北方領土問題概論

 更新日/2019(平成31).2.10日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに領土紛争考サイトを設け検証することにする。「ウィキペディア北方領土問題」その他を参照する。

 2004.5.13日 れんだいこ拝


【北方領土問題の概要】

 北方領土問題とは、先の世界大戦まで日本の領土であった地域(色丹村、泊村、留夜別村、留別村、紗那村蘂取村、歯舞村の7村)にして現在ロシア連邦が実効支配している北海道根室半島の沖合にある島々の返還問題を云う。北方四島の択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)、千島が対象であるが、返還対象には諸論がある。樺太に関しては既に樺太庁が消滅しており、日本政府は対象外にしている。日本政府は、「固有の領土」としてその返還を求めている。北方領土は、地理的には南千島に属するが、色丹島及び歯舞群島については北海道本島の属島という見方もある。元々はアイヌ民族が先住していた地域である。現在、日本国民の北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対して、ビザなし渡航が日露双方に一部認められている。現在のロシアの施政下では、1945年8月9日に設置されたサハリン州に属している。

北方領土問題の概要 (クリックで展開)

北方領土問題とは?
     2013年6月


『中間線』と書いてある青線は、『北海道海面漁業調整規則別表第2の2』で定められた参考ライン。日本漁船が、この線のロシア側で漁業することは、日本の法でも、原則禁止されており、事実上、日ロ国境となっている。

  ■ 北方領土問題とは?

(1) もともと、北方四島に、どのような人が住んでいたのか定かではありませんが、江戸時代にはアイヌの人たちが住んでいました。
 日本は正保年間には、択捉島・国後島を含む千島の存在を漫然と知っていましたが、択捉島を詳しく知ったのは、ここを日本人として、最初に探検した、最上徳内の成果でした。最上徳内が択捉島に渡ったとき、すでにロシア人が居留していたため、ロシア人から択捉島やそれより北の地域について知識を得ました。
 択捉島には日本よりもロシアのほうが先に勢力を及ぼしましたが、これは長続きしませず、19世紀になると日本の支配が拡大してゆきます。1855年、日本とロシアとの間で下田条約(日露通好条約)が締結されました。この条約交渉でロシア全権プチャーチンは、歴史的経緯に従って、択捉島のロシア帰属を主張しましたが、交渉の結果、当時の現実の支配関係に従って日露間の国境は択捉島とウルップ島の間に引かれました

(2) 第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連はアメリカなど連合国の要請で対日参戦しました。当時、日ソ中立条約が形式的に有効でしたが、アメリカ大統領は公文書で、ソ連の参戦は国際法上合法であるとの連合国見解を示したため、ソ連は対日参戦しています。
 1945年9月2日、日本が降伏すると、同じ日に出された一般命令第一号に従って、北方四島はソ連の占領地になりました。1946年12月、GHQとソ連との間で日本人全員の引き上げが合意されると、北方四島に居住していた人たちは、残留を希望するわずかの人を除いて、ほぼ全員の日本人が、帰国しました。(詳しくは「北方領土問題の歴史・経緯」のページを参照下さい。)
 なお、ソ連の参戦は、国際法廷である極東国際軍事裁判所の判決でも、正当なものと認定されています。

(3) 1951年、サンフランシスコ平和条約を締結して、日本本土の占領統治は終了し、この時、日本は千島列島を放棄しました。国後島・択捉島については、国会審議の中で、西村政府委員および草葉政府委員が、国後島・択捉島はサンフランシスコ条約で放棄した千島列島に含まれると明確な説明をしています。
 ソ連は、平和条約に加入しなかったため、日ソ間で条約交渉が行われましたが、このとき、アメリカのダレスは、歯舞・色丹の2島返還で合意したら沖縄を返さないと、重光外務大臣を恫喝しました。このような経緯があって、日ソ間で領土問題を解決することができず、1956年10月、日ソ共同宣言を締結し、両国は平和条約の締結に関する交渉を継続することになりました。また、ソ連は、平和条約締結後に、歯舞・色丹両島を、日本に引き渡すことに同意しました。しかし、現在にいたるも、両国間に、平和条約は締結されていません。
 なお、1956年11月29日参議院外務委員会において、下田武三条約局長は、歯舞・色丹に関して「事実上ソ連がそこを支配することを日本はまあ認めたわけでございまするから、ソ連の引き続き占拠することが不法なりとは、これまた言えない」と説明しています。

    
  ■ 日本政府の基本的立場と現実

(1) 日本政府は、日本語では「北方領土は日本固有の領土」と説明しています。日本政府の主張では、固有の領土とは一度も外国の領土になったことがない日本の領土という意味であり、英語では、『an integral part of Japan's sovereign territory』と説明しているようです。しかし、この英語では、日本政府の言う意味にはならないので、日本政府の固有の領土主張は、ロシアはもとより、国際社会でほとんど理解されていないのが現状です。
 また、日本以外の国が発行している地図の多くは、北方領土はロシアの領土と記載されています。

