都知事

 (最新見直し2007.4.9日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 一事万事であるが、都知事選の歴史も資料化されていない。れんだいこがこの際、分かる範囲で網羅しておく。こうしておくと次に使えるからね。

 2007.4.9日 れんだいこ拝


【2007(平成19)都知事選】
 2007.04.8日、都知事選が行われ、現職の石原氏(74)が圧勝し三期目に入った。注目されていた対抗馬の浅野氏は伸び悩み、吉田氏は善戦した。野党陣営の足並みの乱れに対し、与党の自公は選対本部長に元内閣安全保障室長・佐々淳行(76)氏を据え、難なく勝利した。

  有権者 10,238,704人    投票率 54,35%  

 候補者名  得票数  得票率 党派系
 石原慎太郎 2,811,486  51.1  自・公
 浅野史郎 1,693,323 30.8  民主・社民
 吉田万三  629,549  11.4  共産
 黒川紀章  159,126  2.9  諸派
 ドクター・中松  85,946  1.6  
 桜金造  69,526  1.3  
 内川久美子  21,626  0.4  
 外山恒一  15,059  0.3  

【原仙作・氏の指摘】
 「阿修羅議論版25」に、有島実篤 の2007.5.3日付け投稿「都知事選に勝機はあった『さざ波通信』2007/4/13 原仙作」が為されている。出所は、さざなみ通信現状分析と対抗戦略討論欄」の原仙作・氏の2007.4.13日付け投稿「都知事選に勝機はあった」である。
1、はじめに
 都知事選では石原が当選し、2位の浅野に110万票の「大差」をつけたことから、敗戦論議が盛り上がっていないようである。しかし、国民投票法案の委員会採決が強行され、また、参議院選を控えて、負けた側の反省が今ほど必要とされている時はない。
 石原を勝させた原因は明白である。反石原陣営の吉田、浅野が分裂し統一できなかったことである。ここでは、負けた側の主な論争を整理することで、反省すべき論点を明らかにしてみたい。

 2、選挙結果の数字が教えていること

 はじめに、論争を整理・評価する基準を明らかにするために、いくつかの数字を取りあげてみよう。吉田、浅野の反石原陣営も含めて多くの者は石原大勝ということに目を奪われているが、実際は石原を負かす芽はあったのである。浅野と吉田陣営は統一できなかったために、この芽(可能性)を育て開花させることができなかったのである。

 4年前の都知事選では、投票率44.94%で投票総数が444万票である。石原308.7万票、樋口81.7万票、若林36.4万票、ドクター中松10.9万票となっている。反石原陣営の樋口、若林の合計得票は118.1万票である。一方、今回は投票率54.35%、投票総数556万票で、石原281.1万票、浅野169.3万票、吉田62.9万票、黒川15.9万票となっている。

 両選挙を比較すると、投票率があがり、投票総数が112万票増えていながら、その増加分はそっくり浅野、吉田陣営に流れていることがわかるであろう。浅野、吉田の合計得票は232.2万票で前回の118.1万票より114.1万票増えている。倍増である。この事実が一つ。

 もうひとつは、石原の得票数と浅野・吉田の合計得票数の差が48.9万票であり、この票差をどう見るかということである。約50万票と言えば大きいように見えるが、石原票の25万票、石原票の1割弱を奪えれば、石原打倒が実現できるという票差である。

 予想される投票総数が150万票程度の選挙では50万票の差は非常に大きい。しかし、予想される投票総数が投票率50%で500万票というスケールの選挙では、50万票の差はわずかに総投票数の5%、25万票の移動で勝敗がひっくり返るのである。投票率が2%あがり、増えた20万票が浅野に投票されれば、石原票を16万票奪えば勝敗は逆転する。このように、50万票という差は、選挙戦のちょっとした風向きで勝敗が逆転する票数なのである。

 だから、両者が統一すれば勝機は十分にあったのである。仮に両者が統一すれば、相互のネガティヴ・キャンペーンがなくなり、有害無益な論争が避けられ、世論調査も伯仲の様相へと接近し、選挙運動も盛り上がり、投票率もアップして、石原打倒の可能性は大きく開けたはずなのである。負けたにしても接戦にまで追い込むことができたであろう。

 3、対立する二つの見解

 数字から見える以上のような2点を前提に置くと、浅野、吉田両陣営の論争にも決着をつけることができる。相互の代表的な議論は、山口北大教授が「週間金曜日」に載せた論考と、それへの共産党からの反論(「誰を知事にするかは都民が決める」植木俊雄・広報部長、「赤旗」3月21日付)である。ネット上で行われた論争は様々な論点にわたっているが、論争の中心点はこの両論に集約することができる。

