32223 | 孫子兵法の現代的適用考 |
潜賢志林 NO.1 『孫子』はビジネスに向いていない!?
潜賢志林 NO.2 『呉子』こそビジネス向きの兵書である!?
潜賢志林 No.1 (00/05/29)
ビジネス書籍でしばしば取り上げられる『孫子』。
春秋時代末期、呉の孫武が著述したとされるこの『孫子』は、古代中国の数百年に渡る戦争経験の華麗な昇華であり、現代に至ってもいまだ価値を失っていない、卓越した軍事理論を提出している。三千年以上も読み継がれてきたこの第一級古典の普遍的理論、とりわけ、その軍隊運営理論を企業運営に適用しようと言うのが、ビジネス書で『孫子』を取り上げる理由である。
『孫子』はそもそも将軍の立場から軍隊運用や具体的戦術について述べた書だから、読者は管理職や経営者の職位にあって、何人もの部下を抱えている人間がほとんどのはずである。しかし『孫子』流の軍隊運営を経営者に採用されたら、その下に付く部下・従業員が全く困ってしまうのだ。
どうして彼ら下にいる者が困るのか、ここで少し述べてみたいと思う。
『孫子』が前提として想定する兵士は、西洋の中世騎士や日本の武士のような誇り高き身分戦士ではなく、全く戦う気のない兵士である。普段は田を耕している平和な農民が、突如君主の命によって徴兵され、鍬や鎌を剣や矛に持ち替えされられている様を想像していただきたい。
彼らはどれだけやる気がないのか。『孫子』の次の言葉から窺うことができる。
『孫子』九地篇に「諸侯自ら其の地に戦うは、散地為り。人の地に入りて深からざるは、軽地為り」(諸侯が自分の領地内で戦う[場合、その戦場の]ことを散地と呼ぶ。敵対諸侯の領地に侵入してもあまり深入りしていない[戦場]のことを軽地と呼ぶ)とある。「散地」について、『三國志』で有名なあの曹操が付した注(曹操の諡号が魏の武帝だから魏武注という)には、「士卒、土を恋うるに、道近ければ散じ易し」(兵士は直ぐに自分の故郷に帰りたがるので、家までの距離が近いと散り散りになって逃亡しやすい)とある。そのほか杜牧の注にも「士卒、家近ければ、進みて必死の心無く、退きて帰投の処有り」(故郷が近ければ、進軍しても兵士に死を賭して戦う心がなく、退却すれば逃げ帰るところがある〔ので整然とした退却もできない])とある。自国内で戦うと、兵士は家で待つ妻や子供が懐かしくなって逃げ散ってしまう、だからこうした戦場を「散地」──身方の軍隊が離散しやすい地と呼ぶ、というのである。また軽地については魏武注に「士卒、皆な返に軽し」(兵士は帰還ばかり考えて浮ついてしまう)とある。自国内ではなく敵国で戦ったとしても、戦場がまだ自国に近く簡単に家に帰れてしまううちは、兵士は帰還ばかりを思って心が浮つき、戦意が定まらない、だからそうした戦場を「軽地」──心が浮つく地と呼ぶ、というのである
このように『孫子』が前提とする兵士は、戦場と家との位置関係を考えて、逃亡しても自力で帰郷が可能となれば、容易に脱走を企てたり帰郷ばかりを願ったりするくらい、戦う気がさらさらないのである。もう一度確認する。
『孫子』が前提とするのは、全くやる気のない兵士である。
『孫子』は上で述べた前提から、兵士を戦闘に駆り立てるために、敵国に長駆侵攻して退却・生還の望みを絶ち、生存欲求を戦闘意欲に転化させる、という非人道的な兵士には堪ったものではない戦術を説く。
『孫子』の九地篇によると、そもそも「兵士は甚だ陥れば則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う」(あまりも危険な状況にはまりこんでしまうと、もはや危険を恐れなくなり、どこにも行き場がなくなってしまうと、決死の覚悟を固め、やむを得なければ戦う)のであり、故意に敵国奥深く侵入して脱出の望みを絶てば、兵士は決死の覚悟を固めて戦うという。そこで「兵を運らして計謀し、測るべからざるを為」すと、巧みに軍隊を運動させて、自軍の兵士に目的地を推測させないようにし、「往く所無き」窮地に追い込むというのである。
原文と書き下し文は次の通り。
凡為客之道、深入則専、主人不克。掠於饒野、三軍足食。謹養而勿労、并気積力、運兵計謀、為不可測、投之毋所往、死且不北。死焉不可得、士人尽力。兵士甚陥則不懼、無所往則固、深入則拘、無所往則闘。是故不調而戒、不求而得、不約而親、不令而信。禁祥去疑、至死無所之。吾士無余財、非悪貨也。余死悪寿也。令発之日、士坐者、涕霑襟、臥者、涕交頤。投之無所往者、諸歳之勇也。(九地篇)
