アイヌ神話に於ける天地創造譚

 (最新見直し2008.5.19日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
  ここで、アイヌ神話の天地創造譚を確認しておく。「アイヌの神話」その他を参照する。

 2008.10.23日 れんだいこ拝


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 「国造神コタンカラカムイ〜世界の始まり

 幕末、夕張郡タツコフ集落コタンの老爺が伝えた話。

 かつて、まだ国土というものがなかった頃、青海原の中に油のように浮いて漂うものがありました。その"気"は燃え立ち、清らかなものは立ち昇って天に、濁ったものは凝り固まってモシリになりました。これは今の後方羊蹄シリペシの岳であるといいます。島は月日を重ねるごとに大きく堅くなり、その"気"が凝り固まって一柱の神になりましたが、天でも その清く明るい"気"が凝り固まって一柱の神になり、五色の雲に乗って降りてきました。

 神々は、乗っていた雲のうち青いところを海の方に投げ入れて言いました。「水になれ!」。すると海になりました。

 次に、黄色い雲を投げると土になり、島を覆い尽くしました。

 次に、赤い雲を蒔いて言いました。「金銀珠玉器財となれ!」

 最後に、白い雲を蒔いて「草木鳥獣魚虫となれ!」と言いました。

 こうして様々なものを整えましたが、二柱の神は「誰がこの国土を統率していってくれるだろうか」と心配しました。というのも、世界にはこの二柱の神しかいなかったからです。

 その時、二神の前にフクロウが飛んできました。フクロウはその大きな目をパチパチとしばたたかせましたが、それを見た二神はとても面白いと思いました。そして、この時二神で何かをしました。それが何だったのかは語られていませんが、とにかく、それによって沢山の跡継ぎの神々が産まれたのでした。

 こうして産まれた神々の中に、日神ヘケレチュッフ月神クンネチュッフという光り輝く麗しい二神がありました。その頃、国は深い霧霞ウララに包まれて薄闇の中にありましたが、二神はこれを照らし出そうと、黒い雲に乗って日神は雌岳マチネシリより、月神は雄岳ヒンネシリより昇天しました。この黒い雲は、親神が世界を整えるのに使った五色の雲のうち、残った最後の一つです。こうして太陽と月が天を巡ることになり、世界は明るくなりました。

 他には、火を起こす神や土を司る神が産まれていました。火を起こす神は粟や稗や黍の種を蒔いて育てることなどを教え(焼き畑農法?)、土を司る神は植物に関する全て、木の皮を剥いで衣服を作ることを教えました。その他にも 水を司る神、金を司る神、人間を司る神などがいて、鮭を捕り、鱒を突き、ニシンを網で捕ったり、様々な工夫を凝らして、その後に産まれた神々に技術を伝えていったのです。

 江戸時代、根室ノッカマップの大首長ションコが伝えた話。

 大昔、海の中に一つの島がありました。それは今の大雪山の頂で、海から出ているのはそこだけでした。そこに、造島神カルモシリカモイが天から降りてきました。続いてその妹の女神マチネカモイが降りてきて、二神は黒い雲を海に投げ入れて岩をつくり、黄色い雲を埋めて土をつくり、島々の全てを造り出しました。それで、今でも大きな岩からは雲が出てくるのです。

 日高に伝わる話。

 昔、国造神コタンカラカムイが世界を作ろうと、はるかな天界から降りてきました。けれども世界は一面の泥の海。降りようにも降りられません。さまよううち、ただ一箇所、泥海の中に固い土地を見つけました。国造神は喜んでそこに降り、土を引き上げ、泥をこねあげて山を作り、爪で引っかいて川を作り、立派な大地を作り上げました。そして満足して天界に帰ったのです。

 ところが、国造神が泥海の中の固い土地だと思ったところは、実は大きな大きなアメマスの背中でした。背中に重い荷物を載せられたアメマスが怒って暴れたので、地上は大地震になりました。ようやく事の次第に気付いた国造神は、勇猛な二柱の神にアメマスを取り押さえるよう命じました。二柱の神はさっそくアメマスを取り押さえましたが、あらん限りの力を振り絞ったので、どうにもお腹がすいてたまりません。そこで交代で一人ずつご飯を食べることにしたのですが、一人がご飯を食べ始めると、その隙を見てアメマスが暴れ、また地震が起こります。そんなわけで、神がご飯を食べるとき、この世に地震が起こるのでした。

