補足・憲法草案に関与したGHQ側要員の証言考

 (最新見直し2013.1.6日)

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 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「憲法草案に関与したGHQ側要員の証言」を確認する。

 2012.1.6日 れんだいこ拝


 2012.12.30日、舞台芸術監督ベアテ・シロタ・ゴードン女史が米国 ニューヨークの自宅で膵臓がんのため死去した(亨年89歳)。彼女は、1923.10.25日、オーストリアの首都ウィーンで生まれた。ウクライナ系ユダヤ人の父母を持ち、少女時代を東京で過ごし、二・二六事件にも遭遇している。開戦前に単身渡米。22歳の時、終戦前後、連合国軍総司令部(GHQ)の要員に応募し、日本通としてGHQ民政局のGHQ憲法草案制定会議のメンバーに選ばれた。

 人権小委員会の一員として活躍し、日本国憲法24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した。戦前日本の家族法は骨子として長子を家督相続人とする「家長制度」を規定し、婚姻に際しては家長の許しを必要とさせていた。彼女は、封建的な家族制度の象徴であった長子を家督相続人とする家長制度、男女差別、婚姻制度を否定し、均等相続、男女平等、自由恋愛制を主張し日本側からの反対を押し切った。

 憲法施行の年に離日。帰国後はニューヨークに居を構え、その後も訪日を重ねた。ジャパン・ソサエティ、アジア・ソサエティのプロデューサー・ディレクターとして世界の民俗芸能を米国に紹介。アジア・ソサエティを退職後、パフォーミング・アーティストを集めて世界中を公演するキャラバン(文化交流事業)の実現を目指していた。

 ゴードン女史は、日本国憲法の草案作成に直接携わった最後の生き証人だった。朝日新聞の取材(ニューヨークの中井大助)に次のように語っている。「日本の憲法はアメリカよりすばらしい。日本の憲法は世界のモデル。若い女性はもっと活躍してほしい」。

 「*国の日本悪玉論*」を参照する。
 米歴史学会の重鎮ジョン・ダワー「日本には行き過ぎた愛国主義が存在している」。「国を思うて何が悪い」(阿川弘之、光文社刊)。「あくことなき左の連鎖」、「「日本悪玉論」を拡散するジョン・ダワー」。

 「暗黒史観」の洗脳工作

 英国MI5(情報局保安部)が共産主義者と断定していたカナダの外交官、ハーバート・ノーマンは、GHQ(連合国軍総司令部)で日本の占領政策に関わり、有数の日本専門家としての発言力を背景にマルクス主義色の濃い「民主化」を進めた。GHQ対敵諜報部調査分析課長として、ノーマンが以前勤務していた日本に戻ってきたのは1945(昭和20)年9月。ハーバード大時代に親交があった都留重人(後の一橋大学長)と、マルクス主義の憲法学者、鈴木安蔵を訪ね、「今こそ日本の民主化のために憲法改正を実践に移す好機だ」と憲法草案作成を働きかけた。治安維持法適用第1号の京都学連事件で検挙された鈴木は、ノーマンの助言を受け、天皇制廃止を主張していた元東大教授の高野岩三郎と憲法研究会を結成。同年12月26日に政府の改正草案より1カ月早く憲法草案要綱を発表。この草案を参考にGHQが最終草案を作った。
 その過程で、ノーマンは「君たちの憲法草案も(天皇制を廃した)共和制ではないが、どういうわけだ」と質問。鈴木が「今の状態で国民的合意を得ることがむずかしい」と答えたところ、ノーマンは「今こそチャンスなのに、またしても天皇が存在する改革案なのか」と反論したという。日本人の自発意思により作成した「民主的」とされる憲法草案も、ノーマンの工作で生まれたものだったということになる。ノーマンが重視したのは、1条の「天皇は、日本国の象徴であり(中略)この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」の部分で、「国民の総意」を口実に天皇制を廃止できるようにしたといわれる。(中略)
 またノーマンがハーバード大学の博士論文として執筆した著書「日本における近代国家の成立」は、GHQが日本理解のバイブルとして利用したとされる。戦前の日本を人民の生活と諸権利を犠牲にし、封建的要素を濃く残した、いびつな近代社会と指弾するものだった。日本共産党の講座派マルクス主義理論に依拠する歴史観は、制裁的な占領政策を推進するニューディーラー(ルーズベルト大統領のニューディール政策支持者)たちに影響を与え、戦後の日本に自虐史観を根付かせる要因となった。(編集委員 岡部伸 産経新聞 2014年7月27日

 アメリカは被害妄想の国なぜアメリカ離れできないのか

 アメリカの本音はあらゆる手法で戦後日本をマインドコントロールしつつ、西側の一員として対共産圏への防波堤にすることだった。対日戦略のさまざまな相貌について2009年夏号に掲載された、松田武と北村稔、2人の歴史学者の特別対談を再掲する。

 アジア人種への恐怖日米戦争は「人種戦争」だった

 日米戦争の原因は日本の軍国主義? 米国ではそんな議論より「なぜ日本をそこまで追い込んだのか」との研究がなされている。人種問題、エネルギー問題は重要なキーでもある。

 西洋人は世界史を見直すべき/元ニューヨーク・タイムズ東京支局長 ヘンリー・S・ストークス氏(野村成次撮影)

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長 ヘンリー・S・ストークス。半世紀にわたり日本に滞在、日本外国特派員協会で最古参だ。著書「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社)は、「在日外国人記者がはじめて書いた正しい近・現代日本史」(評論家の宮崎正弘さん)などと話題を集め、出版依頼が相次いでいる。「多くの読者の皆さまに感謝します。『東京裁判は勝者の復讐(ふくしゅう)劇にすぎない』、『いわゆる『南京大虐殺』はなかった』と世界の既成概念に欧米人で初めて挑戦したことに興味を持っていただいた。ただ私は歴史に対して公平でありたかったのです」。

