32258−2 陽明学の学問の作法


【立志について】
(原文)  「志(こころざし)立たざれば、天下に成すべきの事無し。百工技芸といへども、いまだ志に本(もと)づかざるものはあらず−−−。故に志を立てて聖たらんとすれば、聖たらん。志を立てて賢たらんとすれば、賢たらん。志立たざれば、舵なきの舟の如く、くつわ無きの馬の如く、漂蕩奔逸(ひょうとうほんいつ)して、遂に又何の底(いた)るところかあらん」
(和訳)  「志が立たないと何事も始まらないし出来ない。どんな仕事でも、志に基づかないものはない。せっかく学問を修めて自分を磨こうとしても、ただ漠然と日を過ごしてはかばかしい成果を挙げることができないのは、しっかりと志が立っていないからである。志を立ててかからないのは、舵の無い舟やくつわの無い馬のようなもの。波の間に漂ったり、勝手に走り出して、どこへ辿り着くか分からない」。
(解説)
(問答)

(原文)  「それ学は立志よりも先なるは無し。志の立たざるは、なおその根を種(う)えずして、徒(いたずら)に培擁(ばいよう)灌漑(かんがい)を事とするが如し。労苦するも成る無し」
(和訳)  「学問を修めて自分を磨く為には、何よりもまず志を立てることが大切である。志が立っていないのは、根の生えていない植物にやたら水をかけてやるようなもの。苦労ばかり多くて、一向に成果があがらない」
(解説)  王陽明の云う「志」及び「立志」が具体的に何を意味し、どんな役割を与えられていたのかを理解するのに次のような一文がある。「普段から、一念一念に天理を存するようにつとめること、これが志を立てることに他ならない。これを心がければ、やがて自然に天理が心の中に確固とした形をとって現われてくる。この天理の念を常に保持していれば、ゆがて大いなる働きに達するのであるが、それは取りも直さず、この一念を充実発展させていくことに他ならない」。「よい思いが起って来る時は、それを察知して充実させる。良からぬ思いが起ってくる時は、それを察知して抑制する。察知して充実させたり抑制したりするのは、志である。それはまた聡明な心でもある。聖人はこれを持っていた。我々もまた、これを自分のものにしなければならない」。
(問答)

(原文)  「志を持するは心痛の如し。一心、痛上に在れば、あに工夫ありて間話(かんわ)を説き、間事(かんじ)に管(かかわ)らんや」
(和訳)  「志を持ち続けるのは、心に痛みがある時の状態に似ている。心に痛みがある時は、無駄な話をしたり、無駄なことに関わっている暇は無い」。
(解説)  王陽明は、行動哲学の第一義に志操を尊んだ。第二に意欲、第三に戦略戦術の重要性を指摘した。戦略戦術については、「『蘇秦(そしん)、張儀(ちょうぎ)の発揮した知謀も、聖人の知恵といささかの変わりも無い』として、戦国時代に活躍した権謀家たちの術数を積極的に評価する。それに、何よりも王陽明自身が、素晴らしい戦略戦術を身につけていた一流の兵法家でもあった」(守屋洋「陽明学の回天の思想」)。
 
 「立志の勧め」は、何も王陽明に限ったことではない。例えば、「三国志」の諸葛亮孔明の次の一文もある。若い甥に与えた手紙の中で次のように語っている。「志は高く持たなければならない。その為には先賢の生き方に学び、情欲を断ち切り、心のわだかまりを捨てることだ。そして、あるべき志を常に自分の中に持ちつづけるが良い。逆境に陥ってもしっと耐え忍び、つまらぬことに思い煩うことをやめよ。分からないことがあったら遠慮なく人に尋ね、人を疑ったり怨んだりしてはならぬ。そうすれば、仮に大きな進歩は望めなくても、人から後ろ指を指されるようなことはしないであろうし、着実に自分を向上させていくこともできるであろう。

