「裁判官の独立性」について

 (最新見直し2009.9.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「長沼ナイキ訴訟に於ける第一審福島判決」は、日本裁判史上、初の自衛隊違憲論を法理論的に打ち出した点で史的意義を持つ。この考察は別途行うとして、ここでは「裁判官の独立問題」に纏わる事件として採り上げ、この判決を出した福島裁判長のその後の冷や飯ぶりを確認することで、司法行政が如何に上から「司法の独立」を蹂躙しているかの様を検証してみることにする。

 2009.9.13日 れんだいこ拝 
 「裁判が効率化し、官僚化する裁判官たち。その多くが良心と保身との狭間で葛藤している」と語る元裁判官もいる。市民参加の「裁判員制度」が始まり、“開かれた”と盛んにアピールされる反面、依然、“閉鎖的”との印象が拭えない。


【福島重雄氏のその後の履歴】
 福島重雄氏のその後の履歴は次の通り。

 1973(昭和48)年、福島重雄裁判長は、長沼訴訟一審判決で、自衛隊に違憲判決を出した。「初めて自衛隊の憲法九条違反」を認定した判決となった。だが判決後、再び裁判長の椅子に座ることはなく、小さな家庭裁判所で退官の日を迎えた。福島氏は、「最高裁の人事制裁だったのだろう」と振り返る。日記に「裁判所という大きな組織、その中で出世を重ねるには上司に気に入られなければならない。幾つかの事件では真実は消え、被告人は泣いた」と記している。2009.4月、福島重雄、水島朝穂、大出良知(共編著)「長沼事件 平賀書簡 35年目の証言 自衛隊違憲判決と司法の危機」(日本評論社)が出版された。

【長沼ナイキ訴訟事件】
 長沼ナイキ訴訟事件(長沼訴訟、長沼事件、長沼ナイキ基地訴訟とも呼ばれる)とは、砂川事件恵庭事件百里基地訴訟と並んで自衛隊の合憲性が問われた事件であり、第一審の福島判決が、「自衛隊違憲論」を打ち出したことで知られる。

 1969.7.7日、ベトナム戦争の真っ最中で日米安保問題が注目を浴びていたこのころ、農林大臣・長谷川四郎が、北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するため、森林法第26条第2項に基づき国有保安林の指定解除を告示した。反対住民が、自衛隊は違憲の存在であること及び洪水の危険を理由に基地建設に公益性はなく「自衛隊は違憲、保安林解除は違法」と主張して、処分の取消しを求めて行政訴訟を起こした。

 札幌地裁で審議が進められた。この時の同8.4日、 札幌地裁所長の平賀健太が、訴訟審理中の裁判長・福島重雄に、「一先輩のアドバイス」と題する詳細なメモを出して訴訟指揮しようとしていた事実が発覚した。次いで、同月10日、12日に予定されておりました執行停止期日を延期させた上で、同月9.14日、平賀書簡を福島判事の自宅に届けさせた。 これを「平賀書簡問題」と云う。

 書簡の内容は、問題点の指摘や一般論にとどまらず、具体的詳細な理由をつけて結論まで押し付けようとしていた点で、看過できるものではなかった。これが、「裁判官の独立性を毀損する裁判干渉」として問題になった。9.13日、札幌地裁の裁判官会議が、平賀判事に対して異例の厳重注意処分に附する旨決定した。9.20日、最高裁も異例の臨時裁判官会議を開き、裁判の独立と構成について国民の疑惑を招き誠に遺憾であるとして厳重注意処分に附した。同時に、即日、平賀所長たる地位をといて東京高裁に転出を発令した。

 この問題は尾を引いた。鹿児島地裁所長のイイモリ重任裁判官が、福島判事が青法協会員であり、福島判事こそが問題裁判官であるとする見解を発表し、キャンペーンが開始された。この波が青法協退会干渉に及び、約50名の青法協会員裁判官に脱会勧告が出された。この間、一部の保守系ジャーナリズム・政治家が、裁判長裁判官・福島重雄が青年法律家協会(青法協)の会員だったことを指摘し、青法協は「反体制の左傾団体」であると非難を浴びせた。


