だが、「国民の主権」「地域主権」「国家としての主権」を掲げた小沢の策動は選挙目当てのもので、国民をあざむく欺まんにすぎない。小沢が狙っているのは、自派の延命である。 |
(私論.私見)
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小沢新党の結党を「選挙目当てのもの」、「国民をあざむく欺まんにすぎない」、「小沢が狙っているのは、自派の延命である」と看做すのは勝手だが、俗に云う下種の勘ぐりだろう。 |
重大なことは、社民党や労働組合などの中に、小沢の動きに幻想を抱き、一部に「連携」をめざす動きがあることである。歴史の教訓に学ばなければならない。小沢の前途に展望はなく、社会民主主義勢力、労働組合がこの道に追随することは自殺行為である。まして、世界的な危機が深まり労働者階級の政治的前進が焦眉の課題となる中、労働者の政治意識の発展、闘いの前進を妨げることになる。労働者階級は、長期的な展望に立って闘い、実力ある戦線の形成をめざさなければならない。 |
(私論.私見) |
小沢新党に同調的な社民党や労働組合などの動きがあることに対し、「自殺行為である」と云う。その理由として、「労働者の政治意識の発展、闘いの前進を妨げることになる」と云う。加えて、「労働者階級は、長期的な展望に立って闘い、実力ある戦線の形成をめざさなければならない」と説教までしてくれる。この説教士は、小沢新党に反目的なことが「自殺行為である」とは夢にも思っていないようである。「労働者の政治意識の発展、闘いの前進を妨げることになる」と云うのは勝手であるが何事も論証せねばならない。論証抜きの結論を弄び教師ぶるのは如何なものだろうか。「労働者階級は、長期的な展望に立って闘い、実力ある戦線の形成をめざさなければならない」も然りで云うのは勝手であるが、それを云うなら説教士は、1970年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代と如何に戦線構築に成功しつつあるのか成功裡的な動きを聞かせてくれねばなるまい。それが順序と云うものだろう。 |
「選挙目当ての新党綱領」と題して、小沢新党の綱領の「国民の主権、地域主権、国家としての主権」の三権論に対して、「政治主導でどのような政治を行うのか。旧自公政権や民主党政権と同じ、対米従属で多国籍大企業のための政治なのか、あるいはそれの根本的転換なのか、あいまいである」と批判している。 |
(私論.私見) |
説教士のこの論調も癖がある。綱領でのある程度の曖昧さは仕方ないものであり、細かい規定は別の決議によるとしたものだろう。綱領に求められているのは分析と指針であり、これを評するのが真っ当な評し方であるところ何のコメントもしていない。これをすり替えて「あいまいである」としている。癖がある評論であることが分かろう。 |
「地域主権」の「統治機構の抜本改革」に対して、「結果、住民への犠牲の押しつけを強め、地方自治をますます空洞化させるものである」と批判している。「国家としての主権」の「真の主権国家を確立する」に対して、「戦後の日本を縛り付けている日米安保条約への言及はない」と批判している。以下、日中関係論、東アジア共同体論に対しても難癖批判している。「消費増税法案を撤回させる」に対して、「小沢は細川政権で国民福祉税を策動するなど消費税増税を推進してきた人物である」と述べ、批判したつもりになっている。「増税の前にやるべきことがある」に対して、「野田政権との違いは(増税する)時期の問題にすぎない」と述べ、批判したつもりになっている。原発問題での「脱原発の方向」、「できるだけ早く新しいエネルギーへ転換する」に対して、「民主党を含む他党と大差はない」と述べ、批判したつもりになっている。続いて次のように述べている。
以上、小沢新党の綱領は、その党名も含めて欺まんである。当然ながら、対米従属で多国籍大企業のための政治を続ける、民主党、自民党などとの対抗軸になり得るものではない。野田・民主党政権への国民の不満と怒りは、ますます高まっている。だが、選挙区に足場がなく、経験も乏しく、連合の支持も得られない小沢新党の議員は、解散・総選挙となれば当選はおぼつかない。当選できるのは、現職の半数程度という予想もある。 |
(私論.私見) |
「小沢新党の綱領は、その党名も含めて欺まんである」、「当然ながら、対米従属で多国籍大企業のための政治を続ける」、「民主党、自民党などとの対抗軸になり得るものではない」、「選挙区に足場がなく、経験も乏しく、連合の支持も得られない小沢新党の議員は、解散・総選挙となれば当選はおぼつかない。当選できるのは、現職の半数程度という予想もある」と勝手に云うのも勝手だが、何しろ云うばかりで論証がない憶測で批判を続けていることが分かる。罵倒言辞ばかりが好きなのが分かる。 |
