2010社民党福島党首の政治能力考

 (最新見直し2006.4.4日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「ウィキペディア福島瑞穂(福島みずほ)」その他を参照する。 

 2004.5.13日 れんだいこ拝


 1955.12.24日、宮崎県延岡市に生まれる。1968年、日南市立飫肥小学校卒業。1971年、宮崎大学教育学部附属中学校(現・宮崎大学教育文化学部附属中学校。宮崎市)卒業。1974年、宮崎県立宮崎大宮高等学校卒業。

 1980年、東京大学法学部を卒業。1984年、司法試験に合格。1985年、司法研修所に入所(39期)。同期の修習生には坂本堤、伊藤芳朗、菊地幸夫らがいる。

 1987年、司法修習を修了し、弁護士登録。第二東京弁護士会に所属する。その後、フェミニスト・人権派弁護士として、テレビ朝日系「朝まで生テレビ」をはじめとしたテレビの政治討論番組などに出演する。弁護士時代から従軍慰安婦問題に積極的に取り組んでおり、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を担当した弁護士の一人であり、慰安婦問題については早期から、被害者の救済や問題の周知などに大きな役割を果たした。

 1988年、第18回参議院議員通常選挙で社民党から比例区で出馬し初当選。1999年、社民党神奈川県連合代表に就任。2001年、党幹事長に就任。

 2002年2月15日東京都千代田区朝鮮会館で開催された金正日総書記誕生60周年祝賀会に社民党幹事長として出席した。

 2003年、社民党は第43回衆議院議員総選挙で議席を大幅に減らし、党首の土井たか子が引責辞任をした。これを受け、11.15日、福島が後任の党首に就任する。党首就任後も他党党首と比べて比較的メディア露出が多く、護憲や平和、格差社会の是正などを強く訴えている

 2004年、第20回参議院議員通常選挙で比例区から立候補し再選(2期目)。

 2005年12月2日 無投票で社民党党首に再選(2期目)。

 2007年11月1日に期限失効したテロ対策特別措置法の後継法として国会に提出された新テロ特措法案には、テロ対策特別措置法に引き続き反対。

 2007年12月22日 党大会において無投票で社民党党首に再選(3期目)。

 2008年1月10日、参議院外交防衛委員会で法案が否決され、 参議院の本会議でも否決される見通しとなったことを受けて、与党(自民党・公明党)が日本国憲法第59条に則り再可決を行う方針を示したことに対して「衆議院の再議決は、ここ50年間はなかったことである」として、「与党の数の横暴であり、憲政史上最悪の汚点となる」と反対・批判した。

 2008年、社会主義インターナショナル副議長に就任。

 2009年3月26日の参院予算委員会において、2009年3月よりの北朝鮮のミサイル発射問題に関して弾道ミサイルが日本領内に落下した場合にこれを迎撃する日本政府の方針を批判した。外相・防衛相によって理解を求める答弁がされたが、これに対しても福島は「当たらない場合は国益を侵害し、当たった場合でも単なる人工衛星だったらどうなるのか」などと迎撃批判を続けた。4月4日、政府の北朝鮮ミサイル発射の誤報に際し、「間違ってミサイル防衛で迎撃していたら先制攻撃にもなりかねなかった」と、攻撃目標が存在しない「迎撃」であるのに先制攻撃が可能であるとの見解を示した。

 2009年9月16日に社民党は民主党・国民新党と連立して鳩山由紀夫内閣を発足させ、社民党は11年ぶりに与党に復帰し、自身は内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として入閣した。

 2009年12月4日 無投票で社民党党首に再選(4期目)。

 現在の日本国会における政党要件を満たす政党の党首のなかでは山口那津男(公明党)とともに数少ない参議院議員である。このため、衆議院通常国会での代表質問などを行うことはできず(参議院では行う)、この役目は社民党幹事長の重野安正などが主に行っている。

  • 夫は日本弁護士連合会事務総長の海渡雄一。夫婦別姓を実行するため、婚姻届を提出していない事実婚である。
 社会党委員長
 片山哲、(左派鈴木茂三郎 - 右派河上丈太郎鈴木茂三郎 - 浅沼稲次郎 - 河上丈太郎 - 佐々木更三 - 勝間田清一 - 成田知巳 - 飛鳥田一雄 - 石橋政嗣 - 土井たか子 - 田邊誠 - 山花貞夫 - 村山富市- 土井たか子 - 福島瑞穂

 この辺で、れんだいこの社民党党首・福島党首論をコメントしておく。総評として述べれば、村山富市- 土井たか子ラインよりはよほどましである。何が違うかと云うと、村山富市- 土井たか子ラインは社会党−社民党のイデ―を平気で裏取引する癖があるのに比して、福島みずは社民党のイデ―の実効性を大事にしようとしているところにある。これはとても大事なことではなかろうか。政党が連立を組み与党化することは、可能性があれば追求すべきである。その点で、万年野党による外野批判はいただけない。但し、幾ら連立して与党化したとしても党のイデ―、政策を売り渡す必要はない。村山富市の首相になるや、安保・自衛隊政策の転換は悪しき例である。消費税反対で大躍進させた功績を持つ土井たか子の3%から5%容認転換は悪しき例である。

 その点で、現在の福島党首は鳩山政変の政治史的意義を歴史的に捉え、連立ブロックを組み与党入りし、社民党のイデ―、政策を売り渡すことなく政権維持に汗を掻いている。このことが如何に素晴らしいことか。村山富市、 土井たか子の例を見れば明らかであろう。最終的には、鳩山政権の指針に従うことになる。だがしかし、主張すべきところは主張し、餅を練らねばならない。この点で、国民新党の亀井代表の対応も見事である。こう確認すべきだろう。

 以上総論を述べ、次に確認したいところを確認しておく。

 2010.5.15日、社民党の福島党首が、福井市内で街頭演説や講演を行い、14年5カ月ぶりに運転を再開した高速増殖原型炉もんじゅ(敦賀市)について、「重大な事故が起きる前に止めるべきだ」と持論を展開した。福島党首は核分裂反応を抑える制御棒の操作ミスをはじめ、運転再開後にトラブルが続発しているのを問題視。「これだけ不具合が起きるのは黄色信号がともっているということ。一度止めて点検するべきだ」と強調した。講演後の会見では、「社民党として今後、『止めて点検を』ということは言っていく。(原子力の規制を担う)保安院とも安全性について交渉する」との考えを示した。民主党は高速増殖炉推進などの核燃料サイクル政策を進めており、一連の発言が閣内不一致ともとられかねないため「(内閣の一員ではなく)社民党党首としての発言」と繰り返した。県が北陸新幹線の県内延伸をもんじゅ再開の交渉材料としたことについては「『原子力政策に協力するから新幹線』ではない。(新幹線延伸に伴う)在来線の不安などもクリアされないといけない」とくぎを刺した。そう、それで良い。

 2010.5.16日、社民党の福島党首(消費者・少子化担当相)は、宮崎市内で記者団に対し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関する政府の基本方針に県内移設が盛り込まれた場合、閣議了解に応じない考えを示した。記者団が「(県内移設は)閣議で了解できないか」と質問したのに対し、福島氏は「その通りだ」と明言。また、「沖縄を見捨ててはならないというのが社民党の考え方だ。もともと鳩山由紀夫首相もそのように考えていた」と強調した。そう、それで良い。





(私論.私見)