日共の対応考その2 |
(最新見直し2008.8.30日)
Re::れんだいこのカンテラ時評672 | れんだいこ | 2010/02/14 |
【日共改めネチ共のシロ証明要請論を嗤う】
れんだいこは、日本共産党を日共と表記してきた。これは、ソ共、中共と対比する意味で日共と呼称すると云う意味合いもある。もう一つは、1955年の六全協以来、野坂−宮顕同盟が共産党中央を掌握して以来、共産党が大いに変質し、とても共産党とは呼べなくなったという歴史的経緯から日共と呼称している。 学生時代、おぼこかったれんだいこは、曲がりなりにも戦前来の共産党の嫡子だろうと思いこみ、日共系学生運動に参画していたが、運動の盛り上げに水を差す指導ぶりと、ロジックの変調に違和感を覚え続けていた。新日和見事件の頃を境にドロップアウトしたのだが、今でもれんだいこの感性の良さを自負している。 もう四十年近くにもなる以前に見限り、十年前に理論的に総括した日共を論評する必要もないのだが、小沢キード事件での醜悪な立ち働きを見ると、出張らざるを得ない。許せないからである。今も連日続く赤旗紙面に於ける小沢パッシングの執拗さは尋常ではない。これからは当分、日共と云わずにネチ共と云い換えようと思う。れんだいこのネチ共批判の場合にはネチとは云わない。なぜなら常に論証的であるから。 そのネチ共は、本日2.13日の赤旗紙面でも、「政治とカネ 集中審議 小沢氏団体の疑惑ただす 佐々木議員」記事を載せている。佐々木憲昭議員と云えばムネオハウス質疑で知られているが、外務省の改竄文書を元手にムネオパッシングした非を咎められているのに未だに自己批判一つしていないという道義的責任に欠けた御仁である。よくも恥ずかしくもなく人前に出てこれることよと思う。ムネオが訴訟すれば、お前は必ず被告席に座ることになる。ムネオの度量に甘えるのもエエカゲンニセイ。ムネオが云わないから、代わりに申しつけておく。 その佐々木ネチ共議員が何を云っているのかと読むと、既に論破され、東京地検特捜部も不起訴にせざるをえなかった虚偽記載とゼネコン裏献金疑惑をバカの一つ覚え見たいに繰り返しているに過ぎない。党中央の指針に唯々諾々しかできない哀れなかごの鳥でしかないので、同じことの繰り返ししか云えないのだろう。目下新鮮なのは、志位委員長が堂々と打ち出している「検察とネチ共の車の両輪論」である。佐々木ネチ共議員にムネオハウス質疑の頃の勢いがあれば、「検察とネチ共の車の両輪論」を得意気に一席ぶつのだろうが、さすがに云い過ぎではないかと思っているのだろう、触れないのがお笑いである。 もう一つ。主張で「小沢幹事長の責任 元秘書の離党でいよいよ重い 」とぶっている。「問われているのは小沢氏自身の説明責任と政治的・道義的責任です」と述べ、小沢パッシング派の狙いを代行代弁している。次に、話法ペテン士・立花の詭弁が振りまいた「総額21億円余の虚偽記載」が気に入ったらしく繰り返している。思えばロッキード事件の時もそうだった。立花式「諸悪の元凶論」に乗って角栄訴追運動の尖兵役を務めた。 何とかして「報告書のミスなどで済ますわけにいかない重大な問題」に仕立てたいらしく、「虚偽記載の疑いがもたれているのは総額で21億6900万円にも上る巨額の資金」とフレームアップさせ、「検察不起訴はシロではない」としてひたすら小沢幹事長の責任を問う方向へリードせんとしている。魂胆だけが透けて見えてくる話でしかない。しかし、こうなると、ネチ共論理によれば我々は誰も今後は、シロ証明せねばならないことになりそうだ。 次に、「公共事業を受注したゼネコンからの裏献金」を持ち出している。東京地検特捜部が新種の「天の声理論」を編み出し、何とかして起訴せんとしたのに不起訴で終わった容疑であることを思うと、ネチ共論法の「天に対するシロ証明論」の執拗さばかりが際立ってくる。懲りないネチ共である。それはともかく、こうなると、雨が降れば降ったで降らねば降らぬで、関わりないことを証明せねばならないから厄介だ。人に云うのは良いが、お前にできるのかよ、そったらこと、と云い返したくもなる。 締めで、「石川氏とともに小沢氏が証人喚問に応じ、公開の場で真相を明らかにすることが待ったなしの課題」と述べている。れんだいこが逆提案しておく。こたびの小沢キード事件での東京地検特捜部の暴走に対して国会の場で真相を明らかにしておくことは必要である。その検察暴走にエールする形で「車の両輪論」を唱えたネチ共の理論創出過程を検証することも必要である。れんだいこから見て、この理論は異常である。ここまで堕ちたかと云いたくもなる醜悪理論である。 もとへ。小沢パッシングで質疑した自民党歴々の議員の収支報告書を俎上に載せ、シロ証明させるのも必要である。