 アメマスは休みなく大きな息をついています。海の水が引いたり満ちたりするのは、アメマスが海の水を飲んだり吐いたりするからです。アメマスが風邪をひこうものなら、大変です。大きなくしゃみをすると大津波になって、海辺の集落を残らずさらってしまいます。

 このように、世界はアメマスの上に作られました。ですから、アメマスのことを島の腰骨の魚モシリエツケウチェプと言うのです。

 また、別の話。

 昔、神が世界を創造することを決意したとき、神は助手としてセキレイを地上に下ろしました。セキレイは神がツルハシと斧で開墾した土地を、爪でかき翼で打ち尾を上下して叩いて固めました。今、セキレイが尾を上下させるのは、このためなのです。

 また、別の話。

 天の神々が集まって、「下って人間の国土を造れ」と命じましたので、国造神は春楡チキサニくわと春楡の叉木を持って天下りました。川を指先で作り、爪先で掘り、谷を爪先でこじり、手で掘りました。大雪山系の山頂に春楡の木が一本ありましたが、国造神はそれに座って地上を見下ろして、我ながら美しく出来たと満足して天に帰りました。

 また、別の話。

 昔、世界は一面の泥しかない沼地でした。陸地となるべきものは虚しくその中を漂い、空を飛ぶ鳥もいなければ海を泳ぐ魚もいない、莫寂とした死の世界でした。やがて空の彼方から風が吹き始め、七重八重の雲が現れ、天上の神々が現われました。最も高い天に住む真の造化神は、この世で最初の鳥としてセキレイを創造しました。このセキレイこそが地上の創始者です。

 セキレイは真の造化神の命を受け、光の尾を引いて地上に舞い降りました。泥海に降り立ち、勇ましく羽ばたきながら水をはね散らし、足で泥を踏み固め、その長い尾を上下させて地ならしをしました。そのうち乾いた陸地が現れ、水は海となってさざなみを起こしました。

 セキレイの働きにより、海に浮かぶ島が出来上がり、列島を形作りました。ゆえに、アイヌは世界をモシリと呼びます。モシリとは「浮かぶ土」という意味なのです。

 なお、この世に最初に人間が生まれたとき、セキレイは尾を上下して、夫婦の交わる方法を教えたといいます。人間が地上に繁殖したのはセキレイのおかげなのです。アイヌはセキレイを恋望の鳥オチウ・チリと呼んでいます。

 虻田集落アブタコタンに伝わる話。

 国造神コタンカラカムイが人間の国を作ろうと天から降りてきました。ところが、イコリ(虻田にある大岩)の上に座って辺りを見ますと、辺りは湿地のようになっていて、何もありません。ただ、一羽のセキレイが来て尾羽を振り、側にコミミズクが来て目をパチパチさせました。

 国造神は石の槌を作ると、一度天に帰って金ののみを作って、また下界に戻ってきました。こうして、毎日昼夜を問わず、槌と鑿だけで世界を作っていきました。コミミズクは海になるべき場所をじっと見つめていましたが、そこは本当に海になりました。

 国造神は虻田集落を作り、それから沖に見えた黄金の島に霧の橋をかけて渡って、黄金の砦に住みました。お嫁さんが欲しいなぁと思ったので、海の神の老夫婦のところに行ってみました。この夫婦には娘がありましたから。けれども老夫婦はそんな思惑を見抜いていて、からかわれて追い返されてしまいました。あんまり親ウケする男ではなかったようです、国造神。

 国造りが終わったので、国造り神は天に帰りました。けれども、ある日 虻田集落を見下ろすと、ポィヤンペの家が見えました。半神の大変賢い男でしたので、彼に会いに行きました。ポィヤンペも国造神を大いに歓待して、妹をお嫁さんにくれました。ポィヤンペの妹は着飾って霧の橋をひと飛びして嫁いできました。

