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札幌・金子市議のアイヌ発言 |
香山 |
小林さんはブログで「『アイヌは出て行け』とか『アイヌは死ね』とか、差別しているわけではない」、そして「“既得権益バッシング”でもない」ということをおっしゃっていますね。差別意識はないという上で「アイヌ民族はいない」と言っています。しかし厄介なのは、ご存知のように2014年8月11日に札幌の金子快之市議(当時)がツイッターでこうつぶやいた。「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません」。それに対して質問も殺到したのですが、金子市議はその後「アイヌは自己申告制ですからね」、「私も選挙に落ちたら、○○○になろうかな」など(○○○とはアイヌのことですよね)、先の発言を撤回するどころか、むしろさらにエスカレートさせました。差別的発言だとして市議会からは辞職勧告がありましたが、その後も自ら辞職はしませんでした。同時に彼を応援するということで北海道議会の小野寺まさる議員(当時)も「アイヌが先住民族かどうかは非常に疑念がある。グレーのまま政策が進んでいることに危機感を持っている」と発言しています。今非常に問題なのは、ツイッターなどでアイヌに関するいろんな言葉が飛び交っているのですが、その中には明らかなデマ、たとえば「アイヌは利権を得るためになりすましている」といった話までがあちこちで語られています。「ザイヌ」という言葉、ご存知ですか?
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小林 |
なんだそれ? |
香山 |
在日アイヌ? 在日朝鮮人・韓国人がアイヌになりすましているということらしいです(苦笑)。ほかにも「アイヌはみんな不正を働いている」とか、「とんでもないお金をもらっているんじゃないか」といった言葉が飛び交っています。 2014年11月には、ヘイトスピーチデモがアイヌにも矛先を向けた。アイヌを自認する人に対してもツイッターで「お前もなりすましているんだろう」とか「おいしい思いしやがって」「税金泥棒」「帰れ」といった言葉が投げつけられています。ヘイトスピーチがアイヌに対しても攻撃を拡大している。そういった人たちが拠り所にしているのが、小林さんなんです。 |
小林 |
なんでわしが(笑)。 |
香山 |
ご本人にそのつもりはなくても、いわゆる小林チルドレン、小林グランドチルドレンといったような人たちがあふれ返っています。「従軍慰安婦」や在日朝鮮人などの問題と同じように、日本の誇りを傷つけている原因がここにあるんじゃないか、あるいは特権を享受して不正を働いている、その資格もない人までがなりすましているといったような特権妄想ですね。そうした排外主義の対象がアイヌになっているといった印象です。そうした現状を鑑みると、私としては小林さんには、「アイヌは民族である」そして「先住民族である」ということを認めていただかない限り、今日は帰れません。
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小林 |
ムチャクチャなこと言うなあ(笑)。 |
香山 |
私は今日、それを認めていただくために来ました。そうしないとこの騒動は収まらない。 |
小林 |
どういう話の回路なわけ?(笑) |
香山 |
逆に聞きたいのですが、なぜアイヌが民族であると問題なのですか? もちろん日本国民であるという前提で、なおかつアイヌ民族であり、先住民族であるということで、何の不都合があるのでしょうか?
