戦後憲法前文と9条の論理構造考その2

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).4.16日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「戦後憲法前文と9条の論理構造考その2」として主に8.15終戦記念日に於ける不戦の誓いとの絡みを考察する。

 2015.08.23日 れんだいこ拝



【戦後憲法前文と9条の論理構造考その2の1、無謀戦争論考】
 2015年の安倍政権下での自衛隊の人身御供派兵推進法案の国会上程、その審議過程での久方ぶりの国会包囲デモの活性化、そのさ中での8.6広島原爆投下命日追悼集会、8.9長崎原爆投下命日追悼集会、8.15終戦記念日を経て、1週間経過している。今年のれんだいこは特に「従来式の反戦平和論の陥穽」が気になっており未だに燻り続けている。これを考察し発信しておく。誰か共認得心せんか。

 今年は「戦後70年」と云うことでもありマスコミの大東亜戦争フィルムの記事、放映が盛んであった。8.15終戦記念日には安倍談話が発表され、ここに至るまでの喧騒、発表後の談話評価を廻る喧騒も続いている。それはそれとして、れんだいこは、そこでの論調が気になって仕方ない。そこで、戦後憲法に結実した憲法前文と9条の規定の再確認、それによる世上での反戦平和論との齟齬的なズレを確認し、憲法前文と9条の規定方向での反戦平和論にシフト替えさせようと思う。なぜなら、憲法前文と9条の規定の反戦平和論こそが真正の積極的平和主義であり、世上の反戦平和論は戦勝国仕立ての敗戦国用反戦平和論に過ぎないと思うからである。もっとも重なっている部分もあるので、世上の反戦平和論を一概に否定しようとは思わない。憲法前文と9条の規定の反戦平和論に立脚し直そうと思うばかりである。

 付言しておけば、安倍政権下の積極的平和主義なるものとしての論はペテン師詐欺師の弁であり、気色悪いものでしかない。目下の政治を操るのは国際ユダ屋であるからして、積極的平和主義も当然に彼らの産物である。この連中に掛かると全てが逆転する。即ち、戦争するのに平和の為にと口実する。文化を守るの口実で破壊する、財政を再建するの口実で余計に悪化させる、景気浮揚の口実で不況にする、医療の名目で薬漬けにする、教育の名目で白痴にする、人口減対策として女性の社会進出を図る云々と果たしなく続くので止めるが、こういう口を鍛えるのを生業としている。政治を征事に転換しているのであろう。

 我々は、名は体を表わし体は的確な名を付けられることで一般に認知され用語として定着する社会に生息してきている。これに何ら問題はないので今後もそあるべきであろう。但し、国際ユダ屋の造語する弁は逆で、名は体の逆を表わし体は逆の名を付けられるマジック性を常態としている。こういう社会になると精神奇形なしには生きられまい。こういうことをなぜくどく云うかと言うと反戦平和論然りであるからである。憲法前文と9条の規定の反戦平和論は真っ当なものである。世上の反戦平和論の過半と積極的平和主義の名の下での好戦論は典型的な国際ユダ屋陣営の口パクのものである。

 さて、憲法前文と9条の規定に沿って8.15論を生み出してみたい。我々はそういう意味で自前の8.15論を生み出しても良い頃ではなかろうか。お仕着せのものは役に立たない。今年気になったことは、最近の8.15論に「無謀だった論」が目立つことである。「無謀だった論」は果たして反戦平和論に有益だろうか。れんだいこは、戦勝国側の黒幕としての国際ユダ屋に立ち向かったことの反省と今後の恭順を強制されるだけの、本来の反戦平和論とは無縁な有害理論と判じたい。且つ「無謀だった論」は、かっての大東亜戦争の検証を不要にする論に繋がっており、日本帝国主義が豚の子戦略で太らされ、最後に召し取られた過程の実相を隠蔽する役割を果たしていると思う。

 そういう意味で、「無謀だった論」を唱えるのなら、本当に無謀だったのかを検討せねばならない。その為には、当時の日本の帝国主義化過程、日本帝国主義の自立自存過程、経済封鎖過程、日米決戦誘導過程、大東亜戦争突入過程、同戦史、同敗戦、同戦後行政史等々をつぶさに検証せねばならない。決して降伏後の極東軍事法廷裁判の法理と処罰に沿って理解すべきではなかろう。

