新版/福本邦雄の政界裏証言

 (最新見直し2010.05.23日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2004.4.25日再編集 れんだいこ拝


 2006年09月02日、「政界最後の黒幕 福本邦雄が語った自民党のカネ」。

 福本邦雄は、1927年生まれ。父は戦前の共産党指導者、福本和夫。共産党時代の縁繋がりの水野成夫の線で、自民党の有力者・椎名悦三郎の秘書となり政界に黒い人脈をつくる。1965年に画廊「フジアート」を開き、絵画ビジネスを看板に政財界、歴代政権に食い込む。この会社は、もちろんフジサンケイグループだ。同じグループには、あの戦犯瀬島龍三が代表を務める「財団法人 日本美術協会」もある……。企業が画商から絵を数点購入する。画商は領収証を発行して企業に納入するが、うち数点を秘かに政治家に渡す。この間に絵は値上がりする。政治家は必要に応じて絵を売って政治資金を捻出する。(以上、別冊宝島『日本黒幕列伝』より)

 このからくりによって、バブルの頃、福本は途方もないカネを「名画」として政治家や官僚にバラマキ、暗躍する。竹下政権の成立にからんだ40億円の金屏風事件(竹下の秘書が自殺)、中尾建設大臣収賄の共犯として逮捕されるが、起訴猶予となったのが有名。人望のないバカ竹下の相談相手となり、その子分の小渕は「おい、小渕」と呼び捨てであった。その内閣の顔触れも、ほとんどが福本が決めたと言われている。
 そんな福本が、田原の雑誌『オフレコ』3号のインタビューに答えた。以下、インタビューで興味深い話を箇条書きで……

●椎名は岸内閣の官房長官であったが、彼に言わせれば、シンゾーが実父より尊敬しているA級戦犯首相の岸は、シンゾーと同じ官房長官の器。非常に細かい神経たかりで、マスコミの評判は悪かったと。うかつに近寄れば言いくるめられるので、距離を置いて接しよ。福本はそう云われた。

●60年安保国会デモで樺美智子さんが亡くなったとき、福田は死を悼む声明文をサンケイの吉村に書かせ、椎名に進言したら、時の通産相の池田勇人と蔵相の佐藤栄作に潰されてしまう。

●中曽根は「いつどう変わるかわからない男」。椎名は中曽根を嫌っており、彼が官房長官時代から、ナベツネとつるんでしょっちゅう来ていた。

●中曽根の民営化路線は、大平さんの秘書官だった娘婿の森田一と、そういう連中(60年安保全学連)が集まって、(大平が死んだので)中曽根にブレーンを引き継がせた。野村證券が中心となって財界に声をかけ、中曽根に売り渡された。中曽根康弘はそもそもカネを持っていない、だから、民活をやって、カネを導く仕組を作った。トヨタなんかには相手にされないから、そういう無理をするしかない。それで働いたのが、秩父セメントの諸井だ。

●不沈空母発言の際、最近タカ派コメンテータでテレビに出ている岡崎久彦、当時タイの大使をやっていた。あいつがまたいい加減な男でね。文章はうまいんだけど、いいかげんな男で、その時に口火を切って「ともかくにほんの空母をここに置いて、それでP3C(対潜哨戒機)と潜水艦をこことここに配置しておけば、三海峡封鎖ができるんだ」と言ったんだ。それでね。私は「お前さんね、ここには元共産党もいるんだよ。そんな者の前で地図を広げるんじゃねえ。なにを考えているんだ。そんなことは中曽根とサシでやれ」と言ったら、岡崎は黙っちゃった。

●田中角栄はカネの渡し方が凄い。普通なら100万円のところを300万円。しかも野党なんかに渡すときには、相手のプライドを傷つけないことに専念していた。中曽根は田中角栄からちゃんとカネが届くし、(ロッキード事件の実刑判決で自民党を)辞めてくれなんて言える関係じゃない。田中のおカネは単位が違う。中曽根はだいたいカネもってないんだ。田中と「朋友」と言われている大平。しかし、心の中ではお互い許していない。

●リクルート事件、あれは藤波孝生。それから中曽根の秘書の筑比地康夫と江副浩正。彼らが段取りをつけた。リクルートのカネは、いちばん多く渡ったのが福田赳夫さんじゃないか。その次が安倍晋太郎でしょう。竹下はほんの一部。佐川急便の渡辺広康と牛尾治朗とか安倍を取り巻く連中。それの合作じゃないか。

●竹下は、本を読まない。「お前さんね、本読まないから、だから、経世会ってのはみんな無学で、みんな必死に出世ばっかり考える。利権を考えて、利益誘導だけを考えているじゃないか。お前さん、今度サミットに行くんだから、せめてこれでも読んでおいたら」と言って、勝田のオヤジ(日本債権信用銀行頭取)が書いた『重臣たちの昭和史』を渡したんだ。「コレいい本だから、飛行機の中で読めよ」と帰ってきてから「読んだか」と聞いたら読んでない。全然読まんのよ。その竹下は、コロンビア大学の名誉教授になっている! それもこれもトヨタの力添え。全部トヨタに世話になっている。

 福本は60年安保の頃の自民党がいちばん勢いがあった、という。「やっぱり真剣に対決するということがあった。今は労働組合も、なんかあるのかないのかわからない。抵抗勢力がない。それで公明党頼りでしょ。社会党を潰しちゃったでしょ」。

福本 (親父の秘書官のときから)知ってます。あのね、遊び上手な人ですよ。オヤジと一緒に、しょっちゅう会っていたの。銀座のジュンというバーです。遊び上手でよくピアノを弾いたりなんかしていましたよ。

田原 安倍晋太郎さんも、そんなのが好きだったんですか?

福本 好きよ。そのバーには、佐川がしょっちゅう来てた。佐川急便の渡辺正康が。安倍晋三は、そういう人だから。非常にハンサムだし、まあ人当たりは悪くないけど、まわりが誰もいない。群がってるやつは多いけれどね。
 本と酒とサッカーの日々

 『表舞台 裏舞台 福本邦雄回顧録』福本邦雄、伊藤隆、御厨貴

 福本イズムの福本和夫の長男として生まれ、戦前の共産党で一高からの直系の子分だった水野成夫(フジサンケイグループの創始者)に拾われて産経新聞に入り、なぜか岸信介内閣の椎名悦三郎官房長官の秘書に請われて就任し、以後、政商として政治の裏舞台で活躍した福本邦雄氏のオーラルヒストリーを例によって伊藤隆、御厨貴の「隆・貴コンビ」がまとめた本。

 いつもながら「隆・貴コンビ」の本は面白すぎですな。

 福本和夫は息子が岸内閣の秘書官として入る時に「反動岸内閣ノ秘書官に息子ヲスルコト絶対反対 福本和夫」という電報を打ってきたそうですが、文面とは裏腹に、岸・椎名という統制官僚といいますか戦前の新官僚は本当に左翼チックというか、左翼の最良の部分を使って日本の経営をやっていこうという作風があったんじゃないかと思います。

