補足3・日本共産党の憲法草案考

 (最新見直し2015.05.10日)

 関連サイト戦後政治史検証

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、日本国憲法制定時の日本共産党の憲法草案を確認しておく。ネット検索で出くわした「古本屋通信」の「古本屋通信 No 108  1月10日  『海つばめ』 の共産党攻撃」を転載する。 次のように評している。
 憲法関係で見たことのない論文 (?) を発見したのでコピーした。まだ読んでいないが、面白そうだ。少なくともキンピーサイトのおしゃべりよりは・・・。私は 『海つばめ』 にかぎらず、ブント系の党派を信用しない。だいたいが「行動左翼」か「理論左翼」のいずれかだ。前者の終着駅が連合赤軍と民主統一同盟だったろう。後者の現在形の代表が「海つばめ」か? ある種の観念の遊戯だ。組織実態がゼロに近い「政治グループ」のコンプレクスの表明として貼った。ゴメンナサイ、こんな引用。これが紙の本だったらルール違反ですネ。「労作」 ( 苦労の作品 ) であることは認めます。然し為にするイチャモンは修辞学のことばでしょう。「 理論はそれが大衆を捉えるや否や物質的な力になる・ヘーゲル法哲学批判序説 」という点でどうなんでしょうかネ。 ( 古本屋通信 )


【平岡正行「日本共産党と憲法――その裏切りの歴史」(「海つばめ」 第980~989号連載)】
 平岡正行「日本共産党と憲法――その裏切りの歴史」(「海つばめ」 第980~989号連載)は次のように評している。
 日本共産党はいまや「現憲法のすべての条項を厳格に守る」ことを宣言し、かつて彼らが否定してきた天皇制や、“違憲存在”である自衛隊までをも容認するといった退廃ぶりをさらけ出している。しかしこれは、共産党の過去が正しく現在が間違っているといった問題ではない。この連載では、共産党が憲法問題にどのように対応してきたか、その歴史を振り返り、この党が一貫して労働者階級を裏切り続けてきたことを暴露する。
 1.革命期に“ブル民”に固執 “民主化”求める『新憲法の骨子』
 一九四五年八月十四日、ポツダム宣言を受諾することにより、「大日本帝国」の敗戦が確定した。ブルジョアたちは大きな痛手を被り、日本資本主義はかつてない危機の時代を迎えた。政権維持能力を喪失しつつあるブルジョアどもを権力の座から一掃する絶好のチャンスであったのだが、共産党はこの革命期にいかなる立場をとったのか、それが問題である。

 共産党は十月四日の「政治、信教並びに民権の自由に対する制限の撤廃」により合法政党の地位を取り戻したが、早くも十一月十一日に、他のどの政党よりも早く、憲法に対する考えを公表した。ここには、戦後日本をいかなる体制の社会として築いていくのかについての共産党の考えが示されている。

 それは『新憲法の骨子』というもので、次の七項目からなる。一、主権は人民に在る。二、民主議会は主権を管理する。民主議会は一八歳以上の選挙権被選挙権の基礎に立つ。民主議会は政府を構成する人々を選挙する。三、政府は民主議会に責任を負う。議会の決定を遂行しないか、遂行が不十分であるかまたは曲げた場合、その他不正行為ある者に対しては即時辞めさせる。四、民主議会の議員は人民に責任を負う。選挙者に対して報告をなさず、その他不誠実不正の行為があった者は即時辞めさせる。五、人民は政治的、経済的、社会的に自由であり、かつ議会および政府を監視し批判する自由を確保する。六、人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備を以って保証する。七、階級的ならびに民族的差別の根本的撤廃。

 ここで言われている内容は、国民主権、議会制民主主義等々であり、つまり資本主義の枠の中での民主化そのものでしかない。天皇制の条項はないが、同じ十一月後半の東京新聞紙上で徳田球一は「我々の戦略目的が天皇制の打倒と人民共和政府の樹立にあることは明らか」と述べているように、天皇制の廃止と人民共和政府樹立が当時の共産党の当面の目標だったのである。

 宮本顕治もまた、翌四六年三月号『言論』に、「民主憲法の基軸」という小論を発表し、『新憲法の骨子』について次のように述べている。

 「共産党はブルジョア民主主義革命の完遂―新民主主義の確立の見地から天皇制廃止・主権在民の憲法草案の骨子をかかげてきた。/新憲法は単に国の現状を反映するものであってはならない。またそれは現行の欽定憲法の単なる『改正』であってもならない。そうしたものはみな、反動勢力が世界民主主義の陣営にたいして若干の譲歩によって天皇制を維持しようとするものにほかならない。それはブルジョア民主主義革命の達成に結びつけられた新しい憲法の制定でなくてはならない。そういう意味で、新憲法は日本の人民大衆にとっての綱領的な目標を実現するもので、政治経済上の諸矛盾を排除した社会主義国では、憲法は、獲得した成果の要約であり総計であるが、いま半封建的諸体制を闘争によって掃蕩する任務を持っているわが国の場合では、あきらかに闘いとられなくてはならない目標である。それは日本民主化が徹底した時、民主議会によって制定されるべきものである」「天皇制の廃止、人民共和政府樹立は、当面するブルジョア民主主義的変革の最小限綱領である。……人民共和政府は資本主義の枠内で可能な綱領である」

 ここでも明らかなように、共産党の課題はブルジョア民主主義の徹底化であり、その現われとしての天皇制の廃止と人民共和政府を樹立することであり、憲法はその綱領的な目標、闘いとるべき目標とされた。

 すでに明治維新によって資本主義国家として登場し、成り上がりの帝国主義国家として既存の帝国主義国家に戦争を挑んだ日本において、しかもその戦争に敗れて、支配者階級が致命的な打撃を受けているときにおいて、共産党は、ブルジョアどもを打ち倒し、社会主義国家の樹立に向けて進むのではなく、「民主主義革命の徹底」といったピンボケの方針を掲げ、危機に瀕した資本を救うという許しがたい裏切りを行ったのである。
 2.「時期尚早」と政府案に反対 ポツダム宣言の完全実施が先決と

 日本共産党が他のどの党よりもいち早く『新憲法の骨子』を公表して、憲法問題に関する口火を切ったことは前回述べた。しかし、彼らは新憲法の制定を急いでいたわけではなかった。それは政府の憲法案が審議される国会における彼らの態度からも明らかである。

 一九四六年四月十日、戦後初の衆議院選挙で共産党は五議席を獲得した。その一週間後の四月十七日に政府の憲法案が公表され、国会へは六月二十日開会の第九〇帝国議会に提出された。

 二十五日の本会議では、開議直後、志賀義雄が審議延期の動議を提出し、冒頭から憲法案審議に“対決”する姿勢を示した。延期を求める理由は、①草案作成に際し、日本人民全体の意思を忠実に採り入れる配慮が政府に欠けていた②草案発表後、日本人民各層の間に、その内容を徹底させる手段方法が欠けていた③草案に対する日本人民の関心が充分ではなく、また政府は関心を持たせることを避ける嫌いがあった、といったものであった。

 また本会議では、徳田球一が「『憲法より食糧を』がわが党のスローガンである。この憲法は戦犯者として追放された松本国務大臣の起草にかかり、ここから発展してきたものである。全人民が具体的に広範な討議をしなければ、憲法として議会に提出することは罷りならぬ。全人民が長時間にわたり討論する機会を与えられるべしという要求に反して、このような形で議会に提出されるにいたったのは、正に民主主義を阻害し、特権階級の権力を固定化せんとする陰謀であると信じる」と発言し、時期尚早論という立場から反対という姿勢を示した。

 共産党が政府の憲法案に反対したのは、それが私的所有を謳ったブルジョア憲法であり、資本主義の体制を維持せんがためのものであるという立場からではなかった。それとは逆に、ブルジョア民主主義が不徹底であるという立場からのもので、天皇制の条項が残されているといったことなどに対する反発でしかなかった。

 新憲法をどうした形で提案するかについて大きく分けて二つの考えがあった。一つは明治憲法である日本帝国憲法の改正案としてやるという方法であり、もう一つはポツダム宣言の受諾によりすでに明治憲法はその効力を失っているから、まったく新しい憲法として提案すべきだというものである。

 枢密院の審査でも議論となったが、後者の立場に立ったのは美濃部達吉ひとりであり、他の全員は前者の立場であったため新憲法は明治憲法の改正案として議会の審議に付されることになった。

 共産党は後者の立場に立った。宮本顕治は一九四六年三月の『前衛』第三号で、「今次改正案のように天皇政府による上からの天下り的憲法案でなく、人民自身の手で新憲法案が提出されなくてはならぬ。それが制定されるまで、現行憲法は正式に廃棄を宣言され、人民の自由な判断を保障するため現行憲法に基づく天皇制もその存続を停止すべきである。天皇制について人民の自由な判断の助長のために、すくなくとも、日本に空位時代を設定すべきだという外国世論の観察は十分に根拠を持っている」と述べている。

