3、英国東インド会社のインド支配
株式会社の起源である東インド会社は軍隊も条約締結権も備えた準国家であった。この中核が投資銀行家の頭脳となり、のちのイルミナティの世界各国の支配の中枢組織、表に現れる国際機関300人委員会やビルダーバーグの原型になったのだろう。
株式会社の起源といえるオランダ・東インド会社(1602)が国家の中の国家、準国家という体裁でスタートする。軍隊や条約を独自に結んだりできた。また英国・東インド会社(1601)もできていた。レヴァント会社の後継。船は大砲数十門武装していた。ここに国家の中の国家として、東インド会社の取締役員会は、軍事優先、掠奪中心の性格を持っていた。スペインもそうだが、ここも掠奪と戦争の組織だ。植民地支配というが、ヨーロッパの歴史は、この時点でも、ハザール・スキタイの掠奪文化の伝統を強烈に示している。ハザール人がヘブライの神を取り入れてもその性格が悪魔に変化するのは当然なのだ。
当時の東インド会社の取締役員会におけるユダヤ人の情報はないが、後の英国東インド会社では、広瀬隆の「赤い盾」第二章インディジョーンズW p175によれば、後の東インド会社の系図に現れるすべての人物がユダヤ人であるという。ついでにこのページにはロイズ保険が東インド会社のコヒー・茶がもたらしたカフェから発生したことが述べられている。
この攻撃的な侵略軍のような会社組織は現在のアメリカと同じだ。彼らは胡椒、香辛料、茶、綿織物を銀貨で取引し、そのうちに、鉄砲、火薬、硝石、アヘンを取引の代価とした。こういった強引な一方的貿易に、危機感を感じたのか、清国も日本も鎖国体制に移行していく。清国、海禁令(1656−1684 )、日本の鎖国( 1635―1868ころ ) 200年の自給自足体制へ。これら清国や日本の鎖国政策が、それ以外取るすべのない苦渋に充ちた決定であったことを示している。
英国東インド会社のインド支配はインドの分割統治であった。イスラム教とヒンドゥー教を戦わせることでインドを支配した。この原理は一国を支配するとき2つの政党を競わせる方法として定着した。このトライアングルの頂点は隠され、民主主義で国が成立しているとの錯覚・幻想を国民に抱かせた。巨大トライアングルが20世紀初頭であったのだ。国際戦争計画集団(銀行家、武器企業)の頂点は隠され、その下のグループ(各国)が戦った。インドでやったことの延長であったのだ。
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