 山口の主張は次のようになる。都知事選の最大の課題は石原都政の打倒であり、そのためには浅野、吉田陣営は統一する必要があり、政策では吉田の方が優れているが、集票力からみて浅野への一本化に共産党は協力するべきだということである。共産党の反論は、浅野の政策は石原と「うり二つ」であり、石原から浅野に代えても意味はなく、石原都政と「決別できる確固たる立脚点」を持つ吉田こそ「都政を転換」させるにふさわしいというものである。

 要約すれば、山口の主張は石原都政打倒に主眼を置いた選挙戦術であり、共産党の主張は都政を転換する抜本的政策の提起に主眼が置かれている。

 4、共産党の主張の根本的欠陥

 共産党の主張で問題なのは、抜本的政策転換には石原を落選させなければならないにもかかわらず、どのようにして石原を落選させるかという方法(選挙戦術)が欠落していることである。共産党の実際の選挙戦を見る限りでは、政策の浸透の具合によりけりだということになり、事実上、その戦術の模索は放棄されている。

 反石原陣営がどう統一しようが、逆立ちしても現在の政治状況では石原都政を打倒できないというのであれば、打倒戦術を模索することを放棄して、あるべき都政政策を提起して支持を集め、石原都政の悪政ぶりを暴くのはひとつの行き方である。

 しかし、すでに数字で示したように、石原打倒の可能性があったということになれば、政策の優位性だけに固執し、石原打倒の政治目標とそのための選挙戦術を放棄することは誤っていたということにならざるをえない。石原都政打倒を政治目標の最重点にすえた北大教授・山口の議論が正しかったのである。

 5、共産党の選挙戦術の誤りとその結果

 共産党が政治を根本的に転換しようとする旗を掲げているから私は言うのだが、今度の都知事選でどうしたら石原都政を倒せるかを熟慮し、その選挙戦術を執拗に模索しなかったこと、石原都政打倒を都知事選の主要目標に掲げなかったこと、石原都政打倒の芽があることを理解できなかったことが共産党の致命的な誤りであった。 その結果、反石原陣営の統一という唯一の方法が捨て去られ、その選挙戦術はセクト主義という性格を帯びることになったのである。

 その選挙戦術により、共産党は石原都政打倒を支持する無党派層に愛想を尽かされつつあると指摘しないわけにはいかない。県議選における埼玉、神奈川、兵庫、福岡の大都市圏での大幅な議席減(20議席から8議席へ)を目を凝らして見ることである。これだけ経済格差問題が言われているのに、従来、共産党が強く、革新無党派層が多い大都市圏で大きく後退しているのは、庶民重視のその政策ではなく選挙戦術が批判されていると解するほかないであろう。

 6、共産党には政治指導者がいない

 政党の指導者たる者は、すでに検討した数字が教えることを事前に見抜くことができなければならない。これが第一級の政治指導者の条件である。小泉による郵政民営化選挙を思い出してみればいい。政治情勢のどこをどう押せば、何がどう変わり、どのような可能性が開けてくるかを党員、大衆に明らかにし、その可能性を開く具体策を構想し実践できなければならない。

 2中総とか、3中総とかいう文書で「自民党政治の危機と行き詰まり」とか、安倍政権の「脆さと弱さ」とか言っても、実際の政治闘争・選挙戦でその危機と弱さがどこにあるかを見抜き、それらを顕在化させる方法を構想し実行できなければ単なる「まくら言葉」でしかなく、実際は危機も弱さも理解していないことになる。

 新聞や党員の拡大目標決め、何%増やせば、経験的に何議席増の目標は達成できるというような議論は政党指導者の議論ではなく、事務方の議論にすぎない。共産党指導部には、事務方はいても政治指導者がいない。

 7、最大限の柔軟性が必要だ

 なるほど、統一には多くの障害があったのであるが、主要な政治目標の実現のために最大限の柔軟性をもって対応すべきであったのである。寄り合い所帯で「右」が羽振りを利かす民主党に柔軟な対応を求めてもできない相談である。政治革新をめざすという共産党が最大限の柔軟性を発揮してこそ、今の政治情勢で最も必要な統一や共同はなる。

 相手が政策協定はいやだと言えば、勝手連でやればいいのである。相手が「いいとこ取り」をしたければ、そうさせればいい。石原都政を倒せるのならば、後は何でもほしいものをくれてやればいい。石原に自民党推薦を拒否された幹事長の中川は「支持の形はどうでもいい。石原が勝つことが重要だ」と言っていたが、この柔軟性が弱小勢力であればなおさら必要なのである。そうしてこそ、共産党への支持も集まってくるのである。