 初めて日本に来たときは、戦勝国史観に立ち、「日本は悪かった」、「東京裁判は正しく、南京大虐殺はあった」と信じていた。「滞日が長くなるにつれて、霧が晴れるように米国が押しつけた歴史観が誤りであることを悟り、歴史的真実がどこにあるか認識できるようになりました。皆さんも反日国家のプロパガンダに惑わされず、歴史の真実を知って、日本が誇りある国になってほしい」。
 東京発の欧米特派員の報道には偏向した内容が少なくない。彼らの一部は日本を「肯定」する最長老に「修正主義者」のレッテルを貼った。「滞日経験が浅い彼らのほとんどが勉強不足です。昨年5月に私の本について『南京虐殺否定 無断加筆 ベストセラー翻訳者』との捏造(ねつぞう)記事を書いた共同通信の若い米国人記者も、創作小説にすぎないアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』を史実のごとくに信じていました。米東部の名門大学を卒業したエリートですらこのレベルです。私こそ『リベラル』。人種的偏見や差別に反対で、草の根の声を大切にしています。真実を壊す嘘を受け入れられません。しかし、日本でリベラルといえば、中国や旧ソ連を支持する左翼です。これはおかしい」。
 「日本は侵略した」と欧米や中国、韓国、日本の学者まで主張する。それは「連合国側の史観」。敵側の戦時プロパガンダです。確かに日本が欧米諸国のアジア植民地に軍事進攻したことは事実です。しかし、それ以前に侵略して植民地にしたのは欧米諸国です。日本は欧米の植民地を占領し、日本の将兵が宣教師のような使命感に駆られて、アジア諸民族を独立へ導いた。アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。西洋人は世界史を見直すべきです。日本はアジアを独立に導いた「希望の光」。「侵略」したのではなく「解放」し、独立に導いたのです。アジア、アフリカ、北米、南米、豪州を侵略した西洋は謝罪していません。なぜ日本だけが謝罪しなければいけないのか。白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです」(産経新聞 2015年6月29日

 「日本無罪論」パール博士の言葉

 東京裁判で戦犯として訴追された25被告に対し「全員無罪」を主張したインド代表判事、ラダ・ビノード・パール博士。彼が判決後に案じ続けたのは日本の断罪が判示された「東京裁判史観」が影を投げ続けていくことだった。

 占領軍と癒着した「反日日本人」

 「反日日本人」のルーツは、占領政策を継承し拡大再生産していく「友好的日本人」による「内的自己崩壊」を仕組んだ占領軍の「精神的武装解除」政策にあったことを見落としてはならない。


 「捻じ曲げられたポツダム宣言」。

 日本に戦争終結を促したポツダム宣言は全13カ条から成る。日本がこの宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結した。しかし、その裏側には大国の駆け引きやトルーマン大統領の思惑も交錯する。アメリカの戦争犯罪の側面も見え隠れするのだが……。 前田守人編集長

 前田守人の視線

 ポツダム宣言の草案の第12条には「平和政策を遂行する芽が植え付けられたと確信するならば、これは現在の皇室のもとでの立憲君主制を含むこととする」とある。駐日アメリカ大使を長く務め、知日派として知られたジョゼフ・グルーは草案作成を腹心ユージン・ドゥーマンに命じる。グルーは天皇の地位を保証すれば日本は講和に応じることを知っており、原子爆弾を使うことなく日本が降伏すると考えていた。皇室の存続が約束されれば、日本は草案の内容でポツダム宣言を受諾しただろう。しかし、トルーマン大統領は草案にあった天皇の地位保全の部分を削除するのである。日本がポツダム宣言を受諾できないようにするためで、原爆投下前に日本を降伏させたくなかったともいわれる。最終的にポツダム宣言は7月26日に発表され、8月6日と9日には広島と長崎に原爆が投下されたのである。8日にはソ連が日ソ中立条約を一方的に侵犯し対日宣戦を布告。14日には御前会議でポツダム宣言受諾を決定。15日に玉音放送で「戦争終結」が放送された。歴史に「たら・れば」は禁句だとしても、もしポツダム宣言から皇室維持の文言が削除されなければ……と、つい考えてしまうのである。

 原爆投下の口実づくりに利用された

 「碧い眼の天皇崇拝者」が皇室を残すために

 5月の国会で安倍首相と志位共産党委員長の党首討論で話題となったポツダム宣言。早大教授の有馬哲夫はこの宣言が、日本を開戦に追い込んだローズヴェルトの仕打ちを批判し続けた男が、皇室を残すために考え出したものだと指摘する。

 「降伏文書」法的には「休戦協定」

 1945年4月、ルーズベルト大統領が急死したのち大統領に昇格したトルーマンは、日本政府には無条件降伏の意思のないこと、そして日本の本土決戦となると、アメリカ軍は500万人の兵力を要し、アメリカ軍の死傷者は100万人以上に達するだろうという予測に鑑み、日本に不名誉ならざる終戦の機会を与えるべく、ポツダム宣言を起草させました。この内容については、ソ連のスターリンは不満でしたが、「条件付き終戦でも、日本を非武装化した後では、実質的に無条件降伏にすることができよう」と述べたといいます。

 米戦艦ミズーリ上で連合国の降伏文書に調印する日本側全権、重光葵(中央、Wikimedia Commons)