 自民党というのは本当に面白い歴史を持っていると思うのですが、いろいろ岸内閣の本も読んできて、わからなかった部分で、岸さんが右翼に刺されたという事件があったのですが、これについて《大野との密約ー政権委譲の密約を果たさなかったので、大野に近いところの右翼が、それに抗議するために一撃を加えたんだ、と。ただし、これは職業的な右翼だから、ともかく致命傷は与えなかった》(p.42)というのが本に書かれたのは初めてなんじゃないでしょうかね。

 福本邦雄さんの自民党史を観る目というのはハッキリしていて、それはローレンツ『攻撃』から採ってきた《闘争というのは、何よりもまず、縁の近いもの同志の競争に始まる》《同じ派閥もしくは近縁の派閥ほど、激しく闘い合うのではないか》(p.85)というものです。まあ、内ゲバがなくならないのは、こういうところなのかもしれませんな。吉田から池田、佐藤と分かれ、佐藤派は福田派と田中派に分かれて争うなんていう動きをみると、まさにそうですわわな。

 また、福田・大平が争った総裁選では中曽根氏もけっこう票をとっているんですが、これに関して、田中角栄元首相は《中曽根に手を伸ばしていた》(p.111)というんですから、あの人の構想力はたいしたもんですねぇ。そして内閣は《外敵からの攻撃によってではなくて、内部から(内閣は)崩壊するんですね》(p.115)という見方は説得力あります。

 安倍首相のオヤジさんである安倍晋太郎氏から呼ばれて、なんで中曽根氏から指名がなかったのか、そのワケを聞かせてくれと云われた時に《スターリンを見てみなさい。なぜ、あれだけ才能豊かなトロツキーが追放されて、スターリンみたいな者が党を握って、国を誤らせたか。これを見れば分かるじゃないか。組織の掌握がどれだけ必要か》(p.13)というのは元左翼ならではの説教ですね。美しい国の首相にもこんな説教を垂れてくれる元左翼崩れみたいなのがいればいいんですが、ちゃんと塩崎さんは教育してるのかな…。

 また、福本さんは竹下元首相にも肩入れしていたんですが、農地解放や山林解放に奔走した島根時代の竹下さんに関して《やや、社会主義的なところがあるんだ》(p.191)というのは納得的な見方でした。竹下さんが社会党の面倒を見ていたというのも、そういうノスタルジアもあったのかな、みたいな。

 しかし、その竹下派の動きに関して、理念がなかったから、結局、クーデターのように人が代替わりしていった(例えばエジプトのナセル、サダト、ムバラクみたいに)というのは面白い見方でしたね(p.198)。

 また、財界総理といわれた小林中(コバチュー)日本開発銀行総裁などが中心となった戦後の財界グループに関して、旧財閥グループに傑出した人物がいなくなったのと、大企業の雇サラリーマン社長では財界の世話なんかができなかったので、《何か日本資本主義の「鬼っ子」みたいな、この連中が世話役として、調整役として、特異な役割を持つに至った》(p.247)という分析もなるほどな、と。

 椎名さんの岸信介に対する「迂闊に近寄れば言いくるめられてヒドイ目に遭うので距離を置いて接した方がいい」という評価は面白かったですな。また、安保国会を運営を捌いた川島正次郎副総裁をジョゼフ・フーシェにたとえた話なんかもなるほどな、と。

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 ★これだけ疑惑に包まれた亀井静香政調会長を特捜部はなぜ逮捕できないのか ★旧態依然、大蔵主導の予算編成の背景に森首相の無能と将来ビジョンの欠落 ★【新連載】平成のお家騒動/企業担当者の流行語「雪印型ズサン危機管理
 これだけ疑惑に包まれた亀井静香政調会長を特捜部はなぜ逮捕できないのか 初公開「亀鑑会」極秘リストの衝撃。経済ジャーナリスト 中野 忠良  7月21日、表の顔は“画商”で、裏の顔は政財界を股にかけた“フィクサ ー”の福本邦雄(73)が、受託収賄罪で逮捕された中尾栄一元建設(70)の共犯として逮捕された。
福本の父親・和雄は京大教授で、戦前は“福本イズム”で知られたマルキス ト。財界四天皇と唱われたサンケイ新聞社長の水野成夫、国策パルプ会長をつ とめた南喜一氏らがその弟子で政財界に知られた存在だった。息子の福本邦雄は椎名悦三郎官房長官の秘書から中曽根康弘元首相、宮沢喜一蔵相、竹下登元首相らの政治団体代表をつとめた。とくに竹下元首相との関係を軸に“フィクサー”業をやり、97年6月には 「三宝会」という政財官界とマスコミ関係者の集まる交流会を発足させ、竹 下、小渕恵三、亀井静香、中尾栄一らが出席してスピーチをやった。亀井静香自民党政調会長は「私は、福本学校というか、福本牢の中の一人」 と吹聴するほど、その関係を誇示していた。

◆福本邦雄が作った亀井静香議員を囲む会  福本がダーティな顔をのぞかせるようになったのは“イトマン事件”から で、主犯の許永中が乗っ取りに成功した「KBS京都」の社長に就任、竹下の 娘婿・内藤武宣も同社の役員に名を連ねた。  だが、福本は竹下が疑惑につつまれた“金屏風事件”で既に司直の捜査対象 になっており、竹下疑惑と住友銀行に関する不祥事件では当局からマークされ てきた。  そして今回とうとう年貢の納め時が来たわけだが、地検特捜部長・笠間治雄 氏が狙っているのは、中尾栄一の受託収賄事件が本命ではなく、許永中、亀井 静香、ラインの一大汚職事件の立件だろう。  「キチンとした裏付けが必要です。証拠が挙がればやりますよ。誰だろうと やります」  と笠間部長はキッパリ語っている。そこで笠間部長に証拠に一つとして、福 本邦雄が作った亀井静香議員を囲む会「亀鑑会」の極秘リストを提供する。 「亀鑑会」メンバー。星浩(朝日・編集委員)近藤憲明(毎日・編集委員)高 橋利行(読売・編集局次長)岡崎守恭(日経・編集局次長)後藤謙次(共同・ 編集委員)平本和生(TBS報道局長)普勝清治(全日空相談役)相原宏(三 菱商事副社長)花崎淑夫(JR東日本常務)勝栄二郎(大蔵省官房秘書課長) 小野邦久(建設省事務次官)。読売の高橋氏とTBSの平本氏が世話人。  なかなか興味ある顔ぶれではないか。一人一人洗っていけば、これまで“藪 の中”だった疑惑の事件が解明できるのではないか


