著作権収入で身を滅ぼした小室哲也考

 (最新見直し2008.11.4日)

Re::れんだいこのカンテラ時評485 れんだいこ 2008/11/04
 【著作権収入で身を滅ぼした小室哲也考】

 2008.11.4日、小室哲哉・音楽プロデューサー(49歳)が逮捕された。直接の理由は、兵庫県内の個人投資家に音楽著作権の譲渡を持ちかけ5億円をだまし取った容疑とのことである。「元妻に離婚慰謝料7億円を請求され、著作権使用料が差し押さえられている。本契約を締結したいので、差し押さえの解除に必要な5億円を先に支払ってほしい」と相談し、自身が関係する口座に5億円を振り込ませた。ところが、著作権の一部は既に音楽会社「エイベックス・エンタテインメント」などにあり、小室プロデューサーに著作権譲渡の権限はなかったという。

 2007.10月、小室プロデューサー側は逆に投資家を相手取り、慰謝料など1億円や債務不存在の確認を求める訴訟を神戸地裁尼崎支部に起こした。一方、投資家も5億円の返還などを求める反訴を提起した。2008.7.23日、小室側が、投資家の逸失利益1億円を加えた6億円を支払うことで和解が成立した。しかし、期限の9月末までに一部しか支払われず、10月初め、投資家は、小室プロデューサーを詐欺罪で大阪地検に告訴した。かくて大阪地検特捜部が詐欺容疑で逮捕するに至ったという顛末のようである。

 我々は、この事件から何を窺うべきだろうか。れんだいこは、いとも容易く解くことができる。これを披瀝して、諸賢の賛否を仰ぐことにする。

 この問題は、小室が思いもかけぬ高額の音楽著作権収入を得て却って我が身を滅ぼした社会的事件であると断じたい。根源は、「行き過ぎた音楽著作権収入の構造問題」にある。こう述べただけでは、どこが行き過ぎの不当利得なのか分からない者も多かろうから、れんだいこが解析しておく。

 一般に、近現代に入って以降、著作権収入なるものが登場し始めた。いわゆる著作権者及び版権者の他の著作権者及び同業他社に対して主張する権利である。当初は貞女の如くひそやかに登場した。仮にここまでは認められても良い。著作権法は、ここまでを仕切りとして認めている。

 だがしかし、著作権が著作権法の枠を食い破って暴走し始める。貞女が悪女へと化け始める。管轄する旧文部省と日本音楽著作権団体ジャスラックが癒着し、特殊権益化へ向けて悪巧みし始める。創作時の著作物の権利を仮に第1次著作権(創作著作権)とすれば、これでレコード、CDなどから稼ぐ。次に第二次著作権(カラオケ機器等の送信著作権)を生み出しカラオケ機器メーカーから稼ぐ。仮にここまでは良いとしよう。

 更に第三次著作権(店舗向け歌唱演奏著作権)まで行き着き、歌唱演奏させる機会を提供した店舗に対して利用対価料なる料金を発生させて行く仕組みを構築している。店舗はこれにより、カラオケリース料にジャスラック料を別々に払わされる。当然それが顧客の料金に転嫁する。次に予定されているのは第四次著作権(個人向け歌唱演奏著作権)であろう。こうして末端レベルでの歌唱演奏が次第に馬鹿高くなりつつある。

 このマジックにより、徴税機関としてのジャスラックが社団法人格であるにも拘らず、まばゆいばかりの金貨を集積し始め1兆円産業化し始めている。そのおこぼれが著作権者、版権者に配分されていくことになっている。この恩恵を最も享受したのが小室プロデューサーであり、いったん稼いだあとの作品で更に労せずして1億円に優る収入が年々約束されることになった。

 小室プロデューサーは、この金貨に目がくらみ、人生を大きく狂わせて行くことになったと推測される。恐らく様々の事業に手を出し、俄か成金ゆえに予定外の高収入を手にしたことにより杜撰経営に陥る。毎年入金してくる著作権料を担保にして事業継続する。だがしかし、音楽創造能力と事業能力は別物であり、小室プロデューサーは次第に深みに嵌る。こたびの事件が報道された通りのものとすると、その延長線上でもたらされた金欠詐欺事件なのではなかろうか。

 一体、何が小室プロデューサーを狂わせてしまったのか、どこがオカシイのか、これを明らかにせねばなるまい。れんだいこの著作権法理解によると、ジャスラックが頻りにプロパガンダし、云う事を聞かぬとなるとサラ金も驚く金利以上の別枠料金に切り替え、裁判攻め、逮捕攻めしているところの、第三次著作権(歌唱演奏著作権)こそがオカシイと考える。これにより、全国数十万店のスナック、カラオケボックスが徴収対象とされている。集金が順調に行けば笑いが止まらぬ美味しい話だろう。

