を所持していなかったとみて、道交法違反(無免許運転)の疑いで近く書類送検する方針だと併せて分かった。事故は協会にも師匠の大嶽親方(元十両大竜)にも報告されておらず、ともに21日に知ったという。そこで免許を持っていないことと、夫人が運転していたと報告を受けた春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は、大砂嵐の話をもとに「身重の奥さんをかばおうと運転席に移った」と説明していた。一方で当初から無免許運転との一部報道もあり、協会は事故判明の翌22日には、説明を求めて県警に連絡を入れていた。大砂嵐は事故判明の翌日から休場しており、処分などは初場所終了後としていた。だが捜査関係者への取材では、防犯カメラなどの映像でも、本人が運転していたことが確認できたという。相撲界は元横綱日馬富士関の暴行事件、立行司式守伊之助のセクハラ行為と不祥事が相次ぎ、それぞれ厳しい処分が出た。その流れだと今回、大砂嵐は禁じられている運転をした上、無免許で書類送検される見通し。さらに協会に対して虚偽の報告をしたことになり、解雇などの厳しい処分は避けられそうにない。

【日本相撲協会の理事候補選挙で貴乃花親方(元横綱)落選】
 2.2日、日本相撲協会の理事候補選挙が東京都墨田区の両国国技館で百一人の全親方による投票で行われ、苦戦が予想された貴乃花親方(元横綱)はわずか二票しか集められずに落選し、五期連続の当選を逃した。自らの1票以外は長男・花田優一の義父となる陣幕親方(元前頭富士乃真)=高砂一門=の“親戚票”のみとみられる。貴乃花親方は元横綱日馬富士の暴行問題で、報告義務を怠ったなどとして一月に理事を解任され、役員待遇委員に降格していた。三月の春場所後の新担務からは、さらに格下の委員になるとみられる。理事会メンバーではなくなることで協会運営の中核から外れる。月給は126万9000円から103万2000円と23万7000円減。昨年まで協会の序列No.3だった「平成の大横綱」が無役の審判委員、木戸番と呼ばれる入場券チェックなど“雑務”にあたる可能性もある。14年に理事選に落選した先代九重親方(元横綱千代の富士)は監察委員に降格した。

 貴乃花一門からは阿武松親方(元関脇益荒雄)も立候補したため、貴乃花親方の持ち票は少なく、他の一門からも協力を得られなかった。現役時代は抜群の実績を誇った同親方の求心力低下も見込まれる。理事候補選は定数十人に対し十一人が立候補。五期連続の投票に持ち込まれ、貴乃花親方を除く十人が当選した。当選者は春場所後に開かれる三月二十六日の評議員会の承認を経て正式に就任する。任期は二年。同じ日に、新たな理事メンバーで理事長を互選するが、八角理事長の再選が確実な情勢とみられる。

【第70代横綱日馬富士引退披露大相撲】
 2018.9.30日、第70代横綱日馬富士引退披露大相撲が東京・両国国技館で行われた。元横綱朝青龍ドルゴルスレン・ダグワドルジ氏が参加しはさみを入れた。元横綱日馬富士関が「最後の土俵入り」。横綱鶴竜、太刀持ちに横綱白鵬を従え、不知火型を披露した。昨年11月に幕内・貴ノ岩(貴乃花)への暴行問題が発覚。責任をとる形で土俵を去ったが、恨み言は一切なし。最後は土俵に感謝のキスをして、2001年初場所の初土俵から刻んだ17年間の相撲人生に別れを告げた。

 この後の断髪式では横綱・白鵬(宮城野)ら400人以上がはさみを入れた。リオ五輪柔道金メダルの大野将平、元WBO世界バンタム級王者亀田和毅、同じモンゴル出身の先輩横綱の朝青龍稀勢の里ら3横綱がはさみを入れ、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が止めばさみを入れた。

 弟分の元日馬富士の横綱土俵入りを見た元朝青龍は、「上等(=上出来)ですよ。結果も出てる。もう年齢も年齢だしね」と話し、角界を去るきっかけとなった幕内・貴ノ岩への暴行事件などには言及せず。「土俵に綱を締めて久しぶりに見ると、一つの人物が歴史が消える感じ。横綱になる人間は昼の星ぐらい少ない。地位を守るために大変だったでしょう」としみじみとした。日馬富士関の今後には「一つ一つ、長い間思っている一歩を踏み出した」と、9月1日にモンゴルに設立した「新モンゴル日馬富士学校」の経営など新たなチャレンジを応援した。元日馬富士の引退について語っていたが突然、報道陣から話題を振られたわけでもなく「大変だね。相撲協会どうなるの。日本は台風来るは、モンゴルは雪降るは大変だね」を自ら話し出した。退職を届け出た貴乃花親方(元横綱)と、日本相撲協会との一連の騒動について言及するかのようだったが、これ以上は語らなかった。
 元横綱・日馬富士関に暴行被害を受けた幕内・貴ノ岩は引退相撲に出場しなかった。秋場所千秋楽の9月23日には「まだわかりません」と明言を避けていたが結局、姿を見せなかった。