 1970.4.8日、最高裁の岸事務総長が、青法協問題での裁判官の政治的中立に関する公式見解を公表した。4.18日、被告・国(=法務省)は、福島重雄裁判長を、青年法律家協会(青法協)所属を理由に忌避申立てをする。しかし7.10日、札幌高裁は、「青法協加入は裁判の公正を妨げない」とし、忌避申立てを退け却下決定。10.20日、 初の防衛白書が出される。12.19日、日弁連が臨時総会を開き、「平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議」を採択。

 1971.4.13日、最高裁判所は、青法協所属の裁判官・宮本康昭判事補を理由告知なしに再任を拒否し、このことは青法協に対する見せしめではないかと疑われた(宮本判事補再任拒否問題)。なお、最高裁判所(事務総局)が判事任命に当たって青法協の法曹を忌避する行為はこののちも行なわれている(寺西和史の例)。10.9日、第4次防衛力整備計画(総額4兆6300億円)。1972.5.15日、 沖縄返還。10.9日、第4次防衛力整備計画(総額4兆6300億円)。

 一部の政財界による青年法律家協会への圧力との絡みや、また申立て却下を札幌地裁所長が裁判長に示唆したり、さらには当時の70年安保闘争下に全国で裁判長の激励集会が行なわれるなど、裁判の動向は注目を浴びた。

 1973.9.7日、札幌地方裁判所(裁判長・福島重雄)は、「平和的生存権」を認め、初の違憲判決で処分を取り消した。

 判決は、「自衛隊は憲法第9条が禁ずる陸海空軍に該当し違憲である」とし、「世界の各国はいずれも自国の防衛のために軍備を保有するのであって、単に自国の防衛のために必要であるという理由では、それが軍隊ないし戦力であることを否定する根拠にはならない」とする初の違憲判決で原告・住民側の請求を認めた。「保安林解除の目的が憲法に違反する場合、森林法第26条にいう『公益上の理由』にはあたらない」ため「保安林の解除処分は取り消しを免れない」との理由から、主文で国有保安林の解除を取り消すと判示。保安林指定解除処分とナイキJの発射基地の設置により、有事の際には相手国の攻撃の第一目標になるため、憲法前文にいう「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)を侵害されるおそれがあるとし、原告の訴えの利益を認めた。平和的生存権については、「国民一人ひとりが平和のうちに生存し、かつその幸福を追求することができる権利」と明確に判示した。(札幌地判昭48・9・7、判時712・249)

 国が控訴。1976.8.5日、二審の札幌高裁は、「住民側の訴えの利益(洪水の危険)は、防衛施設庁の代替施設建設(ダム)によって補填される」として一審判決を破棄、自衛隊の違憲性について判決は、砂川事件と同様に「本来は裁判の対象となり得るが、高度に政治性のある国家行為は、極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査の範囲外にある」とする統治行為論を併記判示した。(札幌高判昭51・8・5、行裁例集27・8・1175)。10.29日、1977年度以降の「防衛計画の大綱」を閣議決定 。

 1977.2.18日、読売新聞社説が、一審の違憲立法審査権の存在意義を評価。11.30日、米軍立川基地(立川飛行場)全面返還。1981.7.8日、読売新聞社説が、二審の統治行為論を支持。

 住民側・原告は上告。1982.9.9日、最高裁判所は、行政処分に関して原告適格の観点から、原告住民に訴えの利益なしとして住民側の上告を棄却したが、二審が言及した自衛隊の違憲審査は回避した。(最一小判昭57・9・9、民集36・9・1679)。1994年、
ナイキミサイルの運用を終了。