 もし志が弱い上に、意欲も乏しく、人情に流されて凡々たる生活に甘んじていたら、どうなるか。いつまでも凡庸な人間にとどまって、一生下積みのまま終わってしまうに違いない」。 
(問答)


【学問の作法について】
(原文)  「学とは、これ人欲を去り天理を存するを学ぶなり。必ずこの心の天理に純にして、一毫(いちごう)も人欲の私なからんことを欲す。これ聖と作(な)るの功なり」(作為之功)
(和訳)  「学問とは、人が陥りがちな欲得を捨て去り、ひたすら天理に耳を傾けこれより学ぶことが肝要である。こうした心持ちを純粋に保って精進すること、これが聖人への道であり得るものが有る。ここを聞き分けせねばならない」。
(解説)

 人欲とは、人の心にきざす邪なる情、正しからぬ情のことで、「色を好み、名を好み、利を好む心」、「美色を求め名利を求める心」のことを云う。他には「不老長寿の心」、「福(家庭的な幸福)・禄(経済的な幸福)・寿(肉体的な幸福)を求める心」もある。「悪人の心はその本体を失った者である」ということになり、人でなし、人非人となる。誰しもにある「惻隠の心」。

 「礼記」の「礼運(らいうん)には、喜び、怒り、哀(かな)しみ、懼(おそ)れ、愛(いとし)み、悪(にくし)み、欲しさ」を人間の七情に数えている。「中庸」では、「喜怒哀楽のまだ表面に現れない状態を『中』と謂い、現れてみな節度にかなった状態を『和』と謂う」とある。

 良知によって人欲を去り、天理を存する工夫を、陽明はまた「格物」と呼んだ。格物とは、物を格(ただ)すという意味。この場合の物とは、外界に存在する事物ではなくて、むしろ自分の心の対象とされるもののことである。

(問答)  ある時、陽明は何人かの弟子を前にして次のように遣り取りした。王「諸君の学問が一向にのびないのは、まだ志が立っていないからだ」。弟子「いや、私だって志を立てたいと思っています」。王「なるほど君も志を立てていないとはいえないかもしれないが、ただそれが必ず聖人になろうという志でないといっているのだ。君が本当に聖人になろうという志を立てたのなら、自分の良知<良心>をとことんまで尽くすように心がけるべきだ。もし良知の上に少しでも別の雑念が残って引っかかっているようでは、必ず聖人になろうという志を立てたとはいえない」。志を立てるのは、心の中の知の働きであるが、その志を立てることにおいて、行は既に始まっているのである。

(原文)  「それ学はこれを心に得るを貴ぶ。これを心に求めて非なるや、その言の孔子に出づと雖(いえど)も、敢えて以って是と為さざるなり。これを心に求めて是なるや、その言の庸常(ようじょう)に出づと雖も、敢えて以って非と為さざるなり」
(和訳)  「学んだことを心で会得する、これが大事なことである。我が心で受け止めて正しくないと思ったら、仮にそれが孔子の教えであったとしても、正しいものとはみなさない。逆に、我が心が正しいと認めたら、平凡な人間の口から出た言葉でも、正しいものとして受け入れるのである」。
(解説)

 ここから窺えることは、陽明が教条主義を排していたこと、心のありようを重視していたことである。且つ、地位とか権威に重きを置かず内容本意を尊んだことも分かる。

(問答)


【四箇教條について】
(原文)  「諸生の相従うことここに甚だ盛んなれど、恐らくは能(よ)く助けを為すことなからん。四事を以って相規(ただ)し、聊(いささ)か以って諸生の意に答へん。一に曰く立志、二に曰く勤学、三に曰く改過、四に曰く責善。其れ慎んで聴きゆるがせにすることなかれ」
(和訳)  「大勢の諸君がこの地にやってくるが、せっかく来てくれたのに、あまり役に立たないのではないかと恐れている。とりあえず守るべき規範を四つ示して、諸君の求めに応えたい。まず志を立てることである。それができたなら、その次の手がかりは、勤学(学ぶことに勤める)である。第三の手がかりは、改過(過失を改めること)である。最後に責善(善を責めること)である。責善は友人に対する善導の道である。これだけは、よく肝に銘じてしっかり守って欲しい」。
(解説)

