日本共産党はいまや「現憲法のすべての条項を厳格に守る」ことを宣言し、かつて彼らが否定してきた天皇制や、“違憲存在”である自衛隊までをも容認するといった退廃ぶりをさらけ出している。しかしこれは、共産党の過去が正しく現在が間違っているといった問題ではない。この連載では、共産党が憲法問題にどのように対応してきたか、その歴史を振り返り、この党が一貫して労働者階級を裏切り続けてきたことを暴露する。 |
1.革命期に“ブル民”に固執 “民主化”求める『新憲法の骨子』
一九四五年八月十四日、ポツダム宣言を受諾することにより、「大日本帝国」の敗戦が確定した。ブルジョアたちは大きな痛手を被り、日本資本主義はかつてない危機の時代を迎えた。政権維持能力を喪失しつつあるブルジョアどもを権力の座から一掃する絶好のチャンスであったのだが、共産党はこの革命期にいかなる立場をとったのか、それが問題である。
共産党は十月四日の「政治、信教並びに民権の自由に対する制限の撤廃」により合法政党の地位を取り戻したが、早くも十一月十一日に、他のどの政党よりも早く、憲法に対する考えを公表した。ここには、戦後日本をいかなる体制の社会として築いていくのかについての共産党の考えが示されている。
それは『新憲法の骨子』というもので、次の七項目からなる。一、主権は人民に在る。二、民主議会は主権を管理する。民主議会は一八歳以上の選挙権被選挙権の基礎に立つ。民主議会は政府を構成する人々を選挙する。三、政府は民主議会に責任を負う。議会の決定を遂行しないか、遂行が不十分であるかまたは曲げた場合、その他不正行為ある者に対しては即時辞めさせる。四、民主議会の議員は人民に責任を負う。選挙者に対して報告をなさず、その他不誠実不正の行為があった者は即時辞めさせる。五、人民は政治的、経済的、社会的に自由であり、かつ議会および政府を監視し批判する自由を確保する。六、人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備を以って保証する。七、階級的ならびに民族的差別の根本的撤廃。
ここで言われている内容は、国民主権、議会制民主主義等々であり、つまり資本主義の枠の中での民主化そのものでしかない。天皇制の条項はないが、同じ十一月後半の東京新聞紙上で徳田球一は「我々の戦略目的が天皇制の打倒と人民共和政府の樹立にあることは明らか」と述べているように、天皇制の廃止と人民共和政府樹立が当時の共産党の当面の目標だったのである。
宮本顕治もまた、翌四六年三月号『言論』に、「民主憲法の基軸」という小論を発表し、『新憲法の骨子』について次のように述べている。
「共産党はブルジョア民主主義革命の完遂―新民主主義の確立の見地から天皇制廃止・主権在民の憲法草案の骨子をかかげてきた。/新憲法は単に国の現状を反映するものであってはならない。またそれは現行の欽定憲法の単なる『改正』であってもならない。そうしたものはみな、反動勢力が世界民主主義の陣営にたいして若干の譲歩によって天皇制を維持しようとするものにほかならない。それはブルジョア民主主義革命の達成に結びつけられた新しい憲法の制定でなくてはならない。そういう意味で、新憲法は日本の人民大衆にとっての綱領的な目標を実現するもので、政治経済上の諸矛盾を排除した社会主義国では、憲法は、獲得した成果の要約であり総計であるが、いま半封建的諸体制を闘争によって掃蕩する任務を持っているわが国の場合では、あきらかに闘いとられなくてはならない目標である。それは日本民主化が徹底した時、民主議会によって制定されるべきものである」「天皇制の廃止、人民共和政府樹立は、当面するブルジョア民主主義的変革の最小限綱領である。……人民共和政府は資本主義の枠内で可能な綱領である」
ここでも明らかなように、共産党の課題はブルジョア民主主義の徹底化であり、その現われとしての天皇制の廃止と人民共和政府を樹立することであり、憲法はその綱領的な目標、闘いとるべき目標とされた。
すでに明治維新によって資本主義国家として登場し、成り上がりの帝国主義国家として既存の帝国主義国家に戦争を挑んだ日本において、しかもその戦争に敗れて、支配者階級が致命的な打撃を受けているときにおいて、共産党は、ブルジョアどもを打ち倒し、社会主義国家の樹立に向けて進むのではなく、「民主主義革命の徹底」といったピンボケの方針を掲げ、危機に瀕した資本を救うという許しがたい裏切りを行ったのである。 |
2.「時期尚早」と政府案に反対 ポツダム宣言の完全実施が先決と
日本共産党が他のどの党よりもいち早く『新憲法の骨子』を公表して、憲法問題に関する口火を切ったことは前回述べた。しかし、彼らは新憲法の制定を急いでいたわけではなかった。それは政府の憲法案が審議される国会における彼らの態度からも明らかである。
一九四六年四月十日、戦後初の衆議院選挙で共産党は五議席を獲得した。その一週間後の四月十七日に政府の憲法案が公表され、国会へは六月二十日開会の第九〇帝国議会に提出された。
二十五日の本会議では、開議直後、志賀義雄が審議延期の動議を提出し、冒頭から憲法案審議に“対決”する姿勢を示した。延期を求める理由は、①草案作成に際し、日本人民全体の意思を忠実に採り入れる配慮が政府に欠けていた②草案発表後、日本人民各層の間に、その内容を徹底させる手段方法が欠けていた③草案に対する日本人民の関心が充分ではなく、また政府は関心を持たせることを避ける嫌いがあった、といったものであった。
また本会議では、徳田球一が「『憲法より食糧を』がわが党のスローガンである。この憲法は戦犯者として追放された松本国務大臣の起草にかかり、ここから発展してきたものである。全人民が具体的に広範な討議をしなければ、憲法として議会に提出することは罷りならぬ。全人民が長時間にわたり討論する機会を与えられるべしという要求に反して、このような形で議会に提出されるにいたったのは、正に民主主義を阻害し、特権階級の権力を固定化せんとする陰謀であると信じる」と発言し、時期尚早論という立場から反対という姿勢を示した。