 つまり、ポツダム宣言には、戦争犯罪人に対する厳重な処罰や「民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去し、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重を確立すること」が謳われているから、その完全実施がなされ、民主的な政権が誕生し、そのもとで新憲法が提案される必要があるというのが共産党の主張であった。

 この背景には連合軍に対する途方もない幻想があった。四六年二月二十四~二十六日に開かれた共産党第五回大会の一般報告において、徳田は「国内情勢でありますが、もっとも注意すべきことは四国(米・英・ソ・中――平岡)管理委員会が成立したことであります。従来から連合軍は我々にとりまして、日本人民大衆にとりまして、民主主義革命の解放軍としての役割をすすめてきたのでありますが、四国管理委員会の成立は、この役割を一層向上せしめるであらうと信じられるのであります」と述べている。

 「日本の現在の最も中心的な課題は、一切の分野での徹底的民主化である。ポツダム宣言は『日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に手をくださせるところまで道を誤らした権力と勢力は、永久に抹殺されなければならない』と宣言している。ところが現在日本では、大元帥である天皇やその他多数の戦争犯罪人が支配機構と天皇主義御用政党の中に根強く巣喰っている」(宮本、前掲書)として、ポツダム宣言の完全実施を求めることで天皇制の廃止を実現しようというのが共産党の立場であったのだ。
 3.「戦争放棄」条項に反対 資本の国家の防衛を求める

 今回は、政府案に対する共産党のもう一つの反対意見を紹介しよう。いま共産党がもっともやかましく論じている、戦争放棄の問題である。

 政府案は現行憲法と若干表現が異なるが、内容的には同様の次のようなものであった。「国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。/陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。

 これに対して共産党は異論を唱えた。

 国会の場で野坂参三は質問に立ち、「戦争には我々の考えでは、二つの性質の戦争がある。一つは正しくない不正の戦争である。これは日本の帝国主義者が満州事変以後起こしたあの戦争、侵略の戦争である。これは正しくない。しかし侵略された国が自国を守るための戦争は、我々は正しい戦争と言って差しつかえないと思う。この意味において過去の戦争において中国あるいは英米その他の連合国、これは防衛的な戦争である。これは正しい戦争と言って差しつかえないと思う。一体この憲法草案に戦争一般の放棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄、こうするのがもっと的確ではないか、この問題について我々共産党はこういうふうに主張している」と発言している。

 つまり、政府案は戦争一般を放棄しているが自衛のための戦争は必要だからその道を残せ、というわけである。

 この野坂の発言は二つの点で労働者階級を欺いている。

 一つは、十五年戦争における中国と英米の置かれている状況の違いを見ないで、ともに侵略された国として扱い、その闘いを防衛のための闘いとしている点である。

 中国は確かに日本によって侵略されていたが、英米がどうして侵略されていたといえるのか。どうしてその戦いが防衛の戦いとして正当化されうるのか。英米が日本やドイツ、イタリアと戦ったのは、帝国主義国家としての自分たちの権益を守らんがためであり、この戦争が帝国主義国家間の勢力争いの戦争であったことこそ歴史の真実ではないのか。

 共産党は中国と米英を一緒くたにすることで、この戦争が帝国主義戦争であったという歴史の真実を覆い隠し、それを侵略戦争に反対する防衛戦争の名で美化するのである。この誤った歴史観はいまもって共産党のものである。彼らにとっては、先の戦争は「ファッショ政治」対「民主政治」の戦い、「悪」は日独伊のファッショ政治であり、英米そしてソ連は「正義」の民主政治といった単純な対立の構図しか考えられないのである。

 戦争の本質を理解できない彼らに平和の本質を理解できるはずがなく、彼らは資本主義社会のもとでも平和があるかのような幻想を振りまいている。しかし真実は、資本主義社会であるが故に国家間の対立は必然であり、それはある場合には武力抗争となって現れざるを得ないということである。したがって真の平和をいうのなら、何よりもまず資本の体制を打破することこそ先決問題であり、根本問題であるのだが、共産党にとってはこのことは先の先の問題であり、実際上、どうでもよい問題に棚上げされてしまうのだ。

 しかもこれだけではない。もう一つの問題は共産党の反動性をもっと示している。それは、共産党は、新生日本は社会主義国家ではなく資本主義国家(いくらそれが民主主義的とはいえ)だとしながら、つまり資本家階級が支配する階級国家であるとしながら、その自衛の戦争を放棄してはならないとしていることである。つまり、政府の憲法案では戦争一般を放棄しているがそれは間違いだ、“資本の体制を防衛する戦争を放棄するな”と要求したのだ(この方針は、今も共産党は捨ててはいない)。

 野坂のこの質問に対し、当時の首相である吉田茂は「戦争放棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行なわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることがたまたま戦争を誘発する所以であると思うのであります。……御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」と答弁した。

 まさに野坂よりも吉田のほうが平和主義者ではないか。吉田は自衛権も含め一切の武力を持たないのが憲法案だとしたのに対し、それでは資本主義国家日本は守れないぞと反対した共産党が、後に自衛隊を容認することになったのは一つの必然である。彼らが自衛隊反対といったのは、対米従属により米軍の支配下にあるから本当の自衛軍ではないという理由からだけで、資本の体制を守ることには、一度も反対してこなかったのである
 4.共産党の憲法草案 私有財産容認で政府案と大差なし

 共産党は政府の憲法案に対して時期尚早であると反対し、連合軍の“圧力”による民主化の動きに期待したのであるが、同時に、自らの憲法草案をも発表した。それは、前回紹介した、野坂が国会で自衛権を求めたのと同じ一九四六年六月二十八日に決定されている。

 その前文では、「天皇制支配体制によってもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨に満ちた窮乏と飢餓とであった」として、「われらは苦難の現実を通じて、このような汚辱と苦痛にみちた専制政治を破棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。……ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて、人民のための政治が行われるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとろうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障と人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである」と述べている。

 共産党が言わんとすることは、天皇制、寄生地主制、財閥、これらを解体し、法の下における自由で平等な人民(つまり国民)によって選出された議会によって運営される民主主義社会が必要であり、そしてそれを保障する憲法がこの草案だということである。

 つまり、君主制(たとえそれが立憲君主制であろうとも)に対して共和制をとれということであって、それ以上ではない。確かに天皇制などの制度は廃絶されなければならない。しかしそれが共和制に変わったからといって労働者が搾取される資本の支配する社会であることには何の変化もないのである。ブルジョア国家を再建するという点では、政府も共産党も共通していたのだ。

 それに資本にとっても戦前の制度のままで再出発をはかるよりも、より新しい形で再出発をするほうが都合がよかったとさえいえるのではないのか。

 戦前の日本における、天皇制や寄生地主制、財閥といったものは、後発資本主義国家である日本にとっては必然的なものであった。つまり、自由競争で無駄なエネルギーをそぐよりも専制的な支配のもとで資本を集中させ、先進資本主義国家との格差を急速に縮める推進役、そうしたものとしてこれらの制度が役立ったともいえるのである。

 しかし、こうした専制的な体制は国際的な競争のもとでは自由主義陣営に敗れざるをえなかった。

 財閥資本は国内では寡占的であっても、世界的に見ればまだ弱小で、国際競争では太刀打ちできない。もっと大きな資本として成長しようと、世界中の植民地の再分割を求めたのだが、国家の武力をもってしてもその壁を破ることはできない。こうしたことを身をもって体験した日本の資本にとっては、かつての様な体制ではなく、自由主義体制のもとで再出発をはかろうとするのは至極当然なことではなかったのか。その意味で共産党の憲法草案は、資本の意向とそれほどかけ離れたものではなかったといえるであろう。

 もちろん政府案には、象徴としてではあれ天皇制の条項が残ったのであるが、これは日本の資本が(そして米国が)、急速に解体する国家への求心力を失いたくないために利用しようとしたためであって、直接、戦前の体制を復活しようとしたものではない。

 共産党の憲法草案が政府案と根本で変わらないのは私有財産制を擁護していることで明確である。

 草案、第二十四条では「勤労にもとづく財産および市民としての生活に必要な財産の使用・受益・処分は法律によって保障され、その財産は相続を認められる」と、私的所有及びその相続権も明確に容認されている。

 その後に「社会的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。財産権は公共の福祉のために必要な場合には法律によって制限される」という言葉がつけられてはいるが、生産手段が私的に所有されることを否定したものではない。だいたい私有権を認めたうえでわざわざ「公共の福祉」といったものをもちだして制限を加え、それでいかにも公平さが保たれるかのように装うこと自身、私的所有が不公平、不平等の源泉であることの証でなくてなんであろう。

 しかも、ブルジョア国家における「公共の福祉」とは資本の体制を維持するための隠れ蓑であって、ブルジョア国家を守るためには私的権利も制限をされるという類のものであることはみんな知っている。現行の日本国憲法でも「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」とされているのであり、共産党の草案と大差ないのだ。
 5.天皇制と皇室は別という詭弁 皇室廃止は将来の問題と棚上げ

 憲法制定をめぐって、共産党が最も強く、政府や他の政党との違いを強調したのは天皇制に反対することであったが、この日和見主義の党は、この問題でも中途半端であった。

 彼らが作った独自の憲法草案については前回取りあげたが、その草案の発表に際して中央委員会憲法委員会が声明(一九四六年六月二十九日)を出しており、その中の一項に、次のようなものがある。

