野田政権に対するれんだいこ書簡

 (最新見直し2011.9.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、野田政権発足に当たって、菅政権に対しても為したように一方的ながら、れんだいこ書簡を発表しておく。これが届くも届かざるも、仮に届いたとして聞くも聞かざるも自由である。云えることは、菅政治は、この貴重なれんだいこ書簡の呈示するものを聞かず、否危惧した通りの政治に向かい、歴史に取り返しのつかない汚点を遺したことである。菅及び菅派の諸君の性情がよほど劣悪なものであったと了解するしかない。

 2011.9.3日 れんだいこ拝



れんだいこのカンテラ時評№994  れんだいこ  投稿日:2011年 9月 4日
 【野田政権に対するれんだいこ書簡その1、角栄政治の真髄を知れ】

 野田政権発足に当たって、菅政権時にしたように「れんだいこ書簡」を発表しておく。シリーズの予定であるが、今はこの一書のみとする。これで充分だろう。この書簡が野田の耳に届けられるのか、届けられたとして聞く耳を持つのかにつき、当方は与り知らぬ。云えることは、聞くも耳を持てば歴史の評価に堪えるものになり、逆は逆であると云うことである。

 菅は聞く耳を持たず、シオニスタン宦官政治にのめり込み、小沢どんを用済みとして斥(しりぞ)け、一時の栄華に酔いしれた。しかし、たかが1年有余の儚い宴であり、今頃は悪酔いしていることだろう。歴史の法理は厳然としている。闘いに敗れ斥けられたのは菅派の方であった。

 こたびの組閣で、菅派は平野法相一名の登用で終わった。その平野も菅派であるかどうか旗色はっきりしない御仁であることを思えば、菅派自体が息の根を止められた感がある。遊び人は遊び人特有の粗脳故に歴史の屑かごに捨てられることになる。何事によらずプロが鎬を削る世界に遊び人が大事を司ることには無理がある。教訓とすべきだろう。

 もとへ。れんだいこは、野田首相が見せた組閣人事能力を評価し、野田政権にとっておきの政治訓話を授けたい。松尾芭蕉の名俳句「古池や かわず飛び込む 水の音」の解釈に似て、万言を費やしても足りない名訓話になっている。何度も聞き、何なら閣議の前にみんなで聞くようにして貰いたいほどである。過日、偶然目にしたものだが有り難い出会いであった。以下は、れんだいこがビデオから書き起こしたものである。政治家諸君、毎日の業として暗誦せよ。

  1984.3月、ネミック・ラムダ長岡工場竣工式での田中角栄の祝辞
 (http://www.hirameki.tv/10video/Mr-tanaka/mrtanaka1.html

 斑目力曠社長の弁から窺える角栄の弁は次の通り。
 「君、福島なぞ行かないで長岡へ行ってやれよ。君は若いんだから失敗したっていいじゃないか。思い切りやってみろよ。長岡で電子の灯を灯すつもりでやってみろよ」。「従業員は何名になったか」。「渡部君、潰してもらっちゃ困るよ、いいね、潰してもらっちゃ困るよ、潰してもらっちゃ困るよ」。

 角栄の弁は次の通り。
  「まず第一に、斑目(まだらめ)社長を中心にした従業員諸君の力添えで、えぇ、創業15年にして今日の、この、おぅ、興業の第一期工場の竣工式を挙げられことに対し、深い敬意を払いますと共に、お喜びを申し上げます。又ご参会の皆様には、こうして応援を頂き、当社の将来に対しても、重ねて、お力添えをいただくことにつきまして、えぇ、私からもお礼を申し上げます。今、斑目社長から述べられた通り、この会社には私も、創業からの責任を持っておる者でございます。

 斑目君はあのぅ、出身は高野山でございます。私の菩提寺もございますので、まっ、この仏様のご紹介と云う事で、で、一つおぅ腰を入れなければいかんと云うことで、おぃ長岡へ工場を造らんか。と云うことだった。でもう既にここに第一の工場ができたじゃないですか。第二の工場が1300億を投資をしながら工場出荷額1600億ないし1800億、4月の1日からオ―ジ―アイには東京三洋の工場が**。工場を始めようではありませんか。それだけじゃありません。同じオ―ジ―アイに松下電送の工場が4万5千坪、今、宅地造成を始めているんです。それがいつですかな、起工式あるんです来月の初めですか。6月1日から始めるんです。しかし、それにも来てくれと云うから、いや、まだ返事しないんです。斑目君のとこへ行ってからの話である。(笑) ホントですよ。うん、そういう意味で今日は、この工場に伺った訳ですが、今、斑目君も述べられた通り、故なくして今日ある訳はないんです。

