れんだいこのヒトラー論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和元年/栄和2).6.12日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 俺様ヒトラー論」の所論をれんだいこ風に言い換えれば次のようになる。

 「第二次世界大戦の震源となったヒトラーは、その野望が敗北せしめられたことにより必要以上に罵倒非難されている。その反動として一部で過大評価されている。どちらにしてもヒトラーの実像から離れているように思われる。今日論者の多くはその先入観からヒトラーの性格や私生活や対人関係や芸術観や政策を解釈しており、その解釈でもってヒトラーの言動全てを異常人格視しているという風に一種の循環論法に陥っている。これは、ヒトラー政権下の要人への評価にも当てはまることで、ヒムラーやゲッベルスやゲーリングについても実像から離れた評価が一人歩きする傾向はないだろうか」。

 この観点からのヒトラー論再考こそ望まれているのではなかろうか。れんだいこは、ヒトラーを先験的に好評価せんとして為そうとしているのではない。既成のヒトラー論が学問的検証に耐えない循環論法で為されている故に、その説は採らない、もっと実証的に論証したいというところにある。

 歴史の検証は、当時のニューマの中に於いてされねばならない。後付けの論理で裁断するのは半面の真理でしかなく、もう一つ当時の政治情勢、思潮の中に於ける格闘の意義を総括せねばならない。これはいつでもそう為さねばならない学風ではなかろうか。然るに、ヒトラー論に関しては大幅にその原則が逸脱されているように思われる。

 ヒトラーの狂行は、ヒトラー個人あるいはナチスの高官達、ヒトラー政権下の要人達のみに責任を負わせられるものではなく、それを可能とする状況において捕捉されねばならない。ヒムラーやゲッベルスやゲーリングについても同様であろう。従来、ヒトラーの異常性や冷酷さを証明するものとされてきた数々の言動は、再検討が必要だと思う。

 2006.10.22日最編集 れんだいこ拝



【ヒトラーは偉人か狂人か考】
 ヒトラーをどう評すべきだろうか。類まれなるアジテーターにしてオルガナイザーであったことは間違いない。もう一つ、政治活動の眼目を単なる批判運動で終始することを潔しとせず政権奪取に向け、それを実現させた能力をも畏敬せねばならないだろう。この点で、ヒトラーは史上の大人物足りえている。

 問題ありとすれば、その急進主義性は良しとしても、それと不即不離であった暴力主義性ではなかろうか。この暴力主義が次第に増幅してナチス党のお家芸になっていく。突撃隊、親衛隊、ヒトラー・ユーゲントが生み出され、政敵及び他党派追撃を常習化していく。この延長戦上でゲルマン優越主義が煽られ、その他方でユダヤ人追放、共産党その他左派団体弾圧、遂にはホロコーストといわれる集団隔離及び東方移動政策が敷かれていく事になった(「ユダヤ人ホロコースト600万人虐殺」説は採らない)。遂には領土取り戻し政策、拡張政策、帝国主義的強盗政策に乗り出していくことになる。それは破滅するまで止むことがなかった。

 その経過にはそれなりの事情があったと思われるし、その実態も正確に精査されねばならないと思うが、いずれにせよ過剰暴力主義、愛好戦争政策の弊害を見ないわけにはいかない。安易に暴力主義に依拠しない急進主義的政権奪取運動、国際協調、平和友好政策とういうものを創造できないものなのだろうか、れんだいこはそれを思う。

 もう一つの観点を記す。ヒトラーは、れんだいこと肌合いは違うけれど、やはり史上に残る人物だという気がする。分かりやすく云えば、負ける戦だと分かっていながらも懸命に漕いだ惜しむべき「狂人」であり、だがしかしその「狂人ぶり」は畏敬すべきそれであるかも知れない。

 世に独裁者はあまたいるけれど、現代史最強の米英ユ連合体に挑戦した珍しい独裁者であり、米英ユ連合の虎の威を借りる今時の独裁者とは真反対に位置するそれであったように思われる。その意味では、処世法としては下手な、まずい独裁者であった、ということになる。そのヒトラーに見るべきは悲劇性であり、罵詈雑言で報いるべきではなかろう。これがれんだいこのヒトラー論の結論になる。

 いずれにせよ、ヒトラー論を正確にする為には、西欧史における「ユダヤ人問題の歴史的根深さ」を理解せずには真相に迫れない。東洋の特に日本的島国史観の物差しで測ろうとしても手に負えないものがあることに気づくべきではなかろうか。