 「わが党は行動綱領および本憲法草案の示すように、一切の封建的、特権的身分制度に反対し、この廃止を目標の一つとしている。従って特権的身分制度としての皇室は当然廃止さるべきであるが、人民共和政府が実現し人民大衆の民主的教育が徹底したのち、この問題を人民投票に問うて決定する方針であることはわが党がかねて声明したとおりである」

 つまり、天皇制はいかなるものでも憲法に入れることには反対するが、実際に皇室を廃止することについては、即時の廃止ではなく、まず人民共和政府を作り、さらにそこで大衆に民主的教育を徹底し、しかる後に人民投票にかけて、国民の多数が同意していることを確認してからのことだというのである。

 しかし、何のために、わざわざこうしたことをする必要があるのか。

 社会主義体制でなく、たとえ共産党の求める人民共和体制であったとしても、皇室といった特権的な存在は即時に廃止されるべきものであって当然ではないのか。しかも、戦後の荒廃した状況の中で、人民の大多数は食うや食わずの状態だというのに、なぜ、寄生的な存在を一日でも残そうとするのか。まったく我々の理解の及ばざるところである。

 “廃止するのは当然。だが、それは今すぐではなく、国民の意識が高揚したのちに投票によって決めることだ。”

 現在の共産党は、天皇制や自衛隊についてこのように述べ、実際の反対運動をボイコットしているのであるが、その原型がここにあるといえよう。この党は大衆の支持を失いたくないために、口先では天皇制反対や自衛隊反対を言うのだが、実際には、それは今の課題でないとして問題の先送りをし、闘いの芽を摘み、立ち上がろうとする労働者大衆に敵対するのである(こんな党であるから、社会主義の課題をいつとは知れない遠い遠い未来に追いやるなど、当然のことである)

 しかも、人民大衆に教育をしないと、彼らが皇室の廃止に賛成することはないと考えているところに、共産党が大衆を信頼していないことがはっきりと現れている。

 そもそも皇室が必要かどうかといったことは、共産党の言うような「教育」の問題、つまり知識の問題ではなく、労働者の階級意識の問題である。それは「教育」といったもので鍛えられるのではなく、闘いの中で、つまり階級闘争の中で鍛えられていくものである。革命政党なら、まず闘いの先頭に立ち、労働者階級をその闘いに組織していくことこそ必要であるのに、共産党はそうしたこととは無縁なのである。

 また、先に引用した声明の中で、こうした方針は「わが党がかねて声明したとおりである」と述べているように、天皇制と皇室の存在は別という珍奇な論理は、憲法草案発表以前からのものである。

 同じ年の一月十四日、野坂参三の帰国に際して発表された、共産党中央委員会と野坂との共同声明にも同様の内容が見られる。

 それは民主主義的統一戦線の結成を呼びかけるものであったが、当時、共産党内には天皇制打倒のスローガンを民主戦線の統一綱領とするかどうかで意見の対立があった。「一つは、戦争前の戦略コースをそのままもちこみ、天皇制打倒なしに民主主義運動はありえないという立場であり、一つは、党の独自の目標として天皇制打倒のスローガンを掲げることには賛成しつつも、民主戦線にはこれをおしつけることなく、もっとも広範な戦線を結成すべきだとする立場であった」(上田耕一郎『戦後革命論争史』)

 どちらも、すでにブルジョア国家として長い歴史を持つ国において民主主義革命を唱えるといった、誤った立場に立つのだが、前者を代表したのが徳田や志賀であり、後者は戸田慎太郎らである。後者は野坂の帰国により、党中央を握る徳田らへの説得を期待していた。しかし結果は、天皇制打倒のスローガンは残り、そして同時に、皇室の存在は別問題という次のような声明が出されたのである。

 「天皇制打倒といふ方針の正しさを認めることにわれわれの意見は完全に一致した。天皇制の廃止とは、これを国家の制度として排除することであり、その上で皇室の存続がいかになるかということは自ら別問題である。それは将来日本の民主主義化が達成されるとき日本国民の意志によつて決定されるべきものである」
 6.新憲法反対からその擁護へ 天皇制や私有財産護持を無視

 共産党は憲法制定時に、政府原案に反対した。

 「幣原官僚内閣の手で作成された『憲法改正案』を称して、主権在民の憲法と見なそうとする見解が方々に見られるが、明らかにそれは政府案の本質を見得ないものである。…/…日本民主化の最小限課題は、戦争犯罪人の徹底的な清掃、天皇制の廃止、人民共和政府の樹立、農村の寄生的土地所有制度の廃止、労働者農民勤労大衆の生活条件の根本的改善等であるが、これらはいずれも今日実現されていない。/憲法が民主的ということができるためには、すくなくともこの課題の実現が保障されるものでなければならないのである。政府憲法案はこれを実現していないのみか、むしろ阻止し、あるいは骨抜きにしている」(宮本顕治『前衛』三号・一九四六年三月十五日号)

 ところが数年後には、象徴天皇制など不徹底な部分はあるが民主主義的な憲法であると、憲法擁護の立場に移るのである。なぜ、いとも簡単に一八〇度の方向転換が図れるというのか。

 共産党は独自の憲法草案を発表しただけでなく、政府原案に対する修正案(前文に主権在民を明記することや、第一章の天皇に関する部分を全文削除すること、第二章の戦争放棄に他国征服の戦争に反対する、他国間の戦争に絶対に参加しない旨を明記することなどの内容)をも提出したが、この修正案は否決されている。したがって、共産党にとっては自分たちの主張が受け入れられたということにはならないのである。

 ただ「主権在民」の明記に関しては、政府原案の「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」という部分が、最終的に成立した憲法では「ここに主権が国民に存することを宣言し」という表現に変わってはいる。そのため、共産党の連中は、自分たちの闘いによって主権在民が明記されたとして、原案と大きく変わったかに言うのであるが、国会が国権の最高機関であって、国民を代表する選挙された議員によって構成されるという点は原案も成立憲法も同じである。国民の選んだ議員による国会が最高の機関であるのだから、原案も国民主権の立場にあることは明らかであろう。「国民の総意が至高なものである」が「主権が国民に存する」に変わったからといって憲法の性格が根本的に変化したというものではないのだ。

 むしろ、戦争放棄を謳った第九条の第二項では、「陸海空軍その他戦力は、これを保持してはならない」となっていた原案が、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と変更され、「前項の目的」以外、つまり自衛のための軍隊を持つことまでは否定していないといった解釈を許すもととなる改悪さえもなされている。こうした改悪があるにもかかわらず、原案には反対し、成立憲法は擁護するといった奇妙なことを、共産党は平気で主張しているのである。

 「わが党が現行憲法の制定においてこの憲法に反対したのは、日本人民の民主主義的変革を徹底させる立場からいって、この憲法が不徹底なものとなっており、天皇の地位その他の反動的条項をもっているからであって、それが将来の侵略と反動の方向を復活する要さいとなり、憲法改悪の拠点とされる危機をどう察し、予言的警告をおこなったものであった。/しかし現行憲法が成立すると同時に、この事情は根本的に変化した。それは、米日反動によるこの憲法の平和的民主的諸条項にたいする大規模な違反とじゅうりんがその後一貫しておこなわれ、当面憲法の平和的民主的条項の擁護とその完全実施のためのたたかいに最大の重点をおかざるをえなくなったからである」(「憲法問題にたいする日本共産党の態度」『前衛』一九六二年六月号)

 憲法成立前はその内容に問題があったから反対したが、“成立と同時に事情が根本的に変化した”から同じ憲法であっても守らねばならない。共産党の言わんとすることは、要はこういったことだ。

 実際、政府原案と成立した憲法の内容が根本的に異なるわけではない。にもかかわらず、共産党は「反対」から「擁護」へと大きく方向を変えていく。これは、もともと共産党が階級的な観点をなんら持ちえていないからであり、憲法に関する見解も場当たり的なものでしかないからである。

 彼らは、十五年戦争の本質が帝国主義戦争だったということすら確認できず、戦前の体制を倒した時には連合軍が解放軍に見え、そして今度はその連合軍が米ソの二陣営に分裂して争い始めると、米国が変質したと大騒ぎをするのである。つまり「事情は根本的に変化した」というわけである。

 共産党はこの後ずっと憲法擁護の立場に立っている。最初は反対していたが、次には不十分な点はあるが基本的に擁護できると徐々に道を開き、今では「憲法の全条項を守る」というところまで行き着いている。これは、最初の「反対」がいかにいい加減なものであるかを教えてくれるものでもある。
 7.成立時の天皇制反対を悔やむ 現在は“民主憲法”の一部と擁護

 共産党が、憲法原案には民主主義が不徹底だと反対しながら、数年後にはその同じ憲法を擁護するというように態度を変えたことは前回述べたが、この問題は、その後も常に引き合いに出され、共産党を悩ませる羽目となる。

