32257 | 陽明学の人生観生死観 |
【晩年の陽明について】
「近頃、討伐にかかずらわって健康を損なっているが、おかげで修養の方はだいぶ進んでいる。今までは着実な努力を怠り、いい加減な生き方をし、いい加減なことを説いてきたように思われて成らない。これからは諸君とともに一層刻苦勉励し、何としても前進をはかって、今までの遅れを取り戻したいと願っている」。 |
50歳を目前にした頃の陽明の言葉である。
【辞世の句について】
辞世の句は「この心光明、また何をか言わん」。別の伝記(「行状」)には、「他に思うことはない。ただ日頃の学問にどうにか目当てをつけ得ただけで、まだ弟子たちと一緒にこれを成就するところまでは行き得なかったのが、心残りである」と語ったと記されている。
陽明の死後まもなく、朝廷の重臣桂がく(けいがく)は、次のように陽明を評した。「(官僚人として残した陽明の数々の功績を認めながらも、)彼は行事において古(いにしえ)を師とせず、言辞において師に称(かな)わず、異を立てて高しとするために朱子を誹謗し、門徒を号召して互いに相唱和した。よろしくかかる邪説を禁止して人心を正すべきである」。
「楽はこれ心の本体なり」、「悲しむべきときには哭(こく)するのが、心安んずる所以である」
(私論.私見)