 王陽明はかく「立志・勤学・改過・責善」の四条の肝要さを説いた。陽明はこう前置きして、四つの心得の条をやや詳しく次のように説明している。

一、 「立志」 人はまず何をするにしても、志を立てなければならない。全てはそこから始まる。志の立たない行動は、舵の無い舟のようなもので、あてもなく漂うだけで、どこにも行き着けない、つまり成功することはない。
一、 「勤学」 志を立てたら当然学問に励ま無ければならない。ついては謙虚であって欲しい。自らの無能を自覚してこそ、何を学ぶべきかが分かってくる。
一、 「改過」 人間であるからには、誰にでも過ちがある。過ちに気付いたら、はんせいしてことが改める大切である。気付いても改めようとしない人間に、私は何らの期待を抱くことができない。
一、 「責善」 友人を善導することが肝心である。もし友人に過ちがあれば、愛情をもって婉曲に指摘し、相手が進んで過ちを改めるように仕向けなければ成らない。逆に、自分の過ちについては、仮に厳しく叱責されても、素直に聞き入れるようでありたい。
(問答)


【知行合一その一、求理於吾心について】
(原文)  心を外にして以って理を求む、此れ知行の二となる所以なり。理を吾が心に求む、此れ聖門知行合一の教えなり。吾子またなんぞ疑はんや
(和訳)  「知識と行動、観念と体験は、あくまで一つのもの、別々に切り離すことのできないものであり、併進的・同時的なものである。知行合一。その思想に出会い、その思想が自分にとってどういう意味を持っているのかを、本当の心の中で見極めたら、後は、それを実践していくほかない。本当に思想を知るとはそういうことである」。
(解説)

 王陽明の知行合一は、その心即理説と解け難く結びついている。知行合一説を説明して次のように説いている。「知行合一については、是非とも私の立言の宗旨を識ってもらわねばならぬ。近頃の人の学問は、知識と行動を分けて二つのものとするから、心に一つの念<意識>が発動した場合、例えそれが不善であっても、まだ実際にそれを行わなければ構わないとして、禁止しようとはしない。私が今知行合一を説くのは、そうした人たちにもし一つの念が発動したならば、もうそれは行ってしまったことになるということを暁(さと)らせ、発動した一念に不善があれば、必ず徹底的にその不善の念を克服し、それが胸中に潜伏したまま残ることがないようにさせるためである。これこそ私の『立言の宗旨』なのだ。

 「大学」には、「その意を誠にする」ことを説いて、「それは自己を欺かぬことであり、いやな臭いを悪(にく)み、美しい色を好むようなものだ」としている。

(問答)


【知行合一その二、真知即行について】

(原文)  「真知は即ち行たる所以なり。行わはざれば、これを知といふに足りず。未だ知りて行わざる者あらず。知りて行わざるは、只だ是れ未だ知らざるなり」
(和訳)  「知識と行動、観念と体験は、あくまで一つのもの、別々に切り離すことのできないものであり、併進的・同時的なものである。知行合一。その思想に出会い、その思想が自分にとってどういう意味を持っているのかを、本当の心の中で見極めたら、後は、それを実践していくほかない。本当に思想を知るとはそういうことである」。
(解説)

