補足4・五日市憲法草案考

 (最新見直し2015.06.16日)

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 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、五日市憲法草案を確認しておく。

 2015.06.16日 れんだいこ拝


【「五日市憲法」(いつかいちけんぽう)】
 「★阿修羅♪ > 憲法3 」のgataro 氏の2014 年 5 月 05日付投稿「いま日本の大問題 憲法を考える 五日市憲法ほか(BS朝日)」、「ウィキペディア五日市憲法」、「私擬五日市憲法草案について」、「五日市憲法草案』とその評価」。 その他を参照する。

 2014(平成26)年10月20日、皇后が、79歳の誕生日を迎えられた際、宮内記者会の質問に寄せた回答文で「五日市憲法」(いつかいちけんぽう)に言及し、「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と強い感銘を受けたことを明らかにし一躍脚光を浴びることになった。「五日市憲法」とは、明治初期、大日本帝国憲法制定に先立ち市民の手で作られた私擬憲法の一つである。1968(昭和43)年、明治100年にあたるこの年、東京経済大学教授・色川大吉のグループによって東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)の旧豪族・深沢家旧宅の朽ちかけた土蔵から発見された。草案は、風呂敷に包まれた毛筆書きの和紙24枚。この為、「五日市憲法草案」と名付けられた。別名を日本帝国憲法という。

 国会開設と憲法制定を求めた自由民権運動が全国に広まるうねりの中の1881(明治14)年4月から5月頃、当時の20代から40代までの多摩地方の平民(農民)たちの学習結社「五日市学芸講談会」で討論を重ね、公立小学校教員だった千葉卓三郎(1852~1883年)が1881年に起草したものであると推定されている。

 条文は、第1篇国帝(41カ条)、第2篇公法(36カ条)、第3篇立法権(79カ条)、第4篇行政権(13カ条)、第5篇司法権(35カ条)で構成されている。全文204条(大日本帝国憲法76条、日本国憲法103条)からなり、そのうち150条を国民の権利の部分(基本的人権)について触れ、実にそのうちの36カ条が国民の人権規定で埋められている。君主制を採用する一方で「民撰(みんせん)議院ハ行政官ヨリ出セル起議ヲ討論シ又国帝(天皇)ノ起議ヲ改竄(かいざん)スルノ権ヲ有ス」と国会の天皇に対する優越を定めている。地方自治(第**条)や教育権(第**条)、政治犯の死刑禁止を規定(第**条)、容疑者、被告人の権利保障、裁判権を民衆に保障する陪審制(第**条)、外国籍者の人権保障(第49条)、まで明記されている。当時に於ける画期的な内容が含まれており、現日本国憲法に近い内容もみられる。

 明治13年11月10日第二回国会期成同盟大会が東京において開かれ、その際、憲法起草が議され、 翌年(明治14年)10月に予定された第三回大会に、各自草案を持ち寄ることが決議された。これを額面通り に受け取ったのが、五日市の民権家たち、中でも千葉卓三郎であったかと思われる。 五日市憲法草案の下敷きとされた櫻鳴社の草案は土屋勘兵衛が13年12月13日手に入れている。政府は明治14年10月、自ら進んで10年後の国会開設を約して、自由民権運動の気勢をそらした。 同年10月に予定されていた第三回の国会期成同盟大会はこのため混乱し、自由党結成大会に切り替わり、 のせっかく用意した憲法草案の審議は全くなされずにしまった。民間の憲法草案は他に40数種発見されて いるが、この五日市憲法草案のようにどういうグループが、どういう内容の検討会を開き、どういう本を 参考文献として読んで、誰が起草したか、その起草者を誰が助けたかなどということは、わかっていない。

 この当時、高知の立志社をはじめとする全国の自由民権運動を推進した民権派の各結社・団体の中で、自らの手で憲法を起草しようという動きが燎原(りょうげん)の火のごとく全国に広がったが、五日市憲法も優れたその一つであるが、
人権意識の成熟度において 既存する民間憲法中屈指のものとされ、民衆憲法として反響を呼ぶことになった。
 建碑ノ辞

 明治維新の大改革は明治十年の西南戦争を転機として国内政治体制の近代化に向う機運を起し、民間にも立憲政体を目指す革新的な自由民権思想が高揚した。我が五日市町に於いても先覚の士が時運を鋭敏に捉えて近村の同志を糾合し、逸早く新しい学問思想を学ぶ為、五日市学芸講談会を組織した。時偶々(たまたま)五日市勧能学校教師として滞在していた宮城県志波姫町の出身俊秀気鋭の千葉卓三郎を迎え、研鑚論議が重ねられた。卓三郎は明治14年、大日本帝国憲法制定に先立つこと8年、遂に学芸講談会有志の力を結集して五日市憲法草案を作成した。それは5篇11章204条からなる堂々たるものであり、立憲君主制の体裁をとってはいるが、別掲例示の如く自由民権思想の筋を通したまことに民主的なものである。現存する30余種の民間草案中屈指のものと云っても過言ではない。本草案はその後、90年の間、学芸講談会の中核を為していた深沢家土蔵に奥深く眠っていたが、昭和43年8月、東京経済大学色川大吉教授らにより発見され、五日市憲法草案の名を以て広く学会に紹介され、天下の識者の注目を浴びるに至った。ここに五日市学芸講談会の同志並びに千葉卓三郎ら明治の先覚者の功績を永く顕彰する為、町民各位の協力により本碑を建立するものである。

昭和五十四年十一月三日  五日市憲法草案顕彰碑建設委員会


千葉卓三郎
 「千葉卓三郎(1852~1883)の履歴は次の通り。

 嘉永(1852)年6月17日、宮城県志波姫町に生まれ、仙台藩校養賢堂に学んだ。 1852(嘉永5)年6月17日、陸前国栗原(くりはら)郡白幡(しらはた)村(宮城県志波姫〔しわひめ〕)生まれ。父宅之丞は仙台藩の下級武士。卓三郎誕生の直前に世を去り、生母とも幼くして生別した。12歳で仙台藩校養賢堂に蘭学(らんがく)を学んだ後、17歳のときには農兵隊の一員として、戊辰(ぼしん)戦争に参戦するが敗戦、白河(しらかわ)口の抗戦で「賊軍」の汚名を受ける

