三井環出所声明考 |
(最新見直し2010.01.30日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「三井環出所以降の歩み」について確認しておく。 2010.01.19日 れんだいこ拝 |
2010.01.18日、捜査情報漏洩(ろうえい)の見返りに元暴力団組員から接待を受けたとして収賄罪などに問われ、懲役1年8月などの刑が確定、平成20年10月に収監され服役していた三井環・元大阪高検公安部長(65、懲戒免職)が、刑期を満了し静岡刑務所を出所した。三井氏は意気軒昂で、「最近の検察の姿勢も含めて、検察批判は積極的に行っていきたい」と述べた。
三井元部長は14年4月に大阪地検特捜部に逮捕される前、検察の調査活動費の不正流用について実名での告発を準備。一、二審で「口封じの立件で公訴権の乱用だ」と無罪を主張したが認められず、上告も退けられた。一、二審判決によると、三井元部長は大阪高検公安部長だった13年、捜査情報の見返りに元組員から飲食などの接待を受けた。二審大阪高裁判決は検察の裏金づくりを一部認定したが、最高裁決定は触れなかった。
三井環氏のページ 現役の大阪高検の三井環公安部長がテレビ朝日のザ・スクープの取材に応じ、実名で検察上層部の組織ぐるみの「活動調査費横領疑惑」について内部告発しようとしていた。 困った検察庁は取材当日の4月22日待ち合わせの3時間前に三井環氏を「想像を絶する」悪徳検事だとして逮捕した。 「口封じ」のための逮捕だが、三井氏は鳥越キャスターにに何を語ろうとしていたのか。 容疑は暴力団組長の親族名義で、競売された神戸市中央区のマンションを1951万円で落札、住む予定もなく、住んでもいないのに登録免許税 47万5400円の軽減を受けたと言う。 逮捕容疑は詐欺及び電磁的公正証書原本不実記載並びに職権乱用。 こんな金額の微罪で逮捕、拘留1年間。 その間に全ての検察で証拠は消滅した。 22日、森山法相は 「前代未聞ということでありまして、検察官の名誉をはなはだしく汚した」 と言う声明文を読み上げ、裏金にもっとも恩恵によくしている原田明男検事総長が他人事のように謝罪した。 まるで茶番だ。 三井氏不当逮捕が最終的に決まったのは、2002年4月20日原田検事総長、法務省、検察庁の首脳が出席した会議の場だ。 これを受けて大阪地検特捜部の担当検事が大阪地裁に逮捕状の請求をしたのは、翌日4月21日(日曜日)の夜、逮捕状が裁判所から出たのは翌22日の午前零時だった。 いかに今回の不当逮捕劇が唐突に起こったかが分かる。 2日間あまりの“内偵捜査”で三井氏を逮捕するために何か犯罪らしきものはないかと探し、捏造した事件で逮捕しなくてはならなくなり、証拠隠滅の恐れがある、というでたらめな詭弁で拘留してしまった。 三井環氏は国会の証人喚問に出る事も了解しており、民主党の菅直人とも接触があった。 菅は「もし検察が口封じ目的で不当な逮捕をしていたら非常に大きな問題で大変な事だ。」と述べている。 週刊誌ではこの問題を最初に取り上げた週刊朝日の編集長山口一臣氏は三井環氏とのインタビューを通しての印象をザ・スクープの中で、「彼は検察と言う仕事に誇りを感じていて、検察が正義を担っている事に自負心を抱いていた。 その検察が裏でこんな汚い事をやっていることがどうしても我慢できなかった。 そして自分自身もそれに手を染めていたという事が許せなかった。 最終的にはそれを世間に明らかにして検事を辞めると言うのが彼の生き様だった。」 と述べている。 2002年7月30日三井環公安部長の初公判が大阪地方裁判所で行われた。 冒頭で三井環氏側から公訴棄却の申し立てをしたが裁判官は保留とした。 検察の裏金作りの実態として読み上げた内容の冒頭に 「検察庁には調査活動費という予算があります。 中小地検では年間約400から500万円、東京地検では約3000万円、大阪地検では約2000万円と、その庁の規模によって予算が示達されます。 それが全て裏金として処理され、幹部の遊興費に当てられている。」 とここまで、調査活動費の裏金流用を認めている検察関係者がいても法務省は調査活動費の裏金流用は認めない。 前検事対現検事の全面対決。 