 分かりやすく云えばこうも云える。「ユダヤ人問題の歴史的根深さ」の前では、日本における部落問題、朝鮮人問題など初級算数程度のものでしかない。その問題が解けぬ者が、高等数学以上の難解さを持つ「ユダヤ人問題の歴史的根深さ」に対して道徳律で安易に物言い「解決済み」なる観点をひけらかすのは気恥ずかしいことと心得るべきではなかろうか。ここが分かっていないから、ヒトラー問題が問題にならない。

 とりあえず以上をコメントしておく。

 2004.10.24日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評226 れんだいこ 2006/10/22
 【「ヒトラー評価を廻る最新事情」】

 れんだいこの学生運動論に引き続いて更に刺激的にヒトラー論まで言及したい。その意味は、物言わぬは腹膨るるわざなるからである。いずれ、北朝鮮論にも言及しようと思うが、他にすることが多くて筆(指)が回らぬ。さて、本論である。

 ヒトラーは、「史上最悪の600万人ユダヤ人殺しの主犯」として罵倒され続けてきた。ところが、ここ最近、歴史再検証により、いわゆるホロコースト神話の虚構が崩されつつある。日本左派運動の多くは、未だにこの神話にすがりつき、南京事件同様に大きく交ぜれば混ぜるほど左派的なぞと勝手懸想している手合いが多い。

 9.11テロも然りで、憎きイスラムテロリスト論に同調して、その限りで究極ブッシュ派のテロ掃討戦争を首肯せざるを得なくなっている。悪いけど、そういうのは左派とは言わないのだとれんだいこが指摘しても、勝手に思い込んでいるのだからどうにもならない。サヨ論理と論法から決別して左派のそれを創出せしめねばならない。左派運動が余りにも汚染されすぎている。

 研究者によると、ホロコースト現場とされる「アウシュヴィッツその他収容所のホロコースト記念館」に展示されているようなガス室では多数のガス殺ができる代物ではなく、あれこれ検証していくとむしろガス殺は無かったと看做すほうが史実に近いとのことである。ナチスにより社共運動が弾圧され、ユダヤ人を迫害したことは事実であり、その過程で多くのユダヤ人が命を落としたことも事実であるが、「組織的大量虐殺ホロコースト」なるものは捏造と理解した方が良いようである。れんだいこは現在、こちらの説の方に軍配を挙げている。

 ところが、話は更にややこしくなる。ヒトラーの「史上最悪の600万人ユダヤ人殺しの主犯」容疑が崩れ去りつつある今、新たにヒトラーのネオ・シオニズム・エージェント説が出回り始めている。それによると、ヒトラーは、ネオ・シオニズムの黒幕としての国際金融財閥帝国ロスチャイルドの肝煎りで政権を取り、その指図に従って第二次世界大戦に突入し、ユダヤ人を東方移動させ、彼らの世界支配計画の走狗となっていたという説である。その補強証拠として、1・出自論、2・ヒトラーは実は南米に逃亡し、余生を過ごした云々と語られている。

 れんだいこは、1917年のロシア2月革命、引き続く10月革命にはその臭いをかぐ。故に、ロマノフ王朝崩壊過程にも、ケレンスキー政府にも、レーニンの影にもそれを認め、スターリンについてはもっと大いに認めている。しかし、ヒトラーが国際金融財閥帝国の世界支配計画の走狗であった論には、今のところ与しない。これを安易に認めると、ホロコーストで罵詈雑言されたヒトラーは、その神話が崩されるや新たに国際金融財閥帝国の世界支配計画の走狗論で又もや信用毀損されていることになるからである。

 いきなりそこに向うべきだろうか、早過ぎる、論旨が飛びすぎていやしないか、という疑問を覚えている。むしろ、正々堂々と受け止めるべきは、ヒトラー派が紛れもなくネオ・シオニストの世界支配計画に立ち塞がり、西欧と世界の覇権を賭けて一戦に及び、緒戦優位が束の間で次第に劣勢に追い込まれ、遂に敗戦を余儀なくされたと見るべきではなかろうか。基本的には、大東亜戦争も同じ構図だろうと思っている。

