
日本は社会主義国家だった
かつてベトナムがドイモイ(経済の自由化政策)を進め話題になっていた頃、有るTV番組の取材でベトナム政府の高官がこう言った。
「我々は日本のようになりたいんです」
「でも日本は資本主義国ですよ?」
「いえいえ日本は立派な『社会主義国家』です。」
その通り、日本は近年まで社会主義国家だったのだ。
政権交代のない自民党による根回し全会一致的一党独裁、年功序列的平等主義、社会の『歯車』となる労働戦士を育てる画一的教育、企業を護る護送船団方式、政権と融合一体化した官僚中心の政治、国家の運営の根幹部門を握る巨大国営企業群・・
これらは米国の庇護の元で民主主義を謳いながらも「国体=社会の基本体制を変容させたくない」というバイアスが大きく働いた結果の国家の姿、社会主義化だったのだと考える。
政治・経済・官僚の癒着・腐敗による(半ば国民の側からも黙認された)多様かつ膨大な『不正』『汚職』『公害』というダーティな部分を抱えながらも、この『社会主義国家』は世界もうらやむ経済的発展を遂げ、『一億総中流』という程度の平等意識を国民にもたらしていた。
『資本主義国家』の特徴である『資産家』はある意味の節度を持ち、一般国民の目から隠されて、せいぜい週刊誌の2色刷頁で姿を見せる程度であり『貧困者』もまた触れられる事無く葬られていた。一般国民の多くは『資産家』になりたいなどという『高望み』を持たぬように社会や家庭で教育され『中流』へと合流していった。
状況を変えたのは米国資産を丸ごと買収出来るのでは?という与太話まで登り詰めた『バブル』だった。
膨れあがった『バブル』はありあまる金のもたらす『経済的快楽』を、景気に押し上げられた『中流』の上部にも体験させ、それに対する『欲望』を社会に残して崩壊した。この崩壊を引き金にする『長期不況』は社会主義国家日本の年功序列・永年雇用制を破壊、企業は社員一人一人よりも経営者・資本家をまず護るためにリストラを決行、学校教育を終えたら企業に就職してつつがなく一生を終える・・という社会モデルを失って、社会は一気に流動化する。
二度に渡る石油ショックを挟みながらも好景気の持続が日本の『社会主義体制』を支えていた。右肩上がりの成長が続いている限り企業や資産家からも文句は出なかったのである。だが、少子高齢化に重ね、もはや『買いたい物が無い』飽和状況で、ただ『ブランド』等の贅沢品に頼る物質中心の消費に伸びしろは無い。
吐いてはまた食べる程の飽食を繰り返してきた日本という裕福な家族の団らんで、いざ切り分けるパイが小さくなった時、『贅沢をやめ、庭にサツマイモを植えてニワトリを放し池のニシキゴイを食べ、質素を旨として貧しくとも仲良く生きよう』と考えるか『家族は他人の始まり。父母を姥捨て山に追い、妹をソープに沈め、街角でナイフをちらつかせ近所の人を恐喝してでも俺は贅沢に暮らす』と考えるかのターニング・ポイントに至って
日本は後者を選ぼうとしている。
のではないのか?個人の能力を個人の幸せのためだけに使うという社会は現実には無いと思いたい。だが、社会の改革の方向は本当にこれでいいのか?剪るべき枝を間違ってはいないのか?真剣に考えるべき問題だ。
戦後日本の実態は(民族的特質もあり)社会主義国家だった・・・その事にはプラスもマイナスもあった。何が間違いで何が正しかったのか、それを考えることは未来にとって有益な事である。