A級戦犯にせよ、エージェント取引により生き残った他の戦犯に比して応じなかった潔さが見えてくる。靖国神社に合祀されてはいげない理由が見つからない。国策で死した兵士たちを国策神社で追悼してはいけない理由はない。神社が戦争を煽ったとすれば責任はあろうが、祀りの責任があるとさえ思う。

 8.15終戦記念追悼所感に於いての私の異和感の正体が分かった。世上のそれは戦勝国側の戦史総括であり反戦平和運動までそれの影響を受けている。私が欲しているのは敗戦国側からの戦史ジハード総括であり、結果としての不戦の誓いである。「無謀な戦争論」など入り込む余地はない。そこが違うんだな

 安倍式「平和の為の戦争論」なぞウソの塊として排斥し、それに効する為の真の反戦不戦の論理を打ち出したい。「無謀な戦争論」による不戦反戦は役に立たない。中曽根もナベツネも小泉も安倍も社会党も共産党もこれにシフトしているが、何かのテキストの口移しではないのかと疑っているんだな。

 8.15追悼の「無謀な戦争論」に違和感がある。もう何度も申し上げているが戦後憲法の不戦条項は「無謀な戦争論」を経由せずに「ノーモア戦争」の論理を打ち出している。安倍式「平和の為の戦争論」とは真反対の論理論法である。「無謀な戦争論」も臭い論理である。私は憲法の規定に従いたいと思う。


【戦後憲法前文と9条の論理構造考その2の2、侵略謝罪論考】
 無謀戦争論に続いて侵略謝罪論を考察しておく。これに関しては、少なくとも日本が祖国の地を離れたところの外地に赴いて占領統治している以上、侵略用語を宛がわざるを得まいと云う点では同意しておく。但し、そこで思考を停止してはならないのではなかろうか。歴史は当時の動態の中で検証されねばならない。当時の世界植民地化時代に於いて、僅かに日本が介在する極東アジアのみが植民地の難を逃れ、その日本が台湾、朝鮮、中国に影響を及ぼしていた。日本がそれらの外地に派兵しなかった場合、台湾、朝鮮、中国は自らの手で自立自存の独立国家を形成し得ていたのだろうか。実際にはインドシナの例の如く欧米列強の分割統治支配に身を任されるようになっていたのではなかろうか。

 こう問わねばなるまい。それは何も日本統治を正当化しようとする意図ではない。論として、かく問わねばならないと申し上げている。しかして、日本の侵略謝罪は続いている。続けさせられている。しかし、ならば、西欧列強の侵略謝罪は何故に免れるのか。俗に云う片手落ちではないのか。

 というようなことから、本来は韓国、北朝鮮、中国、台湾間に「侵略かもしれないが、そうとも言い切れない複雑多局な様相での戦史総括」が生まれても良いと思うんだな。  

 しかしそれは安倍はんの愛嬌であって石破はんみたいなゴリゴリで兵役拒否禁固百年刑なんてムチで打たれ続けられたらこれも適わん。結局は民度に似合いの政権で首相つう訳なんだろうな。但しこの仮説の正しさを測る前に、議員が正確に投票で選ばれているのかムサシマシーンによるのかはっきりさせたい。

 安倍はんの口は忙しい。8.15、8.9、8.6ではそれなりの、韓国、中国、アメリカ、イスラエルへ行けばそれなりの相応しい挨拶をする。で何か芯が通っていうるのかと云うとそうでもない。昔から芯なくば立たずと云うのにな。思うに戦争求めるのも平和の為にと云う調法口があるから云えるんだな。


 敗戦→臥薪嘗胆→不戦の思想回路。新たな国体。

【幣原喜重郎外相証言】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK224」の飯岡助五郎氏の2017 年 4 月 26日付投稿「幣原首相の9条構想➡原子爆弾という武力を世界警察のみが持ち、国々はハンズアップで戦争放棄➡世界平和」。
 http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou-text.html

 昭和三十九年二月

 幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情についてー平野三郎氏記―

 憲法調査会事務局


 はしがき

 この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

 昭和三十九年二月 憲法調査会事務局

 第一部

 私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬である。同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。その内容については、その後間もなくメモを作成したのであるが、以下は、そのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。なお、当日の幣原先生のお話の内拘(ママ)については、このメモにもあるように、幣原先生から口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにしたのである。