 このポツダム宣言を受けた日本政府は、御前会議の後で連合国側に「宣言に挙げられた条件を、同宣言は天皇の国家統治の大権を変更する要求を包含しおらざることの了解のもとに受諾す」と公式通告文として送り、連合国側はこれに対して否定の回答をしませんでした。同年9月2日に東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ艦上で調印された「降伏文書」は、こうしたポツダム宣言の内容を条約化したもので、これにより、連合国も日本も共にこの宣言の内容を遵守すべき義務を負ったわけです。「降伏文書」という名前も、連合国側の意識的なネーミングで、法的には「休戦協定」というのが正しいのです。ですから、その後日本にはポツダム宣言に明記された条件を除き、連合国側の恣意的な命令に服する義務は全くありませんでした。ところがマッカーサーは、占領開始後の9月6日、本国政府からの通達に従って、先述した狡猾なすり替えを策し、自分の命令が至上絶対であることを日本側に強引に認めさせていったのです。当時、国会で外務省条約局長が、「日本は国として無条件降伏をしていない」と説明しましたが、マッカーサーはこの言葉に激怒して、条約局長を左遷させました。(青山学院大学名誉教授、元植草学園短期大学学長・佐藤和男)■国際法の観点から考える東京裁判の正しい理解(《PDF》『法律文化』2005年11月号)

 「軍隊の無条件降伏を宣言せよ」

 日米戦後史の始点 ポツダム宣言で何を受け入れたのか

 誰もが知っていながら、これを読んだことのある人はごくわずかかもしれないポツダム宣言。日本の戦後を考える上で決定的に重要な文書には何が書かれているのか、京大名誉教授の佐伯啓思が読み解く。

 「ポツダム宣言」現代語訳では

一、米国大統領、中華民国国民政府主席、英帝国首相は数億の国民を代表して協議を重ね、日本国に対し、この戦争を終結する機会を与えることに合意した。
二、欧州方面の陸海空軍によって数倍にも増加された米英中の驚くべき兵力は、日本本土に対し最後の打撃を加えようとしている。この軍事力は、日本国が抵抗をやめるまで日本国に対して戦争を遂行しようとする全連合国の決意によって、鼓舞され持続されている。
三、自由を希求して奮起する世界の諸国民の力に対し、ドイツが重ねてきた無益で無意義な抵抗の結末は、日本国の国民にとって極めて分かりやすいひとつの見せしめとなるだろう。現在、日本国に向かって集結しつつある力は、抵抗を続けるナチスに対して発動され、全ドイツ国民の国土と産業、生活様式を荒廃させた軍事力よりも強大なものである。われわれの決議によって支持されたわが軍事力の全面的な発動は、日本国軍の不可避にして完全な破壊と、日本本土の、同じく不可避にして完全な焦土化を意味する。
四、日本国は、無分別な算段で日本帝国を滅亡の淵に陥れている強情な軍事助言者たちに支配されたままこの戦争を続けるか、あるいは道理に従うか、決断するときがきた。
五、以下は、われわれの条項である。われわれは譲歩しない。ほかに選択の余地はない。いかなる遅延も受け入れない。
六、われわれは、無責任な軍国主義者が世界から駆逐されるまで、平和、安全、公正の新秩序を形成することは不可能であると確信するものであり、日本国の国民を欺き世界征服の誤った道へ導いてきた者の権力と影響力は、永久に除去されなければならない。
七、右のような新秩序が形成され、日本国の戦争遂行勢力が破砕されたという確証が得られるまで、連合国が指定する日本国内の諸地点は、連合国進駐の根本目的の達成のために占領下におかれるべきである。
八、カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、日本国の主権は本州と北海道、九州、四国、われわれが規定する諸離島に限る。
九、日本国の軍隊は、完全に武装解除されたあと、それぞれの故郷に戻って平和で生産的な生活を営む機会を得ることを許される。
十、われわれは日本人を民族として奴隷化したり、国家を滅亡させることは意図していないが、われわれの捕虜に対して虐待行為をした者を含む、全ての戦争犯罪者は厳正な裁判が加えられるべきである。日本国政府は、日本国民の間にある民主的な傾向を再生し強化するために、あらゆる障害を除去しなくてはならない。言論、信教、信条の自由とともに、基本的人権の尊重を確立すべきである。
十一、日本国は、その経済を持続し、物による正常な賠償可能程度の産業を維持することは許されるが、日本国を戦争への再軍備に向かわせる産業は許されない。この目的のために、管理は別として、原料の入手は許される。日本国は将来、世界貿易関係に従事することも許される。
十二、以上の目的が達成され、日本国民の自由に表現された意思に従って平和的性向の責任ある政府が樹立されると同時に、連合国占領軍は速やかに日本から撤収する。
十三、われわれは、日本国政府が全ての日本軍隊の無条件降伏を直ちに宣言し、そのための適正かつ十分な保障を心からの誠意を持って準備するよう要求する。これ以外の日本国の選択は、迅速かつ完全な破壊あるのみである。
 (『月刊正論』2003年9月号より)■ポツダム宣言 / 英文(国立国会図書館『日本国憲法の誕生』憲法条文・重要文書)

 対日戦争「狂人1人に責任」

 原爆投下ではない 「ポツダム宣言」で降伏を決意した日本

 フーバーは強く非難し、アイゼンハワーは不必要だと信じていた。大統領経験者や陸軍首脳など米側でも否定的見解のあった原爆投下。「原爆が投下されたから日本が降伏した」という虚説を外交評論家の加瀬英明が正す。

 「ご聖断の場」公開

 地下防空壕だった御文庫付属室の会議室=皇居・吹上御苑(宮内庁提供)
 宮内庁は戦後70年にあたり、玉音放送の原盤、終戦を決める御前会議を開いた御文庫付属室の写真や資料を公開した。御文庫付属室は皇居・吹上御苑内の防空施設で、昭和20年8月10日、昭和天皇がポツダム宣言受諾の聖断を下した御前会議や、同14日に戦争終結を決定した御前会議が行われた。

 ■聖断の大御心

 鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長で、御前会議に陪席していた迫水久常によると、昭和天皇は次のように発言されたという。

 大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。又先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか。自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。それにこのまゝ戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。