 れんだいこは、なぜそう理解したがるのか。それは、ヒトラーの生き様と諸言説に迸(ほとばし)る反ネオ・シオニズム思想の卓見に耳を傾けるからである。もしヒトラーが、彼らのエージェントに過ぎないのであれば、ああまで「生きた言葉」を吐かないだろう。ヒトラー及びナチス党の幹部の諸言説には説得に富む実在力があると看做すからである。高度な文明論歴史観を説いており、ヒトラー狂人説は成り立たないと考えている。

 今現在の資料では、ヒトラーはネオ・シオニズムと闘ったのか、エージェントであったのかを解くのは難しい問題である。しかし、ここを識別せねば、立論できない関門である。厄介な問題になっているが、この問題に立ち入る者は早晩スタンスを決めねば、いつまで経っても判断が下せないだろう。なぜなら、意図的不正情報がふんだんに流布されており、情報に目を通せば通すほど混乱するようになっているからである。

 こういう場合、投企的に見通しを立て、各種情報を精査検証していくことが望ましい。投企立論が維持できないほどの反対証拠に出くわすや、見通しの変更をすれば良い。新しい見通しが同じような困難に出くわすや、同じように新たな見通しを立てればよい。これの螺旋的繰り返しが論の発展というものだろう。

 かく構えるれんだいこは今のところ、1・ホロコースト譚は虚説、むしろ、ネオ・シオニストの犯罪こそ検証せよ。2・ヒトラーは類稀な能力で、ネオ・シオニズムと闘った。これが基本である。3・その過程で、ネオ・シオニズムの両建て戦略の然らしめるところ、相互に権謀術数駆使して交易通謀した、と立論している。この構図に立たないと、全体が見えてこないと思っている。

 そういう意味で、「ヒトラーは実は南米に逃亡し、余生を過ごした云々」の真偽判定は重要である。れんだいこは、よく似た者が居たことは事実であろうが、偽情報と看做している。これが立証されれば、れんだいこの立論は変更を余儀なくされる。出自論については変更を迫られないが、はっきりさせておくことは必要であろう。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【「レーニン、トロツキー、スターリン、ヒトラー四者対照考」】
 考えてみれば、ヒトラーは、1917年のロシア十月革命の頃の同時代人である。ならば、レーニン、トロツキー、スターリンとの比較もせねばなるまい。「レーニン、トロツキー、スターリン、ヒトラー」この四者のうち誰が優秀であったか、これを問うことは興味深い。れんだいこは次のように判断する。

 トロツキーは理論学者としては優秀であるが、党派の指導者としての権力獲得責務において唯一外れている。故に最初に落伍する。スターリンは、権力獲得には優秀であったが、その治世能力はむしろ失陥している。それは無残なまでに失政の繰り返しであり、五十年後のソ連邦崩壊を用意せしめることになった。故に次に落伍する。レーニンは、革命の成功者であり革命前後の類まれな指導者でもあった。しかし、その政治手法は非合法政治を特質としている。これは、レーニン政治の限界であった。建国革命においても初期政策の失敗を取り戻せないままに没した。故に次に落伍する。

 これらに対しヒトラーは、暴力主義的政治手法を裏本質としながらも、表見上は議会闘争を通じた多数者革命方式による合法的平和革命成功者であった。しかも、国家経済建設の名指導者でもあった。ヒトラーの時代、公共事業が格別促進され、その福利でもってドイツは奇跡的な復興と飛躍を達成していた。その国家社会主義政策には瞠目すべきものがある。そういう意味で、ヒトラーが四人のうちでは一番優秀ではなかったか。

 ヒトラーは、並行しての領土拡張主義によって第二次世界大戦を引き起こし、それに破れ身を滅ぼした。この間、とかく反ユダヤ主義による絶滅政策を敷いたことが、今日においても指弾されている。けれども、その背景事情と実態、ヒトラーの能力についてはもっと実証的歴史的に検証されるべきであろう。

