都知事 |
(最新見直し2007.4.9日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
一事万事であるが、都知事選の歴史も資料化されていない。れんだいこがこの際、分かる範囲で網羅しておく。こうしておくと次に使えるからね。 2007.4.9日 れんだいこ拝 |
【2007(平成19)都知事選】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007.04.8日、都知事選が行われ、現職の石原氏(74)が圧勝し三期目に入った。注目されていた対抗馬の浅野氏は伸び悩み、吉田氏は善戦した。野党陣営の足並みの乱れに対し、与党の自公は選対本部長に元内閣安全保障室長・佐々淳行(76)氏を据え、難なく勝利した。
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【原仙作・氏の指摘】 |
「阿修羅議論版25」に、有島実篤 の2007.5.3日付け投稿「都知事選に勝機はあった『さざ波通信』2007/4/13 原仙作」が為されている。出所は、「さざなみ通信現状分析と対抗戦略討論欄」の原仙作・氏の2007.4.13日付け投稿「都知事選に勝機はあった」である。 |
Re:<たしかな野党?>法華経vs倫理真光のハルマゲドンを傍観する共産党<第5列?> | れんだいこ | 2007/04/14 |
こげぱんさんちわぁ。宮顕-不破-志位と続いている日共党中央の変態性は既に腐臭段階にあるようです。云うこと為すことが辻褄が合っておらず、それを解きほぐす能も無い。選挙専一運動にして力をためた初期の頃はそれなりに成果を生みましたが、今やその選挙で後退しつつあります。空白区ゼロ運動も失敗し、空白区が増大しつつあります。捲土重来も、民主連合政府の呼びかけ同様、そうたびたびは叫べまい。 この先どうなるのか分かりませんが、悪あがきするのは確かでせう。党内には、引責辞任させる力は無い。よって、いつでもどこでも、ここ一番の時には反動的立ち回りします。困ったものです。護憲を熱心に云っておりますが、つい先ごろ党内憲法の規約を改悪した連中がそれを云う資格があるのでせうか。自民党に手本見せたばかりではないですか。れんだいこは、まったく信用しておりません。早く別の主体を創りだすべきです。真性の左派運動の手本を示さないといけない、人民大衆はそれを望んでいると思っております。そう共認する多くの仲間を生み出したいと考えております。 60年安保世代は、このままでは死に切れない。一体、我々は何をやってきたんだと反省至極との弁を発しております。本当にそう思います。日本政治は何か全体、大きな力に手玉に取られている気がします。歴史も思想も運動も再検証し直さねばならない、一刻も早く別の闘う主体を創りださないといけないように思います。 > (この程度の2者択一を強いられる限り、わずかながらましな候補だろう、という限りにおいて)新人売国ウヨ候補不支持はまあ常識的な選択として評価できるとしても、地方都市で自公民相乗り候補を陰ながら支持できるなら、共産党は都知事選や小選挙区など定数1の選挙でなぜ野党候補を支持できないのか。野党共闘が実現していれば勝てたであろう選挙も多々あり、自公政権もここまで勝手な国会運営はできなかったであろう。共産党はこれでは確かな野党なのか第5列なのかわかりゃしない、というのが外野の正直な感想である。 そういうことですね。先日、れんだいこの囲碁仲間で、共産党支持の人に言ってやりました。共産党支持は昔風のイメージではそれは正しい。しかし、現下の共産党指導部は、戦前と戦後直後の徳球-伊藤律系時代のそれとは別物で、名前を借りているだけのインチキ連中ですよ。だから、弱者の味方の唯一の党なんていうコマーシャルに乗せられたらいけませんよ。だいたい連中の経歴はかくかくしかじか。結論として、少なくともクールに是々非々でお付き合いした方が賢明ですね云々。話の道中で、合点気配になりましたよ。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評281 | れんだいこ | 2007/04/11 |