 


2006.10.14(その1)
森田実の言わねばならぬ[427]

安倍内閣への徹底批判【9】
岸信介元首相と安倍晋三現首相の「黒を白と言いくるめる」真理なき弁舌

「機械あるものは必ず機事あり」(『荘子』)
[巧妙なからくりをもつ道具を用いるような者は、必ず巧みなからくりごとをするので油断ならないということ(『成語大辞苑』、主婦と生活社刊より引用)]


 本格的な岸信介論は改めて行うつもりだが、岸信介という政治家を一言でいえば、「知恵過剰・モラル欠如」の政治家だった、というのが私の基本的評価である。安倍首相は岸首相ほど「知恵過剰」ではないが、「モラル欠如」は共通している。安倍氏の最近の国会答弁の詭弁はひどすぎる。
 アリストテレスは、指導者のもつべき資質として「知的卓越性」と「倫理的卓越性」の二つをあげた。両方をもつのがよいのである。私は、政治家にあっては、どちらかといえば「倫理的卓越性」がやや多いほうがよいと考えている。
 岸信介は「知的倫理性」は豊富にもっていたが、「倫理的卓越性」には欠けていた。
 最近、マスコミと御用学者は岸信介を偉大な宰相だったと高く評価しているが、これはほとんどジョークに等しい愚行である。国家権力の一部となったマスコミと御用学者はどうしようもないほど愚かである。

 安倍首相は自著『美しい国へ』のなかでこう述べている。
 《安保条約が自然成立する前の日の一九六〇年六月十八日、国会と官邸は、いく重にもつらなった三十三万人におよぶデモ隊に囲まれた。
 官邸に閉じ込められた祖父は、大叔父(佐藤栄作・当時大蔵大臣)とふたりでワインを飲みながら「わたしは、けっして間違ってはいない。殺されるなら本望だ」と、死を意識したというが、調印の後の改定作業にはいってからも、社会党をはじめとする反対勢力は、国会内外で反対闘争を激化させていた。
 当時は、わたしはまだ六歳、小学校に入る前である。わたしには、二歳ちがいの兄がいるが、二人とも祖父にはとても可愛がられていた。祖父の家は、東京・渋谷の南平台にあって、わたしたちはしょっちゅう遊ぴにいっていた。
 しかしそこも、しばしばデモ隊に取り囲まれることがあった。「アンポ、ハンターイー!」のシュプレヒコールが繰り返され、石やねじって火をつけた新聞紙が投げ込まれた。当時衆議院議員だった父もそこに詰めていたが、外に出ることができない祖父は、退屈すると、わたしたちを呼びよせた。》
 《祖父はこのとき、この片務的な条約を対等にちかい条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていたのである。いまから思えば、日米関係を強化しながら、日本の自立を実現するという、政治家として当時考えうる、きわめて現実的な対応であった。
 祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。
 間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった。》

 人が自分の家族、父や祖父を愛し尊敬することは当然のことである。
 だが、世間が間違ったことを信じている場合、言論の仕事にあたる者は、批判しなければならない。岸信介首相は「安保国会」の審議で、筋の通らない詭弁を繰り返した。非常識な発言を繰り返した。最近の安倍首相の詭弁を聞いていて岸首相を思い出した。どちらかといえば、安倍首相のほうがひどい。

 安倍氏が描いた岸信介像を否定する発言がある。それは「政界最後のフィクサー」といわれる福本邦雄氏(元椎名悦三郎官房長官秘書)の『オフレコ!』2006vol.3(2006.9.8刊)における発言である。
 【福本邦雄(ふくもと・くにお)1927年、第二次共産党結党時の理論的指導者で党中央委員・政治部長だった福本和夫の長男に生まれる。51年、産経新聞入社。記者兼研究員として勤務。59年、第二次岸内閣の椎名悦三郎内閣官房長官の秘書官に出向。61年に独立、フジコンサルタント、フジ出版社、フジ・アートを経営】

 《(椎名悦三郎官房長官は)非常に茫洋とした人で、後藤新平の親戚に当たるんだけど、後藤新平に似て、豪放緻密な人でしたね。》
 《豪放でいながら緻密なんだ。だから椎名も、後藤とちょっと似通ったところがある。それで岸さんと椎名の関係ですが、岸さんのことを、あんまり買っていなかったんですよ、じつは椎名は。》
 《(椎名は岸の後輩だが、椎名は岸を)ずっと下に見ていた。椎名が僕に言ったことは「ともかく岸さんは黒いことを白くしたり、白いことを黒く言ったり、そういうことは名人だ」と。》
 《とってもそれはかなわない。うかつに岸に接近すると、万事、言いくるめられちゃう。だから、ある距離をおいて接しなきゃいけない。そういう態度でしたね。》
 《だから、むしろ総理は自分のほうがふさわしくて、岸は官房長官なんです。》
 《そりゃね、見ているとそういう感じなんです、たしかに。岸は非常に細かい。弁舌も立つ。白を黒と言い含める。そういうことの達人でね。その代わり、マスコミの評判はきわめて悪かった。》
 《あんまり細か過ぎるし、面倒を見ているわりに人が心服してない。》
 《椎名はね、兄弟分で長いあいだ商工畑で一緒にきたから、岸の言うことは聞かなきゃならないし、その方針にも従わなければならない。けれども、まあ、あんまり真剣になって取り組むのもバカらしいと、シラけたところもあった。》

 「政界最後のフィクサー」福本邦雄氏の証言である。
 マスコミ界での安倍首相の評判は岸首相よりはるかに高い。しかしこの原因は、マスコミが政治権力の手先になってしまったことにある。当時は、マスコミは政治権力を批判していた。この違いが原因である。
 岸時代を知っている世代から見ると、岸氏は、知恵と腕力はあったが、倫理と理想に欠けた宰相だった。岸とは対照的な政治家が石橋湛山だった。石橋湛山が病気で倒れたことは、日本の大損失だった。安倍晋三首相が岸信介政治を継承するとすれば、日本国民にとって、これほど不幸なことはないと私は思う。〈岸信介論は改めて書く予定です〉


 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK41」の天木ファン 氏の2007 年 9 月 09 日付投稿「旧社会党の政治家たちよ、この福本の言葉を何と聞く(天木直人のブログ 9/9)」。

