れんだいこの小沢政治論、小沢政治の位相考 |
(最新見直し2010.08.07日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、れんだいこの小沢政治を記し、世に問うことにする。 2010.08.07日 れんだいこ拝 |
2010年9月14日、民主党代表選が行われる。政権交代政権三番手の首相を選ぶ重要な党内選挙戦となる。菅の続投となるのか、鳩山-菅と続いた党内右派政権からの転換となるのか興味が湧く。小沢が立つのか、この場合選ばれるのか。党内融和を優先して第三の候補に決着するのか等々憶測が飛ぶ。いずれにしても、今度こそは挙党一致内閣でなければ話にならない。鳩山政権は一応は挙党一致にシフトしていた。それ故に8カ月持った。8カ月で潰えたのは遊び人政治に終始し、何ら目ぼしい仕事をしなかったからである。沖縄の普天間基地移設問題ではスッタモンダの挙句に自公政権時の辺野古案に差し戻すと云う醜態を見せ、結果的にこの愚采配が命取りになった。「政治とカネ問題」でも揺さぶられたが、反動派の後押しでハッスルした検察当局の狙いは小沢潰しの方が本命であったので、これが原因で鳩山政権が潰れたとはし難い。 これに対し、菅政権の賞味期限は僅か3ヶ月で終わった。党内右派シオニスタンばかりを登用させると云う片肺飛行で組閣し、7.11第22回参院選での不謹慎極まる逆走采配で正体を顕わし、敗北責任を何一つ取らず居直ることで醜悪な限りを見せつつ今日に至っている。れんだいこは、菅がこれほどアカンタレのカンカラカンとは思わなかった。今や菅を勘当することのみが日本政治の誠実な政治執行となるべきであろう。ところが菅は未だに勘違いしており、来る代表選に出馬し続投意欲を示している。これは菅の意思と云うより、菅を操る背後勢力のリモコンによると受け取るべきだろう。そういう意味で、9.14代表選は、菅の背後の反動勢力と真の政権交代勢力との抜き差しならない政治闘争として窺うべきであろう。 こういう見方を披歴すれば、自称インテリからの陰謀論ナンセンスの声が届きそうである。しかし敢えて云う。歴史的に陰謀勢力が存在し、陰謀政治を仕掛けている時にこれを批判しない政治眼力こそナンセンスではなかろうか。よって陰謀論ナンセンス論者に云い渡しておく。陰謀論にシフトし警鐘乱打することこそが政治センスであり、これを見て見ぬふりすねことこそナンセンスであると。かくして、同じ陰謀論の言葉の廻って評価が真っ二つに分かれていることになる。れんだいこに云わせれば陰謀論は政治センスリトマス試験紙であり、これを認めぬ者はそれだけ陰謀勢力に籠絡され飼われエージェント化されていることを自己暴露しているに過ぎぬ。本来は恥ずべきであるが、こういう輩に限って電波に公然登場し、痴呆顔を晒し、御用評論に明け暮れると云う癖がある。加えて官房機密費を貰うのが得手らしく、何食わぬ顔して引き続きテレビ評論する芸当を見せる。今やこういうカエルのツラにションペン人士が多い。そういう御仁がよりによって「政治とカネ問題」を講釈する。仮に「言論とカネ問題」を聞かれたらどう口をパクパクさせるのか心配になるが、世の中うまくできており、聞かれぬから御身安泰と云う仕掛けらしい。しかし考えて見たらカネを貰うのはまだ可愛い方で、地位を貰い権力を貰う者の方が飛びつけ昇段者だろう。東京都副知事の猪瀬辺りが出世頭になるが、いっそのこと「言論力による地位買収能力譚」を講義させてみたい。 もとへ。9.14民主党代表選に小沢が出るのか出ないのか分からないが、この辺りで小沢政治論をしてみたい。小沢政治をどう評するのか、その政治は右なのか左なのか、その能力は史上のどの辺りなのか、その特質はどこにあるのか解析して見たい。特に、日共、新左翼系の一部に未だに根強い「角栄政治の流れを汲む極悪非道政治家論」の虚構を撃ってみたい。れんだいこは土着左派系イデオローグを自認しているが、この観点から見る時、小沢政治を誹謗する日共、新左翼系の生態こそ「左派の顔した実は右派、それも現代世界を牛耳る国際金融資本の裏からの雇われ組」であることが透けて見えてくる。これを論証してみたい。仮に「池田―角栄―大平―鈴木―小沢政治」と銘打つとして、これを誹謗し続ける左派者のサヨぶりを暴露してみたい。小沢政治論解析は、そういう裏政治の仕掛け批判を介在させずには進めない。 「池田―角栄―大平―鈴木―小沢政治」は実は、非常に日本的な「伝統的和の政治」を旨とする流れの中での土着系左派政治である。れんだいこは、かく見立てている。これもれんだいこ史観の一つである。「池田―角栄―大平―鈴木―小沢政治」を排撃すればするほど日本は国際金融資本支配に隷従し、右派政治になる。付言しておけば、この場合の右派とは国粋主義的な意味での右派ではない。