総会決議集 Subject: 70-12-19臨時総会・平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議(1970年12月19日)】

 (決議)

  1. 裁判官訴追委員会が昭和45年10月19日、平賀・福島両裁判官に対してなした決定は裁判官の独立の理念に照して事案の本質をあやまった不当なものである。また、同委員会が青年法律家協会会員であることなどを理由とする訴追請求に関し、裁判官213名に対して発した照会状は、裁判官の思想、良心の自由ひいては司法権の独立をあやうくするおそれがあり、同委員会はすみやかに右照会を白紙にもどすべきである。
  2. 札幌高等裁判所が昭和45年10月28日福島裁判官に対してなした司法行政上の注意処分及びこれを支持する最高裁判所の態度は、訴追委員会の不当な決定に追随して自ら司法権の独立を放棄したものとの印象を与え、国民の裁判所に対する信頼をあやうくするものであって、誠に遺憾である。よって裁判所は司法権の独立を保持するためすみやかにその姿勢を正すべきである。

 右決議する。1970年(昭和45年)12月19日 臨時総会

 提案理由(議事録)

 裁判官訴追委員会が昭和45年10月19日所謂る平賀書簡をめぐり、訴追請求されていた平賀健太元札幌地裁所長と福島重雄札幌地裁判事の処分について、平賀判事に不訴追、福島判事に訴追猶予の決定を下したことはご周知の通りであります。

 更に追訴委員会が右の決定から1週間もたたない10月24日青年法律家協会会員であることを理由とする訴追請求に関して213名の被訴追裁判官に対して、一つ、かつて青法協の会員であったことはない。二つ、かつて青法協の会員であったが昭和○年○月○日頃退会したというような二点について、本年の本月25日迄に回答を求めたのであります。一方札幌高裁は、訴追委員会の決定からたった一週間後の10月26日裁判官会議において福島判事に対し、司法行政上の注意処分を決定致しまして、同月28日平賀書簡や平賀メモを公表した行為は、裁判官の節度を逸脱しており遺憾である。よって裁判所法90条により注意するというようなので、口頭によって通告して最高裁判所は同月28日裁判官会議を開きまして、札幌高裁の処分は適切であるとこれを容認しているのであります。

 さて、最近相次いで起ったこれ等の出来事についてこれは一体何を意味するのか、それを明らかにするために、先ずこの3〜4年来の間に裁判所をめぐって何が起こったのか。これを事実に基づいて私は客観的にながめて見る必要があるのではないかと思います。先ず逆りまして、昭和42年9月『ゼンボウ』という雑誌の9月号に裁判所の共産党員と化する、特集をしております。青法協をヨウキヨウ団体ときめつけております。いわゆるヘンコウ判決が青法協裁判官と、全司法労組と裏契約に基づくものだということで先ず議論の火ぶたを切ったのであります。

 これは特定の政治立場から、ある種の判決を採り上げて、これをヘンコウ判決ときめつけて、判決内容を自らが好ましいと思う方向にかえさせるために、判決の主体であるところの裁判官の支障そのものに対する攻撃を開始したものと見られるものであります。この攻撃のパターンはその後経済オーライ、日経連タイムス、自由新報、それから恐るべき裁判等の雑誌の論調の基本的な骨組として引継がれた訳である。ここで特に重要なことは、昭和44年3月25日、時の法務大臣であります。西郷吉之助氏がその先日の都法案条例無罪判決について、記者会見の席上、裁判所だけは手は出せないが、もはや何等の歯どめの必要がなくなった、と答弁しております。更に同年4月22日自民党が昭和45年4月2日の最高裁、トキヨウソ判決等を採り上げてこれを立法主義に反するものだと批判している判決ケイコウも調査にために、これでは党内に裁判制度調査特別委員会を設置することが決定したのであります。そのことは正にこの時期において、裁判の内容に拘わる問題がすなわち、裁判官の思想に拘わる問題として政府自民党において深い関心を示し始めたことを意味するもので断言出来ます。ここにおいて司法に対する政治的勧誘の危険が芽ばえて来たということがいえます。

