三井環・氏の検察内部告発考 |
(最新見直し2006.3.19日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「三井環・氏の検察内部告発」について確認しておく。 前・門真(かどま)市議会議員(権力弾圧で09年3月24日失職)・戸田ひさよし氏の主宰する「自由・論争 掲示板」が、一連のこの問題を精力的に扱っておられる。これらを参照する。 「自由・論争 掲示板」 (http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=;id=01) 「参考(1〜4)三井環事件とは何か?【発端は元「関西検察のエース」の逆恨み】」 (http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6299;id=01#6299) 「三井環HP」 (http://www012.upp.so-net.ne.jp/uragane) 「三井氏の内部告発講演録」(KU会第4回勉強会:記録パンフレット「前代未聞の口封じ逮捕! 三井環事件とは何か?」) (http://blogs.yahoo.co.jp/ku_kai2006/17841263.html) れんだいこは、 「三井氏の内部告発講演録」を読んでなかった。これを知るきっかけを戸田氏が与えてくれたことに感謝する。これを熟読精査すれば、目下の「小沢キード事件に於ける検察の正義の虚構」が露わになり過ぎる。そういうきつい精力剤であることが判明する。 2010.01.19日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評644 | れんだいこ | 2010/01/19 |
【三井環・氏の検察内部告発考その1】 「小沢パッシング」のさなか、三井環・元大阪高検公安部長が刑期満了出所した。歴史は不思議な廻り合わせをする。これが何とも味わい深い。 2010.01.18日、稀代のシオニスタン検察官僚「佐久間達哉特捜部長と樋渡利秋検事総長」コンビの指揮による東京地検特捜部のなりふり構わぬ「小沢パッシング」が暴走しているさなかの丁度折も折、捜査情報漏洩(ろうえい)の見返りに元暴力団組員から接待を受けたとして収賄罪などに問われ、懲役1年8月などの刑が確定、平成20年10月に収監され服役していた三井環・元大阪高検公安部長(65、懲戒免職)が刑期を満了し静岡刑務所を出所した。 その三井氏の検察内部告発を確認しておく。東京地検特捜部が、「法の正義」の名の下に小沢氏の政治資金団体「陸山会」の土地購入を廻る不記載ないしは虚偽記載を容疑としての 強制捜査及び秘書団の強権逮捕に向かえる資格があるのか、炙り出してくれよう。「小沢パッシング」に興じるマスコミと御用評論家への煎じ薬としたい。 三井氏の「2002(平成14)年5月13日声明文」は次の通り。 声 明 文 日本の司法界の腐敗構造、検察庁、裁判所によるでっち上げ冤罪事件 - 日本に正義はありません (ttp://www.kyudan.com/opinion/kensatsu2.htm) 私は2002年5月10日、収賄等により再逮捕されました。この事実も私に遺恨を抱いていた暴力団組員の利害と、私が検察の組織的裏金づくりを実名で公表しようとした口封じをする検察の利害とが一致し、暴力団員の嘘の供述をまにうけた検察とが結託して、虚構の事実をデッチあげて犯罪事実を構成したものであります。 犯罪事実はいずれもデッチあげであり、本来は真白であって明らかに捜査権の濫用であります。かようなデッチあげ捜査がまかりとおるならば、世は闇であります。 取調べはほとんどなく、保釈も許さず長期予防拘留を目的とする捜査、起訴であることは明らかであります。 収賄罪という国民受けの罪名を暴力団員の嘘の供述のみによって、犯罪事実をデッチあげ、それを真実として私の真相供述は否認と位置づけ、検察の組織的裏金づくりを闇にほうむろうとするものであります。私が実名をもって裏金づくりを公表するならば、検察首脳は辞職せざるを得ず、森山法務大臣への政治的責任にも発展するものであり、今回の検察の強制捜査は自らの保身を狙った逮捕であります。この事件の真の意図がどこにあるのかよく考えてもらいたいと思います。 私はかような不当逮捕、起訴に対して断固闘います。 (声明文以上) 三井環・氏は、現役の大阪高検の三井環公安部長であった。その三井氏が、「調査費の裏金」を乱費していることに痛痒を感ぜずの検察の実態を内部告発せんとしていた。 2002年4月22日、テレビ朝日のザ・スクープの取材に応じ、実名で検察上層部の組織ぐるみの「活動調査費横領疑惑」について内部告発しようとしていた取材当日の,鳥越キャスターと待ち合わせの3時間前に逮捕され、2010.01.18日の出所まで服役を余儀なくされることになった。これに暗躍したのは、原田明男検事総長、松尾邦弘元法務事務次官、加納駿亮(しゅんすけ)福岡高検検事長、東条信一郎等々の8名の検察官僚であった。 留意すべきは、ロッキード事件の際に決定的な訴追証拠とされた「丸紅専務の伊藤宏調書」を採った松尾邦弘が顔を出していることであろう。その後の2004.6.25日、原田明夫の後任として検事総長にまで上り詰めている。順調過ぎる出世街道を歩んでいることが判明する。現在は、弁護士として法律事務所を経営しているとのことである。 さて、三井氏が如何なる論旨で検察を内部告発していたのか確認してみよう。読まれた方は、東京地検特捜部がどのツラさげて小沢パッシングに興じているのか、その様が逆彫りで見えてこよう。これ請け合う。 この問題について、前・門真(かどま)市議会議員(権力弾圧で09年3月24日失職)・戸田ひさよし氏の主宰する「自由・論争 掲示板」が精力的に扱っておられる。これらを参照する。 「自由・論争 掲示板」 (ttp://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=;id=01) 「参考(1〜4)三井環事件とは何か?