3241 | トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes,1588-1679) |
(参考文献)
ホッブズ田中浩研究者出版1988.11.30
【ホッブスの総評】 |
ホッブスは、17世紀イングランドが生んだルネサンス的マルチ人間で、「16―17世紀の最初の近代的唯物論者フランシス・ベーコン(Francis Bacon 1561−1626)の唯物論を体系づけたベーコンの後継者」とも云われており、近代思想史上極めて意義のある業績を遺している。 |
【ホッブスの履歴】 |
トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes,1588.4.5―1679.12.4)。英国チューダー朝時代の哲学者・政治思想家。 1588.4.5日、イギリス南西部ウィルトシャー州グロスターシャー近郊で、国教会牧師の次男として生まれた。父は地区の牧師であったが家族を捨てて夜逃げしてしまい、12歳の時に叔父に引き取られ 育てられることになる。小さい頃から特に古典に関心を持ち14歳頃には ギリシャの古典悲劇などを翻訳している。 オクスフォードのマグダレン校でスコラ哲学を学ぶ。1608年卒業後、終生彼の援助者となるキャベンディッシュ男爵家(後のデヴォンジャー伯)の家庭教師になる。ホッブスはこの仕事を通して、あちこちに旅行したり色々な人に紹介される機会を得、思想を醸造していくことになる。 哲学者としてのスタートは非常に遅い時期の400歳を過ぎた頃にたまたま図書館でユークリッドの「幾何原論」を読み、そこで初めて見た、いくつかの公理から演繹により多数の命題を証明していくさまは、彼の脳細胞を激しく刺激する。彼は数学の研究にのめりこみ、「幾何学と恋をした」というほど数理学的思考を重視していくことになる。やがて国王に数学を教授するほどになる。 1634年から1637年にかけての3度目の大旅行の際、パリでメルセンヌのサークルに迎えられ、ガッサンディやデカルトと知り会い、またフィレンツェにガリレオを尋ねている。1940年、処女作「法学要綱」を著わし、スチュワート絶対王政の有力な政治思想家として注目された。 王党派・議会派双方から攻撃され、ピューリタン革命の勃発直前に身の危険を感じてフランスに亡命(1640〜51)する。その11年間比較的恵まれたパリの学究生活を送る。この間、デカルトやその他の学者と交わる。哲学の研究成果を発表するなどきわめて活発な活動をおこなうことになる。 1642-1658 「哲学的入門」 1650 「人間の性質」 1651 「リヴァイアサン」 。 「リヴァイアサン」の出版によって無神論者として異端視され、同年末ひそかに帰国。クロムウェル治下の共和国新政権に帰順し、政争への介入を避けて自己の学問体系の完成に努めた。1660年の王政復古と共にチャールズ2世の厚遇を得たが、宗教界・大学・王党右翼によるホッブス主義に対する避難が強まり、ついに本国では著作の刊行が禁止された。しかしそれ以上の政治的な処置は免れ、19679.12.4日に死亡(享年91歳)するまで精力的な著作活動を続けた。 |
【ホッブスの時代状況】 |
ホッブスの遭遇した時代状況とは、17世紀初頭から俄かに顕在化した濃く追う都議会の対立に始まり、ピューリタン革命(1640−60)に至るイギリスの内乱(Civil War)状況であり、この状況を抜きにしては、ホッブズの近代国家論は絶対に生まれなかった。 「ホッブズは、ギリシャ・ローマ以来の古典やルネサンスの中で生まれた様々な知的成果を学びつつ、それらの理論的・知的道具を総動員し駆使して、母国イギリスにおける悲惨な内乱状態を一刻も早く終わらせ、平和で安全かつ自由な政治社会=国家の新しい構築を試みた。そしてその組み立て方が、きわめて原理的であったが故に、彼の政治論は、イングランド救国の理論となつただけにとどまらず、近・現代全体に通底する近代民主主義国家論の基礎理論として、今日に至るまで燦然とその光を放ち続けているのである」。 |
【ホッブス理論の概要と史的意義】http://www.let.osaka-u.ac.jp/genshi/mori/great/hobbes.htm |