 王陽明は、「知行合一」について続いて次のように諭している。「だから、『大学』でも、本物の知行とは、『美しい色を好み、悪しき臭いを嫌うように』と説いている。美しい色を見るのは知に属し、それを好むのは行に属する。しかし、美しい色を見た瞬間、既にそれを好んでいるのであって、見てから、あらためて別の心が働いて、それを好むのではない。また、悪しき臭をかぐのは知に属し、それを嫌うのは行に属する。しかし、悪しき臭をかいだ瞬間、既にそれを嫌っているのであって、かいでから、あらためて別の心が働いて、それを嫌うのではない。但し、鼻詰まりの人は、悪しき臭がすぐ前にあっても、それをかぐことができないから、あまり嫌うこともない。これはもともと臭を知らないからである。孝を知っている。悌(てい)を知っているという場合も、これと同じである。既にそれを実行していてこそ、はじめて知っているといえるのである。それについて、いささかおしゃべりができるからといって、知っているとはみなされない。同じように、痛みを知るにしても、自分で体験して、はじめて知ることができるのである。また、寒さを知るにしても飢えを知るにしても、自分でそれを体験して、はじめて知ることができるのだ。どうして知と行を分けることができようか。これが知と行の本来の在り方であって、かってに分断できないものである」。

 「聖人の教えというのは、必ずこのような知と行の合一を求めている。そうであってこそ、はじめて知と言えるのであって、そうでなかったら、知とは言えない。それを目指すのは、極めて切実、且つ実際的な課題である。ところが近頃、知と行とはまったく別のものだという説が横行している。一体、何たることか。私は知と行とは同じものだと主張しているが、これにも問題がないではない。なぜなら、聖賢の教えというのは、根本のところを把握していない限り、別のものだ、同じものだと言ったところで、何の役にも立たないからである」

(問答)


【知行合一その三、聖学への道について】
(原文)  「知は行の始め、行は知の 成るなり。聖学はただ一箇(こ)の功夫(くふう)。知行は分かちて両事と作(な)すべからず」
(和訳)  「知ることは行うことの始めであり、行うことは知ることの完成である。我等の目指す儒学においては、修養はただ一つであって、知ることと行うこととを別個のものとはみなしてはならない」。
(解説)

 朱子学では、万物の「理」を極めることを至上の課題とした。「行」を無視した訳ではないが、朱子学で何よりも優先されたのが「知」の拡充である。これに対し、陽明学では、我が内なる「良知」の発現つまり「行」を通じてでなければ「理」を極めることが出来ないあるいは無意味であるとした。

(問答)  ある時の陽明と何人かの弟子との対話は次の通りである。弟子「人間は誰でも、父には孝、兄には悌であるべきだとは知っていますが、いざ実行となるとそれができません。これは明らかに、知ることと行うこととが別々のものだからではないでしょうか」。王陽明「それは既に私欲によって分断され、知と行の本来の在り方を見失っているのだ。そもそも、知るということは、必ず行うことに結びついているのである。知っていながら行わないのは、まだ知っていないということだ。聖賢の教えというのは、知と行をこのような本来の在り方に返そうとしたものであって、諸君が今のような在り方にとどまっていることを願わなかった」。


【知行合一その四、知行合一必須論】
(原文)  「路岐(とき)の険夷(けんい)は、必ず身親(みずか)ら履歴するを待って後に知る。あに身親ら履歴するを待たずして、すでに先(ま)ず路岐の険夷を知る者あらんや。真知は即ち行たる所以(ゆえん)なり。行なわずんばこれを知と謂(い)うに足らず」
(和訳)  「道が険しいか平坦であるかは、自分で歩いてみてはじめて分かるのである。自分で歩きもしないで分かる者などいない。それと同じように、本当の『知』は『行』があって成り立つ。『行』が伴わなかったら、本当の『知』とは言えない」。
(解説)

 朱子学では、万物の「理」を極めることを至上の課題とした。「行」を無視した訳ではないが、朱子学で何よりも優先されたのが「知」の拡充である。これに対し、陽明学では、我が内なる「良知」の発現つまり「行」を通じてでなければ「理」を極めることが出来ないあるいは無意味であるとした。