【発端は元「関西検察のエース」の逆恨み】」 (ttp://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6299;id=01#6299) 「三井環HP」 (ttp://www012.upp.so-net.ne.jp/uragane) 「KU会第4回勉強会に於ける三井氏の内部告発講演録」 (ttp://blogs.yahoo.co.jp/ku_kai2006/17841263.html) れんだいこは、「三井氏の内部告発講演録」を読んでなかった。これを知るきっかけを戸田氏が与えてくれたことに感謝する。これを熟読精査すれば、目下の「小沢キード事件に於ける検察の正義の虚構」が露わになり過ぎる。そういうきつい内部告発証言であることが判明する。 2010.01.19日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評645 | れんだいこ | 2010/01/19 |
【三井環・元大阪高検公安部長の検察内部告発その2、事件の顛末】 大阪高検の三井環公安部長・三井環・氏逮捕事件の顛末は次の通り。 2002.年4月22日。大阪高等検察庁公安部長検事の三井環(みつい・たまき)氏はこの日、昼間にテレビ取材に対して検察の裏金作りの実態を実名告発する予定になっていた。しかし、まさにその直前、その日の朝、彼は待ち構えた検察職員によってでっち上げ逮捕されてしまう。明らかな「口封じ逮捕」である。 このとき大手マスコミは、こぞって検察側からの一方的な情報を垂れ流し、悪徳検事・三井環¢怩作り上げた。以後、起訴された三井氏は長期勾留を経て、翌2003年3月15日に保釈。そして2005年2月1日、一審大阪地裁で懲役1年8カ月、追徴金約22万円の不当有罪判決を言い渡される。現在、三井氏は大阪高裁で控訴審闘争£である。 (※06年7月段階の話) 「内部告発を思い立ったのは、ある人物に対する個人的な恨み、つまり私憤(しふん)だった」と、三井氏は言う。事の発端は、1997年にさかのぼる。 【発端は元「関西検察のエース」の逆恨み 】 1997年11月、特捜部長時代「関西検察のエース」と呼ばれていた大阪地検次席検事(当時)の加納駿亮(かのう・しゅんすけ)氏が指揮した京都地検での贈収賄事件で、三井氏(当時、大阪高検刑事部検事)の進言により、ある教授の逮捕が見送られた。この事件は内偵不足が明らかだったのだ。結局、この独自捜査は失敗に終わる。そしてそれは、指揮官である加納氏の責任であった。 その後、三井氏は当時の高松高検の村田恒検事長にこの京都事件の顛末(てんまつ)と自身の意見を手紙に書いて送った。ところが、この手紙が思わぬ災いのきっかけとなってしまう。1998年春、村田検事長が京都地検の武内徳文検事正と会い、彼に手紙の件を話し、それが大阪高検の幹部に伝わった。そして、それが加納氏に伝わってしまったのだ。それ以降、加納氏は三井氏に対し不快感を露骨に表すようになる。そして、三井氏は関西検察にいることができない状況になってしまった。 そこで、三井氏は大阪高検・荒川検事長に異動願いを出した。1998年4月、三井氏は名古屋高検総務部長に着任。その年の末、法務省筋は三井氏の高松高検次席検事への異動を提案したが、加納氏らがこれに異を唱え、見送りとなる。このことは、三井氏が加納氏を告発する遠因となる。 1999年7月、三井氏は名古屋高検総務部長から大阪高検公安部長へ異動になった。ここでまた加納氏らの横やり≠ェ入る。本来、高検公安部長の給料は検事2号俸ポストなのだが、三井氏は3号俸ポストのまま据え置かれた。これは加納氏の逆恨みによるものであった。 このとき三井氏は、この加納氏の行為を自分に対する侮辱であると同時に、自らが愛する「検察への冒とく」と受け止め、調査活動費・裏金問題で加納氏を告発しようと決意する。三井氏は加納氏を告発することで関西検察の性根を叩き直し、逆恨みや私情で人事を左右する不正義を正そうと考えたのだった。 【 加納検事正を刑事告発! 】 2000年5月、三井氏は信頼する川上道太(四国タイムズ社社長)氏にこの件を相談する。これに対し川上氏は全面的に三井氏に協力することを約束。その後、三井氏と川上氏は協力して告発を進め、同年12月ごろ、月刊誌「噂の真相」の取材を受ける。 そして、2001年1月10日発売の「噂の真相」(2001年2月号)に、<加納駿亮・大阪地検検事正が、高知地検検事正時代に約400万円にも上る調査活動費を私的に流用していた>、というスクープ記事が載る。しかしこの時、他のマスコミは後追い記事を書かず、大きな社会的影響力を与えることはできなかった。 三井氏と川上氏は裏金追及第2弾として、2001年3月29日、このとき大阪地検検事正になっていた加納氏が高知地検検事正だったころの裏金作りを「虚偽公文書作成、同行使、詐欺」などの罪で最高検に刑事告発した。表向きの告発人は川上氏になっているが、実質的な告発人は三井氏だった。 この捜査が始まる前に、早速告発の効果があらわれた。加納氏の検事長人事に影響を与えたのだ。刑事告発したのと前後して、加納氏が高松高検検事長に就任することがほぼ内定していたのだが、それが直前でひっくり返った。結局、加納氏に代わって入省年次が1つ下の宗像(むなかた)紀夫氏が高松高検検事長に就任した。 加納氏の検事長人事は見送られたが、捜査が始まる気配は見えなかった。そこで、三井氏と川上氏は同年5月11日に、加納氏が神戸地検検事正だった当時の裏金作りについても最高検に刑事告発した。 【検事長に昇任されるその裏で・・・ 】 一旦は検事長の線が消えた加納氏だったが、元大阪高検検事長の逢坂貞夫氏や、元検事総長の土肥孝治氏らの強烈な巻き返しがあり、同年11月15日発令の検事長人事で、勇退する飯田英男福岡高検検事長の後任として、加納氏が昇任する案が浮上した。人事のゴリ押しである。 ここで三井氏は、被告発人である加納氏がシロ・クロはっきりしないまま、天皇の認証官である検事長に就いていいはずがないと思い、自らが表に出てこの不正を告発することを決意する。「週刊文春」、「週刊朝日」に対し三井氏本人が匿名で告発し、その内容がそれぞれに掲載された(「週刊文春」2001年11月8日号、「週刊朝日」2001年12月7日号)。 しかし法務省は、こうしたマスコミの批判に対して委細構わず、同年11月1日、加納氏の福岡高検検事長昇任内示を発表した。実はこのとき、この裏で、検察の原点を崩壊させかねない信じられない事態が起きていたのだ。これが三井氏をして現職のまま実名で検察の裏金作りをマスコミなどに公表する決断をさせたきっかけだった。その信じられない事態とは何か? それはこれから、三井氏本人に語ってもらおう―。(以下、略) 2010.01.19日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評646 | れんだいこ | 2010/01/19 |
