小沢パッシング考その6、小沢不起訴後の流動1

 (最新見直し2010.02.04日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、第6ラウンド、「小沢不起訴後の流動その1」を確認しておくことにする。

 2010.02.04日 れんだいこ拝




Re::れんだいこのカンテラ時評665 れんだいこ 2010/02/06
 【小沢不起訴後の流動その1、石川議員辞職勧告運動の胡散臭さ考】

 
2.5日、小沢キード事件で逮捕され、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で起訴された衆院議員石川知裕(36)、元私設秘書池田光智(32)両被告の弁護人は、東京地裁に保釈を申請した。小沢氏の公設第1秘書大久保隆規被告(48)も申請した。同日、東京地裁は保釈を認める決定をした。これにより、3人は保釈保証金を即日納付して保釈された。保釈保証金は石川議員が1200万円、大久保被告が700万円、池田被告が同300万円とされた。「検察側は保釈に反対する意見を出したとみられるが、準抗告はしなかった」とある。

 保釈された石川議員は、弁護士を通じ、次のコメントを出した。「一部に報道されるような不正な資金を受け取ったことは断じてないことを誓います。皆様にご心配をおかけして誠に申し訳ございません。今後については、支援者の皆様方のご意見も伺い、近日中に決めたい」。大久保秘書は弁護士を通じて文書で次のようなコメントを発表した。「関係者の方々にたいへんご心配をおかけし、まことに申し訳ございませんでした。問題とされている政治資金に関しては、私は政治資金規正法の定めに従って適切に処理し、かつ、そのとおり政治資金収支報告書に正しく記載したものであり、法を犯す意図など毛頭なく、やましいことをした覚えはありません。この点は、裁判の中できちんと争うべきことで、自分の主張は法廷で明らかにしてまいりたいと思います」、「過去において小沢先生に迷惑がかからないよう良かれと行った自分の判断が、結果として大変なご迷惑をお掛けしたことを誠に申し訳なく思っております」。

 かくなる決着を迎え、小沢パッシング劇場が一休みするかと思いきや、日共式政治的道義的責任論の合唱が始まっている。マスコミ各社は、検察の車輪が脱輪したのを確認するや、日共の車輪に乗り換えた感がある。これにもの申しておく。


 れんだいこは、バカも休み休み言いたまえと云いたい。日共式政治的道義的責任論は危ない。そもそも道義的責任論なぞ振り回し始めたら、どこに仕切りがあるのか分からず際限がなくなる恐れがあるではないか。道義的責任を誰が裁定するのかも定かでない。近代国家は、そういうあやふやな基準によらず、法によって裁く法治主義の原則の上に成り立っている。これが近代の夜明けであり、歴史の進歩とされている。

 日共式政治的道義的責任論は、この法治主義の原則からの脱輪であろう。その昔、ロシア10月革命後の政権足固め過程で、ボリシェヴィキ権力がかような論法を振り回して、幾百万の政敵追放、処断、収容所送りしたことが知られている。曰く、国家反逆罪、反革命罪、敵方内通罪、スパイ罪、国策非協力罪、その他諸々。被告はずれも「社会主義的革命政権に対する政治的道義的責任」を問われ、この万能口実により受刑を余儀なくされた。拷問、即決即断による処刑が横行した。ボリシェヴィキ権力はこれを是認し、その果てに崩壊させられた。

 これを思えば、日共がこの種の論を好むのは分かる。しかし、いやしくもジャーナリズムまでもが追随すべきだろうか。目的の正義性が必ずしも手段まで是認しないとして、その粗雑な法理と論法を批判せねばならぬのではなかろうか。そういう意味で、現下のマスコミジャーナリズムが日共式政治的道義的責任論に馬乗りしているのは痴態であり、一種の自殺行為と云えるのではなかろうか。誰かがけしかけているからこうなる。

 それともひょっとして時代は進化し、法の遵守は当り前で、今や政治的道義的責任まで問われる時代に進歩したとでも云うのだろうか。それならそれでいい。時代がそういう風に変わったのなら、れんだいこは認めよう。しかしどうしても認められないものがある。それは、そういう基準は少なくとも公平まんべんに適用されないといけない。小沢パッシング事件で云えば、小沢に適用した論理と論法を他の全ての議員に適用せねばならない。小沢だけに適用するというのは余りにも恣意的と云わざるを得まい。いくら日共委員長の名がシイだといっても許されまいふふふ。

 しかし、れんだいこがいくら説いても、ジャカマシイ、俺たちはこれで飯を食っているんだと居直られたら通じない。立花の緊急投稿第二弾によれば、「そのときをにらんで、いまから身の処し方を考えておくことだ。これからすべての政治家が一瞬たりとも気が抜けない、そしてすべての政治家がその政治家としての器の大きさを問われる日が間もなく連続してやってくる」とある。これは立派な脅しである。立花が、恐い筋と繋がりがあり、その威勢でものを云っていることが分かる下りである。

 「今に見てろ。これから恐い人連れてくるから、後で泣きづらかくな」とはヤクザの常套句であるが、立花が連れてくる人はもっとオトロシイ人なんだろう。やけにリアリティがある。それは分かる。分かるが、立花はんはこういう言葉を吐くことでお里を晒してしまった。同時に知の巨人が後ろ盾なしには成り立たない痴の虚人であることを知らしてしまった。

 もとへ。娑婆に舞い戻った石川衆議院議員に対して、福島瑞穂消費者・少子化担当相(社民党党首)は、2.5日の衆院予算委で、「(石川被告の)道義的、政治的責任は重い。議員辞職勧告決議の前に進退を判断することを期待する」と強調した。このオバさんの賞味期限が過ぎたことを、これも自己暴露したことになる。

 鳩山首相は、「まずは本人が政治家としての意思をどう示すかだ。党としての処分もその時考える」と述べ八方美人対応を見せた。つい先だって自身が説明責任を咎められていた割には能天気な物言いではないか。狂人首相小泉は田中真紀子のスカートの丈を踏んでいたが、鳩山は小沢のズボンの裾を踏んでいる。鳩山政権がパッとしない理由がこの辺りにあると窺うべきではなかろうか。

 小沢幹事長は当然ながら、石川議員辞職要請をナンセンスとした。側近の山岡賢次国対委員長も、国対の会合で、辞職勧告決議案の扱いについて「決議案の事項に該当する問題は秘書の時の問題で、国会議員としての事項ではない。審議するに当たらない」と表明した。当り前である。国会議員は、検察暴走容疑に対しては与野党の枠を超えて議員の身分を守るのが務めであり、断じて逆ではない。いわんや政争の具に使うものではない。こう切れ返せばよいのに。

 「一方、民主党幹部の辞職勧告決議案つぶしの言動に野党は反発している」とある。自民党の大島理森幹事長が云々、みんなの党の渡辺喜美代表が云々とある。他の誰でも良い。云っている本人が清廉潔白の士であることを明らかにしてから論ずるが良い。後でビデオ回されて、呂律が回らなくなるようなことは云わぬのが賢明であろう。弁えのない味わいのない政治家が多くなり過ぎた。朝青竜引退の寂しさとも繋がる。

 2010.02.06日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評664 れんだいこ 2010/02/05
 【小沢キード事件の教訓、みんなのカンパで日本版アルジャジーラネット放送局を立ち上げよう】

