3253394 トロツキズム

 (最支那見直し2006.1.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこは、「ロシア十月革命考」を通じて、ロシア十月革命の是非はともかく、この革命の推進者としてのレーニンとトロツキーの協働を確認してきた。革命政権はその後スターリン独裁に帰着するが、それはレーニンとトロツキーの正統系譜からの果実の簒奪者であり、革命の捻じ曲げ以外の何物でもない事を確認してきた。しかしながら、史実は、レーニンを神棚に祀る一方でトロツキーを鬼畜の如く扱ってきた。

 栗田勇・氏は「詩人トロツキー」の中で次のように記している。
 概要「トロツキストという言葉が造語され、腐ったトマトか、キャベツのように激論の敵手に憎悪の塊として投げつけられてきた。委員会の討論も、この不思議な魔力ある言葉を、どちらが先に相手に投げつけるキッカケを見出すかで勝負は決まった。いわば現代の政治教の呪術の言葉だった」。

 日本左派運動はそういう程度の見識に止まってきた。れんだいこは、このレベルからの脱却を切に願う。マルクス主義及びその運動史に対して根本的な無智無理解を晒しており、それは大いに不正であり、史実の歪曲であり改竄であると確信する。残念ながら、日本左派運動は、昨日までのれんだいこも含めこの水準で遣り取りされている。首尾よく進展する訳が無かろう。

 トロツキー自身が、トロツキズムに対して、「我が生涯2」の中で次のように述べている。
 「レーニンにとって、党の発展を全体として振り返ってみた時、トロツキズムは、何らの異端的あるいは敵対的なものではなかった。それどころか、逆にボルシェヴィズムに最も近い社会主義思潮であった。思想の真の発展経過は、今明らかなようにレーニンの死と反動の波を利用して、エピゴーネンどもがでっち上げた偽りの漫画とは何一つ関係は無かったのである」。
 
 トロツキズムについて、かく認識を構えるべきであろう。そのトロツキズムについて、栗田勇・氏は「詩人トロツキー」の中で次のように記している。
 「トロツキーという名を聞いたことの無い者はあるまい。しかしトロツキーを本当に知っている者も、殆ど有るまい。トロツキーの名は、公式的左翼主義者にとっては、犯罪者の別名であり、トロツキズムはタブーであり、トロツキーの著作は禁書の筆頭であったからだ。ところが、ソ連に於いてスターリンが批判されて以来、我が国でも、スターリニズムに対して苛烈な政治闘争を行って葬られたトロツキーは、当然、一種の復権を行い、云わば、反スターリン主義の波に乗って、人の口にのぼるようになった。しかし、トロツキーはその人の姿に就いては依然として知られないままで、彼をめぐる無智は以前と余り変わっていないのではないだろうか」。

 れんだいこは、以上の見識を尊ぶ。しかし、トロツキー理解に対する半分のものでしかないとも思う。トロツキー研究は更にネオ・シオニズムとの遠くて近い関係、逆に近くて遠い関係、もう一つアナーキズムとの疎遠関係、交わらなかった近親関係を論述せねばならないと考える。というような問題意識を持って、トロツキー研究に入る。

 2006.1.3日 れんだいこ拝


目次  

コード 中項目
革命指導者としてのトロツキーの史的地位論、トロツキズム評
生涯の 概略履歴
哲学理論
組織論、規約論
トロツキーの「プロレタリア民主主義」
トロツキーの「新経済政策(ネップ)」への転換考
帝国主義論
右翼日和見主義、社民主義批判論
労働組合論
トロツキーの議会論及び利用の観点論
トロツキーの日本及び日本人論、明治維新論
各界人士のトロツキー評価論
トロツキーの名言
トロツキー著作集年次リスト

 

<特集解題>トロツキー没後60周年 湯川順夫 

 トロツキーの闘いと思想の今日的意味を問おうとする試み。
 トロツキーの孫であるエステバン・シェーヴァ・ボルコフ氏も、
2000年、トロツキー研究第32.33合併号で次のように述べている。

「トロツキーの政治的分析は比類のない今日的意義をもっています。それらは過去とのわれわれのつながりです。それらの分析はとりわけ堕落した労働者国家の問題について驚くべき予測の方向を明らかにしています。特に彼は、もし労働者階級がスターリニスト官僚に代わって権力を取り戻さなければ、体制は最後にソ連邦を破壊してしまい、資本主義を復活させるだろうと確信していました。この分析によって、事態の現在の過程を理解することができます。おそらく、現在の事態は、トロツキーが想像したよりももっとひどいものでしょうが」。

 






(私論.私見)