れんだいこ見解「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件考」 |
(最新見直し2009.3.8日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
れんだいこ見解「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件考」を書き付けておく。 2009.3.4日 れんだいこ拝 |
【れんだいこ見解「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件考」】 |
近現代史の重要な政治的事件の殆どに、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義ネオシオニズムが関与しているとの仮設に立つならば、何度も騙されぬ為にも、それがどういう風な手口でもたらされているのかについて確認しておくことが必要であろう。「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」は1970年代後半を揺るがした日本政治最大の「特定政治家狙い撃ちの国策疑獄」となったロッキード事件以来の事件であり、ロッキード事件ほどの大震撼を生まないものの、明らかに田中角栄系譜の政治化訴追である点で見逃すことができない。日本左派運動は、ロッキード事件の際に見せた無能振りを繰り返してはならない。そういう意味で、れんだいこが言及しておくことにする。 こういう場合の手引き書となり得る「シオン長老の議定書」からの一節を確認しておく。日本左派運動内のサヨ勢力は、アンネの日記については偽書説が指摘されているにも拘らず実書だと言い張り、ナチスホロコーストに様々な過剰なプロパガンダ性が指摘されているにも拘らず実際にあったことだと言い張り、南京大虐殺事件にも様々な疑問が提起されているにも拘らず大虐殺間違い無しの論陣を張り続けている。その癖、この「シオン長老の議定書」については偽書だと云う。どういう論理構造しているのか分からないが、真偽を便宜に使い分けている。 れんだいこは逆に、サヨが実書、実際にあった出来事としていることに疑いを持ち、サヨが偽書だとしているものに実書ではなかろうかと疑いを持っている。先ほど亡くなった日共指導者・宮顕の「戦前共産党中央委員小畑査問致死事件」についても、宮顕の主張する如くな静謐な査問過程中の当人に責任のある急性心臓麻痺的ポックリ死など信じられるべくもなく、逃亡を図った小畑を関係者総員で取り押さえたことによる羽交い絞め圧殺死と見なしている。なぜこのように見立てが異なることになるのか興味深いが、れんだいことサヨの判断は悉く齟齬対立している。れんだいこ的には、日本左派運動が一刻も早く本来の左派的認識を獲得せんことを願っている。 もとへ。「シオン長老の議定書」はロスチャイルド1世の講演録と思われ、このマニュフェストをもって国際金融資本形成、その世界席巻、ネオシオニズム運動が強力に推し進められることになったという意味で世界史的重要文献である。ロシアのロマノフ王朝の密偵が命がけで手に入れたことが伝えられている。同書はネオシオニストが陰謀的に世界支配を目論む為の教本であるが、政治家飼い殺しの秘法を次のように記している。 れんだいこは滅法興味を覚えて、「シオンの議定書全文」の他に内容別に仕分けして「シオンの議定書テーマ別文」をもサイト化している。「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」の考察に直接関係するのは、その中での「ゴイム政府操作、要職者操作に関する記述一覧」であろう。この記述は更に「「ゴイム政府操作に関する記述一覧」、「「ゴイム政府の要職(大統領、首相その他)操作」に関する記述一覧」に分かれる。2006.9.20日付けのれんだいこのカンテラ時評216、「シオニスタン首相続投に対するれんだいこ批評」でも確認しているが、概要次のように記している。 我々が望む首相や行政官には次のような者が相応しい。まず奴隷のように従順な資質である者が相応しい。政治能力に長けた人物は相応しくない。将棋の歩(ふ)のような役目を引き受けさせれば良い。とかく過去や世評に何かとあり、国民との間に溝がある人間が望ましい。そういう人物であればいつでも処罰し放逐できるからである。それを見た後釜は恐れをなし、更に云うことをきくようになるだろう。 我々の計画が然るべき成果を挙げるためには、過去の身上に脛に古傷を持つ候補を選んで立候補させ選挙に臨む。