【書評、田口宏睦「JASRACに告ぐ」を評す】 |
(最新見直し2008.4.25日)
Re:れんだいこのカンテラ時評375 | れんだいこ | 2008/03/12 |
【書評、田口宏睦「JASRACに告ぐ」を評す】
2008.2.25日、フリーライター田口宏睦氏の「JASRACに告ぐ」(晋遊舎ブラック新書)が刊行された。れんだいこは今、とあることから音楽著作権に関して関心を深めている。そういう折の田口氏のジャスラック問題研究書の市場提供は有り難かった。以下、その感想を記しておく。 同書は、音楽を利用して営業している店舗に対するジャスラックの音楽著作権侵犯対価請求の実態をルポしている。ジャスラックとは、日本音楽著作権協会(Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers、JASRAC)の略称である。 「JASRACに告ぐ」は冒頭、和歌山のレストラン「デサフィナード」(約190万円被請求)、新潟のジャズ喫茶「スワン」(約550万円被請求)、名古屋のダンス教室(約3600万円被請求)、名古屋のライブハウス(約1630万円被請求)、東京のピアノバー「ビストロ・ド・シティー」(約840万円被請求)等々の裁判事例を挙げ紹介している。「デサフィナード」、「ビストロ・ド・シティー」、名古屋のライブハウスの場合、経営者が逮捕されている。 ジャスラック問題は一般には馴染みが薄い。なぜなら、ジャスラックの音楽著作権侵犯対価は市民が対象ではなく、演奏者、歌唱者に対しでもなく、有料であろうが無料であろうがお構いなく店舗経営者に請求されているからである。法理論的にオカシイと思うのだが問題無しとされている。 しかも、権利侵犯をどのように算定するのかと云うと、演奏叉は歌唱実態に関係なく、店舗の該当面積により算出される。これも問題無しとされている。当然、小店舗の場合は小額請求となり大店舗の場合には高額請求となる。そうやって徴収した著作権侵犯対価料を著作権者に配分しようにも、面積算定だから割り振りできない。これも問題無しとされている。 田口氏は、ここまで疑問を提起している訳ではないが、れんだいこが解析すればそういう疑問が持ち上がる。田口氏の「JASRACに告ぐ」は実態を明らかにする事により、れんだいこ的発想を生む下地を醸成している。同書にはそういう価値と意義が認められる。 田口氏は、全国音楽利用者協議会、ジャスラックにまつわる事件簿、歴史、諸外国との比較、についても言及している。民主党の川内博史議員インタビューも紹介している。全体的に読み易いジャスラック問題のガイドブックとなっており、関心有る人たちにとって待望の必読書と云えよう。 以上が感想である。ここから、れんだいこの見解を披瀝しておく。 一体全体、最近の著作権問題は締め付けが次第に激しくなっており、人民大衆の生活享受権に対して由々しき侵害が深く静かに潜行していると受け止めるべきである。最大の問題は、ジャスラック的著作権が権利万能社会の尖兵的役割を果たしていることにある。ジャスラックが切り開いた著作権制約が追って全分野に攪拌していくことが必至で、その意味でよそ事とみなして傍観する訳にはいかない。いずれ我が身に降りかかってくる。事態をかく踏まえるべきではなかろうか。 何が問題なのかと云うと、ジャスラック的著作権論の倒錯性にある。本来、「JASRACに告ぐ」でも幾分かは指摘されているが、音楽文化の擁護発展をも使命として認可されているにも拘らず、著作権利者の保護と云う美名の下に使命を反故しても顧慮しないという反モラル性にある。依然としてジャスラック的活動にタガハメされて居らず、この先どこまで行き着くのかと云う不安が有る。つまり野放し状態にある。にも拘らず、多くの自称知識人が文明化の名の下にこれを後押ししていると云うそれこそ野蛮性がある。そういう意味で、ジャスラック問題は結構な文明批評にもなっている。 