 これはあのぅ、雪国というのはまぁ雪国というのに工場来るかなんかと心配する者がありますが、これはあんまり勉強不足なんです。雪国がなければ精密工業基地足りえないのであります。うーん世界には166カ国あるけれども、主要工業十ケ国のアメリカ、カナダ、日本、リべリー、フランス、西ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、スウェーデン。10ケ国の内の9ケ国の工業地帯は、奇しくも日本の弘前よりも全てが北であります。しかも超精密工業地帯はどこかと云うと、日本がかって領有した樺太よりも北であります。どうしてそんなことが分からんのか。地球儀を回すまでもないことだもの。温かいところには主要工業地帯は地球上には一ケ所もない。ねぇ、ホントです。それがなぜ一体、日本だけが太平洋側に工場ができて、雪の降る所が南方産の稲を育てておるか。これは逆さまであります。うーんこれは千年以来、為政者が太平洋側にだけしか存在しなかったと云う、たった一つの簡単な理由であります。

 しかし、科学的な、要請される条件を備えておるものが、逆さまのままで永久に行く訳がないんで、重い工業、原材料を海外から輸入しなければならない、そして加工してすぐ輸出しなければならない、大規模な工業は全て太平洋岸でありましたが、しかし例外があったんです。非常に精度の高い工場が一つだけ、北陸にあったんです。それは何か。それはツガミである。ねっ、長岡のツガミの歴史を見れば日本の工作機械の草分けである。非常に精度の高い技術であり、ツガミの社史を読むまでもなく分かるじゃないですか。地元に居ると分からんだけであります。日本産業史の中でツガミの歴史は燦たる歴史だ。だから一ぺんぐらい潰れたってね、立ち上がるに決まっとるんだ。ホントですよ、うん。

 その意味でね。斑目君にね、ツガミがあるんだよと。長岡の歴史というものは必ず君を成功せしめるから。まぁローマは一日にしてならんと云いますが、石橋叩いて必ず渡る。こう云ったらですな、15年間で、斑目君がこれだけのものをつくったじゃないですか。さっき悪口云いましがね。人のうち借りてボロ屋だったとか、何を云うか。(笑) 古色蒼然たるとはいらんことである。と思うけどね、ほんとうですよね。**古色蒼然たる中からたった15年で、これだけのものが生まれたじゃないですか。この後、第二次工場3000坪あるんですから。そうでせうっ。

 私は、潰してはダメだよといったのはね、若い連中ばっかりなんだこの工員が。君はね、経営者だから潰れたっていいよと。ましてや荒道を漕ぐ人は一回や二回倒産の危機にね、頻する、これはやむをえん。しかし、必ずこの仕事はね、日本が求める。日本の代表的産業なんだから潰れる筈がないだぞ。ただ潰すと若い連中が泣くから。やっと結婚した、やっとウチをとにかくつくろう、ローンを借り始めた。社会的混乱起こすから、潰しちゃダメだよ。こう云ったに過ぎないのであります。

 来るには来るような受け入れ態勢がなくてどうして来ますか。私は、受け入れ体制がなかったけれども斑目君が、ここまで努力した実績に対して本当に深い敬意を払います。今度はまぁ潰すなよなんて云いません。(笑) えぇ。今度は大いに発展をする為にお互いに協力する、共同の責任を持って後は保証してやるから、さぁしっかりやってくれ、こういうつもりでおります。どうぞご参会の皆さまも、ただ一つの工場が生まれたいうのではありません。これは長岡の新潟県の工業化の、一つの歴史の一ページ、第一号工場である。この後が続く。

 私は、ホント25年間、自分の、責任のように考えてきただけに、こうしてしばらく時間をいただいて事実を申し述べ、皆さまの変わらざると云うよりも、これから本当にこの会社が大きくなるように。この会社がね、うまくいかないようだったら、必ず行きますよ、必ず行くように保証します。これから技術的にも、あらゆる角度から応援体制を整えます。ねっそういうつもりで来たんです。まっ皆さんからも、本当に格段のご支援ご鞭撻ご協力をお願いをいたします。これはもう、本来ならば会長の職にある関とうえい君、うーん、だったらもっともっと、強く皆さんにお願いするでせう。私もこの、まっ工場を育てる、立場である責任者として、これからお願い申し上げます。渡部君を中心とした当社の全従業員一丸になっての奮闘努力、精進努力に心から期待をして、私のまっ祝辞と云うよりもご挨拶を終えたいと思います」。

 講釈は不要であるが蛇足しておく。角栄政治は、かように中小零細企業に対する目線が温かく育成に力を貸していた。特に今後の日本が生き延びる道として、先進的先端産業に力を貸していたことが分かる。演説の片言節句からしても、角栄の視野が壮大であることが分かる。話も面白い。間の取り方も良い。短か過ぎず長過ぎず、話に愛情があり、スピーチの見本である。スピーチだけが良いのではない、日頃の政治の姿勢が滲み出ていると窺うべきだろう。