 ◆問◆
 かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから是非うけたまわり度いと存じます。実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。

 ■答■
 いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。

 ◆問◆ 
 そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうするという訳なのですか。

 ■答■ 
 それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。

 ◆問◆ 
 死中に活と言いますと … … …

 ■答■ 
 たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものが出来た以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

 ◆問◆
 しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

 ■答■ 
 そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。

 それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少くも★「各国の交戦権を制限し得る集中した武力」がなければ世界の平和は保たれないからである。凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその★「武力は一個に統一」されなければならない。二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。すなわち戦争をなくするための基本的条件は★「武力の統一」であって、例えば或る協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、★「国際的に管理された武力」が存在し、それに反対して結束するかもしれない★「如何なる武力の組み合せよりも強力」である、というような世界である。

 そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などもそうであったが、何より記録的な世界政府を作った者は日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。この例は平和をを維持する唯一の手段が★「武力の統一」であることを示している。

 要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際的機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、その同盟が★「国際的に統一された武力」を所有して世界警察としての行為を行う外はない。このことは理論的には昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。しかし★「原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋がきた」と僕は信じた訳だ。

 ◆問◆
 それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。

 ■答■ 
 そこだよ、君。負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。君の言う通り、正にそうだ。しかし負けた日本だからこそ出来ることなのだ。

 恐らく世界にはもう大戦争はあるまい。勿論、戦争の危険は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。

 したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその最後の理想に到達するかということにある。人類は有史以来最大の危機を通過する訳だが、その間どんなことが起るか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その成否は一に軍縮にかかっているということだ。若しも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起るだろう。既に言った通り、軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。常に相手より少しでも優越した状態に己れを位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る。すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないと言う恐るべき不安状態の連続になるのである。

 そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない。交渉に当たる者に与えられる任務は如何にして相手を偽瞞するかにある。国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。虚々実々千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性などは初めからないものなのだ。

 原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。だが交渉の行われている合間にも各国はその兵器の増強に狂奔するだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。不信と猜疑がなくならない限り、それは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。

 そのような瀬戸際に追いつめれても各国はなお異口同音に言うだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。それは分っている。分ってはいるがどうしたらいいのだ。自衛のためには力が必要だ。相手がやることは自分もやらねばならぬ。相手が持つものは自分も持たねばならぬ。その結果がどうなるか。そんなことは分らない。自分だけではない。誰にも分らないことである。とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。責任は自分にはない。どんなことが起ろうと、責任は凡て相手方にあるのだ。

 果てしない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景 ― それが軍拡競争の果ての姿であろう。

 要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。一、二、三の掛声もろとも凡ての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。勿論不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら ー

 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。

 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。

 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。

 日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、★「原子爆弾という武力」は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。

 ◆問◆ 
 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下の処は差当り問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実を設けて侵略してきたらです。

 答 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然も次の戦争は今までとは訳が違う。

 僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。殊に世界の一員として将来世界警察への分担負担は当然負わなければならない。しかし★「強大な武力」と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論に依って裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。若し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依て脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力に依て我国の安全を護るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。

 ◆問◆
 よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。尤も草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

 ■答■ 
 そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。

 幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。

 この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

 豪州その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。

 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。

 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

 ◆問◆
 元帥は簡単に承知されたのですか。

 ■答■
 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。

 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。

 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くか。

 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現も亦ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たし得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである。貴下さえ賛成するなら、現段階に於ける日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある。歴史のこの偶然を今こそ利用する秋である。そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。

 また日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際あり得る。しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。未来を約束するものは、絶えず新しい思想に向って創造発展して行く道だけである。共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかの如く考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史の彼方に埋没して終うだろう。現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。それと同様に共産主義のイデオロギーも何れ全く変貌して終うだろう。何れにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。このことはやがてロシア人も気づくだろう。彼らの敵もアメリカでもなく資本主義でもないのである。世界の共通の敵は戦争それ自体である。