 ところで、他の業界の著作権と比較すると、このような課金制はない。最近文芸著作権団体が猿真似し始めて入るけれども。業界団体は本分として業の目指す文化の普及に勤め、庶民大衆が愛好すれば普及ボランティア功労者として感謝状を出すことこそすれ、著作権法違反だとして料金請求するなどという発想が思いつかない。むしろ邪道として却下している。れんだいこは、これが健全な業界の在り方だと思う。

 ところが、ジャスラックの音楽著作権法理解は断固として異なる。彼らは、我々の著作権理解が先進国的文明国的であり、旧式のそれは時代遅れの野蛮であると説教して聞かしてくれる。しかしながら、れんだいこは、ジャスラック式音楽著作権理解こそ野蛮であり、分かりやすく云えばユダヤ商法化しており、ゼニの臭いのするところなら何にでもどこにでも首を突っ込み、理屈を創造し、業界の健全な発展を建前のお題目にさせ、金貨の自動集積システムを創り上げんとしている。れんだいこは、邪道と断じる。

 小室プロデューサーは、ジャスラック式音楽著作権理解の手の内の踊り子に過ぎなかった。遂にバブルに溺れ、疲れ、創作能力にまでダメージを負った。今やミニ小室があちこちに現出している。それはそれとして、ジャスラックの役員になることにどれほどの余得があるのか判らないが、評議員、理事、その他役員の数が滅法多い。これも問題であろう。

 事情通にしか分からないが、ジャスラックの歌唱演奏課金制は、実際に歌唱演奏された音曲につき課金すると云うシステムを開発しておらず、便宜法としてスナックの場合には面積割、放送局の場合には営業収入の5%としている。れんだいこは、こういう杜撰な課金制がよくも通用しているとあきれてしまう。そうやって集めた料金を分配しようにも、誰にどう分配すれば適正かと云う基準がないのは当然で、つまりはさじ加減にならざるを得ない。これが罷り通っている。

 それらを思えば、阿久悠の潔さはどうだ。あれほどヒット曲を量産しながら、ジャスラック如きと無縁に身を保全した気配がある。れんだいこは、阿久悠は最後まで意志的にジャスラック役員にならなかったのではなかろうかと推定している。詳しいことは分からない。仮にそうであれば、我々は、その姿勢を高く評価すべきだろう。

 以上が、「れんだいこの小室逮捕事件考」である。我々は、この事件を奇禍として、我が国の著作権行政の本来のあり方を求めた方が良い。現下の著作権侵害理論による集金制は、著作権者にも版権者にも人民大衆的にも良くない。つまり、みんなをそれぞれに不幸にしている。一体、我々が歌を歌ってカネが要ると云うのが変ではないか。本当に要るのか。

 我々が相撲をとったからといって、相撲協会に金を払わねばならないというような理論は聞いたことがない。送信料を取った上に歌唱料がいるとしたら、いつの日か聴衆料までとられることになるのではないのか。あるいはジャンル別課金まで可能性が考えられる。つまり際限がない。そういう理論はいったんぶち壊した方が良い。小室事件を、そういうことを考える契機にしたいと思う。

 小室プロデューサーは一から出直した方が良い。もはや金輪際、金貨に振り回されぬ方が良い。溜まってしょうがないなら世の然るべきところに寄付などしてボランティアすれば良い。戦後日本には、こういう芸人が少な過ぎる。その他委細言及すれば長くなるので簡潔に以上の発言とする。

 2008.11.4日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評499 れんだいこ 2008/11/22
 【小室保釈考】

 2008.11.21日、著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺罪で逮捕されていた音楽プロデューサー小室哲哉容疑者(49歳)が大阪地検特捜部に起訴され、保証金3千万円を支払い大阪拘置所から保釈された。大阪地裁は、小室被告が起訴事実を全面的に認めており、逃亡や証拠隠滅の恐れが低いと判断し、保釈を認めた。

 保証金は、小室被告が楽曲提供していたレコード会社のエイベックスと妻のKEIKO(「globe」のKEIKO、ソロ活動はkco)らが用立てた。エイベックスは、「当社に多大なる貢献のあった方。今の状況は当社にとっても大変忍びなく、再起していただくきっかけになれば」と救いの手を差し伸べた。

 同日午後6時30分過ぎ、17日ぶりに保釈された小室被告は黒のタートルネックにジーンズ、スニーカー姿で現われた。暗闇の中、拘置所前で100人を超える報道陣の前に何度も頭を下げ、「このたびはお騒がせしました。できることなら、また音楽で頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします」と再起を誓った。