そして当選させる。すると、そういう連中は旧悪を暴露される怖さと権力を得た者の常で、特権と名譽を失うまいとして我々の計画達成に都合の良い代理人となるのである。かくて傀儡大統領ないし首相となる。 大統領は、幾通りにも解釈できる法律の意味を、我々の意図する通りに解釈するであろう。大統領はさらに進んで、我々が廃止の必要を指示すれば、法律を廃止することもやるだろう。その他に、大統領は新たなる臨時法を提案する権限を持つようにさせる。また、国利国益のためにはこれが必要だと言いつくろって、憲法の枠から逸脱した新しい法案すら提案する権限を持つようにさせる。(要約以上) 思えば、小泉はまさにピッタリの首相であった。5年5ヶ月有余在任という長期政権を許したが、マスコミは概ね阿諛追従し、その失政を問うことはなかった。同じ穴のムジナだからして、問うこと自体がないものねだりなのだろう。だから、れんだいこは、何も期待しない。思えば、ロッキード事件の際に角栄放逐の提灯記事を書いた者ばかりが出世し、最近はテレビのコメンテーターとして登場している。こやつ等に小泉政権批判を願うのが土台無理というものだろう。 それにしても、現役の首相がプレスリー邸訪問の後イスラエルに立ち寄り、彼らの歴史的怨念復讐誓いの聖地である「嘆きの壁」にわざわざ出向き、ユダヤ帽被って神妙な顔つきで宗教行為してきたというのに、これを咎めるメディアが無い。靖国神社参拝どころではない、現役首相の外国宗教信徒行為なのに責任が問われない。野党もこぞって未だに沈黙している。 こうなると、政治は与野党含めて皆談合の積み重ねかも知れない。政府批判も許容範囲のヤラセかも知れない。マジメそうに歳出削減議論しながら、この間湯水の如く軍事防衛費が垂れ流しされていることに見てみぬ振りをしている。思いやり予算段階を終え、至れり尽くせり予算まで計上されつつあるのに、お茶濁し批判で事勿れしている。 もとへ。ここで「シオン長老の議定書」を引き合いにしたのは、「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」を正確に理解するための基礎知識と思うからである。現下の日本政治の局面は、政権の自民党から民主党への転換期にある。民主党の総帥・小沢に対する国策捜査は、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムが小沢政権への移行を阻止せんとして仕掛けていると窺えばよい。 ならば、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムが小沢政権を嫌う理由は何か、これを詮索せねばなるまい。れんだいこの見立てるところ、小沢総帥率いる民主党政権の実現は、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムから見て「日本政治の傀儡化」の後退と見なしているのではなかろうか。これは、小沢総帥率いる民主党政権に対する評価であって、民主党に対する評価ではない。民主党は既に自民党と何ら変わらないくらいに傭兵化されている。従って、何としてでも、小沢の失脚を仕掛けているとみなすべきではなかろうか。「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」の裏には、この要因が有ると思われる。 次に、なぜこの時期に事件が引き起こされたのか、これを詮索せねばならない。これは、かんぽの不正払い下げ問題で、小泉−竹中−西川−宮内ラインの国会喚問の流れが醸成されつつあるのを受けて、これの関心からそらさせる常套的なすり替え「かんぽ問題隠し事件」として発生させられたものとして受け止める必要があろう。簡略に結論だけ述べればそういうことになろう。 これについては、植草一秀氏の「知られざる真実」の2009.3.3日付けブログ「小沢代表秘書逮捕・予想通りの政治謀略の深い闇」(http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cee1.html)が的確に指摘している。れんだいこが咀嚼すれば概要次のように述べている。 |
Re::れんだいこのカンテラ時評547 | れんだいこ | 2009/03/08 |