  • 明治1年(1868)戊辰戦争に参戦(敗戦)。
  • 明治1-2年石川桜所に医学、鍋島一郎に皇学を学ぶ。
  • 明治2-4年桜井恭伯に浄土真宗を学ぶ。
  • 明治4-8年魯人ニコライにギリシャ正教を学ぶ。この間上京。
  • 明治8-9年安井息軒の門に入る(儒学)。
  • 明治9-10年仏人ウィグローにカソリックを学ぶ。
  • 明治10年(1877)福田理軒に洋算を学ぶ。
  • 明治10ー12年米人マグレーにプロテスタントを学ぶ。この頃、秋川谷各地(大久野、草花、 川口)で教職に従事。
  • 明治12ー13年12月より4月まで東京麹町にて商業に従事。
  • 明治13年(1880)4月下旬五日市に下宿。五日市勧能学校に勤め始める。  以後、新しい生き方を求めて流浪の生活を始め、後年上京し、1880(明治13)年4月下旬、東京・西多摩郡五日市(当時の五日市は、五の日に市が立ち、林業、炭、織物〔黒八〕などの地場産業・河川交通が盛んで、東京との交流も頻繁であった)に下宿、五日市勧能学校(小学校)に訓導として勤め始める。
  • 同じ頃五日市学芸講談会結成。 11月第二回国会期成同盟大会(私擬憲法草案作成決議)。12月土屋勘兵衛、櫻鳴社憲法草案入手。
  • 明治14年(1881)1-6月?五日市憲法草案起草。6月五日市を去り、 奈良橋村に住む。10月国会開設の詔勅。勧能学校にもどる。
  • 明治15年(1882)結核進行。療養始める。8月深沢権八ら自由党に入党。
  • 明治16年(1883)11月12日本郷竜岡病院にて死去。31歳。 このとき遭遇した全国的な自由民権運動の波の中で、武蔵(むさし)多摩郡(東京都)深沢村の山林地主の深沢名生(なおまる)・権八(ごんぱち)父子(深沢家は、東京で洋書、新刊書を買い込み、19歳の権八〔1890年神奈川県会議員となるが同年12月24日30歳で死去〕を中心に名主階級や医者などの子息たちが国家を論じていた)と出会い、同じ頃深沢父子とともに五日市の学習結社五日市学芸講談会結成、同時に11月第2回国会期成同盟大会を行い、私擬憲法草案作成を決議し、翌1881(明治14)年に204ヵ条の五日市憲法草案を起草するといった偉業を成し遂げた。1882(明治15)年に結核に犯され、療養始めるが、翌年11月12日、31歳の若さで死去する。

    五日市町の勧能小学校訓導となり、たまたま遭遇した全国的な自由民権 運動の波の中で、五日市の学習結社、五日市学芸講談会の有志らと共同し、私擬憲法草案を作成した。 父宅之丞は仙台藩の下級武士。

    明治22年伊藤博文作るところの明治欽定憲法が 発布され、翌23年国会が開設された。また、同年教育勅語も発布された。
 「深沢名生、権八 」()の履歴は次の通り。
 深沢家は千人同心 の株ももち、当地方の有力山持ちでもあった。当主名生は理解力に富む、開明的な思想の持ち主と見え、 材木などの商用で上京した節に買い求めたと思われる大量の書籍を蔵していた。

色川先生が土蔵を開いた ときにでた多数の書籍は、権八の購入したものもあったとおもわれるが、いずれにせよ稀にみる高級な 蔵書家であった。(当時東京で出版された新刊書のうち7,8割はそろっていた。)

卓三郎と深沢親子 との出会いの時期は明治8ー10年頃と思われる。父名生は卓三郎を認め、子権八は卓三郎に惚れ込んだ ようであった。
とくに早熟な秀才権八の私淑ぶりは大変なもので、両人との出会いは卓三郎の生涯に 大きな幸をもたらした。五日市村の北の渓谷を4キロ近くも入り込む山村のインテリ親子は卓三郎を もって知的飢餓をみたす格好の対象としたのだろう。

のち、自由党に入党し神奈川県会議員であったが、 明治23年29歳の若さでこの世を去った。その墓は同士が建立したとみえ、「権八・深沢氏之墓」と書かれ ている。

深沢村名主、深沢名生(なおまる)の長子。文久元年(1861)生まれ、勧能学舎第一期生。 明治7年地方制度が改正され、大区小区制が施行されると、13歳で深沢村(戸数20戸ほど)の代議員 となり、さらに二年後は15歳で深沢村の村用掛り(村長に相当)に任ぜられている。

江戸時代中期以前の深沢家の沿革は詳らかではないが、江戸時代後半より土地集積を行い山林地主として大きく産を伸ばし江戸中期に深沢村の名主役に就任している。幕末には「同心株」を譲り受け江戸幕府の御用人である八王子同心に就き、村内鎮守社の神官をも勤めていた。

 明治維新を迎え深沢家を継いだ名生(なおまる)は深沢村の戸長に就任し、息子の権八は村用掛に任ぜられ、ついで神奈川県会議員に当選している。

 名生・権八親子は三町一四ヶ村から四〇名近い会員を集め学習会、討論会、研究会などを行っていた民権結社「学芸講談会」の指導的立場にあり、五日市地域の自由民権運動の中心的な人物であった。

 当地は江戸時代後期の名主屋敷の旧態をとどめ、また三多摩自由民権運動を象徴する「五日市憲法草案」発見の場所であり、当時五日市地域で民権運動の中心となっていた豪農民権家の生活様態を推定し得る遺跡として貴重なものである。

昭和五十八年十月一日建設

東京都教育委員会

 

深沢家の土蔵はきれいに修復されて保存されている。すぐ近くにある墓地には憲法草案作成時の当主深沢名生(なおまる)と子供権八の墓がある。この父子は最も熱心に学習会活動に参加し、千葉を支えた。右の墓石の文字が「権八深沢氏墓」で、Mr. Gonpati Hukazawa となっているのに時代が感じられる。

 「学芸講談会 」()の履歴は次の通り。


規約によると会の業務 は外来の講師(弁士)を招く、会員相互の討論会を持つ、学習のための書籍を購入する等々である。

会員としてあげられている39名は名主や組頭家の跡取り息子が多い。年齢構成も、20代以下が四分の三を しめている。内、大地主は3,4名、あとは中農、土地を全く持たない者もいた。五日市のみならず、 周辺の村々、青梅、八王子、横浜などからも参加している。