 小沢キード事件に構っているうちに、そのどさくさで朝青竜が引退に追い込まれた。小沢を起訴できなかった腹いせが朝青竜パッシングに向かった感がある。朝青竜には気の毒なことになったが、朝青竜は、不徳の致すところの我が運命と割り切った弁が伝えられていた。円熟期に入った朝青竜相撲を見届けることができなくなったのは寂しい。それにしても小沢パシングと朝青竜パッシングはどこか似ている気がする。恐らく有能実力者がイジメラレル変な世の中になったせいだろう。

 大相撲は国技である。その国技が揺さぶられている。貴乃花親方の新理事就任も胡散臭いものであったが、朝青竜パッシング派がこぞって賛美していたことを思うと余計にそう思う。今後、大相撲協会内部で重大な対立が発生して行くように思える。千代の富士親方が割を食う恐れが強い。貴乃花派が大相撲の何を改革しようとしているのか一向に見えない。れんだいこには、小泉式構造改革路線が待ち受けているような気がしてならない。

 それはともかく、小沢キード事件の第二ラウンドがこれから始まる。立花隆がしゃしゃり出て来ており、このところ緊急投稿を飛ばし続けている。いくら読んでも、というか読めば読むほど気色の悪い検察応援歌でしかない。日本の言論界が、こういう類の論者をジャーナリストの鏡として祀り上げてきた虚構を今こそ撃たねばなるまい。習性が逆立ちしており完全に狂っている。

 それにしても日本言論界の貧能ぶりが危ぶまれる。小沢キード事件では小沢氏の政治団体「陸山会」の収支報告記載が虚偽記載として指弾されたが、蓋を開けてみれば正確厳格に記載されており何ら問題ないとする見解も発表されている。東京地検特捜部が起訴に踏み切れなかった空振りの真因がここにある。このことを問う新聞社は一社もない。敗戦以来、戦前とは違う意味での新たな言論統制下にあると云えよう。

 この間マスコミは、検察リーク情報を逐一報道し、しかもそれが次から次へと話が変わる代物でしかなかったというのに扇動し続けた。いつの間にか不記載が虚偽記載となったのに尻を拭かぬまま訴追し続けた。いつの間にか、本質的に見て4億円の原資の出し入れでしかないものをその都度カウントして水増しし、巨額金額虚偽記載と煽り始め、並行してゼネコン裏金を大騒ぎし、果ては立証できないと云うブザマな結果となった。

 しかして、新聞社説論士もテレビコラムニストも、この間何が争点なのか、虚構の大騒ぎなのかさえ分かっていないように思える。分かろうとしないのか、分かるだけのオツムがないのかまでは分からないがお粗末なことこの上ない。この連中は、検察不起訴という事態を迎えてもカエルの面にションペンでキョトンなとしたまま、こうなればなったで世間をお騒がせさせた政治的道義的責任があると訴追続編に精出そうとしている。日共論法の受け売りを恥ずかしげもなく借用している。れんだいこが申しつけておく。手前たちの報道こそが虚偽報道であり、報道的道義的責任があろう。君たちの論法に乗っても、虚偽記載が悪くて虚偽報道は許されると云うことにはなるまい。

 そういう訳で、今こそ日本版アルジャジーラ放送局を立ち上げねばならない。技能があればネット上できそうなものだが、れんだいこにはそれがない。誰か、容れ物をつくつてくださらないか。トピックスを語り解析する本物のジャーナルが見たい聞きたい。有線放送のネット版のようなもので良いのだから難しくはないと思うのだが。れんだいこには生活余裕はないが、そうなったら工面してでもカンパするぞ。こういうものはヤングの頭脳が向いているのかな。起て青年諸君。

 そういうものができたら、れんだいこも出て見たい。ぜひ登場させてくれ。洪水の如く流されるエセ評論を容赦なく斬って見せよう。もっと向きの方が居たら、それを聞くのも楽しい。既成のメディアに代わる「なるほど放送局」の創出、これが小沢キード事件の教訓となるべきではなかろうか。ここに向かわない間は守勢に回る。攻勢的な言論メディアが欲しい。そうすれば、小沢三秘書の即時釈放、朝青竜引退ちょっと待て等々幾らでもタイムリーに正論を放つことができる、できたのにと思う。

 今日の国会討論聞いていたら、民主対自民の構図で掛け合い漫談やっていた。小沢キード事件を徹底追及する自民の論客たちは、検察捜査網からあらかじめ除外されている極楽トンボのシオニスタン政治家ばかりであった。それを良いことに好き放題の攻め方をしていた。手前の政治資金リストを開陳してから述べて見よと云いたくなる。それはそうと、自民党内でも、ごく最近の日歯連献金疑惑事件で検察に汲々云わされた田中-金丸(竹下)-橋本-小渕系の元ハト派はさすがに弁えてシオニスタンと論調を一にしていない。

 かっての社共ばりの政府追及すればするほど、人民大衆が興ざめする構図さえ分かっていないマロたちが何人束になっても、もはや歴史の歯車は戻らない。お前たちの権勢の時代は終わったのだと云うことをこれから知ることになるだろう。

 2010.02.05日 れんだいこ拝

 2.6日、毎日新聞の岩佐淳士記者が、「<陸山会土地購入>小沢氏との接触禁止 秘書らに保釈条件」の見出しで記事をものしている。これを転載しておく。
 「小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)で起訴された3被告に対する東京地裁の保釈条件が分かった。関係者によると、元会計責任者で公設第1秘書の大久保隆規(48)、元事務担当者で元私設秘書の池田光智(32)両被告は小沢氏との、元事務担当者で同党衆院議員、石川知裕被告(36)と大久保秘書は中堅ゼネコン「水谷建設」元幹部らとの接触が禁じられているという。

 石川議員については、現職国会議員である点を考慮し小沢氏との接触を禁じなかったとみられる。水谷建設元幹部らについては、元幹部らが「石川議員、大久保秘書に各5000万円を渡した」と供述している点を重視したとみられる。3被告間の接触も禁じられている」。

 「植草一秀の『知られざる真実』」の2010.2.6日付けブログ「石川知裕氏、大久保氏、池田氏の保釈を心より祝福」を転載する。
 石川知裕衆議院議員、大久保隆規氏、池田光智氏が2月5日、保釈された。石川氏など3人は暴走する東京痴犬地検特捜部による犠牲者である。東京拘置所の冬は寒い。独居で重ね着をしても、体が芯から凍りつく。政治資金収支報告書に一時的な立て替え金を記載しなかっただけで、このような拷問にかけられたのでは、法治国家とは到底言えない。この拷問に耐え、生還を果たされた3人の勇士に心からエールを送りたい。

 鳩山政権が実現しなければならない課題は多い。本年7月の参院選に勝利して、日本政治刷新を思う存分に実行してもらいたい。2013年秋までの3年の時間を確保できれば、腰を据えて日本刷新を実現できる。