【第54代横綱輪島大士が自宅で死去(享年70歳)
 2018.10.8日、大相撲・元横綱の輪島大士(本名・輪島博)が自宅で死去(享年70歳)。輪島は石川県七尾市出身。石川・金沢高で国体を制し、日本大学相撲部で2年連続学生相撲で横綱となる。

 1970年、卒業2ヶ月前、スカウトされて花籠部屋に入門した。入門直後、下積みの代名詞でもあるちゃんこ番を免除され、学生時代と同じ日大合宿所での寝起きを許された。しこ、てっぽうと土俵上が中心のけいこにランニングを採用。しこ名も本名で通した。同年初場所に幕下付け出し(60枚目格)で初土俵を踏んだ。2年連続で学生横綱となった実力をプロの土俵でもいかんなく発揮し、幕下を2場所連続で優勝して当時の最短記録で十両に昇進し、入門からわずか1年で新入幕した。1972年、大関に昇進。上手と下手の投げの打ち合いは体が外になる上手有利が定石。だが、輪島は左の下手投げが得意で、「黄金の左」と呼ばれた左からの下手投げなどを武器に活躍した。

 1973.5月、大相撲夏場所(東京・蔵前国技館)11日目、大関・輪島は大関・大麒麟を破りただ一人の全勝を守る。連続3場所準優勝だった輪島は、この場所で全勝優勝。大鵬をしのぐ大関在位4場所というスピード出世で文句なしに「ツナ」を手中にした。僅か3年後に第54代の横綱に昇進した。本名をしこ名にして最高位へ就いたのも、学生相撲出身者としても初の横綱となった。濃紺が主流だったまわしに金色を使い、現在のまわしのカラー化の走りをつくっている。2015年11月に死去した第55代横綱北の湖としのぎを削って「輪湖(りんこ)時代」を築き上げ、大相撲人気を支えた。1974年、名古屋場所、北の湖を千秋楽結び、優勝決定戦とこの技で連勝。逆転優勝でファンを歓喜させた。直接対決での通算成績は輪島の23勝21敗。横綱同士での対戦成績は北の湖が18勝14敗と勝ち越し。幕内成績は620勝213敗も優勝は歴代7位の14回。横綱・北の湖とともに「輪湖時代」を築いた。

 1981年、場所限りで現役を引退し花籠親方を襲名、部屋を継承した。年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚した。1985.12月、日本相撲協会を退職廃業。

 1986年、ジャイアント馬場が率いる全日本プロレスに入りした。1986.8.7(11.1?)日、地元・石川県の七尾市体育館で、“狂虎”タイガー・ジェット・シンとの国内デビュー戦。場外乱闘の末、5分55秒、両者反則で決着はつかなかった。日本テレビのスペシャル特番としてゴールデンタイムで放送された。ジャイアント馬場との米国遠征ではノド輪とかち上げを合体させた必殺技「ゴールデン・アームボンバー」を編み出し、存在感を示した。同じ相撲出身のミスタープロレス天龍源一郎と命を削りあうような真正面からの勝負を展開した激戦はプロレスファンの語り草となっている。当時、長州力(66)が新日本プロレスにUターンして危機を迎えていた全日プロを再興させた。1988.12月、プロレスラーを引退。引退してからは、一切業界にかかわることはなかった。その後は、石川県の観光親善大使を務めたほか、アメフットのクラブチームの総監督にも就任した。タレントや評論家としても活躍していた。 2009年にはNHKの大相撲中継に出演したが、不祥事で廃業した大相撲関係者としては異例のことだった。2013.12月、咽頭(いんとう)がんの手術を受け声を失った。