 旧社会党の政治家たちよ、この福本の言葉を何と聞く


   朝日新聞土曜版に福本邦雄という画廊会長(フジインターナショナルアート会長)の逆風満帆という連載がある。その9月8日連載④に、興味あるくだりを見つけた。
   因みに、この福本という人物は、知る人ぞ知る戦後政治の日本の黒幕の一人である。父はかつての日本共産党指導者の一人福本和夫であり、自らも共産党員であったが、除名された後一転してフジサンケイグループに入り、岸内閣の官房長官だった椎名悦三郎の秘書から政治の世界に入った人物である。最近は「表舞台 裏舞台」(講談社)という回顧録を出版して、政治通の間でのベストセラーとなっている。
  その福本が冒頭の朝日新聞紙上で、「長い政界とのかかわりで最も残念に思っていることは何か」と問われ、「社会党を自滅に追い込んでしまったことだ」と語った。この言葉を私は興味深く読んだ。
  野党に転落した自民党が、悪夢を晴らすかのように考え出した「自・社・さ」三党連立の事を鮮やかに思い出す。これはまぎれもなく戦後政治史の大きな出来事であった。
  村山富一をその気にさせようと福本らは懸命の策を弄したという。そして、それが行き過ぎに働いて、連立政権は成功したものの、日本の政治に禍根を残した、と福本は次のように言っているのだ。
 「・・・村山は日米安保を肯定し、自衛隊も認めた。『日の丸』、『君が代』も。時代には合ったが、結局、社会党を窮地に立たせることになった・・・日本は『対米追従』の歯止めの一つを失ったばかりか、右だけを肥大化させ、社会全体の右傾化を著しくさせてしまうことになった・・・」と福本は語った。すなわち自民党の延命には良かったが、日本の政治全体から見たら不幸であったというのだ。その行き着く先が今の政情なのだ。
   福本が皮肉で言っているとしたら傲慢な発言だ。福本が本心で反省しているのならば、存命のうちに福本は革新勢力の再生に尽力すべきではないのか。
   しかし、このブログで私が言いたい事は、そのことではない。一人の政界フクサーにここまで言われるほど自壊した旧社会党の政治家たちにこそ、この福本の言葉を聞いてもらいたいと思ってこのブログを書いた。
   あれから十余年。福本のいうごとく日本の政治状況は保守二大政党時代に加速して行った。三分割された旧社会党の生き残りの政治家たちよ。今一度あの時の総括を自らの手で行なって欲しい。当時はまだ政治家でなかった多くの現社民党の政治家たちよ。自分たちは関係ないと逃げるのではなく、旧社会党がなしえなかった真の革新勢力の実現を自分たちの手で成し遂げる気概を持つべきだ。その努力を必死で行なうべきだ。
  いよいよ明日からテロ特措法延長問題をめぐって自民党と民主党が政権をかけた歴史的攻防をくりひろげようしている。今こそ社民党の出番ではないのか。よもや「壊滅するくらいなら民主党に合流したほうがいい」などと思っているのではないだろうと信じたい。
 
http://www.amakiblog.com/archives/2007/09/09/ 


232106 平成無血革命と歪んだ日米関係①~「三宝会」の系譜と韓満人脈のコネクション
 
猛獣王S HP ( 30代 東京 営業 ) 10/05/23 AM09
『平成無血革命と歪んだ日米関係』(政治評論家、前参議院議員 平野貞夫 vs. 慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇)リンクより転載します。
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 ~前略~

●情報操作をするための陰謀グループ

 ~中略~

藤原 1980年代に電通がメディア工作用に「青の会」を作り、田原総一郎がその幹事役に抜擢されて、学者や評論家を権力の御用に仕立て上げ、メディアの上で派手に活動していました。私が育てた何人かの若い人材に手が伸び、雑誌の座談会やテレビの討論会に、出席する誘いが掛かってきたので調べた。そうしたら、政府の機密費と財界のカネが動いていて、若くて有能でもカネに飢えた人びとが、どんどん引付けられていたのです。
 そういった工作の総元締めは川島広守で、彼は警察庁の警備局長から長官を経て、その後はセントラル・リーグ会長に就任したが、日本のプロ野球は読売の正力松太郎と同じことで、公安警察向けのCIAの指定席なのに、日本人はお人好しだからその仕組みに気づかない。

平野 政府には工作用のカネがあるから、マスコミ対策として色んなことをやっており、内閣の機密費が利用されたようですな。

藤原 1970年前後からこうした動きがあり、文芸春秋社が内調のカネで「諸君」を創刊したが、その担当をしたのが田中健五でした。田中は清水幾太郎を転向させた功労者で、『諸君』、『週刊文春』、『文芸春秋』の編集長を経て、最後には文芸春秋社の社長になっている。だから、『文芸春秋』は政府広報がダントツで、田中の出世の足場は内閣調査室だったが、その使い走りが彼の人生の始まりでした。また、『諸君』や『正論』で名を売った学者が集まって、「政策構想フォーラム」などの組織が発足し、それが大平のブレーンを経て中曽根のブレーン政治になる。そして、1980年代にPHPが「松下政経塾」を生み、「世界平和研」や「笹川財団」などと並んで、平野さんが指摘した「三宝会」が発足するが、発起人の福本邦雄は有名な政界フィクサーでした。

●「三宝会」の系譜と韓満人脈のコネクション

平野 福本和夫は戦前に福本イズムで一世を風靡し、その長男の邦雄は水野成夫に拾われて、産経新聞の記者を経て岸内閣の時代に政界に入り、椎名官房長官の秘書になっています。その後は京都放送の社長や政界フィクサーになり、画商として竹下の金屏風事件を仕掛け、後で中尾栄一建設相の収賄疑獄で逮捕されたが、竹下の利権人脈のキイマン的な人物です。

藤原 言うならば、読売のナベツネや田中清玄みたいな存在ですね。

平野 そんなところです。また、岸信介や椎名悦三郎という満州人脈や、竹下登から政治の裏を指南されたことで、情報操作と錬金術に優れていたらしい。だから、「三宝会」は竹下元首相を最高顧問にして、財界とメディアによって1996年に作られており、野党潰しを目的にして動き出すが、その契機になったのが細川政権の誕生で、狙いは小沢一郎を抹殺することでした。

藤原 どうして小沢一郎に狙いを定めたのですか。

平野 1993年に細川政権が生まれる前段階として、1992年 12月に「改革フォーラム21」が発足したが、中心にいたのが小沢一郎だからです。また、1994年に社会党とさきがけを自民党が取り込み、政権奪還した根回しを竹下がやっており、この時に竹下は小沢を最重要警戒人物と認定し、小沢を封じるための秘密組織を使うことにして、福本邦雄に「三宝会」を作らせたのです。

藤原 『夜明け前の朝日』に詳しく書いたが、竹下は平和相互の小宮山一家や許永中とも繋がり、京阪神の暴力団と密着していたために、イトマン事件や皇民党事件に巻き込まれています。