【たすけあい党声明「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」考】 「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」に端を発して、早くも小沢辞めろ論が跋扈している。れんだいこがたすけあい党を代表して声明しておく。 この事件は明らかに国策捜査である。小沢民主党代表の国策捜査批判は当然の反論であり、我々はこの反論観点を支持する必要がある。民主党内部から小沢代表に対する「云い過ぎ」批判の声が聞かれるがお粗末限りない。断然、新政権の芽を潰させないとする観点から一手一つになって検察批判に向かうべきである。我々は、ロッキード事件以来ぶりがつき日常茶飯となった「検察の政治主義性捜査」に批判の声を挙げるべきである。 検察が正義ぶるなら、このところの国民的政治関心である「かんぽ元国有施設の不正払い下げ事件」の究明に向かうべきであろうに、何ゆえこれに向かわず黒にするには相当無理がある選挙資金規制法違反容疑で逆対応的「小沢潰し」に向かっているのか。これを訝らねばなるまい。この疑問を解くには、ある歴史観が必要である。この歴史観がなければ、いつもの世論誘導に乗せられてしまう。ロッキード事件の時は酷かった。今から考えると全てが無茶な角栄潰しであった。 その歴史観とは、日本のみならずであろうが現代世界の政財官学報司の六者機関を牛耳る真の支配者として影の政府となっている国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの暗躍をトレースする手法を云う。この観点から政治事象を読み取れば、戦争も革命もクーデターも、こたびの「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」も裏事情が容易に透けて見えて来るから不思議だ。 2009年は、イスラエルのガザ攻撃で幕開けした。国際金融資本帝国主義ネオシオニズムがパレスチナに於ける大イスラエル計画構想アジェンダの下に執拗に策動し続けていることが判明する。彼らにとっては、国際金融危機も織り込み済みのことかも知れない。ただひたすらに狂気の世界支配に向かい続けていることが分かる。れんだいこは、現代パリサイ派の悪行とみなしている。 その彼らは今、養豚政策で太らせた戦後日本を便宜に利用しようとしている。一つは国富の収奪であり、いろんな名目をつけては支援金、協賛金を収奪している。この政策の還で、民族系優良企業の外資化、「埋蔵金」の濡れ手にあわ式詐取が進行している。国営企業の相次ぐ民営化もこの流れで捉えれば良い。もう一つは、一刻も早い自衛隊の参戦化である。日本をアジア、アラブと闘わせるシナリオが進行中である。自衛隊は既に日米合同軍事訓練を年々積み重ねており、いつでも参戦できるようスタンバイされつつある。憲法改正はこの流れで捉えれば良い。若年層の派遣社員化も自衛隊員予備軍づくりとして政策的に生み出されている可能性がある。 もとへ。その彼らの日本政界を御する戦略から見て邪魔な存在がある。れんだいこの見立てるところ、日本戦後政治史上のハト派である。現在に於いては既にかって存在した保守主流としてのハト派は居ない。吉田茂−池田隼人−(佐藤栄作)−田中角栄−大平正芳−鈴木善幸系譜の政治イデオロギー及びその政策は久しく地下に潜っている。現在残っているのはねじれハト派でしかない。ネオシオニストは、この勢力による昨今の自公政権打倒の動きを警戒している。それゆえ、ねじれハト派でしかなくても陰に陽に機会を見つけては最後的掃討に目を光らせている。 この間、対極的に勢力を増長してきたのは福田、中曽根系のタカ派である。この戦後タカ派は、戦前の皇国史観に基く右派系タカ派ではない。現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の御用聞きを専らにする売国奴系タカ派である。これに忠勤すればするほど名宰相の称号が与えられる。逆の場合には暗愚とののしられる。この仕掛けを思えば、中曽根、小泉が名宰相とされている秘密が分かろう。定見の無いマスコミはワシントン情報を基準にする癖があり、これに従って今も御用提灯している。ここまで述べれば、「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」の裏事情が透けて見えて来たであろう。 この問題で確認せねばならないもう一つの視点を提供しておく。一般論になるが、我々はそろそろ「政治とカネ」の基準目線を確立しておくべきではなかろうか。政治家には、私腹を肥やす場合と党ないしは派閥を維持する場合と政策実現の為の三方の理由からカネが掛かる。これをどう容認し規制すべきか、この基準を確立せねばならないのではなかろうか。 