古事記、日本書紀考

 (引用先失念、折をみてれんだいこ記述に改める予定、暫しご容赦を)

 我が国古代の歴史書として古事記と日本書紀が知られている。712年大安万呂(おおのやすまろ)は、天武天皇の命を受け、国史として古事記三巻を編纂し元明天皇に献上した。これが我が国初の官撰国史書となった。古事記の序文には、編集に当っての事情が記載されている。それによれば、673年「現在散乱する我が国の歴史書は虚実入り乱れている、と聞く。そこで稗田阿礼(ひえだのあれ)が詠むところの歴史を記録し、我が国の正しい歴史として後世に伝えようと思う」という天武帝の詔(みことのり)で編纂が開始された。しかし、天武帝は完成を待たず崩御、持統、文武の時代を経てやっと元明女帝に献上された。
國生み神話 天地開闢(かいびゃく)から,イザナギ,イザナミの話が中心。
高天原神話 アマテラスとスサノオを中心とした,神の國高天原での話。
出雲神話 高天原を追放されたスサノオが出雲で退治する八俣のオロチや因幡の白兎の話。
日向神話 天孫降臨から,海幸彦・山幸彦等の物語。
神武東征神話 日向の高千穂から東を目指して遠征する神武天皇の東征記。
 二番目の神話の主人公は天照大神(あまてらすおおみかみ)と呼ばれる女性である。天照大神は高天原(たかまがはら)に住み,八百万の神々と高天原を治めていた。彼女の弟素戔嗚尊(すさのおのみこと)とのけんかや,天の岩戸事件はご存じの方も多いだろう。天照大神の孫,邇邇芸の命(ににぎのみこと)は,天照大神の命令で日向(今の宮崎県)の高千穂の峰に降臨した。その子,火遠理の命(ほをりのみこと),その又子,鵜茸草茸不合の命(うがやふきあえずのみこと),そしてその子,神倭伊波礼毘古の命(かんやまといわれびこのみこと=神武天皇)と,以後三代に渡って日向に住んだとされている。神武天皇は,「東に美(う)まし國ありと聞く。我いざこれを討たん。」と東国への遠征を実施する。日向を発し,大分県の宇佐や福岡県の遠賀郡芦屋に寄り豊後水道を東進し,吉備,難波,熊野と経由して大和に入る。大和を平定して,畝傍山(うねびやま)の麓橿原(かしはら)に都を築く。こうして神武天皇は我が国最初の天皇となり,大和朝廷がここからスタートした。以後天皇家は平成の現在まで続いている,という事になっている。この,神武天皇が日向を立って橿原に都を定めるまでの色んなエピソードが,古事記と日本書紀にほぼ同じ内容で記録されているのである。そして,これを『神武東征』と呼ぶ。戦前は史実として教育にも取り入れられていた。
 それから八年後(720年)元明女帝の皇女元正女帝の時代に,『日本書紀』三十巻が舎人親王等によって完成した。 日本書紀が,我が国における初の官選歴史書である。 古事記も日本書紀もいわゆる神代時代から始まって,古事記は第三十三代推古天皇まで,日本書紀は第四十一代持 統天皇までの事跡を扱っている。 古事記は前半部分の方が詳しく,日本書紀は後半部分の方が記事が詳しくなる。又,古事記の方が古くからの言葉 をそのまま残そうとしている。現在では母音はあいうえお の五つしかないが,古事記は当時八つあった母音を異 なる漢字で書き分けている。 ともかく,それぞれ研究の対象に選べば,それだけで一生費やせそうな内容を持った重要な文献である事は間違い ない。この二つの書物の初めの内容はいずれも神話であり,古事記の上巻は大きく五つの部分に分かれている。





(私論.私見)