フセインの履歴、語録

 (最新見直し2007.12日)

【フセイン総評】
 1937年4月、イラク中部ティクリート近郊生まれ。サダム・フセイン。57年、アラブ統一を掲げる「バース党」入党。一時、同党を追放されたが、68年のクーデターで指導的役割を果たし、翌69年11月、革命指導評議会(RCC)副議長に就任。政敵を次々に倒し、79年7月にはバクル大統領を辞任に追い込んで大統領兼RCC議長となり、独裁体制を完成させた。03年4月9日、イラク戦争で政権が崩壊。同年12月13日、米軍に拘束された。

【フセイン履歴】(2003年4月11日毎日新聞朝刊その他参照)
1932  イラクが、英国の委任統治国から独立。
1937 4月   バグダッドの北約150キロのティクリートで誕生。

 ファーティマ朝エジプトを廃し、アイユーブ朝の始祖となった英雄サラディン(1138年〜93年)もティクリートで生まれている。1187.7月、ハッティンの会戦で十字軍を破る。同年10月、聖地エルサレムを異教徒の手から90年ぶりに奪回した。十字軍の遠征を受けてもエルサレムを守りぬき、サラディンは史上最も名高いサルタン(イスラムの王)となった。サダム・フセインにとっては故郷ティクリートの英雄でもある。
1955 4月

 バグダッド条約機構が成立。加盟国は、イラク王国・トルコ共和国・連合王国(イギリス)・パキスタン自治領(英連邦)・イラン王国。

1957    アラブ社会主義政党「バース党」入党。
1958  急進派のナショナリストたちがイラク王政を倒し、アブドル・カリム・カシムが政権を奪い共和制に移行する。汎アラブ運動を進め、アラブ世界に革命をもたらそうとした。アメリカの後押しで成立したバグダッド条約機構からイラクを脱退させ、石油産業の一部を国有化した。カシム政権はイラク共産党の支持も得ており、イラクがソ連との関係を深めるとみたアメリカは警戒する。
1959 10月   カセム首相(当時)暗殺未遂事件に関与。
1960  当時のカセム政権に死刑判決を受け、エジプトに亡命する。
1963 2月  バース党などのクーデターを受けて帰国。その後、一時バース党を追放され、投獄。
1968 7月  バース党と軍部が第二のクーデターで全権掌握。バース党はアラブの数カ国で活動してきた団体である。宗教とは距離をおいて社会主義を目ざし、但し、共産主義には敵意を抱き、ナショナリズムを唱えて汎アラブ運動を進めていった。政権を手にしたバース党はイラク共産党を弾圧した。