 それから、国造神は日月を作りました。(お嫁さんとの間に産まれた、ということでしょうか?) 月は男神で黒衣を着せ、日は女神で白衣を着せて、国土の周りを巡らせました。

 自分が幸せになると、他人を世話する余裕が生まれるようです。国造神はポィヤンペにお嫁さんを世話してやって、切り立った岩の上の砦に住まわせました。それから、石や木に名前を付けさせたり、毒草の知識などを人々に教えるように指導しました。つまり、自分の地上代行者、地上のリーダーに指名したんですね。やがてポィヤンペにチュプカウンクル(東に住む者)という息子が生まれ、父の跡を継ぎ、ここから人間の男女が広まり始めました。

 けれども、幸せなことばかりではありません。沖の連中レプンクルが攻めてきて、チュプカウンクルを殺してしまったのです。国造神は沖の連中にかけあって謝罪させました。しかし、チュプカウンクルが生き返ることはありません。そこで、国造神の子が代わりに虻田集落を治めることになったのです。

 また、別の話。

 そもそも北海道は造化神の代理の男女二神に造られたといいます。西海岸を女神、東南方面を男神が競争して造りましたが、女神は途中で姉妹神アエオイナに出会ってつい長話し、男神が終わりかかるのを見て慌てて造ったので、西海岸の地勢は粗雑だということです。

 国造神に関する断片的な伝承の一つ

 国造神が支笏湖を造った時、どのくらいの深さに出来上がったのか確かめようと思って入ってみたところ、股間のモノまで濡れてしまいました。海に入ってさえ膝を濡らすこともなかったのに……。怒った国造神は、湖に放した魚をみんな海に投げてしまったのです。残ったのはたった一匹の雌のアメマスで、ですから支笏湖には長い間アメマスしかいませんでした。また、この時 海に投げられた魚のうち、神の親指で頭を潰されたものがアシペプヨという海の怪物になり、漁に出た舟を見ると追ってくるのです。

 国造神に関する断片的な伝承の一つ

 国造神が石狩川の支流の空知川で悪熊に大怪我をさせられたとき、神の妹は泣きながら駆けつけてきました。その鼻水はかやに、痰は鬼萱になり、吐き出した唾は白鳥に変わって、妹神と同じ声で鳴(泣)きながら飛んでいきました。国造神の怪我は浅く、やがて国造りの仕事を終えて天に帰りましたが、兄妹神は色んな道具を残していきました。妹神の貞操帯ポン・クツたこに、下着モウルは亀に、陰毛は野刈安という草に変わったということです。

 国造神に関する断片的な伝承の一つ

 神が世界創造の仕事を終えて天に帰るとき、六十本もの黒曜石の斧を打ち捨てていきました。時が過ぎ、斧は腐れ果てて、流水に黒曜石の毒が流れ、あらゆる病気がここから生まれて、ことに風邪と肺病が猛威を振るいました。毒の水は流れ流れて湿地に至り、そこに湿地の姥ニタツ・ウナルペという悪魔が生まれ、近くの林の奥には林の姥ケナシ・ウナルベという悪魔が生まれました。彼女たちはぼさぼさ頭の気味悪い容姿をしていましたが、さっと髪を分けて顔を出すと輝くばかりの美しい顔になり、木の枝に腰掛けて素晴らしい声で歌います。彼女たちに惑わされて交わりを持った男は精気を奪われ、運気が落ちるか、悪くすれば命まで落としてしまうのでした。また、湿地の中の沼には湿地の妖婆トイ・ラサンペが罠を仕掛けていて、鹿などが側に近寄ろうものならたちまち泥の中に引き込まれ、妖婆のサラニツプの中にすっぽり入れられてしまうのです。湿地の沼のふちに生える草は妖婆の陰毛だと言われます。

 毒の水は更に流れて、湿地と沼から成る大河、黒い河クンネ・ペットになりました。この河からあらゆる悪魔が現われます。悪魔の首領は河の中央に住居を持ち、黒曜石の大きな塊を宝にしています。

