日共党中央の変態的選挙総括論批判 |
2003年一斉地方選前半戦をふりかえってのコメント、アラカルト | れんだいこ | 2003/04/14 |
2003.4.14日付け赤旗は、日本共産党中央委員会常任幹部会の「教訓生かし、後半戦での前進のために力をつくそう――いっせい地方選挙前半戦の結果について」なる見出しの総括記事を載せている。これにコメントする。 「日本共産党は、残念ながら全体として現有議席を確保することができず、道府県議選では四年前の百五十二議席から百十議席へ、政令市議選では同じく百二十議席から百四議席(さいたま市をふくむ)へと、後退しました。有権者の期待に十分にこたえる結果が出せなかったことに、責任を感じています」とある。 捲土重来を期すと内外に発表したものの相変わらずジリジリと後退しつづける日共の姿がここに確認できる。これに「科学的社会主義屋」はどう詭弁を弄しているか。次のように云う。 1998年の参院選で約820万票という史上最高の得票後は、2000年の総選挙、2001年の参院選で後退をきっし、参院比例票は820万票から433万票まで後退した。が、道府県議選に立候補した367選挙区(無投票当選をのぞく)の得票を、同じ選挙区で2001年の参院選比例代表選挙でえた得票と比較すると、全体で245万票から324万票へと32.2%の得票を増やしており、得票を増やした選挙区は、324選挙区(88.3%)に達している云々。 今回の選挙でも、公明党・創価学会を先頭とした反共攻撃が、謀略的手法もまじえて、激しくおこなわれた。しかし、全体として、わが党は、これに積極果敢に反撃し、論戦では相手をおいつめる状況をつくり、宣伝でも、対話でも、卑劣な攻撃に負けない気概をもってたたかっている云々。 「反転攻勢」への貴重な足がかりをえたので、この成果に確信をもち、またそこから生きた教訓を引き出し、いっせい地方選挙の後半戦では、本格的な「反転攻勢」にふみだし、議席と得票の前進を必ずかちとろうではありませんか云々。 果たして、この総括が「科学的」であるという根拠は如何に。れんだいこには「化学的」にしか聞こえない。 もし、日共党中央が真摯に対応しようとするなら、全体として自民党、民主党、自由党が善戦している様子、公明党が快調に引き続き前進している様子、社民党の引き続く凋落、共産党の惨状、引き続く市民派の台頭等々の冷静な分析から入らなければならない。原因がどこにあるのかの解明なくしては的確な対応ができないのは、万事に共通する古今東西の教えであろう。 残念ながら、我が日共党中央にはそういう頭脳も姿勢も躾も無いようである。れんだいこはこれを嘲笑しようとは思わない。哀しいことだと受け止める。我が社会が左バネを失っている故に活性化しない、これほど政府中枢が無能を呈しているのにそれを咎められないということは、咎める側がもっと無能である故としか考えられない。 今我々に突きつけられているのは、既成左派戦線の再生を願うべきか、新左派戦線の創造に向かうべきかという課題に対する汝自身の姿勢であろう。れんだいこが思うに、既成左派戦線の再生はあり得ないのではなかろうか。 なぜなら、社民党一つ取ってみても、社会党を解体させた村山―土井ラインの片割れがまだのうのうと党首に居座って、あれこれ政府与党批判し続けられている能天気さを見れば良かろう。この組織内穏和性という宿アに侵されているうちはどうにもならない。当然、日共指導部に対しても同じで、いい訳ばかりしているそのザマは見苦しいというよりもはや痴呆的でさえある。 ならば、どこが台頭してくるのか。こういう議論のほうが面白い。何故か知らぬが、時代の課題に向かわず、何処そこの誰が何派であるとかないとか、明治維新のエキスを論ずるよりも帝国主義の成立が何時頃だとか、西尾末弘が尊敬に値するとかしないとかに興じているそのさまは、ネクラ過ぎよう。 何時果てるのか果てないのか知らないがようやってくれるわ。で、互いに何を得ようとしているのだろう。れんだいこにはどうでも良いことの繰り返しにしか聞こえない。我々が知らなければならないこと、話し合わなければならないことがごまんとあると云うのに。 例えば、フセイン軍はどうなったのか、地下に隠れたのか、報道されていないが酸鼻に虐殺されたのか、この後イラクはどうなるのか、中東はどうなるのか、当然の関心事であろうに。 授業中に余所見したり眠っていたりするのは、れんだいこの子供時代にも結構あったが、教室の真中であぐらをかいて花札やってた奴は居なかった。それは度胸が良いというより、嗜みの問題で、腕白不良野郎はそも授業に出ないで校庭内で好き勝手していたわ。その方が互いに良いやね。れんだいこの侠気は、その腕白坊主と仲が良かったことにある。というか、小学生時代皆仲間だった。だから、気心知れすぎて互いに平和な関係が続いたんだけれども。教室内の花札屋は未経験なんで興味深く見守っているというところかうん。 |