 当時、サダム・フセインはバース党の将来を担う若い指導者であり、新大統領の甥でもあった。

1969 11月  バース党による前年のクーデターを受け、革命指導評議会副議長に就任する。
1975  シラクがフランス首相としてバグダッドを訪れ、当時副大統領だったサダム・フセインと会見し、イラクがフランスから原子炉を購入することについて交渉している。
1979 7月  サダムは叔父のバクル大統領(当時)を勇退させ、大統領に就任。支配者となったサダムは反対派の粛清を繰り広げた。
 フセインがフランスを訪れ、シラクに案内されてフランスの原子力施設を見学した。この訪問の際に取り交わした合意書にもとづき、フランスは発電のための大型原子炉と研究のための小型原子炉をイラクに売却。さらにフランスは、イラクに原子工学を教授し、600人の技術者と科学者を養成する約束をした。
1980 9月  イラン・イラク戦争突入。1988.8月に停戦。
1988 3月  イラク北部のクルド人の町ハラブジャでイラク軍が化学兵器を使用、約5000人を虐殺したとされる 。
8月  イランと停戦 。
1990  イラクに在駐していたエイプリル・グラスピー米国大使が、クウェート侵攻のわずか数日まえに、イラクとクウェートの外交問題についてアメリカは中立の立場をとるとサダムに伝えた。
8月  イラク軍がクウェートに侵攻 。
11月  ブッシュ米大統領がサウジ訪問。
12月  イラク国内で人質にしていた邦人36人を解放。
1991 1月  米軍中心の多国籍軍がイラク空爆。湾岸戦争始まる。
2月  多国籍軍が地上戦に入り、クウェート解放 。
4月  湾岸戦争停戦を受け、大量破壊兵器の廃棄を義務付けた国連安保理決議687を受諾。
1998 12月  米英軍がイラクを大規模爆撃(砂漠のキツネ作戦)。
2001 1月  湾岸戦争開戦10周年のテレビ演説。
9月  9.11日、米同時多発テロ発生 。
2002 1月  ブッシュ米大統領が一般教書演説でイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と非難 。
11月  国連安保理決議に基づき、大量破壊兵器の査察再開。
12月  イラク政府がクウェートに、90年の侵攻を謝罪。
2003 1月  国軍創立記念日に合わせたテレビ演説。
2.15日  ローマ法王特使と会談。
3.7日  国連査察団が査察結果報告。数カ月間の査察継続望む。
3.17日  ブッシュ米大統領がフセイン大統領と息子2人に亡命要求。
3.18日  イラク国営テレビで亡命拒否を表明。
3.20日  亡命拒否を受けてイラク戦争突入。
4月  バグダッドが陥落し、フセイン政権崩壊。
5月  ブッシュ大統領が、大規模戦闘の終結を宣言。
12月  ティクリート近郊の民家で米兵に拘束される。
2004 6月   連合国暫定統治局(CPA)が解散。イラクに主権移譲。
7月  クウェート侵攻などの戦争犯罪容疑で特別法廷に告発される。
2005 1月  国民議会選挙。
4月  元大統領をドジャイル事件で起訴。
10月  特別法廷で、元大統領の初公判。ドジャイル事件公判で無罪を主張。
12月  国民議会選挙実施。
4月  元大統領をアンファル作戦で起訴。
2006 5月  本格政府が発足。
11.5  ドジャイル事件で、元大統領に死刑判決。
12.26  元大統領の控訴棄却、死刑が確定。
12.30  死刑執行される。


