ポツダム宣言考

 (最新見直し2015.05.23日)

 (目下、書き替え中)

 (れんだいこのイントロショートメッセージ)
  戦後体制の歴史的な読み間違いが様々なひづみを生んでいることに気づかされる。そういう意味で戦後体制論を練ろうと思う。こういう考察は最も高等な頭脳を要するので、れんだいこ一人の手ではおえない。ではあるが、れんだいこ以外にこう問う者が居ないようなので先鞭をつけざるを得ない。この論考が為になったと一人でも云ってくれれば本望である。以下、れんだいこ見立てによる戦後体制論を開陳する。諸賢の批評を請う。平易に書きたかったが、妙に難しく書いてしまった。これは、れんだいこがまだ咀嚼できていないことを意味する。時間をかけてでも書き直し続けたい。 

 2010.10月前後、郵政不正事件の不正捜査により捜査側の責任者である現役の幹部検事即ち大阪地検特捜部の主任、副部長、部長がイモヅル式に逮捕されると云う前代未聞の事態が勃発した。れんだいこは、この事件を奇果とさせて、より根本的に「検察の正義」を問うてみたい。「従来式の検察の正義」の虚構を暴き、時代に照応する「新たな検察の正義」を敷き直したい。「従来式の検察の正義」は、これまで余りにも多くの有能政治家を訴追し過ぎ、逆に極悪の腐敗政治家に対して寛容で有り過ぎた。その定向進化が「郵政不正事件の不正捜査」であり、遂に証拠物の改竄まで手を染めさせるに至ったのではなかろうか。その根は深く、大阪地検特捜部の主任、副部長、部長の三人粛清で事が了えられるものではない。捜査がどのように進展し終息するのか分からないが、関係者の処罰だけで済ますのではなく、これを良い機会として「従来式の検察の正義」にメスを入れるべきではなかろうか。

 こう問う時、立ちはだかるのが戦後体制論である。この問いに真剣に向きあうことからのみ「新たな検察の正義」が生まれよう。日本の法学、政治学は昔よりこういう法哲学的政治哲学的考察を得手としていないように思われる。以下の「れんだいこの戦後冷戦体制論」が一石を投じることができれば本望である。「始めに結論ありき」で臨む端から悪意を持つ雇われシオニスタンには幾ら説教しても無駄である。が、中には深い考えもなくシオニスタンの主張するところの「政治とカネ問題訴追こそ正義の第一歩」の影響を蒙り、勘違いしたまま角栄を叩き小沢を叩き正義ぶる愚か者も居るだろう。こういう者の蒙を開き、角栄擁護、小沢擁護の者には正義の確信を与えようと思う。れんだいこの自負通りになれば幸いである。

 2010.10.12日 れんだいこ拝 


 「日本の戦争を「間違った戦争」とさえ言えぬ首相、戦争法案を提出する資格なし、党首討論、志位委員長の発言」。
  2015年5月21日、 志位/過去の日本の戦争は「間違った戦争」との認識はあるか。首相/(答弁できず)

 志位 今年は、戦後70年です。この節目の年にあたって、日本が、そして総理自身が、どういう基本姿勢をとるかは、たいへん重大な問題であります。戦後50年の「村山談話」では、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩ん(だ)」と述べ、過去の日本の戦争に対して「間違った戦争」という認識を明らかにしております。総理に端的にうかがいます。過去の日本の戦争は「間違った戦争」という認識はありますか。ことは日本自身が行った戦争の善悪の判断の問題です。歴史の研究の話ではありません。日本の平和と安全に責任を持つ政治家ならば、当然判断しなければならない問題です。「間違った戦争」という認識はありますか。端的にお答えください。

 首相 今年は、戦後70年の節目の年であります。70年前、戦争は終結をしました。しかし、さきの大戦において、多くの日本人の命は失われたわけであります。同時に、アジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ。日本はその後の歩みのなかで、まさに塗炭の苦しみを味わったといってもいいと思います。

 戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない。われわれはこの不戦の誓いを心に刻み、戦後70年間、平和国家としての歩みを進めてきたわけであり、その思いにまったく変わりはないわけでございます。そして、だからこそ、地域や世界の繁栄や平和に貢献をしなければならないと、こう決意をしているわけでございます。

 当然、また、「村山談話」、あるいは「小泉談話」、節目節目に出されているこの政府の談話を、私たちは全体として受け継いでいくと、再三再四申し上げてきたとおりでございます。(議場がざわめく)