(2)日本政府は、北方領土問題の解決に当たって、現在居住しているロシア人住民の人権、利益、希望は、返還後も十分尊重していくと説明しています。ところが、もし、日本に返還された場合、日本人が少数派住民となることは目に見えています。この場合、地方自治の選挙権・被選挙権をどうするのかという、基本的問題に対して、日本政府は態度を明らかにしていません。

(3)日本政府は、日本国民や第三国の民間人が、北方領土に対するロシアの管轄権を前提とした活動を行うことを容認していません。また、日本国民に対して北方領土に入域することを行わないよう要請しています。
 しかし、北方領土にある水産加工会社ギドロストロイの経営が好調であるため、多くの国の企業が、ギドロストロイ社と取引を行っていますし、日本政府の要請を無視して、ロシアの査証を取得した上で北方領土を訪れている日本人の存在も知られています。

(4) 日本政府は、第三国国民や第三国企業がロシアの査証を取得した上で北方四島へ入域したり経済活動を行わないように申し入れを行っています。しかし、ギドロストロイ社の経営が好調であるため、欧・米・韓などの多くの国の国民や企業がロシアの査証を取得した上で、北方四島へ入域し、経済活動を行っています。


   外務省の北方領土問題の概要説明
       http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html


詳しい北方領土問題の話  入口
やさしい北方領土問題の話  入口
北方領土問題関連資料 入口
北方領土問題を理解するための、法令・条約等です。
 旧字体を新字体に変更したり、カタカナをひらがなに変更している場合があります。
「千島」の呼び名について(北方領土問題に関連して)
北方領土問題の参考文献

【北方領土問題に関するロシア側の主張】

 ロシア側の北方領土論は、日本政府のそれと大きく食い違っている。1・ヤルタ会談で千島・南樺太の割譲は米英ソの三者で合意されている。2・ソ連も参加しているポツダム宣言を日本は無条件で受け入れている。3・ロシアは占領地区を既に自国へ編入している。4・サンフランシスコ条約で日本はクリル列島を放棄しており、クリル列島には、択捉島・国後島が含まれているのはもちろんのこと、色丹島・歯舞群島の所謂小クリル列島もまた含まれるとしている。5・日本が領有権を主張している北方四島は第二次世界大戦の結果、旧ソ連が獲得した正当な領土であるため、日露間に領土問題は存在しないとしている。

 ロシアはかねてより、日露平和条約締結により、北方二島返還に応じる、としている。が、日露平和条約締結には、日米安全保障条約の破棄が第一条件となっており、二島返還は平和条約締結後、順を追って行うとされている。さらに、二島にあたる色丹島・歯舞群島はかつては無人島になっていたが、近年になって移住者及び定住者の存在が確認されており、二島返還も未だ困難な状況となっている。

 以前であれば日本側に「ロシアは経済的に困窮している。よってそのうちロシア側が経済的困窮に耐えられず日本側に譲歩し、北方領土を引き渡すであろう」という目論見があった。鈴木宗男失脚以後の日本の外務省の基本戦略は、北方諸島への援助を打ち切り、困窮させて返還の世論を引き出そうとする「北風政策」が存在した。但し、プーチン大統領就任以降驚異的な経済的発展を遂げたロシアは、2015年を目標年次とする「クリル開発計画」を策定し、国後、択捉、色丹島に大規模なインフラ整備を行う方針を打ち出した。

 地政学的または軍事的見解に因れば、宗谷海峡(ラペルーズ海峡)、根室海峡(クナシルスキー海峡)をふくめ、ロシアは旧ソ連時代にオホーツク海への出入り口をすべて監視下に置いており、事実上そこから米軍を締め出すことに成功しているが、国後・択捉両島を返還してしまえば、国後・択捉間の国後水道(エカチェリーナ海峡)の統括権を失い、オホーツク海に米軍を自由に出入りさせられるようになってしまう。国後水道は、ロシア海軍が冬季に安全に太平洋に出る上での極めて重要なルートでもあり、これが米国(の同盟国である日本)の影響下に入ることは安全保障上の大きな損失となる。このため、ロシア防空軍は択捉島に防空基地を設置し、MiG-31戦闘機を20機程度配備している。