ホッブス理論は、哲学から組み立てて人間本質論、社会論、国家論へと体系化する。自ら「物体論」(1655)の中で述べているように、彼の哲学・思想体系化の最大目標は、「社会の哲学」(政治学という意味)を解明し、構築することであった。物体論、人間論、市民論の三部作で、世界をトータルに認識しようとしていた。「あらゆる分野の学問をマスターし、それらを基礎にして、人間にとって最も基本的な『生き方』や、人間が生存している『社会や国家』の在り方を解明し、それぞれに思想体系を提起していた」。 この時代、そういう時代の課題に対してそれぞれが立ち向かったが、ホッブスはこれに果敢に立ち向かった。ここにホッブスの史的意義がある。 まず、その哲学について、「哲学は、知られた原因からその結果を、又逆にその結果からその原因を正しく知る推理的認識である」、「命令とは、これをせよとか、これをするなと述べるもので、何故そうしなければならぬのかの理由は、その命令を発する者の意志以外には求められない」とある。 イギリス固有の経験論を継承すると共に大陸の機械論的自然観に影響されて、数学的合理主義によって唯物論の立場から独自の体系を立てた。この機械論的自然観がホッブス理論の基礎となる。彼はこの世界に実在するものは「物体」(corpus)のみであるとし、一切の事象は、その物体の機械的必然的運動に他ならないと考える。したがって非物体を対象とする神学が哲学から厳しく排除されるとともに機械論的自然学が彼の体系の基礎として成り立つ。彼は,これらの運動観を人間の生理的作用はもとより、その心的作用さらには道徳や社会にも適用しようと試みる。 認識論上は感覚論と唯名論の立場が採られる。「感覚」とは外物から送られる運動によって感官の受け取る像が生理的に脳に伝えられるにすぎない。そしてこれが保存されて「記憶」となり、このふたつが知識の基礎になる。その際、観念連合としての思考を導くものが「名前」である。それゆえ思考作用は必ずしも実在と対応しない。実在するのは個々の物体だけで、抽象的・普遍的概念はたんなる記号にすぎない。この見解は、物体分子の運動が機械的に生む感覚を“認識”とみる点で経験哲学に属する。ウィリアム・オッカム以降イギリスに固有の唯名論的傾向を鮮明に表している。 【道徳論】彼は倫理説としては功利主義を採る。外物の作用に応じて人間の内部には感覚のほかに快・不快の感情が生ずる。快をもたらすのが善であり、不快をもたらすものが悪である。したがって、善悪は主観的なものであるとともに、他方それが引き起こす欲求の運動によって予め意志が規定されることになるため「意志の自由」は否定される。 【生存競争論】ホッブズは,人間の自己保存欲を善として功利主義の芽をみせ,政治論では,みながこの生命の自己保存(自然権)の貫徹をはかるとき,自然状態では〈万人対万人の闘争〉を現出し、かえって自己保存が否定されるがゆえに、これを統御実現する強力な主権が社会契約によってたてられねばならないと説いた。一見絶対王権擁護ととられるが,ホッブズにとって政体の如何を問わず,絶対主権は手段にすぎない。 【政治理論】 すべて存在するものは物体であり、それは自然的物体・ 人工的物体・中間的存在である人間体に区分される。人間は元来利己的動物であ るから、合意的契約をもって 社会の平安を図らねばならず 個人の上に絶対的権威、すなわち人工的物体の最高位である国家を必要とする。 ホッブスの政治・国家等についての見解は、上述の人間観からの帰結あるいは、その拡大である。彼は、先に述べられた善悪の主観的基準とは区別される、客観的な基準を国家に求めようとした。人間はいわゆる「自然状態」においては自己保存の本能にしたがって「自然権」を行使し、行動の自由を享受する。しかし、それは必然的に「万人の万人に対する戦い」という状態に至り、自然権の自己否定という結果を招くことになる。そこにおいて理性が,自ら発見する「自然法」によってこの自然権を制限し、社会契約による絶対主権の設定へと導く。かくして国家が成立しここにはじめて義務、道徳の観念すなわち善悪の客観的な基準が成立することになる。彼はこの国家契約説によって専制君主制を最も理想的な国家形態と考えた。しかし主権は自然権の保障を義務とする限りにおいて絶対的なのであり、主権の絶対性の基礎を人民の自己保存権においた点でそれは徹底した自然主義の政治理論であると言える。 ホッブス理論は、哲学から組み立てて人間本質論、社会論、国家論へと体系化する。自ら「物体論」(1655)の中で述べているように、彼の哲学・思想体系化の最大目標は、「社会の哲学」(政治学という意味)を解明し、構築することであった。物体論、人間論、市民論の三部作で、世界をトータルに認識しようとしていた。「あらゆる分野の学問をマスターし、それらを基礎にして、人間にとって最も基本的な『生き方』や、人間が生存している『社会や国家』の在り方を解明し、それぞれに思想体系を提起していた」。 この時代、そういう時代の課題に対してそれぞれが立ち向かったが、ホッブスはこれに果敢に立ち向かった。ここにホッブスの史的意義がある。 