32412 | ロック(John Locke、1632−1704) |
名誉革命のイデオローグ。ヴォルテールは、「デカルトは『精神の小説』しか書けなかったが、ロックははじめて『精神の歴史』を与えてくれた」と激賞した。「17世紀に身を置きながら18世紀を支配した思想家」(丸山真男)、「ロックなかりせば近代デモクラシーも、近代資本主義も生まれなかった」とも評されている。
著作「統治二論」は、「社会契約説に基づく合理的人間像を提示し、近代デモクラシー、近代資本主義の理論的根拠を提供した」(小室直樹「日本国憲法の問題点」)と評されている。
ロックは「社会契約説」で、「人間には奪うことの出来ない権利が備わっている」ことを理論付けた。その法理は、国家や社会が生まれる以前の「自然状態」(state of nature)における人間の仮定から始まる。遭えてそうしたモデル(ideal typus)を仮定することで、社会や権力の在り方を検討した訳である。「ニュートンは質量だけが有って、大きさが無い『質点』を仮定することで近代物理学を創始したわけだが、それと同じようにロックは抽象的人間を考えることで、社会契約説を考えた」(小室直樹「日本国憲法の問題点」)。この「自然状態」において備わっているものを天賦のものとみなし、そうでないものを契約に拠ると考えた。それによれば、天賦のものは「生命、自由、財産」であった。これを基本的人権と云う。その他のものを契約よると見なした。ちなみに、財産権を天賦のものとみなし私有財産を積極的に肯定したことが、近代資本主義推進の強力なイデオロギーとなった。
国家権力は、この契約に支えられているものであるから、その権力は天賦のものを保障するためにこそあるのが本来の役割でなければならない。もし、国家権力がこれに違背するなら契約を改めることができるはずだ、革命を起こして新政府を作る権利が人民にはあるとした。つまり、人民には抵抗権、革命権があるとした。「公権力そのものが専制権力となって、人民を不幸にしているのであれば、『天に訴える』(appeal
to Heaven)公権力
」、これがロック流「社会契約説」である。
付言すれば、ホッブスの「社会契約説」とは、「自然状態」の捉え方が逆である。ホッブスは、「世の中にある資源は有限であり、それがためにその資源の奪い合いを通じて、『万人の万人に対する戦い』が起こらざるを得ない。その戦いを調整し収拾するのが国家や社会の役目である」としていた。
「立法権は一定の目的のために行為する信託された一権力に過ぎない。だから、人民が、立法府がその委ねられた信託に背く行為をすることを発見したときは、依然として『立法府を罷免または変更する最高権力(supreme power)は人民の手に』残っている。なぜなら、一つの目的を達するために信託によって与えられた権力は、すべて、その目的によって制約されるものだからである」。
ロック思想に基づく憲法が生み出されたとするなら、その憲法は国家の横暴から人民を守ることを第一義にすることになる。
(私論.私見)