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小林 |
わしも元々はアイヌ民族っているかと思ってたのよ。で、アイヌ協会(元ウタリ協会。2009年に名称変更)にインタビューの依頼をしたのよ。「誇りあるアイヌ」っていうタイトルにするつもりだから話を聞かせてくれと。 |
香山 |
小林さんがアイヌに関心をもったきっかけは、2008年の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める国会決議」ですよね。 |
小林 |
それよりもっと前に、中曽根康弘が「日本は単一民族だ」と発言して、非難を受けて発言を撤回させられている。だから多民族国家なのかなあと思っていた。 アイヌだという人たちがいるんだったらその生活を見ておくべきだし、知っておかなければならないと、わしは思ったのよ。それでアイヌ協会に取材を依頼したんだけど……。 |
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『わしズム』、『日本のタブー』で描いたアイヌ |
香山 |
ちょっと確認したいのですが、『わしズム』や『日本のタブー』によると、国会決議を受けて、「これは特権が発生するのでは」と思って北海道に行ったと書かれているのですが。 |
小林 |
そういう順番で書いてた? |
香山 |
そうですよ。国会で満場一致で議決された。そこで「特権が発生するのだろうか」と疑問をもって調べるようになり、北海道に行った、となっています。 |
小林 |
漫画は取材の後に書いているからそう書いたのかもしれないけれど、最初の時点では特権のことなんてわからなかったよね。でも、国会決議をさせるということは、「(アイヌ民族は)いる」と言うことによって、それなりのお金が出されるわけでしょ? 何かの予算をつけるという話になるんだろうな、と。 |
香山 |
「いる」というか、これは「先住民族である」ということを認めたわけですけどね。それはさておき、国会決議に対して、どちらかというと否定的に疑問を持たれたということですね? |
小林 |
それは思うね。 |
香山 |
どうしてそう思われたんですか? |
小林 |
国会議員が、アイヌっているのかいないのか、知ってるはずがない。明確にそれを論理で説明できる人間がいるわけがない。だから偽善だということはわかった。 |
香山 |
でも国会決議の前年に、国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が出されましたよね。だから国会議員も何も知らないわけではないと思いますが、でも小林さんとしては、ちょっとにおったわけですね? |
小林 |
におったね。何かおかしい、偽善っぽいなと思った。ただ、それでもアイヌ民族がいるならば「誇りあるアイヌ」として、国民の中で容認していく方法を考えようと思って、アイヌ協会に取材を依頼したんだけど。で、事前に向こうから渡されたテキストも読んで「さあ」という時に、向こうから断ってきたんですよ。「小林よしのりに対する不信のため」という理由で、取材を受けないと。 |
香山 |
私はアイヌ協会の回し者でも何でもないですが、ひとつ私が思うのは、『ゴーマニズム宣言』や『戦争論』などを出された小林さんが、もし私が勤めている精神科の病院に取材に来たいとおっしゃったとしますよね。 そしたら、ちょっと私は警戒すると思うんです。今度は何か精神病に関する不正があるとか書こうとしているんじゃないかな、とか。小林さんだけでなく、これまでも先住民族のことを熱心に研究されてきた方も一緒に来るということであれば、「まあどうぞ」となったかもしれないですが。 |
小林 |
アイヌ協会というのは公的な機関でしょ。わしに対して何か疑問があったとしても、わしを説得しなきゃだめなんじゃないの? |
香山 |
もちろん取材を受けた方が良かったとは思うけれど、小林さんを警戒した、及び腰になった気持ちは、わからなくもないです。 |
小林 |
だったらもう、わしがどのような発言をしようと、後で抗議して潰すということもできないよね。あるいは本を出した時点でも、反論はできたはずだよね。 |
香山 |
それは自分も反省しています。今こうやって言うんだったらその時に反論していればって。 |
小林 |
だからね、経緯をまとめるとこういうこと。わしのスタッフの時浦君は北海道出身だけど「アイヌの人に会ったことがあるか」と訊いたら全然ないという。会ったこともない、見たこともない、何も知らないのに、国会決議までされている。これは何なんだ、だったらわしが北海道に行って取材しよう、その結果を漫画に描こうとなるわけだよね。ところが先方が取材を拒否したために「これはヤバいことがあるのか」と、当然こっちも猜疑心がわいてしまう。で、実際に北海道に行った。アイヌの血が混じっているという人にも会った。でも実際には、誰もアイヌ語はしゃべれない。アイヌ語でものを考えているわけでもない。親のどちらかがアイヌ系であるというだけ。それも、ハーフやクオーターどころではない。もっと血は薄まっていると。まあそれはそうだよな。アイヌの絶対数が少ないんだから、アイヌという民族が純血で保てるわけがない。和人との混血を重ねていけば、もう何百分の一しかアイヌの血は残らない。それでもアイヌ民族だと言い張る。これは一体何なんだろうと思ったわけですよ。アイヌ民族っていうのは何なんだろうと。「ない」と結論せざるをえない。