 共産党のやり方は逆だ。まず、共産党の名を立たしめよ、しからば・・・ではダメなのである。なぜか? ここ10年で、共産党に対する大多数の国民の政治意識が根本的に変化しているからである。

 社会主義世界体制が崩壊して以降、政権を担う政党としては、共産党は大多数の国民の選択肢から完全に排除されてしまった。共産党の指導者にはこの変化が理解できていない。政治宣伝程度で変えられるほど生やさしい変化ではないのであるが、彼らはそれがわからない。この変化した国民の政治意識はすでに盤石の重みを持って定着しており、”一から出直す対応と心構え”、”縁の下の力持ち”に徹することだけが国民の信頼を回復する唯一の道となっているのである。

 8、偏狭な批判を捨てよ

 石原都政の実質的な与党であった民主党が、都予算に反対し石原の対立候補を立てようとしたことは歓迎すべきことであって、民主党の豹変を都民だましだ、変節だと批判するのは”利口”な対応ではないことを理解するべきである。「オール与党が分裂」したのは、歓迎すべきことであって非難することではなかろう。猜疑心だけが突出した無用な批判は敵を増やすだけでなく、おのれの選択すべき対応を狭隘なものにしてしまう。

 9、今は、「よりまし」な変化を大事にしなければならない

 ある共産党支持者の評価では、石原都政から浅野都政に変わることは反動都政から保守都政に変わるにすぎないというのであるが、その変化だけでも上出来だと評価すべきなのが現在の政治情勢なのである。宮城県政を東京に持ってくるだけでも”御の字”なのである。

 時と場合、時と所、政治情勢次第で評価の基準は変わる。共産党はこれが理解できない。どのような政治情勢でも評価の基準は同じで、杓子定規な評価しかできない。反動都政も保守都政もダメなのである。浅野宮城県政は石原都政と「うり二つ」なのである。

 福祉政策は同じようなものかもしれない(これも異論が多い)が、情報公開にしろ、教育行政にしろ、明らかに違う。これら二つの違いだけでも浅野都政を実現する政治的意義は十分すぎるほどあったのである。

 10、重要な選挙で政府与党を勝たせてはならない

 というのは、都知事選の持つ重みからすれば、それは他の知事選の比ではないこと、その帰趨は直接、国政上の政治情勢に影響を与え、政府与党に大きな打撃を与えることになるからである。しかも、今回の場合、都知事選が行われる時期に国政では何が行われているかを考えてみればいい。

 任期中に改憲を公約する安倍政権の下で国民投票法案の審議が進んでいるという状態にある。また、石原を打倒すれば、一気に3ヵ月後の参議院選で政府与党を過半数割れに追い込むチャンスを広げることに結びついていく。政府与党が過半数割れに追い込まれるようになれば、安倍政権の改憲ロードマップは大幅に狂うことになるはずである。

 11、共産党は選挙戦術を改めよ

 抜本的政策の重要性に固執した共産党の選挙戦術では、こうした政治情勢も視野の外にあったことはあきらかであろう。そういうことになると、共産党指導部は本気で憲法擁護や政治革新を考えているのか、という疑問が湧いてくるのである。

 3ヵ月後は、いよいよ参議院選である。ここで与党を過半数に追い込めなければ、衆議院選のある2年後までは安倍政権のやりたい放題である。すでに国民投票法案は衆議院を通過し、成立が目前に迫っている。
 来る参議院選では、野党の選挙協力に柔軟に取り組み、与党を過半数割れに追い込む努力を共産党に求めたい。
 この選挙戦術の転換だけが、政治革新への第一歩となるのであり、共産党の窮地をも救う唯一の道である。

(私論.私見)

 原・氏の指摘は正しい。問題は、日共党中央が何ゆえに反動的対応をしているかである。れんだいこの見立てるところ、宮顕-不破系党中央は、政府自民党内の抗争基軸であるハト派対タカ派の政争に於いて、ハト派潰し、タカ派裏支援と云う役割を果たしている。何なら、その都度の政権の特質と日共の対応振りを対照させてみればよい。

 これは偶然だろうか。日共党史を踏まえれば、故意の習性であることが分かろう。偶然でない故意的なものとすれば、そういう党中央に対して説得なぞ通用するだろうか。庶民大衆の要望を請けて指針変更する相手かどうか。日共は現代世界を牛耳る国際金融資本の意向を「左」から叶えているのではないのか。そういう役割を果たしているのではないのか。れんだいこは、これについて、宮顕論、不破論その他で解析している。この認識を獲得すれば、舌鋒鋭い批判になろう。

