アイヌ人は、始めから持たなかったのか或る時代に於いて喪失したのか不明であるが、文字を使わない。そのため、できごとや歴史を口伝えで語り継いできた。そういう形で代々の伝統的知恵そのものを伝承している。アイヌ人は、アイヌ民族という一つのまとまった民族にはなっていない。その様は、南北両大陸に住む先住民インディアン(北米をインディアン、南米をインディオと云う)と同じで、インディアン民族という概念がないようにアイヌ民族もない。各部族ごとに伝統を継承し、今日へと至っている。各部族間に多少の確執があり、一つにまとめるのは既に無理な事態になっている。
当然、各部族の伝統伝承は異なっており、アイヌ文化というのは断絶しているように見えるが、共通したものも多い。その共通部分は、「古き良き、日本の心」を知ろうとする時、滲み出てくるものとなっている。日本の伝統の奥にある核のようなものはアイヌに由来していることが多い。アイヌの心を訪ねねばならない所以がここにある。ここでは、その共通項的アイヌ的心象を確認する。
「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味する言葉である。アイヌ人は、自然界の全てのものに心があるという考え方を基調にしており、自然を指す「カムイ」に対する概念として「人間=アイヌ」を位置付けている。
アイヌ語には 「アイヌ・ネノアン・アイヌ」(人間らしくある人間)という言葉がある。アイヌを二つ重ねて呼ぴ、それをめざすと云うアイヌ的知性が秘められている。
アイヌでは赤ちゃんはカムイ(神)と崇められ、コタン(村)全部のものと考えられている。赤ちゃんには 躾(しつけ)が重視される。一人前の人としての礼儀やマナーが教えられる。人間と人間がどう向き合うべきかのアイヌ的真髄が躾される。
アイヌの自然観は、現代社会に厳しい警告を発している。鹿の肉などの獲物を獲っても、決して必要以上を捕獲しない。それらを神からの恵みとして受け取り、一部は木の枝に吊るしてカラスのために、一部は雪の下に置いてキツネのためにと残しておくしきたりがある。これは、自然の中で共に生かされ合っていのちを共有するという自然観に基いている。世界三大叙事詩といわれる「ユーカラ」や「サコロベ」は、現代がすでに失ってしまったモノを私たちに教えてくれる。現代人は、「アイヌから学ぶ自然と生きる知恵」を持つべきではなかろうか。
こう了解すべきところ、和人は、アイヌのこの精神文化に対して「無知蒙昧」かの如く蔑んできた。日本の近代化は、異民族に対する同化教育の歴史でもあった。アイヌ、ウィルタ、朝鮮民族に対して、土地を奪い、言葉を奪い、名前を奪い、「日本人」となることを押しつけてきた。日本人は、このことにあまりにも、鈍感に過ごしてきた。
「赤色赤光・白色白光……」(「仏説阿弥陀経」)という釈尊の教えがある。異なるものを互いにその存在を認め合いつつ共に生きていく道を実践する生き方を諭している。真実の教えはかくも近いというべきではなかろうか。
アイヌの宗教、思想をもう少し確認しておく。アイヌの習俗習慣は民族宗教に根ざしており、アイヌの生活には祈りの儀式が多い。カムイノミという神様への祈りの儀式、イチャルパという先祖供養、イヨマンテという神様の霊を神様の国へ送り返す儀式がある。
山へ入る時にはカムイノミをする。山には神々が住まいしており、「おじゃまします」の挨拶を行う儀式である。山に入って木を切ったり皮をはいだりするときも、木の神様にお願いのカムイノミをしてからする。道具にも魂があって、その道具が使えなくなったとき、イヨマンテをしてその道具の神様を国へ丁重に帰す。歌や踊りが、こうした儀式のときに行われることが多い。
アイヌ文化の象徴としての歌や踊りの際の着物、木彫りに使われるアイヌ文様には呪術的な意味がある。文様には、人間と自然の関わり方を描いた生きる知恵と想いが織り込まれている。例えば、代表的なモチーフ「渦模様」は、ぐるぐると渦巻く“無限の力”を表し、棘のような「括弧(アイウシ)模様」は“魔除け”を意味している。これらの文様を生かした衣装を身に纏うことで、自然の力と共に生き続けようというのがアイヌ流の考え方である。ユーカラは国生み神話だったりするわけで、全て宗教に根ざしている。
アイヌ人は狩猟採集経済を基調として生活している。これにより狩をする。鉄砲が入ってからは鉄砲を使うようになつたが、それ以前は弓矢を道具としていた。矢には矢毒というトリカブトを主原料とした毒を使っていた。他にも呪術的な意味を持つ塗り物を混ぜていた。矢がまっすぐ動物に向かって飛んでいってくれますようにという、矢の神様への祈りの意味があったと云う。矢には部族ごとの印があり、毒矢が当たった動物が逃げ出した場合、印が決め手となり引き渡されたと云う。
これまでアイヌ文化が研究されているが、それらは全て民俗学からの研究であった。今後は、宗教、思想学の観点から見つめ直し、日本の古神道に繋がる叡智を確認する必要があるように思われる。
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