 最近では、二〇〇〇(平成十二)年二月二十四日に開かれた衆議院憲法調査会の場で、参考人として出席した西修駒澤大学教授から、共産党は護憲政党だといわれているが憲法制定時には反対したじゃないか批判されている。西は成立当時の共産党幹部の憲法反対発言を具体的に紹介したあと、次のように言っている。

 「このように、当時の最高幹部、上から申し上げますと、宮本顕治さん、徳田球一さん、野坂参三さん、志賀義雄さん、いわば当時の最高幹部すべて、今の憲法はとても先駆性がない、とんでもないとおっしゃっていらっしゃるわけであります。/(ところが―平岡)共産党の方のあれを見ますと、今の憲法に先駆性があるとおっしゃっておりますけれども、当時の憲法の先駆性を完全に否定なさっていらっしゃったのが共産党でありました。そして天皇制について言うならば、今も綱領は変わっていないはずであります。けれども、二、三年前、象徴天皇制との妥協というようなことを発表なさったはずであります。この宮本顕治さんの天皇制との妥協は許さない、これはいったい今どうなっているんだろうか、我々とすれば、どうしてもその疑問を解けないわけであります」

 これに対し、この調査会に出席していた共産党の東中光雄は、「わざわざ共産党だけを、しかも、護憲政党といっているけれども前は違ったんだ、こういうことを言われたというのは、私は非常に遺憾の意を表明しておきたい」と憤慨し、次のように説明している。

 「第二次大戦というのは、日独伊侵略ブロックが敗北をした、反ファッショ連合国と世界民主勢力が勝利をして終わった。日本は、ポツダム宣言を受諾して、降伏文書に示された国際的義務を負うて、そして終結した……日本共産党は、ポツダム宣言の完全実施と民主主義的変革を徹底してなし遂げるという立場で、天皇制の廃止、軍国主義の一掃、国民の立場に立った国の復興のために、そういう立場であの人民共和国憲法草案を発表した……現在の日本国憲法の草案に対して、私たちは、民主主義をもっと徹底すべきだ、主権在民をちゃんと徹底すべきだ、不十分だということで追及した……しかし、主権在民と国家主権の大原則、あるいは恒久平和の大原則、あるいは基本的人権の尊重、こういった憲法の基本的な柱、そのほか議会制民主主義なり地方自治の原則がありますが、こういうものを今変えようという動きがあるから、そういう改悪は許されないということを我々は言っておるわけであります」

 先の戦争が帝国主義戦争であったということを理解できない共産党は、米英ソなどの連合国を賛美する。だから、敗戦による日本資本主義の危機を利用して社会主義革命を成し遂げようというのではなく、民主化こそが絶対で、ポツダム宣言を完全実施することを最も重要視した。だから、中国革命や朝鮮戦争を機に米国が日本民主化政策を転換させ、非民主化、再軍備化に動いたことが問題の根源だと捉え、その米国に追従する日本の支配層が問題だというのである。

 したがって、憲法についても、制定時にはその不十分さを追及したのであるが、その後、それを改悪しようという動きが出てきたので、改悪されるよりもマシだから守らねばならないというのが彼らの立場なのである。

 しかも共産党はそこに留まらない。彼らは、ただマシだというだけでなく、もっと積極的に“良い憲法だ。だから守らねばならない”といったところまで行くのである。

 東中は、この時はまだ、西が突いたもう一つの痛い点、つまり綱領では天皇制に反対といいながら実際には象徴天皇制と妥協を図ろうとしているではないかという意見に答えることができなかったのだが、その後、共産党は見事に綱領を変更して、天皇制を含む憲法の一字一句たりとも変えてはならないというところまで堕落していくのである。

 二〇〇〇年三月二十三日に開かれた衆議院憲法調査会では、佐々木陸海が、「今の憲法が定着しているという事実が非常に重いものがある」「振り返ってみれば、あの憲法は大変正常でない状況のもとで正常でない形で作られたことは事実ですけれども、それがそこまで妥当性を持ち、効力を持ってずっと維持されてくる背景には、やはりその内容の正当性、合理性というようなものもあったのではないかということを私自身は自分の確信として思う」と述べている。

 つまり、長年定着しているというのはその内容が正しいからだというのだが、こんな理屈では憲法の条文はすべて正しいということになってしまうのは当然の帰結である。これは現状追認以外のなにものでもない。だから憲法を変えずに綱領を変えて矛盾の解消に努めようとするのである。
 8.対米従属論のドグマ 現綱領における憲法の位置づけ(上)

 共産党は綱領で憲法をどのように位置づけているか。それを今回から数回に分けてみてみよう。

 一九六一年の第八回大会で現在の共産党の基礎となる綱領が採択された。そこでは次のように述べている。

 「世界の民主勢力と日本人民の圧力のもとに一連の『民主的』措置がとられたが、アメリカ帝国主義はこれをかれらの対日支配に必要な範囲にかぎり、民主主義革命を流産させようとした。/現行憲法は、このような状況のもとでつくられたものであり、一面では平和的民主的諸条項をもっているが、他面では天皇の地位についての条項などわが党が民主主義的変革を徹底する立場から提起した『人民共和国憲法草案』の方向に反する反動的なものをのこしている。アメリカ帝国主義は、世界支配の野望を実現するためにポツダム宣言をふみにじり、日本は事実上かれらの単独支配のもとにおかれ、日本人民は、アメリカ帝国主義への隷属状態におちいった。……戦前の絶対主義的天皇制は、侵略戦争に敗北した結果、大きな打撃を受けた。しかし、アメリカ帝国主義は、日本の支配体制を再編するなかで、天皇の地位を法制的にはブルジョア君主制の一種とした。天皇はアメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具となっている」

 これが長らく共産党の憲法に対する態度であった。

 ポツダム宣言はすべて正しく、その実施を求めた連合国は解放軍であったが、たまたま日本を占領した連合軍の主力が米国であったため、不幸が始まった。憲法は民主的な部分を持つ反面、米国の圧力によって、天皇に関する反動的な部分を残すことになり、さらに米国は、ソ連との対立が深まると、天皇を利用して日本の再軍備、反動化をはかろうとしている、というのが彼らの主張である。

 戦後も日本は一つの独立した国家(少なくとも終戦直後の占領期を除いては)であったが、共産党は、日本が米国に占領支配され続けているかのように捉え、すべては米国の対ソ連政策によって左右されるかのようなドグマをふりまいたのである。

 米国がソ連などと歩調を合わせているときは正しい立場に立っていた。それはポツダム宣言に現れている。あるいは日本の民主化といったものがそれだ。しかし、ソ連と対立するようになると、米国はポツダム宣言をふみにじり、日本に対しては民主化政策から再軍備政策に方向転換した。すべては米国の都合によるもので、その支配から逃れないかぎり問題は解決しない、対米従属こそすべての元凶だ、というわけである。

 しかし日本の反動化が進んできたのは、日本資本主義が戦後復興を成し遂げ、高度経済成長を経て、世界でも有数の独占資本主義国家として再登場してきたことの現われ以外のなにものでもないのだが、共産党にはこの真実が理解できないのである。

 つまり日本資本主義の帝国主義化こそが政治思想の反動化や軍備の増強をもたらしてきているのであり、憲法をそれにふさわしいものに改定したいという衝動を資本家やその代弁者である自民党などの議員に抱かせてきているのである。こうした策動を粉砕するためには、資本の支配を一掃する闘いを押し進めるしかないのだが、共産党は単に民主主義的であるかないかといったところに問題を立てるのである。

 当然こうした立場からは真の問題解決の道は生まれてこないし、むしろ逆に、反動化が進めば進むほど、その時点でより民主的な方を選択せよと、現状維持に懸命になるという醜態に陥るのである。

 共産党の六一年綱領は米国を「悪」として捉える一方、ソ連は「善」(平和勢力)であるといった単純な図式的な捉え方をしている。「悪」の米国に追従している対米従属状態が悪い、それに対しソ連は社会主義国であるから正しいというドグマである。

 つまり「対米従属論」と「ソ連=社会主義論」は対極にあったといえる。

 ソ連崩壊によって共産党は「ソ連=社会主義論」の見直しを迫られ、一九九四年の二十回大会で綱領の全面的な見直しをおこなっている。だが、憲法に関する先の内容は一部語句が入れ替えられた程度でほとんど内容的には変わっていない。民主的な条項の具体例として主権在民の立場にたつということが付け加えられたのと、反動化の道具とされるのが「天皇」から「天皇制」に変わったぐらいである。

 しかし、実際には共産党内部で腐敗はいっそう進行していた。この後しばらくすると、天皇制容認や自衛隊容認の声が聞こえ始めるのである。そして二〇〇四年の第二十三回大会でついに「現行憲法の全条項を守る」というところまで堕落していくのであるがその点は次回に論じることになる。
 9.天皇制を容認 現綱領における憲法の位置づけ(中)

 昨年一月に開かれた第二十三回大会において、共産党は綱領の全面的な改定を行なった。それはこの党のこれまでの誤れる歴史の集大成であり、日和見主義を完成させるものであった。