【れんだいこの都知事選総括】 2007.4.8日の一斉地方選前半戦のハイライトであった都知事の総括をしておく。やはりこれをしない訳にはいかない。役に立ちそうなコメントを心がけることにする。 現職石原に元宮城県知事の浅野が立ち向かい、日共系の吉田が足を引っ張るという構図で始まったが、結果は、石原が281.1万票(得票率51.1%)、浅野が169.3万票(得票率30.8%)、吉田が62.9万票(得票率11.4%)という結果になった。その他は略す。れんだいこの予見は外れ、石原が前回に続いてほぼ300万票圏の得票能力を実証した。 この結果に対し、日共は、例によって破廉恥なというべきか木で鼻をくくっているというべきか、4.10日付け赤旗「教訓を生かし、後半戦での前進のために力をつくそう」で次のような見解を披瀝している。 「当選には及ばなかったものの、東京都知事選をはじめ、多くの選挙で前回票を大幅に伸ばし、善戦・健闘しました」。 「地方政治の政党対決の構図が、自民、公明、民主など「オール与党」と日本共産党との対決にあることを鮮明にしてたたかったことも、住民の利益をまもる唯一の野党としての日本共産党の値打ちを浮き彫りにするものでした」。 「わが党が展開した論戦は、東京都知事選などに象徴されるように、当選した石原候補も反省や福祉を口にせざるをえなくなるなど、選挙戦の全体をリードする大きな力を発揮しました」。 驚くことに都知事選についての言及はこれだけである。科学的分析と云うものはこういうものらしい。誰が見ても聞いても、石原を大差で勝利させたことに対する歴史的責任を党として微塵も引き受けようとしていないことが判明する。こうなると、戦前の共産党の政治責任論に言及した政治学者・丸山真男の歴史責任論に対し、宮顕-不破党中央が罵詈雑言した史実と重ねあわさない訳には行かない。もはや、どちらが真っ当な論であるかは明らかであろう。こたびの、「共産党の推す吉田候補は大幅に得票を伸ばした」なる得手勝手な総括がどうして許されようか。しかし、この「確かな野党論」なる珍論詭弁が通用しているのだからお手上げだ。 れんだいこが若かりし頃、たまたまというべきか東京都政は、社共擁立によるいわゆる革新系の美濃部知事であった。美濃部都政の評価は話の筋がぶれるので触れないとして、ここで想起すべきは、かってひとたびは京都、大坂、東京と革新系知事が誕生していたということである。それも社共共闘と云うれっきとした連立であった。それが崩壊した要因も話がぶれるので述べないが、あの頃は連立が許されて、今は「確かな野党」で行く正義は奈辺にありや。誰か陳述してみよ。ついでに、民主連合政府構想はどうなったのか、聞かせてくれ。政治責任云うのなら、5000円の水パック云々責めまわるよりこっちの方がよほど本当の政治責任ではないのか。 これを偶然とみなすのは大方の評であるが、れんだいこは現下党中央の仮面左派性より生じていると見立てている。ここが皆の識見と違うところである。連中は、平素はそれなりのことを述べることもままあるが、いざ肝心な時にはなりふり構わず正体を表わす。こう見立てないと政治現象が解けない。彼らの政治闘争を通史で見れば、戦後保守の二大抗争軸であるタカ派糸とハト派系の抗争に対し、一貫してタカ派糸の裏支援につながるハト派叩きに狂奔している様が見えてくる。歴代の政治家糾弾史を検証すれば、そういうことが透けて見えてくる。誰も問題にしていないが解せないことである。こたびは、中曽根-石原-小泉と云うネオ・シオニズム配下の御三家の一人の石原の苦境であったから露骨に助っ人役を演じたということになる。 事実、日共は、石原都政に対して、なんでも反対はダメで過去のやり方と云う論法で是々非々路線を説いていたことがある。ハト派に対しては金輪際無いのに、よりによって軍事パラノイアにして政治の私物化意に介せずのチャンピオン石原に対してである。これは偶然なのだろうか。多くの者はそう読むだろうが、れんだいこは、現下党中央の異邦人的変態性のしからしめる必然と読む。とんでも党中央だという共認をしたい。 その石原は、新宿歌舞伎町を引き合いに出して中国マフィアに言及することが多いが、六本木のユダヤマフィアに対してはダンマリだからお笑いである。ノーと云える日本とは云うが、現代世界を牛耳る国際金融資本に対してノーと云える日本とは云わないからお笑いである。 ところで、思い返せば、こたびの都知事選に於いて、日共は、あからさまに浅野叩きを引き受けた。浅野は当初、メディアの注目を上手くひきつけながら出馬声明に漕ぎ着けた。この上げ潮に水を差したのが、日共の浅野批判であった。2007.3.6日、浅野が東京都庁内で都知事選へ正式に出馬表明するや否や、日共は早速に「“石原都政の基本継承”都知事選 浅野氏が出馬表明l」を発表し、以下続々延々と浅野批判を開始した。 この対抗馬浅野叩きが本命石原を浮上させる作用をもたらし、石原圧勝の構図を引き寄せたのではなかろうか。