 れんだいこが最も気に入ったのは、斑目力曠社長の「会社は潰してはならず、存続させることが社員に対する最大の福祉である」云々の弁である。今時の、会社を潰すような方向にばかり政治を舵取りしながら他方で雇用対策を云々し、その挙句に財源が足りないと云っては増税政策にシフトする政治と比すれば真逆である。

 これが角栄政治の要諦である。暫し沈思黙考せよ。立花―日共―その他馬鹿どもによって貶され続けてきている角栄であるが、歴史の評定は振り子のように然るべきところに戻るのを常とする。もうそろそろ角栄を角栄として評する時代になっても良かろう。

 2011.9.4日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№995 れんだいこ 投稿日:2011年 9月 9日
 【野田政権に対するれんだいこ書簡その2、ブラジルとの合弁事業「セラード農業開発協力事業」考】

 「野田政権に対するれんだいこ書簡その1」で、角栄の国内産業に対する英明なる振興策を確認したが、「書簡その2」では角栄の対外支援の英明策としての「日本―ブラジル間のセラード農業開発協力事業」を確認する。

 この功績は余り知られていない。れんだいこもごく最近知り本稿を書き起こすことになった。一事万事の理で国内を能く制する者は国外をも能く制する、逆は逆であることが分かれば良い。

 1974.9.12日、田中首相が中南米のメキシコ、ブラジル、米国、カナダの4カ国歴訪に出発している。これが田中政権の6番目にして最後の外交となる。9.14日、メキシコ訪問。日本メキシコ学院の設立のための援助資金を持ち、 エチェベリア大統領との首脳会談で、「両国民の相互理解のために画期的な重要性を有するものであって、早期建設を支援する」旨の共同声明を発表している。

 9.18日、ブラジル-訪問。ガイゼル大統領と首脳会談し、日本とブラジルが共同して農業開発プロジェクトに着手することに合意し共同声明を発表する。これより早く次のような根回しが行われている。1973年、農林省がブラジル農業開発輸入検討に調査団派遣。1974.3月、コチア産業組合中央会(CAC)がミナスジェラィス州サンゴタルドに入植する。1974.8月、国際協力事業団(JICA)が発足する。

 日本とブラジルの共同声明の約束は守られ、1975年、ブラジル政府がPOLOCENTRO計画を策定する。同5月、経団連、日伯経済協力委員会の下部組織として日伯農業開発協力委員会を設置する。同6月、倉石農林大臣、9月、福田副総理がブラジルを訪問する。同10月、JICA、政府・民間関係者によるミッンョン(農林省国際協力課菊池課長補佐及び伊藤忠商事越後部長役)をブラジル派遣し基本的枠組みを決める。11月、JICAが調査団を派遣する。同12月、日伯農業開発協力推進議員懇談会が結成される(会長・倉石農林大臣)。

 1976.4月、「日本―ブラジル(日伯)セラード農業開発協力事業(PRODECER)」が設置される。同9.17日、日本政府がセラード開発計画を閣議了解する。ガイゼル大統領が来日し、セラード開発について「討議議事録」に署名する。これにより総事業費684億円が拠出されることになった。

 具体的には、多数の農業専門家の派遣、入植者717戸(内、154戸が日系農家)に対する融資、農地造成、灌漑整備の導入等々、ブラジルの近代農業を推進する事業となった。こうして田中首相が支援を約束してから約5年の準備期間を経て日伯合弁会社が設立され、国際協力事業団(現JICA)が出資する形で2001.3月までの21年間3期に分けて実施された。

 JICAのセラード農業開発プログラムは、日本のODA事業の中でも極めて規模の大きな事業となり、ミナス、ゴヤス、バイア、トカンチンスなど9州にまたがる(首都ブラジリアもこの地域に含まれる)熱帯サバンナ地帯の約面積2億ヘクタール(2,045,064km?、メキシコ並み且つ日本の約5.4倍ほどの面積)の潅木林地帯で土地の土壌改良による穀物栽培の開拓が行われた。

 これにより同地帯は一大穀倉地帯に変貌した。2008年のFAO(国連食糧農業機関)の農産物生産統計によれば、ブラジルはサトウキビ、オレンジ、コーヒー豆が1位、大豆が5924万トンと米国に次いで2位、トウモロコシも含めた輸出大国となっている。「セラード農業開発は、20世紀農学史上最大の偉業のひとつ」と評価されており、「セラード農業開発協力事業」は世界の食料供給基地をアメリカとブラジルの二極化することに貢献した。

 「セラード農業開発協力事業」2000年で一応終了し、その後を継いだ小泉政権以降の歴代政権は新方針を打ち出さぬ為に尻ぼみの状態になっている。尤も、現代においては森林資源保護と云う地球環境保護問題が絡み始めており、新たな政治能力が要求されている。それはそれとして、角栄政治がブラジルに貢献した偉業、世界の食料供給事情の二極化の成果を確認せねばなるまい。