 とりあえず以上をコメントしておく。

 2004.10.27日 れんだいこ拝

【いわゆるヒトラー論とのすり合わせ】
 ネット検索で俺様ヒトラー論を見つけた。観点に参考になる箇所があったので引用する。
 「私が思うに、ヒトラーは必要以上に非難され、低く評価され、凶悪な人物とされている。また逆に、この反動として一部で過大評価されている。どちらにしてもヒトラーの実像から離れているように思われる」。
 「ヒトラーに対して極めて異常な人物である、との先入観を抱いてしまい、その先入観からヒトラーの性格や私生活や対人関係や芸術観や政策を解釈してしまうためではないかと思う。そのため、ヒトラーの言動全てが異常人説を証明するものとなり、ヒトラーの異常性を強調することになり、一種の循環論法に陥っているのではなかろうか。これは、ヒトラー政権下の要人への評価にも当てはまることで、ヒムラーやゲッベルスやゲーリングについても実像から離れた評価が一人歩きする傾向はないだろうか」
 概要「ヒトラーの政策なり行為なりを多少でも肯定的に評価しようものなら集中砲火を浴びてしまう。従来、ヒトラーの異常性や冷酷さを証明するものとされてきた数々の言動は、再検討が必要だと思う」。
 「例えば、最近話題になったオーストリアの自由党前党首ハイダー氏である。氏はナチスやヒトラーを擁護したとして世界で大きく報道され、結局辞任に追い込まれた(とはいっても実権は握っているようだが)。ではハイダー氏のどんな発言が問題視されたのかというと、「ヒトラーの雇用政策は秩序的だった」というものである。ハイダー氏の日頃の言動には問題が多かったようだが、それにしても、この発言を以ってナチスやヒトラーの擁護とは行き過ぎではなかろうか。確かに、ナチズム復活への危惧から神経質になるのは分かるが、これでは却って逆効果なのではなかろうか。過剰にヒトラーやナチズムを否定し攻撃するから、一方で一部にヒトラーやナチズムへの憧憬を掻き立てるのではなかろうか」わけで、一般には上記の理解に割と近い形でヒトラーが認識されているように思う」。

【ヒトラー政権登場の社会背景考】
 「ヒトラー政権登場の社会背景」を考察する必要がある。ヒトラーが出現し、ヒトラーを生み出した当時のドイツにおける階級対立と階級闘争とは何であったのか。ヒトラーを生み出した当時のドイツとはどんな歴史時代だったのか。これにつき、 「日本人民戦線万歳」「科学的実践論」の中の「ナチスとヒトラーについて!」の項で、加瀬俊一著「ワイマールの落日―ヒトラーが登場するまで―」(光人社刊)の次の件を紹介している。これを参考にする。

 前置きとして、著者・加瀬俊一氏について次のように紹介している。
 概要「この本の著者・加瀬俊一氏は、職業外交官としてワイマール時代を通じてドイツに駐在し、後に優れた官交評論家として活躍してきた人で、この本はドイツ史の貴重な資料として評価されている。政党政派に属さず、一定のイデオロギーに染まず、冷徹なまなざしで、客観的な事実のみを丹念に追及していったこの著作の中にこそ、歴史の真実が明らかにされている。ヒトラーが出現するに至ったワイマールのドイツの歴史的時代のなかにこそ、ヒトラーを生み出した時代と歴史があり、当時の階級対立と階級闘争がある。このことを加瀬氏は次のように描き出している(その核心部分)」。

 その加瀬俊一氏は、次のように立論している。

 「第一次世界大戦でドイツが敗北した一九一八年十一月から一九三三年にヒトラーが出現するまでの時代をワイマール時代という。そのワイマール憲法は世界史上初めて出現したもっとも民主的で、平和的で、自由と民主主義の教典と呼ばれ、高くたたえられたものであった。しかしそれはまったくの空想と空論と形而上学な観念論的机上の作文でしかなく、ワイマールのドイツはまったくの階級対立と階級闘争、爆発と収れんの世界であった。政治は混乱し、首相は十三人も変わり、十以上もの政党が入り乱れ、経済は破綻し、道徳は退廃し、失業者が街に溢れ、民衆は働けど働けど苦しく、国民の総生産物はみな戦勝国によって賠償金として取り立てられてしまい、国民の貧困はその極に達していた。

 ドイツ国民を窮乏のどん底に落としたのはあのヴェルサイユ条約であった。敗戦国ドイツが戦勝国によって強制されたこの講和条約は一九一九年六月に調印されたが、ドイツ国民は無力で抵抗できなかった。だが憎悪することはできた。ドイツ国民はヴェルサイユ条約を憎悪し、戦勝国とくにフランスを憎悪し、この屈辱的条約を受諾したワイマール政府を憎悪した。無量の怨恨と無限の痛憤をもって憎悪した。憎悪に憎悪した。ドイツ国民が、この屈辱条約をいかに憎悪したかは、ドイツに住み、ドイツ人と共に暮らした者でなければわかるまい。