共産党が政府の憲法案に反対したのは、それが私的所有を謳ったブルジョア憲法であり、資本主義の体制を維持せんがためのものであるという立場からではなかった。それとは逆に、ブルジョア民主主義が不徹底であるという立場からのもので、天皇制の条項が残されているといったことなどに対する反発でしかなかった。
新憲法をどうした形で提案するかについて大きく分けて二つの考えがあった。一つは明治憲法である日本帝国憲法の改正案としてやるという方法であり、もう一つはポツダム宣言の受諾によりすでに明治憲法はその効力を失っているから、まったく新しい憲法として提案すべきだというものである。
枢密院の審査でも議論となったが、後者の立場に立ったのは美濃部達吉ひとりであり、他の全員は前者の立場であったため新憲法は明治憲法の改正案として議会の審議に付されることになった。
共産党は後者の立場に立った。宮本顕治は一九四六年三月の『前衛』第三号で、「今次改正案のように天皇政府による上からの天下り的憲法案でなく、人民自身の手で新憲法案が提出されなくてはならぬ。それが制定されるまで、現行憲法は正式に廃棄を宣言され、人民の自由な判断を保障するため現行憲法に基づく天皇制もその存続を停止すべきである。天皇制について人民の自由な判断の助長のために、すくなくとも、日本に空位時代を設定すべきだという外国世論の観察は十分に根拠を持っている」と述べている。
つまり、ポツダム宣言には、戦争犯罪人に対する厳重な処罰や「民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去し、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重を確立すること」が謳われているから、その完全実施がなされ、民主的な政権が誕生し、そのもとで新憲法が提案される必要があるというのが共産党の主張であった。
この背景には連合軍に対する途方もない幻想があった。四六年二月二十四~二十六日に開かれた共産党第五回大会の一般報告において、徳田は「国内情勢でありますが、もっとも注意すべきことは四国(米・英・ソ・中――平岡)管理委員会が成立したことであります。従来から連合軍は我々にとりまして、日本人民大衆にとりまして、民主主義革命の解放軍としての役割をすすめてきたのでありますが、四国管理委員会の成立は、この役割を一層向上せしめるであらうと信じられるのであります」と述べている。
「日本の現在の最も中心的な課題は、一切の分野での徹底的民主化である。ポツダム宣言は『日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に手をくださせるところまで道を誤らした権力と勢力は、永久に抹殺されなければならない』と宣言している。ところが現在日本では、大元帥である天皇やその他多数の戦争犯罪人が支配機構と天皇主義御用政党の中に根強く巣喰っている」(宮本、前掲書)として、ポツダム宣言の完全実施を求めることで天皇制の廃止を実現しようというのが共産党の立場であったのだ。 |
3.「戦争放棄」条項に反対 資本の国家の防衛を求める
今回は、政府案に対する共産党のもう一つの反対意見を紹介しよう。いま共産党がもっともやかましく論じている、戦争放棄の問題である。
政府案は現行憲法と若干表現が異なるが、内容的には同様の次のようなものであった。「国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。/陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
これに対して共産党は異論を唱えた。
国会の場で野坂参三は質問に立ち、「戦争には我々の考えでは、二つの性質の戦争がある。一つは正しくない不正の戦争である。これは日本の帝国主義者が満州事変以後起こしたあの戦争、侵略の戦争である。これは正しくない。しかし侵略された国が自国を守るための戦争は、我々は正しい戦争と言って差しつかえないと思う。この意味において過去の戦争において中国あるいは英米その他の連合国、これは防衛的な戦争である。これは正しい戦争と言って差しつかえないと思う。一体この憲法草案に戦争一般の放棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄、こうするのがもっと的確ではないか、この問題について我々共産党はこういうふうに主張している」と発言している。
つまり、政府案は戦争一般を放棄しているが自衛のための戦争は必要だからその道を残せ、というわけである。
この野坂の発言は二つの点で労働者階級を欺いている。
一つは、十五年戦争における中国と英米の置かれている状況の違いを見ないで、ともに侵略された国として扱い、その闘いを防衛のための闘いとしている点である。
中国は確かに日本によって侵略されていたが、英米がどうして侵略されていたといえるのか。どうしてその戦いが防衛の戦いとして正当化されうるのか。英米が日本やドイツ、イタリアと戦ったのは、帝国主義国家としての自分たちの権益を守らんがためであり、この戦争が帝国主義国家間の勢力争いの戦争であったことこそ歴史の真実ではないのか。
共産党は中国と米英を一緒くたにすることで、この戦争が帝国主義戦争であったという歴史の真実を覆い隠し、それを侵略戦争に反対する防衛戦争の名で美化するのである。この誤った歴史観はいまもって共産党のものである。彼らにとっては、先の戦争は「ファッショ政治」対「民主政治」の戦い、「悪」は日独伊のファッショ政治であり、英米そしてソ連は「正義」の民主政治といった単純な対立の構図しか考えられないのである。