 現在、この経験を生かしてブラジルと日本によるアフリカ支援へと繫がっている。2009.4月、日伯間で対アフリカ熱帯サバンナ開発協力の合意文書が結ばれ、その協力対象国として公用語がブラジルと同じポルトガル語のモザンビークが選ばれ三角協力の実施が決定した。同9.17日、モザンビークの首都マプト市で、日本、ブラジル、モザンビークの代表が、熱帯サバンナ農業開発推進合意文書に署名した。ブラジルのセラード地帯で日本とブラジルが行った熱帯サバンナ農業開発協力の知見をモザンビークひいては将来的にアフリカの熱帯サバンナ地域の農業開発に生かそうとしている。

 2010.5月、ブラジルは初めてアフリカ全土から農業大臣を招聘し、「ブラジルーアフリカ対話」会議を主宰した。ルーラ大統領は次のように述べている。「ブラジルは先進諸国に対して一緒にアフリカでの農業開発協力に取り組もうと長らく訴え続けてきた。そして、一カ国、日本と共同にてモザンビークで取り組むことが決まった」、「アフリカ熱帯サバンナはブラジル・セラードの農業潜在力をはるかに凌駕する。我々はセラード技術をこの広大な農業フロンティアに導入することができる」。

 以上の総評として次のように述べておく。ここにも角栄政治の卓見と功績を見て取ることができる。れんだいこが調査して判明する限り、角栄政治の秀逸さ―それぞれの課題に対して国家百年の見地から有能な判断と処理を為すことで日本丸を充分に舵取りしていたこと―に驚かされるばかりである。

 そういう意味で、角栄政治を悪しざまに罵る者の政治、評論ほどお粗末なものはない。近いところでは小泉、菅が角栄政治の真逆を行い国運を誤らしめ、にも拘わらずマスコミが提灯報道し続けたのは衆知の通りである。立花隆その他の売国奴エピゴーネンが未だに角栄批判のボルテージを上げ続けている。ことあるごとに角栄政治との距離を測り、接近しようとすると批判の太鼓を打ち鳴らし、反角栄政治にシフトすると喝采すると云う痴態を演じ続けている。

 この政治、論調にどう終止符を打ち、日本が自由、自主、自律の国内国際政治を御していくことができるのかが問われている。第二次世界大戦での敗戦から65年余、一時1970年代初頭に田中―大平同盟政治により半ば達成したかの感のあった主権政治がロッキード事件の喧騒を通じて元の木阿弥的植民地政治に戻されてしまって今日に至っている。与野党問わず政界上層部に屯(たむろ)するのはシオニスト宦官ばかりと云う痴態に陥っている。この不義を如何せんか。

 2011.9.9日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№996 れんだいこ 投稿日:2011年 9月 9日
 【野田政権に対するれんだいこ書簡その3、どじょう政治考】

 「野田政権に対するれんだいこ書簡その1、角栄政治の真髄を知れ」、「野田政権に対するれんだいこ書簡その2、セラード農業開発協力事業考」に続き「野田政権に対するれんだいこ書簡その3、どじょう政治考」を発信しておく。

 野田首相が、如何なる意味で「どじょう政治」を詠ったのかは定かではない。民主党代表選の演説で、相田みつを氏の作品句「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」を引用し、ここから野田式どじょう政治論が生まれているようである。これを教えたのが輿石と云われており、どじょうが取り持つ縁により野田政権発足に伴い幹事長に抜擢されている。

 れんだいこは、相田みつを氏の文句よりも「どじょう」そのものに興味を抱いている。野田の「どじょう論」は「どじょう」になぞらえての「どじょう政治」として云われているが、当然「どじょう精神」、「どじょう文化」、「どじょう経済」といろんな風に使うことができる。野田が本気で、こういう意味合いを持つ「どじょう」を掛け声しているのなら面白い。

 巷間、野田は、松下政経塾上がりの増税論者、反小沢として知られている。こたびの組閣を見る限り、この線からの大臣、副大臣、政務官が多数登用されている。その片方で、非増税論者、親小沢として知られている大臣、副大臣、政務官も登用されている。つまり、本来成り立ちにくい相反する二勢力を見事に混成させたのが野田政権の特徴となっている。これを仮に「どじょう組閣論」と命名する。

 この技を為し得る者は政界広しと雖も目下は野田一人かも知れない。野田は、この混成を「どじょう」と表現し、天才バカボン親父の言を真似て「これでいいのだ」と自負しているように見える。理屈は合っているように見える。

 しかし、こうなると、いずれ、本来成り立ちにくい相反する二勢力の衝突の日が訪れることになる。その日が近いのか遠いのか、それはまだ分からない。早くも前原系が右から揺さぶりに出ている兆候が認められる。問題は、「どじょう論」の神通力がどこまで効くかにかかっているように思われる。その効能次第で政権の長短が決まるように思われる。

