政治家論、本業査定論

 (最新見直し2011.8.9日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、政治に於ける回天論、革命論を考察することにする。

 2011.8.9日 れんだいこ拝


 2011.8.9日の政治状況に於いて、小沢一路絵を支援する「日本一新の会」のメルマガ配信「日本一新」(顧問:戸田邦治、発行:平野貞夫、編集:大島楯臣)の「臨時増刊号・2011/8/9」が、次のような小沢氏側近の平野貞夫元参院議員証言を伝えている。それによると、6月下旬、平野氏が小沢氏に「裁判をしながら首相を狙ってはどうか」と出馬を促したのに対し、「それはできない。首相という地位は司法権を干渉できる立場にある。痛くない腹を探られたくない」と拒んだ。ただ同時に「自分が仮にそういうものをやらせてもらうとすれば、裁判がすきっと済んでからでないと駄目だ。ここはどうしても譲れない。自分の人間としての信条、哲学だ」と指摘。「ポスト菅」については「意中の候補は誰もいない。自分と方向性を同じくする人を抱えて教育しながらやっていくしかない」と述べた云々とある。

 れんだいこは、小沢氏が本心からそのように云うのであれば道徳律に縛られ過ぎているとして批判せねばならない。ある意味でソクラテス式遵法倫理に染まり過ぎており、政治のなんたるかについてお粗末と思うからである。小沢氏は既にマスコミに叩かれ過ぎており、過度に敏感にさせられている故に、そのように装うのではないかと窺う。それはそれとして、良い機会だから政治における回天論、革命論を考察しておこうと思う。

 2011.8.9日 れんだいこ拝




(私論.私見)