 志位 私が聞いているのは、何も難しい問題じゃないんです。過去の日本の戦争が、「間違った戦争」か、「正しい戦争」か、その善悪の判断を聞いたんですが、まったくお答えがありませんでした。

 志位 「ポツダム宣言」の認識を認めないのか

 首相 つまびらかに読んでいないので論評は差し控えたい

 志位 この問題は、すでに70年前に歴史が決着をつけております。

 戦後の日本は、1945年8月、「ポツダム宣言」を受諾して始まりました。「ポツダム宣言」では、日本の戦争についての認識を二つの項目で明らかにしております。

 一つは、第6項で、「日本国国民ヲ欺瞞(ぎまん)シ之ヲシテ世界征服ノ挙(きょ)ニ出ヅルノ過誤」を犯した勢力を永久に取り除くと述べております。日本の戦争について、「世界征服」のための戦争だったと、明瞭に判定しております。日本がドイツと組んで、アジアとヨーロッパで「世界征服」の戦争に乗り出したことへの厳しい批判であります。

 いま一つ、「ポツダム宣言」は第8項で、「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行(りこう)セラルベク」と述べています。

 「カイロ宣言」とは、1943年、米英中3国によって発せられた対日戦争の目的を述べた宣言でありますが、そこでは「三大同盟国は、日本国の侵略を制止し罰するため、今次の戦争を行っている」と、日本の戦争について「侵略」と明瞭に規定するとともに、日本が「暴力と強欲」によって奪った地域の返還を求めています。

 こうして「ポツダム宣言」は、日本の戦争について、第6項と第8項の二つの項で、「間違った戦争」だという認識を明確に示しております。

 総理におたずねします。総理は、「ポツダム宣言」のこの認識をお認めにならないのですか。端的にお答えください。

 首相 この「ポツダム宣言」をですね、われわれは受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。そしていま、えー、私もつまびらかに承知をしているわけでございませんが、「ポツダム宣言」のなかにあった連合国側の理解、たとえば日本が世界征服をたくらんでいたということ等も、いまご紹介になられました。

 私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから(議場がざわめく)、いまここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさにさきの大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけでありまして、われわれはそのことは忘れてはならないと、このように思っております。

 志位 私が聞いたのは、「ポツダム宣言」の認識を認めるのか、認めないのかです。はっきりお答えください。

 首相 いま申し上げましたようにですね、まさに「ポツダム宣言」を私たちは受け入れて、これがまさに戦争を終結させる道であったということであります。この、われわれは受け入れることによって、終戦を迎え、そして、まさに日本は平和国家としての道をその後、歩き始めることになったということではないかと思います。

 志位 日本の戦争の善悪の区別さえつかぬ首相に、米国の戦争の善悪の判断ができるわけがない

 志位 私は、「ポツダム宣言」が認定している「間違った戦争」という認識を認めないのかと聞いたんですが、認めるとおっしゃらない。これは非常に重大な発言であります。

 戦後の国際秩序というのは、日独伊3国の戦争は侵略戦争だったという判定の上に成り立っております。ところが総理はですね、「侵略戦争」はおろか、「間違った戦争」だともお認めにならない。

 総理がいま進めようとしている集団的自衛権の行使とは、日本に対する武力攻撃がなくても、アメリカが世界のどこであれ、戦争に乗り出したさいに、その戦争に自衛隊を参戦させるというものであります。しかし、米国の戦争の善悪の判断が、総理にできますか。日本が過去にやった自らの戦争の善悪の判断もできない総理に、米国の戦争の善悪の判断が、できるわけないじゃないですか。(「そうだ」の声)

 戦争の善悪の判断ができない、善悪の区別がつかない、そういう総理が、日本を「海外で戦争する国」につくり変える戦争法案を出す資格はありません。撤回を強く求めて終わります。(大きな拍手)

ポツダム宣言から

 六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞(ぎまん)シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス

 八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

「カイロ宣言」(1943年12月1日)から

 「三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且(かつ)之ヲ罰スル為(ため)今次ノ戦争ヲ為(な)シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス(あらず)又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス」

 「日本国ハ又暴力及貪慾(どんよく)ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐(くちく)セラルヘシ」


 ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK185」のかさっこ地蔵氏の2015 年 5 月 31 日付投稿「ニッポンの新常識 ポツダム宣言は「無条件降伏」ではない 日本政府は条件付きで降伏した 日本共産党最大の悲願は天皇撤廃」。
 【ニッポンの新常識】ポツダム宣言は「無条件降伏」ではない 日本政府は条件付きで降伏した
 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150530/dms1505301000005-n1.htm
 2015.05.30