 起訴状によると、小室被告らは2006年8月、これまでの作品806曲分の著作権のうち既に793曲を約40の音楽出版社に譲渡しており、そのうち主要約300曲を小室被告が役員を務めるプロダクション「トライバルキックス」社などに二重譲渡していたことを隠し、兵庫県芦屋市の投資家男性に10億円で売却する契約を締結した。その上で、「印税収入は前妻に差し押さえられていて、解除に5億円が必要」とだまし、2回に分けて計5億円を先払いさせたとされる。

 小室被告は起訴事実を全面的に認め、「逮捕されてよかった」、「返済期日が迫り、何としても金をつくらなければ破産すると思った」と供述している。犯罪に至った経緯についても、「ピークを2回経験したアーティストは自分しかいない。周りが誰も文句を言わない中、それに疑問を持ちながらも豪奢(ごうしゃ)な生活を続け、裸の王様になった」と内省し、こたびの逮捕に対し、「人生を振り返るチャンスを被害者に与えてもらい、感謝している」、「自分には音楽しかない。人生をリセットしたい。いま一度人生をやり直すチャンスを与えてほしい」と復帰に意欲を見せていると云う。

 小室被告は、佐藤貴夫弁護士を通じ、「家族とともにできる限り早く償いをし、一日でも早く音楽活動をやらせていただきたい。ファンの方々に待っていただければ最高に幸せです」とのコメントを出した。 「これまでの音楽活動の中で“チャンス”という言葉を軽々しく使っていた。これからはその重みを認識して頑張りたい」とも述べている。但し、被害金を弁済できるめどは立っておらず、公判では実刑となる可能性も高い。いばらの道が待ち受けている。

 れんだいこが、かく「小室保釈」の様子を確認したのは、小室氏が巨額の音楽著作権で却って身を滅ぼしたことにつき、何をどう反省したかを知る為である。残念ながらそういう気配はない。もう一山当てて一挙挽回せんとする決意のみが伝わってくる。果たして首尾よく行くだろうか。

 それはともかく、この間のメディアは折に触れ音楽著作権を解説していたが、問題を問題化させるのではなく、強権著作権論のプロパガンダというろくでもない解説しかしていないことで共通している。ただの一社でも、ジャスラック式強欲理論の非を衝いただろうか。逆に、ジャスラック式強欲理論を啓蒙するばかりではなかったか。メディアも同じ穴のムジナゆえ当然そうならざるを得ないのだが、我々はそろそろチェンジの声を挙げるべきではなかろうか。

 れんだいこが解説しておく。著作権は、権利行使としての著作権、財産権的著作権、利用対価的著作権と三種類から構成されているように思われる。一般の我々に関係するのは利用対価的著作権である。これも、同業他者(社)を規制する第一次著作権(川上規制と思えばよい)、問屋的営利事業を目論む者を規制する第二次著作権(川中規制と思えばよい)、引用転載演奏歌唱による利用を規制する第三次著作権(川下規制と思えばよい)の三種類あると思われる。

 問題は、対価請求できる権利として著作権法が認めているのは第一次著作権であり、つまり川上規制でしかないというところにある。第二次著作権は、法的には裏付けられないが、ご時勢の要請に合わせてアバウトながらやむなく認められている権利に過ぎない。ましてや、第三次著作権となると禁じられていると読むのが正しい。つまり川下適用までは御法度である。そうであるところ、第三次著作権を無理矢理に請求できるとしたことから一変して巨万化し、音楽関係者垂涎の利権と化して今日に至っている。

 こういう著作権読解は今のところ、れんだいこの独壇場であるが、こう理解した方が立体的に分かり易い。こう理解せず漫然と著作権法の森に入り込むと道に迷い始めることを請合う。著作権は他の知的所有権に比べ、権利取得に厳しい要件を持たない分、本来相対的に軽い権利のはずである。そういう著作権が最近に於いては特許権、商標権よりも強い権利を持ち始めており、法秩序を壊しつつある。終いには著作権を知的財産権の雄にまで位置づけて得々とする変態に陥ることを請合う。

 これは、法解釈と云うより法哲学的な思想無しには解けない。法解釈に長けた者は多いが、思想には滅法貧相なのが我がインテリの弱みである。法解釈脳しか持たない連中がどんどん接木して、著作権法をウドの大木に仕立てつつある。現下の強権著作権論はかく見立てられるべきである。一刻も早くかく共通認識を得たい。この大木は倒されるべきである。

 もとへ。れんだいこは、小室氏が債務一掃次第に、こういう利権構造と決別し、自作が歌われるのは大いに結構、無償でどうぞ、私は川下に対する権利侵犯料などというチンケな権利を主張致しませんと声明し、第一次第二次著作権料で生計を図り、今後は人民大衆側に立つ音楽家として処世するという方針を打ち立てて欲しいと思う。かく自己否定しない限り何度も繰り返しそうな気配ゆえ、意見しておく。

 2008.11.22日 れんだいこ拝




(私論.私見)