 ~中略~

平野 「三宝会」には大手企業が参加しているが、法人の年会費が 36万円もしているだけでなく、個人会員の参加費が一万円もかかるのに、新聞では朝日(5人)、日経(3人)、毎日(3人)、読売(3人)、共同(3人)、テレビでは日本(2人)、テレ朝(2人)、フジ(1人)、TBS(1人)、出版では文芸春秋(3人)、講談社(2人)、プレジデント(1人)、選択(1人)、朝日出版(1人)という具合です。また、メディアを代表する世話人としては、高橋利行(読売・世論調査部長)、芹沢洋一(日経・政治部次長)、佐田正樹(朝日・電子電波メディア局長付)、後藤謙次(共同・編集委員)という顔ぶれが並び、こういった人がマスコミ対策を指令しました。

藤原 法人会員の顔ぶれを一瞥したら、韓満人脈の影が私には読み取れますよ。しかも、それが太平洋を越えて戦後の米国人脈になり、岸信介や正力松太郎がCIAに使われて、アメリカの日本支配の手先だったが、この事実は公開された米国の外交資料が証明している。「歴史は繰り返すという」教訓からして、同じパターンは最近の日本の政治にも反映し、それが検察ファッショとして現れていることは、私にはパターン認識と直観で分かるのです。
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続く

平成無血革命と歪んだ日米関係
政治評論家、前参議院議員 平野貞夫
vs.
慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇



四回にわたってお届けした連載対談は、前号5月号壱もって完結する予定であったが、民主党政権発足半年を経た今も「政治と力ネ」間題をめぐって「小沢バッシング」は収まらない。それが影響してか、大手メディアの世論調査の結果は、政権支持率が低下する一方であり、内閣が崩壌する様相さえ呈している。なぜこれほどまで執拗な抵抗が続くのか。両氏がその背景を鋭く分析した。一部敬称略



混迷の度合いを
強めた日本の政治

藤原 鳩山首相による民主党内閣が動き出して、ほぼ半年が経過した現在の時点で見る限り、政治の変化は僅かだという印象が強く、国民は大いに落胆して失望している感じです。その原因に首相のリーダーシップの不足と共に、今の日本に何が最優先事項かを見定める点で、プライオリティを決定付ける発想の欠如があり、それが政治を空回りさせていると思います。

平野 それもあるが、民主党の国会議員が平成無血革命について、全くといえるほど認識を持ち合わせていないので、これから何かやるという意欲がありません。真剣に勉強して使命と責任について理解し、どういう手順で政治に取り組むかを考え、選挙民の期待に応えなければならないのに、役職が欲しくて出世したい者ばかりです。しかも、それ以上に悲惨なのはメディアの堕落であり、政治の本質にとって大切な問題を見失い、センセーショナルな問題を大騒ぎしたが、それが鳩山と小沢の金銭スキャンダルです。

藤原 利権と金権に国民が強く反発したお陰で、自民党による暴政を選挙で葬ったのに、革命政権の首相と幹事長が不正を追及され、火ダルマ同然になったのでは誉められません。

平野 そういう批判があるのは当然だと思うが、それが誰かによって仕組まれたものであれば、かえって危ないことだと危惧します。そう考えたので私は政治家を辞めて、過去の体験を総括して『平成政治 20年史』を書いたが、生涯を議会政治の中で生きた私には、遺書として次の世代に残す『懺悔録』です。だから、私はこの本の「まえがき」において、「昭和四〇年代以降の重要法案や予算等の審議、疑獄事件の紛糾処理のほとんどに関わってきた。国会職員は法律で、『政治的中立』を義務付けられているが、同時に各党派や国会議員からのさまざまな依頼について、誠実に対応しなければならないことになっている。私の特殊な職務体験のせいか、与野党の多くの政治家から、さまざまな相談事が持ち込まれた。これらを可能な限り私は記録しておいた」と書いたのです。


情報操作をする
ための陰謀グループ

藤原 インターネットでブロッグの記事を検索していたら、平野さんが書いた『平成政治20年史』が素晴らしいとあり、本屋で買って読んで思わず驚いたのは、たった数行だが「三宝会」の記述があって、そこには「選挙が終わると、国会の内外で小沢潰しが活発化した。もっとも陰湿なのは、竹下元首相の指示で、『三宝会』という秘密組織がつくられたことだ。新聞、テレビ、週刊誌などや、小沢嫌いの政治家、官僚、経営者が参加して、小沢一郎の悪口や欠点を書き立て、国民に誤解を与えるのがねらいであった」とあり、私にとっては「三宝会」という名前は初耳でしたが、別の形でピーンと思い当たったのです。

平野 その別の形で思い当たったことについて、興味深いのでそれがどんなことか教えてくれますか。

藤原 1980年代に電通がメディア工作用に「青の会」を作り、田原総一郎がその幹事役に抜擢されて、学者や評論家を権力の御用に仕立て上げ、メディアの上で派手に活動していました。私が育てた何人かの若い人材に手が伸び、雑誌の座談会やテレビの討論会に、出席する誘いが掛かってきたので調べた。そうしたら、政府の機密費と財界のカネが動いていて、若くて有能でもカネに飢えた人びとが、どんどん引付けられていたのです。
 そういった工作の総元締めは川島広守で、彼は警察庁の警備局長から長官を経て、その後はセントラル・リーグ会長に就任したが、日本のプロ野球は読売の正力松太郎と同じことで、公安警察向けのCIAの指定席なのに、日本人はお人好しだからその仕組みに気づかない。

平野 政府には工作用のカネがあるから、マスコミ対策として色んなことをやっており、内閣の機密費が利用されたようですな。

藤原 1970年前後からこうした動きがあり、文芸春秋社が内調のカネで「諸君」を創刊したが、その担当をしたのが田中健五でした。田中は清水幾太郎を転向させた功労者で、『諸君』、『週刊文春』、『文芸春秋』の編集長を経て、最後には文芸春秋社の社長になっている。だから、『文芸春秋』は政府広報がダントツで、田中の出世の足場は内閣調査室だったが、その使い走りが彼の人生の始まりでした。また、『諸君』や『正論』で名を売った学者が集まって、「政策構想フォーラム」などの組織が発足し、それが大平のブレーンを経て中曽根のブレーン政治になる。そして、1980年代にPHPが「松下政経塾」を生み、「世界平和研」や「笹川財団」などと並んで、平野さんが指摘した「三宝会」が発足するが、発起人の福本邦雄は有名な政界フィクサーでした。


「三宝会」の系譜と韓満
人脈のコネクション

平野 福本和夫は戦前に福本イズムで一世を風靡し、その長男の邦雄は水野成夫に拾われて、産経新聞の記者を経て岸内閣の時代に政界に入り、椎名官房長官の秘書になっています。その後は京都放送の社長や政界フィクサーになり、画商として竹下の金屏風事件を仕掛け、後で中尾栄一建設相の収賄疑獄で逮捕されたが、竹下の利権人脈のキイマン的な人物です。