【横綱審議委員会(横審)は、成績不振の横綱・稀勢の里に「激励」を決議】
 2018.11.26日、横綱審議委員会(横審)は、成績不振の横綱・稀勢の里に「激励」を決議した。北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)と報道陣とのやりとりは次の通り。
 ―委員長の個人的な意見は。
 「このまとまった文章(激励の説明文)通りです。これだけ不成績が続き、しかも先場所ちょっと回復できたかに見えて、今場所大変期待していたんですけど、こういう結果についてはかなり厳しい見方をしなければいけない。ただ、横綱がどういうふうに自分で身を処すか、ということは自身の決意、自身の自覚が一番大事であって、周りの方からとやかく言うよりは、自分できちっと考えていってほしい。それが“もう1度チャンスを”ということですので。そのチャンスを生かされればいいと、そういうふうに注目している」
 ―次の場所、ということか。
 「来場所どうするということを考えている」
 ―初場所の出場を期待するということか。
 「そうです」。
 ―勝ち星などの目安は。
 「それは特に考えていません。再起というか、そういうのがうかがえる成績であってほしい」
 ―全治一カ月というのは考慮するのか。
 「ケガというのは私たちにはよく分かりません。どの程度のケガで、どうだったのかというのは、ご本人しか分からないので。協会がどれくらい把握しているかは知りませんけど。長い間、ケガと取り組んできているわけですから。まだ治りません、ということなのか、どうなのか。そのへんは、はっきりしない」
 ―白鵬や鶴竜も休場したが、議論には。
 「ちょっとありました。横綱全員が休んだこと。このことについて考えるか、という意見がありました。ちょっと言い過ぎかしれないけれども、世代交代が近付いているなと。若手が伸びてきているし、そういう感想が何人かの方から述べられています」
 ―稀勢の里がどうしても初場所に間に合わなければ、どうするか。
 「難しいです。ケゲがどういうことか、一つ、きっちり掴めていないし。私の気持ち、個人的な気持ちでは出てきてほしいと思っています」
 ―それでも出ない場合、もっと重い決議だったり、引退勧告だったりはあるのか。
 「考えなければならないかもしれません。それはそのときになって、どういう状況でそうなったかもあるし、委員のみなさんが、どう受け止めるかによるし。こうなれば、こうなるというふうに決まった話ではない」
 ―決議は9人全員が賛同したのか。
 「そうです」

 2019.2.2日、昨年12月4日夜、大相撲の巡業中に福岡県行橋市の宿舎で付け人に暴行を働き、同月7日に現役引退を表明した元幕内・貴ノ岩(28)の断髪式が、東京・両国国技館で行われた。断髪式には2017年に鳥取市内で貴ノ岩を暴行して引退した元横綱・日馬富士さん、横綱・白鵬(宮城野)、弟弟子の貴景勝、貴源治(ともに千賀ノ浦)、同じモンゴル出身の荒鷲(峰崎)、千代翔馬(九重)、母校・鳥取城北高相撲部の石浦外喜義総監督ら約370人がマゲにはさみを入れ、最後に師匠だった千賀ノ浦親方(元小結・隆三杉)が止めばさみを入れた。

 断髪式前に会見した元貴ノ岩は「支えてくれた人に感謝の気持ちで一杯です。これからは第2の人生に向けて精進していきます」と話した。第2の人生については「いろんなことに挑戦していきたいが、まだはっきり決まっていません」とコメント。「日馬富士関には、はさみを入れていただきます。わだかまり? ないです」。断髪式に来場しなかった元師匠で元貴乃花親方(花田光司氏)については「感謝の気持ちで一杯です」と話すに留まった。
 開始前に取材に応じた貴ノ岩は「現役中は大変お世話になりました。これからもよろしくお願いいたします」とあいさつした。今後については「いろんなことに挑戦していきたい。まだはっきり決まってません」と答えた。
昨年12月の大相撲冬巡業中に、付け人に暴力を振るった責任を取って引退した元前頭貴ノ岩のアディヤ・バーサンドルジ氏(28)の断髪式が2日、東京・両国国技館で行われた。

自身に対する暴行事件で、一昨年11月に引退した元横綱日馬富士や、白鵬、鶴竜の現役両横綱ら約370人がはさみを入れた。最後は師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)が止めばさみを入れた。入門時から指導を受けてきた先代師匠の元貴乃花親方の花田光司氏は断髪式にも、断髪式後のパーティーにも来場しなかった。

断髪後は、ツーブロック風の髪形にセットし「(頭部が)少し軽くなりました」と笑い、黒のスーツに身を包んだ。終始、涙は見せず、寂しい気持ちがあるか問われても「特にない」と答えた。それでも、整髪の最中には「力士人生の最後だなと思った。いろんな人に支えてもらったので、ところどころ取組が浮かんできた」と、静かに話した。「1番の思い出は横綱、大関と対戦したこと」だという。

同郷のモンゴル出身3横綱が出席したことには「(はさみを)入れてもらって、うれしいです」と語った。また、この日は来場しなかったが、元貴乃花親方に対しては「感謝の気持ちでいっぱいです」と話していた。今後については未定だという。

 2019.2.3日、66歳小柳ルミ子、元貴乃花親方に求婚「私も独身」 。歌手の小柳ルミ子(66)が3日、京都・宇治市の龍神総宮社で行われた節分祭に、元貴乃花親方の花田光司氏(46)らとともに参加した。花田氏は昨年10月に、元フジテレビアナウンサーの河野景子さんと離婚。豆まきをしたこの日の壇上で、司会のせんだみつお(71)が「親方は今、独身です。親方と結婚したい人は手を挙げてください」と集まった大勢の人へ呼びかけると、すぐ隣にいた小柳が「ハイ!」と大きく手を挙げて“求婚”した。花田氏は46歳、小柳は66歳で、年の差は20歳。せんだが、年齢のことを問いかけると、小柳は「私も独身ですけど」と胸を張って答え、観衆の笑いを誘った。途中から雨が降る中で、小柳は「瀬戸の花嫁」などを熱唱した。