 ロシア側からの返還論

 ロシア側にも北方領土を返還するべきだと主張する者がいる。 グローバリゼーション問題研究所のミハイル・デリャーギンは、ロシア側が北方領土を返還した場合について言及したことがある。ノーベル文学賞作家であるアレクサンドル・ソルジェニーツィンは著書『廃墟のなかのロシア』の中で、「ロシア人のものである何十という広大な州を(ソ連崩壊時に)ウクライナやカザフスタンに惜しげもなく譲渡」する一方で「エセ愛国主義」から日本に領土を返還する事を拒んでいるロシア連邦政府を批判し、これらの島がロシアに帰属していた事は一度も無かった事を指摘、さらに日露戦争やシベリア出兵という日本側からの「侮辱」への報復といった予想されるロシア人からの反論に対しては、ソ連が5年期限の日ソ中立条約を一方的に破棄した事が「いっさい(日本に対する)侮辱には当たらないとでもいうのだろうか」と述べ、国土の狭い日本が領土の返還要求を行っているのは日本にとり国家の威信をかけた大問題だからであるとして日本側の主張を擁護。21世紀においてロシアが西にも南にも友人を見つけられないとすれば、日露の善隣関係・友好関係は充分に実現可能であるとし、日本への北方領土返還を主張した。


【北方領土問題に関する日本側の主張】
 日本側は、1956年の日ソ共同宣言以来、一貫して四島一括返還論を主張している。北方四島の帰属問題は国際司法裁判所で決着すべきという意見も日本国内には存在する。しかし、国際司法裁判所に付託するためには、紛争当事国両国の同意が必要なので、ロシアが国際司法裁判所への付託に同意しない限り、領土問題の解決はありえないということになる。何よりも国際司法裁判所は、領土問題は当事国両国の話し合いによって解決するべき問題であり、国際司法裁判所は領土問題には一切関与しない、との立場をとっている。国連総会に於いても、領土問題は議論の対象になっていないため、国連に北方領土問題を委ねる事は事実上、不可能となっている。

 近年、日本政府は北方領土領有にどんなメリットがあるかを示すようにはなったが、具体的内容は単に領海としての海域保持ならびにそれに伴う海産資源や海底資源の保有にとどまっている。二島返還のみが実行された場合、二島にあたる色丹島と歯舞群島の陸地の合計面積は北方四島全体の7%に過ぎないが、200海里排他的経済水域を含めると、北方領土全体の40%以上にも上る。

 現在、ビザなし交流を除くと、日本人が北方四島を訪問するには、ロシアのビザを取得して訪問しなければならない。ロシアのビザ取得後、稚内または新千歳、あるいは函館からサハリンに渡り、ユジノサハリンスクで北方四島への入境許可証を取得し、空路または海路でアクセスすることになる。この方法は、ロシアの主権に服する行為であり、ロシアの北方四島領有を認めるとして日本政府が1989年以来自粛を要請している。このため、本来なら日本人の北方四島への渡航は事実上禁止されるはずであるが、この自粛要請に法的強制力は存在しない。実際、この自粛要請の後もロシアのビザ取得によって北方四島を訪問した日本人旅行者は少なくない。また、北方四島のロシア企業との取引・技術支援や開発などのため、多くの日本人ビジネスマンや技術者がごく普通にロシアのビザを取得し、同じ方法で北方四島に渡航している。


【日露の北方領土問題の解決策
全千島列島返還論

 北千島を含めた千島列島全体が日本に返還されるべきと主張する論。主要政党では日本共産党がこの立場をとっている。民間では、千島及び歯舞諸島返還懇請同盟(現在の北方領土返還要求運動都道府県民会議)が千島全島および歯舞群島の返還を求めていたが、後に国後、択捉、色丹及び歯舞群島のみの返還に主張を転換させている。

四島一括返還論

 日本政府の一案で、四島一括返還論を主張している。北方四島も含めた国境線は日露和親条約によって定められたもので、これは樺太・千島交換条約によって無効となっているとロシア側は主張している。さらに近年では、四島一括返還論にはほとんど根拠がないという意見も出ている。

三島返還論  国後島を日本領、択捉島をロシア領とすることで双方が妥協。別名を「フィフティ・フィフティ」と言い、中国とロシアが係争地の解決に用いた方式である。この方式では、領土紛争における過去の経緯は全く無視し、問題となっている領域を当事国で半分ずつ分割する。これを北方領土に形式的に当てはめると、国後島が日本領、択捉島上に国境線が引かれる、三島返還論に近い状態になる。岩下明裕(政治学者)はこの案を称揚しているが、もともとこの方式は、戦争により獲得した領土ではなく、単に国境をはさんだ2国のフロンティアがぶつかって明確な国境線が決め難かったケースに用いられたもので、北方領土問題には適用し難く、四島一括返還論に比べ実現する可能性が高いかどうかは不明瞭である。