 君主の使命と困難

 昭和天皇実録 国の舵取りしなければならぬ元首の立場を示す

 『昭和天皇実録』が宮内庁により昨年9月9日に公開された。『実録』は同時に、現代に続く国民と皇室の在り方を考えるうえでも重要な記録となる。文芸評論家の富岡幸一郎氏が今上陛下へ受け継がれたものを読み解く。

 「若い世代や、海外の人々にも観てもらいたい」原田眞人監督

 1967年以来二度目の映画化となる「日本のいちばん長い日」。当時は直接的な描写がなされなかった昭和天皇の存在を前面に押し出している。監督・脚本を務めた原田眞人さんに、本作に込めた思いについて話を聞いた。


 「米国の歴史認識の偏り」。
 「慰安婦は天皇の贈りもの」─米国の歴史教科書に、こんなイエローペーパーまがいの記述が堂々と。これだけみても米国の歴史学会ってナンボのもんじゃい、と誰だって思うでしょう…。 立林昭彦編集長

 いま米国は「歴史の読みが浅い」

 日独枢軸を叩き潰して米国は勝利した。ワレに正義あり! この「勝者の気分と理屈」が米歴史学会を支配しているのではないか。他国の歴史・文化を虚心に研究するのが学問のスタートでありましょう。なのに自分の都合のいいメガネで見てしまう。米国のこうした性癖につき渡部昇一さんは「中世を経験していないから」と指摘されています。まことに意味深長なご指摘です。(立林昭彦)

 日本理解は進んでいるのか

 史実に基づく修正までなぜためらうのか

 慰安婦問題、東京裁判、ハル・ノート、そして今日の日本の言論事情。東大名誉教授、平川祐弘は過去の戦争をどう考えているのか。

 「侵略戦争」めぐる駆け引き

 昭和22(1947)年5月1日と2日、日本海に面した山形県酒田市の商工会議所で、極東国際軍事裁判(東京裁判)の臨時法廷が開かれた。
 
臨時法廷での石原莞爾元陸軍中将
 昭和6年に起きた満州事変に関し当時の関東軍作戦主任参謀で、酒田の北20キロの農場で病気療養中の元陸軍中将、石原莞爾を尋問するためだった。ニュージーランド人のノースクロフト判事をはじめ検事、弁護人、通訳、内外の新聞記者ら100人近くが東京から夜行列車で乗り込んできた。米国など連合国、つまり戦勝国は裁判で日本が満州事変前後から「共同謀議」を重ね、他国を侵略し「平和に対する罪」を犯したという構図を描こうとしていた。そのため「起点」とした満州事変について石原の証言を得ようと、異例の出張尋問となったのだ。だが信奉者の青年が引くリヤカーに乗って現れた石原は、冒頭発言で裁判官らの意表をつく。「満州事変の中心はすべて自分である。自分を戦犯として連行しないのは腑(ふ)に落ちない」。裁判では満州事変当時、石原の上司で関東軍高級参謀だった板垣征四郎元陸相らが起訴されていた。だが事実上関東軍を指揮、満州(中国東北部)の張学良軍と戦った石原は逮捕も起訴もされなかった。
戦勝国側が共同謀議の「首謀者」と見ていた元首相、東条英機と犬猿の仲で、支那事変(日中戦争)拡大に反対したためなどといわれる。いずれにせよこれも東京裁判の矛盾点のひとつで、痛いところを突いたといえる。(産経新聞『子供たちに伝えたい日本人の近現代史』、2014.08.24

 「勝者の歴史観」で止まったまま

 恥ずかしくなる米歴史学会の研究レベル

 周りの人の意見を聞き、じっくりと資料に向かうのが基本でしょ!日本史を研究する新進の米国人学者、モーガン・ジェイソンが日本の歴史との出会い、そして中韓が仕掛ける歴史戦に鋭い批判を浴びせる。

 テストに出る? 慰安婦は「20万人」

 史実と異なる慰安婦の記述がなされている世界史の教科書を出版している米マグロウヒル社は「歴史的事実をめぐって、米歴史学者たちがぶれることはない」と断言する。だが、歴史学者らの「ぶれ」はすでに表面化しており、教科書の出版元への批判も一層強まりそうだ。
 「日本軍は売春宿で働かせるために20万人にもおよぶ14歳から20歳までの女性を強制的に募集し、徴収し、制圧した」。慰安婦問題について、マグロウヒル社の高校世界史の教科書にはこうした記述を含め、公的な資料に基づかない記述が随所にみられる。日本政府が同社に対し、不適切な記述を是正するよう申し入れると、米歴史学者19人(後に1人増え20人)は学術・研究に対する政治の介入を印象づけるように、これを拒む声明を出した。ところが、その後発表された、戦後70年談話の発表をひかえる安倍晋三首相に「偏見のない(過去の)清算を残そう」とする日本研究者ら187人による声明は、「『慰安婦』の正確な数について、歴史学者の意見は分かれていますが、おそらく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう」としている。「19人の声明」に署名した歴史学者のうち10人前後が、「187人の声明」にも署名しており、学者の「ぶれ」は明らかだ。学者らは「数の問題ではない。女性の尊厳が奪われたことが問題だ」と主張する。だが、産経新聞の取材に応じたマグロウヒル社の教科書で学んでいるカリフォルニア州の生徒によれば、「日本軍が強制連行した慰安婦は何人」などとテストに出る可能性もあり、教科書の「20万人」という数字をおぼえるという。この教科書には「日本軍は慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」との表記もある。こうした「非礼な表現」を歴史的事実として教科書に載せるのであれば、その出典や根拠を明記する必要がある。授業でそう教えられた日本人生徒は「友だちから『贈り物だって。すげえな』といわれショックだった」とも証言している。マグロウヒル社は「執筆者の著述や研究、発表を明確に支持する側に立つ」としているが、生徒らへの教育上の対応としては、ずさんといわざるを得ない。こうした点を3月に指摘した日本の歴史学者19人の訂正申し入れにも、マグロウヒル社はいまだに応えられないでいる。(産経新聞、2015.05.16)