藤原 言うならば、読売のナベツネや田中清玄みたいな存在ですね。

平野 そんなところです。また、岸信介や椎名悦三郎という満州人脈や、竹下登から政治の裏を指南されたことで、情報操作と錬金術に優れていたらしい。だから、「三宝会」は竹下元首相を最高顧問にして、財界とメディアによって1996年に作られており、野党潰しを目的にして動き出すが、その契機になったのが細川政権の誕生で、狙いは小沢一郎を抹殺することでした。

藤原 どうして小沢一郎に狙いを定めたのですか。

平野 1993年に細川政権が生まれる前段階として、1992年 12月に「改革フォーラム21」が発足したが、中心にいたのが小沢一郎だからです。また、1994年に社会党とさきがけを自民党が取り込み、政権奪還した根回しを竹下がやっており、この時に竹下は小沢を最重要警戒人物と認定し、小沢を封じるための秘密組織を使うことにして、福本邦雄に「三宝会」を作らせたのです。

藤原 『夜明け前の朝日』に詳しく書いたが、竹下は平和相互の小宮山一家や許永中とも繋がり、京阪神の暴力団と密着していたために、イトマン事件や皇民党事件に巻き込まれています。しかも、最後には奇妙な死に方をしているが、あの頃のアングラ事件の謎解きに関しては、『朝日と読売の火ダルマ時代』と『夜明

平野 「三宝会」には大手企業が参加しているが、法人の年会費が 36万円もしているだけでなく、個人会員の参加費が一万円もかかるのに、新聞では朝日(5人)、日経(3人)、毎日(3人)、読売(3人)、共同(3人)、テレビでは日本(2人)、テレ朝(2人)、フジ(1人)、TBS(1人)、出版では文芸春秋(3人)、講談社(2人)、プレジデント(1人)、選択(1人)、朝日出版(1人)という具合です。また、メディアを代表する世話人としては、高橋利行(読売・世論調査部長)、芹沢洋一(日経・政治部次長)、佐田正樹(朝日・電子電波メディア局長付)、後藤謙次(共同・編集委員)という顔ぶれが並び、こういった人がマスコミ対策を指令しました。

藤原 法人会員の顔ぶれを一瞥したら、韓満人脈の影が私には読み取れますよ。しかも、それが太平洋を越えて戦後の米国人脈になり、岸信介や正力松太郎がCIAに使われて、アメリカの日本支配の手先だったが、この事実は公開された米国の外交資料が証明している。「歴史は繰り返すという」教訓からして、同じパターンは最近の日本の政治にも反映し、それが検察ファッショとして現れていることは、私にはパターン認識と直観で分かるのです。


メディア操作と
検察ファッショ

平野 検察ファッショは政治的意図による強権的捜査を指し、戦前の「番町会事件」が代表的であるが、ロッキード事件の時の捜査の仕方は、国民の多くに検察ファッショを感じさせた。田中首相を外資法違反で逮捕して、一応は首相の犯罪として話題を賑わせたが、アメリカ側には免責条項を適応したのに、日本側の捜査には無理が目立って、どう見ても納得できるものではありません。

藤原 それは軍備が絡む汚職だったからであり、本当は対潜哨戒機(P3C)の購入に際して、防衛庁長官(当時)の中曽根康弘が関与した、極めて重大な結果を生む防衛疑獄だった。だから、検察が架空の物語をでっち上げて、疑惑を隠すために問題をすり替えたが、全日空のトライスター旅客機の輸入の形で、手癖の悪い田中角栄に冤罪を押し付けたのは、CIAが中曽根の罪を救うためでした。

平野 リクルート事件で自民党を離党しているが、ロッキード事件では深手を負うこともなく、中曽根は首相として米国に貢いでいます。

藤原 その後の日本の政治は米国のしたい放題で、中曽根と竹下がカジノ経済とヤクザ政治を行い、バブルが炸裂して日本はガタガタになった。しかも、SII(構造障壁攻略)に続き追い討ちの形で、金融を使った企業の乗っ取り工作が進み、ネオコン路線に追従する小泉や安倍が、対米追従のゾンビ政治を続けたのです。

平野 バブル経済から現在までの四半世紀が、僅か30秒か40秒の時間で説明されており、現在に至っている点で実に明快です。確かに、藤原さんらしい鳥轍的で客観化した総括だが、過去20年の政治史を一冊の本にして、数百人の人間の判断や行動を描いた私にとっては、その総括では物足りないように思う。そこに生きている人間が不在のために、へーゲルの歴史哲学を読む感じがして、もう少し人間臭のある観点がなければ、自分が生きた時代として面白くないし、淋しすぎて楽しくないという気がします。


日米関係におけるCIAの
役割とジャパン・ハンド

藤原 分かりました。25年間に僅か四人の首相の名前の登場だけで、日米両国がゾンビ政治やネオコンとして規定され、病院の無菌室のような空気を感じて、面白みを欠いてしまったかも知れない。そうなると細部を描く必要が生まれ、個人レベルの体験調書の登場になるが、日米関係の歴史を決定付けているのは、CIAと結んだ自民党に陣取った政治家と、日本人を操ったジャパン・ハンドの関係です。岸信介と正力松太郎に関しては衆知だが、児玉誉士夫と中曽根康弘に関しての情報は、それほど知られていない状態が続く。だが、中曽根がハーバード大でのゼミに参加を手配したのが、ジョンズ・ホプキンス大のセイヤー教授であり、彼はSAIS(国際問題研究所)の日本担当教授で、元CIAのアジア太平洋担当の部長だったし、彼は中曽根の英語論文の代筆までしました。

平野 その辺にCIAコネクションの原点があり、ロン・ヤス関係で中曽根が日本を「不沈空母」と発言したが、軍事同盟の太いパイプが読み取れますな。

藤原 その後継者が立川基地が地盤の長島昭久で、彼は自民党の石原伸晃の秘書をやってから渡米し、SAISのブレジンスキ了教授のゼミで仕込まれた。しかも、ジョージタウン大のCSIS(国際戦略研究所)で日本部長をやり、ブッシュのネオコン政権で東亜部長として日本を手玉に取った、マイケル・グリーンの弟子になって帰国した長島は、民主党から出馬して議員になった。彼は防衛省の政務官に就任しているが、グリーンがどんな思想と行動の持ち主かを知れば、長島が時限爆弾になる危険性は高い。また、CSISの研究員としてグリーンに指導され、親父の渡部恒三衆議院副議長に対して、強い影響力を及ぼしていたのが息子の恒雄であり、民主党の元最高顧問は間接的にグリーンに引きずり回され、渡部恒三は日本の議会政治を歪めているのです。

