32641 生涯の概略履歴

フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach、 1804-72)
 ドイツの唯物論哲学者。法哲学・刑法学者アンゼルム・フォイエルバッハの子に生まれ、ベルリン大学に学び、1828年エルランゲン大学の私講師となる。

 ヘーゲル哲学に深く感化されて、さらにそれを超克すべく、ヘーゲル批判へと発展し、ヘーゲル左派の先鋭として宗教批判を徹底した。
1832年キリスト教批判の書《死と不死についての思想》のため解任される。保守派の人々の反感をかって職を失ったフォイエルバッハは以後、一時期を除いて、南独ブルックベルクの寒村の城舘にこもる隠遁の生活をしつつ、宗教批判の執筆に専念する。その間、ハイデルベルク大学に招かれ、宗教の本質について講義している。

 
生活は、フォイエルバッハ家所有の工場によっていたが、しかし、これも晩年は破産し、困窮のうちに死んだ。かれは生涯を通じてマルクス主義をうけいれなかったが、その終わりにはドイツ社会民主党に参加していた。

 フォイエルバッハの哲学思想は、へーゲル哲学の本質が合理的思考の外皮をまとったキリスト教神学に他ならぬことを暴露し、キリスト教の神が人間の本質の疎外された姿なることをしめし、人間の本質を自然的・感性的存在としてとらえて、この観点から唯物論的人間学をうちたてたところに哲学史上の不朽の地位がある。

 彼が生涯の仕事とした宗教批判圧巻であるが、ヘーゲル批判を経由して唯物論にすすんだところに特質がある。すなわち、ヘーゲルは抽象的な精神(神)を想定し、その自己展開の過程として自然や歴史をとらえようとしたが、ヘーゲル哲学の真髄である神学を人間学に解消することこそ近代哲学の課題であるとした。本来、人間はそれ自身、自然物に他ならず、それゆえにこそ他の自然物を確証できるのである。そして、このような自然的なる人間の働きである精神を、人間とは独立のものとして定立するからこそ、人間はこのような精神(神)に支配されることになってしまう。このような状況を彼は「人間の自己疎外」と呼び、宗教の本質を人間の自己疎外としてとらえた。このような精神(神)への転倒を批判して、[自然以外のなにものも存在しない]という人間主義的《唯物論》を展開し、宗教の虚構をあばいて、現世にこそ理想の実現を求めるべきことを説いた。フランス唯物論における無神論をさらにふかめていたことになる。

 彼の関心の領域は、あくまで思想的分野に限られていたが、この理論は、同じヘーゲル左派の多くの後進たちに大きな影響を与え、やがてマルクスとエンゲルスに至って現実の社会問題に応用され、この天上への批判は地上の批判として政治運動にまで徹底されていくのである。

 フォイエルバッハ哲学は、マルクス、エンゲルスにつよい影響をあたえ、かれらがヘーゲルの観念論から唯物論へ移りゆくきっかけとなったが、マルクスとエンゲルスはすでに《ドイツ・イデオロギー》(1845〜46)で、また後になってエンゲルスは《フォイエルバッハ論》で、かれの唯物論が、もっぱら人間について一般論を説く<人間学>、つまり抽象的な人間と自然のわく内でのみとらえられており、その限りで社会理論は観念的なものにとどまっていた。唯物論をせまく規定しているため、歴史と社会の法則的な把握という観点が決定的に脱落していることを指摘している。