 ◆問◆
 天皇陛下は憲法についてどう考えておかれるのですか。

 ■答■
 僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案を持って天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。僕は元帥と会うときは何時も二人切りだったが、陛下のときは吉田君にも立ち会って貰った。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、と言われた。この英断で閣議も納まった。終戦の御前会議のときも陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。若しあのとき天皇が権力に固執されたらどうなっていたか。恐らく今日天皇はなかったであろう。日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。当初の戦犯リストには冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのは元帥であった。だが元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。天皇は己れを捨てて国民を救おうとされたのであったが、それに依て天皇制をも救われたのである。天皇は誠に英明であった。

 正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。危機一髪であったと言えるが、結果に於いて僕は満足し喜んでいる。なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君からきかれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。


 令和5年4月17日(月) 「水野延子フェイスブック」より。
 故・加古藤市先生の神のみ教えのお伝えが 皆さまのお陰様でどんどん伝わっています❤️ ありがとうございます❤️

 (昭和4年2月16日~平成30年4月9日)

 《日本国憲法第一条と九条は天皇家の御位と靖国の御霊魂そのものであります》

 昭和20年4月12日、神祇の神(伊勢の神)の裁定が下された昭和天皇は『後始末の出来ぬ放射能を撒き散らす核原子戦争に入らぬ様に、戦争を中止させよ』の御詞があり、杉山元帥を宮中にお呼びに成られ、日本国軍が押し進めて居る原子爆弾の製造を直ちに中止させ、即刻、停戦の詔勅を出さんとされるものでありましたが、今、朕が無条件降伏する事は安けれど、明治・大正・昭和の三代に渡り、仕手来た戦争が総て他国の領土でした戦争なれば、総ての戦争が侵略戦争であったと言われ、その侵略戦争に天皇の名の下に呼び出された勇敢に死に逝きし靖国の御霊魂の総てが犬死にとなるのでは 降伏もままならず、途方に暮れる日々の中に、初代の伊邪那岐尊がお出ましになり、『戦争に殉死して逝く勇士たちが何と言って息氣絶えて逝ったかを知るが良い』との御詞に「はっ」と昭和天皇はお気付きになられ 、その戦争殉難者の御霊魂の声をお聞きになれば、『この様な戦争で親子・兄弟・夫婦・友人が死に別れて逝く事は我らだけでよい。二度と戦争のない国が、世界が望(ほ)しい』と叫び息氣絶えて逝く兵士の姿を観せられた時、その靖国の御霊魂の意志(こころ)を元に、初代伊邪那岐尊、伊邪那身命が、天の巌戸を出られるとき、熱田の生産(しょうぶ)の神との約束、戦争のない世界の国造りの為に [例えどんなに苦しく辛くても、あくまでもお互いに良く話し合い、共々に賛助し合い、絶対に争い戦いは致さぬを誓う御難賛助の御誓約(うけひ)を、昭和天皇が改めてお受け留めになれば、皇祖皇宗の御霊魂が、日本国憲法第一条に天皇家の御位をお定めに成り、靖国の御霊魂を犬死にから救う為に戦争のない国、世界を[熱田の生産の神]が納め置かれたのが日本国憲法第九条で御座います。それ故に、この日本家憲法第一条と第九は生命生産出し[熱田の生産の神]の大御意志であり靖国の御霊魂そのもので御座います。日本国憲法第九条の改定は赦されるものではないので御座います。然るにこの度、熱田の生産の神のお膝元、名古屋高裁より、イラクへの自衛隊の派遣は憲法違反であると判決が下されたので御座います。

 平成20年4月29日 昭和の日 ㊗️の資料より引用 令和5年4月17日(月)
 三代目 東核芒種大伝道師 加古藤市

 ✴︎ 今日も神よりの御啓示
[世界平和神宮院]竝宮[昭和神宮]を愛知県名古屋市緑区大高町日神山熱田神宮の元宮[氷上姉子神社]日本長尊が[民草和氣(くさなぎ)の剣](二度争い戦いは致さぬ誓いの剣)を納められた地に建立せよ❗️に従い頂きました。生命界地球の歴史・日ノ本の歴史が綴られた[御身生れ(みあれ)祝詞]を奏上させて祈願致します。合掌
(私論.私見)
 こういう観点からの護憲論、憲法9条擁護論がある。れんだいこの昭和天皇論とは食い違うが、まま参考になる。




(私論.私見)