 三島返還論に言及した政治家には、鳩山由紀夫、河野太郎らがいる。鳩山の「三島返還論」は、2007年2月にロシアのミハイル・フラトコフ首相(当時)が訪日した際、音羽御殿での雑談の中で飛び出したものである。しかし鳩山は、2009年2月の日露首脳会談で、麻生太郎首相が「面積二等分論」に言及したことに、「国是である4島一括返還論からの逸脱」と激しく批判しており、主張を変えている。
二島返還論  日ソ共同宣言に基づき、歯舞・色丹の二島をまず日本へ返還。

 日本側においては主に「二島先行返還論」または「2+2方式」と称される案を指す。これは、日ソ共同宣言で日本への返還が確認されている歯舞・色丹の二島を、ひとまず日本側に返還させ、残った択捉・国後の両島については、両国の継続協議とする案である(二島返還論で詳述)。この方式の支持者としては鈴木宗男と鈴木の側近だった佐藤優が知られており、当時の首相であった森喜朗も訪露した際、ロシア側へ提案したこともあるが、先方からは拒否された。鈴木宗男は、「二島先行返還論」はマスメディアによる造語であるとして、自らの立場を「段階的返還論」と呼んでいる。対して、ロシア側における二島返還論とは主に、歯舞・色丹の返還のみでこの問題を幕引きさせようとする案のことであり、現在のロシア政府の公式見解である。
面積2等分論  歯舞、色丹、国後の3島に加え、択捉の25%を日本に返還させ、択捉の75%をロシア側に譲渡。「歯舞群島、色丹島、国後島のすべてを足しても、鳥取県と同等の面積を持つ択捉島の半分に満たないこと」から浮上した案。国後など3島に択捉の西部の旧留別村を加えれば半分の面積になる。

 麻生太郎外務大臣が2006年12月13日の衆議院外務委員会での前原誠司・民主党前代表の質問で明らかにしている。麻生はその前年の2005年に解決を見た中露国境紛争を念頭に解決策として述べているが、中露間の国境問題はウスリー川をはさんだ中州の帰属をめぐる論争であること、同問題は中国側の人口増加に危機感を持ったロシア側が大きく譲歩した側面を持つこと、北方領土問題が旧ソ連側の日ソ中立条約の一方的蹂躙である経緯を度外視した発言であり、前原とのやり取りでは中露国境問題で最終争点となっていた大ウスリー島と、既に解決が成されているダマンスキー島を取り違え答弁している。

 麻生は安倍内閣発足直後の報道各社のインタビューに「2島でも、4島でもない道を日露トップが決断すべき」と発言しており、この発言は世論の反応を見定めるアドバルーン発言の可能性が強い。現実にその直後、外務省との関係が深い福田康夫元官房長官が麻生案を激しく批判しており、この案が外務省主導ではなく、官邸も一部容認であることを窺わせる。福田は2006年7月に自民党総裁選から撤退して以降、公の場ではほとんど発言していない。2007年8月に外務大臣に再登板した町村信孝は麻生案を「論外だ!」と激しく批判。同領土問題の原則を、従来通り「4島一括返還」での問題の解決に当たることを強調した。麻生は2009年2月に樺太で行われた日露首脳会談でもこの案を遠まわしに示している。更に同年4月17日、谷内正太郎・元外務事務次官が麻生を後押しするかのように毎日新聞の取材で同案に言及。だが、世論の反発が強まると谷内は一転して発言を否定。翌・5月21日の参議院・予算委員会の参考人質疑においても自身の発言について否定している。一方、二島先行返還が持論の佐藤優は、谷内の面積二等分案には返還後の同領土について日米安保の不適用条項が盛り込まれている点に着目、同案に一定の理解を示している。
共同統治論  択捉、国後の両島を日露で共同統治するのを良しとする論である。「コンドミニウム」とも呼ばれ、近現代史上にいくつかの例がある。成功例として代表的なものにはアンドラがあり、失敗例には樺太やニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ)がある。具体案としては、例えば、かつてのアンドラのように、日露両国に択捉・国後の両島への潜在主権を認めながらも、住民に広い自治権を与えることで自治地域とすることが考えられる。もし日露両政府が島の施政権を直に行使すれば、日露の公権力の混在から、樺太雑居地(1867-1875)のような混乱を招く可能性が指摘されている。このため、住民に自治権を認め、両政府が施政権を任せることで、そうした混乱を防ぐことが必要になる。また、両島を国際連合の信託統治地域とし、日露両国が施政権者となる方法も可能である。この場合は施政権の分担が問題となる。

 共同統治論の日本側にとってのメリットとしては、難解な択捉・国後の領有問題を棚上げすることで、日本の漁民が両島の周辺で漁業を営めるようになることや、ロシア政府にも行政コストの負担を求められることなどが挙げられる。ロシア側にとってのメリットは、日本から官民を問わず投資や援助が期待でき、また、この地域における貿易の拡大も望めることである。共同統治論には、エリツィンや鳩山由紀夫、プリマコフ、ロシュコフ駐日ロシア大使(当時)、富田武(政治学者)らが言及している。法律的見地からも、日本国憲法前文2項、ロシア連邦憲法9条2項に合致する。