【三井環・元大阪高検公安部長の検察内部告発その3】 三井氏の「検察の裏金作り」に言及した部分を抜き書きする。この実態を知れば、手前たちが裏金作りに細工をしてきた前歴を頬かむりしたまま「小沢キード事件」に意気がる資格があるのかなぁと思うであろう。御用評論家は、この点どんな器用な口を回すのだろう。 (以下、転載) 次に、いわゆる「検察の裏金作り」のお話です。私は高知地検次席検事3年、それから高松地検次席検事3年、通算6年間それを実際に経験しました。もうどっぷりと裏金には浸かってきました。 検察庁には「調査活動費」の予算があるんです。調査活動費というのは、情報提供者に対して謝礼を払うことを本来の目的として設けられた予算なんです。公安労働事件に関する情報提供に対する謝礼、それが出発点だったようです。 そういうお金が裏金として使われるようになったのがいつ頃からなのか、私には分かりません。誰がこういう仕組みを考えたのかも分かりません。少なくとも、私が任官した昭和47(1972)年当時、裏金作りはなされていました。 どういうかたちでやるのかと言いますと、まず、架空の情報提供者を3、4人でっち上げるんです。例えばAという情報提供者を作ります。架空ですから実名ではありません。住所についても、もちろん実際にはそこにはいません。そして、その架空の人間に対して、原則5万円を謝礼として支払うんです。 例えば、ある右翼団体がいつ街宣するという情報をもらったという名目をでっち上げて5万円渡すことにする。そして、本来はその人から領収書をもらわなければいけないわけですが、架空の人物ですからもらえません。領収書は、その架空の人物の名義で検察事務官が作成します。そうやって5万円の現金を浮かせるんです。 中小の地検であれば調査活動費の年間予算は400万円です。大阪地検であれば年間2000万円、東京地検では年間3000万円です。そして、中小の地検で考えてみますと、1件5万円とすると年間80通の領収書を作らなければならないんです。それは事務官が全部作るんです。 領収書だけではありません。Aという架空の人物に支出するという「伺(うかが)い書」、「この人に支出してもいいですか」という書類があるんですが、それも作らなければなりません。一生懸命80通作るんです、事務官は。だから事務官から「検事正が使う金のために何でこんなことをしなければならないのか」と文句が出るんです。 そして、そういう風にして金が浮きます。浮いた金はどこに保管するのかと言いますと、それは事務局長の部屋です。これは個室なんですけれど、そこの金庫に保管します。常時30〜40万円くらい保管しています。足りなくなったらまた架空の伺い書・領収書を作って金を浮かします。それでまた保管する。 そうやって浮かした裏金を一体何に使うかと言いますと、一つは接待です。最高検、高検、法務省などから高官が来た時の接待費です。そして、検事正自らのゴルフ代。それはここから全部出ます。マージャンをする人はマージャン代がここから全部出ます。ある検事正がマージャンで10万円使ったとします。その時、帳簿(裏帳簿)はどうなるのかと言うと「10万円検事正渡し」となります。検事正に渡すから領収書は取らないんです。 これは、検事正しか使えない一身専属的な(その人のみに属している)金なんです。次席など他の人間は使えません。私は通算6年間次席をやりましたが、次席は使えませんでした。次席は職員が亡くなったり結婚したりする場合は、自費でお金を包みます。検事正はその裏金から包みます。部下を連れて飲みに行く場合でも、次席は自費で出しますが、検事正は裏金から出ます。なので、検事正は給料以外に約30万円くらいの副収入があるんです。昼も晩もそれで払うから自分のお金はいりません。 だから、はっきり言ってしまうと調査活動費というのは、検事正が自由に使えるお金なんです。高検であれば、検事長の一身専属。高検でも次席は使えません。最高検では検事総長の一身専属。法務省であれば事務次官、官房長、刑事局長が使えるんです。これは一身専属です。 そういうかたちで、1円も「表の金」として使われていないんです。平成10(1998)年当時の調査活動費の年間予算は約6億円ありました。全部裏に回っている。そういうウソの領収書を作って金を浮かし、全部裏金として保管し、それが接待費用や自らの遊興(ゆうきょう)費用等に使われている。これが裏金問題なんです。北海道警察の裏金問題も新聞等で報道されていますけれども、大体似通っています。警察は「捜査費」ですね。 そして、この裏金問題というのは、検察庁内部におれば公然の事実なんです。裏金のウソの領収書を作るのは公安事務官か総務課なんです。そこを経験した人なら全部知っています。そして、検事正・次席検事経験者、事務局長経験者は全て知っております。これが、検察の裏金問題です。 そして、私が内部告発をしようとした動機と言いますのは、最初は人事上の私憤(しふん:個人的な事柄でのいきどおり)なんです。しかし、ある時期を境にして義憤(ぎふん:道義にはずれたこと、不公正なことに対するいきどおり)に変わります。まず、その経過をお話します。 平成12(2000)年の6月頃でありましたが、高松市で四国タイムズという新聞を発行している川上道太社長という人がいるんです。その人に裏金問題を話したんです。