れんだいこの天皇制考 |
(最新見直し2013.1.6日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
天皇制の学問的考察は「戦後天皇制=「天皇象徴制」の位置付けについて」で確認したつもりである。ここでは、天皇制の歴史的総括をしておこうと思う。これは、「戦後天皇制=「天皇象徴制」の位置付けについて」が理論的理論編、これから述べることが実践的理論編になる。理論も更に理論と実践に分かれると云うことになる。理論のこの面が確認されねばならない。実践的理論は、理論的理論を踏まえて且つどういう了解をして、具体的にどういう指針を打ち出すのかと云う更に高次な分野になる。これはなかなか難しいが、指導者とは、これを為す能力において器量が定められるのではなかろうか。実践的理論に支えられない指導は盲滅法のものであり匹夫の蛮勇と云われる。更に低次の指導となると、理論的理論と何ら結びつかない或いは正反対の実践的理論を打ち出して恥じないことにある。実際には、こういう手合いの指導が多い。警戒すべきである。批判を逞しゅうすべきである。 2010.12.23日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評874 | れんだいこ | 2010/12/23 19:00 |
【2010れんだいこの天皇制考】 2010.12.23日、今日は平成天皇誕生日である。第125代の今上天皇は、1933(昭和8).12.23日に生まれた。今年は77歳即ち喜寿の誕生日となる。御名は明仁(あきひと)、幼名は継宮(つぐのみや)、父は昭和天皇、母は香淳皇后である。この日を記念して、以下、れんだいこの思う天皇制論を書き付けておく。 天皇制の学問的考察は「戦後天皇制=「天皇象徴制」の位置付けについて」で確認したつもりである。ここでは、天皇制の歴史的総括として「れんだいこの天皇制論」をしておこうと思う。 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/sengotaiseiron/seidoron/kenporon/tennoseironco.html) (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/sengotaiseiron/seidoron/kenporon/tennoseiron.html) 「戦後天皇制=「天皇象徴制」の位置付けについて」が理論的理論編、これから述べる「れんだいこの天皇制論」が実践的理論編になる。してみれば、理論も更に理論と実践に分かれると云うことになる。理論を単に理論と実践と云う構図上で捉えるのではなく、理論にも理論的理論と実践的理論の二種類あると云う面が確認されねばならないのではなかろうか。実践的理論は、理論的理論を踏まえて且つどういう了解をして、具体的にどういう指針を打ち出すのかと云う更に高次な分野になる。 これはなかなか難しいが、指導者とは、これを為す能力において器量が定められるのではなかろうか。実践的理論に支えられない指導は盲滅法のものであり匹夫の蛮勇と云われる。更に低次の指導となると、理論的理論と何ら結びつかない或いは正反対の実践的理論を打ち出して恥じないことにある。実際には、こういう手合いの指導が多い。警戒すべきである。批判を逞しゅうすべきである。 日本左派運動内に於いては恐らく今も天皇制打倒が常識である。れんだいこの子供時代の戦後教育の過程で、天皇を「天ちゃん」と呼ぶ教師が現われ戦後民主主義の風潮下で概ね好評価されてきたように思う。が、これは決して自慢できることではない。むしろ教師の通俗さを示していると思うようになった。もとより戦前張りの「国民は陛下の赤子」的絶対主義的天皇制へ回帰せよとか賛美しようと云うのではない。日本で、天皇制が、血統的にはともかくも制度的に連綿と続いている謂れを知って「天ちゃん」と親しく呼ぶのなら構わないと思うが、侮蔑的意味合いで呼ぶべきではないと思うようになった。まず、このことを述べておきたい。 ところで、明治天皇、昭和天皇、平成天皇の誕生日は祝日になっているのに大正天皇だけが外されているのを奇異に思わないだろうか。