 「どじょう組閣論」について論ずれば、鳩山政権も相反する二勢力のバランスにシフトしていた。ただ、鳩山政権の場合にはパワーバランスとして反小沢と親小沢を並列的に取り混んでいただけなのに対し、野田政権の場合には反小沢と親小沢を混成的にしているところに違いが認められる。つまり、野田首相は混合せしめる神通力を持っており、その言葉が「どじょう」なのではなかろうかと思われる。この言葉の魔力を見染めた野田は偉いと云うことになる。

 問題は、野田自身が、この「どじょう政治」をどこまで本気に育み、貫徹させるのかにあるように思われる。この元一日の日の誓いを忘れず、政治と政局を御して行けるのかと云うことになる。

 興味深いことは、れんだいこの理解する「どじょう論」によれば、野田のこれまで掲げてきた政治論、政策論は「どじょう論」によって自ずから変更を余儀なくされ、野田自身が自己否定を伴う脱皮を要請されることになるだろうと予見できることである。野田は、この自己否定の道へ進むことができるのだろうか。れんだいこの興味はここにある。

 れんだいこ式どじょう論によれば、「どじょう」とはまさに「土壌」であり、泥臭い土の中にまみれて生命を育む生き物である。この生き物は、見栄とか格好とかの金魚的な鑑照とは真逆の生活実利的な地味な生き物である。政治論で云えば、上部構造的大将論ではなく下部構造的兵卒論になる。野田は、「どじょう論」を口にすることで、政治の視座を下部構造的兵卒論に据えると表明していることになる。下部構造的兵卒論とは人民大衆論とほぼ等値の概念である。してみれば野田は人民大衆政治論を唱えていることになる。

 加えて、「どじょう」とは河川の地底に潜み泳ぐことで在地土着精神を表象している。してみれば、「どじょう政治」とは在地土着政治を表象している。政治に於ける在地土着性の肝要さは今日ほど要請されている時はない。多くの政治家が与野党問わずジャパンハンドラ―ズの指揮指令に服し宦官化していることは衆知の通りである。つい先日、前原が日本の国政の機密情報を米国政府公館に公然と売り渡している機密文書がウィリークスにより暴露された。

 これは何も前原に限る話ではあるまい。野田の「どじょう政治論」は、この売国奴政治に対する決別の叛旗となる可能性を秘めている。野田当人に果たしてその見識があるのかどうかは分からないが既に意識の基底で呟いていることになる。れんだいこが野田政治に注目する所以である。

 意識と云うものは長い練磨を経て熟成されるのが普通だが、突然にひょういする場合もある。これを宗教者の場合には神がかりと云う。或いは天啓と云う場合もある。野田の場合にはどちらか分からないが、政治的マヌーバーではなしに生涯を貫く赤い糸となることを願う。

 但し、最新情報で鉢呂経産相の「死の街発言」に対し、「不穏当な発言だ。謝罪、訂正してほしい」なる批判をしている。この早くも守りに入っている調子からすれば野田に期待するのは無理かもしれない。たまさかの「どじょう論」だったのではないかと思う。

 2011.9.9日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№998  れんだいこ  投稿日:2011年 9月17日

 「野田政権に対するれんだいこ書簡その4、角栄の反民営化論、反増税論を傾聴せよ」を発信しておく。野田が「どじょう政治」を目指すなら、範とすべき角栄政治論へ辿り着かねばならない。ここでは反民営化論を論証しておく。

 角栄は、中曽根政権の民営化路線に終始異論を唱えていた。だがしかし、ロッキード事件にはがい締めされ、金権政治の元凶として十字砲火を浴び続けている折柄であり、角栄の言は掻き消された。れんだいこは、月刊誌「現代」誌上の寄稿文で知り、凄いとうなった覚えがある。

 目下、これがネット検索で出てこない幻論文となっている。知人のH氏にお願いしていたところ、1985(昭和60).8月号の月刊現代に「田中角栄 国鉄廃止なんて愚の骨頂だ!」を入手してくれた。久しぶりに読んでみたが、れんだいこの記憶している論文と違うような気がする。ひょっとしてもう一本あるのではないかと思う。これを探さねばならない。とりあえず、これをベースに角栄の反民営化論を傾聴する。既に、「れんだいこのカンテラ時評890、角栄頭脳発見の旅 田中角栄の幻論文『国鉄廃止は愚の骨頂!』を発掘せよ」で言及しているので重複は省く。

 角栄と国鉄民営化論者の視点差は、民営化論者が目先の単事業単年度利益を重視するのに対し、角栄は国鉄が果たしている役割を総合的に捉え、単事業単年度利益判断に反対していたことにある。角栄に於いては、都市計画には道路と鉄道が基盤になるものであり、先行投資する訳であるから赤字は当たり前であり、国家財政で賄うべしとしていたと思われる。道路と鉄道による都市創造により、やがて国家税収か増すのであるから、国鉄赤字を大仰に云うのは反対としていた。