多くの課題があるなかで、腐りきった警察・検察・裁判所制度の改革、腐ったメディアの刷新は最優先の課題に位置付けられる。

「わんわんらっぱー」様が1月26日付記事

「東京地検特捜部はCIAアメリカの代理人。
民主党政権は対米独立革命政府」

に記されたように、東京痴犬地検特捜部は1947年に吉田茂首相の下で、「隠退蔵物資事件」を契機に「隠匿退蔵物資事件捜査部」が設置されたものが起源である。

「わんわんらっぱー」様が紹介くださった「capitarup0123」様の1月12日付記事

 「東京地検特捜部の歴代トップは、全員CIAに留学」

によると、「東京地検特捜部の歴代トップは、全員CIAに留学し、CIAの対日工作員としての徹底的教育を受け、日本に帰国する」とのことだ。

 米国は小沢一郎氏-鳩山由紀夫氏-菅直人氏の民主党トロイカ体制が軸となる新政権が、これまでの自民党対米隷属路線から訣別することを力づくで阻止しようと、繰り返し政治謀略を仕掛けてきている。日本の主権者国民と悪徳ペンタゴンが熾烈な死闘を演じているのだ。

悪徳ペンタゴンはマスメディアを完全に掌握し、偏向報道を垂れ流しているが、日本国民の力が目覚ましい成長を遂げている。マスメディアによる情報操作にもかかわらず、腐臭を放つ東京痴犬地検の低劣な行動が広く認知されるに至っている。日本の民主主義は新しい次元に移行しかけている。

 
東京痴犬地検特捜部の連続大敗北により、多くの「知られざる真実」が誰の目にも明らかになった。地検に正義は存在しないこと。日本の警察・検察・裁判所制度が腐りきっていること。そして、この腐り切った霞が関権力中枢が米国、メディアと結合して、主権者国民と対峙していること。

 民主党内部に渡部恒三、前原誠司、野田佳彦、枝野幸男などの転覆分子が存在すること。すべての背後に米国が存在し、露骨な選挙介入、内政干渉を実行していること。これらの事実が改めて確認された。

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腐臭を放つ日本の検察組織を浄化しなければならない。

1月16日付記事
 「主権者国民レジスタンス戦線結成の呼びかけ」に記述したように、「日本の警察、検察、裁判所制度の前近代性は深刻であり、その是正は喫緊の課題である」。最大の問題は、①「法の下の平等」と、②「基本的人権」が無視され、③「捜査当局に恐ろしい裁量権」が付与されていること、である。さらに、④「罪刑法定主義」、⑤「無罪推定の原則」も完全に無視されている。


③裁量権とは、

①犯罪事実が存在しても不問に付す裁量権、と②犯罪事実が存在しなくても犯罪を作りだし無実の罪を着せる裁量権である。

捜査に際しては、「恐喝」的な手法が多用される。日本の裁判では起訴されれば真実に則して無実の主張を貫いても99%は有罪にされる。最高裁で判決が確定するまでには数年から十数年の時間を要し、不当に長い勾留を強いられ、精神的にも経済的にも膨大なエネルギーを注ぐことが強いられる。

 さらに、検察庁職員は国家公務員法の守秘義務違反の重大な罪を犯している疑いが濃厚である。疑いのある検察庁職員を国民は刑事告発しなければならない。鳩山政権の体制が盤石なものになれば、検察浄化に本腰を入れることが可能になる。取り調べ過程の可視化に関する検討が開始されたが、今通常国会の会期中に完全可視化法制を整えるべきである。人権が守られない国家を近代国家と呼ぶことはできない。同時に検察人事の刷新も不可欠である。検事総長には民間人を起用し、同人事を国会同意事項とするべきである。今度は主権者国民が検察の犯罪を暴き、一斉摘発に動く番である。検察浄化なくして日本が人権尊重国家に成り得ない。

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 小沢代表秘書不当逮捕(4)」カテゴリの記事

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK79」のつば苦労氏の2010.2.6日付け投稿「小沢と検察、両者の会見から読み取れるもの(立花隆が緊急寄稿)」を転載しておく。

 立花先生がこう簡単に自説を180度転換するとは・・・

 (以下終わりまで転載)

 小沢不起訴の背景に何があったのか。
 表面的には「嫌疑不十分」、すなわち犯罪(政治資金規正法違反)の疑いはあるが、起訴しても公判を維持するに足る十分な証拠が集められなかったということになっている。とはいえ、検察の処分決定に際しては、最後の最後まで、すでに集めた証拠でも十分とする積極派と、これだけでは不十分とする消極派の間で争いがあったとされる。証拠評価は、証拠評価メーターのようなものがあってそれに載せればすぐに評価値が客観的に示されるというものではなくて、主観的な部分が大きいからどうしても積極派と消極派が出ることになる。裁判はやってみなければわからないという部分が結構大きいから、裁判をやらないと決まった以上、どちらが正しかったかの判定もつかないことになる。

 だが今回は、検察審査会の制度が変った効果によって、実は不起訴の決定が引っくり返って、小沢起訴になる可能性も結構あるというのはすでに伝えられている通りである。検察審査会の委員はクジによって十一人が選ばれ、うち八人が起訴相当の決議を二度にわたって行えば、検察がいやでも起訴されることになる(裁判所の指定した弁護士が起訴する)。十一人中八人ということはパーセントに直せば、七三%の賛成があればということで、まだ小沢不起訴後の世論調査があるわけではないが、結構引っくり返ることもありうるラインだと思う。

 面白いのは、この検察審査会の審査に、検察側はこれまでの捜査資料を提出して、なぜ不起訴の決定にいたったかを疎明しなければならないということである。不起訴決定後も国会審議を通じてこの問題はまだまだ多くの議論がつづけられることになっているが、それとは別の角度からの議論もつづくということである。

 ■元検事総長が綴った「指揮権発動」の真実

 ここで、いまひとつ異なる角度からこの一件を見直す必要があるという問題を提起しておきたい。
 それはこの不起訴決定の裏で、インフォーマルな指揮権発動があったのではないかという問題である。

 表向き、公然と行使された指揮権発動は、一九五四年の造船疑獄にあたって、検察が佐藤栄作自由党幹事長を収賄容疑で逮捕しようとしたのに対して、ときの犬養健法相がこれにストップをかけるために発動したもの一度きりということになっているが、実はそうではない。実はそうではないということは、指揮権発動問題に関していちばん権威あるとされる、伊藤栄樹元検事総長の『逐条解説 検察庁法』(良書普及会)に、はっきり次のようにある。

 「いわゆる指揮権発動は、昭和二九年四月、いわゆる造船汚職事件に関して行なわれたそれがもっとも有名であり、一般には、それが唯一の例であるかのようにいわれているが、必ずしもそうではない。」

 必ずしもそうではないどころか、重要事件については、むしろ、一般的といってもいいくらい行使されているというのだ。伊藤栄樹は次のように書いている。

 「まず、法務大臣は、あらかじめ、特に重要な事件について、捜査の着手または起訴、不起訴の処分について、法務大臣の指揮をうけるべき旨を、一般的に定めており、これにあたる場合には、具体的事件について、検事総長から法務大臣に対して請訓が行なわれ、これにこたえて法務大臣が指揮をすることとなっている。すなわち処分請訓規程(昭和二三年法務庁検務局秘第三六号訓令)および破壊活動防止法違反事件請訓規程(昭和二七年法務府検務局秘第一五七〇号訓令)に定める若干の事件がこれである。」