平野 それで「偽黄門」がブレまくったのであり、渡部恒三が見せびらかす閻魔帳の印籠が、政治を狂わせる原因を作って来たのです。

藤原 最近のブロッグで四年前に平野さんが書いた、「『偽黄門』と『阿波狸』が民主党のガン」という記事が話題になり、コピーして来たので読んでくれませんか。

平野 サワリはここです。「『黄門さん」を自称している老人が、前原体制のつっかえ棒として登場。東北弁で国民的人気者になりかけた。これが『偽黄門』であることを、民主党もマスコミも見抜けないから困ったものだ。…マスコミも『偽黄門』だと知っていて、秘密をもらす貴重な人物として大事にするという、日本の民主政治を堕落させる存在なのだ。それまで小沢改革が成功しそうになると、人格攻撃をくりひろげ、足を引っぱってきたのが『偽黄門』の正体だ」。これは偽メール事件があった2006年に書いたものだが、四年後の今でも似たようなことが繰り返されて、「七奉行」などが騒がしく右往左往していますよ。


M・グリーンという
日本叩きの太鼓屋の怨念

藤原 その震源地はワシントンのCSISであり、そこでマイケル・グリーンに手なづけられて帰国した一人が、横須賀の海軍基地の手配師一家で、ゾンビ政治とロカビリーで親父が日本の体面を傷つけた、世襲四代目議員の小泉進次郎なのです。政治家の不出来な息子を筆頭に、動機を持つ在日系や松下政経塾の留学組は、「奇貨をおく」対象として恰好のカモです。かつてロスに留学中の安倍晋三に、KCIAの朴東宣が接近してスカウトしたが、結果は勝共連合の大戦果を生んでおり、脇の甘い留学生は情報戦の標的です。

平野 それで、小泉純一郎の息子もグリーンの洗礼を受け、目出度く世襲代議士としてお披露目したわけだか、子分や手先のリクルートの仕掛けは巧妙なものですな。

藤原 当事者たちが亡くなって時効だから、30年前の話を披露してもいいと思う。
 実は、私がカンサスで石油会社を設立した時に、サムタクという計器会社を経営していた椎名素夫さんが、エネルギー開発の重要性を評価して、開発事業の仲間に参加してくれました。そして、同時にサントリーの佐治敬三社長が、石油ビジネスを教えて欲しいと割り込んだ話は、『地球発想の新時代』に書きました。そこで、椎名さんは森財閥の森暁さんと一緒に、ハートランド掘削会社を作った後で、政治家として政界に軸足を移しました。

平野 椎名素夫さんは原子力の専門家だが、石油にも関係したとは初耳でした。

藤原 椎名さん米国の政界で信頼されたので、私は彼と友人関係を維持しましたが、彼は防衛問題に専念するようになり、中曽根と接近したので距離を置きました。
 だが、選挙で小沢に苛められた話は良く聞き、岩手の選挙区で小沢の熾烈なやり方を教えてもらい、政治の世界の嫌らしさを痛感しましたよ。

平野 でも、二人は同じ選挙区で国会議員になっています。

藤原 だが、後日談がありまして、最初は英語教師として来日したグリーンは、東大の佐藤誠三郎教授に師事した関係で、中曽根や笹川財団に接近したのです。しかも、椎名議員に拾われた若き日のグリーンは、事務の手伝いや秘書役をしているうちに日本通として、ファシスト的な軍事オタクになった。そして、帰米したグリーンはFSX問題で論文を書き、日本の防衛政策の専門家として成長し、謀略家で悪名高いアーミテージに従い、ホワイトハウスで日米同盟を担当したことで、日本が受けた打撃は絶大になったのです。

平野 それはどういうことですか。

藤原 怨念という言葉は不適切かも知れないが、選挙で小沢が椎名を苛めた仕返しの形で、グリーンは日本を小沢と見立てており、奇妙な怨みの感情のために日米関係を歪めたのです。それが検察官僚をファッショ化に駆り立て、前原などの七奉行が呼応する形になり、政治的な混迷を継続させた構図になった。

平野 検察ファッショが継続した原因が、その辺にあると何となく分かるのだが、対策にどうしたら良いのでしょうか。


デコンストラクションと
21世紀型の選挙

藤原 小泉流の刺客は悪魔の選挙戦術だが、小沢流の強引なやり方も時代遅れであり、新世紀にふさわしいインターネットを活用し、情報化時代の選挙のやり方の採用が必要です。それを活用してオバマは大統領になり、国民が政治参加の意識高揚に成功しているが、キイ概念はデコンストラクション(脱構築)でして、それを参考にするのが良いかも知れません。

平野 それはどういう概念なのですか。

藤原 変化の全体像を洞察して構造を作り変え、変化に次元転換を与える革命的な手法で、フランス哲学の精髄の政治への応用です。

平野 具体的にはどういう選挙のやり方をして、政治を変えて行くのでしょうか。

藤原 選挙は応用のひとつに過ぎなくて、21世紀の社会がどんな内容かを理解すれば、選挙のやり方は自ずと分かってくる。『ジャパン・レボリューション』という題の本があるが、これは二年前に亡くなった正慶孝先生が、私と共著で出した民主革命の指南書でして、この中にノウハウのヒントが書いてあります。正慶教授は小室直樹博士と並んで、意味論の権威として日本の双壁であり、文明学者のダニエル・ベルの伝道解説者でした。

平野 その本の中に、選挙や革命のやり方が書いてあるのですか。

藤原 文字になくても行間に書いてあって、直観力で全体像を把握することにより、それが浮き上がってくるのですが、残念なことに本は手に入りません。実は3500 部刷ったのだが売れなくて、出版社が3000部ちかく断裁してしまい、見つけ出すのがほとんど不可能です。本の在庫には税金がかかるために、出版社が在庫を確保できない税法があり、日本の出版文化は絶滅に瀕しています。こうした狂った税法を改めた上で、パチンコ業界や擬似宗教から税金を取り、それで得た税収で国民に減税をすれば、平成無血革命は成功に一歩近づくし、この本の存在はそれを教えています。昨日は出版社に行き倉庫を探してもらい、やっと二冊だけ見つけ出して来たので、一冊は鳩山首相に私がプレゼントします。だが、もう一冊はあなたが熟読した後で結構だから、小沢一郎に読むようにと手渡してもらえれば、平成無血民主革命の行く手を照らす松明として、きっと役に立つと確信しています。

平野 分かりました。必ず渡して役に立ててもらいますが、それにしても、本が売れなければ断裁処分にするとは、何とも日本は情けない文化国家ですな。

藤原 これが現代日本のギロチンの正体ですよ。ところで、平成無血民主革命を成功させるためにも、小沢幹事長が実権を揮う地位から退き、長老の立場で組織運営をアドバイスするという、世界の指導若のやり方を使うように、平野さんから彼に助言して欲しいですね。