何人質疑したのか分からないが、ネットでタイムリーに暴かれている。今日は与謝野が槍玉にあがっていた。次に誰が出てくるのか知らないが、清廉潔白、シロ証明に堪える御仁が登場することを祈る。 小沢キード事件の教訓として、この種の暴走を戒める為にも、「証人喚問に応じ、公開の場で真相を明らかにすることが待ったなしの課題」ではなかろうか。ついでに述べておくが、ロッキード事件の再審も「待ったなしの課題」ではなかろうか。朝日が中曽根疑惑で久しぶりに朝日らしいスクープを飛ばしている。読売、産経の反応を見て見たいふふふ。次に、中央委員同志殺人者・宮顕を参議員にさせたネチ共の、公党としての政治的道義的責任を問うのも「待ったなしの課題」ではなかろうか。志位よ、もぐもぐせずに答えてみ。 2010.2.13日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評676 | れんだいこ | 2010/02/24 |
【れんだいこのネチ共批判とネチ共の小沢パッシングの等価性考】 れんだいこが、なぜネチ共批判を続けるのか。それは、ネチ共の小沢パッシングが執拗に続くからである。ここを取り違えてはならない。2.24日の赤旗主張は「『政治とカネ』追及 小沢氏の喚問を実現すべきだ」と題して懲りない主張を続けている。 もし、れんだいこのネチ共批判に不快の念を持つ者がいたら、ネチ共の執拗な小沢パッシングにも不快の念を持ってほしい。そうすれば話が合う。これを等価と云う。ネチ共の小沢パッシングは正当、れんだいこのネチ共批判はやり過ぎなどと云う者が居たとしたら、拵えられた小沢パッシング劇場に相当被れ過ぎていることに気づくべきだろう。気づかぬ者にはカエルのツラにションペンで処置なしと診断しておこう。 2.24日赤旗主張は、小沢氏の証人喚問論を繰り返している。鳩山首相に対し「小沢氏に偽証の罪もある証人喚問に応じるよう言うべき」とも述べている。これによると、鳩山のマミー献金不記載問題は解決済み、小沢の秘書寮建設資金記載不記載問題に対しては未解決としていることが分かり興味深い。不記載を免責させ、検察の望むように記載しなかった場合には虚偽記載としてより悪質とする立場に立っていることが分かる。正常の者は頭がおかしくなろう。ここから透けて見えてくるのは、小沢一本にターゲットを絞っている魂胆である。 ネチ共は同主張で、概要「検察不起訴は潔白証明にならず。自らシロ証明せよ」論をぶっている。補足として、ゼネコンからの“税金還流”につき、「核心となる資金の出所をめぐっても、潔白どころか疑惑は深まる一方」と述べている。「最近の世論調査」を持ち出して、「小沢氏の国会での証言を求める声が圧倒的」として、「鳩山政権が国民の声にこたえるなら、いますぐ小沢氏の証人喚問に応じるべき」で締めくくっている。 この論理論法は既にどれもこれもが破綻させられていることつにき、敢えて述べるまでもない。簡略に答えておけば、「検察の不起訴」はネチ共が云うほど軽いものではない。東京地検特捜部の総力捜査で「公判維持容易ならず」の判断となり不起訴となったことが検証されている。シロ証明論については無茶な法理論であろう。シロ証明責任論なるものは法的に認められていないし、仕切りが不明で際限がなくなるからして認めてはなるまい。ネチ共が凡そ民主主義の何たるかが分かっていないことを自己暴露している。どうか、ネチ共のせめて党内だけに通用する論にして欲しい。 「ゼネコン還流資金」については冤罪の可能性が強い。贈収賄証言者の虚言常習癖が暴露されている。ロッキード事件の時のようなコーチャンの免責付き証言には信用性が認められない。当然、買収証言は認められないとすへきだろう。「最近の世論調査」については、世論調査は世論操作による面が大きく、公平性が担保された質問形式のもので、且つ無回答率も含めたものでなければ信用できない。それでも錦の御旗とするのは為にする批判でしかない。 「小沢氏の証人喚問に応じるべき」については、政権与党の首相、幹事長につき乱発するものではなかろう、容疑内容から見て在任中に大騒ぎするほどのことかどうか。付言しておけば、在任中大騒ぎするべき事例がある。それは、かの時、小泉首相が米国訪問の際にプレスリー邸で嬌態を見せた後イスラエルを訪問し、ユダヤ教徒の正装でユダヤ教儀式を執り行ったことである。れんだいこは、靖国神社公式訪問問題なぞ比較できぬ重大事であったとみなす。一国の首相が任期中に外国の宗教形式で宗教行為を執り行うなど許されてよい訳がなかろう。ところが、この時の小泉狂事は見逃された。メディアもネチ共も黙殺した。今に至るまで不問視されている。