 どうしても黒字に持って行くのであれば、黒字になるよう民間鉄道並に規制緩和し、沿線の宅地開発やホテル経営等の副次的業務の許認可を与えれば良い、これをさせずに於いて国鉄赤字を騒ぐのはケシカランとしていた。これは何も民営化でなくてできる訳で、体制として国鉄のまま一部民営化的事業を導入して対処すれば良かろうとしていた。

 このことを次のように述べている。

 「それを北海道が赤字だから鉄道外せ、なんていうバカがいる。バカと云うのが悪かったら、利口でない人の暴論、バカ論です。たった百十年前に人口四万人足らずの北海道が、今、人口五百七十万人になる為には、彼らがどれだけの苦労をし、辛酸をなめてきたか。北海道の鉄道は全部赤字です。これから百年赤字だ。その代わり、鉄道の赤字の何万倍以上、国民総生産に寄与しているじゃないの。(中略)それを短絡的に赤字だから鉄道を外せと暴論を吐く。北海道には五百七十万人、札幌には百五十万人おる。生産はないし、物価は日本一高い。それでも北海道に人がいるのは、北海道に生まれ育ったからだ。北海道に骨をうずめるつもりなんだ。何も北海道だけでなく、これは地方のあらゆる都市に共通していることでしょ。そういうことを考えない政治とか経済とかというものは、もうたわごととしか思えないね、私には」。

 れんだいこの記憶によれば、角栄は、月刊現代寄稿文の一節で、中曽根式国鉄民営化論による赤字線廃止をすれば、これまで投資した北海道開発費用が反故になり、それによる損失の方が国鉄赤字よりも深刻であり、国家財政の大負担になって跳ね返ってくるであろうなる卓見を述べていたように思う。あれから30年、北海道は角栄が危惧した通りの過疎と荒野が進みつつある。この地域の再開発は気の遠くなる話となってしっぺ返しされている。角栄の指摘通りではないか。

 考えてみればオカシなことに気付く。中曽根政権時代、国鉄、電電公社、日本専売公社の民営化(Privatization)に乗り出したが、国家主義の立場に立つ時、果たして必要だったのだろうか。中曽根自身は国家主義者として売り出しているので、その中曽根がやることがまさか反国家主義とは思いにくいが、その間隙を縫ってやっていることは厳然として国家主権の剥ぎ取りである。

 小泉政権時代、中曽根と同じように靖国神社を公式参拝して国家主義者として売り出したが、郵政民営化、道路公団民営化は国家主義の見地からすれば同じく由々しき主権の剥ぎ取りではなかろうか。角栄式に国有公営企業体制下での機構改革で間に合うものを敢えて民営化にさせ、国家権能を著しく低下させているのではないのか。相当の国家機密が漏れやすくなっているとも思う。

 留意すべきことは、国家主義とか民族主義をことさらに叫ばないハト派系政治がむしろ国家権能を維持しようとしており、国家主義とか民族主義をことさらに叫ぶタカ派系政治が国家権能剥離に動いていることである。普通のロジックでは有り得ない逆さま事象なのであるが、実際に起っていることである。

 これを解くのに、大田龍―れんだいこ史観のプリズムを通せば分けなく解ける。即ち、戦後タカ派系政治とは60年代の岸、80年代の中曽根、2000年代の小泉と共通して国際金融資本帝国主義のエージェント下僕であり、彼らの意思を請負しているけばけばしいピエロに過ぎない。故に、口先で国家主義を演出すればするほど裏で民営化と云う名の国家主権売り渡しに忠勤して恥じない。岸、中曽根、小泉は突出したエージェントであった故に右代表式に挙げているだけであり、その他歴代の首相はハト派系以外ほぼ全てこの手のエージェントである。念の為云っておくが、三木はタカ派系政治の範疇の者であり、マスコミの説く如きのハト派像はインチキ評論でしかない。

 れんだいこが、ここで何故に民営化論を採り上げるのか。それは野田の増税論と重なるからである。野田の増税論は今後どう展開するのか予断を許さないが、民営化論になぞらえれば推進側の論理論法である。我々は、中曽根政権の国鉄、電電公社、日本専売公社の民営化に断固反対した角栄の国有化維持&構造改革論こそ採るべき道と悟るように、民営化論側の野田式増税論と厳しく対決せねばならない。

 野田が、孫子の代までツケを先送りしないと云うのであれば、こちらの方に力点があるのであれば、孫子の代までツケを先送りしない反増税の道を訪ねねばならない。その方策ありや。れんだいこはありと答える。これについては以下具申することにする。

2011.9.17日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評№999  れんだいこ 投稿日:2011年 9月20日
 【野田政権に対するれんだいこ書簡その5、増税中毒路線批判】

 これまでは野田政権エールの書簡であった。これより批判の書簡に転ずることにする。9.20日、野田首相は就任後発の外遊となる米国詣でに向かった。オバマ米大統領との初の首脳会談が予定されている。その場で、かねて打ち合わせ通りの増税の言質と、その際の見返りとして相当額の資金の米国貢ぎが約束させられることになろう。「思いやり」から一気に「恩返し」へと質的に高められたものを要求され応えることになろう。この言の確かさは間もなく判明する。