 政治資金規正法違反は新しい法律だからこの処分請訓規程に入っていないことは明きらかだが、その後身の現行処分請訓規程に入っているかどうかは不明である。しかし伊藤はさらに次のようにも書いている。

 「また、検事総長は、国会議員を逮捕する場合(ことに、国会の会期中)その他将来政治問題化することが予想されるような事件については、国会における検察権の代表者である法務大臣に対し、折りにふれて積極的に報告を行なうものと考えるが、そのような時、とくに法務大臣の指揮を仰ぐこともあると考えられる。」

 今回の事件は明きらかにこの範疇に入る事件だから、当然、最終処理にあたって、千葉景子法務大臣のところに処分請訓がなされているはずである。

 ■態度を一変させた小沢

 問題はそのとき千葉法務大臣が何といったかである。「しかるべく」(「検察がやりたいようにやりなさい」)といったかどうかである。そのような決定を下すにあたって、千葉法務大臣が小沢に連絡して、小沢の指示をあおいだりしなかったかどうかである。

 今回は、造船疑獄のときとちがって、「小沢不起訴」という方針は民主党政府と小沢の意に沿うものだったから、多分、「秘書三人起訴、小沢不起訴」という最終処分の内容を告げられても、千葉法務大臣は「それで結構です」としかいわなかったろう。

 ここで問題なのは、そのような検察最終処分方針の決定にあたって、検察がそもそも証拠を純粋に客観的に評価してそのような結論に導かれたのかどうかである。むしろ、検察側がいずれ法務大臣の指揮を仰がなければならなくなる事態を見こして、民主党政府と正面衝突しなければならないような最終処分方針(「小沢起訴」)は避けたということではないのかということである。

 私が今回の不起訴処分で注目したのは、当日の小沢の記者団へのコメントである。

 まず石川秘書の処分に関して問われて、「検察の公正な捜査結果」といった。これまでの検察批判を繰り返し、検察との全面対決姿勢をむきだしにしてきた小沢のあまりの態度の変化にビックリした記者が、「前に検察との対決を宣言していたが、これは、その対決に勝利したということか」と問うと、「勝利とか敗北とかいう問題ではない。検察当局が、公平公正な捜査をやった結果だと、それをそのまま受け止めていきたい」と、公平・公正を繰り返した。あのケンカ腰の対決姿勢はどこに行ってしまったのだろうかとビックリするような態度の変化だった。

 ■事情聴取は何回行われたのか

 もうひとつ注目したのは、検察の佐久間達哉特捜部長の記者会見の次のやりとりだ。
――小沢氏への聴取は何回行ったのか。
 「小沢氏本人が明かしているものは否定しないが、何回だったのかはいわない」
 一般には小沢が自分から明かした二回の事情聴取しか知られていないが、どうやら、二回以上あったらしいのである。

 そういわれてみると、最終処分に向けてことが進行している過程で、小沢が報道陣の眼を逃れて、動静不明になっていた数時間がある。一回目四時間半、二回目三時間の事情聴取も結構長いもので、二回目の聴取の後も小沢の強気の姿勢が大きく変っていてビックリしたが、それ以上に、この最終不起訴決定後の小沢の態度の変化には驚くほど大きなものがあった。

 私はいつだったか、ある検事に、「(マスコミの)皆さんが知らないところで行われ、いまにいたるも誰も知らない検察の政治家の事情聴取なんていくらでもあるんです。私もやったことがありますが、なにか別の用事で国会に行ったときに、その取り調べた政治家から議会の廊下で最敬礼されて困ったことがありました」という話を聞いたことがある。

 今回の事件で、まだ明かるみにでていない、そして今後とも明かるみに出ないことはいろいろあるにちがいないが、その一つが、この小沢不起訴にいたる決定過程だろう。

 ■阿吽の呼吸

 それがどのようなものであったかは、私も知らないが、あれほど強気だった小沢をもってして、検察を公平公正の権化のようにいわしめるような何かだったのだろう、とはいえる。その態度の変化から推しはかるに、検察は小沢を追いつめる相当の隠し玉を持っていることを小沢にある程度明かした。しかし、それを使わないで不起訴で結着をはかるという形で、小沢に大いなる恩を売ったということではないのだろうか。

 ついこの間まで、検察との対決姿勢を強めた小沢は、検察官人事に手を突っ込み、民間人から検事総長を起用するとか、検察庁の機構改革、取り調べ過程の可視化など、過激な改革策をいろいろ考えていると伝えられていたが、もしそうだとすれば、おそらく、そういう姿勢も含めて、小沢はこれから対検察の姿勢が大きく変っていくにちがいない。

 なにか大きなものを検察につかまれたままで、この事件が完全結着したとはいいがたい状況の中で、検察と小沢の間で阿吽の呼吸の大きな取引が進行したということが小沢不起訴の本当の裏側なのではないだろうか。阿吽というところが大事で、このような取引は決して言葉では明示されないし、いかなる形でも証拠は残さない。だから、後からどちらの側もあったとも、なかったともいうことができる。いってみれば、その後の小沢の大いなる態度の変化がそのような取引を受けたという意思表示といえる。

 ■小沢も検察も「安泰」か?

 小沢は実は、自民党の最大の実力者の一人として、政界の裏側をたっぷりのぞいてきた。政治と検察の関係の裏側もよく知っており、『小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞出版)の中で、指揮権発動に関して以下のようなことをいっている。伊藤栄樹とは別の意味で、指揮権発動なんて、何度も行われてきたといっているのだ。

 小沢 犬養法相の場合は「やるな」というほうの指揮権発動だった。法相が疑獄捜査をとめたから、国民から批判されたのだ。しかし、田中先生と金丸さんについては「捜査をやれ」という指揮権発動だった。

 ――それでは、大物政治家に対する検察の捜査は、政権の側から「いいよ」という判断がないと、やりたくてもできないのですか。
 小沢 検察が政界の大物を対象にした捜査をやるときは、必ず総理にお伺いを立てます。行政ですからね。金丸さんのときに、検察が政権のだれと話したか、僕は詳しくは知りませんけども。だけど、おそらく、あのときに首相だった宮沢喜一さんが、検察の捜査方針に「うん」と言ったんでしょうね。そうでなきゃ検察は捜査をやりっこないですから。そして、竹下派議員は少なくとも半分は、金丸さんの捜査を許容していた。
 ――竹下さん自身はどうだったのですか。
 小沢 許容した側です。

 こういう経験を積んできた人間が、今回は政権中枢に座っており、しかも自分自身の政治生命にかかわる事態におちいったのだから、権限上も許される影響力を存分に行使したはずである。そしてそのような小沢の出方を十分に知っていた検察は、その捜査力を行使して、小沢に対する交渉力のもととなる材料をたっぷり仕込んだ上で、小沢との取引にのぞみ、「不起訴」決定と引きかえに、検察側も取るべきものはたっぷり取った(検察組織安泰)。しかし、そのような取引を表に出すわけにはいかないから、いまは検察の捜査がなぜどのように失敗したかというウラ話をさかんにリークして、それをマスコミがよろこんで書いているという状況ではないのか。