戦争の本質を理解できない彼らに平和の本質を理解できるはずがなく、彼らは資本主義社会のもとでも平和があるかのような幻想を振りまいている。しかし真実は、資本主義社会であるが故に国家間の対立は必然であり、それはある場合には武力抗争となって現れざるを得ないということである。したがって真の平和をいうのなら、何よりもまず資本の体制を打破することこそ先決問題であり、根本問題であるのだが、共産党にとってはこのことは先の先の問題であり、実際上、どうでもよい問題に棚上げされてしまうのだ。
しかもこれだけではない。もう一つの問題は共産党の反動性をもっと示している。それは、共産党は、新生日本は社会主義国家ではなく資本主義国家(いくらそれが民主主義的とはいえ)だとしながら、つまり資本家階級が支配する階級国家であるとしながら、その自衛の戦争を放棄してはならないとしていることである。つまり、政府の憲法案では戦争一般を放棄しているがそれは間違いだ、“資本の体制を防衛する戦争を放棄するな”と要求したのだ(この方針は、今も共産党は捨ててはいない)。
野坂のこの質問に対し、当時の首相である吉田茂は「戦争放棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行なわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることがたまたま戦争を誘発する所以であると思うのであります。……御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」と答弁した。
まさに野坂よりも吉田のほうが平和主義者ではないか。吉田は自衛権も含め一切の武力を持たないのが憲法案だとしたのに対し、それでは資本主義国家日本は守れないぞと反対した共産党が、後に自衛隊を容認することになったのは一つの必然である。彼らが自衛隊反対といったのは、対米従属により米軍の支配下にあるから本当の自衛軍ではないという理由からだけで、資本の体制を守ることには、一度も反対してこなかったのである |
4.共産党の憲法草案 私有財産容認で政府案と大差なし
共産党は政府の憲法案に対して時期尚早であると反対し、連合軍の“圧力”による民主化の動きに期待したのであるが、同時に、自らの憲法草案をも発表した。それは、前回紹介した、野坂が国会で自衛権を求めたのと同じ一九四六年六月二十八日に決定されている。
その前文では、「天皇制支配体制によってもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨に満ちた窮乏と飢餓とであった」として、「われらは苦難の現実を通じて、このような汚辱と苦痛にみちた専制政治を破棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。……ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて、人民のための政治が行われるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとろうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障と人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである」と述べている。
共産党が言わんとすることは、天皇制、寄生地主制、財閥、これらを解体し、法の下における自由で平等な人民(つまり国民)によって選出された議会によって運営される民主主義社会が必要であり、そしてそれを保障する憲法がこの草案だということである。
つまり、君主制(たとえそれが立憲君主制であろうとも)に対して共和制をとれということであって、それ以上ではない。確かに天皇制などの制度は廃絶されなければならない。しかしそれが共和制に変わったからといって労働者が搾取される資本の支配する社会であることには何の変化もないのである。ブルジョア国家を再建するという点では、政府も共産党も共通していたのだ。
それに資本にとっても戦前の制度のままで再出発をはかるよりも、より新しい形で再出発をするほうが都合がよかったとさえいえるのではないのか。
戦前の日本における、天皇制や寄生地主制、財閥といったものは、後発資本主義国家である日本にとっては必然的なものであった。つまり、自由競争で無駄なエネルギーをそぐよりも専制的な支配のもとで資本を集中させ、先進資本主義国家との格差を急速に縮める推進役、そうしたものとしてこれらの制度が役立ったともいえるのである。
しかし、こうした専制的な体制は国際的な競争のもとでは自由主義陣営に敗れざるをえなかった。
財閥資本は国内では寡占的であっても、世界的に見ればまだ弱小で、国際競争では太刀打ちできない。もっと大きな資本として成長しようと、世界中の植民地の再分割を求めたのだが、国家の武力をもってしてもその壁を破ることはできない。こうしたことを身をもって体験した日本の資本にとっては、かつての様な体制ではなく、自由主義体制のもとで再出発をはかろうとするのは至極当然なことではなかったのか。その意味で共産党の憲法草案は、資本の意向とそれほどかけ離れたものではなかったといえるであろう。
もちろん政府案には、象徴としてではあれ天皇制の条項が残ったのであるが、これは日本の資本が(そして米国が)、急速に解体する国家への求心力を失いたくないために利用しようとしたためであって、直接、戦前の体制を復活しようとしたものではない。
共産党の憲法草案が政府案と根本で変わらないのは私有財産制を擁護していることで明確である。
草案、第二十四条では「勤労にもとづく財産および市民としての生活に必要な財産の使用・受益・処分は法律によって保障され、その財産は相続を認められる」と、私的所有及びその相続権も明確に容認されている。