権八手書きの討論題集(63項目にわたっている)が残されており、そこには、

  • 憲法は国民がきめるのか、国王がきめるのか
  • 議会は一院制がいいか、二院制がいいか
  • 女帝をたてることはどうか
  • 皇居は東京に置くべきか、田舎に置くべきか
  • 衆議院議員に給料を払うべきか、払うと悪いことをするか
  • 死刑は廃止すべきか否か
  • 人民に武器を与えてもよいか

とある。構成員を特徴づけるものとして、教員グループの参加がある。 明治13年4月に設立されたと推定される。東日本を代表する櫻鳴社という民権運動の結社が 同年1月八王子支社を設置したことが、直接の動機ではないかとみられている。

 「五日市の当時」。

戦国末期、(1574年ごろ)5の日の定期市が開かれており、この定期市によって地名が名付 けられた。
徳川時代に入って、江戸に大消費都市が出現し、五日市は炭の取引市として再興され 江戸を取り巻く地廻り経済圏の一環として繁栄した。

秋川谷の炭の生産地は檜原・養沢村などの山方 である。五日市は炭と穀の交換市となり、山方と里方の出会いの場となった。五日市村の百姓たちは市の 場所代稼ぎに甘んじないで、取引に介在する商人となり、さらに江戸中期(享保20年・1735年)、炭の 物品税の取り立てを委任されたことから専売権をもつ炭問屋に成長した。

炭以外の秋川谷の主要産業 に山地を利用した林業がある。江戸中期頃から杉、桧の林業が盛んになり、木材は筏に組まれ、秋川から 多摩川を経て江戸へ運ばれた。
この林業は有力な元締め(材木商)を生み出すと同時に多数の農民に 林業労働者としての雇用の機会を提供した。今一つ秋川谷の重要産業は、江戸後期盛んになった黒八丈 という絹織物である。八丈織りの技法をまねたものらしいが、泥染の絹織物で高価で、通称「五日市」 と呼ばれ、全国に流布した。
主要地は秋川・平井側流域で、製品は五日市、八王子を経由して全国 ルートに乗った。五日市はそれぞれの取引に主役を占め、近世を通じ、この谷の主邑としての地位を確立 してきた。

五日市村の有力商人の中には卓越した金融力もって、広大な山林を所有する富農も発生した。
近世後期になると、貨幣経済の農村への浸透により、秋川谷に限らず各村に富裕な農民が発生している。 彼らは有力な土地所有者であると同時に、酒屋・質屋・穀屋などを兼業し、その多くは名主・組頭の役を もつ村役人層に属した。富農=在方商人=村役人という三位一体の家々が、自治体としての村々を実質的 に支配し、運営してきた。

秋川谷は多摩川という大動脈によって川崎方面と直接結ばれていた。当地方の 人々にとって、文明開化の根源地、開港場横浜は案外手近な場所であったと思われる。五日市村より 4キロも山奥の深沢村の名主深沢家から手書きの蒸気船図も見つかっている。また、内山家の土蔵にも 安政条約の全文が筆写されたものがあった。とりわけ深沢家には幕末から明治初期に発刊された翻訳書籍類 が多数所蔵されていた。
これは、当地域のエリートたちが外国文化に対して示したもっとも優れた 反応の実態である。

なお、幕末期の五日市地方(16ヶ村)には33名の千人同心がいた。(五日市町史) 学芸講談会員の中にも4名がいた。彼らは農民と武士の二重の性格をもち、一般の百姓とはどこか違った 視野と意識の所有者であった。各地に発生した学習結社は、変革期にともなう知的欲求に対応するもの であり、頭の柔らかな若手の村役人層を中心に結社され、活発な活動が展開されていった。

維新政府が村方へ指示した主要施策に、明治5年の学制令がある。知識を世界に求めるという五箇条 誓文の具現を目指したもので、明治政府のよき意味での夢が込められた施策である。
もっとも、学校の設置は財政力貧弱な維新期の村方に大きな負担を背負わせたことは否めないが、 ほとんどの村方が、若手の意欲的な学舎世話役を選任し、建設的な対応を示している。
この新制度の要となった教員は、いわば新知識の学習熱に答えるに足る学識者が渇望された。

明治6,7年に五日市の旧村16カ所には、五日市勧能学舎ほか、5学舎が設置された。教員は在地の 人よりむしろ外部から招かれたものが多く、勧能学舎では、仙台藩士が多く招かれた。
また、五日市の山奥の乙津村の日新学舎には会津藩士が勤めていた。(会津の藩校名も日新という)

明治13年3月、第一回国会期成同盟が結成され、この全国的熱気が秋川谷にも波及し、学芸講談会の 結成につながった。

(私論.私見)