 おそらく、この事件の本当の裏側が外部にもれてくるのは二十年後、三十年後ということになるのではあるまいか。私は過去二回の記事で「小沢はもう終り」と書いてきたが、不測の事態が起きないかぎり(たとえばフリージャーナリストによるバクロ、検察審査会の起訴決定など)小沢の政治生命安泰、検察の組織安泰という日々がつづくのではないか。

 そして、造船疑獄を乗り切った佐藤栄作が、その後、検察主流と最も関係が深い政界実力者となり、政敵追い落としに検察権力を存分に利用し、史上最長の政権をきずくことになったなどという時代がもう一度現出することだけは願い下げにしたい。  


 「文芸評論家・山崎行太郎の政治ブログ毒蛇山荘日記」の2010.2.6日付けブログ「鈴木宗男氏の怒りとその「検察・マスコミ」批判の論理」を転載しておく。

 世紀の大事件に発展するのではないかと思われていた、いわゆる「小沢事件」なるものの捜査は、四日、「小沢不起訴」、「石川議員、大久保秘書、池田秘書の『政治資金規正法違反(虚偽記載)』による起訴」ということで一応の決着を見たようだが、そして逮捕・拘禁されていた三氏も、翌五日に、保釈されたこともあって、マスコミの大騒ぎも一段落し、国民の間から沸き起こりつつあった「検察の暴走」批判や、「検察リーク報道」を繰り返す「マスコミ」批判の声も沈静化に向かい始めたかに見えるわけだが、しかし、この「小沢事件」は、単に小沢一郎という政治家の問題や、政治資金規正法の問題に留まるような問題ではなく、政権交代に伴う「民主党政権つぶし」という高度に政治的な問題、つまり「東京地検特捜部とは何か」、あるいは「マスコミとは何か」というような深刻な現代日本の病巣が露呈してきた事件なわけだから、そのまま一件落着ということで見過ごし、忘れていいわけない。というわけで、この「小沢事件」は、普段、あまり考えることのない「検察」と「マスコミ」という、わわれわれ国民の大多数にとって「正義の味方」役を演じていると思われている組織の政治性と犯罪性と、そしてその病巣を暴露することになった事件だったわけだが、この一連の騒動のなかで、衆議院議員という現役政治家の立場から、またすでに東京地検特捜部に政局がらみの策謀によって狙われ、逮捕され、しかも現在も裁判中という経験を持つ立場から、一貫して検察とマスコミを批判・抗議し続け、特に検察に対して身体を張って「全面対決」を主導し続けてきたのが鈴木宗男氏であった。

 鈴木宗男氏がいなければ、この事件の行方は、もっと違ったものになっていたであろう。「民主党大会」における、「みなさん、誰でも、検察に狙われたらおしまいですよ…」という鈴木宗男氏の検察との「全面対決演説」と、検察に批判的なジャーナリストが結集した「フォーラム神保町」シンポジウムでの演説は、後世にも残るような、この事件を象徴する名演説だった。ところで、その鈴木氏が、「小沢不起訴」「石川その他の起訴」に至った検察と、その前後のマスコミ報道について、個人ブログ「ムネオ日記」で重要な批判を展開しているので、ここにも引用しておきたい。僕は、この記事に現われている鈴木宗男氏の怒りを共有し、応援するものである。

 http://www.muneo.gr.jp/html/page001.html

2010年2月5日(金) 鈴 木 宗 男

 小沢幹事長不起訴、石川代議士ら3人起訴がテレビ、新聞等のメディアが大きく取り上げている。その中で、「検察は国民に説明を 土地購入原資明示せず」という東京新聞1面記事に目がとまる。読者の皆さんにも、是非とも冒頭部分に目を通して戴きたい。

 東京地検特捜部は石川知裕ら3人を起訴 小沢一郎民主党幹事長を不起訴として、小沢氏の資金管理団体をめぐる捜査を終結した。特捜部長は『土地購入の原資の隠ぺいを図った犯罪だ』と明言しながら、原資を明示しなかった。事件の核心部分を公表せず、『実質犯だ』と事件の悪質性を強調しても、これでは国民の納得は得られまい。

と書かれている。

 佐久間特捜部長は記者会見で、「原資は解明できたのか」との問いに、「原資が何も分かっていなければ、起訴とならない。(土地代金の原資となった)4億円は、陸山会の前に一度、小沢議員に帰属している。どういうカネかは公判で明らかにする」と答えている。「この4億円は、一部はゼネコンからのものか」との問いに、「それは言えない」と答えている(読売新聞31面より)。

 ゼネコンからの不正な金、裏金だとさんざんリークし、報道させておきながら、なぜこの点を明らかにできなかったのか。一方的な頭づくりで、間違った情報、先入観でスタートしたのではないか。

 起訴された石川議員は昨夜、弁護士を通じ、次のコメントを出している。

 一部に報道されるような不正な資金を受け取ったことは断じてないことを誓います。

 石川議員はここまではっきりと言い切り、小沢幹事長もゼネコンからの不正なお金は受け取っていないと終始断言してきた。これについての説明を検察がしないところに、検察に対する不信感が募ってくるところである。

 検察官といえども神様ではない。間違った判断、思いこみもあるだろう。

 ここは潔さを示し、説明責任をしっかり果たして戴きたい。何よりも、検察官である前に人間としての心をもって、その職責を全うしてほしいものである。

 河上和雄元東京地検特捜部長・最高検公判部長は、「今後も臆せず政界捜査を」と、読売新聞10面で語っている。

 特捜は政治家を捜査するためにあるのか。何を考えているのかと言いたい。

 この様な頭づくりだから冤罪が起きるのである。この河上某(なにがし)は、私が逮捕される直前もその後も、「鈴木は選挙区では人気がない。政治家としての復活はない」と、テレビで堂々と言い放っていた。お会いする機会があるならば、何を基準に、何を基に、何の資格で、公の電波でそんなことを言うのかとお尋ねしたいものである。

 民主主義は信用、信頼関係が一番である。権力を背景に、権力をカサに着て生き、今もそれにすがって生きている者と、額に汗し、声なき声を背に生きてきた者との差を感じながら、思い上がって生きている者と、叩かれながらも正直に生きている者と、どちらの人生が良かったのか、お天道様が見てくれているとしみじみ思うものである。

 もう一点、今日の新聞で指摘したいことがある。

 今日の産経新聞1面に、近藤豊和社会部長の「ほくそ笑むのはまだ早い」という見出し記事がある。その最後の方に、次の様に書かれている。

 小沢氏の不起訴の観測が一気に拡大した2日夜。小沢氏側関係者たちは早くも「勝利宣言」をあちこちでし始めていた。この日昼、衆院本会議場で鈴木宗男衆院議員とほくそ笑む小沢氏の姿を報道各社のカメラがとらえていた。

 この社会部長にお尋ねしたい。あなた達が産経新聞誌上で、水谷建設から小沢幹事長へお金が行っていた書いたことは正しかったのかと。

○産経新聞の見出し

・水谷建設から「裏献金」の3日後 石川容疑者 5000万円口座へ

(1月17日付 29面)

・水谷建設元経理幹部 「裏金1億円用意」 小沢事務所あてと指示

(1月26日 23面)

・水谷建設裏献金 授受現場に同席者 「紙袋渡すの見た」証言

(1月27日付 27面)