(問答)  ある時の陽明と何人かの弟子との対話は次の通りである。弟子「人間は誰でも、父には孝、兄には悌であるべきだとは知っていますが、いざ実行となるとそれができません。これは明らかに、知ることと行うこととが別々のものだからではないでしょうか」。王陽明「それは既に私欲によって分断され、知と行の本来の在り方を見失っているのだ。そもそも、知るということは、必ず行うことに結びついているのである。知っていながら行わないのは、まだ知っていないということだ。聖賢の教えというのは、知と行をこのような本来の在り方に返そうとしたものであって、諸君が今のような在り方にとどまっていることを願わなかった」。

(原文)  「今の人はかえって即ち知行をもって分かって両件と作(な)して去(ゆ)きなす。おもへらく、必ず先ず知り了(おわ)りて然る後に能く行なはん。我今暫く去きて講習討論して知の工夫をなし、知り得て真にし了るを待ちて、方(まさ)に去きて行の工夫をなさんと。故に遂に身を終わるまで行わず。また遂に身を終わるまで知らざるなり。これはこれ小病痛にあらず。その来ること既に一日にあらず。某(それがし)いま箇の知行合一を説くは、正にこれ病に対するの薬なり。またこれ某のさく空杜撰するにあらず」
(和訳)  「『先ず充分に知ってから、はじめて行うことができる。我々は今しばらく講習や討論を重ねて知の修行を為し、真実に知りえてから行の修行をしよう』などと考えて、ただ知ることばかりにとらわれていれば、結局は死ぬまで行うことは出来ず、死ぬまで本当に知ることはできずに終わってしまう。これは決して軽微な病気だとは言われない。私が今知行合一を説くのは、まさにこの病気への対症薬としてである。しかしまたこれは私が根拠も無くいい加減に言っていることではなく、知行の本来の在り方がこうあるべきなのだ」。
(解説)

 王陽明は、「知は行の主意<目的>、行は知の工夫<修行>、知は行の始め、行は知の完成である」とした。知と行には間断が無く分裂が無い。「行の明覚精察の処は即ちこれ知、知の真切篤実の処は即ち行」。知行の合一・不二。朱子学の「知先行後(知ることが先で、行うことが後)」という説に対する厳しい批判となっている。

(問答)


【修養の方法についてその一、静座】
 初め王陽明は、修養の方法として「静座」を勧めたが、やがてその弊害に気付いて、あまり口にしなくなった。その理由として、次のような言葉がある。「かって弟子達の中には、私の言うことを頭で理解しようとする者が多かった。その結果、浅薄な学問にふけって、修行に益するところがなかった。そこで静座を勧めてみたのである。その後の様子を観察していると、これがそれなりの効果を収めたように思われたが、暫くすると、やがて静を好んで動を嫌うようになり、枯淡の境地に溺れていく傾向が出てきた。中には、神秘的な悟りに取りつかれて、それを人に吹聴する者まで現われてくるではないか。こうした弊害に気付いたので、それ以来、私は良知を致すことだけを説いてきた。この良知さえ明らかにすることができるなら、静かなところで悟りを開こうと、日常の体験の中で錬磨しようと、どちらでみ構わない。なぜなら、良知には元々動も静も無いからである。これこそ学問する上で、もっとも重要な点なのだ。この問題については、今まで何度も検討を重ねてきたが、致良知の三字については絶対に間違いは無いと確信している。医者は何度も自分の腕をへし折るような体験を重ねて、はじめて他人の病を的確に診断できるようになると云われるが、私の致良知の説も、それと同じような体験の上に築いてきたものである」。

 ある時、次のような遣り取りを見せている。弟子「孔子が河の流れを見ながら、過ぎ行くものはこのようなものであろうか、と語っています。これは生き生きと躍動している心の状態について語ったものでしょうか」。ここで引かれている孔子の言葉とは、「逝くものはかくの如きか。昼夜を舎(お)かず」であるが、陽明は即座に次のように答えている。「そうだ。だが、その為には、普段から良知を致す修行を積まなければならない。そうあってこそ、心が生き生きとした状態になるのだ。それは、丁度河の流れと同じようなものである。少しでも中断すれば、たちまち生き生きとした状態が失われてしまう。そういう状態にもっていくのが学問の目標であって、聖人というのはそれを実践した人物に他ならない」。王陽明が心を生き生きとさせることを重視していたことが知れる。