五日市憲法草案
 「ホームページへもどる 五日市の観光へ 教育問題へ」、「五日市憲法草案(日本帝国憲法草案)」、「五日市憲法草案書き下し文 (PDF)(あきる野市デジタルアーカイブ)」参照。
 第一篇/国帝(*第一篇 四一条のうち三〇条まで省略)
 第一章/帝位相続
 第二章/摂政官
 第三章/国帝権理
31 法司を訴告する者あるときは国帝之を聴き、なお参議院の意見を問ふて後に之を停職することを得。
32 国帝は国会を催促徴喚し、及び之を集開終閉し、又之を延期す。
33 国帝は国益の為に須要とする時は会期の暇時に於て臨時に国会を召集することを得。
34 国帝は法律の議案を国会に出し、及びその他自ら適宜と思量する起議を国会に下附す。
35 国帝は国会に議せす特権を以て決定し、外国との諸般の国約を為す。但し、国家の鞏保と国民に密附の関係(通商貿易の条約)をなすことに基ひする者、又は国財を費し、もしくは国境所属地の局部を譲与変改するの条約、及びその修正は国会の承諾を得るにあらざれば、その効力を有せず。
36 国帝は開戦を宣し、和議を講し、及びその他の交際修好同盟等の条約を準定す。但し、即時に之を国会の両院に通知すべし。且つ国家の利益安寧と相密接すと思量するところの者を同く之を国会の両院に通照す。
37 国帝は外国事務を総摂す。外国派遣の使節諸公使、及び領事を任免す。
38 国帝は国会より上奏したる起議を允否す。
39 国帝は国会の定案、及判決を勅許制可し之に鈴印し、及び総て立法全権に属するところの職務につき最終の裁決を為し之に法律の力を与へて公布すべし。
40 国帝は外国の兵隊の日本国に入ることを許すこと、又太子の為めに王位を辞することとの二条につては特別の法律により国会の承認を受けされば、その効力を有せず。
41 国帝は国安の為に須要する時機に於ては同時、又別々に国会の両院を停止解散するの権を有す。但し、該解散の布告と同時に四十日内に新議員を選挙し、及び二ヶ月内に該議院の召集を命ずべし。
 第二篇/公法(36条)
 第一章 国民の権理
42 左に掲ぐる者を日本国民とす。 一、凡そ日本国内に生るる者。二、日本国外に生るるとも日本国人を父母とする子女。三、帰化の許状を得たる外国人。但し帰化の外国人が享有すべきその権利は法律別に之を定む。
43 左に掲ぐる者は政権の受用を停閣す。 一、外形の無能(廃疾の類)、心性の無能(狂癲白痴の類)。二、禁獄もしくは配流の審判。但し、期満れば政権剥奪の禁を解く。
44 左に掲ぐる者は日本国民の権利を失ふ。 一、外国に帰化し外国の籍に入るもの。二、日本国帝の允許を経ずて外国政府より官職爵位称号もしくは恩賜金を受くる者。
45 日本国民は各自の権利自由を達すべし。他より妨害すべらず。且つ国法之を保護すぺし。
(解説)自由権の規定であり、現行憲法と同じ視点に立っている。
46 日本国民は国憲許すところの財産智識ある者は国事政務に参与し。これが可否の発言を為し、之を議するの権を有す。
(解説)
47 凡そ日本国民は族籍位階の別を問はず、法律上の前に対しては平等の権利たるべし。
(解説)
48 凡そ日本国民は日本全国に於て同一の法典を準用し、同一の保護を受くべし。地方、及び門閥、もしくは一人一族に与ふるの時(特)権あることなし。
(解説)平等権の規定、その後発生した華族制度を見抜いた警世の条文である
49 凡そ日本国に在居する人民は、内外国人を論せず、その身体生命財産名誉を保固す。
(解説)
50 法律の条規は、その効を既往に及ぼすことあるべからず。
(解説)
51 凡そ日本国民は法律を遵守するに於ては万事につき、予め検閲を受くることなく、自由にその思想意見論説図絵を著述し、之を出板頒行し、或いは公衆に対し講談討論演説し、以て之を公にすることを得べし。但し、その弊害を抑制するに須要なる処分を定めたるの法律に対しては、その責罰を受任すべし。
(解説)思想信条表現の自由権。
52 凡そ思想自由の権を受用するにより、犯す所の罪あるときは法律に定めたる時機並に程式に循拠して、その責を受くべし。著刻犯の軽重を定むるは法律に定めたる特例を除くの外は、陪審官之を行ふ。
(解説)陪審官制。
53 凡そ日本国民は法律に拠るの外に、或いは強いて之を為さしめられ、或いは強いて之を止めしめらるる等のことあるべからず。
(解説)刑罰の法治主義。
54 凡そ日本国民は集会の性質、或る数人連著、或いは一個人の資格を以てするも、法律に定めたる程式に循拠し、皇帝国会、及び何れのガ(ママ)門にむけても直接に奏呈請願、又上書建白するを得るの権を有す。但し該件に因て牢獄に囚附せられ、或いは刑罰に処せらるることあるべからす。もし政府の処置に関し、又国民相互の事に関し、その他何にても自己の意に無理と思考することあれば、皇帝国会何れの衛門に向ても上書建白請願することを得べし。
(解説)
55 凡そ日本国民は華士族平民を論ぜず、その才徳器能に応し国家の文武官僚に拝就する同等の権利を有す。 
(解説)公務員登用の同等権。
56 凡そ日本国民は何宗教たるを論ぜず、之を信仰するは各人の自由に任す。然れども政府は何時にても国安を保し、及び各宗派の間に平和を保存するに応当なる処分を為すことを得。 但し、国家の法律中に宗旨の性質を負はしむるものは国憲にあらざるものとす。
(解説)信教の自由。
57 凡そ何れの労作工業農耕と雖ども、行儀風俗に戻り国民の安寧若くは健康を傷害するに非れば之を禁制することなし。
(解説)過剰禁制の禁止。
57 凡そ日本国民は結社集会の目的、もしくはその会社の使用する方法に於て国禁を犯し、もしくは国難を醸すべきの状なく、又戎器を携ふるに非ずして、平穏に結社集会するの権を有す。但し、法律は結社集会の弊害を抑制するに須要なる処分を定む。
(解説)平穏な結社集会権。
59 凡そ日本国民の信書の秘密を侵すことを得ず。その信書を勾収するは現在の法律に依り法に適したる拿捕、又は探索の場合を除くの外、戦時もしくは法衛の断案に拠に非れば、之を行ふことを得ず。
(解説)信書の秘密不可侵権。
60 凡そ日本国民は法律に定めたる時機に際し法律に定示せる規程に循拠するにあらざれば、之を拘引、招喚囚捕、禁獄、或いは強いてそ住屋戸鎖を打開することを得ず。
(解説)令状なければ拘引不可権。
61 凡そ日本国民各自の住居は全国中何方にても、その人の自由なるべし。而して他より之を侵すべからず。もし家主の承允なく、あるいは家内より招き呼ぶことなく、又火災水災等を防御する為に非ずして、夜間人家に侵し入ることを得ず。
(解説)居住の自由権、侵入禁止権。
62 凡そ日本国民は財産所有の権を保固にす。如何なる場合と雖ども財産を没収せらるることなし。公規に依り、その公益たるを証するも、仍ほ時に応ずる至当なる前価の賠償を得るの後に非ざれは、之が財産を買上らるることなかるべし。
(解説)財産所有権。
63 凡そ日本国民は国会に於て決定し、国帝の許可あるにあらざれば、決して租税を賦課せらるることなかるべし。
(解説)国会式租税賦課権。
64 凡そ日本国民は当該の裁判官、もしくは裁判所にあらざざれば、縦令規程の刑法により、又その法律に依て定むる所の規程に循ふも、之を糺治裁審することを得ず。
(解説)法治処罰権。
65 法律の正条に明示せる所に非ざれば甲乙の別を論ぜず。拘引逮捕糺弾処刑を被ることなし。且つ一たび処断を得たる事件に付き、再次の糺弾を受くべからず。
(解説)法治処罰権、同一事案再処罰不能権。
66 凡そ日本国民は法律に掲ぐる場合を除くの外、之を拿捕することを得ず。又拿捕する場合に於ては裁判官自ら署名したる文書を以てその理由と劾告者と証人の名を被告者に告知すべし。
(解説)罪刑法定主義、法治拿捕権。
67 総て拿捕したる者は二十四時間内に裁判官の前に出すことを要す。拿捕したる者を直に放逐すること能はざるときに於ては、裁判官より、その理由を明記した〔る〕宣告状を以て該犯を禁錮すべし。右の宣告は力〔めて〕所能的迅速を要し、遅くも三日間内に之を行ふべし。但し、裁判官の居住と相隣接する府邑村落の地に於て拿捕するときは、その時より二十四時間内に之を告知すべし。もし裁判官の居住より遠隔する地に於て拿捕するとき〔は〕、その距離遠近に準じ法律に定めたる当応の期限内に之を告知すべし。
(解説)。