 上の見出しに見れば明らかな様に、産経新聞は裏付けのとれないリークを鵜呑みにし、最初から「小沢たたき」のスタンスであった。間違いは間違いであったと、潔さを見せるべきではないか。それから、批判するならば批判すれば良い。自分達のフライング、ミスは棚におき、すり替えの議論をするのはもってのほかである。

 今回の事件によって、同じ会社であっても政治部と社会部の価値観は全く違うものであることを、改めて知るものである。お互い冷静に見つめていきたいものだ。

 17時50分、保釈された石川代議士から連絡が入った。とても元気な声で安心した。

 その話の中で、「水谷建設の人がいれば、ぶん殴ってやりたい」いい加減な調書を検察の誘導に乗って作られ、大変な目にあった。頭からウソ話に乗り、取調べをした検事もとんでもない」と憤っていた。

 密室での取調べ、しかも虚偽の自白を強要する検察のやり方は私も8年前に経験しているので、石川代議士の気持ちが良くわかる。改めて、個々は検察の名誉のためにも、取調べの全面可視化が必要であるとしみじみ思うものである。(以下略)


【「天の声」の正体は元岩手県知事・増田だった】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK79」の明日のジョー 氏の2010.2.6日付け投稿「元岩手県痴痔の増田寛也が爺砲弾などで反小沢発言を繰り返してる理由が分かった!西松を岩手に呼んだのは小奴だ!」を転載しておく。

 一部を抜粋する
 【だいたいさ、胆沢ダムに西松や水谷を呼んだの、知事の増田寛也だぜ。地元業者を排除して間接的に便宜をはかりやがった。あいつは岩手の裏切り者だ。と言うか元々余所者だったんだよ。あんな奴を知事にしたのが間違いだった。】
 http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50968454.html
 『コメント一覧』3. 田舎から  

 01. 2010年2月06日 20:20:26
 経歴見れば建設業界とズブズブじゃん!

経歴 [編集]
1964年 - 東京都世田谷区立九品仏小学校卒業
1967年 - 東京都世田谷区立尾山台中学校卒業
1970年 - 東京都立戸山高等学校卒業
1976年 - 国家公務員上級甲種試験合格
1977年 - 東京大学法学部卒業。建設省入省
1993年7月5日 - 建設省河川局河川総務課企画官
1994年7月1日 - 建設省建設経済局建設業課紛争調整官
1994年12月5日 - 退官

 02. 2010年2月06日 20:22:41
 小沢を利用し知事になったが
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E7%94%B0%E5%AF%9B%E4%B9%9F

 岩手県知事工藤巌の病気再選不出馬を受けた選挙で、当時新進党幹事長の小沢一郎に見出され、官僚を辞して立候補。自民党推薦の前副知事佐々木浩や前代議士で後の釜石市長たる日本社会党県本部長小野信一を破って初当選を果たした。当選後は反小沢のスタンスに転じた。
 03. 2010年2月06日 20:29:21
 そういえばこの増田とかいうのはTV出ると「怨小沢」オーラ出まくってるもんな。
 04. 2010年2月06日 21:39:59
 ♪「改革派知事」のお仲間♪
 増田寛也 【ウィキペディア(Wikipedia)】
①建設省河川局河川総務課企画官から岩手県知事(1995年―2007年)
②岩手県知事在任中は、宮城県知事浅野史郎や三重県知事北川正恭などと並び、改革派知事の代表格
③政治資金収支報告書記載ミス
2007年9月2日配信 談合組織が支援した!元改革派知事 増田総務相の正体(日刊ゲンダイ)

北川正恭 【ウィキペディア(Wikipedia)】
①衆議院議員(自民、新進党)から三重県知事(1995年―2003年)
②富士電機・石原産業・水谷建設・シャープという“北川正恭疑惑の四点セット”と噂された。
2006年07月13日22:32  http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50643561.html
水谷建設事件が急展開~標的は北川正恭か?
2006年07月19日22:24  
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50651812.html
村上世彰と北川正恭との接点

 05. 2010年2月06日 22:10:35
 本当の「天の声」の主は増田か?
 06. 2010年2月06日 22:33:36
 週刊現代などで小沢一郎叩きを続けるフリー記者の松田賢弥は東北利権、とくに岩手利権の組み換えを増田がやったことを取材で知っているはずだ。ところがそれはボカし、何故か小沢一郎にだけ話を摩り替えている。オフィスマツナガのブログにはそのコメントはとうに載っていた。俺は死ぬのはやつらださんのブログのコメント欄で紹介されてるのを半月も前に見たよ。つまり真相はそんなところなのだろうよ。
 07. 2010年2月06日 23:29:59
 なるほど。完全に納得した。コメント欄の説得力がすごいブログだ。このタッソの話だけでなく他のコメントもリアリティがある。
 08. 2010年2月07日 01:34:51
 お陰様でもう一人悪い奴の正体が分かりました。堀田力も最近は見かけなくなりました。人相が悪くなったせいでしょうか。それにしても、真の公共放送の到来が待たれます。
 09. 2010年2月07日 02:40:14
 地元民なんだから知ってて当然じゃん。
 10. 2010年2月07日 07:06:13
 何だか目がさめた感じです。 何で、この話今まで一度も出てこなかったんでしょう。何かにおいますよね。 これは、われらが信じるエースのジャーナリストたちは知っているんでしょうか? 知ってますよね。 真相が知りたいです。
 http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/716.html

(私論.私見)

 これは貴重な情報である。これによると、「胆沢ダムに西松や水谷を呼んだのは元知事の増田寛也であり、地元業者を排除して間接的に便宜をはかった」とある。増田知事は、「在任中は、宮城県知事浅野史郎や三重県知事北川正恭などと並び、改革派知事の代表格」であり、北川知事と西松建設の仲は深い。この線から西松建設が胆沢ダム受注に向かったことが考えられる。「天の声」の探索に向かったところが、増田知事に辿り着いたと云う訳である。

【田中良紹氏の「国民の敵論」】
 田中良紹氏の「国会探検」の2010.2.5日付けブログ「国民の敵」を転載しておく。

 主権者である国民が選んだ新政権が初めての予算案を組み、それを審議しようとしていた矢先に、「思い込み」によって現職議員を逮捕し、「ガセ情報」をマスコミに書かせ、国民生活に直結する予算審議を妨害した日本の検察は民主主義の原理を無視した「国民の敵」である。民主主義の国でこんな検察はありえない。

 民主主義にとって最も重要なのは国民が自らの権利を行使する「選挙」であり、次に国民の意思を代表し、国民の権利を拡張する「国会」である。従って国民の代表である議員は最大限に尊重されなければならない。民主主義でない国ならいざ知らず、民主主義国で議員が逮捕される事など滅多にない。あるとすれば国民の利益を著しく損ねる行為をした場合で、いわんや「思い込み」で逮捕する事は絶対に許されない。そんな事をする検察は国民の手で解体される。

 ところが「思い込み」による現職議員逮捕が日本で起きた。国会開会直前に石川知裕衆議院議員が政治資金規正法違反で逮捕されたのである。かつて秘書時代に政治資金収支報告書に虚偽の記載をした容疑だと言う。この容疑が現職議員を逮捕する理由になると断言できる法律家がいたらお目にかかりたい。逮捕は、1.逃亡の恐れがある。2.証拠隠滅の恐れがある。3.自殺の恐れがある場合にのみ認められるが、本人は過去の記載ミスを認めているので、虚偽記載の容疑での逮捕は本来ありえない。