【修養の方法についてその二、集中することの大切さについて】
(原文)  「樹(き)を種(う)うる者は必ずその根を培(つちか)い、徳を種うる者は必ずその心を養う。樹の長ずるを欲せば、必ず始生の時において、その繁枝(はんし)をけずれ。徳の盛んなるを欲せば、、必ず始学の時において、夫(そ)の外好(がいこう)を去れ」
(和訳)  「樹を育てようとするなら必ずその根を培養し、徳を育てようとするなら必ずその心を培養しなければならない。樹の成長を願うなら、必ず小さいうちに、無駄な枝を刈り払う必要がある。それと同じように、徳を大きく育てようと願うなら、学び始める段階で、外への関心を断ち切らなければならない」
(解説)

 王陽明は次のようにも言い為している。「志を立てて善を目指すのは、種をまいて木を育てるようなものである。余計な手を加えず、といって忘れもせず、ひたすら育てていくならば、自然にすくすくと育ち、生気に満ちて枝葉も生い茂る。その際、苗木の段階で、無駄な枝を切り落としてしまえば、根や幹は一層がっちりしたものになるだろう」、「志を立てて修行につとめるのは、あたかも木を植えるようなものである。根が生え芽が出る段階では、まだ幹は生えない。幹が生える段階では、まだ枝はでない。枝が伸びてはじめて葉が出、葉が出てはじめて花が咲き実が成るのである。だから、根を生やす段階では、ひたすら土をかけ水を注いでやるだけでよく、枝や葉、花や実のことに思いをはせることはない。現実にありもしないことに思いを馳せたところで、何の益も無いのである。ただ、当面の栽培の努力さえ怠らなければ、枝も葉も、そして花も実も自然についてくるのだ」。

(問答)


【修養の方法についてその三、謙虚であることの大切さについて】
(原文)  「人生の大病はただこれ一の傲(ごう)の字なり。聖人の許多(きょた)の好処も、またただこれ無我のみ。無我なれば自ずから能(よ)く謙なり。謙は衆善の基にして、傲は衆悪の魁(さきがけ)なり」
(和訳)  「人生における最大の病根は、傲慢の一字である。聖人には素晴らしい点がたくさんあるが、突き詰めれば無我に帰着する。無我であれば、自ずから謙虚になることができる。謙虚はあらゆる善の基であり、傲慢は諸々の悪の始まりである」
(解説)

 



【修養の方法についてその四、議論することの大切さについて】
(原文)  「朋友に処するに、務(つと)めて相下れば則(すなわち)益を得、相上(しの)げば則ち損す」、「朋友はすべからく箴規(しんき)指摘する処少なく、誘えき奨勧(しょうかん)の意多くして、方(まさ)に是なり」、「朋友と学を論ずるには、すべからく委曲謙下(いきょくけんげ)し、寛以ってこれに居るべし」
(和訳)  「友人(陽明の門下に馳せ参じた中間達いわば同志)と付き合うには、相手かに学ぶように努めればプラスとなり、相手を見下すような態度を取ればマイナスしか得られない」、「友人に対しては、なるべく相手の欠点をあばいたり、とがめだてするよりは、励ましたり助け合ったりしなければならない」、「友人と議論する時には、できるだけ自己主張を控え、寛容な態度で接しなければならない」
(解説)

 



【修養の方法についてその五、会得の大切さについて】
(原文)  「」
(和訳)  「学問をするにも、外から教えてもらう必要がある。だがそれは、自ら会得した者が一を悟って万事に通じているのに及ばない。自ら会得するところがなかったら、外からいくら教えてもらっても、役には立たない」
(解説)

 