 ついに共産党は綱領において、「現行憲法の前文を含む全条項をまもり」、ということまで謳うようになったのである。

 もちろん、全条項であるから、私有財産制はもちろん、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という第一条や「皇位は、世襲制のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」といった第二条など、天皇制に関する条項も含め、すべてを守るということになるのは当然である。

 これまでから共産党は資本の支配の一掃に向けては闘ってこなかった。彼らは、社会主義は先の課題であり、まずは徹底した民主主義を勝ち取ることが自分たちの革命の課題なのだとしてきた。

 しかし今回の綱領改定においては、民主主義の徹底というその課題すら放棄し、自らがこれまで綱領の中で「反動的」としていた天皇制の条項を、これからは「まもる」んだとさえ言いきったのである。

 もっとも、この姑息な党は労働者からの批判をはぐらかそうと、「党は、一人の個人が世襲制で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義及び人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の創意によって解決されるべきものである」という一文を綱領に入れることを忘れてはいない。

 つまり、天皇の条項は民主主義とは矛盾すると思うが、憲法の規定である以上それが合法的に改定されて削除されるまでは守るという条件付のものであるから、天皇制を肯定したのとは違うといいたいのである。

 しかしこんな馬鹿な話があろうか。天皇制が、民主主義や人間の平等の原則と相容れないという立場に立つなら、天皇制の即時廃止を求めてしかるべきではないのか。民主主義とさえ矛盾するような憲法を守れと労働者に呼びかけるのではなく、憲法を直ちに改定して、天皇制といった不合理なものを一掃しようと呼びかけ、その運動を組織すべきではないのか。

 臆病で社会主義の闘いを組織することのできない共産党は、当面する革命は民主主義革命だといいながら、民主主義の闘いさえ放棄しているのだ。

 不破は今回の綱領改定にともなう天皇制の扱いについて次のように述べている。

 「第一は……私たちは、今回の綱領改定にあたって、日本は、政治体制として、国民主権の国であって君主制の国ではない、ということを明らかにしました。……第二に、これと密接に関係する問題ですが、戦前、わが党が、命がけで天皇制打倒を中心任務として掲げたのは、絶対権力をもった天皇制をなくさないかぎり、平和の問題も民主主義の問題も実現しない――天皇制が、そういう存在として国民の前に体制的に立ちふさがっていたからでした。現在の日本では、そこがまったく違っています。……天皇が『国政に関する権能を有しない』ということは、その存在によって民主主義も平和も左右されないという立場に、憲法上、天皇が置かれている、ということです。この位置づけを、明確に捉えることが大事です。第三に……私たちは、日本の将来の発展の方向としては、天皇の制度のない、民主共和制を目標とする立場に立っています。……しかし、これは、憲法で定められた制度ですから、天皇の制度をなくすためには、国民の圧倒的多数の合意にもとづく憲法の改定が必要になります。……そこにいたる過程は…相当長い時間のかかる過程(で)……この過程では……天皇の制度と共存してゆくことになります」(『新・日本共産党綱領を読む』)。

 何とたいしたお説ではないか。天皇制は残っているが、実質的にはなんら影響力は持たず、民主主義にも平和にも影響しないのだから、今すぐではなく、遠い将来に憲法を改定して無くしていけばよい、というのである。

 しかし、本当に天皇制が形式的なモノだと考えるなら、そんな不要なものをいつまでも残さず、直ちに廃止せよというべきではないのか。しかも、真実は、ブルジョア国家に国民を統合する手段として、天皇制は立派に活用されているのに、である。

資本家や政府・自民党の連中は、「君が代」を国歌として制定し、教育やその他あらゆる場で、その演奏や斉唱を強要し、国家意識、国家主義を高める策動を繰り広げている。

 天皇制が再び危険なものとして活用を強化されようとしているまさにその時に、共産党は天皇制と闘うのではなく、その容認を綱領で謳うまでに堕落したのである。

 彼らは女性天皇制の論議が出ると、男女平等の観点から良いことだとまで言い、天皇制の存続に手を貸すまでになっているのだ。
 10.自衛隊解散まで“活用” 現綱領における憲法の位置づけ(下)

 共産党はさかんに「憲法九条を守れ!」と叫んでいる。憲法制定時に、いかなる軍備も持たないのは自衛権の放棄ではないかとして憲法草案に反対した共産党が、今では逆に憲法を擁護する立場に立っている。

 「自衛の権利は、すべての国がもっている固有の権利であって、侵略されてもなぐられっぱなしという立場はありえない、と考えています。ですから、われわれは、自衛権は明確に認めます。しかし、いまの憲法のもとで、日本が常備軍を持つことは、憲法にかなっているとは、われわれは考えません」(不破、『世界の流れの中で憲法問題を考える』)というわけである。

 しかし、資本主義国家の自衛権、防衛権を容認するというのは労働者階級の立場を裏切るものである。なぜならそれは資本の支配する社会を守ることであり、それを打倒しようとする労働者階級の闘いを阻害するものだからである。もし他国からの侵略があるというなら、労働者階級は資本主義国家である自国を守れというのではなく、労働者階級の独自の階級的立場からそれと闘うであろう。具体的には他国の労働者階級との国際的な連帯を呼びかけたり、自国の資本家階級の危機を利用して、新しい社会を築くための闘いを押し進めるだろう。

 ところが共産党はまったく逆に、資本主義国家を守らねばならないと、愛国主義を振りまくのである。

 しかも彼らは、いまの憲法で常備軍を持つことは違憲であるといいながら、自衛隊の即時解散すら求めようとしないのである。

 共産党のこれまでの綱領における自衛隊に関する規定は、「党は、自衛隊の増強と核武装、海外派兵など軍国主義復活・強化に反対し、自衛隊の解散を要求する」となっていた。それが昨年の改定において、「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約破棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」と改められている。

 明らかに後退である。少なくとも改定前は自衛隊の解消を要求していたのだが、今や「それに向けての前進をはかる」といった役人言葉のようなあいまいな言い方にぼかされてしまっている。

 不破はこの綱領改定に関するインタビューで次のように答えている。

 「自衛隊は存在が違憲で、将来、解消を目指す立場は変わらない。ただ、綱領にも明記したが、そういう選択ができるまでは共存と平和的活用が基本。国内、海外の災害に自衛隊が出るのを容認するのもこの立場からだ」(〇五・二・三『朝日新聞』)

 違憲だが現実それが存在するかぎり自衛隊を認めるというのだが、これはかつての社会党の「違憲合法」論とどれだけ違うのか。共産党は、社会党が「自衛隊は違憲だが合法である」と言った時に、それを口先では非難したのだが、実際は彼ら自身も同じ立場に立っていたということではないのか。

 今回の綱領改定の自衛隊に関する内容は、その前の二十二回大会における決議「自衛隊解消の道筋」を受けてのものである。そこでは「この矛盾(憲法九条と自衛隊が現存するという矛盾―引用者)を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的に進めることが必要である」と、共産党お得意の段階論が展開されている。

 それによると、「第一段階は、日米安保条約破棄前の段階」で、ここでは「九条のこれ以上の蹂躙を許さないことが、熱い焦点である」とともに「軍縮に転じることも急務となっている」とされている。

 「第二段階は、日米安保条約が破棄され、日本が日米軍事同盟から抜け出した段階」で、ここでは、わざわざ、安保破棄の国民合意と自衛隊解消の国民合意は別個の問題だから自衛隊は残るとしたうえで、「この段階では、自衛隊の民主的改革―米軍との従属的な関係の解消、公務員としての政治的中立性の徹底、大幅軍縮などが課題となる」とされている。

 そして最後の「第三段階は、国民の合意で、憲法九条の完全実施―自衛隊の解消に取り組む段階」がやっと来るというわけである。しかもここでもすぐに解消ということではなく、独立・中立の日本が世界とアジアの平和のために貢献し、「この努力ともあいまって、アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟することを見定めながら、自衛隊解消に向かっての本格的な措置に取り組む」というのである。

 なんと、自衛隊の解消一つに長い道のりであることか。しかもこの決議によれば、アジアの平和的安定が成熟していなければ、自衛隊は解消できないというわけである。

 自衛隊が憲法違反であると確信するなら、護憲政党の共産党は自衛隊の即時解散を求めてしかるべきではないのか。それもせずに、いっぱい段階を設け、しかも平和的安定が成熟していなければ、つまり他国の脅威が存在するなら自衛隊は必要というのなら自民党などと同じではないのか。もはやこの党は平和の党ですらなくなっているのである。(終り)

(私論.私見)


【日本共産党の「憲法草案」】
 「古本屋通信 No 107  1月9日/日本共産党の「憲法草案」」を転載する。(「日本共産党の日本人民共和国憲法(草案)」)

