■阿吽の呼吸
それがどのようなものであったかは、私も知らないが、あれほど強気だった小沢をもってして、検察を公平公正の権化のようにいわしめるような何かだったのだろう、とはいえる。その態度の変化から推しはかるに、検察は小沢を追いつめる相当の隠し玉を持っていることを小沢にある程度明かした。しかし、それを使わないで不起訴で結着をはかるという形で、小沢に大いなる恩を売ったということではないのだろうか。
ついこの間まで、検察との対決姿勢を強めた小沢は、検察官人事に手を突っ込み、民間人から検事総長を起用するとか、検察庁の機構改革、取り調べ過程の可視化など、過激な改革策をいろいろ考えていると伝えられていたが、もしそうだとすれば、おそらく、そういう姿勢も含めて、小沢はこれから対検察の姿勢が大きく変っていくにちがいない。
なにか大きなものを検察につかまれたままで、この事件が完全結着したとはいいがたい状況の中で、検察と小沢の間で阿吽の呼吸の大きな取引が進行したということが小沢不起訴の本当の裏側なのではないだろうか。阿吽というところが大事で、このような取引は決して言葉では明示されないし、いかなる形でも証拠は残さない。だから、後からどちらの側もあったとも、なかったともいうことができる。いってみれば、その後の小沢の大いなる態度の変化がそのような取引を受けたという意思表示といえる。
■小沢も検察も「安泰」か?
小沢は実は、自民党の最大の実力者の一人として、政界の裏側をたっぷりのぞいてきた。政治と検察の関係の裏側もよく知っており、『小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞出版)の中で、指揮権発動に関して以下のようなことをいっている。伊藤栄樹とは別の意味で、指揮権発動なんて、何度も行われてきたといっているのだ。
小沢 犬養法相の場合は「やるな」というほうの指揮権発動だった。法相が疑獄捜査をとめたから、国民から批判されたのだ。しかし、田中先生と金丸さんについては「捜査をやれ」という指揮権発動だった。
――それでは、大物政治家に対する検察の捜査は、政権の側から「いいよ」という判断がないと、やりたくてもできないのですか。
小沢 検察が政界の大物を対象にした捜査をやるときは、必ず総理にお伺いを立てます。行政ですからね。金丸さんのときに、検察が政権のだれと話したか、僕は詳しくは知りませんけども。だけど、おそらく、あのときに首相だった宮沢喜一さんが、検察の捜査方針に「うん」と言ったんでしょうね。そうでなきゃ検察は捜査をやりっこないですから。そして、竹下派議員は少なくとも半分は、金丸さんの捜査を許容していた。
――竹下さん自身はどうだったのですか。
小沢 許容した側です。
こういう経験を積んできた人間が、今回は政権中枢に座っており、しかも自分自身の政治生命にかかわる事態におちいったのだから、権限上も許される影響力を存分に行使したはずである。そしてそのような小沢の出方を十分に知っていた検察は、その捜査力を行使して、小沢に対する交渉力のもととなる材料をたっぷり仕込んだ上で、小沢との取引にのぞみ、「不起訴」決定と引きかえに、検察側も取るべきものはたっぷり取った(検察組織安泰)。しかし、そのような取引を表に出すわけにはいかないから、いまは検察の捜査がなぜどのように失敗したかというウラ話をさかんにリークして、それをマスコミがよろこんで書いているという状況ではないのか。
おそらく、この事件の本当の裏側が外部にもれてくるのは二十年後、三十年後ということになるのではあるまいか。私は過去二回の記事で「小沢はもう終り」と書いてきたが、不測の事態が起きないかぎり(たとえばフリージャーナリストによるバクロ、検察審査会の起訴決定など)小沢の政治生命安泰、検察の組織安泰という日々がつづくのではないか。
そして、造船疑獄を乗り切った佐藤栄作が、その後、検察主流と最も関係が深い政界実力者となり、政敵追い落としに検察権力を存分に利用し、史上最長の政権をきずくことになったなどという時代がもう一度現出することだけは願い下げにしたい。(文中一部敬称略)