 黒い河が海に注ぎこんで潮水と混じり合うと、恐ろしい屍食鬼などの悪霊を生み出します。これらは夜に樺の皮をこすり合わせるような音を立てて動き回り、人や熊に取り憑いて発狂させたり殺したりします。

 不幸にして悪霊に出会ったなら、「世界の果てに住む悪霊モシリ・シンナイサムが、お前のことを小心者だ、打ち懲らしてやると言っていたぞ。いくらお前でも勝てぬだろうから逃げるがいい」と言ってやるといいでしょう。これを聞くと悪霊は腹を立て、モシリ・シンナイサムに直談判チャランケしてやろうと世界の果てまで飛んでいってしまうでしょうから。

 国造神に関する断片的な伝承の一つ

 国造神が大地を造ったとき、世界の上手の端に まずは春楡の木チキサニよもぎノヤが、下手の果てに泥の木クルンニわらびソロマが生えました。その次に人間たちが生まれましたので、国造神は火を授けてやろうと思って、泥の木で火起こし台と火起こし棒を作って一生懸命こすりましたが、どうしても火が起こせませんでした。

 機嫌を悪くした国造神は、木屑をフーッと吹きました。すると、それは淫魔パウチカムイ疫病神パーコロカムイ林の姥ケナシ・ウナルベ異界の化物モシリ・シンナイサムなどの恐ろしい魔神に変わりました。

 泥の木で失敗した国造神は、今度は春楡の枝で火起こし棒と火起こし台を作り、よく揉みますと、白い煙が立ち昇って火の姥神アペフチが生まれ、赤い火が燃え上がりました。この時の木屑や燃えさしからは、熊の姿をした山の神キムンカムイ野山・狩猟の神ハシナウクカムイが生まれ、火起こし棒からは祭壇の神ヌサコロカムイが生まれたのです。

 このようにして、国造神は人間に火を授けました。

 さて、最初に泥の木の木屑から生まれた魔神たちは、自分たちの方が先に生まれたというのに、国造神が後で春楡の木屑から生まれた善神たちばかり大事にしているのを見て腹を立て、軍勢を作って国造神の城に攻めてきました。国造神は国の上手に住む善神たちにこれを迎え撃たせましたが、戦力は拮抗し、夏六年、冬六年過ぎても決着がつきません。けれども、最後に国造神がよもぎで天の神に似せた人形兵士・ノヤイモシカムイを作って援軍として差し向けると、その活躍は目覚しく、ついに善神たちが勝利を収め、魔神たちは世界の六重無限の底の冥界ポクナモシリに閉じ込められたのでした。


【「国造神コタンカラカムイ〜人間の創造」】 

 国造神コタンカラカムイは仕事を終えると、大きな山に腰を下ろしてほれぼれと世界を眺めました。

「我ながら上出来だ。うねうねと連なる山、長々と流れる川、泥の平原に木も植え、草も生い茂った。なんと、いい眺めではないか」

 けれども、満足して眺めているうちに、何かが足りないような気がしてきました。

「なんだろう? 何かを造り忘れた気がする。でも、何を作ればよいのだろうか?」

 いくら考えても分かりません。国造神は、日が暮れてから夜の神に命じました。

「私は世界を造ったが、何かが足りない気がする。お前の思いつくものを造ってみてくれ」

 夜の神は困りましたが、首をひねりながら足元の泥をこね回すうち、泥の人形のようなものが出来上がって、これだ、と思いました。柳の枝を折って泥に通して骨にし、頭にははこべを取って植えました。

「それでは息を通わせてみよう」

 夜の神が生き扇で扇ぐと、泥はだんだん乾いて人間の肌になり、頭のはこべはふさふさした髪の毛になり、二つの目は星のように輝いてパチパチと瞬きました。

「これでよい。では、十二の欲の玉を体に入れてやろう」

 食べたい、遊びたい、眠りたいなどの十二の欲を与えると、ここに完全な人間が出来上がりました。

 けれども、生まれた人間たちは年を取るばかりで、いっこうに増えていきません。というのも、夜の神の造った人間はみんな男だったからです。えない人間はだんだん死んで減っていくばかりで、これでは勿体無いと思った国造神は、昼の神に頼んで別の人間を作らせることにしました。