彼は義憤にかられる人間なんです。そしたら、川上氏は「三井さん、あなたは裏で私を指示して下さい。私は表で動きます」と言ってくれました。そこから始まったんです。そして、最初は平成12年の9月頃、朝日新聞の論説委員の村山さんのところに持ち込んだんです。東京のホテルで会いました。 少し話がそれますが、村山さんというのは、いわゆる則定(のりさだ)問題(元東京高検検事長・則定衛氏の愛人疑惑)を報道した人です。この問題は最初、月刊誌「噂の真相」の西岡研介氏が情報収集して、「噂の真相」に載せたんです。 「噂の真相」だけであれば、則定衛という当時の東京高検検事長は辞めることはなかった。その後、朝日新聞がトップで報道しました。しかし、則定氏は3日で辞めました。なぜ辞めたかと言いますと、当時、法務委員会に(則定氏が)出て追及されました。そして銀座のバーで飲んでいることが分かった。飲んだ金は裏金から出てるんです。だから辞めたんです。 女性問題だけであれば、検察も助かるんです。法務委員会で追及されて裏金問題にまで発展したら大変です。つまり、則定問題というのは打算の産物なんです。女性問題だけで終わることによって、彼も助かりました。懲戒免職にならなかったんです。一方の検察も助かったんです。裏金問題にまで発展しなかったからです。このとき、内部では「これは行くかも知れない」「裏金がやられるかも知れない」というような雰囲気だったんです。それで3日で辞めた。 このように、裏金問題の最初の危機は則定問題だったんです。3日で辞めることによって、裏金問題まで発展せずに済んだんです。この則定問題のときは、まだ私は別に裏金問題をやろうとは考えていませんでした。 話を戻します。まず、その朝日新聞の村山さんと会いましたけれども、彼は「則定問題をやったばかりだから、同じ検察のことはできません」という返事だった。そして、今度はこの話を週刊新潮に持っていったんです。週刊新潮は編集会議を開いて、「やる」という決断を示した。それを土壇場(どたんば)で社長が反対した。それで週刊新潮もだめになった。 その次に「噂の真相」に行ったんです。今話した西岡研介です。西岡研介が平成13(2001)年の1月号で報道しました。もちろん、匿名の取材というかたちです。この時も、検察当局は大分動揺したんです。しかし、「噂の真相」しか報道しなかった。後追い報道がなかった。特に大手新聞社のそれがなかったんです。 そして、これではいけないということで、平成13年の3月末に四国タイムズの川上氏が、当時の大阪地検検事正である加納駿亮(かのう・しゅんすけ)氏を刑事告発しました。「公文書偽造、同行使、詐欺、私文書偽造」という罪名です。高知地検検事正時代の400万円と、神戸地検検事正時代の1000万円、合計1400万円の犯罪ということで、検事総長宛に告発しました。 すると検察当局は、なぜ四国タイムズはこんな告発をするのか、告発する意図を必死で探しました。昔のものから四国タイムズを全部読んだらしいです。これは公安調査庁の方からの情報です。川上という男は北朝鮮問題に強いんです。公安調査庁の情報提供者なんです。検察にはいませんが、公安調査庁には実際の情報提供者がおるんです。 検察は必死で調べました。そうする内に、私が高松地検次席検事当時、川上氏からいろいろな情報をもらって、独自捜査したということが分かった。私が浮かび上がってきたのです。私が後ろで川上氏を操っているんだということが分かったんです。それがその年の5月頃です。 そして、6月の上旬、北新地の料亭に元大阪高検検事長の逢坂(貞夫)から私は呼び出されました。「三井君、ちょっと飯でも食べよう」と言われました。私は行きました。そしたら彼は、「今日も松尾事務次官から、三井君のことを心配して電話が何回もかかってきた」と言うんです。裏金問題のことは言いません。裏金の「う」の字も言いません。それでも分かります。そして、1時間くらいご飯を食べて、酒を飲んで、彼が「わしのところ(弁護士事務所)に弁護士として来ないか?」と言ったんです。私はそこで断ったんです、「行きません」と。 そしたら、彼は何て言ったと思います? 「モリカズのようになるぞ」と言ったんです。「モリカズ」というのは手形詐欺事件で東京地検特捜部に逮捕されたヤメ検(検事を辞めたあとで弁護士になる人のこと)の田中森一氏のことです。これは脅かしです。 話は戻りますが、3月末にそういうかたちで刑事告発しました。そして、その3月末頃の情報では、当時大阪地検の検事正だった加納駿亮氏が高松高検検事長になるということが事実上内定していたんです。検事長人事というのは内閣の承認がいります。法務当局はどうしたのかと言いますと、当時は高村法務大臣ですが、高村法務大臣にはこの告発の事実を隠していたんです。隠したまま、「加納氏を高松高検検事長に」という上申を高村法務大臣にしたんです。 そして、4月23日がその内示予定だったんです。その直前に川上氏が高村法務大臣の秘書官に告発状を全部持って、会いに行ったんです。そこで初めて、この事実が高村法務大臣の知れるところとなった。そのために、加納氏の人事は先送りです。 この時期、4月28日の政変で森総理から小泉総理に代わりました。法務大臣は森山真弓に代わりました。それでもまだこの人事をあきらめきれずに、法務当局は交渉した。しかし、連休明けの5月7日、結論は先送りになったんです。加納氏の1期下の宗像(むなかた)氏が高松高検検事長になった。これが5月の人事です。ここまではいいんです。 2010.01.20日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評647 | れんだいこ | 2010/01/20 | |