 朝日誤報の検証も踏まえず

 ご意見無用! 学問的事実で応えてくれ

 「慰安婦」なる砂上の楼閣を正す戦いは、いまはじまったばかりだ―。明星大学教授、高橋史朗が米教科書の記述に関して身勝手な「学問の自由」を振りかざす学者たちの自己矛盾を指摘する。

 日本研究者とは何者か

 米国の日本研究者とは一体なんなのか。日本の国のあり方や国民の心の持ち方を高所から指示する役割を自任する人たちなのか。5月上旬に出された米国の日本研究者ら「187人の声明」を読んで感じる疑問である。(中略)声明は日本の民主主義や政治的寛容など自明の現実をことさら称賛しながらも、慰安婦問題などを取りあげて「過去の過ちの偏見なき清算」をせよ、と叱責する。安倍晋三首相に対しては「過去に日本が他国に与えた苦痛を直視することを促す」と指示する。英語と日本語の両方で出た同声明は原語の「促す(urge)」という言葉を日本語版では「期待する」などと薄めているが、核心は自分たちの思考の日本側への押しつけである。この点では連合国軍総司令部(GHQ)もどきの思想警察までを連想させる。
 
 だが発信者とされる187人には「米国の日本研究者」とは異なるような人物たちも多い。(中略)声明作成の中心となったコネティカット大学教授のアレクシス・ダデン氏は日本の尖閣や竹島の領有権主張を膨張主義と非難し、安倍首相を「軍国主義者」とか「裸の王様」とののしってきた。マサチューセッツ工科大学名誉教授のジョン・ダワー氏は日本の天皇制を批判し、日米同盟の強化も危険だと断じてきた。コロンビア大学教授のキャロル・グラック氏は朝日新聞が過ちだと認めた慰安婦問題記事の筆者の植村隆氏の米国での弁解宣伝を全面支援している。要するにこれら「米国の日本研究者」たちは米国の多数派の対日認識を含む政治傾向や歴代政権の日本への政策や態度よりもはるかに左の端に立つ過激派なのである。だが今回の声明の実質部分で最も注視すべきなのは、これら米側研究者たちが慰安婦問題での年来の虚構の主張をほぼ全面的に撤回した点だった。「日本軍の組織的な強制連行による20万人女性の性的奴隷化」という年来の糾弾用語がみな消えてしまったのだ。同声明は日本軍の慰安婦への関与の度合いは諸見解があるとして、「強制連行」という言葉を使っていない。慰安婦の人数も諸説あるとして、「20万人」という数字も記していない。「性奴隷」との言葉も出てこないのだ。声明は慰安婦問題について具体的な事実よりも女性たちが自己の意思に反する行為をさせられたという「広い文脈」をみろともいう。このへんは朝日新聞のすり替えと酷似している。やはり日本側からの事実の指摘がついに効果をあげ始めたといえようか。(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・古森義久、2015.5.17

 歪められた日本人の歴史観

 あぐらをかく戦勝国と我慢する敗戦国…米国の傲慢な歴史修正

 ニューヨーク・タイムズなどは日本の保守勢力に「歴史修正主義」のレッテルを貼ってきたが、戦勝国の立場にあぐらをかき、歴史を修正してきたのはどちらか−。産経新聞編集委員の阿比留瑠比が米国による自己中心的な歴史の押しつけにモノ申す。

 秘密文書で判明した贖罪意識を植え付けるためのGHQ工作

 占領下の日本国民に戦争に対する贖罪意識を植え付けるためGHQが中国・延安で中国共産党が日本軍捕虜に行った洗脳工作の手法を取り入れたことが英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明。この洗脳工作は日本人の歴史観に大きな影響を与えている。


 「勝者の正義と偏見・無知」。
 日本の近現代史研究で知られるジョン・ダワー氏は日本の近代化への歩みを「急速・果敢・順調」とまずは肯定的にとらえながらも「最終的には狂気に駆られ、残忍となって自滅した」と結論づけています。ダワー氏の論にくみする日本の研究者も大勢いますが。 立林昭彦編集長

 ジョン・ダワー氏の“上から目線”=対日偏見は、米国の政府・学会・ジャーナリズムの声を代弁しているにすぎません。山本七平の言を引用しておきましょう。「現代では必ずしもそうではないが、例外的な知日派を除けば、当時のアメリカ人は、日本人を『無知蒙昧な人種』簡単に言えば『蛮族』と見なしていた」。自由・平等・博愛が実現されている社会ならそれをスローガンに掲げる必要もないこと自明の理でありましょう。日本を「普通の国」にさせたくない「国内外の偏見」を忘れてはなりません。

 ジョン・ダワー(JOHN.W.DOWER)とは

 1938年、米ロードアイランド州生まれ。アマースト大卒後、ハーバード大で博士号(日本近現代史)。カリフォルニア大などを経てマサチューセッツ工科大教授。著書に「吉田茂とその時代」「容赦なき戦争」など。Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II (『敗北を抱きしめて』)では、終戦直後の日本にスポットを当て、政治家や高級官僚から文化人、数々の一般庶民にいたるまであらゆる層を対象として取りあげ、日本に民主主義が定着する過程を日米両者の視点に立って描き出した。 この作品はピュリツァー賞を受賞すると共に、日本でも岩波書店から「敗北を抱きしめて」の題で出版され、ベストセラーになった。
 修正主義を超える歴史観を「戦勝国」史観との対決

 歴史問題で日本が苦しめられている。日本との戦争に勝ったアメリカをはじめ、中国や韓国が戦勝国の側に自分勝手な理屈で立っており、戦争の犠牲国として日本より国際政治的に優位に立っている。評論家の江崎道朗氏、西尾幹二氏、宮崎正弘氏の3人が修正主義を超える歴史観の必要性を語る。