 大相撲初場所を右膝のけがで途中休場した横綱・白鵬(33)=宮城野=が3日、千葉・成田市の成田山新勝寺で行われた節分会の豆まきに参加。昨年まで10年以上共に参加してきた元横綱・稀勢の里関(現荒磯親方)が引退したため、今回から不参加に。「一人足りないなと。稀勢関がね」と寂しさをのぞかせた。新勝寺の豆まきは毎年、現役力士数人で行われるため荒磯親方は参加せず。「時の流れだね。これが人生」。それでも午前、午後の2回で集まった約5万5000人に福を分け、ファンを喜ばせた。この日も手を借りて階段を下りるなど、右膝の状態が心配されるが「(初場所は)休場してないイメージ」と強気の姿勢を強調。「(患部に)ちょっと熱がある感じ」だが快方に向かっているようだ。昨年10月に右膝などを手術後、冬巡業を皆勤して初場所に臨んだ。9、10日には花相撲が行われるが「協会、相撲に関わることをやっていきたい」と参加へ意欲的だった。


 2019.2.10日、大相撲第60代横綱で現役横綱双羽黒のまま廃業しプロレスラーに転身した北尾光司が慢性腎不全のため千葉県内の病院で亡くなった(享年55歳)。腎臓を患い闘病生活を送っていた。型破りな波乱の人生を貫いた。葬儀、告別式はすでに執り行われたという。

 1963年(昭38)8月12日、三重県津市生まれ。幼少期に柔道を始め、小学校に土俵が完成してからは相撲に没頭し地元の相撲大会で優勝する。地元の中学卒業後、立浪部屋に入門。

 1979年(昭54)3月の春場所、15歳で初土俵を踏む。5月場所で序の口優勝。1984年、春場所で新十両を果たし、7月場所で十両優勝、同年9月の秋場所で新入幕。身長199cm、160キロの体重の体格を生かした寄り、投げが得意で、千代の富士の対抗馬として期待が集まり、番付を駆け上がっていった。


 1986(昭61).1月、85年九州場所後に大関。

 同年9月、22歳11ヶ月で、名古屋場所後に第60代横綱に昇進。優勝経験がなかったものの、2場所続けて優勝争いを演じたことが評価され、異例の昇進が決定。部屋から出た名横綱、双葉山と羽黒山を合わせたしこ名、双羽黒に改名した。1986年当時の相撲界は千代の富士関の一人横綱状態が続いていたため、それを解消するために幕内優勝経験はないものの素質は十分と認められ横綱昇進が決定した。

 1987.12.27日、角界を揺るがす事態が起こった。ちゃんこの味付け(若手の指導?をめぐり師匠の立浪親方(元関脇安念山)と大げんか。仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばし部屋を飛び出し脱走した。その際、部屋のおかみさんに暴力を振るったとの報道もあった。師匠から当時の「廃業届」が提出された。4日後の大みそか、相撲協会は緊急理事会を開き、双羽黒の廃業届を受理した。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。

 1979年~1988年の約10年間力士として土俵に立ち、通算348勝184敗24休、優勝次点7回、三賞7回。幕内優勝経験がない横綱は史上初。横綱として8場所務めた。

 双羽黒関を惜しんだ千代の富士関は、後のインタビューで以下のようにコメントしている。「もし(双羽黒が)廃業していなかったら、自分は横綱の地位にこれだけ長く留まれていたのかは分からない。又その後の53連勝を初め、通算1000勝や優勝31回も達成出来なかったかも知れない。それだけにあの廃業事件は、自身にとっても本当に残念な出来事だった」Wikipedia)。

 廃棄した横綱・双羽黒「(親方夫人に暴力を振るったと言われることについて?)そのことに対しては事実無根。そういうことは一切ございません。横綱の名前を汚したということは、横綱としては失格だったかもしれませんが、人間として自分を貫いたということは、自分に対してこれからもやっていける自信になったと思います」。

 そして、その後の人生に選んだのは。元横綱・双羽黒の北尾光司さん「第2の人生を踏み出すということで、スポーツ冒険家の第1歩を踏み出したいと思いました」。さらに、翌年には、プロレス界へ、転向を表明。北尾さん「一言で言えば相撲は仕事だったように、プロレスは僕にとっては夢です」。会見ではシャツを脱ぎ捨て、上半身裸と驚きのアピール。新たな人生の場に格闘技界を選び、活躍を続けてきた。