意見陳述の最後に、いきなり立ち上がった三井被告は、検察側をにらみつけ強い口調でこう言い放った。 「どちらが正義なのか!どちらが犯罪者なのか! どちらが卑劣な人間なのか、よく考えていただきたい。」 検察側にいるかつての後輩達に、「私の事件は風が吹けば飛ぶようなもの、しかし原田検事総長らの犯罪は金銭も多額で重大だ。 最後に一言、どうして私が被告席にいるのか、ここに座るべきは原田明夫検事総長、松尾邦弘元法務事務次官、加納駿亮(しゅんすけ)福岡高検検事長、東条信一郎・・・・」と8名の名前読み上げた。 この日、全てのメディアはこの事件をまったく報道せず無視した。 裏金作りのカラクリは「公安事務課の課長または係長が警察の公安にいって情報を聞いてくる。 それに基づいて架空の情報提供者をでっち上げる。 情報提供者から情報収集をしたことにして総務課長が書類を作成し会計課からお金を引き出し事務局長がプールする。 調査費の予算の配分は「全国の中小地検(地方検察庁)には検事正が48人。 規模は小さくても高検(高等検察庁)には8人の検事長。 そして最高検(最高検察庁)には検事総長が1人。地位が上なのはもちろん検事総長だ。 続いて8人の検事長がいて48人の検事正となる訳だが、事件の多い地検より地位の高い最高検の方が年間の調活費の割り当ては多い。」 2001年7月、高知新聞の1面トップに、高知県警の捜査費流用を報じる見出しが躍った。 手口は、旭川中央署のケースと同様、架空の捜査協力者を仕立て上げ、捜査費を虚偽請求するというものだった。 翌月、高知県市民オンブズマン連絡会議が、詐欺容疑などで県警捜査一課長らを高知地検に刑事告発、受理された。 しかし、捜査費流用疑惑をスクープした高知新聞の記者はこう危惧する。 「どこまで本気でやるんでしょうね。 自ら調査活動費の問題を抱えているのに、本当に捜査できるんですかね?」と。 警察の組織的違法行為があった場合、それを摘発できるのは上位の捜査機関である検察しかない。 しかし、その検察も同じ手口で悪事を働いている。 国会がまともに機能しない中、検察を摘発出来るのは、世論でしかない。 _______________________________________________________________________________ テレビ朝日のザ・スクープの取材に応じ、実名で検察上層部の組織ぐるみの「活動調査費横領疑惑」について内部告発しようとしていた取材当日の2002年4月22日,鳥越キャスターと待ち合わせの3時間前に三井環氏を悪徳検事だとして逮捕したんですね。 |
【三井氏の満期出所考】 | |
「『自由・論争』 掲示板」の戸田氏の2010.1.17日付け投稿「検察最大の脅威=三井元検事が1/18朝に静刑を出所し戦線復帰!戸田らが出迎え!」を転載しておく。
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戸田氏の2009.12.6日付け投稿「裏金告発せんとし弾圧、静岡刑務所の三井元検事の訴えを紹介する!(面会人戸田) 」を転載しておく。
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【三井氏の解放前後のつぶやき】 |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK77」のTakeru氏の2010.01.18日付け投稿「検察の闇に立ち向かう不撓不屈の男 三井環元大阪高検公安部長 解放前夜のつぶやき -古川利明の同時代ウォッチング-」を転載しておく。 http://www.asyura2.com/10/senkyo77/msg/892.html 後に掲げる記事は高知地検次席検事時代に知った検察庁の裏金を、現職で告発しようとして2002年4月22日口封じ逮捕に遭い325日間の拘置生活の後理不尽な有罪判決で投獄され、2010年1月18日朝1年3ヶ月ぶりに無事に解放された三井環(みついたまき)元大阪高検公安部長を事件当初から支援してきた、フリージャーナリスト古川利明氏の三井氏解放前夜のつぶやきである。三井氏に関する部分のみ転載させて頂く。 解放に先立つこと三井氏は獄中で古川氏に解放後「検察改革」を求めて戦う覚悟を語った。