 それでは裁判所はどうなのか。一方裁判所におきましては、あまりにも露骨な自民党の調査委員会設置に対しては岸事務総長談話の形で反発を示してはおりましたが、昨年1月1日の横田長官は新年の言葉において下級審の意見判決等レイジヨウ事務等に対するこれ等の批判を採り上げました。そして部外からの真面目な批判に対しては正しく答える必要があるのだということを述べております。そして思想的な同調を示したということがいえるのでありますが、更に長官は、就任直後の石田長官も雑誌のフォートの3月号に長谷川サイジ氏との対談におきまして、下級審の意見判決をかるがるしくするなど非難しております。

 このような状況の中で、先程も話が出ましたいわゆる平賀書簡問題が明るみに出された訳であります。平賀判事は昭和44年8月4日平田裁判官に対していわゆる長治ナイキ訴訟の問題点について詳細な平賀メモを公布しております。ついで同月10日、12日に予定されておりました執行停止期日を延期させた上で、同月14日の平賀書簡を福島判事の自宅に届けさせているのであります。この平賀書簡の内容は単に問題点の指摘や一般論にとどまりません。具体的詳細な理由をつけて一定方向の結論まで出しているというものです。

 このような簡単な経過から見ても、平賀書簡は裁判の内容に強く干渉しようとしたことを見られるものでありまして裁判官の独立を内部から侵害し司法権独立に対する重大な侵害であることが明らかであります。だから札幌地方裁判所裁判官会議は9月13日平賀判事に対して異例の厳重注意処分に附する旨決定している。最高裁判所も又9月20日異例の臨時裁判官会議を開きまして、裁判の独立と構成について国民の疑惑を招き誠に遺憾であるとして厳重な注意処分に附しているのである。それと同時に、即日平賀所長たる地位をといて東京高裁に転出を発令しているのであります。従って平賀書簡が裁判の干渉であることは、そのこと自体においてももはや明らかなはずで訴追委員会に当時残されていた措置問題というものは訴追に踏切るか訴追猶予にとどまるかいずれか一方を選べというようなことであると見ていたことでありまして、国民と及び特に裁判所などもその体勢にあったことと思うのであります。

 ところが、この問題について自民党、モリヤマキンジ代議士鹿児島地裁所長のイイモリ重任裁判官は逆に福島判事が青法協会員である、そしてこの福島判事こそが問題裁判官である、というふうに指摘して文字通り問題のすりかえを行なったのである。青法協視野の一代キャンペーンがここに展開されたのであります。裁判所部内においてはあたかもこれに応ずるが如く昨年秋以来全国的規模にわたって青法協退会干渉が広げられて来たのであります。この事実の経過はすでにアンケート調査に基づく6月13日以降週間朝日特集記事によって周知の事実になっておりますので、くどくど申上げませんが、最高裁当局も非公式とはいいながらこのような事実の存在を認めざるを得なくなっておる。この過程で約50人の会員裁判官が内容証明によって脱会勧告を出した事実をそれは何よりの証拠であります。この内容証明というものは一体何を意味するものでありましょうか、そして何を証明しようというものでしょうか。上司や先輩からの必要な脱会勧告は、多くの裁判官に不安と苦悩と焦慮をもたらしました。このような脱会勧告は苛烈を極めた丁度その頃4月8日に裁判官の団体加入に関する岸事務総長の談話が発表されました。そして5月2日それを保管しいっそうせんめつな形で具体的な方向を打出したいわゆる石田長官発言が行なわれたのであります。