 1990.2.10日、新日本東京ドーム大会で、本名の「北尾光司」でプロレスデビューした。クラッシャー・バンバン・ビガロとのデビュー戦を勝利。その後、長州力に暴言を吐いて悶着し新日本プロレスから離れる。1990.11月、大相撲の先輩である天龍源一郎さんのつてでプロレス団体SWSに参戦する。「天龍さんは真っ暗な洞窟でもがく俺に見えた蜘蛛の糸でした」と述べている。翌91年4月、レスラーではなくレフェリーにローキックを浴びせ反則負けをくらうという珍事件を起こす。北尾はこの試合でリング下のマイクを奪い「八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって!お前ら、こんなもの(八百長試合)見て面白いのか!」と対戦相手や客席をディスり、この言動がきっかけでSWSも解雇となる。1992年、プロレス団体UWFインターナショナルでマット復帰が許され参戦し、総合格闘家としても活動した。1994年、格闘技塾「北尾道場」を立ち上げ、プロレス団体WARを主戦場に活動した。1998.7月、「やりたいことをやりおえた」という理由でレスラー、格闘技界から引退した。

 2003.9月、自身が相撲界にいた時とは代替わりしていたが、16年ぶりに立浪部屋(師匠=元小結旭豊)を訪れ、部屋のアドバイザーに就任したが短期間となった。その際には「名門立浪復活の手助けをしたい」と、意気込みを語っていた。当時から師匠を務める立浪親方(元小結旭豊)は「交流はその時の一瞬で、その後は連絡を取っていなかったから、最近の様子は知らなかった」と話していた。


 4.24日、日本相撲協会が、横綱審議委員会(横審)を東京・両国国技館で開き、大相撲春(3月)場所で42回目の優勝した横綱・白鵬(34)が、2017年11月場所の万歳三唱に続き、大相撲春場所千秋楽(3月24日)表彰式中の優勝インタビューの際、「平成最後なので。大相撲の発展と皆様の健康を祈念し」と音頭を取り、観客と一緒に三本締めを行ったことに対して、この行為が「相撲道の伝統と秩序を損なう行為」と判断し、最も軽いけん責処分に付した。矢野弘典委員長(産業雇用安定センター会長)は記者会見で、「手締めは全部終わってからやるもの。一力士がやる立場にあるのかという疑問が出て、違和感を覚えるという委員が多かった」と明かした。矢野委員長は三本締めについて同協会理事会に対応を求めるとした。これを受けて協会は同28日の定例理事会で、白鵬の行為が内部規定で禁止する「土俵上の礼儀、作法を欠くなど、相撲道の伝統と秩序を損なう行為」に当たる可能性があると判断。外部有識者を交えたコンプライアンス委員会(委員長=青沼隆之・元名古屋高検検事長)に調査を委ねた。コンプライアンス委は白鵬らから事情を聴き、意見を答申していた。

 横綱・白鵬は、埼玉県日高市の巡業先で取材に応じ、「勉強不足だった。一からなのか、ゼロからなのか、しっかり勉強して、新しく生まれ変わる」、「やりすぎず、守りすぎず。それが一番難しい」と反省を口にした。処分について問われると、数秒間考え込んだ後、「いろいろ考えることもあった。新元号の令和とともに、新生・白鵬という感じでいきたい」とかみ締めるように述べた。白鵬は処分に至る調査の中で、「お客さんを喜ばせたかった」と釈明していた。ファンに大相撲の魅力を伝えたいという気持ちは「変わらない。違う形で貢献したい」とし、「土俵で責務を果たすということか」との問いに、「それは相撲取りですから」と話した。

 師匠の宮城野親方(61歳、元前頭竹葉山)は親方としての監督責任を問題視され、本人より重い「3カ月間、10%減額」処分。「24日の臨時理事会は都内のホテルで行われたが、白鵬を送り迎えしたのは宮城野さん自身。白鵬を車で自宅まで届けたあと、自分の処分もあったので車で戻ってきた。協会執行部に『なんで弟子を注意しないのか』と言われても、『白鵬は双葉山を見習っているので、私からは何も……』。執行部が『双葉山があんなことをしたか? そもそも白鵬の所作がおかしいとは思わないの?』と問い詰めると、『おかしいと思いますけど……』。白鵬は部屋の稼ぎ頭だから何も言えないんでしょ。あれでは単なる使い走りですよ」。
 相撲協会のコンプライアンス委員会(青沼隆之委員長=元名古屋高検検事長)は事前に白鵬と宮城野親方の聞き取りを行っていた。白鵬については、コンプライアンス規定の違反行為の第5条(7)の「土俵上の礼儀、作法を欠くなど、相撲道の伝統と秩序を損なう行為」に該当し、賞罰規定の懲戒事由に当たると判断し、「けん責相当」の処分意見を八角理事長(元横綱・北勝海)に答申。理事会では、白鵬が17年九州場所の優勝インタビューの際に万歳三唱を行って厳重注意を受けていたにもかかわらず、再び問題になる行為を行った点を重視し、コンプライアンス委の答申通り、けん責処分とした。

