対ソ不信も国内見解は拡散
いまから三十二年前の一九四五年八月下旬、日本はすでにポツダム宣言を受諾して降伏文書への調印を待っていたが、そのころソ連軍は千島を順次南下、同月末までには南千島(国後、択捉)および歯舞、色丹までもを軍事占領した。こうして北方領土問題が発生した。周知のように、この問題は今日にいたるまで解決をみていない。解決の見通しもまた、まるで立っていない。
ところが、過般の参院選挙が日ソ漁業交渉の興奮いまだ冷めやらぬなかで戦われることになったため、北方領土問題をめぐっても議論が湧いた。その際のひとつの特徴は、いくつかの野党が「全千島日本帰属論」の主張を強めたことであった。他面、七月下旬に北海道を視察した藤田総務長官は、「北方領土返還運動の原点」根室市を中心に−四島一括返還という政府方針に背く−歯舞・色丹二島分離返還論が表面化している旨を首相に報告した。つまり、日ソ漁業交渉を機に国民の対ソ不信ないしソ連嫌悪が全体として強まったことは否めないが、北方領土問題での国内諸見解は内容的にかえって拡散したのである。
共産党の最も勇ましい論陣
両方向へのこの拡散現象の中で私にとりより気がかりなのは、いくつかの野党が全千島日本帰属論ないし全千島返還要求の主張を強めたことの方である。この方向はただでさえむずかしい問題解決を一層困難にするものだからである。
この方向で最も勇ましい論陣を張ったのは共産党であった。同党は参院選前哨戦のさなかにこの問題でソ連に党代表団を送ろうとし、先方から拒否されると五月二十七日、公開書簡をもってソ連共産党に論争を挑んだ。ソ連共産党は六月十二日付のプラウダ論文でこれに応酬、すると日本共産党は七月六日の長大な赤旗論文でこれに反論した。論争だけに限ってみれば、分は明らかに日本共産党の側にある。プラウダ論文はほとんど論理の体をなしていない(同党の論理が完璧(かんぺき)だというのではない。そこにはいくつかの欠陥があるが、いまはそれには触れない)。だが、論理での同党の優勢勝ちは政治的にはいったいなにをもたらしたか。
ソ連は頑迷な拒否姿勢をいままで以上に明示したのである。いわく、「“未解決の領土問題”は実際には存在するのか。いや、そのような問題は存在しない。それは反動層によって故意につくられている」。「(日ソ平和)条約締結の際、ソ連はなんらかの領土的譲歩をすべきだというどのような主張も、明らかに一面的性格のものであり、第二次世界大戦の結果の変更をめざすものである。…現在の国際関係では、ヨーロッパの例にみられるように、戦後の国境線の不可侵の原則がすでに確立され承認されている。上記の原則は、当然アジアに対しても同様に適用される」。ソ連内で最高の権威をもつ党機関紙が、これほどの語数と表現とを費やして不退転の拒否姿勢を明示した前例はない。これが、日本共産党の理論攻勢の政治的帰結であった。政治的賢明度という尺度でみれば、それはおそろしく愚かな、なくもがなの理論攻勢であった。これでは、日本の政治的国益は損なわれこそすれ、その逆ではない。
権力政治を理解しない論理
私の目には、ソ連の反発のありようはほぼ予想どおりのものであった。他方、日本共産党の論理にも斬新さはなんらなかった。いや、それは−共産主義者間の論争用としてはいざしらず−北方領土問題の解決をめざすためには大上段に振りかざしてはならないと私が警告してきた論理であった。つまり、日本共産党はレーニンの唱えた「無併合」の原則を想起せよとソ連に迫り、この原則が貫かれるならば全千島が日本に帰属するはずだ、とやったのである。レーニン主義までもを援用するかはともかく、他の野党も旧連合国側の「領土不拡大」原則を楯に全千島日本帰属論をぶつという点で同工異曲なのである。
わが国が受諾したポツダム宣言は「領土不拡大」原則を含む連合国側カイロ宣言の履行を謳う(うた)っているから、この点だけに注目すれば日本は千島を放棄する必要はない。しかし、この点だけにしか注目しない態度は、国際政治の世界では通用しない。残念ながら国際政治は、依然として理想主義よりも権力政治を本質的属性としている。つまり、一方で「領土不拡大」の理想を公言した米英は、他方でソ連の千島(クリル)獲得に同意を与える権力政治的密約をヤルタで結んだのであった。そういう自己撞着(どうちゃく)を犯してまでも米英は軍国主義日本の早期打倒のためソ連の対日参戦を望んだのであり、スターリンは政治的褒賞が約束されてはじめて日ソ中立条約違反という歴史的汚名にもひるまない蛮勇を発揮したのだ。
「四島」の日本復帰に専念を
国際政治には光と影の両方が差していることを、われわれは認めなければならない。ましてや国際政治におけるソ連の行動は、ほぼ一貫してレーニン主義などからほど遠く、強度に権力政治的なのである。知らずしてではなく、みずから承知のうえでそういう行動に出るソ連に向かってレーニン主義を想起せよと説教することは逆効果であり、政治的に有害無益でしかない。そういう批判を浴びたソ連の外交行動はレーニン主義に近づくどころではなく、ますます権力政治性を募らせるだけでしかないからである。
理想主義だけを援用して論争でソ連をやり込めるのが北方領土問題解決の道だと考えるのは錯覚である。真にこの問題の解決を考えるのであれば、「領土不拡大」とか「無併合」とかの理想主義を拠りどころに全千島返還というような最大限要求の拡大を競ってはならない。われわれは「日本固有の領土」、すなわち北方四島の日本復帰のみに念願と努力を限るべきである。それが、サンフランシスコ条約を否定せずして達成されうる政治的可能性の最大限である。それ以上のものは、政治的に断念すべきである。この場合にのみ、北方領土問題でわれわれはサンフランシスコ条約調印国の理解を期待しうる。それなくして、われわれになにができるというのか。(させ まさもり=防大教授)
【視点】 今回、正論大賞を受賞した佐瀬昌盛氏が正論執筆者に選ばれたころの論文である。昭和52年5月、200カイリ漁業水域をめぐり、領土問題を棚上げして日ソ漁業暫定協定が結ばれた。同じころ、共産党は全千島返還要求論を打ち出し、ソ連に論争を挑んだ。北方四島だけでなく、全千島が日本に帰属するという主張だ。
佐瀬氏は「ただでさえむずかしい問題解決を一層困難にするものだ」とこの主張を強く批判した。戦後、日本が四島より北の千島列島の領有権を放棄したサンフランシスコ講和条約を踏まえ、「四島の日本復帰のみに念願と努力を限るべきである」とした。領土問題で国論が分裂することを憂えた正論である。(石)
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