【三井環・元大阪高検公安部長の検察内部告発その4】 三井氏の「検察上層部と小泉首相の裏取引」に言及した部分を抜き書きする。これはメガトン級の内部告発である。れんだいこには、裏金告発より、こちらの小泉政権との蜜月ぶり、野合、談合、裏取引ぶり証言の方が興味深い。 これが真実なら、国会は直ちに小泉元首相と原田明夫検事総長、事務次官の松尾邦弘、刑事局長の古田佑紀を証人喚問して徹底的に締めあげねばならない。日共はん、宜しく頼んまっせ。なんでこっちの方は見て見ぬ振りするんかいなぁ。それにしても管直人も鳥越俊太郎も野中もあかんたれやなぁ。 (以下、転載) 次に、その年の11月15日に福岡高検検事長が定年で辞めることになったんです。この時も、やはり森山法務大臣です。今度は、法務省は福岡高検検事長に加納氏を上申したんです。しかし、(大臣は)なかなか難色を示して、どうにもならなかったんです。そこでどうしたのかと言いますと、検察・法務当局は困ったんでしょう。いわゆる「けもの道」を通ったんです。 「けもの道」というのは私が付けた名前ですけれども、当時の原田明夫検事総長、事務次官の松尾邦弘、刑事局長の古田佑紀、古田は後藤田正晴氏が法務大臣だったときの秘書官だった人間です。その3人がそろって、10月26日だったと思いますが、東京・麹町の後藤田事務所を尋ねました。そこには後藤田元法務大臣と秘書官がいました。 それで、彼らは「加納の検事長人事を内閣で承認してくれないと検察が潰れます」と泣きを入れたんです。潰れるというのは、検察の裏金問題が表ざたになるという意味だと思います。当時は、週刊文春とか週刊朝日がすでに裏金問題を報じていました。そして、(後藤田氏は)小泉の秘書官の飯島に電話連絡しました。そして、その日の会談はそれで終わって、翌日、小泉に原田検事総長が直談判をした。そこで事実上、加納の検事長人事が承認されました。正式な閣議は11月13日なんです。そこで正式に承認されました。 こんなことをしたらどうなりますか。「検察が内閣に借りを作る」という一番やってはならないことをやったんです。内閣の助けを求めた。こんなことをしてしまったら、内閣を構成している大臣クラスを事件にはできません。ここまでやるんです。 「国策捜査」は昔からありましたが、私は、ここが最近の国策捜査の原点だと思っています。例えば、内閣の誰かを逮捕できるような事件があったとします。そしたら、小泉が「裏金どうするの?」と言う、それだけでいいんです。事件にできません。できるはずがないんです。後藤田さんはもう亡くなりましたけれども、この事実は彼の秘書から聞いた話なんです。 本来、検察というところは真実を明らかにするところなんです。加納の事件は、この直後に「嫌疑なし」になりました。「真っクロ」なのを「真っシロ」にしてしまったのです。内閣にとってみたら、加納の刑事告発が残ったままでは承認できません。それでは内閣の責任になります。「真っシロ」なんだという判断が下っていれば、内閣の責任ではないんです。刑事告発事件で「真っクロ」であるものを「真っシロ」にしてしまった、これは検察の原点の崩壊です。これが1点。 もう1点は、最もしてはいけないことをしてしまった。内閣を利用してしまった。 その2点なんです、私が義憤を感じたのは。それから先は義憤だけです。加納のことは頭にありませんでした。そして、この問題を追及するために私が協力を求めたところは、やはりマスコミと政治家です。それからは、マスコミにずっと会ってきました。政治家では、民主党の管直人。彼には大阪の財界人を通して3回ほど会ってもらって「了解」を得ました。「了解」というのは法務委員会でこの問題を追及するということです。 新聞では朝日新聞東京本社の落合博実さん。最終的には4月18日に心斎橋の日航ホテルで会って最終了解を得た。その内容は、5月の連休明けに朝日新聞東京本社が裏金問題を1面トップで報道する。 社会面では、私が実名のまま1問1答形式で答える。そういう方法です。そして、NHKとか他の新聞社は、「朝日が書くのなら後追いします」ということを言った。 そして、管直人氏の方は朝日新聞の記事を持って法務委員会で追及する。そして、その過程で私を参考人招致して、私が証言する。そして、私が国会で記者会見して、検事のバッチを外して辞める。そういう段取りが全部できあがっていたんです。それが4月18日です。 そして、4月22日に何があったのかと言いますと、その日の昼から「ザ・スクープ」の鳥越俊太郎さんが大阪に来て、裏金問題についての取材・収録の予定だったんです。あとは、4月24日に大阪の毎日テレビの取材・収録の予定がありました。 4月22日。昼に「ザ・スクープ」の取材・収録をするその日の朝、私は8時半頃任意同行をされて、何の弁解も聞いてもらえずに逮捕された。これが第1次逮捕なんです。これがもし、私を逮捕していなかったらどうなっていたと思いますか? その予定通り進みますと、朝日新聞東京本社が報道する、管直人氏が法務委員会で追及する、私が証人として出廷し証言してバッチを外す。これは、外務省の機密費どころの話じゃないんです。 まず、当時の現職検事70名が辞めなければいけない。検事総長ももちろん、森山法務大臣も辞めなければならない。それだけではありません。引退したOB連中、何人生きているか知りませんけれども、1000人くらいはいるでしょう。その人たちもみんな勲章を剥奪(はくだつ)されます。使った金を返さなければいけません。当然、国民から刑事告発を受けます。そうなれば、一時検察機能が麻ひします。 私を逮捕しなかったらそうなっていたんです。だから相手も必死だったんです。その辺のことを考えてもらえば分かると思います。検察の置かれた立場、検察の組織的な裏金作り、これは事実です。それを隠蔽(いんぺい)するということです。仮に、私がもう少し早く公表しておればこの逮捕はなかったんです。逮捕できません。 5月の連休を挟むと報道が途切れるから公表を連休明けにしたんです。それをもっと前にすれば、私の逮捕はなかった。 裏金というのは、国民の血税なんです。にもかかわらず、こんなことまでするんです、検察は。確かに、検察はちゃんとしたこともやってきました。国会議員を逮捕したりして、ある程度は国民の期待に応えてきました。しかし、自らが犯罪者になるとこんなことまでやるんです。これが許せますか? 最近の国策捜査の原点はその「けもの道」なんです。10月の末に裏金問題で内閣を利用したことです。それから何がありましたか。鈴木宗男の逮捕がありました。