 2007.5.4日 れんだいこ拝


Re:<たしかな野党?>法華経vs倫理真光のハルマゲドンを傍観する共産党<第5列?> れんだいこ 2007/04/14
 こげぱんさんちわぁ。宮顕-不破-志位と続いている日共党中央の変態性は既に腐臭段階にあるようです。云うこと為すことが辻褄が合っておらず、それを解きほぐす能も無い。選挙専一運動にして力をためた初期の頃はそれなりに成果を生みましたが、今やその選挙で後退しつつあります。空白区ゼロ運動も失敗し、空白区が増大しつつあります。捲土重来も、民主連合政府の呼びかけ同様、そうたびたびは叫べまい。

 この先どうなるのか分かりませんが、悪あがきするのは確かでせう。党内には、引責辞任させる力は無い。よって、いつでもどこでも、ここ一番の時には反動的立ち回りします。困ったものです。護憲を熱心に云っておりますが、つい先ごろ党内憲法の規約を改悪した連中がそれを云う資格があるのでせうか。自民党に手本見せたばかりではないですか。れんだいこは、まったく信用しておりません。早く別の主体を創りだすべきです。真性の左派運動の手本を示さないといけない、人民大衆はそれを望んでいると思っております。そう共認する多くの仲間を生み出したいと考えております。

 60年安保世代は、このままでは死に切れない。一体、我々は何をやってきたんだと反省至極との弁を発しております。本当にそう思います。日本政治は何か全体、大きな力に手玉に取られている気がします。歴史も思想も運動も再検証し直さねばならない、一刻も早く別の闘う主体を創りださないといけないように思います。

> (この程度の2者択一を強いられる限り、わずかながらましな候補だろう、という限りにおいて)新人売国ウヨ候補不支持はまあ常識的な選択として評価できるとしても、地方都市で自公民相乗り候補を陰ながら支持できるなら、共産党は都知事選や小選挙区など定数1の選挙でなぜ野党候補を支持できないのか。野党共闘が実現していれば勝てたであろう選挙も多々あり、自公政権もここまで勝手な国会運営はできなかったであろう。共産党はこれでは確かな野党なのか第5列なのかわかりゃしない、というのが外野の正直な感想である。

 そういうことですね。先日、れんだいこの囲碁仲間で、共産党支持の人に言ってやりました。共産党支持は昔風のイメージではそれは正しい。しかし、現下の共産党指導部は、戦前と戦後直後の徳球-伊藤律系時代のそれとは別物で、名前を借りているだけのインチキ連中ですよ。だから、弱者の味方の唯一の党なんていうコマーシャルに乗せられたらいけませんよ。だいたい連中の経歴はかくかくしかじか。結論として、少なくともクールに是々非々でお付き合いした方が賢明ですね云々。話の道中で、合点気配になりましたよ。

Re:れんだいこのカンテラ時評281 れんだいこ 2007/04/11
 【れんだいこの都知事選総括】

 2007.4.8日の一斉地方選前半戦のハイライトであった都知事の総括をしておく。やはりこれをしない訳にはいかない。役に立ちそうなコメントを心がけることにする。

 現職石原に元宮城県知事の浅野が立ち向かい、日共系の吉田が足を引っ張るという構図で始まったが、結果は、石原が281.1万票(得票率51.1%)、浅野が169.3万票(得票率30.8%)、吉田が62.9万票(得票率11.4%)という結果になった。その他は略す。れんだいこの予見は外れ、石原が前回に続いてほぼ300万票圏の得票能力を実証した。

 この結果に対し、日共は、例によって破廉恥なというべきか木で鼻をくくっているというべきか、4.10日付け赤旗「教訓を生かし、後半戦での前進のために力をつくそう」で次のような見解を披瀝している。

 「当選には及ばなかったものの、東京都知事選をはじめ、多くの選挙で前回票を大幅に伸ばし、善戦・健闘しました」。
 「地方政治の政党対決の構図が、自民、公明、民主など「オール与党」と日本共産党との対決にあることを鮮明にしてたたかったことも、住民の利益をまもる唯一の野党としての日本共産党の値打ちを浮き彫りにするものでした」。
 「わが党が展開した論戦は、東京都知事選などに象徴されるように、当選した石原候補も反省や福祉を口にせざるをえなくなるなど、選挙戦の全体をリードする大きな力を発揮しました」。

 驚くことに都知事選についての言及はこれだけである。科学的分析と云うものはこういうものらしい。誰が見ても聞いても、石原を大差で勝利させたことに対する歴史的責任を党として微塵も引き受けようとしていないことが判明する。こうなると、戦前の共産党の政治責任論に言及した政治学者・丸山真男の歴史責任論に対し、宮顕-不破党中央が罵詈雑言した史実と重ねあわさない訳には行かない。もはや、どちらが真っ当な論であるかは明らかであろう。こたびの、「共産党の推す吉田候補は大幅に得票を伸ばした」なる得手勝手な総括がどうして許されようか。しかし、この「確かな野党論」なる珍論詭弁が通用しているのだからお手上げだ。

