ハワイ原住民史

 (最新見直し2010.12.04日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、植民地化される前のネイティブハワイ史を確認しておく。

 2006.9.3日 れんだいこ拝


【ハワイ侵略史1、ハワイ王国創出前後事情】
 太平洋の真ん中に位置しているハワイ諸島は、現在の面積は16,634,5u、ハワイ島のホノルルを州都としている。近くには他に大陸や島は存在せず、東京から6200km, サンフランシスコから3900km、シドニーからは8000kmの太平洋上に群在している。美しい島々で構成されており「南海の常夏の楽園島」として知られている。

 ハワイ諸島はポリネシア全域と結びついておりポリネシアン・トライアングルの北端にあたる。ポリネシアン・トライアングルとは、太平洋地域の中で、ハヴァイイ(ハワイ)、ラパ・ヌイ(イースター島)、アオテアロア(ニュージーランド)を3つの頂点とする範囲である。ハワイ諸島は、距離にして1500マイル (2400km) に渡って伸びる環礁から成り立っており、8つの島々(北西部から南東部順に、ニイハウ島、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、カホオラウェ島、ハワイ島)と130近くの小さな島や岩礁を取り込んでいる。マルケサス諸島からハワイまでは3500キロもの距離がある。活火山としての規模は世界最大であり、このエリアを含むハワイ火山国立公園は1987年に世界自然遺産に登録された。ビッグ・アイランドの東にある海底火山「ロイヒ」の活動も活発で、将来、噴出した溶岩が陸地として海面に現れ、新しい島を形成する可能性があるとも云われている。

 元々の原住民については不祥である。史上に最初に登場するのは、マルケサス諸島からやってきたポリネシア人である。ハワイの神話に登場する小さくも強靱な肉体を持った「メネフネ族」が彼らであるという説もある。ポリネシアン・トライアングルの中の多くの島嶼文化は、5000年前に東南アジアで使われた原マレー・ポリネシア語を起源とする似た言語を共有している。この頃のハワイ人の生活はタロ芋を主食としていた。カマドに火をおこし、タロ芋を蒸し、蒸し上がると、これをつぶして練り上げポイを作り食していた。この食文化がその後も続くことになる。

 6世紀頃、この地に東南アジアから東へ移動した民族がハワイに移り住み始めたと類推されている。10〜12世紀頃、タヒチから多くの民族が移住している。タヒチから移住してきた民族は、高度な航海術を持っており、タヒチとハワイの間を行き来していた。この間、ヘイアウ(神殿や祭壇)を作り、灌漑施設、養魚池などを作り、その他自然環境に即応させたエコロジー的発想による社会基盤が整備されて行った。
 宗教的には、古代宗教の多くがそうであるように自然の力をアクア(神)として崇め、森羅万象すべてのものに神が宿るという汎神論的な精霊信仰に基づく部族宗教を創造していた。これにより、いわば日本の古神道的価値観の下で共生していたように思われる。ネイティブハワイの代表的宗教は、戦の神「クー」、創造の神「カネ」、豊穣と収穫の神「ロノ」、海洋や暗闇を司る神「カナロア」の四大神をはじめ、さまざまな神を信仰の対象としていた。人々は神に祈りや踊りを捧げることで神人和楽生活を送っていた。これらの神祇を司るのがアリイと呼ばれる家系で有り、神聖な“マナ”(spirit from the god)が受け継がれていると信じられていた。神聖なヘイアウ(神殿)には主神ロノが祭られ司祭や高僧と貴族をエリート階級としていた。大神殿の他にも天地自然の恵み、災害や病気などを司る神のヘイアウがハワイ諸島に無数に散在していた。いわばハワイ的共生制度とも云える祭政一致社会が確立していたと評するべきであろう。
(私論.私見) 汎神論的な精霊信仰考
 ユダヤ―キリスト教的一神教の宗教観から、ハワイでも認められる汎神論的な精霊信仰を粗野な原始宗教と看做す傾向があるが、果たしてそうだろうか。16−19世紀までは気が付かなかったが、20世紀以降の地球環境破壊現象に遭遇して、ユダヤ―キリスト教的一神教の宗教観に潜む自然支配思想及び価値感の限界が露呈しつつある。更に、汎神論的な精霊信仰が共生的であるのに比してユダヤ―キリスト教的一神教が排他的独善的であることも判明しつつある。そういう意味で、汎神論的な精霊信仰の今日的な見直しが要請されているのではなかろうか。

 2010.12.5日 れんだいこ拝
 12世紀頃より族長(アリイ)支配と統制による階級社会が誕生していた。侵略されるまでの間、神官(カフナ)をかねた王(アリイ)や大酋長が厳格なカプ(タブー・戒律)制を敷いていた。身分制として、アリイ(王族)、カフナ(神官)、マカアイナナ(平民)、カウバ(奴隷)の4者構造化されていたと云われている。アリイの仲間の中からアリイ・ヌイと呼ばれる大王が選ばれ、それぞれの島にはそのアリイ・ヌイが1人または2人いて、支配体制を作っていた。そのアリイ(王族)の中で一番のチーフがアリイ・ヌイと呼ばれ最高の権力をもっていた。

(私論.私見) カプ(タブー・戒律)制下の身分制考

 当時のネイティブハワイに於ける身分制として、アリイ(王族)、カフナ(神官)、マカアイナナ(平民)、カウバ(奴隷)の4者構造が指摘されているが、「カウバ(奴隷)」なる階層が本当に存在していたのだろうか。ネオシオニズム史学は、独特の近代化理論によって原始社会に於ける奴隷制の存在を説くが眉つばせねばならぬのではなかろうか。植民地化される前の世界のコロニ―的社会はなべて自給自足的平穏社会下にあり、ここハワイにおいても同様だったのではなかろうか。平民の階層分化として最下層民の存在は考えられるが、奴隷制的奴隷が本当に居たのかどうか、うかつにネオシオニズム史学に乗せられてはいけないと思う。

 2010.12.4日 れんだいこ拝
 後の絡みで問われてくることになる土地制度について確認しておくと、土地の支配はアフプアアと呼ばれる制度で規律され、山頂と海岸を結ぶ二本の線を土地の基本単位とし、パイを切るように扇状に境界線を仕切り、境には豚(プアア)をかたどった像(アフ)が備えられていた。この区画が“モク”と呼ばれ、大族長単位に権利が与えられ、その土地を王族と平民が分かち合い分業して暮らしていた。これがハワイの社会秩序原形であった。

 侵略される前のハワイは、大族長(アリイ・ヌイ)による島単位での統治が行われていた。大族長は世襲制だった。この頃までハワイには言葉はあっても字はなかった。その為、昔の事や歴史は「語りベ」によって語り継がれていた。この頃までのハワイをネイティヴ・ハワイ、住民をネイティヴ・ハワイアンと位置づけることができる。


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(私論.私見)