まず、その哲学について、「哲学は、知られた原因からその結果を、又逆にその結果からその原因を正しく知る推理的認識である」、「命令とは、これをせよとか、これをするなと述べるもので、何故そうしなければならぬのかの理由は、その命令を発する者の意志以外には求められない」とある。 イギリス固有の経験論を継承すると共に大陸の機械論的自然観に影響されて、数学的合理主義によって唯物論の立場から独自の体系を立てた。この機械論的自然観がホッブス理論の基礎となる。彼はこの世界に実在するものは「物体」(corpus)のみであるとし、一切の事象は、その物体の機械的必然的運動に他ならないと考える。したがって非物体を対象とする神学が哲学から厳しく排除されるとともに機械論的自然学が彼の体系の基礎として成り立つ。彼は,これらの運動観を人間の生理的作用はもとより、その心的作用さらには道徳や社会にも適用しようと試みる。 認識論上は感覚論と唯名論の立場が採られる。「感覚」とは外物から送られる運動によって感官の受け取る像が生理的に脳に伝えられるにすぎない。そしてこれが保存されて「記憶」となり、このふたつが知識の基礎になる。その際、観念連合としての思考を導くものが「名前」である。それゆえ思考作用は必ずしも実在と対応しない。実在するのは個々の物体だけで、抽象的・普遍的概念はたんなる記号にすぎない。この見解は、物体分子の運動が機械的に生む感覚を“認識”とみる点で経験哲学に属する。ウィリアム・オッカム以降イギリスに固有の唯名論的傾向を鮮明に表している。 【道徳論】彼は倫理説としては功利主義を採る。外物の作用に応じて人間の内部には感覚のほかに快・不快の感情が生ずる。快をもたらすのが善であり、不快をもたらすものが悪である。したがって、善悪は主観的なものであるとともに、他方それが引き起こす欲求の運動によって予め意志が規定されることになるため「意志の自由」は否定される。 【生存競争論】ホッブズは,人間の自己保存欲を善として功利主義の芽をみせ,政治論では,みながこの生命の自己保存(自然権)の貫徹をはかるとき,自然状態では〈万人対万人の闘争〉を現出し、かえって自己保存が否定されるがゆえに、これを統御実現する強力な主権が社会契約によってたてられねばならないと説いた。一見絶対王権擁護ととられるが,ホッブズにとって政体の如何を問わず,絶対主権は手段にすぎない。 【政治理論】 すべて存在するものは物体であり、それは自然的物体・ 人工的物体・中間的存在である人間体に区分される。人間は元来利己的動物であ るから、合意的契約をもって 社会の平安を図らねばならず 個人の上に絶対的権威、すなわち人工的物体の最高位である国家を必要とする。 ホッブスの政治・国家等についての見解は、上述の人間観からの帰結あるいは、その拡大である。彼は、先に述べられた善悪の主観的基準とは区別される、客観的な基準を国家に求めようとした。人間はいわゆる「自然状態」においては自己保存の本能にしたがって「自然権」を行使し、行動の自由を享受する。しかし、それは必然的に「万人の万人に対する戦い」という状態に至り、自然権の自己否定という結果を招くことになる。そこにおいて理性が,自ら発見する「自然法」によってこの自然権を制限し、社会契約による絶対主権の設定へと導く。かくして国家が成立しここにはじめて義務、道徳の観念すなわち善悪の客観的な基準が成立することになる。彼はこの国家契約説によって専制君主制を最も理想的な国家形態と考えた。しかし主権は自然権の保障を義務とする限りにおいて絶対的なのであり、主権の絶対性の基礎を人民の自己保存権においた点でそれは徹底した自然主義の政治理論であると言える。 ホップスの基調は、「自然は人間を心身の諸能力において平等につくった」とみなす。しかし、概要「自然の権利とは、各人が、仮自身の欲するままに自然の力を用いるという各人の自由である」ことから、各人がその自由を徹底していけば、概要「人間は人間にとって狼となり、万人の万人に対する闘い」へと至る。これを避けるため、個人は契約により権力を認める。国家権力はこうして作り出されたものである故に是認される。人間の自然的平等を擁護するが故に権力の絶大さが生み出され、国家権力=主権=「リヴァイアサン」(何でも呑み込む神話上の怪物)が生み出される。リヴァイアサンは、「共通の富または国家」(common−wealth or state)である。この思想が継承発展されて、後に「個人の利己心をこそ繁栄の原動力とする市民社会論」が生まれてくる。 |
【リヴァイアサン(Leviathan、1651年)】![]() |
第1部 人間について。第2部 コモンウェルスについて。第3部 キリスト教のコモンウェルスについて。第4部 暗黒の王国について。 |
