1983 中川一郎変死事件

 更新日/2017.4.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 1983(昭和58).1.9日、中川一郎が変死した。これを確認しておく。

 2017.4.21日 れんだいこ拝


【中川一郎変死事件】

 中川一郎

自民党の衆議院議員で中川昭一の父親。札幌のホテルの浴室で首吊り自殺した。遺族は、鈴木宗男の行動が原因で彼が自殺したとしているが、世間では鈴木氏の計画的他殺では?という声すらある。それらは早計で、彼の躁鬱体質(統合失調症)が原因とされる。自身の事を誹謗するニュースがないか毎日テレビをチェックしていたという。他にソ連KGBが秘密裏に遂行したとも言われており、他殺説が忘れたころに沸き起こっている。

中川 一郎(なかがわ いちろう、大正14年(1925年)3月9日 - 昭和58年(1983年)1月9日)は日本の政治家。元衆議院議員。自由民主党の派閥・中川派の領袖。正三位勲一等。 農林大臣(第49代)、農林水産大臣(初代)、国務大臣科学技術庁長官(第35代)。
「北海のヒグマ」と呼ばれ、タカ派議員として知られていた。元衆議院議員中川昭一は長男。中川義雄元参議院議員は実弟。

1983年1月9日、札幌パークホテル10階1022号室バスルーム[20]にて死んでいるのを貞子夫人が発見。死因は第1報が「急性心筋梗塞」、2日後に「自殺」に訂正された。突然の訃報を聞いて駆けつけた堂垣内尚弘北海道知事をはじめ、直後から不審に感じた関係者は多数おり、関連する証言も多い。遺書も無く、また急ぐように2日後には火葬したことや、死因の変更等でにわかに「他殺説」が浮上した。直前、中川は当時第一秘書だった鈴木宗男と口論した噂はあるが、根拠はない。中川の秘書から北海道選挙区選出参院議員となった高木正明が本人の名誉を考え早急の火葬を行う指示を行ったとされる。他殺説は事実無根として、鈴木をはじめ関係者一同が抗議している。
『悶死 中川一郎怪死事件』251頁によると、「中川一郎突然死のあと、巷に流れ出た“噂話”には、さまざまなものがあった。ソ連の対日工作員レフチェンコから中川一郎が巨額な政治献金を受け取っていたのを、中曽根・後藤田ラインに知られ、暴露するぞと脅され、悩んでいたとの話に始まり、総裁選で膨大な金を使いすぎ借金返済に困窮していた、ソ連のKGBに謀殺された、ニュージーランド沖のイカ漁や韓国の水産関係者との利権を“角筋”によって絶たれた、さらには、総裁選挙後に“肝臓ガン”を告げられ悩んでいた等々などが主なものである。いずれも根拠のない、無責任な“噂話”ばかりである」という。

なお2010年10月に鈴木議員は、中川が1975年7月に世界銀行の招待で南アメリカ諸国を歴訪する出発前日に全日本空輸の藤原経営管理室長と料亭で会食した際に、「餞別」として100万円を受け取ったこと。さらに後の特捜部による「ロッキード事件」の「全日空ルート」の捜査の過程でこのことが明らかになり、1976年8月に特捜部からの事情聴取を受けていたことを月刊誌「新潮45」の記事内で証言している。なお鈴木議員は、この事を後の1982年に福田赳夫に追及されたことが自殺の原因となったとも記しているが、これに対しては貞子夫人が否定している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E4%B8%80%E9%83%8E#.E8.87.AA.E6.AE.B
A.E8.AA.AC.E3.81.A8.E4.BB.96.E6.AE.BA.E8.AA.AC









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