 安倍晋三首相(自民党総裁)と、日本共産党の志位和夫委員長との党首討論がきっかけで注目された「ポツダム宣言」の英文と日本語現代語訳を、久しぶりに読んでみた。申し訳ないが、数カ所で笑ってしまった。 例えば、第10条の後半だ。「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」とある。終戦後、徹底した検閲を通じて日本のマスコミを管理し、虚偽の報道で日本人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けた側が、宣言では日本政府に「言論の自由を確立しろ」と命じているのだ。GHQ(連合国軍総司令部)は「プレス・コード」で報道機関を統制した。露骨な二重基準には笑うしかない。日本人がポツダム宣言受諾を「無条件降伏」と呼ぶのも大間違いだ。第5条は『Following are our terms』で始まる。「我々の条件を以下に示す」という意味だ。日本政府は条件付きで降伏したのである。具体的には「軍国主義の追放」「領土占領」「日本領土は本州、北海道、九州、四国と諸小島」「戦争犯罪人の処罰」「民主主義復活」「平和的政府の樹立」などである。そして、第12条には「条件が達成された場合に占領軍は撤退する」と明記してある。無条件降伏の要求はこの後の第13条、「全日本軍」に対するものだ。『我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める(以下略)』。第13条に従い、日本軍は進駐軍に1発の銃弾も撃たなかった。昭和天皇が玉音放送を通じて、日本国民に戦争終結を訴えられたおかげだと思う。ちなみに、ポツダム宣言を持ち出した日本共産党は、戦後平和の功労者たる「天皇」について綱領にこう書いている。『党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、(中略)その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである』。「第1章 天皇 第1~8条」の撤廃は日本共産党最大の悲願である。どこが護憲政党なのか。さらに言えば、日本国のために尊い命をささげた英霊を祀る靖国神社への参拝に反対する政治家が、安全保障関連法案の審議では、自衛官のリスク増大を反対理由にしている。軍人や自衛官への感謝や敬意を示しているとは思えない彼らの、偽善的態度とご都合主義にはあきれるしかない。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、人気タレントに。現在は講演活動や企業経営を行う。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。

コメント
01. 2015年5月31日 10:16:29 : b5JdkWvGxs
>第13条に従い、日本軍は進駐軍に1発の銃弾も撃たなかった。昭和天皇が玉音放送を通じて、日本国民に戦争終結を訴えられたおかげだと思う。

 日本人は人がいいから天皇がアメリカとグルだったのに気付かなかっただけさ:大本営は兵隊をわざと死なせるような作戦をやった。まともな戦争ではなかった――ほとんどが餓死か病死だった。武器も食糧も持たせず死ぬとわかった輸送船に乗せて送り出した。敗戦したとたんに、天皇も財界も官僚、政治家も平和主義者のような顔をした。そして日本はアメリカの属国になった。あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。精神主義とかいっているが、その気じゃないのだ。マッカーサーが日本に上陸するのが8月15日から2週間後の30日だ。司令官がすぐ乗り込めるのだ。

 丸ごと米単独占領 支配階級・日本を米国に売る

 占領軍には1発も銃弾は飛ばなかった。

 あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。ドイツの場合は行政機構は壊滅しており、官僚機構も軍隊も解体したが、日本は軍隊は解散させるが、官僚機構はすべてそのまま残した。日本は空襲でも官庁がやられていない。国会議事堂はそのままきれいに残った。大蔵省や日銀も戦前からの建物がそのままだ。ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。それが単独占領を保障したわけだ。みなアメリカに協力して民族的な利益を売り飛ばしていった。アメリカは日本占領に50万人の兵力を用意していた。しかし20万人でよいといって削った経緯がある。戦前の体制がそっくりアメリカの配下になったからできたことだ。いかに日本の支配階級が売国的かがわかる。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn
.htm

04. 2015年5月31日 11:30:12 : d1INYqu1to

>日本人がポツダム宣言受諾を「無条件降伏」と呼ぶのも大間違いだ。

 これは、ケント・ギルバートの詭弁だ。降伏の条件があらかじめ取り決められていない場合は無条件降伏であるが、“戦勝国が提示した条件に何ら条件をつけずして降伏した”場合も、一般には「無条件降伏」と言う[3][4]。無条件降伏の宣明は、原則として戦争終結にさいし一切の和平交渉を拒否するものである[5]。

( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E9%99%8D%
E4%BC%8F
)

05. 無段活用 2015年5月31日 11:34:44 : 2iUYbJALJ4TtU : C3ao1DsJjs
 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

http://www.asyura2.com/15/senkyo185/msg/808.html


それで、ギルバート氏が引用した共産党綱領では、

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天皇制

日本共産党の基本的態度

 ●天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。

 党は、一人の個人あるいは一つの家族が「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。しかし、これは憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。(綱領改定案)

 ●大事な点は(改定案第四章の「憲法と民主主義の分野」の)第一〇項にあります。すでに戦後の情勢変化についてのべたところで、憲法の天皇条項の分析をおこないましたが、ここでは、天皇制にたいする、現在および将来におけるわが党の基本態度を、明確にしました。(不破議長の7中総での報告)

http://www.jcp.or.jp/jcp/22th-7chuso/key-word/b_1.html#Anchor-0501

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 だから、論理的には後者は前者の条文や憲法の規定を逸脱しているわけではない。ただ、いまは陛下の御意思を志位氏が理論的に支える形になっている。志位氏が陛下を支える最右翼(?)のようにも見え、それはそれで非常に興味深い展開だと思う。

06. 2015年5月31日 11:37:04 : aa86V1oKlA
>>01. 2015年5月31日 10:16:29 : b5JdkWvGxs
> ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。

 ドイツでは軍隊も「ドイツ軍人の名声と偉大な功績がいまなおわが民族のもとで命脈を保ち、今後も生き続けることを確信します。」[1]とされている。つまり、「ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった・・・」は、息を吐くように嘘を吐く朝鮮人の妄想にすぎない。

[1] コンラート・アデナウアー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%
BB%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC

7.^ 「私は本日、本会議場において連邦政府の名において宣言したいと思います。われわれは皆、気高き軍人の伝統の名において、陸・海・空で名誉ある戦いを繰り広げたわが民族のすべての兵士の功績を承認します。われわれは近年のあらゆる誹謗中傷にもかかわらず、ドイツ軍人の名声と偉大な功績がいまなおわが民族のもとで命脈を保ち、今後も生き続けることを確信します。」これが現在に至るまでドイツにおける旧軍に対する認識の基礎となった。

08. 2015年5月31日 11:47:57 : Ma5RZiiuic
 これを書いているのがアイダホ州生まれのアメリカ人なんだ。文章だけ見ると保守派の日本人のおじさんを想像して白人のケント・ギルバードの顔は思い浮かばないが、スコティッシュライトが日本国家の基礎を築いた戦没者追悼施設には千鳥が淵霊園がある 元招魂社の靖国神社は戊辰戦争の官軍を祀る施設だ。この戦争にはグラバーと大蔵財閥が関与している。アメリカ人ケント自身が「GHQの洗脳」を問題化しているという事はアメリカ国内にもそういう考えがあるという事だ。彼がテレビによく出ていたのはロンヤスの80年代だった デーブ・スペクターも同時期だった。つまり、日本を民主化させたのがアメリカなら戦後レジームの脱却を促したのもまたアメリカだったのだ。PHP研究者と言えば渡部昇一で、この人は上智大学=カトリック系の人だな。麻生と曽野もカトリックだな=バチカン=戦時中反共の立場で枢軸国を支持。意外と国粋主義の保守も裏のつながりは幕末から国際的なんだよな 一般庶民には日本列島のみに関心を集中させ、自分達は国際的で大きい動きをやる。国粋は庶民向け顕教で、本性=密教はグローバリストだから。拉致被害者を救う会のブルーリボン運動というのがあるが、ブルーリボンというのはガーター騎士団を意味するのだ。つまり、長州関連施設の世界遺産登録とは日英同盟の記念であろう

 れんだいこのカンテラ時評№1257  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 6月10日(水)20時52分2秒
 2015自共党首討論の和気藹々考

 遅まきながら、2015.5.20日の安倍晋三首相と日本共産党の志位和夫委員長の党首討論を論評しておく。実に興味深いやり取りをしているので魚拓文にしておこうと思う。実際のやり取りは、「2015.5.21日付けしんぶん赤旗」の「日本の戦争を「間違った戦争」とさえ言えぬ首相、戦争法案を提出する資格なし、党首討論、志位委員長の発言」で確認することができる。