その後に「社会的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。財産権は公共の福祉のために必要な場合には法律によって制限される」という言葉がつけられてはいるが、生産手段が私的に所有されることを否定したものではない。だいたい私有権を認めたうえでわざわざ「公共の福祉」といったものをもちだして制限を加え、それでいかにも公平さが保たれるかのように装うこと自身、私的所有が不公平、不平等の源泉であることの証でなくてなんであろう。
しかも、ブルジョア国家における「公共の福祉」とは資本の体制を維持するための隠れ蓑であって、ブルジョア国家を守るためには私的権利も制限をされるという類のものであることはみんな知っている。現行の日本国憲法でも「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」とされているのであり、共産党の草案と大差ないのだ。 |
5.天皇制と皇室は別という詭弁 皇室廃止は将来の問題と棚上げ
憲法制定をめぐって、共産党が最も強く、政府や他の政党との違いを強調したのは天皇制に反対することであったが、この日和見主義の党は、この問題でも中途半端であった。
彼らが作った独自の憲法草案については前回取りあげたが、その草案の発表に際して中央委員会憲法委員会が声明(一九四六年六月二十九日)を出しており、その中の一項に、次のようなものがある。
「わが党は行動綱領および本憲法草案の示すように、一切の封建的、特権的身分制度に反対し、この廃止を目標の一つとしている。従って特権的身分制度としての皇室は当然廃止さるべきであるが、人民共和政府が実現し人民大衆の民主的教育が徹底したのち、この問題を人民投票に問うて決定する方針であることはわが党がかねて声明したとおりである」
つまり、天皇制はいかなるものでも憲法に入れることには反対するが、実際に皇室を廃止することについては、即時の廃止ではなく、まず人民共和政府を作り、さらにそこで大衆に民主的教育を徹底し、しかる後に人民投票にかけて、国民の多数が同意していることを確認してからのことだというのである。
しかし、何のために、わざわざこうしたことをする必要があるのか。
社会主義体制でなく、たとえ共産党の求める人民共和体制であったとしても、皇室といった特権的な存在は即時に廃止されるべきものであって当然ではないのか。しかも、戦後の荒廃した状況の中で、人民の大多数は食うや食わずの状態だというのに、なぜ、寄生的な存在を一日でも残そうとするのか。まったく我々の理解の及ばざるところである。
“廃止するのは当然。だが、それは今すぐではなく、国民の意識が高揚したのちに投票によって決めることだ。”
現在の共産党は、天皇制や自衛隊についてこのように述べ、実際の反対運動をボイコットしているのであるが、その原型がここにあるといえよう。この党は大衆の支持を失いたくないために、口先では天皇制反対や自衛隊反対を言うのだが、実際には、それは今の課題でないとして問題の先送りをし、闘いの芽を摘み、立ち上がろうとする労働者大衆に敵対するのである(こんな党であるから、社会主義の課題をいつとは知れない遠い遠い未来に追いやるなど、当然のことである)
しかも、人民大衆に教育をしないと、彼らが皇室の廃止に賛成することはないと考えているところに、共産党が大衆を信頼していないことがはっきりと現れている。
そもそも皇室が必要かどうかといったことは、共産党の言うような「教育」の問題、つまり知識の問題ではなく、労働者の階級意識の問題である。それは「教育」といったもので鍛えられるのではなく、闘いの中で、つまり階級闘争の中で鍛えられていくものである。革命政党なら、まず闘いの先頭に立ち、労働者階級をその闘いに組織していくことこそ必要であるのに、共産党はそうしたこととは無縁なのである。
また、先に引用した声明の中で、こうした方針は「わが党がかねて声明したとおりである」と述べているように、天皇制と皇室の存在は別という珍奇な論理は、憲法草案発表以前からのものである。
同じ年の一月十四日、野坂参三の帰国に際して発表された、共産党中央委員会と野坂との共同声明にも同様の内容が見られる。
それは民主主義的統一戦線の結成を呼びかけるものであったが、当時、共産党内には天皇制打倒のスローガンを民主戦線の統一綱領とするかどうかで意見の対立があった。「一つは、戦争前の戦略コースをそのままもちこみ、天皇制打倒なしに民主主義運動はありえないという立場であり、一つは、党の独自の目標として天皇制打倒のスローガンを掲げることには賛成しつつも、民主戦線にはこれをおしつけることなく、もっとも広範な戦線を結成すべきだとする立場であった」(上田耕一郎『戦後革命論争史』)
どちらも、すでにブルジョア国家として長い歴史を持つ国において民主主義革命を唱えるといった、誤った立場に立つのだが、前者を代表したのが徳田や志賀であり、後者は戸田慎太郎らである。後者は野坂の帰国により、党中央を握る徳田らへの説得を期待していた。しかし結果は、天皇制打倒のスローガンは残り、そして同時に、皇室の存在は別問題という次のような声明が出されたのである。
「天皇制打倒といふ方針の正しさを認めることにわれわれの意見は完全に一致した。天皇制の廃止とは、これを国家の制度として排除することであり、その上で皇室の存続がいかになるかということは自ら別問題である。それは将来日本の民主主義化が達成されるとき日本国民の意志によつて決定されるべきものである」 |
6.新憲法反対からその擁護へ 天皇制や私有財産護持を無視
共産党は憲法制定時に、政府原案に反対した。