  古本屋通信 No 107  1月9日 日本共産党の「憲法草案」
 No 106 を書いたあと、キンピーサイトを潜ったら案の定、筆坂を枕に「討論」が延々と継続中だ。このサイトの一番悪い面が露出している。放言としても低レベルで、傾聴すべきはない。ただ、筆坂も野坂の名を出しているし、自衛権にからんで党の 「憲法草案 」 問題は歴史上の問題として、それなりにはっきりさせた方がよいと思う。それは私が No92 で書いたような誤まった認識を克服する上でも必要だろう。私はここでは資料を貼るにとどめるが、当時としては歴史的にも論理的にも完全に正しかったと思う。これを補足する文献として 『 日本共産党の80年 』 の一部分を末尾に貼った。
 私の基本的立場を明記しておく。日本国憲法の改悪に断固反対する。私は 「 護憲 」 の言葉は使わない。「 護 ( 守 ) る 」という表現に違和感があるが、敢えて使えば 「憲法の民主的条項を守れ」 だろう。現在の情勢は日本革命の遠望はるかで、安保破棄さえ日程に上っていない。そういう段階で将来の 「独立日本」 の自衛を問題にすること自体、改悪派の土俵に引き込まれる恐れなしとしない。それを承知で書く。独立日本 = 民主主義革命後の日本は、世界に帝国主義が残存しているかぎり、自衛のための軍隊を持たねばならない。ただし徴兵制度は採用せず個人志願の軍である。遠い先の未来を想定することは困難だが、過去を例に採れば20世紀のアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国は、列強帝国主義と血をもって闘うことで独立をかちとってきた。残念ながら流さなくてもよかった血だとはいえなかった。絶対平和主義が帝国主義に屈服する道だった例ほ腐るほどある。平和は守るものだが、同時に勝ちとるものだ。前置きが長くなった。あくまで歴史的な資料だ。しかし、多くの点で先進的な内容を含んでいる。私もこの機会に45年ぶりに読むことができた。尚、この草案の呼称等、問題にされることもあろうから、最後にウィキペの記事の冒頭部分を附した。( 古本屋通信 )

 日本共産党の日本人民共和国憲法(草案) 1946・6・29日発表

前文
第一章 日本人民共和国
第二章 人民の基本的権利と義務
第三章 国会
第四章 政府
第五章 国家財政
第六章 地方制度
第七章 司法
第八章 公務員
第九章 憲法改正

前文
天皇制支配体制によつてもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨にみちた窮乏と飢餓とであつた。この天皇制は欽定憲法によつて法制化されてゐた様に、天皇が絶対権力を握り人民の権利を徹底的に剥奪した。それは特権身分である天皇を頂点として、軍閥と官僚によつて武装され、資本家地主のための搾取と抑圧の体制として、勤労人民に君臨し、政治的には奴隷的無権利状態を、経済的には植民地的に低い生活水準を、文化的には蒙昧と偏見と迷信と盲従とを強制し、無限の苦痛をあたへてきた。これに反対する人民の声は、死と牢獄とをもつて威嚇され弾圧された。この専制的政治制度は日本民族の自由と福祉とに決定的に相反する。同時にそれは近隣植民地・半植民地諸国の解放にたいする最大の障害であつた。
われらは苦難の現実を通じて、このやうな汚辱と苦痛にみちた専制政治を廃棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。この方向こそかつて天皇制のもとにひとしく呻吟してきた日本の人民と近隣諸国人民との相互の自由と繁栄にもとづく友愛を決定的に強めるものである。
ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて人民のための政治が行はれるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとらうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障、人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである。日本人民の圧倒的多数を占める勤労人民大衆を基盤とするこの人民的民主主義体制だけが帝国主義者のくはだてる専制抑圧政治の復活と侵略戦争への野望とを防止し、人民の窮極的解放への道を確実にする。それは人民の民主的祖国としての日本の独立を完成させ、われらの国は国際社会に名誉ある当然の位置を占めるだらう。日本人民はこの憲法に導かれつつ、政治的恐怖と経済的窮乏と文化的貧困からの完全な解放をめざし、全世界の民主主義的な平和愛好国家との恒久の親睦をかため、世界の平和、人類の無限の向上のために、高邁な正義と人道を守りぬくことを誓ふものである。

第一章 日本人民共和国
第一条 日本国は人民共和制国家である。
第二条 日本人民共和国の主権は人民にある。主権は憲法に則つて行使される。
第三条 日本人民共和国の政治は人民の自由な意志にもとづいて選出される議会を基礎として運営される。
第四条 日本人民共和国の経済は封建的寄生的土地所有制の廃止、財閥的独占資本の解体、重要企業ならびに金融機関の人民共和政府による民主主義的規制にもとづき、人民生活の安定と向上とを目的として運営される。
第五条 日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない。