 戦後処理の「知的欺瞞」をはぎ取れ

 日本は未来永劫(えいごう)「賊軍」の汚名を背負ったまま生きなければならないのか? このような窮地に立たされたときに有効な方法を埼玉大学名誉教授の長谷川三千子が指し示す。

 日本人論 源流の書でも

 日本人は欧米人に比べて自分のウソに対する罪悪感がすこぶる薄い、というのがもっぱら戦後の日本人論だった。アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト女史の『菊と刀』(1946年)はその代表だろう。ロッキード事件の国会証言などもそうだったが、日本人はウソをあいまいに許容してしまうし、態度も甘い。「ウソも方便」とやらで、ばれればごめんなさいと謝罪して水に流してしまう。それが日本人の倫理感覚だと批判されてきた。そんなところに聞いたクリントン大統領の大陪審証言に、「なんだ、アメリカ人もおなじじゃないか」、自虐傾向から少しは解放された日本人も少なくなかったのではないか。「不適切な関係を持った」とは、日本語でいえば何のことはない、不倫や情事の雄弁な代用語だった。これまでクリントン大統領の証言は一切断固ノーである。「もう一度繰り返す。私はミス・ルインスキーという女性と性的関係はなかったし、一度たりともだれかにウソをつくよう話したことはない」。つまりクリントン氏は真っ赤なウソをついていたのである。『菊と刀』が欧米人の意識を「罪の文化」、日本人の意識を「恥の文化」と規定したことはよく知られている。ウソをついたり、善行をしたりすることを欧米人は内面の罪の自覚にもとづいてやる。ところが日本人は他人からどう見られるかをモノサシとしてやるというのだった。だが実際は「罪の文化」も「恥の文化」もない、人はすべて自分を飾っていう。人間はだれもが苦しまぎれにウソをつくことをクリントン氏は証明してくれた。『菊と刀』が知的偏見の書物であることを示してくれたのである。(産経抄 1998年8月19日)

 「菊と刀」/太平洋戦争時、敵国日本の文化・行動を分析する目的で書かれた米文化人類学者ルース・ベネディクトの著作。「罪の文化」の西洋に対し、日本は体面を気にする「恥の文化」と解釈、日本人論の源流の書とされる。

 戦争の原因は伝統的子育てという幻想

 代表的な日本人論『菊と刀』の著者ルース・ベネディクトは戦時情報局の「国民性研究チーム」の一員として、「日本人の徹底抗戦の決意をくじく」ための対日宣伝のために、「菊と刀」に象徴される国民性の矛盾の解明を研究課題としていた。


 「河野洋平と村山富市」。

  先月、河野洋平元官房長官と村山富市元首相がそろって公の場で安倍批判を繰り広げました。もう随分とお歳を召され、好々爺らしくなっていましたが、この時ばかりは相変わらずの上から目線の発言が目立っていました。それにしても、お二人とも「老害」という言葉まですっかりお似合いになられたようで…… iRONNA編集部

 河野洋平氏の「歴史的大罪」、そして国会招致についての必要性

 「慰安婦」像が設置されている米グレンデール市に国会議員で初めて訪問した前衆院議員の杉田水脈。河野談話がある限り、中韓に反論できないし、外務省も動き難いと談話の撤回を求めている。

 
安倍首相が夏に発表する戦後70年談話について意見を述べた、村山富市元首相(右)と河野洋平元衆院議長=6月9日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ
 6月9日の村山元首相と河野元官房長官が日本記者クラブで行った対談と質疑応答にはあっけにとられた―。阿比留瑠比は両氏とも、自身を「善意の人」と認識し、振舞っているのだと指摘する。

 村山氏「人も住んでない尖閣でバチバチやるか?」
 河野氏「中国は、日本と協力していきたい」 

 村山富市元首相と、河野洋平元衆院議長が6月9日、日本記者クラブ(東京・内幸町)で実施した対談形式の記者会見は、国内外から300人以上の報道陣が詰めかける盛況ぶりだった。両氏は「中韓目線」で安倍晋三首相を批判し、中韓メディアの格好のネタとなった。(中略)村山氏は、こんな“中韓目線”の自説を展開した。「安倍さんが河野談話を見直すなんてことを言わなければ、そんなこと(中韓の関係悪化)もなくて済んだんじゃないかという気がしますよ」「私は昨年、中国に招かれて訪問し、何人かの指導者にお会いした。私は率直に言ったんですよ。『人も住んでいない尖閣諸島の問題で、第2の経済大国と第3の経済大国がバチバチやりますか?』と。そうしたら(中国側は)『そんなことは全然考えていません。中国は覇権を求めません。平和を求めます』と言うたんです。だから(中国は)戦争なんてことは全然考えていません」「韓国はみんな日本の右傾化というのを心配している。そんな心配をさせなくても済むよう日本もやらなきゃならんと思うんです」。卒寿を越えたとは信じられない張りのある村山氏の声が印象的だった。河野氏もこう強調した。「(河野談話発表から)二十数年たって、こういう問題になるのは誠に残念。談話を出してから非常にスムーズに、日韓両国の理解と協力が進みました。ここ数年は誠に残念な状況です」「中国は、日本と協力していきたいという気落ちがずいぶんあると思うんです。それで首脳会談をやったんだけど、『まだもう一つ、(日本を)信用しきれない』という感じがあるんですね」(後略)(産経新聞 2015.6.16