「幣原官僚内閣の手で作成された『憲法改正案』を称して、主権在民の憲法と見なそうとする見解が方々に見られるが、明らかにそれは政府案の本質を見得ないものである。…/…日本民主化の最小限課題は、戦争犯罪人の徹底的な清掃、天皇制の廃止、人民共和政府の樹立、農村の寄生的土地所有制度の廃止、労働者農民勤労大衆の生活条件の根本的改善等であるが、これらはいずれも今日実現されていない。/憲法が民主的ということができるためには、すくなくともこの課題の実現が保障されるものでなければならないのである。政府憲法案はこれを実現していないのみか、むしろ阻止し、あるいは骨抜きにしている」(宮本顕治『前衛』三号・一九四六年三月十五日号)
ところが数年後には、象徴天皇制など不徹底な部分はあるが民主主義的な憲法であると、憲法擁護の立場に移るのである。なぜ、いとも簡単に一八〇度の方向転換が図れるというのか。
共産党は独自の憲法草案を発表しただけでなく、政府原案に対する修正案(前文に主権在民を明記することや、第一章の天皇に関する部分を全文削除すること、第二章の戦争放棄に他国征服の戦争に反対する、他国間の戦争に絶対に参加しない旨を明記することなどの内容)をも提出したが、この修正案は否決されている。したがって、共産党にとっては自分たちの主張が受け入れられたということにはならないのである。
ただ「主権在民」の明記に関しては、政府原案の「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」という部分が、最終的に成立した憲法では「ここに主権が国民に存することを宣言し」という表現に変わってはいる。そのため、共産党の連中は、自分たちの闘いによって主権在民が明記されたとして、原案と大きく変わったかに言うのであるが、国会が国権の最高機関であって、国民を代表する選挙された議員によって構成されるという点は原案も成立憲法も同じである。国民の選んだ議員による国会が最高の機関であるのだから、原案も国民主権の立場にあることは明らかであろう。「国民の総意が至高なものである」が「主権が国民に存する」に変わったからといって憲法の性格が根本的に変化したというものではないのだ。
むしろ、戦争放棄を謳った第九条の第二項では、「陸海空軍その他戦力は、これを保持してはならない」となっていた原案が、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と変更され、「前項の目的」以外、つまり自衛のための軍隊を持つことまでは否定していないといった解釈を許すもととなる改悪さえもなされている。こうした改悪があるにもかかわらず、原案には反対し、成立憲法は擁護するといった奇妙なことを、共産党は平気で主張しているのである。
「わが党が現行憲法の制定においてこの憲法に反対したのは、日本人民の民主主義的変革を徹底させる立場からいって、この憲法が不徹底なものとなっており、天皇の地位その他の反動的条項をもっているからであって、それが将来の侵略と反動の方向を復活する要さいとなり、憲法改悪の拠点とされる危機をどう察し、予言的警告をおこなったものであった。/しかし現行憲法が成立すると同時に、この事情は根本的に変化した。それは、米日反動によるこの憲法の平和的民主的諸条項にたいする大規模な違反とじゅうりんがその後一貫しておこなわれ、当面憲法の平和的民主的条項の擁護とその完全実施のためのたたかいに最大の重点をおかざるをえなくなったからである」(「憲法問題にたいする日本共産党の態度」『前衛』一九六二年六月号)
憲法成立前はその内容に問題があったから反対したが、“成立と同時に事情が根本的に変化した”から同じ憲法であっても守らねばならない。共産党の言わんとすることは、要はこういったことだ。
実際、政府原案と成立した憲法の内容が根本的に異なるわけではない。にもかかわらず、共産党は「反対」から「擁護」へと大きく方向を変えていく。これは、もともと共産党が階級的な観点をなんら持ちえていないからであり、憲法に関する見解も場当たり的なものでしかないからである。
彼らは、十五年戦争の本質が帝国主義戦争だったということすら確認できず、戦前の体制を倒した時には連合軍が解放軍に見え、そして今度はその連合軍が米ソの二陣営に分裂して争い始めると、米国が変質したと大騒ぎをするのである。つまり「事情は根本的に変化した」というわけである。
共産党はこの後ずっと憲法擁護の立場に立っている。最初は反対していたが、次には不十分な点はあるが基本的に擁護できると徐々に道を開き、今では「憲法の全条項を守る」というところまで行き着いている。これは、最初の「反対」がいかにいい加減なものであるかを教えてくれるものでもある。 |
7.成立時の天皇制反対を悔やむ 現在は“民主憲法”の一部と擁護
共産党が、憲法原案には民主主義が不徹底だと反対しながら、数年後にはその同じ憲法を擁護するというように態度を変えたことは前回述べたが、この問題は、その後も常に引き合いに出され、共産党を悩ませる羽目となる。
最近では、二〇〇〇(平成十二)年二月二十四日に開かれた衆議院憲法調査会の場で、参考人として出席した西修駒澤大学教授から、共産党は護憲政党だといわれているが憲法制定時には反対したじゃないか批判されている。西は成立当時の共産党幹部の憲法反対発言を具体的に紹介したあと、次のように言っている。
「このように、当時の最高幹部、上から申し上げますと、宮本顕治さん、徳田球一さん、野坂参三さん、志賀義雄さん、いわば当時の最高幹部すべて、今の憲法はとても先駆性がない、とんでもないとおっしゃっていらっしゃるわけであります。/(ところが―平岡)共産党の方のあれを見ますと、今の憲法に先駆性があるとおっしゃっておりますけれども、当時の憲法の先駆性を完全に否定なさっていらっしゃったのが共産党でありました。そして天皇制について言うならば、今も綱領は変わっていないはずであります。けれども、二、三年前、象徴天皇制との妥協というようなことを発表なさったはずであります。この宮本顕治さんの天皇制との妥協は許さない、これはいったい今どうなっているんだろうか、我々とすれば、どうしてもその疑問を解けないわけであります」