 日本相撲協会の処分には、けん責、報酬減額、出場停止、業務停止、降格、引退勧告、懲戒解雇の7つがあり、「将来を戒める」という内容のけん責は最も軽い処分。白鵬は元日馬富士の暴行問題の際、暴行現場に同席していながら事件の発生および進展を抑えられなかったとして、報酬減額処分(18年1月の給与の全額、同2月の給与の50%)を受けていた。白鵬はこの日、理事会に出席。処分を言い渡されたあとに発言の場を与えられたが「何もありません」と話したという。理事会を終えると無言で引き揚げた。コンプライアンス委からは「協会や一門など、部屋を横断した体制で横綱への教育を実施すべきではないか」との補足意見があったという。これを受けて、相撲協会は今後も師匠、部屋付き親方による指導、教育を徹底しつつ、協会全体で見ていく体制を取っていくとした。

 <大相撲春場所>◇初日◇8日◇エディオンアリーナ大阪
 

 史上初の無観客開催となった春場所で、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が初日恒例の協会あいさつを行った。約5分間と異例の長さの協会あいさつだった。向正面の土俵下には審判部の親方衆が、東西の土俵下には全幕内力士が並んだ。

 初日にあたり、慎んでごあいさつ申し上げます。公益財団法人日本相撲協会は、社会全体でコロナウイルス感染症の拡大を防いでいる状況を勘案し、また何より大相撲を応援してくださる多くのファンの皆さまにご迷惑をかけることは決してできないと考え、大相撲3月場所を無観客で開催させて頂くこととなりました。本場所を楽しみにお待ち頂いておりました多くのみなさまには、大変なご迷惑とご心配をおかけすることとなりましたが、何とぞご理解を賜りますよう、お願いを申し上げます。またコロナウイルスに感染した皆さまには一刻も早い、ご回復をお祈り申し上げます。このようなお客様のいない本場所となり力士にとっても気持ちを整えるのが難しい、非常に厳しい土俵となりますが、それでも全力士は全国各地で応援してくださっている郷土の皆さまやファンの方々の歓声や声援を心より感じ、精いっぱいの土俵を努め、テレビでご観戦のみなさまのご期待にお応えするものと存じます。

 古来から力士の四股は邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また横綱の土俵入りは五穀豊穣(ほうじょう)と世の中の平安を祈願するために行われてきました。力士の体は健康な体の象徴とも言われています。床山が髪を結い、呼出が柝(き)を打ち、行司が土俵をさばき、そして力士が四股を踏む。この一連の所作が人々に感動を与えると同時に大地を鎮め、邪悪なものを押さえ込むものだと信じられてきました。こういった大相撲の持つ力が、日本はもちろん、世界中の方々に勇気や感動を与え、世の中に平安を呼び戻すことができるよう、協会員一同一丸となり15日間全力で努力する所存でございます。何とぞ、千秋楽まで温かいご声援を賜りますようお願い申し上げ、ごあいさつといたします。

 <大相撲春場所>◇千秋楽◇22日◇エディオンアリーナ大阪

 千秋楽結びの一番後に、異例の相撲協会あいさつが行われた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けた史上初の春場所無観客開催は千秋楽を迎え、日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)が結びの一番終了後、全幕内力士を従えて登場し、土俵に上がった。通常なら十両の取組途中に三役力士を従えて行われるだけに、異例のあいさつとなった。協会あいさつを行った八角理事長(元横綱北勝海)は、約10秒間、感極まったように言葉を詰まらせた。

 「千秋楽にあたり、謹んでごあいさつ申し上げます。本日、千秋楽を迎えることができましたことは、ひとえにテレビ、ラジオ、インターネット等を通じて、応援してくださったみなさまからのご支援、関係者によるご尽力のたまものです。心より感謝申し上げます。 この三月場所を開催することにあたっては、ひとつの信念がありました。元来、相撲は世の中の平安を祈願するために行われて参りました。力士の体は、健康な体の象徴とされ、四股を踏み、相撲を取るその所作は、およそ1500年前から先人によって、脈々と受け継がれてきました。今場所は過酷な状況下のなか、皆様のご声援を心で感じながら、立派に土俵を務めあげてくれました。全力士、そして全協会員を誇りに思います。我々は、これからも伝統文化を継承し、100年先も愛される国技・大相撲を目指して参ります。最後に、新型コロナウイルスでお亡くなりになられた方に、哀悼の意を表するとともに、ご遺族の方には心よりお悔やみ申し上げます。また、感染されたみなさまの1日も早いご回復を心よりお祈り申し上げ。千秋楽のごあいさつとさせていただきます」。