 こうして見れば、日本人民大衆に今課されようとしている増税は日本政治の内的必然性よりもたらされているものではなく、外圧要請によるものだと云うことが判明する。野田政権はこれに応えようとしている。その姿勢は、日本経済を壊滅させ、IMF管理に置いて後、かねてより日本熔解、解体後の日本の調理を企図するジャパンハンドラ―ズの対日支配教程に基づく指令の請負であり、邪悪な意思と意図により画策されていると云うことになる。してみれば、野田首相御一行は飛んで火に入る油虫そのものである。あるいはモグラであり強烈なモグラ叩きに遭わされるであろう。

 さて、ここから野田政権批判に入る。しかしながら野田よ、「どじょう政治論」を掲げて野田政権の元一日とした以上、この信義を重んずるのが政治の筋と云うものではなかろうか。野田自身が政権公約第一号を反故にすることは許されない。しかし、野田にはこの声は届かないだろう。それはそれとして以下呼びかける。

 野田は、「どじょう政治論」に従う限り従来の野田式増税論を吟味せねばならぬのではなかろうか。財政悪化、社会福祉財源の確保を理由として増税せんとしているが、その方策が本当に増税に拠るしかないのだろうか、他に有能な方法がありやなしや、かく問い、これを真剣に議論することの方が先決なのではなかろうか。かかる経緯を経て始めて政策化されるべきではないのか。これこそ政治家の眼力と胆力が発揮される舞台であり役目なのではなかろうか。

 議論に費やす日時に猶予がないなどと云うのは粗脳政治家特有の言である。目下のような殆ど何の議論もないままの、仮にあったとしても上滑りの議論のままに拙速で増税が政策化されるのを危惧するのを政治家の矜持とすべきではなかろうか。れんだいこは、野田式増税論が取り返しのつかない日本経済大打撃を与え、邪悪なシナリオの袋のネズミへと追い込まれようとしていることを危惧している。

 以下、れんだいこの方策を授ける。その一は、従来式の節税狙いの機構改革である。いわゆる冗費削減と云うことになるが、これはやれば良い。但し、これまで橋本政権時の省庁再編、鳩山政権時の機構改編を経てきているが何の役にも立たなかったのではないのか。

 省庁再編は大蔵省を財務省にと云う具合に省庁名が紛らわしいものに代えられ、厚生省と労働省の統合による厚生労働省、運輸省と建設省と国土庁を国土交通省、北海道開発庁と環境庁を環境省と云う何の意味もない、と云うかむしろしてはならない行革をしただけに過ぎない。その後の新たな機構の続々たる創設を考えれば馬鹿騒ぎでしかなかった。それぞれの新省庁の機構改編もつけ刃でしかなかった。要するに日本経済の発展の為には余計な機構いじりでしかなかった。俗に云う「隔靴掻痒」の感がある。

 節税対策に真剣に取り組むのなら余計なことをせずにズバリ軍事費、原発費に手をつけねばならない。ここを聖域にして省庁再編や小額予算のものを更に削るのは単なるパフォーマンスの政治遊びに過ぎない。これがイロハのイである。だがしかし、このイに手をつけずロハ的な機構いじりをするから、マジメそうに議論しても何の役にも立たない。

 と云うか、直近の鳩山政権時の枝野―れんぼう式予算カットを見よ。必要なものの予算を削る悪質なものでしかなかった。単に大騒ぎしただけのことであった。次回の投稿で述べるが、殆ど「天下り高給与」の規制で解決するものばかりであった。それをせずに予算のみ削る方法に何の正当性ありや。かの時、何をやったのかもう一度はっきりさせる必要がある。ハンドラ―ズのシナリオに乗り国家百年の計に資するものが狙い撃ちされていたことが判明しよう。野田政権は枝野―れんぼうライン引き続き重用しているが、これまた胡散臭い。

 軍事費、原発費に手をつけた後に我が社会が真に取り組まねばならないのは高額給与問題の方である。1980年代以降、国際金融資本の息のかかった中曽根系御用聞き政治の登場によって、我が社会の所得格差が格段に広がり始め、小泉時代の竹中路線により一挙に超高額所得者が雨後のタケノコのように出現し、その代わりに戦後日本が誇ってきた中産階級が壊滅させられ、低所得者層が大量発生しと云う具合で、今や由々しき事態になっている。

 かく認識せねばならない。これを思えば今こそ我が社会に適正な給与体系を確立せねばならない。この問題に切り込まない財政論は全てニセモノと断じて良い。順序として給与問題の方が先であり次が冗費削減であろう。給与問題を解決すれば大方の問題が自動的に解決される。逆は逆である。