「宜しいですとも。私は、昼の輝きのように美しい人間を作ってみせましょう」

 そうして昼の神が造った人間は、みんな女でした。

 この世に男と女が一緒に暮らすようになると、どんどん子が出来て、人間は段々に数を増やしていったのでした。

 こんなわけで、男の肌が浅黒いのは夜の神の手で作られたからで、女の肌が白いのは昼の神の手で作られたからなのです。そして、人間が年をとると腰が柳のように曲がるのは、柳の木を背骨に使ってあるからなのです。

 アイヌ社会では、子供が生まれるとお祖父さんが川の堤に行って、柳の木で木幣イナウを作り、それを飾って神に祈ります。(木幣とは、柳やミズキの木の棒の先を削りかけしたもので、日本本土の御幣――祓い串のルーツと言われています。人の言葉を神に伝える力があり、神話の中では人と神をつなぐ伝令神のような役回りです。)

「おお、木幣よ、汝は神であるので我らは心を込めて祈る。原始、神が人を造りたもうた時、柳の木を取って人の背骨とした。我らは汝に祈りを捧げる。神聖な柳の木幣よ、生まれた子の将来を守りたまえ」

 そうして木幣を生まれた子の枕元に飾って、酒を捧げて祀るのでした。

 また、こんな話もあります。

 国造神が始めて人間を造ったとき、何を材料にして造ればよいのか、雀を使者にして天の神に尋ねました。天神は「木で造れ」と返事をしましたが、後になって後悔して、やはり丈夫な石で作るにこしたことがない、と思い直しました。そこでカワウソを使者に立てて、急いで下界に派遣しましたが、カワウソは途中で沢山魚のいる淵に差し掛かって、使命を忘れて夢中で魚を追いかけました。そのために伝令は間に合わず、天の神は怒ってカワウソの頭を踏みつけ、カワウソの顔は今のように扁平顔になりました。

 もしも人間が石で作られていたなら、人間は不朽の命を持つことが出来たでしょう。とはいえ、木で造られたので、人間は木のように後から後から生長して増えることが出来るようになったのです。

 なお、以上の神話とは別に、人間の中には山の神――熊神キムンカムイか海の神――シャチ神レプンカムイのどちらかを祖先とする者がいる、という信仰もあります。

 熊神系の人間かシャチ神系の人間かを見分けるには、陰毛の生え方を見ます。熊神系の人間のそれは熊のような剛毛です。一方、シャチ神系の人間のそれは両側から長い毛が寄り合って、シャチの背びれのように立っています。それぞれの人間は祖霊神の守護を受け、幸運に恵まれます。

 ただし、このような毛を持っていることは、他の誰にも秘密にしておかなければなりません。偶然他の人の毛がそうであると知ったとしても、それをみだりに人に話してはなりません。もしも話したなら、神の守護を失って、幸運を逃してしまうでしょうから。


【オキクルミ〜稗種を盗んだ神】

 神の国にオキクルミという神がいました。知恵も力もある若い男神でした。ある日のこと、オキクルミは下界に新しく創造された人間界アイヌモシリについて、父神と母神が話しているのを聞きました。なんでも、その世界の山は美しく、川は透き通って川底の石が虹のように輝き、小鳥の声は神の国でも聞くことが出来ないほどの美しさだとか。……ただし、世界モシリと共に創造された人間アイヌは、未だ火の起こし方も弓矢の作り方も知らないというのでした。

 これを聞いたオキクルミは、どうしても人間界に行きたくて堪らなくなりました。「父上、ぜひとも私を下界へ行かせてください。行って人間たちに生活のすべを教えさせてください」。

 オキクルミがこう言うと、父神は一瞬驚いた顔をしたものの、じっと息子の顔を見つめて言いました。「よく聞けオキクルミ。下界へ行くというのは良いこと尽くめではないのだ。これまでにも沢山の神が希望したが、みんな下界へ行くための三つの試練に耐え切れずに脱落した。その試練とは、まずはひどい暑さに耐え、次にひどい寒さに耐え、最後にどんなことがあっても笑ってはならぬというものだ。これまでに暑さで死んだ神もいれば寒さで凍ってしまった神もいる。三番目の笑わぬ試練には挑戦すらできた者がいない。お前はこれらに耐えることができるのか?」。

