宮顕−不破系日共運動とタカ派系との内通親和考

 「宮顕−不破系日共運動とタカ派系との内通親和考」もいつか書き付けてみたかった。世間では、犬猿の仲と思われているようだが、れんだいこ観点のフィルターを通すと様相を全く変える。宮顕−不破系日共運動は戦後政権与党ハト派とはもっとも激しく時に「左派」的に闘ったが、政権与党タカ派とはポーズ的に対立しているだけで、むしろ親和的でさえあり、もっと云えば表見的には反目しつつも裏では内通している、ように見える。そして、この観点が正しい。以下、この立論を実証する。

 2004.2.15日 れんだいこ拝


【石原東京都知事の年頭の前衛云々挨拶考】

 2004.1.7日の産経新聞によると、石原東京都知事は年頭の挨拶で「東京は前衛でいこう。前衛というのは新しいモデル、パターンを作ること。現場感覚がない人間には絶対できない。日本の行政の前衛になろう」と発言しているとの事である。(「さざなみ通信」「一般投稿覧」より)

 この発言の興味深いところは、宮顕−不破系日共が約50かけて党規約から「前衛」表現を削った矢先、それをおちょくるように石原都知事が「前衛」用語を使っているところにある。投稿者は、「なんとも人を食ったオッサンである」と評している。

 れんだいこが思うに、石原都知事ならずとも現代右派系人士は、日共詭弁を揶揄するところに誉れを見出しているように見える。あてこすられた側の日共系は躍起となって反論するが、この闘いは必ず負ける。なぜなら、日共詭弁は動かし難い事実だから。

 問題は次のことにある。では、仮にれんだいこ党が本式の左派用語を使い分け運動実践していった場合に、現代右派系人士はどのように対応し、宮顕−不破系日共はそのどちらの陣営に片足を突っ込みつつ物言い為すか。

 史上の経験は、こういう場合には、宮顕−不破系日共はむしろ現代右派系人士つまり戦後政権与党タカ派系列に繋がるということを証左している。これを立証すれば話が長くなるのでここでは割愛する。

 ここを踏まえておくべきだ。ということは、こたびの石原東京都知事はひいては仲間内のあてこすり的な互いの存在領域、職分を際立たせる為の単なるパフォーマンスと読むのが相当ということになろう。


 2004.2.15日 れんだいこ拝





(私論.私見)