いわゆる右翼が天皇制絶対護持を説く割には大正天皇に対して不敬な扱いをしているのに疑問を沸かさないのはどうしたことだろうか。右翼的天皇制絶対護持は、右翼の眼鏡にかなう天皇制である限り称え、逆の場合には無視すると云うことになるが、そうなるとかなり恣意的な天皇制護持論と云うべきではなかろうか。その論は、制度護持ではなく、お気に入りの天皇護持と云う人治主義的天皇制論に傾いていることになる。 大正天皇についてもう少し触れておきたい.大正天皇につき、幼少時より病弱、粗脳故に天皇在位後の任に堪えぬことから「押し込め」られ、後に昭和天皇になる皇太子の摂政政治に切り替えられた云々と云う通説が罷り通っている。この観点に於いては何と左派系の政治学者もそのままこの俗説を受け入れている。ところが、れんだいこの調査では全く違う。大正天皇こそ、幕末の孝明天皇以来の英明な天皇であり、明治天皇、昭和天皇なぞは卑俗な役回りを演じた役者に過ぎない。 真に日本的天皇制の伝統的意義を踏まえ、その役回りに忠実足らんとしたのは大正天皇であり、和歌であれ各所詣でであれ日朝皇室友好であれ至るところで有能ぶりを証している。今日の皇室の良き伝統は大正天皇がひな型を作っている。何と大正天皇はそれ故に「押し込め」られたのが真相であるように思われる。大正天皇について、もう少し詳しく知りたければ「大正天皇論」に記しているので確認すれば良かろう。大正天皇にせよ田中角栄にせよ、史上稀有の逸材が悪しざまに云われるのは耐え難い。 もとへ。右翼が天皇制護持とは云うものの、大正天皇不敬ではっきりするように実際には天皇制を自らの主義に基づき政治利用をしているだけであり、日本歴史に連綿と続いてきた天皇制そのものの護持ではない。そういうことに気づくべきではなかろうか。もとより、大正天皇を粗脳視して「押し込め」を当然視する左派的天皇制論の粗脳も同時に確認せねば片手落ちだろう。してみれば、天皇制は右からも左からも揺さぶられながら維持されていることになる。それにしても何故にこう天皇制が弄ばれ、サカサマな天皇論がはびこるのだろうか。こういうところを疑惑しなければ本当の意味での学問にはならない。目下は通説の天皇論、天皇制論ばかりが喧伝され或いは天皇制の意義そのものが風化されつつある。 付言しておけば、平成天皇を明治天皇、大正天皇、昭和天皇と比較した時、何となく大正天皇に近い気がする。ここに平成天皇受難の相が見える。現在、小泉系シオニスタンの宮内庁潜入によって皇室が蹂躙されており、我々には情報が開示されないが、宮内庁内部ではかなりの政変過程にあると見て良い。こういう観点から天皇制及び宮内庁の「構造改革」のサマを見ておく必要があろう。そういう眼で今日の新聞に目を通すと、天皇誕生日だと云うのに各社の記事が冷淡である。そう云う風に誘導する背後の意思を窺うべきではなかろうか。 それはともかく、天皇制とは何なのかを確認しておく。れんだいこ史観によれば、日本的天皇制の起源は実に古く、記紀神話以前にこの国を統べていた出雲王朝御代の命(ミコト)的大王制時代に発しているように思われる。かの時既に日本古神道に基づく祭政一致型の政治制度として様式が確立され、記紀神話上の国譲り後の大和王朝御代になっても継承され、その後の悠久二千年の歴史の風雪に耐え連綿と続いている政治制度であるように思われる。 どこに特徴が認められるのかと云えば、一言でいえば神人和楽的和合政治の粋の型であろう。その内実は、部族連合国家の頭(カシラ)が神として集い、合議制により命又は尊(ミコト)を選任し祀り上げる。祀り上げられた上(カミ)が下々の釜の煙ののぼりを見て生活を気遣い、下々もお上の善政を感謝すると云う思いやりの型も認められる。勢力間の政治的対立を最終的に「和をもって尊し」とする政治理念の下に仕舞いをつけるよう垂示している。これにより、諸外国で見られるような民族皆殺し根絶やしにまで追い込まない手打ち政治の作風が確立されている。この日本政治の型が武家の時代になっても護持され、究極の政治権力として機能しているように思われる。天皇の平素は、命(ミコト)的大王制時代に確立された言霊祈願により天下泰平を祈念している。或いは象徴的権威として諸般全般に皇室活動を続けている。