昔は、贈賄者が時効になった事件では逮捕しなかったんです。時効になればいくらでも自由に話ができるじゃないですか。しかし、鈴木宗男の事件では、本来目的としていた事件では逮捕できずに、昔の事件についてのみで逮捕起訴した。捜査の失敗です。 それから、社民党の辻元議員の問題もありました。あれは衆議院総選挙前にやられたんです。その2年くらい前に彼女の議員秘書の問題は発覚していたんです。全部、弁償しました。なのにそれを総選挙前にやられて、社民党はどうなったと思いますか。事実上崩壊したじゃないですか。これが、内閣指導による国策捜査なんです。 最近は、ホリエモン(堀江貴文・前ライブドア社長)とか、経済犯罪の方に特捜部は向かっておりますけれど、そうやっている限りは10月末のその問題、「けもの道」は問題になりません。私の予測では、小泉が辞めても自民党内閣が続く限りは自民党の大臣クラスは事件にできないでしょう。「けもの道」が平成13年の10月の末でしょう。そこから現在までの5年間で東京地検特捜部がやった事件を見てもらったら分かります。誰もやっていません。できないのです。 先ほどのお話にありました「日歯連事件」、あれは橋本(龍太郎・元首相)と青木(幹夫・自民党参議院議員会長)と野中(広務・元内閣官房長官)、村岡(兼造・元内閣官房長官)の事件ですね。あれを私はどう考えているのかと言いますと、野中は、私が逮捕される前の平成14(2002)年の3月の末頃、京都府知事選挙の応援に来たことがあったんです。 そのときに、京都の事務所の秘書から私に連絡がありまして「(野中氏が)会いたいと言っている」と言われました。そして、京都駅前の都ホテルに当時彼の事務所があったんですけれど、そこに行ったらすぐに案内してくれました。彼が事務所に一人でおりました。それで、裏金問題を1時間ぐらい話しました。 私は、彼がそれを利用したんじゃないかと思っています。野中は全部知っています、裏金問題は。日歯連事件で野中もやられなかった、橋本も青木も。それを利用して取引したんじゃないかというのが私の考えなんです。あんなつまらない捜査はないです。村岡は起訴されて無罪になりました。あの捜査は誰が考えてもおかしい。 そして、問題は裁判所なんです。最近の裁判所というのは、逮捕状でも勾留状でも自動販売機≠ネんです。チェックしないんです。そして、裁判そのものが最近おかしいです。 昔「大津事件」(1891年)というのがありました。ロシアの皇太子(ニコライ)が巡視に来た時に、津田三蔵という巡査がサーベルで切りつけてけがを負わしたという事件があったんです。当時は、日本の皇族に対してけがを負わせたり殺したりすると死刑になったんです。法文上は、ロシアの皇太子は日本の皇族ではないから死刑にできなかったんです。いわゆる罪刑法定主義というものがあるでしょう。 しかし、当時のロシアは日本にとって大国です。日本は開国したばかりの弱小国です。その大国の皇太子にけがを負わせた。そしてその上、その犯人に対する処罰が軽かったらロシアは日本を攻撃(戦争)するかも知れません。それだけでなく他の国からも野蛮な国だと思われてしまう。そう日本政府は考えたのです。 ときの政府も、法務大臣も、裁判を担当する裁判官に働きかけました、「津田を死刑にしろ」と。しかし、当時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙(こじま・いけん:写真左上)がその政府側の要求を突っぱねて、日本の司法の独立・法治国家を守ったと言われる事件なんです。死刑にしていれば、罪刑法定主義の崩壊だったんです。 しかし、この事件にもいろいろ問題があるんです。児島惟謙が他の裁判官に「死刑にしてはだめだ」と働きかけたのです。本来、裁判官というのは独立性を保ち、自分で判断しなければならないのです。大津事件は日本とロシアの問題だった。私の場合は、検察組織と私個人の問題なんです。この大津事件に対比してもらえれば、ある程度私の事件の構図が分かってもらえるんじゃないかと思うんです。 検察組織というのは非常に重要です。これはなくなったらいけません。検察組織が国民からそっぽを向かれて崩壊してはだめです。検察組織はどうしても守らなければならないと思います。それを裁判所は考えるんです。口封じ逮捕、裏金も認めるべきなんです。裁判官は独立性を守って良心に従ってやってもらいたい。そうすれば私の事件は結論(無罪)が出るんです。しかし、それがなかなかできないんです。彼らも人間だから出世があります。だからできない。そこが大きな問題です。 2010.01.20日 れんだいこ拝 |
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ここで登場する古田佑紀(ふるたゆうき)法務省元刑事局長は裁判官経験を経ずに最高裁判事になった人物である。「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK77 」の Takeru氏の2010.1.17日付け投稿「三井環「裏金」講演-国策捜査の原点は検察・法務省・内閣のズブズブの関係を作り出した検察の「けもの道」にある」氏は次のように指摘している。(http://www.asyura2.com/10/senkyo77/msg/800.htm)
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Re::れんだいこのカンテラ時評648 | れんだいこ | 2010/01/20 |
