儒学総論 |
【儒教(じゅきょう)】 |
春秋時代末期の思想家、孔子(BC551〜BC479)を祖とする、中国を代表する思想。ほかに孟子(BC372〜BC289)、荀子(BC298?〜BC235?)などが知られている。個人の道徳と社会の理想を説く。周代(BC1044〜BC771)の理想的な治世を再現しようと試みたことから、「先王の道の教え」という意味で「道教」と呼ばれることもあった。 |
【論語(ろんご)】 |
論語は弟子の編集による孔子の言行録である。孔子とその門人たちの対話がまとめられている。儒教の経典で20編からなる。四書の1つ。 五経(易経、書経、詩経、礼記、左氏春秋)は漢代に儒教が国教となった際に採用された経典であるが、それらの成立と孔子との関わりは明らかではない。経典としては他に、孝や礼を説く『孝経』、『周礼』や予言書讖緯(しんい)などがある。四書(大学・中庸・論語・孟子)は南宋の朱子が定めたものである。 論語の歴史は長い。儒教が国教になったのは漢の武帝の時代だった(BC136)。この時代に尊重されたのは五経だった。 13世紀、南宋の朱熹(子)の登場とともに五経に代わって四書が重視されるようになった。ここにおいて論語は四書の筆頭として絶対的権威をもつに至った。これ以後、朱子学が隆盛になるとともに論語は広く伝播した。国家権力により政治的に利用るようにもなった。さらに朝鮮、日本、ベトナムなど周辺諸国にも広がった。17世紀には翻訳されてヨーロッパにも伝えられた。 論語が日本に最初に伝えられたのは応神天皇の時代(5世紀頃)と言われる。奈良時代、養老令の学令では論語は必読の書とされ、平安時代にも教育のなかで重視された。朱子学の渡来は鎌倉時代。江戸時代に入って朱子学は官学と定められ、江戸時代末期には庶民教育の寺子屋まで広がった。明治時代初期までは日本の知識人にとっては必読書だった。この傾向は1945年の大日本帝国の敗戦までつづいたのである。敗戦とともに論語は学校教育の場から消えた。 儒教はもともと、すぐれて政治的な宗教であり、政治を離れて儒教の存在は有り得ない。にもかかわらず、日本人は、その政治的な部分をまったく無視し、単なる一種の人間学にしてしまった。(小室直樹「田中角栄の遺言」) |
【儒教思想の特質】 |
儒教を道教と比較すると、儒教は人為に重きをおいた社会思想であるといえる。祭祀・儀礼を重視したのも、信仰ではなく政治的儀式としてであった。政治は力ではなく徳により行われるべきである、という理想主義を掲げた。人間はもともと天から授かった性(道徳性)を備えているが、それは天からくだされる命(運命)によって限界づけられていると考える(金谷治『死と運命』p.145)。徳の中で最も重要なのは仁であり、その基本は孝、つまり祖先や親への愛や道徳であるとする。
・周代の初めを手本とし、礼による社会秩序の回復・維持を説くことから、保守的・権威主義的な傾向をもっている。 ・孟子は「礼はもともと人々に備わっている」という性善説を、荀子は「強いられなければ誰も礼などもたない」という性悪説をそれぞれ唱えた。性悪説は、社会の安定には法による規制が必要とする法家思想に近いといえる。 ・孟子は「人民を幸せにしない君主には天命がないのであるから辞めさせてもよい」という革命の論理を唱えた。 ・儒教は、安定した社会における組織の維持・管理を得意としたが、飢饉や戦乱などによって社会が混乱したり、長期政権が退廃した場合には力を失い、人々は道家思想や仏教に救いを求めることとなった。このような動きは漢末や唐末などに特徴的にみられた。 |
【中国における儒教の発達】 |
孔子をはじめ儒家の人々は、宰相となり国を治めたいという政治的野望をもっていたが、実現には至らなかった。儒家の人々の現実の生活の糧は葬儀業であったようである。「当時の官僚失業者群には二種あって、一つは老子流の非政治的隠者であり、一つは孔子流の政治的遺賢である。」(長谷川如是閑「孔子と老子」『評論集』p.169)とある。 学研学習事典データベース (C)Gakken 1999 無断転載・複製・翻訳・リンクを禁ず
このデータについて |
2000.7.31
経済政策を大いに議論しましょう(その2)
古典に学ぶ−日本経済再生の方向
『書経』という本があります。儒教で尊重される5種類の教典のことを五経といいますが、『書経』はこのなかの一つです。五経とは『易経』『書経』『詩経』『礼記』『左氏春秋』のことです。『書経』は尭舜から秦の穆公(ぼくこう)に至る政治史・政教を記したものです。
『書経』のなかに次の言葉があります。
「政(まつりごと)は民を養うに在り」 「正徳、利用、厚生、惟(こ)れ和(わ)せよ」
