1989.2.28日 福島女性教員宅便槽内怪死事件

 (最新見直し2013.10.17日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで「福島女性教員宅便槽内怪死事件」を確認しておく。

 2013.10.17日 れんだいこ拝


【福島女性教員宅便槽内怪死事件】
 原子力業界の不思議な事件・福島便槽内変死事件」を参照する。

 平成元年(1989年)2月28日の18時頃、福島県田村郡都路村(現田村市)の教員住宅の女性教員のCさん(23)宅の便槽内で、福島原発の原発保守営業主任が死体で発見されると云う事件が発生した。遺体は真冬なのに上半身裸で、着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定された。体にはヒジ、ヒザにすり傷がある程度で目立った外傷はなかった。死後硬直の状況から26日頃に死亡したものと思われた。

 遺体主は村の青年会に所属するA(26)と判明した。警察はSさんが覗き目的で便槽内に侵入し、狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。Sさんは村に両親と祖母の4人暮らし。隣町の福島原発の保守を行う会社で営業主任を勤めていた。第二原発を担当していた。Aは遺体で発見される4日前から足取りが途絶えていた。5日前の23日に先輩の送別会に出席、翌24日深夜1時ごろに店を出た。その日の午前10時ごろ、父親は居間でテレビを見ていると、「ちょっと行ってくるからな」という声を聞いたのを記憶している。そこから遺体発見までのAの足取りは4日間プッツリと途絶えてしまっている。車は農協の駐車場でカギを付けた状態で発見されている。靴が片方土手で発見されているのも不可解ではある。そして死亡推定日が26日。行方不明から2日程は生きていたことになる。

 この事件は発表されているような変態死事件ではない可能性が強い。その理由は以下の通りである。福島便槽内変死事件の2ヶ月前、同年1.6日、福島第2原発3号機で部品脱落事故が発生した。前年暮れから3回も警報がなっていたのにもかかわらず、警報を無視して1.6日に迎える定期検査まで出力を下げて運転することでしのいだことが原因で、この日、原子炉再循環ポンプ内部のインペラー(回転翼)が破断し炉内に金属片が流出すると云う部品脱落トラブルを発生させた。原子炉冷却水再循環ポンプ内にボルトや座金が脱落し原子炉内に流入していた。東電は、1月6日の事故でようやく県に報告した。この事故は国際原子力事象評価尺度(INES)でいえばレベル2の重大事故である。その二日前の1.4日、運転管理責任者B氏が東京電力本社帰りに上野駅で自殺している。上京した帰り、上野駅で列車に飛び込み自殺したという。Aの同僚ないしは上司である。

(私論.私見)

 考えられることは、B氏が何らかの交渉をしに東京電力本社へ出向いた帰り道、「上野駅列車飛び込み自殺」させられていることである。A氏は、これに関係する形て東電を内部告発し、その口封じで「福島便槽内変死事件」の目に遭ったたのではなかろうか。そう云う疑惑が残る。

 2013.10.18日 れんだいこ拝






(私論.私見)