 「閣議で突然」村山談話の胡散臭さ

 村山元首相が発表した「村山談話」の作成過程が注目されている。談話発表まで元首相、村山富市と官房長官、故・野坂浩賢は周到に作戦を練った。日米安保条約堅持と自衛隊容認に踏み切り、支持層が離れた社会党にとって戦時中の日本の行為を非難する「五十年談話」は“社会党政権らしさ”を示す譲れぬ一線だった。平成7年6月、連立政権発足時の約束だった「謝罪・不戦」を柱とした戦後50年国会決議が衆院本会議で採択されたが、自民党から大量の欠席者が出た。この轍(てつ)を踏まず、「植民地支配と侵略」の文言を盛り込むにはどうすればいいか。野坂は決意を秘めていた。「異議を申し立てる閣僚がいれば、内閣の方針に合わないということで即刻、罷免するつもりでいた」(野坂著「政権と変革」)。8月15日午前。閣議室の楕円(だえん)形のテーブルに着席した閣僚を前に、野坂は「副長官が談話を読み上げますので謹んで聞いてください」と宣言した。古川貞二郎は下腹に力を入れて読み上げ、閣議室は水を打ったように静まり返った。野坂が、「意見のある方は言ってください」と二度、発言を促したが、誰も発言しなかった。総務庁長官、江藤隆美は「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と振り返る。内閣改造から1週間しかたっていなかったことも村山に幸いした。運輸相として初入閣した平沼赳夫は、「事前の相談はまったくなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかな、と思った」と話す。「ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」と悔やむ。こうして談話は異議なく閣議決定され、村山自身が記者会見して発表した。だが、記者の「『国策を誤った』政権とは具体的にどの政権を指すのか」という問いに村山は答えられなかった。談話は有識者による議論も経ず、ごく少数の政治家と官僚がかかわっただけで、歴史認識を内閣あげて討議して練り上げたものではなかったからだ。(肩書は当時。敬称略、産経新聞『戦後60年 歴史の自縛』、2005.08.02)
 ■秘密裏に作られた村山談話の「闇」に迫る 作成経緯を検証するPT発足(zakzak 2015.04.15)

 村山談話、削られなかった“4文字”の文言 元「参院のドン」村上正邦氏が激白

 村山富市元首相が1995年8月15日、戦後50年の節目に発表した「村山談話」に対して、「謝罪ありき」「秘密裏につくられた」といった批判が広まるなか、自社さ3党が同年6月、衆院で強行した「戦後50年決議」が改めて注目されている。

 「謝るほどに悪くなる日韓関係」ついに終止符を打つ時が来た

 「戦後70年安倍談話」は韓国にこだわる必要はない。そして70年前いや1945年以前にこだわることもない。むしろ1945年以降、これまでの70年間の歴史をしっかり振り返った方がいい。日本は過去の反省、教訓の上でいかに国際社会に貢献したかを語ることだ。

 虚心坦懐

 「虚心坦懐」という言葉を肝に銘じていても、それを実践するのは本当に難しい。かくいう私自身、日々の編集業務の中でそれを痛感させられることが多々ある。共に仕事をする編集部員の言葉には、なるべく平静に耳を傾けようと思っているのだが、つい熱くなって大声で罵倒してしまうことがある。自分一人の身に置き換えてもこうなのだから、ましてや政治外交のような重大局面で一国の指導者が虚心坦懐の境地で居続けるのがいかに難しいか、容易に想像がつく。虚心坦懐といえば、15日に衆院特別委で採決された安全保障関連法案をめぐる論戦を振り返ってみても、その言葉の意味を考えさせられることが多かった。「残念ながら、まだ国民の理解が進んでいる状況ではない」。採決前に答弁した安倍晋三首相の言葉にも、心にわだかまりを残した心情が見て取れた。

 
衆院平和安全法制特別委の安全保障関連法案の採決で、浜田委員長の周りに集まって抗議する野党議員=15日午後
 法案に対する国民の目は確かに厳しい。国会で本格審議が始まってからの内閣支持率の急落はそれを如実に物語る。ただ、法案審議には相応の時間を費やしたはずだが、野党は「違憲だ」「戦争法案だ」と鼻息を荒くし、それに呼応するかのように一部メディアによるレッテル貼り報道が続いた。まともな対案も出さず、ただ法案成立の阻止だけを狙った一連の流れに、議論が深まったという印象はほとんどない。もちろん、自民党にも瑕疵はある。党が招いた憲法学者による「違憲」発言のインパクトはあまりに大きく、結果的に野党を勢いづかせた感は否めない。法案審議は、衆院に記録が残る昭和35年以降6番目に長い110時間にも及んだが、双方ともにわだかまりを抱えて異論に耳を傾けようとせず、なんだかよく分からないまま採決まで進んでしまった気がしてならない。与野党ともにいま一度、虚心坦懐の意味をかみしめるべきだろう。
 そういえば、韓国の日刊紙ハンギョレ日本語版サイトに掲載された村山富市元首相のインタビュー記事の中にも、この言葉があった。「こちらが備えをすれば、相手は刺激を受けてより一層備えるようになる。このような過程を通じて昔から戦争が発生してきた。これに対し私はそのような心配があるならば、互いに虚心坦壊に話をして対話を通じて解決する外交努力が先ではないかと考える」。このくだりは、記者から審議がヤマ場を迎えた安保関連法案をめぐる安倍首相の評価を問われ、村山氏が自身の見解を述べたものである。村山氏といえば先月、河野洋平氏とともに久しぶりに公の場に現れ、安倍首相の政治姿勢や外交政策をあらん限りに批判していたが、今月8日に掲載されたインタビュー記事の中身は相変わらずの「中韓目線」である。心になんのわだかまりもなく、平静に事に臨もうとする先が中韓一辺倒のこの方たちに、上から目線でわが国の安全保障を語る資格などない。最後は蛇足ながら、そう思う今日この頃です。(iRONNA編集長、白岩賢太)

 「歴史を知らない韓国」。
 「日本に正しい歴史認識を基にした誠意ある行動を期待する」―朴槿惠大統領はブラジル訪問の際、こう述べた。米国でも「韓国疲労症」が指摘されるほど執拗な反日の姿勢には嫌気がさす。しかし歴史を知らないのは韓国のほうではないのか。朴大統領にお父さんのことも含め、歴史認識を改めてもらいたいものだ。(前田守人編集長