第二章 人民の基本的権利と義務
第六条 日本人民共和国のすべての人民は法律の前に平等であり、すべての基本的権利を享有する。
第七条 この憲法の保障する基本的人権は不可侵の権利であつて、これを犯す法律を制定し、命令を発することはできない。
政府が憲法によつて保障された基本的人権を侵害する行為をなし、またかやうな命令を発した場合は人民はこれに服従する義務を負はない。
第八条 人民は日本人民共和国の法律と自己の良心以外にはどんな権威またはどんな特定の個人にたいしても服従または尊敬を強要されることはない。人種、民族、性別、信教、身分または門地による政治的経済的または社会的特権はすべて廃止され今後設置されえない。皇族、華族の制度はこれを廃止する。称号、勲章その他の栄典はどんな特権をも伴はない。かやうな栄典の授与はあたへられた者にたいしてのみ効力をもつ。
第九条 人民は民主主義的な一切の言論、出版、集合、結社の自由をもち、労働争議および示威行進の完全な自由を認められる。
この権利を保障するために民主主義的政党ならびに大衆団体にたいし印刷所、用紙、公共建築物、通信手段その他この権利を行使するために必要な物質的条件を提供する。
民主主義的大衆団体の国際的聯繋の自由は保障され助成される。
第十条 人民に信仰と良心の自由を保障するため宗教と国家、宗教と学校は分離され、宗教的礼拝、布教の自由とともに反宗教的宣伝の自由もまた保障される。
第十一条 人民は居住、移転、国外への移住、国籍の離脱ならびに職業選択の自由をもつ。
第十二条 人民の住宅の不可侵と通信の秘密は法律によつて保護される。
第十三条 人民は身体の不可侵を保障され、何人も裁判所の決定または検事の同意なしには逮捕拘禁されることはない。
公務員による拷問および残虐な行為は絶対に禁止される。
第十四条 何人も裁判所で裁判を受ける権利を奪はれず、裁判は迅速公平でなければならない。
第十五条 人民を抑留、拘禁した場合、当該機関は例外なく即時家族もしくは本人の指名する個人に通知しなければならない。また本人の要求があれば拘束の理由は直ちに本人および弁護人の出席する公開の法廷で明示されなくてはならない。
第十六条 何人も自己に不利益な供述をすることを強要されない。強制、拷問または脅迫のもとでの自白もしくは不当に長期にわたる抑留または拘禁の後の自白は、これを証拠とすることはできない。何人も自己に不利益な自白だけによつては有罪とされず、または刑罰を科せられない。
第十七条 被告人はどんな場合にも弁護の権利を保障され、事件の資料について精通する権利と法廷において自国語で陳述する権利とを保障される。
第十八条 どんな行為もあらかじめ法律によつてこれにたいする罰則を定めたものでなければ刑罰を科せられない。刑罰は犯罪の重要さに応じて科せられる。何人も同一の行為のために二度処罰されることはない。
第十九条 死刑はこれを廃止する。
第二十条 国家は裁判の結果無罪の宣告をうけた被告人にたいしては精神上、物質上の損害を賠償しなければならない。
第二十一条 受刑者の取扱ひは人道的でなければならない。受刑者の労賃と労働時間は一般企業の労働条件を基準として決定される。
女子の被拘禁者にたいしては特にその生理的特性にもとづく給養を保障し、妊娠、分娩の際には衛生的処置を保障しなければならない。
第二十二条 刑罰は受刑者の共和国市民としての社会的再教育を目的とする。受刑者にたいして合法的に科された刑罰を更に加重するやうな取扱を行つた公務員はその責任を問はれる。
第二十三条 受刑者を含む被拘禁者にたいして進歩的民主主義的出版物の看読を禁止することはできない。
第二十四条 勤労にもとづく財産および市民としての生活に必要な財産の使用・受益・処分は法律によつて保障され、その財産は相続を認められる。社会的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。財産権は公共の福祉のために必要な場合には法律によつて制限される。
第二十五条 人民は性別を問はずすべての国家機関の公務員に選任される権利をもつ。
第二十六条 人民は個人または団体の利害に関しすべての公共機関に口頭または文書で請願または要求を提出する権利をもつ。何人もこの請願または要求をしたためにどんな差別待遇もうけることはない。
第二十七条 女子は法律的・経済的・社会的および文化的諸分野で男子と完全に平等の権利をもつ。
第二十八条 婚姻は両性の合意によつてのみ成立しかつ男女が平等の権利をもつ完全な一夫一婦を基本とし純潔な家族生活の建設を目的とする。社会生活において家長および男子の専横を可能とする非民主的な戸主制ならびに家督相続制はこれを廃止する。夫婦ならびに親族生活において女子にたいする圧迫と無権利とをもたらす法律はすべて廃止される。
第二十九条 寡婦およびすべての生児の生活と権利は国家および公共団体によつて十分に保護される。
第三十条 人民は労働の権利をもつ。すなはち労働の質と量にふさはしい支払をうける仕事につく権利をもつ。この権利は民主主義的経済政策にもとづく失業の防止、奴隷的雇傭関係および労働条件の排除、同一労働に対する同一賃銀の原則、生活費を基準とする最低賃銀制の設定によつて現実に確保され、労働法規によつて保障される。
第三十一条 勤労者の団結権、団体交渉・団体協約その他団体行動をする権利は保障される。被傭者は企業の経営に参加する権利をもつ。
第三十二条 労働の期間および条件は労働者の健康、人格的威厳または家庭生活を破壊するものであつてはならない。十八歳以下の未成年者はその身心の発達を阻害する労働にたいして保護され、十六歳以下の幼少年労働は禁止される。
第三十三条 人民は休息の権利をもつ。この権利は一週四十時間労働制、一週一日・一年二週間以上の有給休暇制、休養のための諸施設ならびに労働諸法規によつて保障される。
第三十四条 勤労婦人は国家および雇主からその生理的特性にたいする配慮をうけ、産前産後の有給休暇、母子健康相談所、産院、保育所等の設備によつてその労働と休息の権利を保障される。
第三十五条 人民は老年、疾病、労働災害その他労働能力の喪失および失業の場合に物質的保障をうける権利をもつ。この権利は国家または雇主の負担による労働災害予防設備、社会保険制度の発展、無料施療をはじめとする広汎な療養施設によつて保障される。
第三十六条 家のない人民は国家から住宅を保障される権利をもつ。この権利は国家による新住宅の大量建設、遊休大建築物、大邸宅の開放、借家人の保護によつて保障される。
第三十七条 すべての人民は教育をうけ技能を獲得する機会を保障される。初等および中等学校の教育は義務制とし、費用は全額国庫負担とする。上級学校での就学には一定条件の国庫負担制を実施する。
企業家はその経営の便宜のために被傭者の就学を妨げることはできない。
第三十八条 日本人民共和国は人民の科学的研究、芸術的創造の自由を保障し、人民のあらゆる才能と創意の発展を期し、研究所、実験所、専門的教育機関、文化芸術諸施設を広汎に設置する。
第三十九条 日本人民共和国は民主主義的活動、民族解放運動、学術的活動のゆゑに追究される外国人にたいして国内避難権を与へる。
第四十条 日本人民共和国に居住する外国人の必要な権利は法律によつて保障される。
第四十一条 人民は日本人民共和国の憲法を遵守し、法律を履行し、社会的義務を励行し、共同生活の諸規則に準拠する義務をもつ。
第三章 国会
第四十二条 日本人民共和国の最高の国家機関は国会である。
第四十三条 国会は主権を管理し人民にたいして責任を負ふ。
第四十四条 国会はつぎの事項を管掌する。
一 内外国政に関する基本方策の決定
二 憲法の実行の監視
三 憲法の変更または修正
四 法律の制定
五 予算案の審議と確認
六 政府首席の任免と首席による政府員の任免の確認
七 国会常任幹事会の選挙、国会休会中において常任幹事会の発布した諸法規の確認
八 人民から提出された請願書の裁決
九 日本人民共和国最高検事局検事の任命
十 会計検査院長の任命
十一 各種専門委員会の設置
第四十五条 国会は法律の定める定員数からなる代議員によつて構成される一院制議会である。
第四十六条 日本人民共和国の立法権は国会だけがこれを行使する。
第四十七条 代議員として選挙され、かつ代議員を選挙する資格は、政治上の権利を有する十八歳以上のすべての男女に与へられる。選挙権、被選挙権は定住、資産、信教、性別、民族、教育その他の社会的条件によるどんな差別、制限をも加へられない。
第四十八条 代議員の選挙は比例代表制にもとづき平等、直接、秘密、普通選挙によつて行はれる。
第四十九条 代議員はその選挙区の選挙民にたいして報告の義務を負ふ。選挙民は法律の規定に従つて代議員を召還することができる。
第五十条 国会は四年の任期をもつて選挙される。
第五十一条 国会は代議員の資格を審議する資格審査委員会を選挙する。国会は資格審査委員会の提議により個々の代議員の資格の承認または選挙の無効を決定する。
第五十二条 国会は必要と認めた場合にはすべての問題に関して査問委員会および検査委員会を任命する。すべての機関および公務員はこれらの委員会の要求に応じて必要な資料と書類を提供する義務を持つ。
第五十三条 国会の会期は年二回を原則とする。臨時国会は国会常任幹事会の決定および代議員三分の二以上の要求によつて召集される。
第五十四条 国会は代議員数の三分の二以上の出席によつて成立する。
第五十五条 法律は国会において代議員の単純多数決によつて成立し、国会常任幹事会議長および書記の署名をもつて公布される。
第五十六条 国会における議事はすべて公開とする。
第五十七条 国会は議長一名、副議長二名を選挙し、議事の進行、国会内の秩序の維持にあたらせる。
第五十八条 代議員は国会の同意がなくては逮捕されない。国会の休会中は国会常任幹事会の承認を必要とし次期国会の同意を要する。
第五十九条 国会には代議員の三分の二以上の決議にもとづき解散を告示する権限がある。
第六十条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、四十日以内に総選挙が施行される。
第六十一条 総選挙施行後三十日以内に前国会常任幹事会は新国会を召集する。
第六十二条 国会は二十五名の国会常任幹事会を選挙する。
第六十三条 国会常任幹事会は議長および副議長各一名を選挙し、議長は日本人民共和国を代表する。
第六十四条 国会常任幹事会はつぎの事項を管掌する。
一 国会の召集および解散、総選挙施行の公告
二 国会休会中政府首席による政府員の任免の確認 ただしこれについては国会の事後確認を必要とする
三 国会の決定による人民投票の施行の公告
四 政府の決定および命令のうち法律に合致しないものの廃止
五 赦免権の行使
六 国際条約の批准
七 外国における日本人民共和国全権代表の任命および召還
八 日本駐剳外国代表者の信任状および解任状の受理
九 民主的栄典の授与
第六十五条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、国会常任幹事会は新たに選挙された国会によつて、新国会常任幹事会が選出されるまでこの権限を保持する。
第四章 政府
第六十六条 政府は日本人民共和国の最高の行政機関である。政府首席は国会によつて任命され、首席の指名にもとづき国会の承認をえた政府員とともに政府を構成する。
第六十七条 政府は国会にたいして責任を負ひ、国会の休会中は国会常任幹事会にたいして責任を負ふ。各政府員は政府の一般政策について全体的に、個人的行動については個人的に責任を問はれる。
第六十八条 国会が政府にたいする不信任案を採択した場合には政府は総辞職する。
第六十九条 政府は次の事項を管掌する。
一 一般的中央行政事務の遂行のために現行諸法規にもとづいて決定又は命令を発布し、かつその執行を検査すること
二 各省およびその管轄下にある国家の諸機関を統一的に指導すること
三 日本人民共和国の発展、公共の秩序の維持および基本的人権の保障のために必要な諸措置の施行
四 各省に附属する特別委員会または事務局の組織
五 対外関係の一般的指導
六 政府の権限に関する問題につき各省の訓令または指令もしくは地方議会の決定または命令で国法に合致しないものの取消
第七十条 政府の命令は日本人民共和国の全領域にわたつて施行される。
政府の命令の公布には当該政府員の署名と首席の副署とを必要とする。
第五章 国会財政
第七十一条 国家財政の処理には国会の議決を必要とする。
第七十二条 租税の賦課および徴収は変更されない限り一年を限つて効力をもつ。消費税はこれを廃止する。
第七十三条 国費の支出または国家債務の負担は国会の議決を経るを必要とする。
第七十四条 政府は毎会計年度の予算を作成し、国会の審議をうけ承認をえなければならない。事業計画については政府は毎年事業計画書を作成し、国会に提出しなければならない。
第七十五条 国家財政の決算はすべて毎年会計検査院の検査をうけ、政府は次年度にその検査報告とともにこれを国会に提出しなければならない。
会計検査院長は国会によつて任命され、職務の遂行につき国会に責任を負ふ。
会計検査院の組織と権限は法律によつて定められる。