れんだいこは既に幾度も指摘しているが、全ての誤りは、新聞協会の打ち出した「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」に有る。ここからジャスラック式音楽著作権侵害対価請求権論が生まれている。そういう意味で、大本は「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」に有り、その論理論法の是非を鋭く問い突き崩さない限り解決しない。 マスコミ業界は、ジャスラックが手前達が打ち出した論理論法に則り権利主張しているわけだから、これを批判できない。そういう訳で同じ穴のムジナとなっている。興味深いことに、新聞協会見解を後押ししたのが読売のナベツネであることからして、ジャスラックの課金暴力に対してもナベツネ系の読売新聞、日テレ系が特に援護射撃していることである。これを偶然とみなすわけにはいくまい。 れんだいこは既に幾度も指摘しているが、現代強権著作権論派の「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」に胡散臭さを感じている。彼らは法を盾に弁論しているが、れんだいこが著作権法を読む限り新聞協会見解は明らかに逸脱でありオーバーランである。それはあたかも、憲法9条の諸規定にも拘らず自衛隊を創出させ肥大化させますます軍事防衛費を注ぎ込もうとしている現下の政治と似通っている。一事万事ということであろう。 れんだいこは、「著作権物利用に伴う要事前通知、要承諾制」を敷くなら、それは流通段階に於ける川上規制に止まるべきで、川下にまで適用させてはいけないと考えている。つまり、業者の利用規制にすべきで、エンドユーザーの利用規制にまで及ぶ必要は無いと考えている。この仕切りが肝要なのだが、暴力的に破壊され今日の悪法化路線へと辿り着いているとみなしている。 これをどう解決すべきか。そう難しい事ではない。著作権法を見直すなら、現下の如く著作権法の骨抜きに向かうのではなく、著作権法の仕切りをもっと厳格鮮明にさせ、「川上適用、川下不適用」の大原則を確立すれば良いだけのことである。この大原則を打ち立てた後で、審議を要するとすれば、どこまでが川上なのかどこからが川下なのかを詮議すればよいだけのことである。 ここにこそ本当の知識と智恵が居る。これをこなすのが知識人の役割であり、著作権法の骨抜きに舌鋒振るうのは知識人でもなんでもない、単なる御用系弁論士に過ぎず提灯言論でしかない。現代は、こういう類いの自称知識人ばかりだから詰まらない。だから、議論すればするほど悪貨が良貨を駆逐する類いの改悪方向にしか進まない。小泉構造改革論はなべてこの方向ばかりのものであった。 では、差し当たり何をすべきか。他に適切な者が居なければ、審議会にれんだいこを入れればよい。れんだいこがひとしきり本来の著作権論をぶち上げ、総点検総見直しを起爆してしんぜよう。同調者を生み、それを核として一気に流れを変えたい。誰か、この提案を文化庁へ届けてくれ。 それにしても、「JASRACに告ぐ」の著者田口氏までもそうだが、ジャスラック的音楽著作権論を認めたうえで減額請求で対応しようとしている。この問題はそうでは無いと思う。「デサフィナード」の経営者が萌芽的に示しつつあるが、ジャスラック式音楽著作権論のイカガワシサに気づくべきで、店舗段階での歌唱、演奏は無料との確固とした地平から闘わねばならないのではないのか。 一体、店舗で顧客が歌を歌おうが演奏しようが、それがなぜ権利侵犯なのだ。著作権者は結構な事として後押しすればよい。それなのにハウマッチなどと手を差し出し、自分では徴収できないからジャスラックに頼むなどというさもしい芸術家精神がややこしくさせているのではないのか。芸術活動には金を生ませれば良い。なぜなら、人は霞を食って生きるわけには行かないから。しかし、普及活動とハウマッチは馴染まない。一体誰だ、俺に黙って俺の歌を歌いやがってなどと天に唾する者は。 2008.3.12日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)