ネチ共論法を借りれば、即刻小泉を証人喚問せねばなるまい。志位君、市田君、どう思うかね。 以上を踏まえてかく問わねばならぬ。ネチ共はなぜ執拗に小泉ではなく小沢を叩くのか、その背後事情に何があるのか、と。れんだいこの解は、ネチ共はそういう役目を持って云わされ続けている、云わしているのは現代世界を牛耳る国際金融資本の意を汲むネオシオニスト奥の院であろう、と読む。このれんだいこ解は正解だろうか。ここが議論されねばならぬ。 興味深いことは、鳩山政権になってみて、野党席に自民、公明、共産と並ぶと以外にこれが何ともサマになっている姿である。これまで政権与党の自公、野党の共産と云う対立の立場に居たのに、もう何十年もコンビを組んでいる自然さが伝わるから不思議だ。この親和性はなぜだろう。れんだいこの解は、国際金融資本の意を汲む表統領の自民、表補佐の公明、裏補佐の共産という構図で80年代以降の日本政治が続いてきたことを示しており、不思議でも何でもない。目下の小沢キード事件追及に於ける自民−公明−共産連合の姿こそ真の正体に他ならぬ、と云うことになる。 この構図を突き崩すのに最大の功のあった政治家が小沢である。これは延々30年の長征史となった。こたびの小沢キード事件、小沢潰しは、この30年長征史を否定し解体せしめよとの当局奥の院指令に他ならぬ。小沢を落とせば、残党狩りは容易であろう。こうしてロッキード事件以来の大型包囲網が敷かれた。新聞マスコミ各誌が声を合わせてハッスルした。しかしながら、その目論見は潰えた。なぜなら、ロッキード事件の検証を通じて、否その後の政治貧困、日本の国富簒奪、経済力衰退、地方荒廃が重しとなって、大本営発表を眉つばさせた。日本人民大衆は、その手は二度とは食わぬ桑名の焼きハマグリと冷静に対応した。日本人民大衆は既に先の総選挙で投票一揆に立ち上がり、自公を完膚なきまでに叩いている。賢明なる政治的経験を積み始めているということである。 この局面で、ロッキード事件の時にはあれほどうまく行ったのに、こたびはなかなか重い、重いが仰せだから仕方ないと主張し続けているのが、ネチ共である。誰の為に、何の為に。ここが問われなければなるまい。れんだいこの解は、決して日本人民大衆の為にではない、このことをきっぱりと告げておこう。後は銘々で考えれば良い。知りたくなれば尋ね来るなら云うて聞かそう。 2010.2.24日 れんだいこ拝 |
2010年11月23日(火)「しんぶん赤旗」 「みんなの党」寺田議員の関連会社 小沢氏側に1000万献金 胆沢ダム工事 17億円を受注参院選比例代表に「みんなの党」から立候補、初当選した前秋田県知事、寺田典城氏(70)がかつて社長を務めていた建設会社が、民主党の小沢一郎元代表側に1000万円を超す献金をしていたことが本紙の調べで分かりました。同社は、小沢疑惑の象徴ともいえる胆沢(いさわ)ダムの関連工事をあいついで受注しています。 この会社は「創和建設」(秋田県横手市、資本金6700万円)。寺田氏は、1967年から横手市長になる91年まで社長を務め、06年までは22・5%の株式を保有する筆頭株主でした。 政治資金収支報告書によると、同社は、95年〜99年に、小沢氏の資金管理団体「陸山会」に計250万円、2000年〜02年には、小沢氏の秘書が代表だった「自由党衆議院比例区東北第3総支部」に計720万円、02年〜03年には、小沢氏が代表の「自由党岩手県第4区総支部」に計120万円の献金をしています。 小沢氏の関連政治団体「小沢一郎政経研究会」が03年に開いたパーティー券24万円分も購入しており、小沢氏側への資金提供は計1114万円にのぼります。 このほか、93年7月の総選挙で、当時、新生党から立候補した小沢氏の選挙運動費用収支報告書によると、創和建設の岩手支店(水沢市、現奥州市)から100万円の寄付を受けています。 この献金は、公共事業受注企業の選挙に関する献金を禁じた公選法違反の疑いがあるため、小沢氏側は「小沢一郎くらしと政治研究所」への献金だったと訂正しました。 問題は、一連の献金と、同社の公共事業受注の関係。寺田氏は97年に小沢氏の依頼で知事選に出馬、3期12年にわたり知事を務めました。この間、同社は、胆沢ダムの関連工事をあいついで受注。受注総額は17億円を超えます。 このなかには、小沢氏側に計1億円を提供したと関係者が証言している水谷建設の下請け工事も2件含まれています。(表参照) 寺田氏は参院選に当選直後、「連立することが国家のためになるなら、(民主党との連立を)進めるべきだ」と語っていました。
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(私論.私見)