 れんだいこが若かりし頃、たまたまというべきか東京都政は、社共擁立によるいわゆる革新系の美濃部知事であった。美濃部都政の評価は話の筋がぶれるので触れないとして、ここで想起すべきは、かってひとたびは京都、大坂、東京と革新系知事が誕生していたということである。それも社共共闘と云うれっきとした連立であった。それが崩壊した要因も話がぶれるので述べないが、あの頃は連立が許されて、今は「確かな野党」で行く正義は奈辺にありや。誰か陳述してみよ。ついでに、民主連合政府構想はどうなったのか、聞かせてくれ。政治責任云うのなら、5000円の水パック云々責めまわるよりこっちの方がよほど本当の政治責任ではないのか。

 これを偶然とみなすのは大方の評であるが、れんだいこは現下党中央の仮面左派性より生じていると見立てている。ここが皆の識見と違うところである。連中は、平素はそれなりのことを述べることもままあるが、いざ肝心な時にはなりふり構わず正体を表わす。こう見立てないと政治現象が解けない。彼らの政治闘争を通史で見れば、戦後保守の二大抗争軸であるタカ派糸とハト派系の抗争に対し、一貫してタカ派糸の裏支援につながるハト派叩きに狂奔している様が見えてくる。歴代の政治家糾弾史を検証すれば、そういうことが透けて見えてくる。誰も問題にしていないが解せないことである。こたびは、中曽根-石原-小泉と云うネオ・シオニズム配下の御三家の一人の石原の苦境であったから露骨に助っ人役を演じたということになる。

 事実、日共は、石原都政に対して、なんでも反対はダメで過去のやり方と云う論法で是々非々路線を説いていたことがある。ハト派に対しては金輪際無いのに、よりによって軍事パラノイアにして政治の私物化意に介せずのチャンピオン石原に対してである。これは偶然なのだろうか。多くの者はそう読むだろうが、れんだいこは、現下党中央の異邦人的変態性のしからしめる必然と読む。とんでも党中央だという共認をしたい。

 その石原は、新宿歌舞伎町を引き合いに出して中国マフィアに言及することが多いが、六本木のユダヤマフィアに対してはダンマリだからお笑いである。ノーと云える日本とは云うが、現代世界を牛耳る国際金融資本に対してノーと云える日本とは云わないからお笑いである。

 ところで、思い返せば、こたびの都知事選に於いて、日共は、あからさまに浅野叩きを引き受けた。浅野は当初、メディアの注目を上手くひきつけながら出馬声明に漕ぎ着けた。この上げ潮に水を差したのが、日共の浅野批判であった。2007.3.6日、浅野が東京都庁内で都知事選へ正式に出馬表明するや否や、日共は早速に「“石原都政の基本継承”都知事選 浅野氏が出馬表明l」を発表し、以下続々延々と浅野批判を開始した。

 この対抗馬浅野叩きが本命石原を浮上させる作用をもたらし、石原圧勝の構図を引き寄せたのではなかろうか。もとより、それに乗ぜられたまま有効に反撃できなかった浅野陣営にも責任があろう。立会演説会のやり取りでもパッとしなかったことでも裏付けられる。しかし、誰が見ても聞いても、ろくすっぽ都庁に出てこないネオ・シオニストご用達貴族にして軍事パラノイアの石原と浅野を同格に批判するのはやり過ぎというものだろう。志位は、こまごまとした資料で宮城県知事時代の実績をこきおろしていたが、あの資料が今流行のアルアル捏造に近いものだったとしたらどうなるか。ただでは済むまい。

 その日共は、吉田の善戦総括で頬かむりしようとしている。赤旗コメントを読めば、お役目御免とばかりに、このまま逃げ切りしたがっていることが分かる。れんだいこは、この党中央の常習性癖とみなしているので改めて追撃する気もないが、教訓だけは再確認せねばならない。かっての社共がこれだけへこんでいる以上、もはや批判する時代は逆に終わったのではなかろうか。もはや相手にせず、むしろチャンスとして我々が主体的に左派共同戦線を構築し、統一候補を押し立てなければならない。無所属ではなく、れっきとした党派を母体にさせ、各派が相乗りせねばならない。