 裁判所がよく逮捕状を出したと思うが、検察の狙いは水谷建設からの裏金の受領を認めさせるところにあったと思う。つまり政治資金規正法違反での逮捕は別件逮捕である。それを水谷建設からの裏金疑惑につなげようとしたのなら「思い込みによる逮捕」となる。検察が十分な証拠もなく「思い込み」だけで現職議員を逮捕する国など世界中のどこにあるのだろうか。

 前回紹介した「歪んだ正義」、「『特捜』崩壊」、「知事抹殺」、「リクルート事件―江副浩正の真実」などを読むと、検察の手口は毎回、1.思い込みによってまず事件の構図を検察が作文する。2.別件で逮捕し、取り調べで検察が作った事件の構図を認めるよう強要する。3.検察が作成した自白調書への署名を拒むと「お前の家族がひどい目にあう」とか「いつまでも拘留してみせる」とか脅し、「取り調べで抵抗するよりも裁判で本当の事を言えば良い」と思わせる。4.署名さえさせれば「でっちあげ」の容疑で起訴する。5.裁判は時間がかかるので誰も注目せず、検察が描いたシナリオだけが国民の頭に刷り込まれる。

 こうしてロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件、大蔵省接待汚職事件、福島県汚職事件などが次々「でっちあげ」られ、検察にとって目障りな政治家が血祭りに上げられてきた。この検察の「でっちあげ」捜査を後ろからバックアップしたのが新聞、テレビ、旧社会党、日本共産党、公明党などである。これらもまた日本の民主主義を破壊する「国民の敵」と言うべきである。

 ところが国民は、自分の生活を考えるより政治家が叩かれてその地位を失っていく様を見る方が面白い。リンチの時の大衆心理と一緒で「もっとやれ!」となる。自分たちの代表を殺す事は天に唾する行為で、唾が自分に戻ってくるとはつゆほども考えない。こういう国民を下衆(ゲス)と言う。支配する側は国民が賢くなって貰っては困る。下衆の方が都合が良い。新聞とテレビを使ってせっせと下衆を増やしてきた。これが日本に官僚支配を長く続かせた理由である。

 政治家を生かすも殺すもその権利は国民にある。それが国民主権の原理である。それを横から入ってきて「ガセ情報」を振り回し、国民の代表を殺されてはたまらない。「ガセ情報」とは一方の言い分だけを流すことを言う。表から裏から、右から左から、上から下から見ないと物の形は分からない。ところが一方だけから見た情報を新聞とテレビは垂れ流してきた。これはもはや犯罪行為である。

 石川知裕衆議院議員が起訴された事で自民、公明、みんなの党が議員辞職勧告決議案を国会に提出した。これらの政党は国民の権利を無視して国会が政治家を殺すと言っているのである。しかも数々の「でっちあげ」を続けてきた検察の判断を鵜呑みにして有罪かどうかも分からない政治家を殺そうとしている。つくづく民主主義に無知な政治家が多くなった事を思い知らされた。特に自民党に対しては「そこまで堕ちたか」との感慨を持つ。

 政権交代以降の国会を見ていると自民党議員の質の劣化が目に付く。国民生活に関わる質問をせずに、「政治とカネ」ばかりを追及するやり方はかつての社会党を彷彿とさせるが、しかし質問のレベルは社会党より悪い。つまらない揚げ足取りや、嫌がらせに近い質問を繰り返す様は、この政党が政権を担う気がない事を暴露しているかのようだ。先進民主主義国では政権を失った政党は10年先を見据えてリーダーを選び、現政権の政策を十分に咀嚼する。その上で次の時代の政権を担うべく政策を準備する。この繰り返しが国家を前進させ、政権交代に意味が出てくる。

 ところが自民党は単なる足の引っ張りである。そんな政党に誰が期待を寄せると思っているのだろうか。お陰で政局は与野党の対立にならず、専ら小沢VS検察の構図となった。良くも悪くも小沢幹事長の存在感が大きくなる反面、自民党は存在感を失って見えない。検察の捜査に助けられて国会で質問を繰り返す様には哀れを感ずる。

 検察の処分が決まった4日にコメントを出した政治家の中に、何故か前の総理と前の前の前の総理がいたことは暗示的だった。二人とも旧内務省勢力に依拠して政権運営を行った総理である。そしてもはや誰もが「無罪」と考えている「西松建設事件」を仕組んだ当事者である。日本を占領したGHQは軍国主義を一掃するため、特高警察などで知られる旧内務省を解体し、大蔵省を官僚組織の中枢に据えた。旧内務省勢力は失地回復を図るべく安倍、麻生という二人の総理に協力した。

 今回の事件がそういう流れの中にあるのなら、戦前の「特高」に代わる現代の「特捜」を抱えた検察を国民は解体しなければならない。国民は国民の代表である政治家を使って検察を解体させれば良い。司法試験を通ったからと言って検事になれるのではなく、他の民主主義国と同様にさらに国民の選挙で選ばれなければ検事にはなれないようにすれば良い。そうしないと国民主権は実現出来ない事を今回の事件は示している。

(私論.私見)

 田中良紹氏の視点は基本的に正しい、というか同調できる。検察批判、議員身分の尊重、検察の「でっちあげ」捜査を後ろからバックアップする新聞、テレビ、旧社会党、日本共産党、公明党批判、石川衆議院議員起訴後の自民、公明、みんなの党による議員辞職勧告決議案の国会提出批判、自民党の資質劣化論等々。

 問題があるとすれば、後半の「旧内務省勢力は失地回復を図るべく安倍、麻生という二人の総理に協力した」の下りだろうか。この文意は二点で問題がある。一点は、「旧内務省勢力の暗躍」を示唆していることである。真相は、「旧内務省勢力」をもコントロールしている国際金融資本帝国主義勢力の暗躍であろう。ここまで言及することを意図的に控えているのかも知れないが、それならそれで「旧内務省勢力周辺の暗躍」とでも表記すべきではなかろうか。二点目は、「安倍、麻生という二人の総理」としている点である。実際は、直近で云えば「小泉以来の安倍、麻生という三人の総理」と表記すべきではなかろうか。小泉のコメントがなかったので採り上げないと云うのはオカシイ。なぜなら、小泉のコメントを採らない方がオカシイのだから。

 2010.02.08日 れんだいこ拝


【リチャード・コシミズ氏の慧眼】
 「リチャード・コシミズブログ」の2010.2.8日付け「小沢不起訴」を転載しておく。
 小沢不起訴

 小沢幹事長を不起訴とするにあたっては、どうやら検察内部で大きな対立があった模様です。東京地検特捜部は「起訴」を強く主張したが、高検や最高検のメンバーが強硬に不起訴を主張したようです。

 ●なぜ小沢氏「不起訴」なのか 「秘書の壁」に阻まれる? 2010/2/ 4 19:15
 http://www.j-cast.com/2010/02/04059503.html