68 右の宣告状を受けたる者の求に因り裁判官の宣告したる事件を遅滞なく控訴し、又上告することを得べし。
(解説)。
69 一般犯罪の場合に於て法律に定むる所の保釈を受くるの権を有す。
(解説)。(※これは日本国憲法にも書いていない)
70 何人も正当の裁判官より阻隔せら〔る〕ることなし。是故に臨時裁判所を設立することを得べからず。
(解説)。
71 国事犯の為に死刑を宣告さるることなかるべし。
(解説)「国事犯」(「政治犯」)死刑不適用権。政治的信条に基づいて犯罪を犯した者には、破廉恥罪を犯した者とは異なり、それなりの「敬意」をもった処遇を行うのが相応しいとしている。後の「大逆事件」や治安維持法に基づく思想弾圧の歴史を振り返れば、鋭い指摘だったことになる。
72 凡そ法に違ふて命令し、また放免を怠りたる拿捕は政府より、その損害を被りたる者に償金を払ふべし。
(解説)国家責任賠償権。
73 凡そ日本国民は何人に論なく法式の徴募に〔あた〕り、兵器を擁して海陸の軍伍に入り、日本国の為に防護す可し。
(解説)自由徴兵制権。
74 又その所有財産に比率して国家の負任〔公費租税〕を助くるの責を免るべからず。皇族と雖ども税を除免せらるること得べからず。
(解説)納税義務権。
75 国債公費は一般の国民たる者負担の責を免るべからず。
(解説)国債公費負担義務。
76 子弟の教育に於て、その学科及び教授は自由なるものとす。然れども子弟小学の教育は父兄たる者の免るべからざる責任とす。
(解説)教育権と義務教育権。
77 府県令は特別の国法を以てその綱領を制定せらるべし。府県の自治は各地の風俗習例に因る者なるが故に、必らず之に干渉妨害すべからず。その権域は国会と雖ども之を侵すべからざるものとす。
(解説)地方自治権。中央集権に懸命であった明治政府にはまったく考えられない条文である。地方の 自治は国会の権限をも凌駕するというもの。アメリカの州と連邦政府との関係に近い。
 第三篇  立法権    (*第三篇 79条)
 第一章 民撰議院
78 民撰議院は選挙会法律に依り定めたる規程に循ひ、撰挙に於て直接投籤法を以て単撰したる代民議院を以て成る。但し、人口二〇万人に付一員を出すべし。
(解説)。
79 代民議員の任期三ヶ年とし、二ヶ年毎に其半数を改撰すべし。但し、幾任期も重撰せらるることを得。
(解説)。
80 日本国民にして俗籍に入り(神官僧侶教導職耶蘇宣教師に非る者にして)、政権民権を享有する満三十歳以上の男子にして、定額の財産を所有し、私有地より生ずる歳入あることを証明し、撰挙法に定めたる金額の直税を納るる文武の常職を帯びざる者は、撰挙法に遵ひて議員に撰挙せらるるを得。
(解説)。
81 凡そここに掲げたる分限と要款とを備具する日本国民は、被撰挙人の半数はその区内に限り、その他の半数は何れの県の区にも通して選任せらるることを得。
(解説)。
82 代民議員は(撰挙せられたる地方の総代に非ず)日本全国民の総代人なり。故に撰挙人の教令を受く るを要せず。
(解説)。
83 婦女・未成年者・治産の禁を受けたる者・白痴瘋癲の者・住居なくして人の奴僕雇傭たる者・政府の助成金を受くる者・及常事犯罪を以て徒刑一ヶ年以上実決の刑に処せられたる者・又稟告されたる失踪人は、代民議員の選挙人たることを得ず。
(解説)。
84 民撰議員は日本帝国の財政(租税国債)に関する方案を起草するの特権を有す。
(解説)。
85 民撰議院は往時の施政上の検査、及施政上の弊害の改正を為すの権を有す。
(解説)。
86 民撰議院は行政官より出せる起議を討論し、又国帝の起議を改竄するの権を有す。
(解説)国会の天皇に対する優越を明確にした条文である。五日市憲法は体裁上は君主主権を認めながら、 運用面で君権と民権と競合した場合、民権にくみする憲法であった。 (国会の天皇に対する優越)。
87 民撰議院は緊要なる調査に関し、官吏並に人民を召喚するの権を有す。 
(解説)。
88 民撰議院は政事上の非違ありと認めたる官吏(執政官 参議官)を上院に提喚弾劾する特権を有す。
(解説)。
89 民撰議院は議院の身上に関し左の事項を処断するの権を有す。一、議員民撰議院の命令規則若は特権に違背する者。二、議員撰挙に関する訴訟。
(解説)。
90 民撰議院は其正副議長を議員中より撰挙して国帝の制可を請ふべし。
(解説)。
91 民撰議院の議員は院中に於て為したる討論演説の為に裁判に訴告を受くることなし。
(解説)。
92 代民議員は会期中及会期前後二十日間、民事訴訟を受くることあるも答弁するを要せず。但し民撰議院の承認を得るときはこの限りにあらず。
(解説)。
93 民撰議院の代民議員は現行犯罪に非れば、下院の前許承認を得ずして、会期中及会期の前後二十日間、拘留・囚捕・審判せらるることなし。 但し現行犯罪の場合に於ても拘致囚捕、或は会期を閉つるの後糺治又囚捕するに於ても、即時至急に 裁判所より代民議員を拿捕せしことを民撰議院に通知し、該院をして其件を照査して之を処分せしむべし。
(解説)。
94 民撰議院は請求して会期中及会期の前後廿日間、議員の治罪拘引を停止せしむるの権を有す。
(解説)。
95 民撰議院の議長は院中の官員(書記等其他)を任免するの権あり。
(解説)。
96 代民議員は会期の間旧議員任期の最終会議に定めたる金給を受くべし。又特別の決議を以て往返の旅費を受くべし。
(解説)。
 第二章 元老議院
97 元老院は国帝の特権を以て命する所の議官四十名を以て成る。但し、民撰議院の議員を兼任するを得ず。
(解説)。
98 満三十五歳以上にして左の部に列する性格を具ふる日本人に限り、元老院の議官たることを得べし。
   一 民撰議院の議長
   二 民撰議院に撰ばれたること三回に及べる者
   三 執政官諸省卿
   四 参議官
   五 三等官以上に任ぜられし者
   六 日本国の皇族華族
   七 海陸軍の大中少将
   八 特命全権大使及公使
   九 大審院上等裁判所の議長及裁判官又其大検事
   十 地方長官
   十一 勲功ある者及材徳輿望ある者
(解説)。
99 元老院の議官は国帝の特命に因りて議員中より之を任ず。
(解説)。
100 元老院の議官は終身在職する者とす。
(解説)。
101 元老院の議官は一ヶ年三万円に過ぎざる一身俸給を得べし。
(解説)。
102 皇太子及太子の男子は満二十五歳に至り文武の常職を帯びさる者は、元老院の議官に任すること〔を〕得。
(解説)。
103 諸租税の賦課を許諾することは、先づ民撰議院に於て之を取り扱ひ、元老院はただその事ある毎に民撰議院の議決案を覆議して、之を決定するか、もしくは抛棄するかの外に出でず。決して之を変改することを得べからず。
(解説)。
104 元老院の編制及び権利に関する法律は、先づ之を元老院に持出さざるを得ず。民撰議院は唯之を採用するか、棄擲するに過ぎず。決して之を刪添すべからず。
(解説)。
105 元老院は立法権を受用するの外左の三件を掌どる。
一、民撰議院より提出劾告せられたる執政大臣諸官吏の行政上の不当の事を審糺裁判す。その劾告手続は法律別に之を定む。
二、国帝身体若くは権威に対し、又は国安に対する重罪犯を法律に定めたる所に循ひ裁判す。
三、法律に定めたる時機に際し、及びその定めたる規程に循ひ元老院議官を裁判す。
(解説)。
106 元老院議官は、その現行犯罪に由りて拘捕せらるる時、又は元老院の集会せざるときの外、予め元老院の決定承認を経すして、之を糺治し又は拘致囚捕せらるることなし。
(解説)。
107 何れの場合たるを論ぜず、議官を糺治し、もしくは囚捕する時は、至急に之を元老院に報知し、以て該院権限の処を為さしむ。
(解説)。
 第三章 国会の職権 
108 国家永続の秩序を確定、国家の憲法を議定し、之を添刪更改し、千載不抜の三大制度を興廃する事を 司る。
(解説)。
109 国会は国帝及び立法権を有する元老院、民撰議院を以て成る。
(解説)。
110 国会は総て公行し、公衆の傍聴を許す。 但し国益のため、或いは特異の時機に際し、秘密会議を開くことを要すべきに於ては、議員十人以上の求めに因て各院の議長傍聴を禁止するを得。
(解説)。
111 国会は総て日本国民を代理する者にして、国帝の制可を須つの外、総て法律を起草し、之を制定する の立法権を有す。