 前に述べました背景からこの石田長官発言をながめますならば、問題は字句に拘わる抽象的な事件の問題ではありません。そのような政治的背景のもとで裁判官の思想統制を許していいのかどうかというような極めて具体的なしかも切迫した現実的な問題であるというしかありません。このような観点から私達はこの発言について充分なる批判的姿勢を持って望む必要があろうかと思います。事実石田長官の発言については法律家内部からもジャーナリズム関係からも多く批判がなされていまして世論はこの問題、つまり裁判の独立、司法権の独立について重大な関心をよせるに至っているのである。今回の訴追の決定、青法協会員に対する措置はこのような背景の中で採られたものであるということ、私達はキモに命ずる必要があろうかと思います。ことにここに初めて外部から裁判所外部からの政治権力からする直接の介入が行なわれたということが今迄積立られた、私が述べました動きの総仕上げとして新しい段階をかくして見る必要があろうかと思います。多少前置きが長くなって恐縮でございましたが、そこで決議案の説明に移りたいと思います。

 先ず第1決議案でございますが、これは訴追委員会に対する抗議の決議、一の方は訴追決定に対するものであります。二の方は照会状に対するものであります。訴追委員会は逆に平賀判事に対して平賀書簡は職務熱心のあまり平賀メモは、平田裁判官に対するこれ等は勉強の参考として渡したものであるといっておりました故訴追の決定をなして裁判所の見解とすら対立して司法権独立の尊厳を踏みにじった結果となった訳であります。次に福島判事の平賀書簡公表を容認した行為は、職務上の義務違反ではありません。かえってこれに抗議して裁判の独立を守ろうとしたものであります。このことについて当時国民や裁判所がまったく問題にしていなかったのであります。訴追委員会の職務違反であるとの結論はまったくのいいがかりとしか受け取れません。

 国民的立場から平賀書簡のような裁判干渉行為は裁判所内だけで処理してはならないのである。裁判の独立こそ重大な法益である。それが正に犯されようとしている時にむしろこれを国民の面前で、国民の判断に基づいて処理されるようにすることが裁判官の職務上の義務ではないかと思う。ここで一寸だけ裁判官が青法協に加入しているのがいいのかどうか、その是非について言由応んでいきたいと思う。

 この点につきましては裁判所法52条が、積極的に政治運動をすることを禁じているのに過ぎないのである。その最高裁判所の事務総局裁判所法遂条解説中178頁にある『単に特定の政党に加入して政党員になったり一般国民の立場として政府や政党の政策を批判することは右の禁止に含まれないと』解するというふうにして、裁判官の市民的自由を保障しているのである。そういう裁判所の見解でもあるにもかかわらず青法協が一体全体政治団体であるか否かという議論は私はここでは論じたくありません。訴追委員会は先の申上げた最高裁の石田長官モラル見解とすらかけ離れて、これをモラルの段階から一躍法律上の問題にしようとしてしまった。そのように考えられるのであります。どんな角度から見ても、違法不当ではないかと思う。この度の訴追委員会の決定は、国民的立場においておおよそ縁遠く無関係になされて政治的めがねを通してなされたものといわざるを得ないのであります。そこで第二、照会上発送の問題でありますが、青法協の会員であることを理由とするような訴追請求が裁判官弾劾制度本来の趣旨から見て適正かどうか、徹底的な検討を行う必要があろうかと思うのである。