もとより、それに乗ぜられたまま有効に反撃できなかった浅野陣営にも責任があろう。立会演説会のやり取りでもパッとしなかったことでも裏付けられる。しかし、誰が見ても聞いても、ろくすっぽ都庁に出てこないネオ・シオニストご用達貴族にして軍事パラノイアの石原と浅野を同格に批判するのはやり過ぎというものだろう。志位は、こまごまとした資料で宮城県知事時代の実績をこきおろしていたが、あの資料が今流行のアルアル捏造に近いものだったとしたらどうなるか。ただでは済むまい。 その日共は、吉田の善戦総括で頬かむりしようとしている。赤旗コメントを読めば、お役目御免とばかりに、このまま逃げ切りしたがっていることが分かる。れんだいこは、この党中央の常習性癖とみなしているので改めて追撃する気もないが、教訓だけは再確認せねばならない。かっての社共がこれだけへこんでいる以上、もはや批判する時代は逆に終わったのではなかろうか。もはや相手にせず、むしろチャンスとして我々が主体的に左派共同戦線を構築し、統一候補を押し立てなければならない。無所属ではなく、れっきとした党派を母体にさせ、各派が相乗りせねばならない。 仮に民主党-国民新党系を支援するのであれば、公明党が自民党を支援しているように当選の決め手となる基礎票を生み出さねばならない。そうやって左支えすれば良いではないか。単純な話ではないか。最低限の条件は護憲であり、少なくとも拙速を許さない論憲であろう。外治より内治優先政治であろう。はげたかファンドの優良企業乗っ取りを放任せず、万事にフェアトレードの確立であろう。これ以上設けるときりが無いので、タイムリー的にはこの三政策あれば良かろう。 こたびの都知事選の総括は凡そ以上のようなことをを指針させていると愚考する。いかんせん、左派グループの共同戦線化の試みが遅れ過ぎている。各派から立候補者を出せば、各派とも貸し借りお相子になるのだから難しく考える必要は無い。マニュフェストも走りながら考え、次第にすり合わせしていき整序していけば良いのではないのか。分裂能力が飛びぬけて高く結合能力がからきし弱い日本左派運動ではあるが、さすがに最近になってこういう観点からの試みが生まれつつあるようにも聞く。6.15日には赤帽かぶってぜひ行ってみたいと思う。 2007.4.11日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評280 | れんだいこ | 2007/04/07 |
【一足早い東京都知事選予想】
これは余興で書き付けておきます。明日はいよいよ都知事選の投票日ですが結果はいかになりますやら。れんだいこは早くに浅野圧勝を予見している。理由は、東京都民が賢いからである。石原は人心から離れている。ひとたびこうなるといかんともし難い。これは歴史の法理である。 それはともかく次のケースを考えてみた。 1.石原が、浅野と吉田の合票を超えて圧勝する。 2、石原が、浅野と吉田の合票には及ばないが圧勝ないしは僅勝する。 3、浅野が、圧勝する。 4、浅野が、石原と僅差で当選する。 以上のケースが想定できる。1の場合は、石原はやはり強いということになる。2の場合は、共産党の唯我独尊戦略に白目が向けられる。3の根場合は、自民も共産ももはや何の影響力を持たないことが白日化する。4の場合は、神の僥倖に感謝する。 それにしても、日共の各地の首長選での自公に対する裏協力振りが何度演ぜられてきたのだろう。これがなかりせば、既にあちこちで民主系首長が誕生し、地方から国会を包囲することが出来ていたはずである。民主系首長が何ほどのことができるかは未知数であるが、現下自公体制によるネオ・シオニズムへの丸投げ政治の悲劇が緩和されることは疑いなかろう。それが分かっていて、日共の唯我独尊戦略が続いている。こうなると、意図的にこの戦略戦術を行使していると見ないわけにはいかない。 我々の日共問題とは、日共党中央のこの戦略戦術を催促している奥の院指令を見極めることに有る。この目線で、日共党中央の変態性を告発することにある。更に云えば、1955年以来のクーデータに対する正統派の歴史的復権を勝ち取らねばならない。党中央の変態性を最終的に確認するためにこたびの都知事選の意義があると云うべきではなかろうか。 いずれにせよ、選挙総括で、党員及び支持者はいつになく強烈に党中央批判の声と運動を組織せねばなるまい。一体何をやらされているのかを客観化させ、党中央指導に対する抗議に向かわねばなるまい。れんだいこの知る限り、地方でもブーイングが始まっている。最終的になすべき事は、野坂-宮顕-不破-志位と続いている左仮面の党中央打倒これ以外に無い。「明るい農村」的標語の似合う左派運動創出の為に。 余興で簡単に書くつもりが、結構なところまで書いてしまった。 2007.4.8日 れんだいこ拝 |