(解説)。
112 国会は政府に於て、もし憲法、或いは宗教、或いは道徳、或いは信教自由、或いは各人の自由、或いは法律上に於て、諸民平等の遵奉財産所有権、或いは原則に違背し、或いは邦国の防御を傷害するが如きことあれば、勉めて之が反対説を主張し、之が根元に遡り、その公布を拒絶するの権を有す。
(解説)。
113 国会の一部に於て否拒したる法案は、同時の集会に於て再び提出するを得ず。
(解説)。
114 国会は公法及私法を製定す可し。即ち国家至要の建国制度、及根原法一般の私法、及び民事訴訟法・ 海上法・礦坑法・山林法・刑法・治罪法・庶租税の徴収、及国財を料理するの原則を議定し、兵役の義務に関する原則・国財の歳出入予算表を規定す。
(解説)。
115 国会は租税賦課の認許権、及び工部に関して取立たる金額使用方を決し、又国債を募り、国家の信任 (紙幣公債証書発行)を使用するの認許権を有す。 
(解説)。
116 国会は租税全局(法律規則に違背せしか、処置その宜しきを得ざるや)を監督するの権を有す。
(解説)。
117 国会議する所の法案はその討議の際に於て、国帝之を中止し、もしくは禁止することを得ず。
(解説)。
118 国会(両院)共に規則を設け其院事を処置するの権を有す。
(解説)。
119 国会は其議決に依りて憲法の欠典を補充するの権、総て憲法に違背の所業は之を矯正するの権、新法律及び憲法変更の発議の権を有す。
(解説)。
120 国会は全国民の為に法律の主旨を釈明すべし。
(解説)。
121 国会は国帝・太子・摂政官もしくは摂政をして、国憲及法律を遵守するの宣誓詞を宣へしむ。
(解説)。
122 国会は国憲に掲げたる時機に於て、摂政を撰挙し其権域を〔指〕定し、未成年なる国帝の太保を任命す。
(解説)。
123 国会は民撰議院より論劾せられて元老院の裁判を受けたる執政の責罰を実行す。
(解説)。
124 国会は内外の国債を募り起し、国土の領地を典売し、或いは彊域を変更し、府県を発立分合し、その他の行政企画を決定するの権を有す。
(解説)。
125 国会は国家総歳入出を計算したる(予算表)を検視の上、同意の時は之を認許す。
(解説)。
126 国会は国事の為めに緊要なる時機に際し、政府の請に応し議員に該特務を許認指定す。
(解説)。
127 国会は国帝没(ママ)するときは、もしくは帝位を空ふするとき、既往の施政を検査し、及び施政上の弊害を改正す。
(解説)。
128 国会は帝国若くは港内に外国海陸軍兵の侵入を允否す。
(解説)。
129 国会は毎歳政府の起議に因り、平時若くは臨時海陸軍兵を限定す。
(解説)。
130 国会は内外国債を還償するに適宜なる方法を議定す。
(解説)。
131 国会は帝国に法律を施行するために必要なる行政の規則と行政の設立、及びその不全備を補ふ法を決定す。
(解説)。
132 国会は政府官僚及びその俸給を改正設定し、もしくは之を廃止す。
(解説)。
133 国会は貨幣の斤量・価格・銘誌・模画・名称、及び度量衡の原位を定む。
(解説)。
134 国会は外国との条約を議定す。
(解説)。
135 国会は兵役義務執行の方法、及びその規則と期限とに関する事、就中毎歳召募すべき徴兵員数の定数、及び予備馬匹の賦課、兵士の糧食屯営の総則に関する事を議定す。
(解説)。
136 政府の歳計予算表の規則、及び諸租税賦課の毎歳決議、政府の決算表並びに会計管理成跡の検査、新公債証券の発出、政府旧債の変更、官地の売易貸与、専売並びに特権の法律、総て全国に通する会計諸般の事務を決定す。
(解説)。
137 金銀銅貨及び銀行証券の発出に関する事務の規則、税関・貿易・電線・駅逓・鉄道・航運の事、その他全国通運の方法を議定す。
(解説)。
138 証券の銀行、工業の特準、度量衡製造の模型・記印の保護の法律を決定す。
(解説)。
139 医薬の法律、及び伝染病・家畜疫疾防護の法律を定む。
(解説)。
 第四章 国会開閉
140 国会は両議院共に必ず勅命を以て毎歳同時に之を開くべし。
(解説)。
141 国帝は国安の為に須要とする時機に於ては、両議員の議決を不認可し、その議会を中止し、紛議するに当りては、その議員(ママ)に解散を命するの権を有す。然れどもこの場合に当りては必らず四十日内に新議員を撰挙せしめ、二ヶ月間内に之を召集して再開すべし。
(解説)。
142 国帝崩して国会の召集期に至るも尚ほ之を召集する者無き時は、国会自ら参集して開会することを得。
(解説)。
143 国会は国帝の崩御に遭ふも、嗣帝より解散の命ある迄は解散せず。定期の会議を続くることを得。
(解説)。
144 国会の閉期に当りて、次期の国会未だ開かざるの間に国帝崩御することあるときは、議員自ら参集して国会を開くことを得。もし嗣帝より解散の命あるに非ざれば定期の会議を続くることを得。  
(解説)。
145 議員の撰挙既に畢り未だ国会を開かざるの間に於て、国帝の崩御に遭ふてなお之を開く者なきときは、その議員自ら参集して之を開くことを得。もし嗣帝より解散の命あるに非ざれば定期の会議を続くることを得。
(解説)。
146 国会の議員その年限既に尽きて次期の議員未だ撰挙せられざる間に、国帝崩御するときは、前期の議員集会して一期の会を開くことを得。
(解説)。
147 各議院の集会は同時にすべし。もしその一院集会して他の一院集会せざるときは国会の権利を有せず。但し、糾弾裁判の為〔に〕元老院を開くはその法庭の資格たるを以てこの限りにあらず。
(解説)。
148 各議院議員の出席過半数に至らざれば会議を開くことを得ず。
(解説)。
 第五章 国憲改正
149 国の憲法を改正するは特別会議に於てすべし。
(解説)。
150 両議院の議員三分の二の議決を経て国帝之を允可するにあらざれば、特別会を召集することを得す。特別会議員の召集及撰挙の方法は都て国会に同じ。
(解説)。
151 特別会を召集するときは民撰議院は解散するものとす。
(解説)。
152 特別会は元老院の議員及国憲改正の為に特に撰挙せられたる人民の代民議員より成る。
(解説)。
153 特別に撰挙せられたる代民議員三分の二以上、及び元老院議員三分二以上の議決を経て国帝之を允可するにあらざれば、憲法を改正することを得ず。
(解説)。
154 その特に召集を要する事務畢るときは、特別会自ら解散するものとす。
(解説)。
155 特別会解散するときは、前に召集せられたる国会は定期の職務に復すべし。
(解説)。
156 憲法にあらざる総ての法律は両議院出席の議員過半数を以て之を決定す。
(解説)。
 第四篇  (*第四篇 13条)
 第一章 行政権   
157 国帝は行政官を総督す。
(解説)。
158 行政官は太政大臣、各省長官を以て成る。
(解説)。
159 行政官は合して内閣を成し、以て政務を議し、分れて諸省長官と為り、以て当該の事務を理す。
(解説)。
160 諸般の布告は太政大臣の名を署し、当該の諸省長官之に副署す。
(解説)。
161 大政大臣は大蔵卿を兼任すべし。
(解説)。
162 大政大臣は国帝に奏し、内務以下諸省の長官を任免するの権あり。
(解説)。
163 諸省長官の序次左の如し。 大蔵卿  内務卿  外務卿 司法卿  陸軍卿  海軍卿  工部卿  宮内卿  開拓卿  教部卿  文部卿  農商務卿
(解説)。
164 行政官は国帝の欽命を奉して政務を執行するものとす。
(解説)。
165 行政官は執行するところの政務に関し、議院に対してその責に任するものとす。もしその政務につき議員の信を失する時はその職を辞すべし。
(解説)。
166 行政官は諸般の法案を草し、議院に提出するを得。
(解説)。
167 行政官は両議院の議員を兼任するを得。
(解説)。
168 行政官は毎歳国費に関する議案を草し、之を議院の議に付すべし。
(解説)。
169 行政官は毎歳国費決算書を製し、之を議院に報告すべし。
(解説)。
 第五篇   (*第五篇 35条)
 第一章  司法権    
170 司法権は国帝之を検任す。
(解説)。
171 司法権は不羈独立にして、法典に定むる時機に際し、及ひ之を定むる規定に循ひ、民事並に刑事を審理するの裁判官・判事及陪審官、之を執行す。
(解説)。
 