綱領や「反増税」を装うスローガンは、こうした事情に規定された選挙目当てのもので、有権者の支持をかすめ取ろうという狙いからのものにすぎない。小沢は、かつてのイタリアの政党連合を語らい、橋下や河村・名古屋市長らとの「オリーブの木」などと言っている。これも同様の選挙目当てで、さも展望があるかのように見せかけるためのものであることは、志位・共産党委員長との会談で小沢が自白している通りである。要するに、小沢に確固たる戦略があるわけではない。政界・政党再編が避けられない中、自派を生き残らせ、米国と財界に尽くす「次の出番」を待つ程度のことである。このような小沢の術策に、一切の幻想を抱くことはできない。 |
(私論.私見) |
もう解説は不要だろう。相変わらず憶測推理批判を弄んでいる。「オリーブの木対談」の評もオカシい。小沢代表の方から持ちかけ、志位・共産党委員長が否定している構図を訝るのが普通であろうが、意味不明の「小沢が自白している通りである」で評している。結論だけはちゃつかり「このような小沢の術策に、一切の幻想を抱くことはできない」と述べ、批判したつもりになっている。 |
以下、小沢代表の政治履歴を素描して、次のように総評している。「小沢が追求し続けたのは財界のための保守二大政党制であり、彼の著書『日本改造計画』にある通り、国内の徹底した改革と日米同盟の強化、英国並みに戦争ができる同盟国へとつくり替えることであった。この点で戦略的に一貫していたからこそ、小沢は財界から重宝され、温存され続けたのである」。 |
(私論.私見) |
既に判明している通りの云いたい放題士であるから何を云おうと構わないのだが、せめて「財界から重宝され、温存され続けた」小沢代表が何故にバッシング渦中にあるのか説明せねばならないだろう。この肝腎の問いを設けていない。 |
次に社会党論に転じ、次のように蘊蓄を垂れている。「闘う勢力は、こうした経験を忘れるわけにはいかない。まさに、小沢に翻弄(ほんろう)され、戦略もなく利用されたあげく、衰退してきた歴史なのである」。 |
(私論.私見) |
この論者は、他党の社会党に説教する暇があったら、手前の労働党の素晴しい発展を説いて聞かせるのが筋だろう。 |
次に経済及び体制的危機に触れ、次のように主張している。「労働者をはじめとする国民諸階層の生活はいちだんと危機的で、打開は急務である。野田・民主党はもちろん、小沢、橋下や他の議会政党も、このような難問山積のわが国で政治を行わなければならない。対米従属、多国籍大企業のための政治で同じ立場に立つ、与野党の限界は明らかである。独立・自主で国民大多数のための強力な政権でない限り、わが国の進路を切り開き、国民の生活と営業を守ることは不可能である」。 |
(私論.私見) |
この論者に云わねばならない。他党の批判はもう十分であるので、手前の党の士新 |
締めで、再び社民党論に入っている。どうやら社民党が小沢新党と連携の動きが起きに召さないらしい。次のように説教している。「この道に展望はない。歴史の教訓を忘れ、今また、新たな幻想を抱いて小沢と連携すれば、闘いを望む多くの社民党員、労働組合の活動家はもちろん、悪政への怒りを高める労働者、国民諸階層を、またも裏切ることになる。社民党自身にとっても自殺行為である。資本主義の危機が深まる激動の情勢である。先進的労働者は長期的な展望に立たなければならない。労働者階級の党を本格的に建設し、革命的労働運動を発展させなければならない。わが党は、この責任に応えるべく奮闘する。わが国労働者階級は議会主義の与野党、ましてや小沢新党に頼らず、断固たる闘いを発展させ、広範で実力ある国民的戦線の中心勢力として闘わなければならない。先進的な人びと、政党人、活動家は、長期的な闘いで共同の戦線を形成すべく、力強く前進しよう」。 |
(私論.私見) |
云うのは勝手だから何を云っても良かろうが、この論説士の下では百年たっても千年たっても「労働者階級の党を本格的に建設し、革命的労働運動を発展」させることはできまい。かように歪んだ史観と見立ての共同戦線の構築なぞご遠慮させて貰うしかない。れんだいこの結論を申せば、戦後日本の保守本流を形成した自民党は都は政治こそ耳目を洗って検証すれば、日本的土着的な左派政治であった可能性が強い。この政治を擁護せず、この政治故に叩く日共式理論と実践の真似ごとばかりする日本左派運動は根本のところで腐っている。故にあらぬ戦いで自己満悦しているに過ぎない。もはやそういう遊びは要らない。状況も厳しいので、本物の日本政治を確立し、日本の自律自存をかけた闘いへ向かわねばならない。旧態然の左派政治は要らないと云うより却って邪道であり、口先の思いとは別に実際にやっている事は反動でしかなかろう。そう批判しておく。
2012.7.22日 れんだいこ拝 |