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「民族とは何か」というそもそもの問題 |
香山 |
経緯はわかりましたが、これはそもそも、「民族とはなにか」という話になっていくと思うんです。
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小林 |
うん、そうだね。 |
香山 |
小林さんは民族というものを、ご著書に描かれているような、髭をたくわえて昔ながらの真正さとでも言うのかな、昔から変わらぬ姿でずっと暮らしている、すごく確立された共同体で、言葉もアイヌ語だけというようなものだけを民族と定義されていると思うのですが。 |
小林 |
わしはそもそも民族主義というものが嫌いなのね。それを言い始めたら「わしは熊襲じゃない?」とか「いや、隼人じゃない?」「朝鮮系かもしれない」とかキリがない。でもそれは今、全部和人に包摂されているわけでしょ? 何で括るかといったら「国民」しかないのよ。それなのに「自分は和人ではない、アイヌ民族だ」と言うからには、何をもってそう言うのか? もはや姿も違う、風習も違う、アイヌ語もしゃべれないのに。 |
香山 |
佐藤知己氏の論文「アイヌ語の現状と復興」には、「アイヌ語話者の正確な人数を知ることは極めて困難である」とあります。なぜ出てこないかというと、差別されるから隠している方が多いんです。
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小林 |
あなた、アイヌ語をしゃべれる人に会ったことあるの? |
香山 |
ありますよ。 |
小林 |
アイヌ語でしゃべってたの? |
香山 |
日常会話はアイヌ語ではしないですよ。でもバイリンガルというか、アイヌ語も話せるという人です。秘伝じゃないですけど、ずっとアイヌ語を大事にしてきたという方はいますよ。 |
小林 |
「います」って、それをちゃんと証明してもらわなきゃ困るわけよ。じゃあ、知里真志保って人知ってる? |
香山 |
もちろん知ってますよ。 |
小林 |
天才的な言語学者ですよ、アイヌ系のね。彼が1930年代にすでに「アイヌはいない」と言ってるよね。 |
香山 |
「いない」ではなく「アイヌ系日本人」ですが、知里真志保がどういう文脈でそれを発したかを考えていただきたいんです。私は知里真志保さんの他の文章や、古いNHKの番組でそうした発言をされている映像を見せてもらったことがあるんです。 当時アイヌは非常に差別されていました。アイヌの生活や文化を向上させたい、アイヌだから劣等だということを否定したい――そういう趣旨だったと思います。歌人の違星北斗もまさにそうで、書簡などを研究している人によると、「アイヌだから」とけなされたりすることに対抗して「同化しかない」「アイヌはいない」などと言っている。いわば地位向上のためのニュアンスであって、単純に「アイヌなんてもういないんですよ」という感じとはずいぶん違うと思うのですが。
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小林 |
いや、それは違うんじゃない? 知里真志保が『アイヌ民譚集』の中で書いた文章を読むと、全くそのようには書かれてないよ。「生活の凡ゆる部門に亘つて、『コタンの生活』は完全に滅びたと云つてよい。四十歳以下の男女は勿論のこと、五十歳以上の男子と雖も、詩曲・聖伝の如き古文辞を伝へ得る者は殆ど無い。纔かに残つてゐる数人の老媼たちですら、今では全く日本化してしまつて、其の或者は七十歳を過ぎて十呂盤を弾き、帳面を附け、或者はモダン婆の綽名で呼ばれる程にモダン化し、或婆さんは英語すらも読み書くほどの物凄さである」。こう書いてあるのね。あなたね、歴史のことを考える時には第一次史料、第二次史料、第三次史料っていう形で、ちゃんと紐解かなきゃいけないの。
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香山 |
もちろんそうですよ。
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小林 |
あなたが言ってるのは一次史料でもない、二次史料でもない。単なる噂話を言ってるだけ。
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香山 |
私だって元の史料を読みましたよ。当たり前じゃないですか。 私が言いたいのはその背景に、差別に対して、あるいは自分たちの生活水準が低いことに対するひとつのレジスタンスがあるのではないかということです。 |
小林 |
勝手に解釈したわけね。 |
香山 |