 千秋楽の協会あいさつは通常なら十両の取組終盤に行うが、表彰式の直前に行う異例の形式に。初日のあいさつ同様、東西の土俵下に全幕内力士が、向正面側には審判部の親方衆が、NHKのテレビカメラがある正面に向かって立つ構図だった。

 2月の段階では開催が不透明な状況だった。15日間を完走し、春場所担当部長の高島親方(元関脇高望山)は「1日1日気が休まることはなかったが、今日になって価値のある場所だった」と振り返った。


【高田川親方(元関脇・安芸乃島)の勝武士(しょうぶし)事件】
 誰も言わないだろうから代弁しておく。勝武士(しょうぶし)が発熱し、親方(元関脇・安芸乃島)らが保健所や医療機関に問い合わせたが受入先が見つからなかった云々。ここがオカシイ。力士の感染は興行中止に繋がっており力士と協会は一蓮托生関係にある。親方が協会に苦境を伝えていたのかどうか。協会が動いて本当に見つからないなど有り得てはならない。何せ国技なんだよ相撲は。私は病死よりも故意死を感じるだな。
 2020.5.12日、週刊ポスト2020年5月22・29日号「クラスター発生を認めない日本相撲協会 内部から疑念の声出る」。
 5.4日、相撲協会は5.24日に初日を迎える予定だった夏場所の中止を決定。7月の名古屋場所を東京(両国国技館)での無観客開催とし、10月の秋巡業を中止することも明らかにした。表向きは同日の緊急事態宣言の延長が理由とされるが、「なんとか開催したいと考えていた協会が諦める決定打となったのは、親方と関取に感染者が出たことだろう」(担当記者)とみられている。「4月10日の時点で幕下力士1人の新型コロナ感染が判明していたが、同25日になって協会は、高田川親方(元関脇・安芸乃島)や同部屋の十両・白鷹山ら、新たに6人の協会員が感染したことがわかったと発表した。ただ、この間の協会の情報公開の姿勢に疑問を呈す声は少なくない。「25日の時点で、感染が判明した6人は全員入院中という話だったが、わずか5日後の30日には全員が退院したと発表された。高田川親方は23日、白鷹山は24日に検査を受けたという経緯が明らかにされたが、幕下以下の力士4人については詳細が示されず、いつから感染がわかっていたのかなどは不明。親方と関取以外は、所属部屋すら非公表です」(同前)。感染した全員が高田川部屋所属なら5人以上で、いわゆる「クラスター(小規模な患者集団)」にあたるが、それも明らかにされていないわけだ。「親方衆で初めての感染者となった高田川親方は八角理事長(元横綱・北勝海)が目を掛けている親方のひとりで、二所ノ関一門のナンバー4です。協会の副理事で、審判部副部長の要職に抜擢されている。八角体制に反旗を翻した貴乃花親方を年寄総会などで厳しく追及し、“角界追放”に一役買って高く評価された。感染判明後も、八角理事長はコメントを出していないが、本当に厳格な対応ができているのか」(相撲ジャーナリスト)。

 感染予防の観点から取材が制限されるなか、メディアも協会の発表内容をそのまま報じるものがほとんど。そうしたなか、例外だったのが〈高田川部屋クラスターか〉と報じたスポニチ(4月26日付)だった。「複数の関係者の情報として、最初に感染がわかった幕下力士と、その後に判明したうち2人以上が高田川部屋と報じた。記事では力士1人がICUに入っているとの情報にも触れている。専属解説者の親方の身の周りの世話をする高田川部屋の元力士がいて、その筋からの情報があったから踏み込めたのだろう。それにしても、クラスター化問題を抜いたのが、高田川親方と犬猿の仲の貴乃花親方が長く専属評論家を務めたスポニチというところも因縁深い」(同前)。だが、報道を受けても、協会は否定も肯定もせず、他のメディアは親方と関取以外の感染者がどの部屋の所属なのか、明言しない状態が続いている。


 ◆高田川部屋前の張り紙

 クラスターが発生した場所を公表するかは、議論の対象となる問題だ。大阪のライブハウスでクラスターが発生した際は、事業者が店舗名の公表に応じ、感染の疑いがある人を追跡できた。ただ、感染拡大防止に資する一方、事業への影響があるため、千葉市のように、クラスター発生時に施設名公表に応じた事業者には協力金を支給するなどのケースもある。