【フセイン語録】

 (1990.8.2日、フセイン大統領が議長を務めるイラク革命指導評議会がイラク軍のクウェート侵攻に際して発表した声明)
 「(クウェートの)若い革命家たちがクウェートの政権を打倒した後、イラクに支援を求めた。この支援はクウェートの内政と革命の運命への外国による干渉の可能性を防ぐものである」。
 (1990.11.21日、ブッシュ米大統領のサウジ訪問に反発して))
 「イラクは米軍を粉砕することを決意した。ブッシュ大統領(現大統領の父親)はイラクを侮辱するために(サウジに)来た」。
 (1990.11.26日、国連経済制裁にさらされたイラクの窮状を訴えて)
 「米国がイラクへの医薬品供給を止めた結果、どんなに多くの子供たちが死んだのか知っているか」。
 (1990.12月、イラク国内で人質にしていた邦人36人を解放して)
 「日本人の客人が出国することを認める。客の皆さんは平和のうちに帰れる」。
 (1991.1.6日、湾岸危機について、国営テレビを通じて)
 「暴君のように振る舞う米国によって仕掛けられた戦争だ」。
 (1991.1.17日、湾岸戦争開戦にあたり、国営ラジオで)
 「悪魔のブッシュ(米大統領)が犯罪を犯した。聖なる戦いが始まった。我々は米侵略軍との歴史的対決に正義があると信じる。神よ、勝利は近い」。
 (1991.12.25日のクリスマス・メッセージ)
 「 偉大な戦いのためにイラクとアラブ国民に力と支援を与えてくれるのは神である」。
 (1995.8.11日、ヨルダンに亡命した娘婿、フセイン・カメル中将=前工業鉱物資源相=を非難して)
 「 フセイン・カメルはわれわれを裏切り、絶縁した。しかし(キリストを裏切った)ユダほどの大きな影響を与えることはないだろう。恥とともに生きるよりも、死によって罪をぬぐった方がよい」。
 (1997.11.3日、査察問題で米国との対立が深まる中、長男ウダイ氏に語ったと、国営イラク通信が報道)
 「息子よ、神がお望みなら戦いの覚悟はできている。もし我らの両手が切り落とされたら、歯で剣をつかむのだ」。
 (2001.1.17日、湾岸戦争開戦10周年のテレビ演説で)
 「湾岸戦争は悪魔(米国)と、悪魔を守る連合に対する正義の戦いだった。我々国民は生き残り、イラク軍も生き残った」。
 (2001.8.8日、イラン・イラク戦争終結記念日の演説で、イラク機に対する「飛行禁止空域」を偵察飛行中の米英軍機への対空砲火に言及して)
 「 米英は自国軍機がイラクの脅威にさらされていると言う。パイロットの命が心配なら、家に帰るがいい」。
 (2001.9.15日、米同時多発テロについて国営テレビ演説で)
 「米国は報復として軍事行動に出るべきでない。必要なのは武力ではなく思慮だ。米国がアラブやイスラム教徒を攻撃したら、国際情勢は不安定になるだろう」。
 (2001.9月、ロシア・チェチェン共和国暫定政権代表との会談で、同テロに哀悼の意を示さなかったことについて)
 「そんなことをすれば偽善者になってしまう。米国はイラク空爆という卑しむべきテロを実行している」。
 (2001.10.29日、閣議でパレスチナ住民の武装化を提唱して)
 「 シオニストの敵意にさらされているパレスチナ人が最低限、自己防衛できるよう、装甲車両などを攻撃できる兵器を供与すべきだ」。
 (2002.7.16日、カタール紙との会見で)
 「 アラブ指導者の戦略的な弱点は、敵が我々を扱うのと同じやり方で敵に対処していないことだ」。
 (2002.8.8日、イラン・イラク戦争終戦記念日のテレビ演説で)
 「アラブやイスラムの国を攻撃する帝国は、病的な夢とともに葬られることになろう」。
 (2002.9.2日、イラク入りしたベラルーシ副首相との会談で)
 「米国は、武力による世界支配がうまくいかないとわかり、中東の石油支配に転じた」。
 (2002.12.5日、大統領宮殿査察を受けた演説で)
 「国民を危険な道に入らせないよう、査察団にチャンスを与える」。
 (2002.12.7日、クウェート国民に向けた公開書簡で)
 「神に謝罪するとともに、クウェートの国民に謝罪する。外国勢力(米国)がクウェートを占領し、土地だけでなく精神、宗教、魂までも改造されている」。
 (2003.1.6日、国軍創立記念日に合わせたテレビ演説で)
 「(国連査察は)ほぼ純然たる諜報(ちょうほう)活動だ。査察団は大量破壊兵器を探しているわけではなく、軍事基地や合法的な武器に関する情報を収集することに関心を持つようになった」。
 (2003.2.4日、元英国会議員のトニー・ベン氏との会見で語ったと、英紙が報道)
 「米国はイラクと戦争する口実を探している」。
 (2003.2.15日、ローマ法王特使と会談)
 「イスラエルが大量破壊兵器を保有し、パレスチナ人を殺害しているときに、何も保有していないイラクがなぜ、侵略を受けるのか。明白な人種、宗教裁判だ」。
 (2003.3.18日、イラク国営テレビで亡命拒否を表明)。
 「イラクとそのすべての息子たちは侵略者を迎え撃ち、撃退する準備ができている。イラクは外国人(ブッシュ大統領ら)の命令ではなく、偉大なイラク国民の意思に従う」。
 (2003.3.20日、眼鏡姿で国営テレビに登場して)
 「我々は侵略者と断固戦い、勝利する」。
 (2003.3.24日、開戦直後の空爆で死亡したとの説が流れた後、国営テレビに登場。バグダッド攻防を前に)
 「偽りと破壊をもたらす武装した悪がやってきた時、我々は信仰と聖なる戦いで彼らに立ち向かわなければならない。勇敢な戦士よ、力の限り敵をたたけ。ジハード(聖戦)の精神で戦え」。
 (サハフ情報相が2003.4.1日、国営テレビで大統領声明として代読。イラク南部の激戦地をあげながら、全住民にゲリラ戦参加を求めた)
 「我々は勝利し、敵は敗走するだろう。ジハードはすべてのイスラム教徒の義務だ。今回のジハードは信仰心を試す大きな機会だ。(戦って)死ぬ者には天国行きの報償が与えられるだろう。あらゆる場所で敵と戦え」。
 (米英軍バグダッド包囲網が狭まりつつあった2003.4.4日、サハフ情報相が国営テレビでフセイン大統領の新たな声明を代読)
 「侵略軍に抗戦せよ。勝利は近い」。
 (2003.12.13日、バグダッド移送後に)
 「私の拘束を喜ぶ者は、イラクに対する裏切り者だ」
 (2005.10月、特別法廷の初公判で)
 「これは裁判ではなくゲームだ。私は死刑を恐れない。死刑判決を受けるなら、絞首刑ではなく銃殺刑を求む」。
 (2006.11.5日、ドジャイル事件で、元大統領に死刑判決)
 「お前たちこそが人道の敵だ。アラーは偉大なり。国家よ永遠なれ」。
 (2006.12.26日、元大統領の控訴棄却、死刑が確定)
 「奴隷となるより団結して抵抗を。祖国の敵、そしてペルシャ人があなたたちの間に楔を打ち込もうとしている」。