 この条約は敗残のドイツに酷烈非情な処罰を課していることを知ったドイツ人は絶望に打ちのめされた。産業と工業と農業に富んだドイツ一連の宝庫たるアルサス・ローレンヌはフランスへ。シュレジェンはポーランドに。オイペン、マルメディはベルギーへと、領土の一三パーセントと人口一〇パーセントを剥奪されたうえ、全植民地と全商船隊を没収され、陸海軍は極度に制限された。しかも戦争の全責任を問われ、巨額の賠償金を支払うばかりでなく、多くの要人は戦争犯罪人として引き渡されていった。炭鉱、鉄鋼、主要産業は根こそぎ強奪されていった。こうしたなかで飢えた国民、貧窮したドイツがどうして巨額な賠償金を払えるのか。悲観と絶望がドイツを支配した。

 インフレが加速され一九二三年一月に一ドルが七千マルクだったのが、八月には百万マルクとなり、ついには天文学的数字となり、白ワイン一本が実に十兆マルクもするに至った。ドイツ国民にはせつな主義があふれ、ベルリンはデカダンスとセックスと麻薬があふれた。音楽の世界では「明日は世界の終末だ」という歌が流行していく。一方ではいつも、どこかで労働者のストライキがおこり、いつも電気は止まり、電車も止まり、街頭では左翼と右翼が衝突を繰り返していた。もううんざりであった。こうしてワイマール末期の世相は実に暗いものであった。

 こういう時代にナチス党とヒトラーは街頭に立ち、デモを敢行し、左翼と激突し、実力で共産党本部や労働組合事務所を襲撃し、ポスターとビラでドイツ国民に呼びかけ、民族主義をあふりたてた。ドイツ国民の民族自決権を奪い返せ、国際連盟を脱退せよ、ヴェルサイユ条約を無視せよ、賠償の拒否、社会秩序の確立、失業者救済、をスローガンに選挙闘争を展開、こうしてナチス党は一九二三年にはミュンヘンで武装蜂起(敗北)、一九二八年、一九三〇年、一九三二年には四回も選挙戦を闘い、こうして一九三三年十一月にドイツにおいてはナチス党をただ一つの支配政党とするファシズム体制の承認を求める総選挙を実施したが、そのときドイツ国民は九六%の投票率と九二・二%の支持をナチスとヒトラーに与えたのである。ナチスとヒトラーはドイツ国民の絶対多数を獲得した。ドイツ国民はナチスとヒトラーに歓呼の声を上げた。ドイツ国民はヒトラーに運命を託した」。

 「日本人民戦線万歳」は、次のようにコメントしている。

 「これが歴史的事実であり、ここに歴史科学があり、ここに社会科学的歴史法則がある」。
 「加瀬俊一氏の著『ワイマールの落日―ヒトラーが登場するまで―』が語っているとおり、それはまさに、ドイツ国民の民族自決権を奪った屈辱的ヴェルサイユ条約に対するドイツ国民の民族主義的闘争であり、このような売国的条約を受け入れた憎むべきワイマール政府打倒の闘いであり、国家と社会の安定と安全を求める闘いであり、生活と労働と生きる権利を守る闘いであった。ここにワイマールの時代におけるドイツ国民の階級対立と階級闘争があった。この闘いの力強い核となったのがナチスであり、実はこの党は当初は国家社会主義ドイツ労働者党という名の左の衣をつけた民族主義の党、左翼大衆党であった。これが後に社会ファシズムに転化したのである。

 いずれにしても当時のドイツ国民は国際帝国主義権力に対する闘い、国内の売国的権力に対する闘い、すべては権力をめぐる闘いであったし、これは歴史の必然であり、その必然性がナチスとヒトラーを生み出し、そのような歴史がナチスとヒトラーにドイツ国民の運命を託したのである。しかしやがてファシズムは歴史の発展法則からして、それはいずれは拒否される運命であり、歴史科学はそのように解決した。それが第二次世界大戦におけるナチスとヒトラーの運命となったとおりである」。

【ヒトラー論の偽せ情報考】
 「ヒトラー論の偽せ情報考」をものしておく。その最たるものは、「ヒトラ-=ロスチャイルド家の私生児筋説。ヒトラ-はユダヤ・ロスチャイルド卿の孫」説、「ヒトラ-=国際ユダ邪の秘密エージェント説。ヒットラーはイスラエル建国の使命を果たした」説、「ヒトラ-逃亡生存説。ヒトラ-はベルリン陥落後、南米アルゼンチンで余生を送り96歳まで生きていた」説である。いずれも為にする偽せ情報であり、撹乱情報である。

