日本左派運動考その一、総破産状況にもの申す |
(最新見直し2006.2.23日)
れんだいこは70年代の学生時代を過ごした。既にキャンパス内では少数派に成り下がっていたが、それでもあちこちの大学の学生を寄せ集めれば、学生運動に取り組む者は多かった。各セクトともゆうに数万の隊列を生み出すことが出来た。50年代、60年代の方がもっと精力的だったと思われるが、あの頃までは政治的関心を当たり前の如く発達させた人が多かった。 次第にノンポリが増え、聞くところによると今や学生の政治的意識は地に堕ちている。これは、出身階層に於ける裕福層の子弟化が進んだことに最大の影響があるのかも知れない。しかし、それにしても、人の成育史として変調であり、意図的な行政的措置つまり政治により生み出された現象と考えるべきだろう。なぜなら、人は成長と同時に自他の区別から始まり、自身の社会的位置と関係の確認へと向かい、社会の在り得べき姿と変革を想念するようになるのが自然だからである。その発育がなぜ不全になるのか、それには原因が有ると考えるべきであろう。 もっとも、問題は簡単ではない。政治的意識の未発達は非難されるべきものであるが、変に色のついた政治的意識を持たないという意味での肯定的要素もあるにはある。れんだいこが思うに、50年代、60年代、70年代の学生の政治的意識にはかなり問題があった。概ねマルクス主義に洗脳され、競うように学んでいったが、そのマルクス主義たるや今のれんだいこから見て本来のそれではなく、図式的に公式化された非マルクス主義的な俗流マルクス主義即ちエセマルクス主義を鵜呑みにしていったに過ぎない。そこにはメリットとデメリットが共在していたというべきだろう。 ならば真性マルクス主義に向うべきだったかというと、やはり問題は簡単ではない。真性マルクス主義にも又やや疑問があるというのが最新のれんだいこ見解であるからである。しかしながら、今現在に至るまでマルクス主義に代わる抵抗及び変革の思想が創造されていない以上、その間はマルクス主義に依拠せねばならないだろうとも思う。渇きを覚えた者は何かで間に合わさなければならないからである。 思うに本来は、日本の伝統的百姓一揆の思想と実践の質を誇りに思い、その伝承蓄積された良質面とマルクス主義とを対話させ、いわば弁証法的に揚棄すべきであったと思われる。が、史実はそのようにならず、西欧のものこそ先進的とでも思ったのか一方的に被れてしまった。百姓一揆の伝統は逆に排斥されてしまった。それは負の歴史でしかない。 とはいえ、それは済んでしまったことで今更どうにもならない。今日の問題は次のことにある。我々は、伝統的な闘いの仕方を忘れてマルクス主義に傾斜していったが、そのマルクス主義も通用しなくなり、思想的運動的にエアポケットの中に陥っているのではないのか。よって、思想が現代を掴(つか)めないのではないのか。言葉が時代を掴めないのではないのか。ここからどう脱出するか叡智を結集せねばならない。 歴史を学び、一つ一つを検証し、紐のもつれを解きほぐさねばならないのではないのか。これは一人でできることではない。絶え間ざる議論の交叉によってしか為し得ない。 どうか知らんが、支配階級がしたい放題の放縦の中にあっても、これを掣肘でない。 2006.6.28日現在、5年有余に亙った小ネズミ政権は、既に全く機能していない。小ネズミそのものは最後のイタチ屁を放ちながら、レイプ型愉快犯の正体を丸出しにして楽しんでいる。稀代の名宰相と囃したててきたマスコミは、眉間にしわ寄せることも無く辻褄合わせを楽しんでいる。これを如何にせんか。 2006.3.20日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)