 不起訴処分となった理由について、TBSの情報番組「朝ズバッ!」に出演した宗像紀夫・元東京地検特捜部長は、「検察では、証拠をある程度、得ているけれども、起訴して有罪を獲得するだけのものはないという判断だろう。政治家には『秘書の壁』があるが、本件も3人の秘書の供述が十分に得られていないようだ。たとえば、小沢さんから指示をうけたとか、小沢さんが十分に認識していたという供述が得られていないし、物証も十分でないということだ」と推測する。そのうえで、検察内部で意見の対立があった可能性も口にした。

 「重大な事件、特に国会議員がからむ事件の処分を決めるときは、特捜部だけで起訴・不起訴を決めない。検事総長以下、最高検や地検のトップクラスが集まった、いわゆる『御前会議』で、特捜部の報告を聞いて決める。地検は『これで証拠は十分だ。小沢さんを起訴できる』と言っているもしれないが、全体的な協議で『公判を維持するのが無理だ』となれば、起訴しないという方向になる」


 日テレでも似たような解説をしていたようですが、本質はちょっと違うところにあると見ます。地検特捜部は組織としては末端部分に相当します。「格下」です。高検や最高検のほうが上部組織であり、格上です。「格上」のほうが不起訴でまとまり、格下が「起訴」を主張?当然の結果です。当たり前です。「格上」の方が正しい判断をしていて、地検特捜部の方が恣意的に動くゴロツキの集まりだということです。では、同じ検察でも東京地検特捜部にゴロツキが集中的に配置されているのか?

 その通りです。清和会、統一邪教、CIAといったカスの皆さんと癒着したゴロツキ検事は、東京地検特捜部に意図的に集中配置されているはずです。政治疑獄を最初に追求するのは、常に東京地検特捜部です。よって、ここに裏社会勢力の代理人の検事が集められ、裏社会のために敵対者を嵌めよってたかっていじめて失脚させる。これが東京地検特捜部の栄光ある歴史です。角栄も宗雄さんも橋龍も植草先生も。

 そもそもオウム事件のインチキ裁判の際に背後関係を隠蔽して麻薬密造組織を助けたのが東京地検です。統一教会、創価学会、北朝鮮の利益を守ったのが東京地検です。

 検察に裏社会御用達のゴロツキ検事が、そんなにたくさんいるわけではない。そうなると、黒幕の息のかかった少数のゴロツキを特捜部に集めて対処するしかない。結果、ほかの格上の部署にはまともな検事がいるから、特捜部の独断専行にブレーキをかけたということでしょう。検察の自浄作用が働き始めたのであれば、喜ばしい限りです。

 東京地検の犯罪性については、以下動画を参照あれ。

 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201002/article_6.html

 ●2010.1.31リチャード・コシミズ【東京地検】独立党東京学習会

 法治国家、日本の根幹であり、正義良識の府である筈の「検察」の実態はいかに?リチャード・コシミズは10年以上前に、日本検察なる組織がゴロツキによって占拠され、特定の利権集団に利益供与を行う下賤な集団と化していたことに気づいていた。オウム事件の裁判時、東京地検は、第7サティアンが覚せい剤プラントであったことの隠蔽を目的に、東京地裁とグルになって寄ってたかって裁判を捻じ曲げ、オウムの背後の黒幕を助けたのである。この時点で、日本の最高エリート集団であるはずの検察は、背後のゴロツキ勢力の鼻もちならない下品な手先と化したのである。

 検察の背後には、自民党清和会、統一創価といった朝鮮宗教、右翼暴力団、さらにはNYのウォール街のユダヤ金融資本が隠れている。これら犯罪者集団の利益のために、東京地検は、彼らに敵対する勢力を冤罪ではめて社会的に葬り去ってきたのである。本動画では、東京地検の黒幕の思惑で「消された」数多の政治家たち、つまり、田中角栄、鈴木宗夫、橋本龍太郎、植草和秀氏たちの無念と奮闘をお伝えしよう。東京地検は悪である。悪は排除しなければならない。民主小沢の微罪など、東京地検風情に云々する権利はない。

【米紙ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏の慧眼】
 2010.2.8日付け「ゲンダイ的考察日記」の「[小沢一郎ネタ] どうして日本の大新聞は巨大な権力を持つ検察に、疑問と問題意識を抱かないのかを転載しておく。 出典は、「日刊ゲンダイ」の「小沢捜査を斬る!米紙ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏(43)」。
 先月「指導者たちが守旧派の攻撃を受け、停滞する日本」と題する同紙の記事で、小沢事件における検察と大マスコミの癒着ぶりに疑問を投げかけた。米有力紙の支局長も首をかしげるのが今回の小沢報道である。あらためてファクラー氏に聞いた。

 小沢さんの事件だけじゃなく、去年の西松事件や鳩山首相の偽装献金の時もそうでしたが、9割以上の(大新聞の)記事が検察の言うことをうのみにしている。小沢さんは、逮捕も起訴もされていないのに、新聞を読むと「有罪」です。日本を含めた民主主義国家では、裁判で判決が出るまでは「無罪」。記者として基本的な出発点を無視して、検察の言いなりになっています。

 もちろん独自の取材はしていると思いますが、方向性は検察に任せているように見えます。西松事件では、(自民党の)二階さんや森さんの名前も挙がったのに、なぜ彼らは追及されなかったのか?もっと報道に主体性があってもいい。

 欧米の検察には、日本ほど大きな裁量権はありません。日本の検察は捜査権、逮捕権、公訴権があるだけでなく、何週間にもわたって容疑者を拘束できる。そして、拘束している間に毎日のようにリークの爆弾を落とす。容疑者本人は拘束されているから自分の弁護ができない。これでは読者が「有罪」だと思ってしまっても仕方がない。

 なぜ、どうして、何の目的で検察がこういう捜査をしているのか――。そういう記事をほとんど見かけません。検察を完全に信じて、情報源としているだけ。検察という非常に大きな権力を持っている機関が、その権力を乱用しているのではないか、そういった問題提起が全くありませんね。

 問題意識を提示するがマスコミの役割のひとつ。たまにそういう記事を見ると、ほとんどが記者が書いたのではなく、外部の識者のコメントです。自分たちで検察を批判することはない。無責任です。


 当局の一部分として国民を見下ろしている

 マスコミには、読者の側に立って、当局を批判的に見る役割もあります。しかし、日本の大新聞は、残念ながら検察の側に立って、当局の一部分として国民を見下ろしているように感じます。

 検察報道が最も極端ですが、行政報道全般において同じことが言える。それは記者クラブで情報を独占して伝えることが、日本の大新聞のビジネスモデル。検察を批判したら特ダネがもらえなくなる。インターネットなど新しい競争相手が増え、読者離れなど変化の時代が来ているから、必死で自分たちの既得権益を守ろうとしている。

 若い記者たちと話すと、みんな記者クラブがダメだというのはわかっている。しかし、会社が既得権益を守ろうとしているから、記者は何も言えない。この矛盾は不思議です。若い記者にもっとチャンスを与えれば、もっといい報道ができるのに。米国でも既得権益が強かったが、インターネットの参入で新聞社が倒産して、古い仕組みでは生き残れなくなった。日本もそうなれば流動化するかもしれませんが、まだそこまで切羽詰ってないですね。(日刊ゲンダイ 2010/02/06掲載)






(私論.私見)