Re:ウツケ男でゴキブリ知事と言われた慎太郎 | れんだいこ | 2007/03/29 |
不動明王さんちわぁ。東京ではひさかたの熾烈な都知事選が行われているようですね。れんだいこその昔、美濃部さんの選対でビラ配りしていたことがあります。今となってはなつかしい思い出です。当時、民主連合政府構想と社共共闘革新知事の出現による世直し世の立替え運動はそれなりに魅力がありました。そう理解したことでれんだいこのボランティアが始まりました。なつかしいです。 しかし、民主連合構想も、70年代の遅くない時期までら、20世紀の遅くない時期までに、次に21世紀の早い時期へとどんどん期間があてもなく下がり始め、日共中央は現在ではダンマリしています。その代わりに出てきたのが、「正義清潔の唯一の野党論」です。党員は、次から次へと繰り出されるこういう妄言に従っているようで、れんだいこは可哀想に思うより、むしろあきれております。そういえば、革新知事つうのはトンでもな奴が多かった。何が革新だあいつが、というような人物が担がれていたですね。 それはそうと、石原慎太郎については、角栄の指摘が正確を射ていると思っております。1968(昭和43)年の総選挙で、300万票で参院全国区トップ当選で政界入りした慎太郎は、新調の議員バッジをつけ初登院し、幹事長室に乗り込み、威勢良く角栄にこうブチ上げた。「自民党の広報活動はなっていない」、「自由新報の編集はなっていない」、「自民党本部の職員は削減すべし」。 黙って聞いていた田中は、一言次のように言った。「君の話は分かった。しかし、人間は木の股から生まれてくるのではない。人には歴史がある」。 これをどう理解すべきか。れんだいこが解説するとこうなります。 石原氏のはぎれの良い物言いは結構である。しかし、「ただの正論」である。何事にも積み重ねの歴史がある。それを無視しての書生論はいくら格好良くても、眼差しに温かさがなければならない。現実は一歩一歩の歩みであり、至らないながらも至ろうとしてみんな苦労して歩んでいる。世の中のものはそのように成り立っている。これを弁えて批判するのなら良いが、君の論は格好良過ぎるだけのパフォーマンスでしかない。角栄の言は、かく云い含めているのではなかろうか。 れんだいこに云わせれば、角栄は、まさに角栄流にピシャリと慎太郎の本質を言い当てていたということになる。石原の奇論を一蹴した角栄の凄みがここにある。 慎太郎が政界入りした時、角栄-大平同盟の全盛期であった。それが彼の運の無さであった。その同盟は、ロッキード事件の脳震盪でで崩れ去るが、慎太郎はそのときまでの過程で望んでいた首相の座の時機を失した。芽を断たれた慎太郎が色気を見せたのが、都知事の座であった。これはどうにか手に入れた。どんな政治をしたかは、今目にしている通りのものです。れんだいこは、小児病的軍事パラノイア性と政治の私物化ぶりが二大特徴と見ております。 こたびの都知事選は恐らく慎太郎の敗北必至と見ております。それにしても、日共の役回りが悪質で、れんだいこはそれが連中の一貫した政治的役割だと見ております。この両者が裏でつるんでいる可能性まで考えております。 というようなことを一気に発信してみたくなりました。不動明王さん、どうぞ今後ともよろしくねぇ。 2007.3.29日 れんだいこ拝 |
Re:共産党・吉田支持者は、10%以下の少数派だということを自覚しているのでしょうか | れんだいこ | 2007/03/18 |
こげぱんさんちわぁ。有島氏の投稿、興味深く読みました。当然の疑問だと思います。こういう真っ当な声がうねりにならないといけませんね。れんだいこの見解の違いをあえて言えば、「私は共産党・吉田支持者の政策にほぼ賛成です」のところでせうか。だから、「正しいことを言っていれば良いというものではありません」のところですが、日共が正しいことを言っているとは思いません。 どこが決定的に違うかと云うと、日共の公共事業敵視政策のところです。れんだいこは、何を馬鹿なと侮蔑しております。公共事業は積極的に必要なのです。但し、適正事業、適正価格、適正工事でやらねばなりません。その昔、角栄を批判するのに、角栄が主導した公共事業を槍玉に挙げましたが、その振りがついて今でも呪文の如く唱えております。角栄の公共事業が、適正事業、適正価格、適正工事でやっていたことを知らせず、何でも批判した結果、敵視政策を打ち出すようになっております。