【三井環・元大阪高検公安部長の検察内部告発その5】 「千葉法務大臣に対する10/9要望書:検察のウソと暴走を新政権は追求して下さい!」を転載する。これが真っ当な人民大衆の声であり、マスコミの世論調査は作られた迎合発言のオンパレードでしかなかろう。 (以下、転載) 【 要望書 】 千葉法務大臣殿 平成21年10月9日 三井環を支援する会 TEL・FAX 078-261-//// 携帯 090-////-//// m-may@rd6.so-net.ne.jp 別添の資料1.「法務省関連組織改革案」、資料2.「仮釈放」、資料3.「けもの道」、資料4.裏金づくりの隠ぺいと今後の展望に記載のとおり、静岡刑務所が上申し関東地方更生保護委員会が6月中旬頃仮釈放との予定を面接2日前の5月11日検察がこれを覆して反故にしました。検察にはその権限は全くありませんのでこれは検察の暴走以外の何ものでもありません。「検察の暴走をチェックする」と発言されていますが是非実行されることを切に望みます。 小沢代表の公設秘書の逮捕でも選挙に影響を及ぼす時期には強制捜査をしないという検察の鉄則を破ってまで逮捕起訴したのです。検察の最大の弱味は組織的裏金づくりの犯罪を平成13年11月原田検事総長が「裏金づくりは事実無根である」と記者会見し国民に大嘘をついてあらゆる方法で隠蔽し続けていることにあります。 政権はこの最大の弱みを利用しない手はないでしょう。「けもの道」において詳述しているとおりです。不偏不党の検察の伝統さえかなぐり捨てたのです。何故かような事態になったのでしょうか。それは国会議員、マスコミが裏金づくりの犯罪を知りつつ検察を恐れて黙認し続けた結果なのです。検察は何をやっても大丈夫とたかをくくっているのです。 犯罪を隠蔽しようとするのは何も検察だけではありませんが、表では犯罪を検挙しその裏では犯罪を自ら犯して血税を流用する、口封じ逮捕する、仮釈放にさえ横槍を入れる、こんな不正義が許されるでしょうか。巨額の犯罪を免れた検察幹部はのうのうと闊歩しているのです。 他方、三井はあのような事件で325日間勾留され、さらに受刑中でさえ報復されているのです。現検事総長の樋渡利秋氏は刑事局長当時、「裏金づくりは業務上横領、詐欺、私文書偽造罪などが成立する」と参院予算委員会(2004年3月19日)において犯罪であると明確に答弁しています。 又三井裁判の控訴審でもそのことは認定されています。法治国家であるなら判決に従うべきではありませんか。国民に謝罪して使った金(年間6億・10年で60億)を国に返還すべきではありませんか。従前の政権はこれを黙認しましたが、無駄使いをマニフェストとする現政権においてはまず犯罪を一掃すべきではありませんか。それは全く必要もない裏金づくりの原資となる調査活動費予算の全廃なのです。是非強い姿勢で臨まれることを期待しています。 また仮釈放については余りにも不正義ですので善処方をお願いする次第です 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ※戸田の責任において、読みやすいように原文の改行を行なった。また「三井環を支援する会」のTEL・FAXや携帯電話の番号は取りあえず伏せ字にしてメールアドレスのみ表示した。三井さん支援の立場から連絡を取りたい人は、そこへメールして連絡を取って下さい。 2010.01.20日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評649 | れんだいこ | 2010/01/20 |
【三井環・元大阪高検公安部長の検察内部告発その6】
「1/18(月)朝、戸田と元連赤の植垣さんと一緒に静刑前で三井さんの出所を出迎えます!」を転載する。検察総体なかんずく東京地検特捜部をコントロールする国際金融資本大国主義ネオシオニズム奥の院の「小沢撲滅指令」を語らない点で物足りないが、法の正義を錦の御旗とする検察の不正義を告発している点で大いなる意味があろう。 (以下、転載) 検察の異様なまでの小沢攻撃の昨今ですが、裏金問題告発を決意したためにデッチ上げ逮捕→投獄されていた元公安検事の三井環(たまき)氏が時あたかも1/18(月)の朝8時頃に刑期満了で静岡刑務所から出所します。 連帯労組は反弾圧の立場で三井氏と交流してきましたが、出所にあたって関西地区生コン支部武委員長の名代として戸田が激励出迎えに行くことになりました。前日夜から静岡入りしてスナックバロンで元連合赤軍兵士で電脳キツネ目組仲間の植垣康博さんと久々に懇談し、1/18朝に一緒に三井氏出迎えに行きます。 参考:スナックバロンと植垣康博(【さらば革命的世代】) ttp://sankei.jp.msn.com/photos/affairs/crime/090207/crm0902071801015-p2.htm そのまま神戸の自宅に帰るのか、どこかで取材を受けるのか不明ですが、1/18夜のフォーラム神保町・緊急シンポ ttp://www.forum-j.com/index.html に飛び入り参加、とかなったら面白いやろね。 今の検察の暴走を止めるには三井さんを大いに活用すべしと思うが、元検事で民主党側の郷原信郎氏も検察裏金問題を認めないというあたりが弱みかな? 「現職の時は私も裏金に手を染めてました。今は反省してます」ってあっさり認めて三井氏と共闘してくれたらパワー3倍増するのにね。 参考:1/18夜のフォーラム神保町・緊急シンポ ttp://www.forum-j.com/index.html ↓↓↓ 「『新選組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」 〜1.18緊急シンポジウム開催〜 【日時】 1月18日(月)19:00〜21:00 【場所】 角川文化振興財団(角川書店本社第一ビル2階ホール) 【出席者】 魚住昭 大谷昭宏(ジャーナリスト) 岡田基志(弁護士) 木村三浩(一水会代表) 佐藤優 田原総一朗 前田裕司(弁護士) 宮崎学 青木理(ジャーナリスト) 【開催主旨】 今なぜ、緊急シンポジウムを開催するのか!? 昨年(2009年)8月の「政権交代」で、民主党中心の政権が誕生した。その鳩山首相率いる新政権の中味への評価は別として、今、最も注視すべき最大の焦点は、「司法権力」の狼狽とその後の迷走にある。 東京地検特捜部は、まず、昨年の衆院選前から、「小沢一郎」へのピンポイント攻勢 をかけ、小沢主導の政権交代を阻止すべく、その臣下的存在であるメディアを駆使しての政治介入を行った。ところがこの思惑は完全に裏目となり、逆に国民の反発を買うところとなって、結果、「政権交代」を後押しする役回りを果たすこととなった。 