正しくは、右派の顔した実はネオシオニズムに籠絡されたシオニスタンと云う日本政治史上初の戦後ウヨと云うべき売国奴を云う。中曽根にせよ小泉にせよ、首相の靖国神社公式参拝で物議を醸したが、それは右派の演出に過ぎない。まさにいろんな意味での靖国神社の政治利用であったとして批判すべきであろう。この両首相は、アジア内が相互に対立し悶着を起す為に靖国神社を詣でている。英霊の御霊に拝する為に詣でたのではない。右派は、ここを怒るべきであろう。 1976年のロッキード事件で戦後保守系ハト派の総帥・田中角栄が政治的にはがい締めされ絞殺された度合いに応じて、戦後日本は一瀉千里に国際金融資本支配隷従の道へ走って行くことになった。それまでの経済的成功により蓄えた国富がお供えさせられ続け、国債が歯止めなく発行され続け、まだ絞れるとして消費税3%が導入され5%にされ、国土総合開発プランに基づく公共事業投資による社会基盤整備が日本の活力の源泉になっているとしてこれを解体させられ、代わりに軍事防衛費と原子力発電開発費が膨張させられ、親方日の丸式日本秩序が日本支配の邪魔になるとして労働省が解体され、教育が荒廃させられ、植民地系音楽が吹聴され、テレビ電波でバカ番組を流し続け云々と云うように数え上げればキリがない日本溶解策が講ぜられることになった。お陰で今日の惨状に向かうことになった。 小沢政治論は、この現状に対し、小沢が日本をどう立て直そうとしているのかの解析から始まる。結論から云えば、小沢は、かっての自民党内ハト派政治の再興を良しとして現代的バージョンで感応せんとしているように見える。単に古(いにしえ)に戻すのは復古でしかないから、新しい革袋でこれをやろうとしているように思える。どこまでできるかは分からないが、小沢一人でできるものでもなかろうが、その「打ったて」は小沢にしかできまい。ここに小沢政治の政治史的意義が認められる。しかしながら、東京地検特捜部の執拗な小沢政治訴追の動きでも分かるように、小沢政治をさせない牢とした動きが存在する。これとどう闘いつつ押し進めるのか、これが政治闘争となっている。 以上を、小沢政治論その一とする。 2010.8.8日 れんだいこ拝 |
小沢は満を持して「2010.9.14民主党代表選」に臨み、選挙の不正も囁かれているが、それはともかく負けた。この経緯で、れんだいこには気づいたことがあるので、これを世評に問うことにしたい。特に、日本左派運動のデタラメの見識を批判したい。 小沢政治は、戦後保守政界の中に於いて護憲を基準にして、これを遵守するハト派と改憲を企図するタカ派との識別に照らす時、ややハト派と云う位相に位置している。ハト派の総帥は池田隼人―田中角栄であった。タカ派の総帥は岸俊介―中曽根康弘であった。この系譜が後継されており、ハト派を継ぐのが小沢であり、タカ派を継ぐのが小泉である。但し、小沢の場合、角栄のハト派よりもタカ派性が強まっている特徴が認められる。とはいえ全体として見ればハト派の範疇であろう。 この見立てがなぜ重要なのか。それは、日本左派運動の反角栄反小沢闘争の歪みネジレを質す為である。日本左派運動の戦前来の老舗である日本共産党は、衆知のように反角栄、反小沢に狂奔している。これをどう諒解すべきだろうかと云う政治的考察が必要となっている。誰か、れんだいこ以外に、これを説明できる者が居るだろうか。この謂いは、れんだいこを自尊させようとして云うのではない。日本共産党の歪みネジレを質したい為のものである。日本共産党は何故に、タカ派に対してよりもハト派に対して一層の批判運動を逞しゅうするのだろうか。これは有り得てならない奇異な政治現象である。そのは奇異さが訝られずに通用しているところに日本左派運動の貧困がある。と、れんだいこは考えている。以下、これを考察する。 日本共産党の変調差に対して、れんだいこは、戦前党史論、戦後党史論、宮顕論、不破論、戦後学生運動論等々で解析している。これを読んでいただければ理解を共認いただけるものと思うが、それらはそれぞれ分量があり一朝一夕に読み通すことが困難である。そこでエッセンスを抽出し結論を書きつけて見る。 9.17日、日本共産党の市田忠義書記局長は、同日改造を行った菅内閣評で記者会見し、「アメリカと財界が歓迎している内閣だ」として縷々批判した後、「政治とカネ問題」について引き続き責任追及して行くと述べた。ところが、翌日の赤旗の「「米国・財界 歓迎内閣だ」 市田書記局長が会見 菅改造内閣が発足」には、後半の)。「政治とカネ問題についての責任追及継続」の下りがカットされている。6.17日付け主張「菅政権改造 古い政治続ければ行き詰まる」でも然りである。 これはどういうことであろうか。 |
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(私論.私見)