ここに皇室が畏敬され尊崇されて来た謂われが認められるのではなかろうか。 こういう政治制度はいわば民族の知恵であり、こういう伝統と歴史を持つ日本的天皇制の今日的価値は高いように思われる。と云うのも、民族統合の象徴としての存在が、諸外国列強の植民地化に抗するイデオロギーの源泉とも成り得ているからである。日本史上、幕末の黒船来航以降の政治史において、この役割が強固に作用したのは衆知の通りである。これを日本的天皇制の是の面として認めるべきではなかろうか。然るに、左派圏で何故に天皇制打倒が根強いのだろうか。これを愚考する。 現在、左派的人士が為す天皇制打倒は、明治以来の近代天皇制批判でもって有史以来の天皇制批判にすり替えられている形跡が認められる。つまり、批判者は、有史以来の天皇制について殆ど無知蒙昧なままに近代的天皇制の絶対主義的支配性、軍国主義性、海外侵略性を批判して、その論法でそのまま天皇制打倒理論に興じている傾向が認められる。その背後には、西欧近代史を彩る市民革命による各国王朝打倒史是認論がある。逐一上げないがフランス市民革命のブルボン王朝打倒、ロシア革命のロマノフ王朝打倒なぞが代表例である。この延長上で日本革命における天皇制打倒が指針されてきた経緯がある。 しかしながら、近代天皇制批判でもって天皇制打倒まで導くのは早計ではなかろうか。近代天皇制こそ日本の伝統的天皇制に対する異質なものだったと看做して、近代天皇制の淵源をこそ徹底究明し批判すべきではなかったか。その生成過程の論証は、かなり複雑なベクトルが働いている故に一概に述べる訳には行かないが、結果としての絶対主義的天皇制、軍国主義的天皇制、海外侵略的天皇制は明治新政府の伊藤政治以降に政策的に造られたものであり、それまでの伝統的天皇制に対する蹂躙冒涜以外の何ものでもなかった。 これを後押ししたのが国際金融資本帝国主義であり、国際金融資本帝国主義は近代天皇制を通じて日本コントロール、侵略の道を敷設して行った形跡が認められる。その途上において、大正天皇の内治主義的政治が邪魔になり「押し込め」を指令し、当時のシオニスタンがこれを請け負った形跡が認められる。戦前の好戦政策の背後には国際金融資本の金融コントロールが厳然としてあった。これを認めるべきではなかろうか。かく認識しておれば、戦前の共産党員が思想検事との問答において釈伏させられることもなかっただろう。 敗戦の結果導入された戦後憲法の象徴天皇制は、天皇制史上、伝統的な型に回帰しているように思われる。象徴天皇制、国事行為の制限は天皇制的に見ても理想的であるように思われる。昭和天皇の戦後の在り方は、表向きは戦後の象徴天皇制の地位に甘んじて来たように思われる。目下の平成天皇も伝統的天皇制の在り方に基軸を置いているように見える。ならば、日本政治の相対的ながら善政的質の証として戦後型天皇制を護持することは一向に構わないのではなかろうか。願うらくは、天皇の国事行為のうち政治的関与を薄め、外交的文化的精神的皇室活動の方にもっと期待しても良いのではなかろうかと思われる。 この状況でなお且つ天皇制打倒を叫ぶ者は、それが右からであれ左からであれ、良からぬ企みに加担しているかよほど粗脳かのどちらかであるように思われる。今日的には目下の皇室の危機は却って危ない。天皇制が日本の伝統的な在り方の枠内で護持され国民統合の象徴として在る方が賢明ではなかろうか。 2010.12.23日、天皇陛下の77歳の誕生日を祝う一般参賀が皇居であり約2万6300人が訪れた。陛下は「皆さんの祝意に深く感謝します」と語り、笑顔で手を振った。陛下は皇后、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻とともに3回、宮殿のベランダに立ってあいさつした。陛下は「今年は経済情勢が厳しいなか、多くの地域で猛暑が続きました。苦労の多い日々を過ごした人も多いのではないかと案じています」と述べたうえで、「今年もあとわずかになりました。どうかくれぐれも体に気をつけ、元気に新年を迎えられるよう願っています」と続けた。こういう言葉を戴くのは良いことではなかろうか。 2010.12.23日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)