前者の意味は、「政治の基本は民をよく養うことにある」というものです。
後者の意味は、「道徳を正すこと(正徳)、民の力と財を有効に活用すること(利用)、民の生活を豊かにすること(厚生)−この三つを調和させることが『民を養う』道である」というものです。
正徳、利用、厚生−この三つを調和させるような経済政策をとるべきだという『書経』の教えは、今日の日本にも有効だと思います。
第一に、道徳が乱れていては経済はよくなりません。政治家、経済人、官僚が率先して道徳を守り、国民の模範とならなければなりません。指導者が不道徳になれば国民社会は腐敗します。まず道徳を正すことが大切です。これは現在も同じです。
第二に、国民の力と財力をうまく活用することです。日本国民は勤勉です。そのうえ教育水準は高いのです。貯蓄性向はきわめて強いのです。今は強すぎるほどです。この力を生かすことです。国民の消費性向が上向けば景気は回復します。
質の高い職業教育を強めて新しい技術の普及をはかり、労働生産性を高めることも必要です。日本国民の巨大な貯蓄も有効活用すれば、巨大な経済効果が生まれます。
さらに「厚生」です。福祉・社会保障をより高度化することです。国民が日本の将来に自信をもち、安心感をもつことができるようにするには、社会保障の拡充が必要です。
この三つがうまく調和するような経済政策をとれば、日本経済の前に立ちふさがる暗雲を払いのけることは不可能ではないと私は思います。
このためには政治家とくに政府与党指導者がしっかりしなければなりません。
「正徳」を背を向けるような政治家は排除すべきです。
「利用」のためには、少なくとも政府は国民に信頼されなければなりません。政府が信頼できる政権になることが先決です。このためには政権交代が可能です。
「厚生」のためには、新たなアプローチが必要です。従来の厚生省の政策の延長では福祉は崩壊してしまいます。【この項さらにつづけます】
2000.7.31
経済政策を大いに議論しましょう(その2)
古典に学ぶ−日本経済再生の方向
『書経』という本があります。儒教で尊重される5種類の教典のことを五経といいますが、『書経』はこのなかの一つです。五経とは『易経』『書経』『詩経』『礼記』『左氏春秋』のことです。『書経』は尭舜から秦の穆公(ぼくこう)に至る政治史・政教を記したものです。
『書経』のなかに次の言葉があります。
「政(まつりごと)は民を養うに在り」 「正徳、利用、厚生、惟(こ)れ和(わ)せよ」
前者の意味は、「政治の基本は民をよく養うことにある」というものです。
後者の意味は、「道徳を正すこと(正徳)、民の力と財を有効に活用すること(利用)、民の生活を豊かにすること(厚生)−この三つを調和させることが『民を養う』道である」というものです。
正徳、利用、厚生−この三つを調和させるような経済政策をとるべきだという『書経』の教えは、今日の日本にも有効だと思います。
第一に、道徳が乱れていては経済はよくなりません。政治家、経済人、官僚が率先して道徳を守り、国民の模範とならなければなりません。指導者が不道徳になれば国民社会は腐敗します。まず道徳を正すことが大切です。これは現在も同じです。
第二に、国民の力と財力をうまく活用することです。日本国民は勤勉です。そのうえ教育水準は高いのです。貯蓄性向はきわめて強いのです。今は強すぎるほどです。この力を生かすことです。国民の消費性向が上向けば景気は回復します。
質の高い職業教育を強めて新しい技術の普及をはかり、労働生産性を高めることも必要です。日本国民の巨大な貯蓄も有効活用すれば、巨大な経済効果が生まれます。
さらに「厚生」です。福祉・社会保障をより高度化することです。国民が日本の将来に自信をもち、安心感をもつことができるようにするには、社会保障の拡充が必要です。
この三つがうまく調和するような経済政策をとれば、日本経済の前に立ちふさがる暗雲を払いのけることは不可能ではないと私は思います。
このためには政治家とくに政府与党指導者がしっかりしなければなりません。
「正徳」を背を向けるような政治家は排除すべきです。
「利用」のためには、少なくとも政府は国民に信頼されなければなりません。政府が信頼できる政権になることが先決です。このためには政権交代が可能です。
「厚生」のためには、新たなアプローチが必要です。従来の厚生省の政策の延長では福祉は崩壊してしまいます。【この項さらにつづけます】
「儒教に取って最も大切なことは忠孝即ち親への孝行と殊勲への忠義である。主君が辱められたら、家臣は死を賭けてでもこの恥をすすがなければならない。その場合、主君の方に難があってもそれに目をつぶることもある」(井沢元彦「逆説の日本史・乗っ取りの大戦略編」)
(私論.私見)