 北方領土問題

 6.千島返還論

 1956年に日本とソ連との間で結ばれた日ソ共同宣言では「引き渡し」となっており、「返還」ではありません。返還だと、本来、日本の領土であると言う事が前提になるので、ロシアが返還を認めることはありえません。将来、日本にいくつかの島が戻ってくる事があったとしても「引き渡し」になると思います。しかし、日本では「返還」の用語が使われているので、ここでは、「引き渡し」の意味で「返還」の用語を使います。

 注意:
 ここでは、右翼の暴論ともいえる返還論も含めて、いろいろな千島返還論を示します。しかし、日本国は、サンフランシスコ平和条約に基づき、千島列島・南樺太に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しており、その帰属についての見解を述べる立場にないので、千島列島・南樺太の請求は、条約尊守の義務に抵触する可能性があります。


 
千島返還論には、いろいろあります。


 6.1 返還不要論
 
 積極的に、返還不要論を唱える人は、日本には少ないけれど、ロシアには多い意見です。


 6.1´ 隠れ返還不要論

 隠れ返還不要論なる言葉はありません。説明のために作った用語です。
 既に、戦後60年、日ソ国交回復からも50年経過しました。50年以上前に、平和条約締結後に歯舞・色丹の返還が約束されているにもかかわらず、平和条約締結交渉は行われておらず、領土も1mmも還ってきていません。
 返還運動には国民の税金が投入され、返還運動団体や一部の学者には利権が生じています。また、総務省の役人の天下り先になっている法人もあります。このような団体にとって、北方領土が返還されたら、せっかくの利権を失うことになります。このため、口では返還を唱えながら、その実、返還交渉の進展を極度に妨害する勢力が存在します。『北方領土マフィア』『返還運動マフィア』などと揶揄されます。
 「4島一括返還をまるでお経のように唱え続けるべし」と主張する学者もいます。日ソ国交回復から、50年経っても、1mmも還って来ない主張を、このまま唱え続けて、国民の税金を返還運動関係者に、ばら撒き続けるのでしょうか。北方領土返還運動に利権のある人にとって、これほどすばらしい主張は無いでしょう。

 6.2 歯舞返還論

 日本はサンフランシスコ条約で千島列島の領有を放棄しました。放棄した千島列島とはどこであるのか、サンフランシスコ条約では定義はされていません。
 行政区域としては、国後・択捉・色丹は千島、歯舞は根室に属しています。条約で千島の範囲が定義されていない以上、行政区域として定義されている千島のことであるとの解釈が、あります。この解釈に立つと、日本は歯舞群島は放棄していない事になります。このような理由で、歯舞返還論は条約文言解釈の立場に立てば、説得力のある主張です。
 
 現在、歯舞群島は無人状態です。このため、歯舞群島の領有がロシアから日本に移ったとしても、住民問題は生じないので、扱いは比較的簡単です。もし、歯舞群島返還を日本政府が主張していたならば、返還が実現した可能性は高いものと思われます。さらに、歯舞群島周辺海域は魚介類の宝庫で、北洋漁業にとって大きな利点がありました。
 しかし、日ソ共同宣言当時、日本政府は二島返還の申し入れを拒否し、現在にいたっております。このため、現在、一島返還を主張したのでは、日本国内の世論が納得しないでしょう。

 6.3 二島返還論

 はじめに、サンフランシスコ講和条約の立場から、二島返還が可能かを見て行きます。
 サンフランシスコ講和条約で、日本は千島の領有を放棄しました。このとき、吉田全権は受諾演説の中で「日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島」と表現しています。ただし、このとき吉田全権は、千島・樺太が「日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議」したのであって、色丹島及び歯舞諸島を放棄していないなど、一言も触れていません。
 また、米国代表ダレスは、千島列島の範囲について次のように発言し、歯舞群島が千島列島に含まれないとの見解を示しています。
 「千島列島という地理的名称が歯舞諸島を含むかどうかについて若干の質問がありました。歯舞を含まないというのが合衆国の見解であります。しかしながら、もしこの点について紛争があれば第二十二条に基いて国際司法裁判所に付託することが出来ます。」
 ダレスの言う歯舞群島に色丹島が含まれるのか否かは不明です。日本が千島列島の施政権を正式に失うことになった、1946年1月のGHQ指令SCAPlN-677では、「千島列島、歯舞群島、色丹島」となっており、色丹島は歯舞群島には含まれないと解釈できます。ただし、SCAPIN-677では、色丹島は千島列島にも含まれておらず、サンフランシスコ条約での色丹島の扱いに関する米国の主張は不明です。
 ダレスは、歯舞諸島の帰属問題で紛争があれば、国際司法裁判所に付託できると言っているので、彼の主張に従えば、歯舞群島の帰属問題は国際司法裁判所で決着すべきということになります。しかし、国際司法裁判所に付託するためには、紛争当事国両国の同意が必要なので、ロシアが国際司法裁判所への付託に同意しない限り、日本への返還はありえないということになります。
 結局、サンフランシスコ平和条約の立場だけでは、ロシアの同意なしには、歯舞群島の返還も有り得ないということです。
 