 一方、相撲協会は公益財団法人として、税制優遇も受けている団体だ。どういった情報公開の姿勢が求められるのか。公益法人のガバナンスに詳しい中島隆信・慶応大学商学部教授が指摘する。「慎重な判断が必要とされるデリケートな問題です。感染防止の観点からいえば、部屋を公表すべきだといえる。ただし、相撲部屋の場合、所在地に加え、親方やすべての所属力士の名前などが公表されており、彼らの住居も兼ねている。個人のプライバシー、人権を守る観点も必要ではある。親方や関取の名前だけ公表しているのは、協会から給料をもらっているという社会的責任を鑑みた基準でしょう。問題はそうした基準について説明を尽くせているかということ。基準の説明が不十分なまま一部の情報だけを出していたら、部屋の周辺住民にも不安が募る。本来は、差別的な扱いが起きないように地域住民の理解を得るなどの努力をしながら、できる限りの情報開示をしていくことが求められる。それが社会全体で感染予防に取り組むことへの貢献になる」

 説明なき情報コントロールは、相撲部屋への不信を招きかねないのだ。実際、東京・江東区にある高田川部屋の目の前にある共同ゴミ置き場には、誰が貼ったか記されていない〈当分の間(一カ月位)、ゴミの集積は中止します〉との張り紙が貼られ、周囲の住民から訝しがられている。改めて協会に高田川部屋の感染状況、クラスター公表の基準について質問状を送付したが、対応窓口は自動音声アナウンスが流れるのみで回答は得られなかった。こうした八角体制の組織運営に、内部からも疑念の声が上がる。若手親方のひとりはいう。「3月の春場所の無観客開催も10人の理事での投票は賛成6、反対4と拮抗した。夏場所だって、ぶつかり稽古などの禁止が通達されている状態なのに、いきなり本場所の土俵に上がれるはずがない。発表が遅すぎる」。とはいえ、このまま本場所中止が続けば、1場所5億円とされるNHKの放映権収入もなくなる。「そこで捻り出されたのが、7月の名古屋場所の“東京開催”ではないか。もちろん、1000人の大所帯が名古屋に移動することでの感染拡大リスクを防ぐという理由はあるのだろうが、それだけではない。状況次第で時期をずらしての開催をギリギリまで探るといった対応は、協会所有の国技館のほうが、融通が利く。仮に7月にかなり終息に向かっているようなら、1マス1人の限定で太い常連客を入れるといった“柔軟な対応”も国技館ならやりやすい。20軒ある茶屋も喜ぶ。一方の名古屋は2009年に暴力団の桟敷観戦問題が発覚して茶屋の取り潰しなどがあったため、現在は茶屋が3軒だけ。補償問題を含めた交渉がまとまりやすいという側面もあっただろう」(ベテラン記者)。


【式秀部屋力士9名造反事件】
 2020.8.4日、大相撲の式秀部屋の力士9名が、“師匠代行”となったおかみの狂態的生活指導に耐えられなくなり造反し集団脱走する事件が発生した。この事件を確認しておく。

 今年に入って式秀親方(元幕内北桜)が体調を悪化させ、おかみを「師匠代行」に任命した。おかみは新型コロナウイルス感染予防に敏感になり、グループライン(現在は廃止)に連日、長文の指示を書き込み、返信が遅い力士に厳重注意し始めた。大部屋のコンセント使用を許可制にした。通販や仕送りで部屋に荷物が届いた際は中身を撮影してグループラインへの投稿を義務づけた。大部屋の個人ロッカーは抜き打ちでチェック。反抗的な態度を取った時は「クビにするぞ」などと言い反省文を書かせることもあった。4月以降、素足で靴をはくことで有名な俳優の石田純一が感染した直後、感染予防のため部屋の中でも靴下をはく決まりができた。稽古場やシャワーの使用は予約制になった。7月場所中でも、1人ずつしか稽古場に下りてはいけないことがあった。おかみは、後援者らから差し入れられた新米を、おかみの実家や知り合いなどに送り、力士は古米を食わされるようになった。親方は、ちゃんこの買い出しや調理はおかみに任せていたため状況を把握しきれていなかった。異変を感じた3人の親しい親方がそろって1月末に茨城県龍ケ崎市の部屋を訪問。

 部屋の力士らは8日も日本相撲協会コンプライアンス委員会の聞き取り調査に応じた。現在、式秀親方は体調が回復して再起を期し、脱走した力士は5日に戻っている。力士らは相撲に専念できる環境を望んでいる。

  ◆相撲部屋と米
 力士は、「食べることも仕事」と言われるほどで、大量の米を消費する。人数の多い部屋は、1日で10升(100合)も炊く。後援者からの差し入れも多く、相撲部屋には常に米袋が山積みになっている。米専用の冷蔵庫を設置している部屋もある。米は野菜と同じ生鮮食品のため、賞味期限は記載されていない。保存方法により食べられる期間は変わってくるが、一般的においしく食べられる保存期間は、精米から1~2カ月程度とされている。





(私論.私見)