 「きっと耐えてみせます。三つの試練を受けさせてください!」。父神は頼もしげに息子を見て、「お前ならきっとやり抜けるだろう」と言って、神々に試練を申し込みました。

 試練の一日目。

 大勢の神々の前にオキクルミは座りました。どういうわけかオキクルミの座った辺りに射す日の光だけが異常に暑く、オキクルミの背中は焼け焦げて今にも剥げ落ちそうになり、目玉は溶けそうになりました。オキクルミは両手で目を覆ってそれを防ぎましたが、するとその両腕が焦げて、鹿の串焼きのような匂いが辺りに漂うのでした。

 オキクルミはそれでも耐えました。陰の方で見ていた母神は、息子の焦げる匂いに思わず顔を覆いました。――その時、「よし、今日はここまで」という声がかかり、太陽の光は和らぎました。

 オキクルミは立ち上がろうとしましたが、全身がひどい火傷で、なかなか立ち上がれませんでした。それでも、人間界に一歩近づいたのだと思って、力を振り絞って立ちました。

 試練の二日目。

 神々の前に座るオキクルミの辺りは、前日とは正反対に酷寒でした。まず冷たい風が吹き始めて見る見る霜柱が立ち、同時にみぞれが降ってオキクルミの体にへばりつき、凍り付いて、特に耳たぶなどは千切れ落ちそうな痛さでした。オキクルミは両手で耳たぶを押さえましたが、風の強さも寒気もますます強まり、みぞれは雪に変わっていきます。このままでは本当に凍死すると思ったオキクルミは座ったまま前に体を倒し、両膝の上にうつぶせになって、雪ダルマのようになりながらも じっと耐え続けました。とうとう身動きも出来なくなった頃、ようやく「それまで」と神々の声がかかりました。

 試練の三日目。

 とうとう最後の試練です。オキクルミは「今日一日だけだ。どんなことがあっても笑うまい」と決意して神々の前に座りました。今までで一番沢山の神々が集まっていました。「オキクルミよ、何があっても笑ってはならぬぞ」。そう言うなり、神々は彼の周りを輪になって囲みました。その輪の中に二柱の神が飛び出してきて、周りの神々はドッと笑いました。それは、若い素裸の男神と女神だったからです。

 そのまま、二柱の神は奇妙な遊びを始めました。裸のまま四つんばいになって歩き、女神の後ろに男神が続きます。男神は女神のお尻や首筋を鼻先で突いたりクンクン嗅いだりして、時折、片足を上げてオシッコをする仕草をします。どうやら発情期のメス犬とオス犬の仕草を真似ているようです。神々は手を叩き足を踏み鳴らして笑い転げましたが、オキクルミは断固として仏頂面を続けました。

 やがて男神と女神は互いの大事なところをペロペロと舐めあって、男神が四つんばいの女神の後ろからのしかかり、大事なところを押し当てて、力強くセキレイの尾の仕草を始めました。見ていた神々は もはや笑うのも忘れて息を呑み、ある神は顔を赤らめて目をそむけ、ある神は身をよじって座り込みます。このセキレイの仕草がどのくらい続いたか。ようやく男神は女神の背中から降りましたが、まだまだ名演技は終わりません。いわゆる犬のけつびき――男神と女神はお尻でくっついたまま、離れるに離れられずに互いに引き合い、切ない鳴き声をもらしました。その様子に再び神々は大爆笑。どんなに転げまわっても大事なところだけは決して離れない名演技に笑い転げます。

 ここに至って、若いオキクルミは仏頂面を続けることが出来ず、とうとう、「グスッ」と一声だけ笑い声を漏らしてしまいました。「そーら、オキクルミが笑った。もう人間界に降りて行けないぞ」。神々がはやしたて、オキクルミは悔し涙を早瀬のように流しました。

 あれほどの試練に耐えながら、たったこれだけのことで諦めなければならないとは……。いや、諦めてなるものか。私は絶対に人間界へ行くのだ。オキクルミは、密かに逃亡を決意したのです。