これに対し、この調査会に出席していた共産党の東中光雄は、「わざわざ共産党だけを、しかも、護憲政党といっているけれども前は違ったんだ、こういうことを言われたというのは、私は非常に遺憾の意を表明しておきたい」と憤慨し、次のように説明している。
「第二次大戦というのは、日独伊侵略ブロックが敗北をした、反ファッショ連合国と世界民主勢力が勝利をして終わった。日本は、ポツダム宣言を受諾して、降伏文書に示された国際的義務を負うて、そして終結した……日本共産党は、ポツダム宣言の完全実施と民主主義的変革を徹底してなし遂げるという立場で、天皇制の廃止、軍国主義の一掃、国民の立場に立った国の復興のために、そういう立場であの人民共和国憲法草案を発表した……現在の日本国憲法の草案に対して、私たちは、民主主義をもっと徹底すべきだ、主権在民をちゃんと徹底すべきだ、不十分だということで追及した……しかし、主権在民と国家主権の大原則、あるいは恒久平和の大原則、あるいは基本的人権の尊重、こういった憲法の基本的な柱、そのほか議会制民主主義なり地方自治の原則がありますが、こういうものを今変えようという動きがあるから、そういう改悪は許されないということを我々は言っておるわけであります」
先の戦争が帝国主義戦争であったということを理解できない共産党は、米英ソなどの連合国を賛美する。だから、敗戦による日本資本主義の危機を利用して社会主義革命を成し遂げようというのではなく、民主化こそが絶対で、ポツダム宣言を完全実施することを最も重要視した。だから、中国革命や朝鮮戦争を機に米国が日本民主化政策を転換させ、非民主化、再軍備化に動いたことが問題の根源だと捉え、その米国に追従する日本の支配層が問題だというのである。
したがって、憲法についても、制定時にはその不十分さを追及したのであるが、その後、それを改悪しようという動きが出てきたので、改悪されるよりもマシだから守らねばならないというのが彼らの立場なのである。
しかも共産党はそこに留まらない。彼らは、ただマシだというだけでなく、もっと積極的に“良い憲法だ。だから守らねばならない”といったところまで行くのである。
東中は、この時はまだ、西が突いたもう一つの痛い点、つまり綱領では天皇制に反対といいながら実際には象徴天皇制と妥協を図ろうとしているではないかという意見に答えることができなかったのだが、その後、共産党は見事に綱領を変更して、天皇制を含む憲法の一字一句たりとも変えてはならないというところまで堕落していくのである。
二〇〇〇年三月二十三日に開かれた衆議院憲法調査会では、佐々木陸海が、「今の憲法が定着しているという事実が非常に重いものがある」「振り返ってみれば、あの憲法は大変正常でない状況のもとで正常でない形で作られたことは事実ですけれども、それがそこまで妥当性を持ち、効力を持ってずっと維持されてくる背景には、やはりその内容の正当性、合理性というようなものもあったのではないかということを私自身は自分の確信として思う」と述べている。
つまり、長年定着しているというのはその内容が正しいからだというのだが、こんな理屈では憲法の条文はすべて正しいということになってしまうのは当然の帰結である。これは現状追認以外のなにものでもない。だから憲法を変えずに綱領を変えて矛盾の解消に努めようとするのである。 |
8.対米従属論のドグマ 現綱領における憲法の位置づけ(上)
共産党は綱領で憲法をどのように位置づけているか。それを今回から数回に分けてみてみよう。
一九六一年の第八回大会で現在の共産党の基礎となる綱領が採択された。そこでは次のように述べている。
「世界の民主勢力と日本人民の圧力のもとに一連の『民主的』措置がとられたが、アメリカ帝国主義はこれをかれらの対日支配に必要な範囲にかぎり、民主主義革命を流産させようとした。/現行憲法は、このような状況のもとでつくられたものであり、一面では平和的民主的諸条項をもっているが、他面では天皇の地位についての条項などわが党が民主主義的変革を徹底する立場から提起した『人民共和国憲法草案』の方向に反する反動的なものをのこしている。アメリカ帝国主義は、世界支配の野望を実現するためにポツダム宣言をふみにじり、日本は事実上かれらの単独支配のもとにおかれ、日本人民は、アメリカ帝国主義への隷属状態におちいった。……戦前の絶対主義的天皇制は、侵略戦争に敗北した結果、大きな打撃を受けた。しかし、アメリカ帝国主義は、日本の支配体制を再編するなかで、天皇の地位を法制的にはブルジョア君主制の一種とした。天皇はアメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具となっている」
これが長らく共産党の憲法に対する態度であった。
ポツダム宣言はすべて正しく、その実施を求めた連合国は解放軍であったが、たまたま日本を占領した連合軍の主力が米国であったため、不幸が始まった。憲法は民主的な部分を持つ反面、米国の圧力によって、天皇に関する反動的な部分を残すことになり、さらに米国は、ソ連との対立が深まると、天皇を利用して日本の再軍備、反動化をはかろうとしている、というのが彼らの主張である。
戦後も日本は一つの独立した国家(少なくとも終戦直後の占領期を除いては)であったが、共産党は、日本が米国に占領支配され続けているかのように捉え、すべては米国の対ソ連政策によって左右されるかのようなドグマをふりまいたのである。
米国がソ連などと歩調を合わせているときは正しい立場に立っていた。それはポツダム宣言に現れている。あるいは日本の民主化といったものがそれだ。しかし、ソ連と対立するようになると、米国はポツダム宣言をふみにじり、日本に対しては民主化政策から再軍備政策に方向転換した。すべては米国の都合によるもので、その支配から逃れないかぎり問題は解決しない、対米従属こそすべての元凶だ、というわけである。