 次に、1956年の日ソ共同宣言を見ると、歯舞・色丹の日本への引き渡しが合意されています。9条には次のように記されています。
 「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」
 共同宣言の中で、実際の返還は平和条約締結後となっているので、平和条約締結前に返還されないことは日本政府も合意していることになります。1956年の共同宣言以降早期に平和条約を締結していたならば、歯舞・色丹は当然に日本に返還されていたはずです。
 ところが、日本政府は平和条約を締結せずに、現在まで50年近くもの年月が経過してしまいました。50年の間には、国際情勢のみならず、住民も変わってしまいますので、50年前の返還約束が今なお、そのまま有効と単純に考えるのには無理があります。
 実際に、歯舞・色丹が日本に返還されるためには、最低限、次の2点が必要でしょう。
 ①在住民(島民)、サハリン州、ロシアそれぞれの同意
 ②環境保全に関する国際合意
 このうち、ロシアは島民・サハリン州が日本返還に同意し、かつ平和条約が締結されるなら、日本返還を拒む理由は無くなってしまいます。結局、①の条件が満たされるために必要なことは、島民の強い日本への返還運動でしょう。
 では、そのためにはどうしたら良いのか。「日本に返還されるとこんなに良いのですよ。」そういったビジョンを日本政府が示し、さらにその保証として、一部具体的な処置を講じることです。そして、このことは②の条件を満たすためにも、ぜひとも必要なことです。
 日本政府はこれまでのところ、返還要求を国内向けに繰り返すだけで、何ら返還後のビジョンを示すことも、具体的な処置を講じることも、あまりありませんでした。

 1961年ごろになると、フルシチョフは「領土問題は解決済み」との立場を表明し、日ソ共同宣言の二島引渡条項を否定する発言を行うようになります。これ以降、ソ連指導部から、たびたび、同様な発言が行われ、二島返還の可能性もほとんどないと思われていた時期がありました。
 ゴルバチョフが登場すると、再び、1956年の日ソ共同宣言を尊重する姿勢が現れます。

 プーチン大統領は、盛んに日ソ共同宣言の引渡条項に言及して、二島返還で、日ロ間の領土問題の解決を試みているような発言をしています。本気なのか、日本の国内世論の分断工作なのか、プーチンの真意は、今のところ不明です。
 現在、プーチン政権は幅広い国民の支持があり、権力を掌握しています。このため、よほどの見返りがあるならば、ある程度国内の反発を抑えてでも、二島を日本に引き渡す事は可能かもしれません。

 
6.4 三島返還論

 三島返還論を主張する人は少数です。1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結後、二島を日本へ引き渡す事が同意されました。しかし、その後、日本は四島返還を主張しているため、平和条約は締結できない状態です。
 外交も交渉ごとなので、お互い歩み寄り、お互いの主張を足して2で割ると言うような事が必要なこともあります。このような理由で、三島返還論を主張する人もいるようです。

 6.5 四島返還論

 1956年以降の日本政府の主張は一貫して四島返還論です。このため、現在、日本人の間では圧倒的多数が四島返還論になっています。
 領土交渉に限らず、外交交渉一般に相手のあることだから100%満額回答ということは、めったに無い事です。四島だけの返還を主張して、果たして四島が返還されるのか、はなはだ疑問です。

 6.6 全千島返還論

 日本人の中で潜在的に一番多い意見は全千島返還論かもしれません。
 北千島はサンクトペテルブルグ条約(千島・樺太交換条約)によって、日本が持っていた樺太の権利と、ロシアが領有していた北千島を交換した結果、日本の領土になったものです。この条約は全く平和的に行われたものでした。日ロ関係でみるならば、北千島の領有も、南千島同様、平和的に行われたものです。再び、平和な時代に戻りたいとの素朴な願望と一体化して、全千島領有論が多くの日本人の支持を受けています。
 ところで、日本政府の説明では、日本領になった歴史的経緯が異なること、植生が異なることで、南千島と北千島は明瞭に区分できるのだそうです。しかし、これは一面的な見方です。火山学では、国後・択捉に加えてウルップ島までを「南千島」とする場合もあります。歴史的に見ても、千島アイヌと北海道アイヌの境界は、択捉・ウルップと時と場合により異なっていました。このように考えると、南千島と北千島を明確に分ける根拠は、かなりあやふやなもので、千島を一帯として考えるほうが合理的とも思えます。
 現在、全千島返還論を主張しているのは、日本共産党です。共産党のホームページには全千島返還論の根拠が説明されています。
 全千島返還論の問題は、サンフランシスコ条約と真っ向から対立すると言う事です。サンフランシスコ条約は米・英を始めとする、49か国が調印したものですので、これらの国を無視して、一方的に全千島返還論を主張するわけにも行かないでしょう。
 靖国神社を始めとして、過去の歴史認識の問題で、周辺アジア諸国と軋轢を生じている現状では、日本に都合の良い歴史解釈だけでは、世界の賛同を得ることは難しいでしょう。