勝手にじゃないですよ。知里は、「過去のアイヌ」は本来のアイヌ文化を背負っていたのに、「現在のアイヌ」には「侮蔑と屈辱」がつきまとっている、と言い、差別に警告を発しています。 民族かどうかの認定を何によって行うか。 |
小林 |
差別は実際、ずっとあったんだよ。けれども民族の話は別でしょ。クオーターからさらに何分の一、何分の一ってなっていったときに、民族って成立する? |
香山 |
民族の学術的な考え方は、そういうふうに血が何割入っているというような考え方をすると複雑になるし危険なので、客観的な判定と、本人の帰属意識という主観的な判定と、双方を見るということです。
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小林 |
自分がアイヌと言ったらアイヌなら、わしもアイヌということになってしまう。 |
香山 |
それは違います。極端な政治学者なんかは、主観的な帰属意識だけでよいと言っている人もいます。しかしそれではあまりにも曖昧なので、客観性と主観性両方で判定するんです。
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小林 |
じゃあ客観性って何なの? |
香山 |
アイヌ協会に自己申告して認められるのもそのひとつですよね。 |
小 |
何だそれ! アイヌ協会がポンと判を押して「アイヌだ」と言ったらアイヌなの? |
香山 |
違います。最後まで聞いてくださいよ。アイヌ協会の定款によると、本人の入会申込書をもとに理事会での決議で決まります。戸籍を含めての審査と聞いています。主観性と客観性ですね。この両方で判定します。 |
小林 |
戸籍が客観性なのね?
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香山 |
それしかないですからね、今のところ。昔は、彼らのネットワークがありますので、そういう噂なんかも判断材料にしたこともあったようです。「あの人は違うよ」とか「あの人は確かにこの集落にいた」とかですね。それも参考にしつつ、ということです。「誰もあの人知らないよ」というような場合は認めない。 |
小林 |
戸籍が客観性だというのはきわめておかしいですよ。戸籍を遡っていくとなったら、わしだって隼人かもしれない。
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香山 |
ご存知のようにアイヌの場合は「旧土人」と戸籍に記されていたわけです。
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小林 |
じゃあ客観性というのは戸籍であったり、「あの人あの辺に住んでいたよ」とか、「あの人アイヌ系だよ」といった噂とか、その程度っていうわけだな。あと自分がアイヌだと言えばアイヌになると。
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香山 |
アイヌ協会の会員になるということです。アイヌ協会の会員になるということとアイヌであることは必ずしもイコールではないと思いますよ。協会員じゃなくても自分はアイヌ民族だと思ってる人もいると思います。 |
小林 |
うん、協会員じゃなくてもアイヌ系だと思ってる人はいるよ。
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香山 |
それはアイヌ民族ではないんですか? |
小林 |
民族じゃないね。砂澤陣っていうわしの知り合いがいる。砂澤ビッキというアイヌの美術家の息子なんだけど、彼は自分のことをアイヌ民族だとは言わない。 |
香山 |
でもそれはアイヌの人たちの総意ではないですよね? アイヌ民族だというアイデンティティを持っている人に、私は会ったことがありますよ。「言えない」とか「これは誰にも言ってない」という方もいます。
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小林 |
なんでそこで、血が100分の1になろうと自分はアイヌ民族だと言い張るの?
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香山 |
それはアイデンティティなんだから、こちらが決めることではないんじゃないですか?
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小林 |
自分が決めればいいというだけの話?
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香山 |
主観的な帰属意識を大事にしようというのが、民族というものに対する今の世界的な定義ですね。 |
小林 |
そんな主観的な話で日本は多民族国家だとか言ったって、どうにもならないよね? もう同化していてアイヌの血が100分の1になっていても、まだアイヌ民族だというアイデンティティを維持したいと思う人間の心理って何なんだろう。そこが問題だよ。
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