れんだいこの歴史眼歴史観による「戦後政治論、戦後政治の真の抗争劇を観る」
−果たして為になるや否や−

 (最新見直し2006.9.22日) (これもまだ見せるほどのできではないが)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 政界再々編成機運が醸し出されており、ここら辺りで戦後政治の質に対してれんだいこ流の分析をして世に問いたい。市井の戦後政治論は、単に政権分析論であったり、政策論であったり、政党論であったり、国際政治論であったりするに過ぎない。それはれんだいこを納得させない。なぜなら、それらをいくら読んでも政局渦中で何を為すべきかが見えてこないから。それは、何が問われ闘われているのかの分析になっていない平面分析に過ぎないからであるように思われる。

 一体、戦後政治を動かすベクトルの基調は何なのか。政治を志す者はここを踏まえておかないと盲目では無かろうか。せいぜい小泉首相的蛮勇で事態を悪化させるだけに過ぎない。それを単に批判するだけに過ぎない。あるいは実を結ばない徒手空拳運動に時日を費やすに過ぎない。

 歴史には渦中では判断できず、一定の時代経ることによってはじめて見えてくるものがある。とはいえ、これをキャッチできるかどうかが至難の業で、凡百千万の者はいくら知識を積み上げても把握できない。ここに歴史家の眼というものが尊重される所以がある。もっとも、歴史家と云えども凡百千万の者にはこの眼が備えられない。歴史を読み取ることはそれほど難しい。

 逆に、これを読み取ることができたらこれを総括することにより対自化させ、いわゆる歴史観を獲得することができる。この歴史観によって現況の中から護るべきもの、育てるべきもの、創造すべきもの、逆に抑制すべきもの、打倒すべきもの、妥協すべきもの等々が見えてくる。そうして初めて向自的に政策に運動圏に反映させていくことができる。凡そ、歴史の進歩とはこういう作業によって担われているのではなかろうか。

 そういう意味で「革命的理論なければ革命的運動無し」は正しい。逆に云えば、リアリズムを欠いた理論はそれを欠けば欠くほど空理空論になる。目下の政治の貧困は、右も左もこの状態に陥っていることに原因があるように思われる。れんだいこはかく理解し、以下、れんだいこの歴史眼歴史観に基づくれんだいこ自身は正調と認識する「戦後政治論」に着手する。

 2004.7.7日 れんだいこ拝


関連サイト 戦後政治史検証 れんだいこの戦後民主主義賛辞考

目次

 れんだいこ論文「戦後という時代の質を考え直そう」。
 【御用マスコミ評論では分からない戦後政治の真の抗争劇】
【その1、戦後政治の大枠、タガ嵌めの俯瞰図について
【その2、「ハト派元祖吉田ドクトリン」の形成】
【その3、タカ派元祖鳩山の登場と自由民主党の誕生考】
【その4、岸ドクトリンの登場と二大ドクトリンの抗争考】
【その5、日本左派運動の支離滅裂考】
【その6、ハト派の主流派時代考】
【その7、ハト派対タカ派の死闘時代考】
【その8、タカ派主流派時代の幕開け考】
【その9、矮小政権時代考】
【その10、細川政権考】
【細川政権誕生劇(細川政変)検証】
【その11、元の木阿弥時代考】
【その12、小泉政権考】
その13、安倍政権考
その14、福田政権考
【その15、苦節十年考】
連立政権史考
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戦後党史論
俵孝太郎著「戦後首相論」のれんだいこ書評
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