  党首討論は、志位(委)が安倍(首)の大東亜戦争観を尋ねるところから始まっている。一般的にどう思うかではなく、「過去の日本の戦争は間違った戦争という認識はありますか」と誘導質問的に問うている。安倍(首)は次のように答えている。概要「戦争の惨禍を二度と繰り返さずの不戦の誓いを心に刻み、戦後日本は平和国家としての歩みを進めてきたことを踏まえつつ世界の繁栄や平和に貢献することを決意しています」。

 志位(委)は概要「答えになっていない」と評し、続いて「戦後の日本は1945年8月、ポツダム宣言を受諾して始まりました」と前置きしてポツダム宣言の中身に言及している。即ち、特に第6項の「世界征服企図戦争論」、第8項「カイロ宣言認定の侵略論」の規定を採り上げ、両宣言共に大東亜戦争を「間違った戦争だとしている」とした上で、「総理はこの認識をお認めにならないのですか」と迫っている。これに対し安倍(首)が次のように返答している。概要「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので承知はしておりません。今ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思います」。

  これに対し、志位(委)は「ポツダム宣言の認識を認めるのか認めないのか」と折り畳むように尋ねている。安倍(首)は次のように返答している。概要「ポツダム宣言を受け入れて戦争を終結させた。日本はこれを受け入れることによって終戦を迎え平和国家としての道を歩き始めることになった訳です」。志位が次のように難詰している。概要「戦後の国際秩序は日独伊3国の戦争は侵略戦争だったという判定の上に成り立っております。ところが総理は侵略戦争はおろか間違った戦争だともお認めにならない」。返す刀でこう結んでいる。概要「そういう歴史判断の暗い総理が日本を海外で戦争する国につくり変える戦争法案を出す資格はない。撤回を強く求めます」。

 何となく志位の攻めが功を奏しているように思える。世評も断然、志位の方に軍配を上げている。しかし、れんだいこは別の見方をしている。これが云いたい為に本ブログを書き付けつつある。志位質疑を好評するとすれば、他の論者が気の抜けたビールのような党首討論しかしていないのに比して、多少なりとも意味のある質疑応答をしたと云う点においてである。つまり形式要件においてである。中身を採点すると面貌が変わる。結論から述べれば、両者共に由々しき政治家失格識見を披露している。これを仔細に見れば、斬られたはずの安倍の方がかかと一枚残しており、斬ったはずの志位の方が再起不能的脳震盪に見舞われる予感がある。これを確認しておく。

  安倍の由々しき政治家失格的識見ぶりは無能力と無責任に帰す。中曽根、小泉以来の更なる軍事防衛国家化へ向けての日本大改造を手掛けている最中の当事者である首相が、戦後日本始発の国際テーゼに対して「不詳」と公言することが許されるのかどうか。普通は有り得てならない失言であり、実際にそうであれば失態と云うより現下の戦争法案は出直しが当然であろう。しかも、安倍は、この無知を無知と痛痒していない能天気さをも晒している。今や安倍のこの能天気さは国内のみならず世界でもお笑いの域であり、知らぬは当人ばかりなりの感がある。その意味で、この答弁を引き出した志位質疑は重要なポイントを上げたことは相違ない。

 ところが、志位は、安倍を斬るのに、その論旨が志位自身を切り刻んでいる感がある。即ち、この質疑を通じて、共産党の委員長たる志位がポツダム宣言を丸呑み、錦の御旗の絶対正義としていることを判明させている。しかしながら、そのような態度が本来の共産党のものであろうか。ポツダム宣言は戦勝国側の手になるものであり、もっと端的に言えば国際ユダ屋側のものである。こたびの党首討論は、志位がその国際ユダ屋戦後テーゼの忠実な教徒ぶりを満天下に晒したことになる。れんだいこは、ここに異様さを見て取っている。もっとも当の志位は無痛のようである。前委員長・不破のフリーメーソン史観を忠実に継承しているだけのことと嘯いているのかもしれない。

  こうなると、舞台裏を見れば、右と左と云うポジションは違えども両者は案外と国際ユダ屋同盟仲間なのではなかろうか。通りで党首討論が剣呑にならず和気藹々質疑で終始した訳である。もう少し詳しく述べれば、両者とも国際ユダ屋に飼われている仲間であり、右からのそれが安倍(自公民)、左からのそれが志位(社共)と云うことになるのではなかろうか。れんだいこは、国際ユダ屋論を獲得して以来、これを否定するより肯定する事象ばかりが目についてくる。即ち、この観点より総洗いざらいすれば歴史の深層の真相がよほど見えてくるのではなかろうかと思っている。誰か共認せんか。













(私論.私見)