選挙は現代の祭りである。 | れんだいこ | 2003/04/30 |
2003.4.29日赤旗は、こたびの一斉地方選(前半戦、後半戦)の選挙総括を次のようにしている。本来なら新聞社各社とかインターネット掲示板で評論が為されるのが普通であろうが、見当らない。その昔は為されていたように思うのだが、近頃出来ないというのはどういうことだろうか。あの頃よりも自称インテリがあまた居るというのにどういう訳であろうか。評論はようしないが評論の評論なら得意という訳か。 4.28日付日共党中央常任幹部会声明「いっせい地方選挙の結果について」他で、我らの「自称科学的社会主義屋」は次のように云う。概要「4年前の選挙に比べて、一般市議選で90議席、区議選で16議席、町村議選で3議席を後退させる結果となったが、2227議席を獲得し、非改選と合わせ4209議席であり、ひきつづき地方議員数第一党の地位を確保している。女性議員数もだんぜん第一党である」。「町村議会の議席占有率5・21%から5・36%に増えている」。 この総括に拠れば、執行部は又もや責任をとる気が無いことが分かる。この党では、いったん党中央を握れば超電導式に居座ることができるらしい。概要「日本共産党は、国民の立場にたった道理ある訴えと論戦をおこなった。これらの訴えと論戦は、それが届いたところではどこでも、有権者の支持と共感を広げた」とある。つまり、「敗因は、下部党員が訴えと論戦を国民の隅々に広げなかったからだ」とする党中央免責理論を又もや繰り返していることになる。 しかし、こんな総括ではさすがに党員も辟易する。そこで次のように詭弁を弄している。今回の地方選挙を、概要「『反転攻勢』の足掛かりとなる重要な選挙戦」と位置づけてたたかったが、「『反転攻勢』にむけた足がかりをつかむことができたことは、今後につながる重要な成果です」。例によって、これを補強するかのようなご都合主義の数字をいじくった後、「わが党は、これらの新たな前進への足がかりとなる成果を確信に、国政と地方政治での党の本格的な上げ潮をつくるために、力をつくすものです」と云う。 しかし、思わずポツリとこぼしている。「有権者にたいするわが党の働きかけ――宣伝と組織活動の総量が、四年前と比べても不十分な結果に終わったということは、今回の選挙での大きな反省点です」。「たとえば今回の選挙は、党と国民の結びつきのバロメーターである『しんぶん赤旗』読者数が、四年前の選挙に比べて日刊紙で85%、日曜版で84%というなかでたたかわれました」だと。 通常の感性では、なぜ赤旗が減部しているのか、「国民への道理ある訴えと論戦」の中身が骨粗しょう症的ではないのか、だから国民に届いていないのではなく届いた上で却ってボツにされているのではないのか、とすれば党中央の指導性の方にに問題があるのではないのか、イラク戦争での査察継続論は正しかったのか、経済再生のみならず日本再生の青写真を示さず身のまわり要求闘争で手柄宣伝する手法はもはや通じないのではなかろうか等々、原因の解明と手立てを講ずることこそ真に総括すべきところではないのか。そのようなことを自称科学主義屋の党中央に云って見ても馬の耳に念仏かも知れないが。 ところで、れんだいこには見えて来る。今回も社共戦線が凋落一途を示した。この傾向はもはや不可避ではなかろうか。更に、全国的な低投票率は、国民が既成議会を見限りつつあることを証左している。他方で、東京都杉並区では中核派の2名が区議員に当選している。その他全国レベルの動向が気になるところだ。そういえば、門真の戸田さんも堂々たるトップ当選を果たした。他にも一覧情報が欲しいところだ。どなたかやってくれれば良いのに。 これらは新しい動きである。惜しむらくは、左派系党派が共同戦線で議員を増やすような戦略戦術が欲しい。最低限綱領を確立し左派系議員を押し立てて行くことが望まれているのではなかろうか。日本左派運動にこういう能力があるのか無いのか、そこが問われているのではなかろうか。分裂能力が高いことは重々分かった。相互の批判活動が担保されたうえでの結集能力があるのか無いのか、そこが問われているのではなかろうか。 民主党と自由党も今この能力が問われている。それは日本が溶解するのを指をくわえて後押しする愚だけは避けたいという本能的な動きのように見える。政治というのは、大きく見れば階級情勢に拠るのかも知れない。しかし、戦後の我が国の議会制度はよく出来た仕組みとなっており、これを活用しない手は無い。単純にそれもやりなはれ、あれもやりなはれで良いのではなかろうか。その限界を試さず千年一日理論を弄ぶのは愚の骨頂ではなかろうか。 れんだいこはそのように考えてこのところ選挙に行くのが楽しい。選挙活動と当落速報は現代の祭りである。公選法をもっと緩めて、面白おかしい選挙が出来るようになればもっと良い。これに参加せぬ手は無い。そんなことを考えている。 2003.4.30日れんだいこ拝 |
(私論.私見)