【サダム・フセインの獄中書簡】
 white 氏の2006.12.28日付阿修羅戦争版投稿に「サダム・フセインの獄中書簡 抄録 [イラク情勢ニュース]」がサイトアップされている。これを転載しておく。

 サダム・フセインの獄中書簡 抄録 2006/12/28

 皆さんはあなたがたの兄弟、指導者が意気軒昂であること、彼が暴君に屈服しなかったこと、そして彼を愛する者たちの願い通りに剣と旗を掲げ続けたことを既に知っている。

 このことは皆さんが兄弟、息子、あるいは指導者に求めたことであり、また皆さんの将来を導く者は同じ資質を備えるべきである。

 ここに私はみずからの魂をいけにえとして神にささげ、もし神が私の魂を殉教者たちとともに天国に送るのなら、あるいは神がそれを延期するのなら、私たちはそれを甘受するし神の意志に依拠することにしよう。

 神は皆さんが愛と許しと兄弟的な共存の体現者となるよう励ましてきたことを忘れてはならない。

 私が皆さんに憎悪するなかれと呼びかけるのは、憎悪は人が公正であることを妨げ、憎悪は皆さんを盲目にして思考する道を閉ざし、バランスのとれた思考と正しい選択をさせなくするからである。

 私はまた皆さんに私たちを攻撃した諸国の国民を憎むことなく、政策決定者と国民を区別することを呼びかける。

 皆さんは、侵略国民の中にも侵略に反対する皆さんの戦いを支持する者がいること、そのなかのある者はサダム・フセインを含む拘束者の法的弁護活動を志願したことを知っておくべきである。

 誠実な国民の皆さん。 私は皆さんに別れを告げるが、私は慈悲深き神とともにあり、神は避難を求める人々を支援し、誠実で正直な信徒を決して裏切ることはない。神は偉大なり。神は偉大なり。イラク国民万歳。戦い続ける偉大なる国民万歳。

