32643 | マルクスのプルードン批判考 |
【「貧困の哲学」考】 | |||
1847.7月、マルクスは、「哲学の貧困」(Misere de la
philosophie)を著し、1946.10月のプルードンの「貧困の哲学――経済的諸矛盾の体系」を批判した。マルクスの本書は、プルードンの著作のタイトルをひっくり返したものであり、題名からして挑発的なものになっている。これを「パロディの才を示す」と観る向きもある。叙述の全体に公正を欠いたプルードンへの悪罵をちりばめており、マルクスの「らしさ」を窺わせるものとなっている。
たしかに、マルクスは批判をしているつもりだが、それは相手が到達した高みの、その本質的な部分で対決して、議論の次元を高めていくたぐいの批判ではない。相手の主張を勝手にゆがめたうえで、そのゆがみを攻撃する。たとえば、「経済的カテゴリーの良い面を保持して、悪い面を除去せよ」というのがプルードンの形而上学だと嘲笑する。この箇所へのプルードンの書き込みはこうだ。「ぬけぬけとした中傷!」。 しかし,マルクス個人の思想的成長にとっては,この著作はきわめて重要な位置を占める。マルクス自身,のちに『経済学批判』「序言」でこう述懐している。
すなわち,パリ滞在中に「市民社会の解剖学は経済学のうちに求めねばならない」と悟得して開始した経済学研究の最初の学問的成果が『哲学の貧困』であった。その「科学的」方法が『資本論』の方法の原型となっていくという意味でも,マルクス経済学形成史上「決定的な」作品である。プルードン批判としては当たっていないにせよ,マルクスはこの著作によってかれ自身の「以前の哲学的意識を精算する」ことに成功した。唯物史観がここで確立されてゆく。 斉藤悦則氏は、「プルードン」の冒頭で次のように記している。
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マルクスの批判の書「哲学の貧困」は二つの章からなる。第一章はプルードンの経済学を批判し、第二章は哲学を批判する。 経済学を批判するといっても、それはプルードンの価値論がリカードの労働価値説より劣っていると主張しているだけのものである。その眼目は、プルードンを平等主義者に見立てる点にある。相手を素朴で幼稚な社会主義者のように描き出し、最高水準の経済学者(マルクスにとってのリカード)と見比べて、「平等主義的な結論」のお粗末さを笑う。フェアなやり方ではない。 哲学批判の部分はさらにその傾向が強い。マルクスはいう。「彼にとって、解決すべき問題は、悪い面を除去して良い面を保存することである」。そうではない、とプルードン自身が言っているにもかかわらず、マルクスはこのフレーズをくりかえす。さらに、「悪い面こそ歴史をつくる運動を生みだすのである」というが、これはもともとプルードンの発想。 この本から何を学ぶか この本はプルードン批判としては問題があり、じっさい発刊当時はほとんど売れず、社会的インパクトはゼロに近かった。しかし、いったんマルクスが偉くなると様子が変わる。青年マルクスの口汚い罵りの言葉までもが神々しく、ありがたく読まれるようになる。本書は、偉大な思想が卑小な思想を木っ端みじんにうち砕く痛快な読み物として、また白と黒をはっきりさせてわれわれがどちらの側に立つべきかを教えてくれる階級闘争の教科書として、マルクス主義の必読文献の一つとされた。 |
(私論.私見)