【修養の方法についてその六、疑問追及の大切さについて】
(原文)  「」
(和訳)  「諸君は近頃顔を合わせても、めったに疑問をぶつけてこなくなったが、一体どうしたことか。何軒誰でも、自分を鍛えることをしなくなると、もう充分学んだような気になって、今までの方法でやっていればそれで良いと思うようになる。ところが実際は毎日私欲が生じ、地上に積もる塵のように、一日掃き取らないとそれだけ積もっていくことに気付かない。しっかりと自分を鍛えていれば、道には終わりが無く、探求すればするほど深くなることが分かるであろう。問題は徹底的に究明し、僅かな疑問も残してはならない」
(解説)

 



【明鏡埃論について】
 「聖人の心は曇りの無い鏡のようなもの。だから、ことさら磨く必要は無い。ところが、常人の心は埃(ほこり)だらけの鏡のようなもの。よく磨いて埃を全部落とさなければならない。そうすれば、僅かな埃が付いてもすぐに気付き、簡単に取り除くことができる」。(埃払い)


【省察克治(せいさつこくち)について】

 朱子学では、「修己」の方法として「居敬窮理」を重んじた。陽明学では、@・「省察克治(せいさつこくち)」、A・「事上磨錬」の二つを尊ぶ。@・「省察克治(せいさつこくち)」とは、人間は誰でも「良知」という「天理」(素晴らしい素質)を持っているのだが、様々な人欲によってその働きを妨げられているのだという。だから、「良知」を発現するためには、ともすれば頭をもたげてくる人欲を一つ一つ点検して取り除いていく必要がある。そういう努力が「省察克治」に他ならない。

 王陽明は次のように諭している。「近頃、私の主張する『格物の学』を学んでいる者でも、耳から聞いて口から出す残薄な知識に流れている者が多い。ましてや、初めから浅薄な知識に満足している者が、どうして私の本意を理解できようか。天理・人欲に関する微妙な問題は、ふだんに努力して探求してこそ、はじめて少しずつ明らかになってくるのである。今、こうして口で天理を論じ立てていても、ちょっとした間に、心の中にはたくさんの人欲が頭をもたげているかも知れない。このように、気付かない間に起って来る人欲は、努力して洞察しようとしても、容易ではない。まして、口で議論しているだけでは、全てを把握することは不可能だ。どんなに天理を論じても実践することを怠り、人欲を論じても除去することにつとめないなら、どうして『格物致知』の学と言えようか」。

 王陽明によれば、人間の心というのは「天理」と「人欲」がせめぎあっている場なのだという。だから、天理を発現するためには人欲との戦いに打ち克って、これを取り除かねばならない。これが、陽明学で言う「省察克治」である。

 陽明は、静座という静的な工夫にあきたらずに、事上磨錬という動的な工夫を説いたが、それに先立つ省察克治を重視した。省察克治問答は次の通り。ある時、陽明は何人かの弟子を前にして次のように遣り取りした。弟子「静かなときには気持ちもすっきりした感じがしますが、何かの事に出会うとなると、同じようにはいきません。どうしたわけでしょうか」。王「それはお前がただ静かにして、心を養うことだけを知って、本当に人欲を克服する工夫を行っていないからだ。そんなありさまで事に臨めば、たちまち傾いてひっくりかえってしまうであろう。だから人は物事の上で心を鍛えねばならぬのだ。そうあってこそ、傾き倒れることなしに、ちゃんと立ち、静時にも行動を起すときにも安定していられるのだ」。



【事上磨錬について】
(原文)  「人はすべからく事上に在りて磨錬し、功夫(くふう)をなすべし。即ち益あらん。もしただ静を好まば、事に遇(あ)ひてすなわち乱れ、遂に長進なく、静時の功夫(くふう)もまた差(たが)はん」(事上磨錬)
(解釈)