172 大審院上等裁判(所)下等裁判所等を置く。
(解説)。
173 民法・商法・刑法・訴訟法・治罪法・山林法、及び司法官の構成は全国に於て同均とす。
(解説)。
174 上等裁判所・下等裁判所の数、並びにその種類・各裁判所の構成・権任・その権任を執行すへき方法、及び裁判官に属すべき権理等は、法律之を定む。
(解説)。
175 私有権及該権より生したる権理・負債、その他凡そ民権に管する訴訟を審理するは、特に司法権に属す。
(解説)。
176 裁判所は上等下等に論なく廃改することを得ず。又其構制は法律に由るに非ざれば変更すべからず。 
(解説)。
177 凡そ裁判官は国帝より任し、その判事は終身その職に任じ、陪審官は訴件事実を決判し、裁判官は法律を準擬し、諸裁判の所長の名を以て之を決行宣告す。
(解説)。
178 軍裁判所を除くの外は、国帝の任したる裁判官の三年間在職したる者は法律に定めたる場合の外は、復之を転黜することを得ず。
(解説)。
179 凡そ裁判官法律に違犯〔すること〕あるときは各自その責に任ず。
(解説)。
180 凡そ裁判官は自ら決行せらるべき罪犯の審判あるときを以てするの外、有期もしくは無期の時間その職を〔一字不明〕はるることなし。又司法官の決裁(裁判所議長もしくは上等裁判所の決裁等を云ふ)を以てせらるるか、又は充分の緒由ありて国帝の令を下し、且つ憑拠を帯びて罪状ある裁判官を当該の裁判所に訴告する時の外は、裁判官の職を停止することを得ず。
(解説)。
181 軍事裁判及び護卿兵裁判亦法律を以て之を定む。
(解説)。
182 租税に関する争訟及違令の裁判も同く法律を以て之を定む。
(解説)。
183 法律に定めたる場合を除くの外、審判を行ふがために例外非常の法ガ(*)を設くることを得ず。如何なる場合たりとも臨時もしくは特別の裁判所を開き、臨時もしくは特別の糺問掛りを組立、裁判官を命じて聴訟断罪のことを行はしむべからず。
(解説)。
184 現行犯罪を除くの外は、当該部署官より発出したる命令書に依るに非ずして、拿捕することを得ず。もし縦ままに拿捕することあれば、之を命令じたる裁判官及び之を請求したる者を法律に掲ぐる所の刑に処すべし。
(解説)。
185 罰金及禁錮の刑に問ふべき罪犯は勾留することを得ず。
(解説)。
 