 「ヒトラはユダヤ・ロスチャイルド卿の孫」説は次の通り。
 「ヒトラ-=ロスチャイルド家の私生児筋説。ヒトラーはウイーンのロスチャイルド男爵(バロン・ロスチャイルド)が家政婦アンナ・マリアに生ませた男児(アロイス)の息子」。
(私論.私見)
 この「ヒトラ-=ロスチャイルド家の私生児筋説」は愚説である。その役割は、ヒトラーの反国際ユダ邪批判の舌鋒を薄める為の撹乱情報であると考えたい。仮に真実としても、それによりヒトラーの反国際ユダ邪批判の舌鋒を薄めてはならない。ヒトラーの言辞をそのままに拝聴すべきである。

 「ヒットラーはイスラエル建国の使命を果たした」説は次の通り。
 「ヒトラ-=国際ユダ邪の秘密エージェント説。ヒットラーはユダヤの敵を装うことによって、結果的に、イスラエルの建国を可能にしたシオニスト・ユダヤの手先だった。SSを含めたナチスが、シオニスト・ユダヤの作った謀略機関だった。ヒットラーが、ユダヤ人を弾圧したことにより、ユダヤは民族性に目覚め、イスラエルに向かって列を成して出国していきました。結果、戦後にイスラエルが建国できました。ホロコーストという惨事を経験したユダヤ人には特権が与えられ、イスラエルの建国が国際社会から容認されました。まさに、ヒットラーは、イスラエル建国の父だった」。
(私論.私見)
 「ヒトラ-=国際ユダ邪の秘密エージェント説も愚説である。この愚説はヒトラ-=国際ユダ邪の秘密エージェント説とホロコースト実在説の二重の誤りから構成されている愚説である。
 
 「その後、南米アルゼンチンで余生を送り96歳まで生きていた」説は次の通り。
 「ヒトラ-逃亡生存説。ヒトラーは1985年12月、南米アルゼンチンのメンドーサの地で亡くなった。 4:14pm, April 30, 1945 エバ・ブラウンとともに飛行機でノルウェーに飛び、最終地の南米のアルゼンチンに到着し、隠棲した。(出番が終わったので)チリの東200マイルに位置する、アルゼンチンの北西のメンドーサ(Mendoza)の町でナチスのSSとスファラジー・ユダヤのコミュニティーに守られて極秘に余生を送った。1985年まで生きていた(享年96歳)。遺体はメンドーサの南東30マイルに位置するパルメロ(Palmera)の共同墓地に埋葬された。その後のヒトラーは絵画が唯一の趣味で、多くの遺作が残されている。最近、東京で展示されている(急遽中止されたが)のは、ドイツ時代に描かれたもの」。 
(私論.私見)
 「ヒトラ-逃亡生存説」はヒトラーとエバ・ブラウンの崇高なピストル又は服毒自殺に対する冒涜である。

 「ヒトラーに関する偽せ情報」は撹乱情報として流布されており、その意図は、ヒトラーが国際ユダ邪に挑んだ聖戦の意義を薄めることにある。この問題はここが本線である。ゆめこの本線から外れるなかれ。

 2016.2.24日 れんだいこ拝

【ヒトラーのオカルト化評論考】
1 ヒトラーの予言
2 黒魔術の秘儀 ─ 死してなお目的完遂
3 ヒトラーが放つ妖しいオーラの謎
4 ことごとく失敗に終わった「ヒトラー暗殺計画」
5 ヒトラー vs ルドルフ・シュタイナー
6 アレイスター・クロウリーと英独の“占星術戦争”
7 ナチスとチベットとグルジェフ
8 「第六感」と「輪廻転生」を信じていた
アメリカ陸軍の猛将パットン将軍
9 エドガー・ケイシーが透視した
第二次世界大戦の本当の目的
10 ヒトラーの背後で働きかけていた
東洋系秘教グループ
ヒトラーの日本観と日独交流秘話
11 「ヒトラー=ルシファー」説
12 ヒトラーとシャンバラ
13 “謎の男”ミゲル・セラノ
14 『黒魔術の帝国』について
15
(私論.私見)
 上記サイトは、ヒトラー論を巧妙にオカルト的理解方向に誘導している。しかしながら、眼光紙背に徹すれば、にも拘わらずの真実のヒトラー論が透けて見えてくる。それゆえに貴重なサイトとなっている。これを追々に分析検証する。




(私論.私見)