 事の上とは、事に臨んであるいは即してという意味である。磨錬とは、玉を磨いたり、刀を鍛錬するように、精神を磨き鍛えることを云う。かって、王陽明は座禅修行の必要を説いていた。しかし、静的な修養の自己満足、高踏的な議論の無意味さを知るようになり、行動主義的な「事上磨錬」を説くようになった。陽明学の実践重視の特徴を示す言葉である。

(問答)  上記の言葉は、次のような遣り取りの一説である。弟子「何事も無いときは心の働きもよどみがないのですが、何か事に出遭うとそうはいきません。いかが致すべきでしょうか」。陽明「それはただ静かな環境にばかり気をとられて、克己の修行を怠っているからである。それでは、事に対処したとたん、たちまち心が動転してしまう。人間というのは、日常の生活や仕事を通して自分を磨き、修養を積まなければならない。そうあってこそはじめて修養の効果もあがるのである。そうあってこそしっかりと自分を確立し、静時であろうと動中であろうと、いついかなる事態になっても、冷静に対処することができる。ただ静かな環境だけで修養を積んでも、何か事件にぶつかった時、たちまち心が乱れてしまう。それでは、はかばかしい進歩は期待できず、せっかくの修養も役に立たなくなってしまう」。
 ある時、陽明は何人かの弟子を前にして次のように遣り取りした。弟子「先生の学問は非常に結構だと思っていますが、私は役所での帳簿事務や、訴訟裁判沙汰の処理に追いまわされ、ゆっくり学問をしている暇の無いのが残念です」。王「私はこれまでお前に対して、役所の仕事をほったらかして、やみくもに抽象的な学問をせよ、と教えたことはないはずだ。お前にはちゃんと役所の仕事があるのだから、その仕事の上で学問をすることを心がければそれで良いのだ。そうあってこそ本当の格物と言えるのだ。役所の仕事といえども、すべてこれ実学でないものはない。もしそれらの仕事を離れて学問をしようとすれば、それは役たたずの空学問になる」。


【心中之賊について】
(原文) 「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。区区鼠(そ)せつをせん徐するは、なんぞ異と為すに足らん。もし諸賢、心服の寇を掃蕩し、以って廓清(かくせい)平定の功を収めなば、これ誠に大丈夫不世の偉績なり」(心中之賊)
(解釈)

 「山の中の賊を討伐するのはまだやさしい。難しいのは、心の中の賊を討伐することである。その辺のこそ泥のような連中を平らげたところで、何ら異とするに足りない。もし諸君が心の中の敵をやっつけて、しらみつぶしに平らげてしまうことができるなら、男たるもの、これ以上素晴らしい手柄は無い。

 他に次のような説話もある。「盗賊を追い払うには、一刻の間断もなく一寸の容赦も無く、徹底的にこれを追い払わねばならぬが、人の心に芽生える人欲もまた同様である。そして又、猫がネズミを捕らえる時のように、目を一つにして見つめ、耳を一つにして聴き、人欲に打ち克ち、釘や鉄をズバリと切り立つぐらいの決断で、平定すべきである」。



【陽明道について】
(原文)  「諸君実にこの道を見んことを要(もと)めば、須らく自己の心上より体認すべく、外求を*らざれば始めて得ん」(自己心上之体認)。
(解釈)

 「中庸」では、「天から人に賦与されたものを性といい、性に率(したが)うことを道といい、道を修めることを教えという。道というものは人が一瞬も離れることの出来ぬものであり、離れることのできるものは道ではない」。道徳的絶対性の強調。これに対し、道家の思想家達、老子や荘子は、儒家のこうした捉え方よりももっと深く、根源的なもの、超越的なもの、遍在的なものと捉えた。「道というのはどこに求めるという形ではなく、どこにいても道というものはあるのだ」と説いた。

 王陽明は、人の道について、しからばどう求めたら本当の生き行く道に到達できるかという方法を説いた。人の心に備わる先天的な道徳力、善と悪とを見分ける知覚力つまり「良知」をさぐることが道とみなした。





(私論.私見)