 それにも拘わらず、これをまったくしないで、その以前に被訴追裁判官個々に対し、不本意ともいうべき照会状を発し、回答がなければ会員として取扱うという、いわゆる一種の強制調査に及んだ。これ自体が慎重な態度を変えたものではないか、という考えであります。福島判事に対する決定理由中にはすでに福島裁判官が青法協会員であることは、裁判官の威信を著しく失墜したことにあたらないとして、元来訴追要件に該当しないということに自ら明示しているのであります。従って右照会状発送は、まったく妥当ではございません。訴追請求の名をかりて裁判官の思想、良心の自由を侵害しているものといわざるを得ません。この照会状に関しては今年の12月25日を回答期間として発せられておりまして、もし、回答しない場合には別個の調査方法を採ることが明らかにされております。そして、その別個の調査とはいわずものであります。当然に個々の裁判官に対する喚問を含むものであろうということはたやすく出来るものでありまして、今や、我々の同僚若しくは種々の個々の裁判官に対して、裁判官はこの照会状を受けた裁判官は特に、自らの思想良心を守り抜く必要と権力に直接の踏込みの感に口にいい表わせない苦悩の中に身をおいている。我々はどうしたってものをいいません。そういうような雰囲気です。この裁判官の苦悩は、今や正に日本の民主主義の苦悩であります。そのような裁判官訴追委員会の措置は明らかに裁判官弾劾制度目的から逸脱している。政治観点からなしたものといわれます。

 裁判官の思想良心を侵害し、外部から裁判官及び司法権の独立を侵害するものである。従って、不当な照会でありますから、それは即時撤回されるべきであると思う。

 次に第二決議案のことであるが、札幌高裁の福島判事に対する処分は、すでに札幌地裁最高裁の処分がなされているのに、この訴追委員会決定直後であります。右の処分と反対の趣旨になっております。一方最高裁判所は事件当時は、福島判事の書面行為について、いわゆる平賀書簡公表行為については、事実上不問ということでありまして、少なくとも国民の印象からは、そうであったのである。訴追委員会の決定直後、裁判所は一転して札幌高裁が福島判事に対して節度を逸脱した行為として批難して、しかしその直後に最高裁が積極的にこれを容認する談話を発表しているのである。こういう経過から見て司法が政治に屈したものと、私共は判じて立証証明が充分だと思います。このような裁判所の態度は訴追委員会の不当な決定を黙認しているばかりではなく、これに追随して司法権の独立を自ら放棄するものであり、裁判の中立性という名の元に内部から裁判官の思想良心の自由の侵害を容認するものである。しかも外からの介入に内側から、そうするような仮りにもそんなことがあれば、それはすでに司法権の独立が、日にひんしていることは意味するものである。国民の裁判及び裁判所を信頼する道は唯一のであります。それは憲法に明言されておる。すなわち裁判官は憲法によって、良心に従って独立して裁判せよと、こう書いてある。良心的裁判官というものは、憲法に忠実であることでなければならない。ここには何んか世にいわれておる裁判の政治的中立性などというような非常に曖昧なことを入れる余地はありません。正に司法権の危機とさけばざるを得ません。法曹会としても重大な問題であります。従って平賀判事に対する訴追決定を、平賀判事に対して訴追請求の決定を決定して実行しております。 あるいは釧路・札幌・仙台・東京・第二東京・横浜・長野県・金沢・大阪の各弁護士会、それと関東連合会弁護士会、関弁連はすでにこれ等の問題について抗議声明を発表しているのである。

 弁護士の使命というものは基本的人権を擁護することにある。これは国民と共にあゆむということにあります。そしてこれが弁護士、弁護士会の責務であって使命であるのです。

 全国8,000余の弁護士を擁している法曹界の重要な柱である日本弁護士連合会が、何んらの意思表明をしないことは、在野法曹としての責務を怠ったものであると.思います。最後に記憶をあらたにして戴きたい。かつて日本弁護士連合会が昨年5月24日に、東京プリンスホテルにおいて第二十回定期総会を開催しております。その当時の国会の与党内に裁判制度調査特別委員会などが設置された頃であります。その宣言を読み上げて見ますと、『司法権の独立は民主主義の根幹であり人権擁護の最終的補償である。しかるに、近時権力を背景として裁判官に圧力を加えまたは加える恐れがある言動が見られることは正に遺憾である。我々は司法権に対するかかる圧力を排除し、その独立を守ることを期する』といっているのである。かかる当時日弁連が毅然たる態度を持ったことを本日ここに改めて記憶をあらたにして、私の提案理由の説明と致します。





(私論.私見)