 イラク万歳、イラク万歳。パレスチナ万歳。聖戦と聖戦をたたかう戦士万歳。

 サダム・フセイン


【マハティール(前マレーシア首相)の公開抗議文】
 こげぱん氏の2007.1.2日付「阿修羅戦争87」の「野蛮極まりないフセイン処刑−マハティール(前マレーシア首相)の公開抗議文」を転載しておく。
 野蛮極まりないフセイン処刑 Tun Dr. Mahathir Mohamad

 断食明けの祝日、世界は「人道に反する罪」で、イラクのサダムフセイン大統領が野蛮に公開処刑されるのを目撃した。フセインの公開処刑は、戦争犯罪人であるブッシュ大統領とブレア首相によって命令された。

 全世界に放送されたこのサディスティックな公開処刑は、滑稽極まりない正義の戯画化であり、アメリカ合衆国という帝国の力を示し、平和を愛好する民族に対し、ブッシュ政権の命令にひれ伏すか、さもなければ公開リンチに直面しなければならないという警告として用いられた。

 公開処刑は、全てのイスラム教徒に対する侮辱でもある。というのも、処刑はイスラム教徒が祈りと贖罪を請う、断食明けの祝日におこなわれたからである。戦争犯罪人ブッシュがメッカへ巡礼するイスラム教徒のことを何も考えていないことはあまりにも明らかである。この野蛮な公開処刑は、冒涜以外の何物でもない!

 フセイン裁判は最初から最後まで、人民裁判以外の何物でもない、捻じ曲げられた正義であった。フセインの弁護人は情け容赦なく殺された。さらに証人は脅迫され、公正な裁判官は追い出され、傀儡裁判官に取って代わられた。にもかかわらず、我々はイラクが民主主義、自由と正義のために解放されたと聞かされる。

 平和だったイラクは、今や戦場に変えられた。開戦前からイラクに課された犯罪的な経済制裁の結果として、500,000人以上の子供が犠牲になった。さらに医学専門誌による最新の調査結果によれば、2003年の違法な侵略以来、650,000人以上のイラク人が殺された。

 実際彼が犯罪で有罪ならば、戦争犯罪人ブッシュはサダムより多くのイラク人を殺した。サダムフセインが戦争犯罪で有罪ならば、世界はブッシュ、ブレアとハワード(オーストラリア首相)をフセイン同様有罪であると判決を下さなければならない。、そして、国際刑事裁判所はこれらの戦犯を起訴しなくてはならない。ブッシュ、ブレアとハワードに対する国際刑事裁判所による怠慢は、ダルフール、ルワンダやコソボで犯される戦争犯罪を不問に付すのと同様、フセイン裁判のダブルスタンダードを露わにする。

 もし我々が人権と正義を支持するならば、我々はサダムフセイン大統領に対する野蛮なリンチを非難しなければならない。フセイン裁判を正当化する余地はまったくない。戦争犯罪人ブッシュとイラクの傀儡政権は、法の原則を踏みにじった。

 Tun Dr. Mahathir Mohamad,マレーシア前首相 サダムフセイン弁護国際委員会メンバー

 2006年12月30日

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 http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=MOH20070101&articleId=4273
The Barbaric Lynching of President Saddam Hussein Press Statement
 by Tun Dr. Mahathir Mohamad

 Global Research, January 1, 2007

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 On the Holy day of Eid, the world watched in horror at the barbaric lynching of President Saddam Hussein of Iraq, allegedly for crimes against humanity. This public murder was sanctioned by the War Criminals, President Bush and Prime Minister Blair.

 This sadistic act broadcasted to the whole world is a travesty of justice, and was meant to demonstrate the imperial power of the United States and serves as a warning to peace loving peoples that we must either bow to the dictates of the Bush regime or face the consequences of a public lynching.