 その夜。オキクルミは父神と母神が大事にしていた稗の種を一掴み盗み出すと、ふくらはぎに傷をつけてその中に隠しました。そうして闇にまぎれて下界へ旅立とうとしたのですが。

 「オキクルミが稗種を盗んで下界へ行くぞ!」大声で叫んだのは、戸口にいた犬でした。怒ったオキクルミは咄嗟に灰を掴むと、犬の口の中に投げ込みました。「お前なんか、もう二度と口がきけないようにしてやる! 下界に行って、鹿を追いかける手伝いでもするがいい」そうして、人間界へ向かって飛び出したのです。これ以来、犬は口がきけなくなって、ただ「ワンワン」と吠えながら人間の狩りの手伝いをするようになったのでした。

 また、食物の起源に関しては、こんな話もあります。

 ある集落の長のもとに奇妙な噂が伝わってきました。東の方から丸禿の女がやって来ては村々の長を訪ね、借りた鍋に自分の頭のかさぶたを掻き落としてはそれを煮込んで(または、借りたお椀に糞をして)食べろと勧め、汚がって食べないと怒って談判チャランケして家の宝物を取り上げていくというのです。果たして、まもなく噂で聞いたような女がやってきて、頭のかさぶたを鍋に掻き落として煮て、ドロドロした中身をお椀に盛って出してきました。長は身震いするほど汚いと思いましたが、匂いはよかったので、思い切って食べました。すると素晴らしく美味しいので、奥さんにも勧めて、お代わりするほどでした。その晩、女は家に泊まりましたが、醜いかさぶた頭から一転した美しい髪を垂らした姿で長の夢に現われて、こう言いました。

「私は姥百合のカムイです。あなたに私の肉を食べてもらえたおかげで、やっと神の国に帰ることが出来ます。国造神が人間界を造ったとき、人間の食料として私は作られました。けれども、人間たちは獣を獲って食べるばかりで、誰も私を食べてくれませんでした。人間に食べてもらうためにこの国土に生えているのに、生えては腐り落ちるばかりで、神の国に帰ることが出来ません。ですから、自分で自分を料理して人間の村を訪ね歩き始めたのですが、姥百合は料理するとかさぶたのようになるので、なおさら誰も食べてくれなかったのでした。

 私の料理の仕方はあなたの奥さんに夢で見せますから、他の人たちも呼んで教えてあげなさい。女たちがそれを覚えたなら、どんな飢餓のときにも生き延びることが出来るでしょう……」

 長が目を覚ますと、女が寝ていたところに、今までいくらでもあって踏みつけていた草がありました。食べるに困っていたときも、この草が食べられることも、あんなに美味しいということも知らないでいたのでした。また、姥百合の精が背負ってきた荷物を解いてみると、それは今まで姥百合の精が取り上げてきた、色んな長の家の宝物でした。

 こうして、長はこのことを近隣の村の人々に伝えて感謝され、宝物も譲り受けて、幸福に暮らしたということです。


【「オキクルミ〜人間と文明」】

 死ぬほどの試練を越えてオキクルミが降りてきた人間界は本当に美しい世界で、人間たちも善良でした。オキクルミは、様々な生活の知恵を人間たちに教えました。石と鉄の火花で火を起こす方法と火種の保存の仕方。竪穴式住居に大黒柱を立て、天井を高くして住み易く。川で魚を獲るときにマレプという鉤にも銛にもなる道具を使うこと。山で獣を獲るとき弓矢を使うこと。また、トリカブトの矢毒の作り方。

 なお、オキクルミが最初に人間に与えた弓矢は自動追尾式で、足跡を発見した場所で射れば勝手に追いかけていって仕留めてくれるという便利なものでしたが、人間があまりに怠惰になって矢を無駄にすることが多くなったので、後で目の前の獲物しか射抜けない矢に作り変えてしまいました。