三井氏の裏金告発は人事上の不満からの私憤であったというが、氏の告発の動きを察知した検察の、組織防衛のための卑劣な手口に遭いやがて義憤に変わっていったという。その義憤は逮捕後も衰えるどころか収監中を通じ検察・法務省改革という信念にまで高まっていったようにさえ見える。 また刑務所に人を投げ込む側であった三井氏は、初めて入った刑務所の体験を通じて知ったその非人間的な軍隊式規律が憎しみを植え付けること、出所後の就職もままならないことなどが、1年以内の再犯率80%という受刑者の更正を阻んできた大きな要因との思いに至る。そうして三井氏の心には検察への義憤のみならず受刑者の環境改善の必要性にも問題意識が広がっていった。このような背景の中、三井氏は解放を目前にした獄中で(解放後は)「右も左もない徹底的に検察改革一本でやる」と言い切った。 古川氏は三井氏の1月18日の静岡刑務所の三井氏の出所を出迎えに行ったようだ。事件以来陰日向に寄り添ってきたであろう三井氏の心と覚悟を知り尽くした古川氏の心に、解放の日を目前にして執筆しながらどういう思いが渡来しただろう。古川氏のシャイな文章の行間には粗野ながらも三井氏に対する暖かい眼差しと、古川氏の権力の横暴に対する抑えた怒りが会間見えるような気がする。 ひとつ間違えば暗黒社会となる「検察の闇」に立ち向かうとしている三井氏を、国民政治の土台である安心な暮らしを求める私たち市民は支えなければならい。 不撓不屈の男、三井環元大阪高検公安部長、ジャーナリスト古川利明氏、前門真市会議員戸田ひさよし氏など支援者の下変革のうねりが広がってゆく。 右も左もない。 ****************************************** 部分転載開始 古川利明の同時代ウォッチング 『三井環(元大阪高検公安部長)氏の「口封じ逮捕事件」に対する上告棄却決定を弾劾する(承前)』 ●1月14日 #ほいで、明後日(=1・18)の朝、未決勾留を差し引いた「1年3ヶ月」の刑期を務めて上げて、三井環のオッサンが、静岡のムショを満期出所するのに合わせて、この前、面会したときに約束しておいた、ワシの『日本の裏金(下) 検察・警察編』(第三書館、424頁、1600円+税)を、オッサンんところに郵送した。っていうのは、オッサンが、静岡のムショで仲良くなった受刑者と、いろいろと気脈が通じるところがあって、このワシの本のことを言ったら、「ぜひ、読みたい」ってことになったんだそうだ。で、オッサンが、「古川というのに連絡を取って、本を送れと言えば、送るだろう」ってことで、その受刑者が、ワシんところに手紙を書こうとしたんだが、お互い、全く面識がないのに、その受刑者は、ワシんところに手紙を出すにあたって、ワシのことを「知人」と、まあ、「虚偽申告」を看守にしてしもうたんだな。それは、ムショ内では、「ぺナルティー」の対象になるってことで、いろいろとひと悶着あったんだそうだ。 ●1月17日 #で、「下」の、永田町の大リケン・フィクサー、「白川司郎」の続きだが、この白川の実の兄貴が、東大卒で、あのカメイモンの同期だったっていうんだよな(笑)。その繋がりから、白川は、カメイモンのセンキョとかも、いろいろとサポートしておって、例の「許永中&モリカズ」がタッチした石橋産業ジケンでも、この白川の名前が、カメイモンとコラボで、出てくるんだなあ。この水谷功が、脱税ジケンだったかなあ、チケンに摘発されたのは、2006年だったよな、そのとき、水谷は、いろいろとチケンには喋っておるんだが、どうも、小沢んことばっか喋って、このカメイモンとの蜜月については、何も喋らんかったってんだよなあ。 部分転載終わり |
【三井氏の検察対小沢絶対戦争論】 | |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK79 」の純一 氏の2010.1.30日付け投稿「[小沢一郎ネタ] 小沢捜査を斬る!〜これは検察の戦争だ 戦争だから何でもやる・・三井環氏が語る(ゲンダイ的考察日記)」を転載しておく。
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(私論.私見)