第六章 地方制度
第七十六条 日本人民共和国はその領土内に、地方制度(村、町、市、県等)を認める。地方制度は法律にもとづいて運営される。
第七十七条 地方制度は第四十七条、第四十八条を基準とする選挙法によつて選挙される地方議会(村会、町会、市会、県会等)を基礎として運営される。
第七十八条 各級の地方議会はそれぞれの行政機関を選任する。行政機関はそれぞれの地方議会ならびに上級機関に責任を負ふ。
第七十九条 各級の地方議会はそれぞれの行政機関の活動を統轄し地方予算を審議、確認し、法律の範囲内において地方的問題を議決しまたは命令を発布する。
第八十条 政府機関の地方支部の活動は地方の権力機関の行政と合致するやう法律によつて調整される。
第七章 司法
第八十一条 日本人民共和国における裁判は人民の基本的権利の尊重を根本精神とし、人民の名により最高裁判所、地方裁判所、地区裁判所によつて行はれる。
第八十二条 裁判はこれを公開しその審理には陪審員の参加が必要である。
第八十三条 日本人民共和国の最高裁判機関は最高裁判所である。
第八十四条 最高裁判所の裁判官は国会の推薦にもとづき人民の信任投票によつて五年の任期をもつて選任される。
第八十五条 各下級裁判所の裁判官はそれぞれ地方の議会の推薦にもとづきそれぞれの地域の人民の信任投票によつて四年の任期をもつて選任される。
第八十六条 裁判官は独立的であり法律にのみ服従する。
第八十七条 検事の任務は人民が法律を正確に遵守するのを監督するにある。
第八十八条 最高検事局の検事は五年の任期をもつて国会により任命される。
第八十九条 下級検事局の検事は最高検事局の検事の確認を経て上級検事局がこれを任命する。
第九十条 検事局機関は、最高検事局の検事にだけ服従し、一切の地方機関から独立してその職務を行ふ。
第八章 公務員
第九十一条 公務員は民主主義と全人民の利益に奉仕し官僚主義に陥つてはならない。
第九十二条 公務員は廉潔を旨とし、一切の汚辱行為、職権濫用行為をすることを厳禁される。
国家は公務員およびその家族に必要な生活手段を保障する。
第九十三条 行政機関の公務員のうち議会によつて任免されるもの以外はその行政機関の長が任免する。
第九十四条 人民は公務員の罷免を議会その他の公共機関に要求する権利をもつ。
第九十五条 議会は公務員の活動を監視し、議会の確認によつて執行機関の長が任免する公務員にたいしても罷免を要求する権利をもつ。
第九十六条 警察署の責任者はその署の管轄区域内の人民によつて選出され、警察制度が官僚的支配機構として固着することを阻止する。

第九章 憲法改正
第九十七条 日本人民共和国憲法の改正発案権は国会に属する。
第九十八条 日本人民共和国の地方上級議会は、代議員の三分の二以上の同意をもつて憲法改正の提案権をもつ。
第九十九条 日本人民共和国の憲法の改正は、国会代議員の三分の二以上の出席によつて開会される国会において、三分の二以上の多数をもつて採択されねばならない。
第百条 日本人民共和国の共和政体の破棄および特権的身分制度の復活は憲法改正の対象となりえない。


 日本人民共和国憲法草案 - Wikipedia

 日本人民共和国憲法草案(にっぽんじんみんきょうわこくけんぽうそうあん)は、1946年(昭和21年)6月28日に日本共産党が決定し、翌、6月29日に発表した大日本帝国憲法の改正草案で、その内容は、日本共産党機関誌『前衛』1946年7月21日号に掲載された。太平洋戦争敗戦後、新憲法制定に関する議論がなされているときの日本共産党の意見である。

 なお、1993年に発行された『憲法の原点―論評と資料』(日本共産党中央委員会付属社会科学研究所編、新日本出版社発行)では、歴史的文献として、「日本共産党憲法草案」という題名で収録している。2000年におこなわれた第42回衆議院議員総選挙で、日本共産党を攻撃する発行人不明のビラが大規模にまかれ、そのビラに、「あなたは『日本人民共和国』に賛成ですか?」とあったことにたいして、日本共産党は、「日本国」という国名を変更する意思がないことを発表した。

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 1945年(昭和20年)9月2日に日本政府が正式に降伏文書に調印し、連合国との停戦協定が成立してから2か月後の1945年(昭和20年)11月8日に日本共産党の全国協議会において決議され、1945年(昭和20年)11月11日に日本共産党が発表した
1.主権は人民に在り。 2.民主議会は主権を管理する民主議会は18歳以上の選挙権被選挙権の基礎に立つ,民主議会は政府を構成する人人を選挙する。 3.政府は民主議会に責任を負う議会の決定を遂行しないか又はその遂行が不十分であるか或は曲げた場合その他不正の行為あるものに対しては即時止めさせる。 4.人民は政治的,経済的,社会的に自由であり、且つ議会及び政府を監視し批判する自由を確保する。 5.人民の生活権,労働権,教育される一権利を、具体的設備を以て保証する。 6.階級的並びに民族的差別の根本的廃止。
から成る「新憲法の骨子」(1945年11月8日に日本共産党の全国協議会において決議されたものは、1945年11月11日に日本共産党が発表したものより1項目多く全7項目となっていた)基軸に、1946年(昭和21年)6月28日に日本共産党が決定し、翌、6月29日に日本共産党が発表した大日本帝国憲法の改正草案の特徴は、天皇制を廃止して共和制・民主集中制を採用している事と自由権・生活権等が社会主義の原則に基づいて保障されている事であり、スターリン憲法などに代表される典型的な社会主義憲法の構成を採る。ただし、党の指導性は明示されておらず、土地を始めとする生産手段の国有化は明文では規定されていなかった。
社会主義的な側面を挙げると、人民の権利に関しては、権利行使が物質的にも施設提供などによって保証されていたり、被用者へ経営に参加する権利が与えられていたりする。憲法改正によっても、共和制を破棄することはできないという条項もある。その他には、「公務員」の章を設け、警察署責任者の住民による選出や公務員の廉潔を義務付けていること、戸主制・家督相続制や拷問及び死刑を廃止することなどが特徴である。
なお、この憲法草案には日本国憲法第9条のような軍隊の不保持などの規定はないが、侵略戦争への不支持と不参加の規定がある。また、憲法改正が国会の3分の2以上の賛成で可能であるため日本国憲法に比して軟性である。一方で、「共和政体の破棄と君主制の復活は憲法改正の対象とならない」と規定し、条件を設けている。
日本人民共和国 「日本国は、人民共和制国家である。」との規定から始まる。
主権在民、議会を通じた代表民主制を規定する。
「封建的寄生的土地所有制」「財閥的独占資本」の廃止と解体、「重要企業」と金融機関に対する政府による規制を謳っている。
侵略戦争の不支持と不参加を義務付けている。
人民の基本的権利と義務 基本的人権、特権の廃止、皇族・華族の廃止を規定。
言論と結社の自由、労働争議とデモの自由とこれに対する保障として、「民主主義的政党ならびに大衆団体にたいし、印刷所、用紙、公共建築物、通信手段その他この権利を行使するために必要な物質的条件を提供」するとしている。
政教分離と信仰・無信仰の自由。
移動・移住の自由、国籍離脱の自由。
住居の不可侵、通信の秘密。
拷問・死刑の廃止
冤罪確定者に対する「精神上、物質上の損害を賠償」
生活に必要な財産の私有制の保障と、「社会的生産手段の所有は、公共の福祉に従属する。財産権は、公共の福祉のために必要な場合には、法律によって制限」
男女同権、一夫一婦制、戸主制・家督相続制の廃止。
団結権などのいわゆる労働三権と経営に参加する権利
16歳以下の労働の禁止
週40時間労働制の権利
「家のない人民は、国家から住宅を保障される権利をもつ。この権利は、国家による新住宅の大量建設、遊休大建築物・大邸宅の開放、借家人の保護によって保障される。」

 義務教育の無償
 外国人の権利は法律によって保障すると規定。
 国会、政府、国家財政、司法 三権のうち、立法府が日本人民共和国の最高国家機関として位置づけられている(第42条、第66条、第84条)。
 「国会」は、全人民により選挙せられた代議士により運営される一院制議会である。主権を管理するとしている。 国会の所掌事項は「内外国政に関する基本方策の決定」・「憲法の実行の監視」・「憲法の変更または修正」・「法律の制定」(立法権)・「予算案の審議と確認」・「政府首席の任免と首席による政府員の任免の確認」・「国会常任幹事会の選挙、国会休会中において常任幹事会の発布した諸法規の確認」・「人民から提出された請願書の裁決」・「日本人民共和国最高検事局検事の任命」・「会計検査院長の任命」・「各種専門委員会の設置」の11事項。
 「国会常任幹事会」は、「国会代議士」による選挙せられた25名からなる(第62条)。その国会常任幹事会議長が日本人民共和国を代表する(国家元首、第63条)。

 「国会常任幹事会」の職務は、「国会」の召集、解散、総選挙の施行公告など日本国憲法における天皇の国事行為とほぼ同じである。
 「政府」は、「国会」により任命される「政府首席」と「政府員」によって構成され、行政を掌理する。「国会」と「政府」との関係は、いわゆる議院内閣制と同じである。
 地方制度 日本人民共和国の地方は、日本国憲法における地方自治・住民自治ではなく、「政府機関と地方支部の活動は、地方の権力機関の行政と合致するよう、法律によって調整される。(第80条)」とあるように、国の権力の一部であり、中央集権国家である。
 公務員 第91条に、「公務員は、民主主義と全人民の利益に奉仕し、官僚主義に陥ってはならない」と記載されてある。 憲法改正 改正要件は、代議士の三分の二以上の賛成で成立する。国民投票はその要件となっていない。
 共和政体の破棄と君主制の復活は憲法改正の対象とならない。





(私論.私見)