凡そ客為るの道は、深く入れば則ち専らにして主人克たず。饒野に掠むれば、三軍食足り。謹み養いて労すること勿く、気を并わせ力を積み、兵を運らして計謀し、測るべからざるを為し、之れを往く所毋きに投ずれば、死すとも且た北げず。死焉んぞ得ざらんや、士人力を尽くす。兵士甚だ陥れば則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、往く所無ければ則ち闘う。是の故に調えずして戒め、求めずして得られ、約せずして親しみ、令せずして信ぜらる。祥を禁し疑いを去らば、死に至るまで之く所無し。吾が士に余財無きも、貨を悪むにあらざるなり。余死無きも、寿を悪むにあらざるなり。令発せらるるの日、士の坐する者は涕襟を霑し、臥する者は涕頤に交わる。之れを往く所無きに投ずれば、諸・歳の勇なり。
つまり『孫子』は、兵士のやる気がはじめは全くなくとも、騙して騙して絶対絶命の状況に陥れてしまえば、もう後は必死になって戦うしかなくなる、という戦術を提案しているのである。
兵士に対する同様な、言ってみれば非情な、思いやりのない見方は「帥いて之れと深く諸侯の地に入りて其の機を発するは、群羊を駆るが若し」(九地篇:軍を引率して異国の領内深く侵入し、軍を決戦に無けて発進させるときには、従順な羊の群を駆り立てるようにする)とか、「故に兵の情は、囲まるれば則ち禦り、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う」(同:そこで兵士の心情としては、敵軍に包囲されてしまえば良く守るし、やむを得なければ戦うし、敵軍が通り過ぎて危機が去ってしまえば今度は追撃したがるものである)とか、「之れを亡地に投じて然る後に存し、之れを死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陷りて然る後に能く勝敗を為す」(同:兵士を滅亡必至の窮地に放り込んだのちに、はじめて命を長らえるのであり、兵士を死ぬほかない窮地に突き落としたのちに、はじめて生き延びるのである。そもそも兵士たちは、とてつもない危険にはまりこんだのちに、ようやく勝敗を決することができるのである)という形で繰り返し表明されている。
そもそも『孫子』は軍形篇において「勝者の民を戰わしむるや、積水を千仞の谿に決するが若き者は、形なり」(戦闘に勝利するものが人民を戦わせる方法は、[例えて言えば、]満々とたたえた水を千尋の谷底に決壊させるよう仕組むものだ。それこそが勝利に至る態勢である)と言い、満々と湛えた水を千尋の谷底にきって落とすような兵の勢いは、「形」──態勢がもたらすとした。また兵勢篇では「勇怯は勢なり」と、兵が勇敢になるか臆病になるかは兵の勢いによる──とした上で、「故に善く戦う者は、之れを勢に求めて人に責めず」と、戦いに巧みな者は戦いの勢いによって勝利を得ようとして、個人の力量には頼ろうとしない、と主張した。つまり『孫子』は、兵士個人の資質や技量よりも、集団全体の態勢や気勢を重視したのである。
このように、『孫子』はやる気のない無能な兵士を前提とし、集団に勢いを与えることで、一個の目的──戦争での勝利を達成しようとした。その勢いを与える方法とは、兵士たちを騙して絶体絶命の窮地に陥れることであった。
これを企業経営に応用したとしよう。何だかマキャベリな臭いがして、経営者にはなかなか魅力的かも知れないが、企業の中での兵士──社員や従業員には堪ったものではないだろう。まずやる気がない社員が前提となる。そして個人の力量は無視される。そして騙されて知らぬうちに、絶体絶命の窮地に落とし込まれることになる!!
意欲のある優秀な社員など、『孫子』の理論の中には存在しない。意欲を導き出す方法も、社員の人権(?)を全く無視したものと言える。そんな『孫子』を企業経営に応用されたら社員は困るだけである。
さあ、いかがなものか。
社員の皆様、『孫子』を熱心に呼んでる上司がいたら要注意!! かも。
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