 The lynching was also an insult to all Muslims, as it occurred on the Holy Day of Eid, whereby Muslims devote themselves to prayer and forgiveness. It is all too clear that the war criminal Bush has no sensitivities whatsoever for Muslims on their pilgrimage to Mecca. This barbaric act is a sacrilege!

 The entire trial process was a mockery of justice, no less a Kangaroo Court. Defence counsels were brutally murdered, witnesses threatened and judges removed for being impartial and replaced by puppet judges. Yet, we are told that Iraq was invaded to promote democracy, freedom and justice.

 A peaceful country has now been turned into a war zone. Over 500,000 children died as a result of the criminal economic sanctions, and the latest findings by the medical journal, Lancet reveals that over 650,000 Iraqis have died since the illegal invasion of 2003.

 The War Criminal Bush has killed more Iraqis than President Saddam ever did, if in fact he was guilty of any crime. If President Saddam Hussein is guilty of war crimes, then the world must find Bush, Blair and Howard equally guilty and the International Criminal Court cannot but prosecute these war criminals. The inaction thus far by the International Criminal Court against Bush, Blair and Howard exposes the double standard of the said Court, when it does not hesitate to prosecute war crimes committed in Dalfur, Rwanda and Kosovo.

 If we support human rights and justice, we must condemn this barbaric lynching of President Saddam Hussein. There can be no excuse whatsoever for this injustice under any circumstances. War Criminal Bush and the puppet regime in Iraq have made a mockery of the Rule of Law.


 Tun Dr. Mahathir Mohamad,
 Former Prime Minister of Malaysia,
 Member of the International Committee, For the Defence of President Saddam Hussein,

 30th December 2006

▽参考リンク
<第2の>マハティール(前マレーシア首相)のフセイン裁判評<東京・ニュールンベルグ裁判>
 http://www.asyura2.com/0610/bd46/msg/459.html


【醜悪なこの赤旗論評を見よ】

 2006年12月31日(日)「しんぶん赤旗」 イラク フセイン元大統領死刑執行 住民の対立激化 懸念も

 【カイロ=松本眞志】「人道に対する罪」で死刑判決を受けたイラクのサダム・フセイン元大統領(69)に対する絞首刑が三十日午前六時(日本時間同日正午)前、首都バグダッドで執行されました。イラク国営テレビが伝えました。二○○三年の旧フセイン政権崩壊後、同政権の犯罪を裁くために設置されたイラク高等法廷による死刑判決が執行されたのは初めて。判決四日後でした。

 高等法廷は二十六日に、一九八二年のイスラム教シーア派虐殺事件への関与を理由にした控訴審でフセイン元大統領らを死刑とした一審判決を支持し、死刑が確定していました。執行期限は判決確定から三十日間でしたが、二十九日深夜にマリキ首相が米側と会談し、その際に執行時間が確定したとみられます。

 ルバイエ国家安全保障担当顧問は「この日が国家統一とイラク人民の解放の日となるよう希望する。これは正義の確立にかかわる問題だ。国民が感情的にならないよう希望する」と語りました。

 フセイン元大統領は、八○年代末にクルド人約十八万人が殺害されたとする「アンファル作戦」などへの関与でも起訴され、高等法廷で審理中でした。今回の死刑執行により、これらの訴追は打ち切られます。

 死刑確定をめぐっては、旧政権から弾圧を受けていたイスラム教シーア派住民と、逆に優遇されてきたスンニ派住民との間では、異なった反応が出ています。両派の対立の激化やフセイン政権与党だったバース党残党の報復活動を懸念する声もあります。





(私論.私見)


フェルナン・ブローデル・センター 研究所サイト
http://fbc.binghamton.edu/index.htm

コメンタリ 総合目次
http://fbc.binghamton.edu/commentr.htm

コメンタリ 日本語目次
http://fbc.binghamton.edu/jpcmhp.html

コメンタリ #118 「サダム・フセインは敗北したか?」
http://fbc.binghamton.edu/118jp.html