しかし日本の反動化が進んできたのは、日本資本主義が戦後復興を成し遂げ、高度経済成長を経て、世界でも有数の独占資本主義国家として再登場してきたことの現われ以外のなにものでもないのだが、共産党にはこの真実が理解できないのである。
つまり日本資本主義の帝国主義化こそが政治思想の反動化や軍備の増強をもたらしてきているのであり、憲法をそれにふさわしいものに改定したいという衝動を資本家やその代弁者である自民党などの議員に抱かせてきているのである。こうした策動を粉砕するためには、資本の支配を一掃する闘いを押し進めるしかないのだが、共産党は単に民主主義的であるかないかといったところに問題を立てるのである。
当然こうした立場からは真の問題解決の道は生まれてこないし、むしろ逆に、反動化が進めば進むほど、その時点でより民主的な方を選択せよと、現状維持に懸命になるという醜態に陥るのである。
共産党の六一年綱領は米国を「悪」として捉える一方、ソ連は「善」(平和勢力)であるといった単純な図式的な捉え方をしている。「悪」の米国に追従している対米従属状態が悪い、それに対しソ連は社会主義国であるから正しいというドグマである。
つまり「対米従属論」と「ソ連=社会主義論」は対極にあったといえる。
ソ連崩壊によって共産党は「ソ連=社会主義論」の見直しを迫られ、一九九四年の二十回大会で綱領の全面的な見直しをおこなっている。だが、憲法に関する先の内容は一部語句が入れ替えられた程度でほとんど内容的には変わっていない。民主的な条項の具体例として主権在民の立場にたつということが付け加えられたのと、反動化の道具とされるのが「天皇」から「天皇制」に変わったぐらいである。
しかし、実際には共産党内部で腐敗はいっそう進行していた。この後しばらくすると、天皇制容認や自衛隊容認の声が聞こえ始めるのである。そして二〇〇四年の第二十三回大会でついに「現行憲法の全条項を守る」というところまで堕落していくのであるがその点は次回に論じることになる。 |
9.天皇制を容認 現綱領における憲法の位置づけ(中)
昨年一月に開かれた第二十三回大会において、共産党は綱領の全面的な改定を行なった。それはこの党のこれまでの誤れる歴史の集大成であり、日和見主義を完成させるものであった。
ついに共産党は綱領において、「現行憲法の前文を含む全条項をまもり」、ということまで謳うようになったのである。
もちろん、全条項であるから、私有財産制はもちろん、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という第一条や「皇位は、世襲制のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」といった第二条など、天皇制に関する条項も含め、すべてを守るということになるのは当然である。
これまでから共産党は資本の支配の一掃に向けては闘ってこなかった。彼らは、社会主義は先の課題であり、まずは徹底した民主主義を勝ち取ることが自分たちの革命の課題なのだとしてきた。
しかし今回の綱領改定においては、民主主義の徹底というその課題すら放棄し、自らがこれまで綱領の中で「反動的」としていた天皇制の条項を、これからは「まもる」んだとさえ言いきったのである。
もっとも、この姑息な党は労働者からの批判をはぐらかそうと、「党は、一人の個人が世襲制で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義及び人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の創意によって解決されるべきものである」という一文を綱領に入れることを忘れてはいない。
つまり、天皇の条項は民主主義とは矛盾すると思うが、憲法の規定である以上それが合法的に改定されて削除されるまでは守るという条件付のものであるから、天皇制を肯定したのとは違うといいたいのである。
しかしこんな馬鹿な話があろうか。天皇制が、民主主義や人間の平等の原則と相容れないという立場に立つなら、天皇制の即時廃止を求めてしかるべきではないのか。民主主義とさえ矛盾するような憲法を守れと労働者に呼びかけるのではなく、憲法を直ちに改定して、天皇制といった不合理なものを一掃しようと呼びかけ、その運動を組織すべきではないのか。
臆病で社会主義の闘いを組織することのできない共産党は、当面する革命は民主主義革命だといいながら、民主主義の闘いさえ放棄しているのだ。
不破は今回の綱領改定にともなう天皇制の扱いについて次のように述べている。
「第一は……私たちは、今回の綱領改定にあたって、日本は、政治体制として、国民主権の国であって君主制の国ではない、ということを明らかにしました。……第二に、これと密接に関係する問題ですが、戦前、わが党が、命がけで天皇制打倒を中心任務として掲げたのは、絶対権力をもった天皇制をなくさないかぎり、平和の問題も民主主義の問題も実現しない――天皇制が、そういう存在として国民の前に体制的に立ちふさがっていたからでした。現在の日本では、そこがまったく違っています。……天皇が『国政に関する権能を有しない』ということは、その存在によって民主主義も平和も左右されないという立場に、憲法上、天皇が置かれている、ということです。この位置づけを、明確に捉えることが大事です。第三に……私たちは、日本の将来の発展の方向としては、天皇の制度のない、民主共和制を目標とする立場に立っています。……しかし、これは、憲法で定められた制度ですから、天皇の制度をなくすためには、国民の圧倒的多数の合意にもとづく憲法の改定が必要になります。……そこにいたる過程は…相当長い時間のかかる過程(で)……この過程では……天皇の制度と共存してゆくことになります」(『新・日本共産党綱領を読む』)。