 さらに、全千島返還論には決定的な欠陥があります。
 北千島はサンクトペテルブルグ条約(千島・樺太交換条約)によって、日本が持っていた樺太の権利と、ロシアが領有していた北千島を交換した結果、日本の領土となりました。
 では、樺太の日本の権利・南千島の領有権は、どのようにして生まれたのでしょう。先住民であったアイヌを弾圧し、奪い取ったに他なりません。ロシアにしても状況は同じです。帝国主義的支配のみが領有の根拠という考えは、第一次世界大戦以前の思考です。なぜ、こんな、前世紀の帝国主義の亡霊を復活させるの必要があるのでしょう。
 朝鮮半島はかつて日本領土でしたが、敗戦により領有権を失いました。しかし、日本は朝鮮半島を列強から奪ったわけではありません。アイヌから奪ったのと同様に朝鮮の人達から奪ったのです。アイヌを弾圧したのと同様に、朝鮮の人達を弾圧しました。「樺太に権利があった」「南千島は日本の領土だ」、これらの考えは、朝鮮半島が日本領であるという考えとまったく同じ理屈です。
 全千島返還論を認めるならば、「朝鮮半島は日本領であり、再び戦争を仕掛けて朝鮮の領土を奪い、朝鮮を弾圧せよ」との考えを否定できなくなります。サンクトペテルブルグ条約(千島・樺太交換条約)を根拠とした全千島返還論は、絶対に容認できない、最悪の人 殺しの論理を秘めているのです。


 6.7 全千島+南樺太返還論

 サンフランシスコ条約締結当時は日本社会党が全千島+南樺太返還論でした。
 サンフランシスコ条約受諾演説で、吉田全権は、南樺太・北千島・南千島・歯舞色丹、それぞれ歴史的経緯は違うけれど、どの領土も、暴虐や貪欲によって日本が奪った土地ではないと演説しました。もし、吉田全権の演説を正しいものと受け入れるならば、全千島+南樺太が日本の固有の領土との主張もうなずけます。

 さらに、別な観点から、全千島+南樺太返還論を唱える人もいます。
 「1951年サンフランシスコ条約を締結して、日本は南樺太・千島の領有権を放棄した。同条約25条では、この条約に署名・批准しない限り、この条約により権利、権原又は利益も与えるものではないことが規定されている。ソ連は、サンフランシスコ条約に署名・批准していない。」
 このことから、南樺太・千島の領有権はソ連・ロシアには無いとの主張があります。どこにも領有権が無い以上、日本の領土のままであるという考えがあります。以上の理由で、全千島+南樺太返還論を唱える人もいるわけです。
 しかし、この考えにはちょっと無理があります。サンフランシスコ条約から直ちにソ連領であるとの結論が得られないからと言って、だから日本の領土だとの主張は成り立たないでしょう。(もう少し精密な理論があるのかもしれませんが、聞いたことが無いので知りません。)

注)日本政府は「日本は放棄したので日本領ではない」「ソ連はサンフランシスコ条約を批准していないのでソ連・ロシア領でもない」との立場のようです。「その帰属についての見解を述べる立場にない」との説明も有ります。

 6.8 全千島+全樺太+アムール川下流域+カムチャツッカ南部 返還論 (あるいは北海道返還論)

 日本とロシアの関係で見るのではなく、歴史の範囲をもっと拡大してみると、これら地域はアイヌの居住地域でした。先住民族アイヌの立場からすれば、北海道・千島・樺太・アムール川下流域・カムチャツッカ南部は、等しく不可分のアイヌの領土です。アイヌの領土に、南からは日本が、北西からはロシアが進出し、アイヌの領土を奪ってきたと言う事が歴史の真相です。

 本来アイヌの領土だった土地を、再びまとめ上げて、アイヌを始めとした諸民族の共存の地として管理すべきとの主張は、世界平和の観点から見たら、妥当な考えです。世界戦争の時代・冷戦の時代にはこのような考えは単なるユートピアに過ぎませんでした。しかし、今ではヨーロッパは一つになりつつあります。極東オホーツク地域も一つの地域として、過去の国家利害から離れて、未来の世界平和・人類共存共栄に役立ってほしいものです。