妙なツケが残ったもんだと思います。 石原は基本的に、政治を小児病的且つ軍事パラノイアでやっているところに問題があります。日共は、その石原都政と是々非々で行くのだと述べていた時期があります。政治体質が案外近いのですね。小泉の民主集中制論など、日共のそれを引き写ししております。安部政権下で今、中川幹事長が同じようなことを言っております。自民党タカ派つうのは、民主集中制病者で、日共党中央と気質が似ている気がします。 我々は、政策だけでなく、政治手法でも争うべきです。よりまし論で言えば浅野候補がまさっており、「左支え」していくべきです。勝って、与党になり、責任政治に乗り出すべきです。論をそういう風に持っていかない輩があるとすれば、頭がイカレタ邪悪な連中です。裏でどういう風につながっているのか分かりゃしない。れんだいこはそのように考えております。 > お願いですから、正気に戻ってください。今の、共産党・吉田支持者は、ただただ、見苦しいです。 その通りです。 |
【過去の都知事選参考資料】
【2003(平成15)都知事選】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003.4月、石原都知事が得票率史上最高の308万票で大勝し二期目に入った。
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【1999(平成11)都知事選】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【1995(平成7)都知事選】 | ||||||||||||||||||||||||||
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【1991(平成3)都知事選】 | ||||||||||||||||||||||||||
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【1987(昭和62)都知事選】 | |||||||||||||||||||||
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【1983(昭和58)都知事選】 | ||||||||||||||||
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【1979(昭和54)都知事選】 | |||||||||||||||||||||
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【1975(昭和50)都知事選】 | |||||||||||||||||||||
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【1971(昭和46)都知事選】 | ||||||||||||||||
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【1967(昭和42)都知事選】 | |||||||||||||||||||||
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【1963(昭和39)都知事選】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【1959(昭和35)都知事選】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【1955(昭和31)都知事選】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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【1951(昭和27)都知事選】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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【1947(昭和23)都知事選】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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(私論.私見)