平野 いずれそうしようと小沢は考えているが、今ここで長老になるわけに行かないと思って、参議院選挙を全力投入で指揮しています。とにかく、政治が何かが分からない代議士が沢山いて、今の民, 主党は混乱状態に陥っているが、自民党がより支離滅裂で壊滅状態だから、何とか持ちこたえているのが実情です。だから、数日前に私が小沢一郎に会った時に、「あなたの功績は選挙に勝ち革命を始めたことだが、最も悪い点は出来の悪い人間を国会議員にして、政治が何も分からない代議士を大量生産したことだ」と言ったのです。

藤原 選挙は理想を実現するためのもので、目的に挑むための手段に過ぎないし、単に勝てば良いというものではなく、優雅で鮮やかな形で勝負を競うことです。しかも、理想の社会を作るためには、どんな政治を如何にやるかであるし、その実現にはどんな人材が必要であり、そうした資質の人を議会に送り出して、活躍してもらう選挙を目指すこと。それが平成革命の成功への道であり、共生と博愛を目指す政治を背後から支え、小沢や鳩山の革命コンビが安心して、民主党の長老の席に陣取ることで、次の世代が育つように導くのが、革命人生を飾る花道になると思います。(終わり)


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<愛国者さんより>1991年11月7日には「ジョン万次郎漂流150周年」を記念して、「ジョン万次郎の会」が東京の憲政会館で結成されたが、その会長に選ばれたのは、およそらしからぬ人物だった。ロックフェラーといえば、アメリカのフリーメーソンのトップであるが、そのロックフェラー人脈のひとりである民主党党首・小沢一郎氏である。

 当時、彼はまだ自民党にいたが、3年後の細川連立内閣ができたとき、新生党を設立して参加し、連立内閣の陰の実力者となった。その新生党設立の際、当時の駐日大使のマイケル・アマコスト(現在はロックフェラーの米ブルッキングス研究所所長)を介して、ロックフェラーから約500億円の資金を提供されたといわれている。

 高知出身でもない岩手選挙区の小沢一郎氏が、なぜ「ジョン万次郎の会」の会長になどなったのだろうか?この会は彼の政治力を利用して、当時の外務省、通産省、郵政省、建設省、運輸省、自治省のなんと6つの省庁の許可のもと、その共同管理ということで設立された。 しかも、わずか1年という異例の早さで承認され、設立年の9月、自動車、電車、電機、電力など財界の主要団体に、文書で5000万から6000万の寄付を要求し、3か月足らずでなんと5億6000万円もの設立運営資金を集めている。このことは国会でも問題となり、自民党の中川秀直議員によって追求された。これに対し、当時の柿沢弘治国務大臣と羽田孜首相は、のらりくらりと国会答弁して、責任の所在を曖昧にして逃げた。

 この会の目的は、日米の草の根交流の原点であるジョン万次郎を歴史の中から発掘し、彼の精神(ジョン万スピリッツと呼ぶ)を広め、日米友好関係を深めようというものだ。具体的には、日米交換留学制度や日米の草の根交流サミットなどの国際交流を行なっている。だがなぜ、急にまたジョン万次郎にスポットを当てようとしているのか。その理由は、彼の銅像が立つ足摺岬に行けばすぐにわかる。黒潮の風が強い足摺岬に、それはまるで古武道家のようなたたずまいで立っている。だがよく見ると、右手は強く握りしめ、左手には、なんと直角定規とコンパスを持っているではないか!

 直角定規とコンパスといえば、フリーメーソンのシンボル・マークである。あのトーマス・グラバー邸の石柱に刻まれていたものとまったく同じ直角定規とコンパスが左手に握られているのだ。ジョン万次郎はフリーメーソンだったのだろうか。だとすれば、これまでの謎がすべて解けるのである。そして、ロックフェラーの息のかかった小沢一郎がなぜ、会長になったのかもわかるだろう、ジョン万次郎は日本におけるフリーメーソンの第1号だったのか!(坂本龍馬とフリーメーソン 明治維新の礎を築いた英雄は、秘密結社のエージェントだった! 鬼塚五十一・著  学研  2007年1月刊)下記URLより引用
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi023.html

 

今年の渡米もジョン万次郎の会の交流の一環と行うと報道されている。ついでに民主・平野貞夫氏は高知県出身。


(コメント)ロックフェラーと言えば、何かと日本に関係が深い。元々、ロックフェラー財閥の日本国内の代理人と言われたのが、椎名素夫」である。素夫は岸信介を支えた衆議院議員・椎名悦三郎の次男だ。(余談だが、父親であった椎名悦三郎の元秘書には、KBS京都放送を許永中が乗っ取った際の社長も務めた福本邦雄がいた。福本は、竹下登や許永中とも懇意。ちなみに福本邦雄の父は日本共産党中興の祖である福本和夫。)
   
 素夫は元々、電源開発に入社し、アメリカのエネルギー研究における最初の研究所である「アルゴンヌ国立研究所」で手腕を発揮した。その技術と人脈で機械メーカーを興すが、1979年に父の椎名悦三郎の地盤を受け継ぎ、旧岩手二区から立候補。中選挙区時代は小沢一郎と選挙区が一緒でライバルであったが、参議院岩手選挙区に鞍替えするなどして2004年まで政界で活躍。「ロックフェラーの代理人」として、中曽根・レーガン会談、通称「ロン・ヤス会談」を成功させた。
 
 父親の悦三郎は、「アメリカから金をもらっていた岸内閣」の官房長官である。それでいて息子は、国家の根幹であるエネルギー研究、それも当時はまだ研究途上だった原子力の研究をやっていたというのだから、素夫の元に、米国政財界人脈ができるのも当たり前の話だろう。

 そんな素夫もやがては老いる。また聞きだが、「素夫さんは政界引退ちょっと前から老け込んだ。話の中で、ロックフェラーとの関係にもあまり触れなくなった頃だ。どうしたのかと思ったら、『
平野貞夫にその仕事は譲った』というんだよ。そういえば、平野貞夫が企画して、小沢一郎が会長になり、何かと怪しいといわれているジョン万次郎財団(正式名称:「財団法人ジョン万次郎ホットフィールド記念 国際草の根交流センター」)設立の時もロックフェラーが来ていたな」と、関係者がつぶやいたという。
 
 ジョン万次郎財団というのは、目的のよくわからない団体だ。事業内容も
1 日本の政治、経済、文化等の事情を、米国を始めとする世界各国の人々に紹介
2 米国を始めとする世界各国の政治、経済、文化等の事情を日本に紹介
3 日米両国間及び世界各国の人々との間で行われる日本の政治、経済、文化等の各種交流への協力及び支援
4 その他、国際草の根交流事業分野における様々な活動への参加
(上記は財団HPより)

 と、曖昧だ。ただし、協賛企業はトヨタをはじめとした日本の一流企業ばかり。一体何のための財団か、普通にはうかがい知ることができない。ゆえに「小沢のウラ金庫」などと揶揄されるのだが・・・






(私論.私見)