 神の国から一掴みだけ持ってきた稗も順調にえましたので、オキクルミは稗から酒を作ること、桶いっぱいの酒で神を祀ることを教え、柳の木で木幣イナウを作ることも教えました。「木幣を供えれば、神々は喜んでお前たちを守ってくれるのだ。何故って、かつて私より前に降りてきてこの世界を造った神が、地上でご飯を食べるときに使った箸を大地に突き刺して神の国に帰った。その箸が柳になったのだからね」。 

 さて、一通り生活の知恵を授けてしまったので、オキクルミは綺麗なお嫁さんを貰いました。そうして人間の集落に近い沙流側のほとりに住居を構え、今までのことを思い返しては、神の国での試練は全て人間界での暮らしに役立つことであったのだ、と改めて感謝するのでした。 

 ところが、この平和な人間界に大変なことが起こりました。ある冬のこと、今まで見たことも聞いたこともないような大雪が降り始めたのです。雪のひとひらが大人のこぶしほどもあり、一晩で家も埋まるほど。二晩目には家の屋根も見えなくなり、野山の鹿もみんな凍え死んでしまいました。春になると雪は溶けましたが、鹿の死骸はみんな腐っていて、もう食べることは出来ません。生きている鹿を見かけることがまるでなくなってしまい、鹿肉が食べ物の中心だった人間たちはみんな飢えて弱り果て、外を出歩ける元気のある者すら殆どいなくなってしまいました。

 それを見たオキクルミは、自分の食べ物を減らして人間たちに食べさせました。最初は干し肉や干し魚を配りましたが、無くなったので、稗のご飯を大きなお椀に山盛りにして、夜になると妻に持たせて一軒一軒配って歩かせました。夜になると家々の上座の窓から美しい手が差し出され、ご飯山盛りのお椀が配られたので、人間たちは手しか見えない神からの贈り物を感謝しながら受け取っていました。

 ところが、人間たちの中にあまり心映えのよくない若者がいました。お椀を差し出す女神の手があまりに綺麗なので、いつか握ってやろうと考えていたのです。そしてある夜、いつものように美しい手が差し出されたとき、待ち構えていた若者はお椀を取らずに手を捕まえました。途端に大爆音が響き、家の屋根もろとも、若者は吹き飛ばされてしまいました。

 それっきり、怒ったオキクルミ夫婦は人間界から立ち去り、神の国に帰ってしまいました。妻の使っていた箕だけが残され、形の崖ノカピラという岩になりました。今、近くを流れる川が額平ヌカピラ川と呼ばれるのは、この話にちなんでいるのです。

 神の国に帰る時、それでも心配だったのでしょう、オキクルミは「留守番の神」を作っていきました。ロボットみたいなものでしょうか? それはヨモギを束にした人形で、名前をノヤウタサプといいました。かつて国造神が魔神と戦わせたというノヤイモシカムイと同じようなもののようです。ヨモギは人間界に最初に生えた草ですから、どんな魔物も勝てません。ヨモギで作られた神の刀や槍で倒された魔物は決して生き返らないと言われるほどです。それに、ノヤウタサプには胸のほかに両手両足に心臓(燠を清水に浸して作った炭)があって、普通の神の五倍の強さがありました。この神は今の平取町の川向こうにあるアベツという丘にいて、そのために沙流川流域は病神も避けて通るといわれています。

 年に一度だけ、秋になると、オキクルミが木幣の材料を伐りに沙流川にやってきます。その時、沙流川の川尻で一回だけ「ドカン」と雷の音が聞こえます。そんな時この地方の年寄りは、「オキクルミカムイが人間の集落に来ているのだから静かにするものだよ」と、子供たちに言い聞かせているそうです。

 

 なお、こんな話もあります。

 地上に人間が生まれたばかりの頃、人間たちは火も道具も、道徳も知りませんでした。熊でも鹿でも鮭でも獲物の肉を生で食べ、人間同士で戦争があれば、勝者が敗者の肉を食べることすらしばしば行われました。

 そんな時、アイヌの守り神であるオキクルミが天から降臨し、人間たちと共に暮らしながら、肉を火で調理することを教え、道具の作り方を教え、人間が殺し合って互いの肉を食べるという悪習をやめさせました。こうして、人間が文化的な暮らしを送るようになると、オキクルミは再び天に帰っていったということです。





(私論.私見)