そして、こうだ。東京地検特捜部はこの失地を回復し、また、地検特捜部の威信を回復するためにも、どうしても小沢潰しを徹底貫徹しなくてはならなくなった。それが最近の民主党・石川知裕議員への事情聴取と起訴につながり、最後の狙いである 小沢一郎事情聴取に巡り着こうとしている。 検察の「最終戦争」が始まった・・・。一方、警察は警察で、慢性的な内部不祥事と犯罪検挙率の低下を抱え、「犯罪と戦う 警察」をアピールせんがため、「反社会勢力との戦いのためには『ありとあらゆる法 律』を駆使していく」と、意味不明の「力み(りきみ)」を示している。 今回のシンポジウム開催は、いよいよ、こうした「司法官僚」の姿の是非を徹底的に 議論しなければならないタイミングが来た、と考えるからだ。フォーラム神保町および現代深層研究会に関わる論客を総動員して、大いに闊達な議論を繰り広げたい。 フォーラム神保町(世話人/作家・宮崎学) 2010.01.20日 れんだいこ拝 |
「要望書添付資料3:「けもの道」(「真っ黒」な犯罪を「真っ白」にした大罪) 」を転載しておく。
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「裏金づくりの隠ぺいと今後の展望(資料4.)」を転載しておく。
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「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK77」のTakeru氏の2010.01.18日付け投稿「検察の闇に立ち向かう不撓不屈の男 三井環元大阪高検公安部長 解放前夜のつぶやき -古川利明の同時代ウォッチング-」を転載しておく。 http://www.asyura2.com/10/senkyo77/msg/892.html 後に掲げる記事は高知地検次席検事時代に知った検察庁の裏金を、現職で告発しようとして2002年4月22日口封じ逮捕に遭い325日間の拘置生活の後理不尽な有罪判決で投獄され、2010年1月18日朝1年3ヶ月ぶりに無事に解放された三井環(みついたまき)元大阪高検公安部長を事件当初から支援してきた、フリージャーナリスト古川利明氏の三井氏解放前夜のつぶやきである。三井氏に関する部分のみ転載させて頂く。 解放に先立つこと三井氏は獄中で古川氏に解放後「検察改革」を求めて戦う覚悟を語った。三井氏の裏金告発は人事上の不満からの私憤であったというが、氏の告発の動きを察知した検察の、組織防衛のための卑劣な手口に遭いやがて義憤に変わっていったという。その義憤は逮捕後も衰えるどころか収監中を通じ検察・法務省改革という信念にまで高まっていったようにさえ見える。 また刑務所に人を投げ込む側であった三井氏は、初めて入った刑務所の体験を通じて知ったその非人間的な軍隊式規律が憎しみを植え付けること、出所後の就職もままならないことなどが、1年以内の再犯率80%という受刑者の更正を阻んできた大きな要因との思いに至る。そうして三井氏の心には検察への義憤のみならず受刑者の環境改善の必要性にも問題意識が広がっていった。このような背景の中、三井氏は解放を目前にした獄中で(解放後は)「右も左もない徹底的に検察改革一本でやる」と言い切った。 古川氏は三井氏の1月18日の静岡刑務所の三井氏の出所を出迎えに行ったようだ。事件以来陰日向に寄り添ってきたであろう三井氏の心と覚悟を知り尽くした古川氏の心に、解放の日を目前にして執筆しながらどういう思いが渡来しただろう。古川氏のシャイな文章の行間には粗野ながらも三井氏に対する暖かい眼差しと、古川氏の権力の横暴に対する抑えた怒りが会間見えるような気がする。 ひとつ間違えば暗黒社会となる「検察の闇」に立ち向かうとしている三井氏を、国民政治の土台である安心な暮らしを求める私たち市民は支えなければならい。 不撓不屈の男、三井環元大阪高検公安部長、ジャーナリスト古川利明氏、前門真市会議員戸田ひさよし氏など支援者の下変革のうねりが広がってゆく。 右も左もない。 ****************************************** 部分転載開始 古川利明の同時代ウォッチング 『三井環(元大阪高検公安部長)氏の「口封じ逮捕事件」に対する上告棄却決定を弾劾する(承前)』 ●1月14日 #ほいで、明後日(=1・18)の朝、未決勾留を差し引いた「1年3ヶ月」の刑期を務めて上げて、三井環のオッサンが、静岡のムショを満期出所するのに合わせて、この前、面会したときに約束しておいた、ワシの『日本の裏金(下) 検察・警察編』(第三書館、424頁、1600円+税)を、オッサンんところに郵送した。っていうのは、オッサンが、静岡のムショで仲良くなった受刑者と、いろいろと気脈が通じるところがあって、このワシの本のことを言ったら、「ぜひ、読みたい」ってことになったんだそうだ。で、オッサンが、「古川というのに連絡を取って、本を送れと言えば、送るだろう」ってことで、その受刑者が、ワシんところに手紙を書こうとしたんだが、お互い、全く面識がないのに、その受刑者は、ワシんところに手紙を出すにあたって、ワシのことを「知人」と、まあ、「虚偽申告」を看守にしてしもうたんだな。それは、ムショ内では、「ぺナルティー」の対象になるってことで、いろいろとひと悶着あったんだそうだ。 ●1月17日 #で、「下」の、永田町の大リケン・フィクサー、「白川司郎」の続きだが、この白川の実の兄貴が、東大卒で、あのカメイモンの同期だったっていうんだよな(笑)。その繋がりから、白川は、カメイモンのセンキョとかも、いろいろとサポートしておって、例の「許永中&モリカズ」がタッチした石橋産業ジケンでも、この白川の名前が、カメイモンとコラボで、出てくるんだなあ。この水谷功が、脱税ジケンだったかなあ、チケンに摘発されたのは、2006年だったよな、そのとき、水谷は、いろいろとチケンには喋っておるんだが、どうも、小沢んことばっか喋って、このカメイモンとの蜜月については、何も喋らんかったってんだよなあ。 部分転載終わり |
(私論.私見)