 前田守人の視線

 「終戦70年」の今年は、韓国では「解放・独立70年」である。朝鮮半島は当時日本領であり、米ソ中など連合国に日本は降伏するが、韓国と戦ってはいない。今年2月、国連の安全保障理事会は創立70年で「反ファシスト戦争の勝利」を祝った。中国はいまなお歴史の真実を認めないと日本を非難するが、当時の中国とは「中華民国」のことである。ポツダム宣言は米英が作成し、中華民国の蒋介石を含めて共同宣言として発表されたもの。その後、アメリカの軍政の終了と大韓民国の樹立が宣言されるのは1948年。中国共産党による中華人民共和国の建国は1949年である。こうした当たり前の歴史認識が忘れられて、中韓両国が戦勝国のように考えているとしたら、大きな勘違いである。

 ケント・ギルバートが歴史をひも解き“反撃策”を授ける。

 日米に広がる「韓国疲れ」

 先日、日本でのさる講演会で「韓国は疲れますよねえ。うんざりという感じですが、黒田さんは韓国に長くいて疲れませんか?」といわれた。日本でよく聞かれる質問だ。韓国の執拗(しつよう)な反日現象に刺激され、日本で広がっている反韓、嫌韓感情の一端である。安倍晋三首相の訪米に対する韓国の“妨害工作”も日本人の対韓感情をさらに悪くしたに違いない。歴史認識だろうが慰安婦問題だろうが、ともかく「日米関係になぜ韓国がしゃしゃり出て日本の足を引っ張るのか?」というのが大方の日本人の気持ちだろう。
 で、先の質問に対する答えは「もちろん疲れるけれど、ぼくは韓国に住んでいて反日だけではない他の情報にも接しているので皆さんほどは疲れない。免疫もできているし。韓国人も反日だけで暮らしているわけではないし、それに日本は先進国ですから今も一方で“日本に学べ”という話が日常的には結構出ます。疲れても癒やされるときがあるわけですよ」である。

 
2014年12月、会談を前に握手する米民主党のマイク・ホンダ下院議員(左)と韓国の朴槿恵大統領=ソウル・青瓦台(共同)

 ところが「韓国には疲れる」という話は実は日本だけではなく、米国でも出ているらしい。韓国の新聞がワシントン発で伝えていたが、日本との首脳会談を拒否し関係悪化を続ける韓国に対し米当局者や研究者たちの間で「いいかげんにしろ」という気分が広がっていて、それが「コリア・ファティーグ(韓国疲れ)」といわれているのだそうだ。慰安婦問題を押し立て、日本に謝罪させようと米国で官民挙げて日本非難を触れ回っている韓国に、米国でも舞台裏では“うんざり感”が出ているというわけだ。それでも“安倍たたき”に手ぐすね引いていた韓国マスコミは、無難に(?)終わった安倍首相の米議会演説に対して、相変わらず親韓派の米議員などを動員し批判のコメントばかり伝えていた。まるで米国全体が安倍演説を批判しているかのように。安倍首相の訪米は日米同盟強化が最大目的だったが、韓国では米国と日本が仲良くすることが韓国の損であるかのような受け止め方がされていた。安倍首相のすることには何でも非難、反対する韓国マスコミの“安倍たたきキャンペーン”のせいだ。日米韓協力体制の維持、強化を願う米国としてはこんな韓国の現実無視、現実歪曲(わいきょく)はさぞ頭が痛いだろう。(産経新聞ソウル駐在客員編集委員・黒田勝弘、2015.05.24

 「謝罪100回しても当然」


 韓国の聯合ニュースによると、韓国外務省高官が4月3日、日韓の歴史認識問題について「加害者というのは、謝罪を100回しても当然ではないか。何回わびようが関係ない」と述べた。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が起訴された問題に関しても「日本人にいい影響を与えていない」と語った。また、日本の外務省のホームページから「(韓国が日本と)価値を共有する」という表現が削除されたことについて「関係がよくなればまた(この表現が)使われるということだ。削除したからと、価値を共有しない国だとは思わない」とも話したという。

 「外交敗北」で問題分離か

 
5月13日、朴大統領との会談を終えた経団連の榊原会長(共同)
 5月4日、朴槿恵大統領は首席秘書官会議で、韓国外交について「歴史問題に埋没せず、それはそれとして指摘していく」とした上で、「外交問題は別の観点に基づく明確な目標と方向性を持って進めている」と強調した。対日政策では歴史・領土問題と安全保障・経済問題を切り離し、実利重視の現実路線で安保・経済問題に対応するという「2トラック戦略」の推進を朴大統領が正式に確認したものだ。
 韓国の外交当局は最近、日韓関係悪化の長期化によって国益が損なわれているとするメディアなどの批判に対し、「2トラック戦略に基づく対日外交を進めている」と釈明していた。一方で朴大統領は同日、大統領府で「日本の首相のより前向きな歴史認識表明などを通じ、韓日の真の和解と未来志向的協力が実現することを期待する」と述べ、日本の対応を促した。
 尹炳世(ユン・ビョンセ)外相も同日の国会外交統一委員会で、安倍晋三首相訪米後の対日外交について「歴史(問題)は断固として対応するが、北朝鮮の核問題などでは戦略的利害を共有し、経済・文化(協力)は確実に強化するという2トラック戦略に変わりはない」と指摘した。
 韓国では、対日歴史問題で共闘していた中国の習近平国家主席が先日、安倍首相との首脳会談に応じたほか、オバマ米政権が訪米した安倍首相を予想以上に厚遇したことへの衝撃は大きく、与野党ともに「韓国外交の敗北」などと政府の責任を追及していた。





(私論.私見)