186 裁判官は管轄内の訟獄を聴断せすして、之を他の裁判所に移すことを得ず。是故を以て特別なる裁判所及び専務の員を設くることを得ず。
(解説)。
187 何人もその志意に悖ひ、法律を以て定めたる正当判司・裁判官より阻隔せらるることなし。是故を以て臨時裁判所を設立することを得ず。
(解説)。
188 民事刑事に於て法律を施行するの権は、特に上下等裁判所に属す。然れども上下等裁判所は審判及び審決の決行を看守するの外、他の職掌を行ふことを得ず。
(解説)。
189 刑事に於ては証人を推問し、その他凡て劾告の後に係る訴訟手続の件は公行すべし。
(解説)。
190 法律は行政権と司法権との間に生ずることを得べき権限抵〔触〕の裁判を規定す。
(解説)。
191 司法権は法律に定むる特例を除き、亦政権に管する争訟を審理す。
(解説)。
192 民事・刑事となる裁判所の訟庭は(法律に由て定めたる場合を除くの外は)法律に於て定むる所の規程に循ひ、必ず之を公行すべし。但し、国安及び風紀に関するに因り、法律を以て定めたる特例はこの限りにあらず。
(解説)。
193 凡そ裁判はその理由を説明し、訟庭を開いてこれを宣告すべし。刑事の裁判はその処断の拠憑する法律の条目掲録すべし。 
(解説)。
194 国事犯の為に死刑を宣告すべからず。又その罪の事実は陪審官之を定むべし。
(解説)国事犯、政治犯を死刑にしないという保護規定を設けている。
195 凡そ著述出版の犯罪の軽重を定むるは、法律に定めたる特例の外は陪審官之を行ふ。
(解説)。
196 凡そ法律を以て定めたる重罪は陪審官その罪を決す。
(解説)。
197 法律に定めたる場合を除くの外は、何人を論ぜず拿捕の理由を掲示する判司の命令に由るに非れば、囚捕すべからず。
(解説)。
198 法律は判司の命令の規式、及罪人の糺弾に従事すべき期限を定む。
(解説)。
199 何人を論ぜず法律に由てその職任ありと定めたる権を以てし、及び法律に指定したる規程に於てするの外は、家主の意志に違ひて家屋に侵入することを得ず。
(解説)。
00 如何なる罪科ありとも犯罪者の財産を没収すべからず。
(解説)。
201 駅郵若くは其他送運を掌る局舎に託する信書の秘密は、法律に由り定めたる場合に於て判司より 特殊の免許あるときを除くの外は、必ず之を侵入すべからず。
(解説)。
202 保塞(ママ)の建営・土堤の築作修補のためにし、及び伝染病その他緊急の情景に際し、前文に掲ぐる公布を必需とせざるべき時は、一般に法律を以て之を定む。
(解説)。
203 法律は予め公益の故を以て没収を要することを公布すべし。
(解説)。
204 公益の公布及没収の前給は、戦時・火災・溢水に際し即時に没収することを緊要とするときは、之を要求することを得ず。然れども決して没収を被りたる者は没収の償価を請求するの権を損害せず。
(解説)。
 (色川大吉氏の注)
注1 五日市草案はタテ23.3センチ×32センチのごく薄い和紙二四枚綴りの文書である。平明方直な文字で浄書されているうえ、「葉卓」という朱印が、それも全て異なる印が最初と最後の四箇所おされている。
本文中、若干の虫喰いのための不明箇所がある。その部分は〔 〕の中へ推定の字句を挿入しておいた。
本文には各編ごとに「日本帝国憲法」というタイトルが付してあったので繁をいとわずそのまま収録した。  
各条文については全くナンバーが付されていないが、利用者の便宜を考え、それぞれの条文の頭に数字を付し、 通し番号をつけた。





(私論.私見)