 仮に民主党-国民新党系を支援するのであれば、公明党が自民党を支援しているように当選の決め手となる基礎票を生み出さねばならない。そうやって左支えすれば良いではないか。単純な話ではないか。最低限の条件は護憲であり、少なくとも拙速を許さない論憲であろう。外治より内治優先政治であろう。はげたかファンドの優良企業乗っ取りを放任せず、万事にフェアトレードの確立であろう。これ以上設けるときりが無いので、タイムリー的にはこの三政策あれば良かろう。

 こたびの都知事選の総括は凡そ以上のようなことをを指針させていると愚考する。いかんせん、左派グループの共同戦線化の試みが遅れ過ぎている。各派から立候補者を出せば、各派とも貸し借りお相子になるのだから難しく考える必要は無い。マニュフェストも走りながら考え、次第にすり合わせしていき整序していけば良いのではないのか。分裂能力が飛びぬけて高く結合能力がからきし弱い日本左派運動ではあるが、さすがに最近になってこういう観点からの試みが生まれつつあるようにも聞く。6.15日には赤帽かぶってぜひ行ってみたいと思う。

 2007.4.11日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評280 れんだいこ 2007/04/07
 【一足早い東京都知事選予想】

 これは余興で書き付けておきます。明日はいよいよ都知事選の投票日ですが結果はいかになりますやら。れんだいこは早くに浅野圧勝を予見している。理由は、東京都民が賢いからである。石原は人心から離れている。ひとたびこうなるといかんともし難い。これは歴史の法理である。

 それはともかく次のケースを考えてみた。

 1.石原が、浅野と吉田の合票を超えて圧勝する。
 2、石原が、浅野と吉田の合票には及ばないが圧勝ないしは僅勝する。
 3、浅野が、圧勝する。
 4、浅野が、石原と僅差で当選する。

 以上のケースが想定できる。1の場合は、石原はやはり強いということになる。2の場合は、共産党の唯我独尊戦略に白目が向けられる。3の根場合は、自民も共産ももはや何の影響力を持たないことが白日化する。4の場合は、神の僥倖に感謝する。

 それにしても、日共の各地の首長選での自公に対する裏協力振りが何度演ぜられてきたのだろう。これがなかりせば、既にあちこちで民主系首長が誕生し、地方から国会を包囲することが出来ていたはずである。民主系首長が何ほどのことができるかは未知数であるが、現下自公体制によるネオ・シオニズムへの丸投げ政治の悲劇が緩和されることは疑いなかろう。それが分かっていて、日共の唯我独尊戦略が続いている。こうなると、意図的にこの戦略戦術を行使していると見ないわけにはいかない。

 我々の日共問題とは、日共党中央のこの戦略戦術を催促している奥の院指令を見極めることに有る。この目線で、日共党中央の変態性を告発することにある。更に云えば、1955年以来のクーデータに対する正統派の歴史的復権を勝ち取らねばならない。党中央の変態性を最終的に確認するためにこたびの都知事選の意義があると云うべきではなかろうか。

 いずれにせよ、選挙総括で、党員及び支持者はいつになく強烈に党中央批判の声と運動を組織せねばなるまい。一体何をやらされているのかを客観化させ、党中央指導に対する抗議に向かわねばなるまい。れんだいこの知る限り、地方でもブーイングが始まっている。最終的になすべき事は、野坂-宮顕-不破-志位と続いている左仮面の党中央打倒これ以外に無い。「明るい農村」的標語の似合う左派運動創出の為に。

 余興で簡単に書くつもりが、結構なところまで書いてしまった。

 2007.4.8日 れんだいこ拝

Re:ウツケ男でゴキブリ知事と言われた慎太郎 れんだいこ 2007/03/29
 不動明王さんちわぁ。東京ではひさかたの熾烈な都知事選が行われているようですね。れんだいこその昔、美濃部さんの選対でビラ配りしていたことがあります。今となってはなつかしい思い出です。当時、民主連合政府構想と社共共闘革新知事の出現による世直し世の立替え運動はそれなりに魅力がありました。そう理解したことでれんだいこのボランティアが始まりました。なつかしいです。

 しかし、民主連合構想も、70年代の遅くない時期までら、20世紀の遅くない時期までに、次に21世紀の早い時期へとどんどん期間があてもなく下がり始め、日共中央は現在ではダンマリしています。その代わりに出てきたのが、「正義清潔の唯一の野党論」です。党員は、次から次へと繰り出されるこういう妄言に従っているようで、れんだいこは可哀想に思うより、むしろあきれております。そういえば、革新知事つうのはトンでもな奴が多かった。何が革新だあいつが、というような人物が担がれていたですね。