何とたいしたお説ではないか。天皇制は残っているが、実質的にはなんら影響力は持たず、民主主義にも平和にも影響しないのだから、今すぐではなく、遠い将来に憲法を改定して無くしていけばよい、というのである。
しかし、本当に天皇制が形式的なモノだと考えるなら、そんな不要なものをいつまでも残さず、直ちに廃止せよというべきではないのか。しかも、真実は、ブルジョア国家に国民を統合する手段として、天皇制は立派に活用されているのに、である。
資本家や政府・自民党の連中は、「君が代」を国歌として制定し、教育やその他あらゆる場で、その演奏や斉唱を強要し、国家意識、国家主義を高める策動を繰り広げている。
天皇制が再び危険なものとして活用を強化されようとしているまさにその時に、共産党は天皇制と闘うのではなく、その容認を綱領で謳うまでに堕落したのである。
彼らは女性天皇制の論議が出ると、男女平等の観点から良いことだとまで言い、天皇制の存続に手を貸すまでになっているのだ。 |
10.自衛隊解散まで“活用” 現綱領における憲法の位置づけ(下)
共産党はさかんに「憲法九条を守れ!」と叫んでいる。憲法制定時に、いかなる軍備も持たないのは自衛権の放棄ではないかとして憲法草案に反対した共産党が、今では逆に憲法を擁護する立場に立っている。
「自衛の権利は、すべての国がもっている固有の権利であって、侵略されてもなぐられっぱなしという立場はありえない、と考えています。ですから、われわれは、自衛権は明確に認めます。しかし、いまの憲法のもとで、日本が常備軍を持つことは、憲法にかなっているとは、われわれは考えません」(不破、『世界の流れの中で憲法問題を考える』)というわけである。
しかし、資本主義国家の自衛権、防衛権を容認するというのは労働者階級の立場を裏切るものである。なぜならそれは資本の支配する社会を守ることであり、それを打倒しようとする労働者階級の闘いを阻害するものだからである。もし他国からの侵略があるというなら、労働者階級は資本主義国家である自国を守れというのではなく、労働者階級の独自の階級的立場からそれと闘うであろう。具体的には他国の労働者階級との国際的な連帯を呼びかけたり、自国の資本家階級の危機を利用して、新しい社会を築くための闘いを押し進めるだろう。
ところが共産党はまったく逆に、資本主義国家を守らねばならないと、愛国主義を振りまくのである。
しかも彼らは、いまの憲法で常備軍を持つことは違憲であるといいながら、自衛隊の即時解散すら求めようとしないのである。
共産党のこれまでの綱領における自衛隊に関する規定は、「党は、自衛隊の増強と核武装、海外派兵など軍国主義復活・強化に反対し、自衛隊の解散を要求する」となっていた。それが昨年の改定において、「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約破棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」と改められている。
明らかに後退である。少なくとも改定前は自衛隊の解消を要求していたのだが、今や「それに向けての前進をはかる」といった役人言葉のようなあいまいな言い方にぼかされてしまっている。
不破はこの綱領改定に関するインタビューで次のように答えている。
「自衛隊は存在が違憲で、将来、解消を目指す立場は変わらない。ただ、綱領にも明記したが、そういう選択ができるまでは共存と平和的活用が基本。国内、海外の災害に自衛隊が出るのを容認するのもこの立場からだ」(〇五・二・三『朝日新聞』)
違憲だが現実それが存在するかぎり自衛隊を認めるというのだが、これはかつての社会党の「違憲合法」論とどれだけ違うのか。共産党は、社会党が「自衛隊は違憲だが合法である」と言った時に、それを口先では非難したのだが、実際は彼ら自身も同じ立場に立っていたということではないのか。
今回の綱領改定の自衛隊に関する内容は、その前の二十二回大会における決議「自衛隊解消の道筋」を受けてのものである。そこでは「この矛盾(憲法九条と自衛隊が現存するという矛盾―引用者)を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的に進めることが必要である」と、共産党お得意の段階論が展開されている。
それによると、「第一段階は、日米安保条約破棄前の段階」で、ここでは「九条のこれ以上の蹂躙を許さないことが、熱い焦点である」とともに「軍縮に転じることも急務となっている」とされている。
「第二段階は、日米安保条約が破棄され、日本が日米軍事同盟から抜け出した段階」で、ここでは、わざわざ、安保破棄の国民合意と自衛隊解消の国民合意は別個の問題だから自衛隊は残るとしたうえで、「この段階では、自衛隊の民主的改革―米軍との従属的な関係の解消、公務員としての政治的中立性の徹底、大幅軍縮などが課題となる」とされている。
そして最後の「第三段階は、国民の合意で、憲法九条の完全実施―自衛隊の解消に取り組む段階」がやっと来るというわけである。しかもここでもすぐに解消ということではなく、独立・中立の日本が世界とアジアの平和のために貢献し、「この努力ともあいまって、アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟することを見定めながら、自衛隊解消に向かっての本格的な措置に取り組む」というのである。
なんと、自衛隊の解消一つに長い道のりであることか。しかもこの決議によれば、アジアの平和的安定が成熟していなければ、自衛隊は解消できないというわけである。
自衛隊が憲法違反であると確信するなら、護憲政党の共産党は自衛隊の即時解散を求めてしかるべきではないのか。それもせずに、いっぱい段階を設け、しかも平和的安定が成熟していなければ、つまり他国の脅威が存在するなら自衛隊は必要というのなら自民党などと同じではないのか。もはやこの党は平和の党ですらなくなっているのである。(終り)
|