一見、共産党的個人のみ献金論が正義のように思える。しかし、何事にも物事には良い面と悪しき面の両面が不即不離にある。「共産党的個人のみ献金論」は、政治家を常に金欠状態に追いやり、党中央の言いなりロボット党議員にしてしまうと云うデメリットがある。政治のダイナミズムの見地からすれば、決して正論ではない。他方、献金を野放図にすると、議員が巨額献金先の言いなりロボット族議員にしてしまうと云うデメリットがある。つまり、「政治に於ける政治とカネ問題」はジレンマにあるということを知っておく必要がある。 これについて思うのに、こたび小沢代表が弁明した際の論法は傾聴に値するものがあった。曰く、政治資金をいただくのに個人からも企業からも業界からも可であり、但しいずれも政治資金帳簿に記載し公開する義務がある。議員は選挙の洗礼を受ける身であり、選挙民は議員の政策と活動と献金リストを判断しつつ投票することで政治に於けるチェックアンドバランスが担保されている云々。企業献金に基く特定受注活動が露骨に行われていたとしたなら政治責任が問われるべきであるが、そういう事実はない云々。 思うに、これは卓越した見解ではなかろうか。政治の現実を踏まえた良識的叡慮を語っているのではなかろうか。マスコミと自称知識人は条件反射的に政治に纏わるカネを批判合唱する癖があるが、いくら正義ぶってもぶてばぶつほど現実から遊離するのではなかろうか。こういう小正義派が跋扈し過ぎており、その分本音の話ができないのではなかろうか。 これをたすけあい党の例で考える。我が党はこうしたいと思う。個人献金も企業献金も業界献金も、くれるところから全部貰いたい。企業献金に基く特定受注活動も、それが社会公益的に役立つことであれば遠慮なくさせて貰う。口利き料として謝礼が為されるなら全部貰い政治献金帳簿に漏れなく記帳する。但し、献金受け取りの上限額を決めておきたい。個人は自由、企業献金は1千万円以内、業界献金は1億円以内としておきたい。選挙等で必要な際に借りることができるようにもしたい。党議員の場合には、個人は毎月1万円以内、企業献金は1千万円以内、業界献金も1千万円以内としたい。パーティー券は、党の場合にも議員の場合にも常識の範囲としたい。これらはすべて帳簿付けせねばならない。 かく思っている。これで何らやましいことはないと思っている。政治家は政治が本業であり、本業で精査批評されるべきであり、下半身やカネ目の問題でスキャンダル化されるには及ばないと考えている。現代政治批評はここが逆転しており、政治家が政治で判断されず、スキャンダルで失脚させられてばかりいる。これでは政治家が育たず、結果的に良い政治が行えなくなるのも自明であろう。相撲取りは土俵で、歌手は歌で判断されるべきであり、政治家も同じことであろう。 もう一つ、「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」の臭い面を確認しておく。仮に政治利権が悪いとして、利権は大きく見て公共事業利権と軍需利権に分かれていることを知らねばならない。ハト派が前者に食いつき、タカ派が後者に群がる傾向が認められる。興味深いことは、検察司法が槍玉に挙げるのは専ら公共事業利権の方である。中曽根−小泉系譜の軍需利権は叩けばホコリが出るであろうが、検察は向かわない。先の防衛次官の不正追求も不自然な形で沙汰止みにされてしまった。この選別特捜は何を意味するのか。れんだいこが繰り返すまでもあるまい。 結論。アメリカではオバマ革命によりチェンジが始まろうとしているが、それが上手く行くかどうかは別としてアメリカではブッシュ的戦争政策からの転換が始まっているこの折に、日本は手薄になる米軍の後釜の役割を引き受けさせられようとしている気配がある。日本は相変わらずブッシュ的戦争政策に追随していることになる。その為に日本版チェンジを画する頭目の小沢が邪魔になっており、こたび司直の手で潰されようとしている事態として受け止める必要があるように思う。検察の正義と云っても、この程度のものでしかなかろう。検察の正義を提灯する者が揃って馬鹿顔しているのも辻褄が合っていよう。 2009.3.8日 れんだいこ拝 |
副島隆彦氏の「今日のぼやき」の2009.3.10日付けブログ「bP022 アメリカの「虎の尾」を踏んだ小沢一郎 (その2) 田中真紀子の愛国的なテレビ演説に日米謀略部隊は震え上がっただろう 」を転載しておく。
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(私論.私見)