 それはそうと、石原慎太郎については、角栄の指摘が正確を射ていると思っております。1968(昭和43)年の総選挙で、300万票で参院全国区トップ当選で政界入りした慎太郎は、新調の議員バッジをつけ初登院し、幹事長室に乗り込み、威勢良く角栄にこうブチ上げた。「自民党の広報活動はなっていない」、「自由新報の編集はなっていない」、「自民党本部の職員は削減すべし」。

 黙って聞いていた田中は、一言次のように言った。「君の話は分かった。しかし、人間は木の股から生まれてくるのではない。人には歴史がある」。

 これをどう理解すべきか。れんだいこが解説するとこうなります。

 石原氏のはぎれの良い物言いは結構である。しかし、「ただの正論」である。何事にも積み重ねの歴史がある。それを無視しての書生論はいくら格好良くても、眼差しに温かさがなければならない。現実は一歩一歩の歩みであり、至らないながらも至ろうとしてみんな苦労して歩んでいる。世の中のものはそのように成り立っている。これを弁えて批判するのなら良いが、君の論は格好良過ぎるだけのパフォーマンスでしかない。角栄の言は、かく云い含めているのではなかろうか。

 れんだいこに云わせれば、角栄は、まさに角栄流にピシャリと慎太郎の本質を言い当てていたということになる。石原の奇論を一蹴した角栄の凄みがここにある。

 慎太郎が政界入りした時、角栄-大平同盟の全盛期であった。それが彼の運の無さであった。その同盟は、ロッキード事件の脳震盪でで崩れ去るが、慎太郎はそのときまでの過程で望んでいた首相の座の時機を失した。芽を断たれた慎太郎が色気を見せたのが、都知事の座であった。これはどうにか手に入れた。どんな政治をしたかは、今目にしている通りのものです。れんだいこは、小児病的軍事パラノイア性と政治の私物化ぶりが二大特徴と見ております。

 こたびの都知事選は恐らく慎太郎の敗北必至と見ております。それにしても、日共の役回りが悪質で、れんだいこはそれが連中の一貫した政治的役割だと見ております。この両者が裏でつるんでいる可能性まで考えております。

 というようなことを一気に発信してみたくなりました。不動明王さん、どうぞ今後ともよろしくねぇ。

 2007.3.29日 れんだいこ拝

Re:共産党・吉田支持者は、10%以下の少数派だということを自覚しているのでしょうか れんだいこ 2007/03/18
 こげぱんさんちわぁ。有島氏の投稿、興味深く読みました。当然の疑問だと思います。こういう真っ当な声がうねりにならないといけませんね。れんだいこの見解の違いをあえて言えば、「私は共産党・吉田支持者の政策にほぼ賛成です」のところでせうか。だから、「正しいことを言っていれば良いというものではありません」のところですが、日共が正しいことを言っているとは思いません。

 どこが決定的に違うかと云うと、日共の公共事業敵視政策のところです。れんだいこは、何を馬鹿なと侮蔑しております。公共事業は積極的に必要なのです。但し、適正事業、適正価格、適正工事でやらねばなりません。その昔、角栄を批判するのに、角栄が主導した公共事業を槍玉に挙げましたが、その振りがついて今でも呪文の如く唱えております。角栄の公共事業が、適正事業、適正価格、適正工事でやっていたことを知らせず、何でも批判した結果、敵視政策を打ち出すようになっております。妙なツケが残ったもんだと思います。

 石原は基本的に、政治を小児病的且つ軍事パラノイアでやっているところに問題があります。日共は、その石原都政と是々非々で行くのだと述べていた時期があります。政治体質が案外近いのですね。小泉の民主集中制論など、日共のそれを引き写ししております。安部政権下で今、中川幹事長が同じようなことを言っております。自民党タカ派つうのは、民主集中制病者で、日共党中央と気質が似ている気がします。

 我々は、政策だけでなく、政治手法でも争うべきです。よりまし論で言えば浅野候補がまさっており、「左支え」していくべきです。勝って、与党になり、責任政治に乗り出すべきです。論をそういう風に持っていかない輩があるとすれば、頭がイカレタ邪悪な連中です。裏でどういう風につながっているのか分かりゃしない。れんだいこはそのように考えております。

> お願いですから、正気に戻ってください。今の、共産党・吉田支持者は、ただただ、見苦しいです。

 その通りです。


 【過去の都知事選参考資料】

【2003(平成15)都知事選】
 2003.4月、石原都知事が得票率史上最高の308万票で大勝し二期目に入った。

 投票率44.94%

 候補者名  得票数  得票率 党派系
 石原慎太郎 3,087,190  70.2  自・公
 樋口恵子 817,146 18.6  民主・社民
 若林義春  364,007    共産
 ドクター・中松  109,091    無所属 
 池田一朝  19,860    無所属