【主要な著作集】 |
市民論(1642年) |
(私論.私見)
(以下は試験的なものです。上に書いてあることと同様、うのみにしないように)
(08/Mar/2000)
高校生から来た質問「ホッブズが清教徒革命の時批判されたのは何故ですか」
基本的にレポート関係の質問には答えないことにしてますが、メイルの内容がていねいだったので回答しないのも失礼かと思い、ヒントだけ記すことにします。
簡潔に言うと、清教徒革命は共和政の実現を目指したものであり、ホッブズの思想は革命前の絶対王政を正当化する理論とみなされたからです。共和政、絶対王政などについてはご自分でお調べください。
09/Feb/2002
スピノザは著作の中では他の哲学者に言及することがあまりない。ホッブズについても同様である。しかし、国家論に関して、スピノザがホッブズを意識していなかったはずはない。なぜなら、前者の国家論は、後者のそれからの影響が見られるばかりか、それに対する批判も見られるからである。ただ、スピノザは書簡の中で、文通者の要請に答えて、ホッブズについてコメントしている。そのポイントは、スピノザの国家とは、ホッブズのそれとは違い、個々人の自然権を認めるのだ、ということである。
ホッブズにとっては、人間は人間にとって狼であった。ここから有名な、自然状態とは「万人の万人に対する戦い」というフレーズが登場する。つまり、ホッブズの人間把握は、こうした人間相互の対立を基盤にしている。だから、とホッブズは考える、だから共同体=国家を作って、それによって人間の攻撃性を抑制しなければならない。人間が本来持っている力や権利(自然権)を恐怖によって押えるという発想である。上に触れたスピノザの批判はこの点に関わる。なるほど、スピノザもホッブズと同じ様に、自然状態は人間にとって危険な状態だと考える。しかし、ここで微妙に異なるのは、スピノザの場合自然状態における人間が危険なのは、過剰な権利を持つために対立するからではなく、むしろ、人間本来の権利が発揮されないからこそである。ホッブズとスピノザの考える自然状態とは、つまりは社会状態に対するものであるが、ホッブズはそれを個々人の対立として捉えた。これに対してスピノザは、そこに対立ではなく、孤立を見た。人間は一人では何も出来ない。この意味では、一見同じ様な設定ながら、根本の発想は全く逆なわけである。したがってスピノザの場合、社会状態=国家は自然権の抑圧のために必要なのではなく、むしろ、人間個々の自然権を活かすために必要なのであった。これは実は発想が逆転している。スピノザは、社会状態を自然状態に先行するものとして見ているのではないか。しかし、正確に言えば、スピノザの考えでは、自然権が社会状態を要請するのだから、社会状態=国家の方が自然な状態なのである。
ホッブズとスピノザのこの国家観の違いは、別の観点から見ることも出来る。上に見たように、スピノザの国家は自然的なものである。これを前提に、ホッブズの国家を特徴付けるなら、その国家は自然のものではない、ということになる。つまりは、ホッブズの国家は、人工的な制作物なのである。これは、ホッブズの国家論だけの問題ではなく、ホッブズ哲学の全体に関わる問題である。ホッブズは、その哲学体系を、物体論から始め、人間論、国家論へと至る。しかし、人間とは合成された物体であり、国家とは人工の人間である。そこで一貫しているのは制作の観点である。そもそも物体とはホッブズにとって素材なのだ。そして、スピノザはこうした制作の観点を徹底して批判していた。なぜなら、制作の立場は目的論に関わるものであり、目的論の批判はスピノザ哲学の根本主題だったからである。
[これは、国家論に関わる問題と制作に関わる問題に分割できる]
ホッブズ
Thomas Hobbes (
1588-1679 )
中世のキリスト教道徳と絶縁し、新たな観点から法と道徳を基礎づけたのが、ホッブズである。
ホッブズによると、人間は、自己保存の欲望(コナトゥス)によって動かされる、利己的存在である(注)が、その自己保存のために、法と道徳を必要とするのである。
(注)ホッブズによれば、人間の全ての行為は、利己的なものである。例えば、「慈愛(隣人愛)」と呼ばれるものは、「自分の欲望を満たすことが出来るだけでなく、他人の欲望を満たす手助けをすることが出来るという、自分の力」を実感したいという利己的行為である。しかし当人はそれが、「隣人愛(=自分は利己主義者ではない)」という、自分にとって好ましい動機に基づく行為であると理解し信じたがるのだ、と言う。
1)感覚論 外界の影響によって、われわれのコナトゥス(存在性、生活力)が増大するとき、快の感情が生じ、減少するとき、不快の感情が生ずる。