 このように言うと、聞こえは良いかもしれないけれど、アイヌを始めとした諸民族は、既に圧倒的な少数派になっています。現実問題として、日本やロシアと独立して存立するのは、無理でしょう。現実から遊離した大風呂敷を広げた返還論は、単に、言ってみただけのものです。

 6.9 バイカル湖以東「日本領」論

 一部、右翼の中にこのような主張もあるようです。
 日本政府は、50年間、四島一括返還を主張しているのに、1mmも還ってきていません。どうせ還ってこないのならば、このくらい大風呂敷を広げるのも面白いかもしれません。

 もっと、大風呂敷もあるかもしれませんが、私は聞いたことがありません。


 6.10 日本の主要政党の返還論

 日本の政党の多くは、政府と同じ、四島一括返還論です。
 自由民主党(自民党)・公明党は政権与党なので、日本政府と同じ四島一括返還論であるのは当然ですが、野党第1党の民主党も四島一括返還論のようです。ただし、自民・民主の議員一人一人は、二島先行返還に近い考えを持つ者や、全千島返還に近い考えを持つ者もあるようです。
 新党大地(鈴木宗男代議士)は、四島返還論ではあるけれど、四島の一括返還には、固執していないようです。これは、鈴木代議士が地元根室を抱えており、ともかくも早期に解決しなくてはならないという使命に基づくものと思われます。
 社会民主党(社民党)は、どのような考えなのか、知りません。党本部にMailで問い合わせてみたのですが、解答をいただけませんでした。

 こうした中、日本共産党(共産党)は、全千島返還論です。しかし、単なる選挙目当ての政治宣伝なのか、良く分かりません。


(参考)
 日本共産党(共産党)は、現在、全千島返還論ですが、かつては、返還不要論だったようです。
 宮本氏は「連合国側では、ヤルタ協定においてソヴィエト連邦への南樺太の返還及び千島のひきわたしが決まっています」「現状において、もしかりにエトロフ、クナシリが、日本の島になったりすると、誰がここに飛行場をつくるか。……日本政府とアメリカ当局が、ここにソヴィエト連邦にたいする攻撃の原爆基地をつくることは明らかであります。こういう状況において、日本の領土がかりに北の方に一つふえたとしても、それは日本人民の利益にならないで、反対にわれわれの子どももたちを第三次世界大戦、もっとも恐ろしい原爆戦争にまきこむ危険のある基地を一つつくったことになるにすぎないのであります」(一九五六年八月三一日、共産党主催・日ソ国交回復促進演説会)という立場であった。
  『奪われた北の島々 北方領土返還を求めて」 細谷典男/著 かや書房(1984.10.1)

 参考)南樺太の帰属に対する日本政府の説明

 平成十七年十月二十八日提出質問主意書および回答書(抜粋)

 <質問(衆議院議員 鈴木宗男)>
十一 「南樺太」と千島列島はロシアの主権下に置かれているとの立場を政府はとっているか。
十二 外務省が発行する「われらの北方領土―二〇〇四年版―」資料編七十一頁には、二〇〇一年一月二十九日に在ユジノサハリンスク総領事館が開設された旨記されている。この関連で、十一に対する回答が、「南樺太」と千島列島はロシアの主権下に置かれているとの立場を日本政府はとっていないという場合、「南樺太」のユジノサハリンスクに日本国が在外公館を設置するということは、日本国が「南樺太」がロシアの主権下に置かれているということを承認する効果をもたらすのではないか。

 <回答(内閣総理大臣 小泉純一郎)>
 十一及び十二について
 ユジノサハリンスクを州政府所在地とするソビエト社会主義共和国連邦及びこれを承継したロシア連邦の行政区画であるサハリン州は、我が国企業が参加する大規模資源プロジェクトの実施等により多数の邦人が進出する等、邦人保護等の領事事務の必要性が高まっていた。政府としては、我が国がサンフランシスコ平和条約に基づき、千島列島及び我が国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した南樺太に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しており、その帰属についての見解を述べる立場にないこと、我が国がこれらの地域についてサンフランシスコ平和条約に基づきすべての権利、権原及び請求権を放棄して以降、ソビエト社会主義共和国連邦及びこれを承継したロシア連邦が継続的に現実の支配を及ぼしており、これに対してロシア連邦以外のいかなる国家の政府も領有権の主張を行っていないこと等を踏まえ、千島列島及び南樺太を含む地域を管轄地域とする在ユジノサハリンスク日本国総領事館を設置したものである。

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 脚注

 参考文献

 文献情報

  • 「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」日本国外務省・ロシア連邦外務省




(私論.私見)