【1999(平成11)都知事選】
 1999.4月、石原氏が、有力候補がひしめく中、166万票を得票し新都知事に就任した。
候補者名 得票数 得票率 党派系
石原慎太郎 1,664,558 30.5 無所属
鳩山邦夫夫 851,130 15.6 民主系
舛添要一 836,104 15.3 無所属
明石康 690,308 12.6 自民系
三上満 661,881 無所属
柿沢こうじ 632,054 無所属
ドクター・中松 100,123 無所属

【1995(平成7)都知事選】
 1995年、鈴木都知事が退任した。鈴木都知事(任期は1979年~1995年)

 1995.4月、青島都知事(同1995年~1999年)が誕生した。
候補者名 得票数 得票率 党派系
青島幸雄 36.6 無党派
石原信雄 26.6 自民・社会・さきがけ・公明推薦
岩国哲人 17.7
大前研一 9.1

【1991(平成3)都知事選】
 1991.4月、鈴木都知事が、自民・民社の都連の支援を受け出馬。田英夫や社会党の一部も「非自公民・非共産のよりまし候補」として支援。自民・民社の党本部と公明が推薦した磯村尚徳(NHKニュースキャスター)、共産党推薦の畑田重夫、社会党推薦の大原光憲(中央大学教授)の三人を破って四選を果たした。
候補者名 得票数 得票率 党派系
鈴木俊一 49.9 自民都連・民社都連推薦
磯村尚徳 31.3 自民・公明・民社推薦
畑田重夫  9.2 共産推薦
大原光憲 6.3 社会推薦

【1987(昭和62)都知事選】
 1987.4月、鈴木都知事が、自民・公明・民社の推薦で出馬、社会党推薦の和田静夫元参議院議員と共産党推薦の畑田重夫(政治学者)を破り三選した。
候補者名 得票数 得票率 党派系
鈴木俊一 57.8 自民・公明・民社推薦
和田静夫 20.4 社会推薦
畑田重夫 19.0 共産推薦

【1983(昭和58)都知事選】
 1983.4月、鈴木都知事が、自民・公明・民社・新自由クラブの四党推薦で出馬、社会・共産推薦の松岡英夫(評論家)を破り再選した。
候補者名 得票数 得票率 党派系
鈴木俊一 60.2 自民・公明・民社・新自由推薦
松岡英夫 37.9 社会・共産推薦

【1979(昭和54)都知事選】
 1979年、美濃部都知事が、四選不出馬を表明。都知事を退任。

 1979.4月、鈴木氏が、自民党、公明党、民社党、新自由クラブの四党推薦で、社会党、共産党の二党推薦の太田薫(総評議長)と、無所属で立候補した麻生良方の二名を破って初当選した。以後1995年まで、4期16年に渡って都知事を務めた。
候補者名 得票数 得票率 党派系
鈴木俊一 40.3 自民・公明・民社推薦
太田薫 35.1 社会・共産推薦
麻生良方 20.8 無党派

【1975(昭和50)都知事選】
 1975.4月、美濃部氏が、社会・公明・共産の推薦で出馬。自民党推薦の石原慎太郎前代議士と民社党推薦の松下正寿を破り三選を果たした。石原氏が、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。なおこの落選については公式サイト内では全く触れられていない。
候補者名 得票数 得票率 党派系
美濃部亮吉 50.5 社会・共産・公明推薦
石原慎太郎 43.9 自民推薦
松下正寿 民社党推薦

【1971(昭和46)都知事選】
 1971.4月、社会・共産の推薦で出馬、自民党推薦の秦野章前警視総監を破り再選を果たした。
候補者名 得票数 得票率 党派系
美濃部亮吉 64.8 社会・共産推薦
秦野章 34.7 自民推薦

【1967(昭和42)都知事選】
 1967.4月、美濃部氏が、東京都知事選に社会党・共産党推薦で立候補、自民党・民社党推薦・松下正寿立教大学総長と公明党推薦・阿部憲一渋沢海運社長を破り当選した。
候補者名 得票数 得票率 党派系
美濃部亮吉 44.5 社会・共産推薦
松下正寿 41.7 自民・民社推薦
阿部憲一 12.2 公明推薦

【1963(昭和39)都知事選】
 ****.*.**日、
候補者名 得票数 得票率 党派系

【1959(昭和35)都知事選】
 ****.*.**日、
候補者名 得票数 得票率 党派系

【1955(昭和31)都知事選】
 ****.*.**日、
候補者名 得票数 党派系

【1951(昭和27)都知事選】
 ****.*.**日、
候補者名 得票数 党派系

【1947(昭和23)都知事選】
 ****.*.**日、
候補者名 得票数 党派系





(私論.私見)