この快をもたらすものが、善であり、不快をもたらすものが、悪である。
But whatsoever is the object of any mans Appetite or Desire; that
is it, which for his part calleth Good : And object of his Hate, and
Aversion, Evil ;
( Leviathan. Chap.6)
2)善悪の基準 しかし、外的対象の善悪は、それを欲求(または嫌悪)する個人との関係によって決まるので、全ての個人に共通する一般的な善悪の基準は存在しない。
従って、善悪の一般的基準は、「自然法」(=「理性」)を介して、結局は、国家とその法に求められる。
「自然状態においては、各人それぞれが、自分の裁判官である。そこでは、事物を指示する名辞や形容詞が各人各様で、ここから人々の間に数々の争いが生じ、平和が破壊されてしまう。だからこそ、論争の的になるような事柄のすべてにわたって共通の基準が必要になる。例えば、正義、善、美徳と呼ばれるものや、物が多いとか少ないとかいったこと、何が我のもので何が汝のものか[所有権]、ポンドやクオーターといった目方などについては、争いが絶えない。これらの事柄に関しては、人によって判断が異なるゆえにすぐさま論争が始まる訳である。ところで、「正しい理性」こそが、これらの論争を裁定する共通の基準だと言う人々がいる。もしも自然の事物の中に正しい理性なるものがあることがはっきりしているのであれば、私もこのような主張をする人々に同意するのに吝かではない。けれども、争いに決着をつけるために正しい理性なるものを持ち出す人々は、結局のところ、自分の理性を正しい理性と呼んでいるのが普通である。正しい理性と呼ばれるものなど、実は存在しない。だから、誰かの理性、一定の人々の理性が、正しい理性の代役を果たさなければならない。そして、主権を有する人ないし人々の理性こそが、その適役であることははっきりしている。……このように、国の法律は、人々の行動の共通規範である。人々は、この国の法律に照らして、自分の行動が正しいか間違っているか、得をするのか損をするのか、有徳か悪徳かを判断しなければならない。言葉の意味に共通の合意がなくて、しばしばそれに関して論争が生じている場合、これに確固とした定義を与え、その用法を定めるのも国の法律に他ならない。例えば、通常の姿態とはかなり異なった子がたまたま生まれた場合、これを人とみなすべきかどうかを決するのは、アリストテレスのような哲学者ではなく、法律なのである。」(『法学要綱』 引用は、リチャード・タック『トマス・ホッブズ』(田中浩・重森臣広訳)未来社 から)
3)自然状態
自然状態は、以下のような、暴力と恐怖の無政府状態であるから、各人は自分を守るためには、自然権を棄てて、契約によって絶対的な権力の支配下にある国家状態に移行せざるをえない。
「自然の権利(自然権)とは、各人が自分自身の自然すなわち自分自身の生を維持するために、自分の欲するままに自己の力を用いるという、各人が持つ自由である。」
The Right Of Nature, which
Writers commonly call Jus Naturale, is the Liberty each man hath, to use
his own power, as he will himselfe, for the preservation of his own Nature; that
is to say, of his own Life; and consequently, of doing any thing, which in his
own Judgement, and Reason, hee shall conceive to be the aptest means
thereunto.
( Leviathan. Chap.14)
「全ての人を威圧しておく共通の力を持たずに生活している間は、人々は戦争と呼ばれる状態にあるのであり、そしてかかる戦争は、各人の各人に対する戦争なのである。」
Hereby it is manifest, that during the time men live without a
common Power to keep them all in awe, they are in that condition which is called
Warre; and such a warre, as is of every man, against every man.
( Leviathan.
Chap.13)
「自然法とは、理性によって発見される戒律または一般法則であり、これによって人は、自分の生命を破壊したり、あるいは自分の生命を維持する手段を奪い去ることを禁じられ、また、生命を維持するのに最も良いと思うことを避けることを禁じられるのである。」
A Law Of Nature, (Lex
Naturalis,) is a Precept, or generall Rule, found out by Reason, by which a
man is forbidden to do, that, which is destructive of his life, or taketh away
the means of preserving the same; and omit, that, by which he thinketh it may be
best preserved.
( Leviathan. Chap.14)
ホッブズ・ロック・ルソー年表(16〜18世紀) 注 斜体はフランスの出来事。
その他 |
ホッブズ |
年 |
治世・革命など(英・仏) |
ロック |
ルソー |
|
|
1558 |
エリザベス・(〜1603) |
|
|
|
誕生 |
1588 |
|
|
|
|
|
1603 |
ジェームズ・(〜25) |
|
|
|
|
1621 |
下院、ジェームズ・の専制に反抗 |
|
|
|
|
1625 |
チャールズ・(〜49) |
|
|
|
|
1628 |
権利の請願 |
|
|
|
|
1632 |
|
誕生 |
|
|
『法の原理』 |
1940 |
|
|
|
|
革命直前に大陸へ亡命 |
1642 |
ピューリタン革命(〜49) |
|
|
|
|
1643 |
ルイ14世(〜1715:太陽王) |
|
|
ミルトン『アレオパジティカ』で言論の自由を主張 |
『臣民論』 |
1644 |
|
|
|
|
|
1649 |
チャールズ・処刑 / 共和制(〜60) |
|
|
|
『人間性と政治体』 |
1650 |
|
|
|
|
帰国 『リヴァイアサン』 |
1651 |
|
|
|
|
|
1652 |
|
|
|
|
|
1653 |
クロムウェル独裁(〜58) |
|
|
|
|
1658 |
クロムウェル死去 |
|
|
|
|
1660 |
王政復古 / チャールズ・(〜85) |
|
|
|
|
1665 |
第2次オランダ・イギリス戦争(〜67) |
|
|
|
|
1666 |
ロンドン大火 |
|
|
ミルトン『失楽園』 |
|
1667 |
|
|
|
|
『ビヒーモス』 |
1668 |
アーヘンの和約 |
|
|
|
|
1672 |
第3次オランダ・イギリス戦争(〜74) |
|
|
|
死去(90歳) |
1679 |
|
|
|
|
|
1683 |
|
このころオランダに亡命 |
|
|
|
1685 |
ジェームズ・(〜88) ナントの勅令廃止 |
|
|
|
|
1688 |
名誉革命 |
帰国 |
|
|
|
1689 |
権利の章典 女王メアリー(〜94) ウィリアム・(〜1702) 英仏植民地戦争(〜97) |
『寛容に関する手紙』 |
|
|
|
1690 |
|
『統治二論』『人間悟性論』 |
|
|
|
1701 |
イスパニア継承戦争(〜14) |
|
|
|
|
1702 |
女王アン(〜14) |
|
|
|
|
1704 |
|
死去(72歳) |
|
|
|
1707 |
スコットランドと合同(大ブリテン王国と称す) |
|
|
|
|
1712 |
|
|
誕生 |
|
|
1714 |
ジョージ・(〜27) |
|
|
|
|
1715 |
ルイ15世(〜74) |
|
|
|
|
1740 |
オーストリア継承戦争(〜48) |
|
|
モンテスキュー『法の精神』 |
|
1748 |
アーヘンの和約 |
|
|
|
|
1749 |
|
|
『学問芸術論』 |
|
|
1754 |
|
|
『人間不平等起源論』 |
|
|
1756 |
英仏植民地7年戦争(〜63) |
|
|
|
|
1762 |
|
|
『社会契約論』『エミール』 |
|
|
1763 |
英仏、パリ条約 |
|
|
|
|
1774 |
ルイ16世(〜92) |
|
|
|
|
1778 |
|
|
死去(66歳) |
|
|
1789 |
フランス革命 |
|
|
|
|
1793 |
ルイ16世処刑 |
|
|