 これにつき、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が偉大な貢献をした。竹原市長は、全職員の給与明細を公開し、予算に占める公務員給与の実態を明らかにし衝撃を与えた。それによると、阿久根市の年税収は2006~08年度平均として僅かに20億円のところ、職員の人件費総額は約17億3千万円、実に予算の86%強を占めていると云う驚くべき実態が判明した。他の市町村も大同小異と思われる。

 この例に倣えば、都道府県公務員給与、国家公務員給与の予算に占める割合をも公開させねばならない。これを為し得て初めて適切な対策を講ずることができる。ところが、この肝腎な情報が秘匿され続けている。いずれにせよ、竹原市長が暴露した職員給与の予算に占める割合が86%強なる機密情報は、公務員給与の是正なくしては財政再建も日本再建も始まらないことを示唆している。

 これに対処する為の審議会が開かれるが、粗脳の学者を使って出てくるのは決まって「一律何%カット」と云う方式である。これは小手先の誰でも答申できるおざなり改革でしかない。上から下までの一律カットは、下の側に位置する労働者にのみ苛酷で、労組の反発を生むばかりであろう。労働意欲の低下を考えると至極尤もであり、つまり功を奏さない。要するに急所を外している。為さねばならぬことは、労働の質に比して卑大な高額給与者の給与の適正化を図ることであり、これに適正な処方箋を調合しない限り事は処理されない。

 ここを質して次に景気振興対策つまり持続可能な経済成長システム、現下ではこれにエコエネ問題を含めた総合対策を講じねばならない。出るを吟味し、入るを増やさない限り対策にはならない。現下の如く入るに工夫を凝らさぬままずるずる逓減し続け、他方で出るをザルにしたままの放漫財政では事態は打開できない。

 これに対し、増税に次ぐ増税の中毒路線に突入しようとしているが、よほどバカげた政策と云わざるを得ない。事態がこじれるだけで却って悪化するのは火を見るより明らかである。ならばどう施策すべきか。論をこう云う風に設定すべきではないのか。今時の論には、医業の細分化の例に似て特殊分野の専門家は育成されているが、全体を束ねる医者、医院が居ない。その場は治まるが「手術は成功した。しかしながら余病を併発し患者は亡くなりました」式のトンチンカン処方が多い。

 故に、名医を探せ。名医に国政の舵を取らせよと云うことになる。このことが今ほど望まれていることはない。次に、いよいよ高額給与問題の処方箋を出してみる。

 2011.9.20日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1000 れんだいこ  投稿日:2011年 9月21日
 【野田政権に対するれんだいこ書簡その6―1、高額給与法案考】

 本ブログが、れんだいこの「カンテラ時評」1000回記念になった。これに値するものであるのかどうか世に問いたい。以下、高額給与問題の処方箋を出して賛否両論を蒙りたいと思う。

 丁度今、元毎日新聞記者にして政治経済評論家の板垣英憲氏が、9.20日付けブログ「野田佳彦首相は、国家の非常事態を救うため『金持ち大増税』で富裕層の『愛国心』の有無を試せ!」で、れんだいこ処方箋とハーモニーする主張を述べている。

 れんだいこが一番欲していた下りは次の個所である。「西郷隆盛翁の『南洲翁遺訓の13』をいま一度、拳拳服膺すべきである。『租税を薄くして民を裕するは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損して下を虐げぬもの也』。要するに、かつて大蔵省が所得倍増論を編み出した下村治さんを輩出したように、『第2、第3の下村治』を生み出す努力をする必要がある」。実にその通りと思う。

 (http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/cfb52fe06e5e19304ccac6c98362a4f1

 今や我が社会の最大の問題は所得格差である。これに関連して、既に欧米で富裕層や大企業の経営者自身が「われわれに課税せよ」の声が挙がり始めている。この間の行き過ぎた資産家優遇政策の見直しが必要に迫られつつある。他方、日本の経団連は9.14日、税制改正に関する提言を発表したが、消費税増税の必要、法人税の5%減税、個人所得税の最高税率の引上反対を指針させた。トラック競技で二周ほど遅れたバカの一つ覚え提言をしていることになる。

 高額給与問題は次のように処方されねばならない。今現在の収入感覚で云えば年収500万円辺りはどうでも良い。問題にすべきは年収1000万円以上、数億円、数十億円を手にする者に対する対策である。既に相当数の者が対象になる。こうした高額給与に対する規制が急務となっている。現実策としてまず公務員に適用し、民間系に右ならえ式の対応を促すのが良かろう。但し、松下幸之助翁が高率累進課税を嘆いていた経緯があり、この嘆きの理を汲み、翁が得心する工夫をせねばならない。

 高額給与の境をどこで仕切るべきか。れんだいこは、分かり易い意味で一人当り年収1000万円をラインとする。但し、年収800万円以上を高額給与とみなす方が実効的であると思われるので仕切りを二段階にすることにする。これによると、年功序列的昇給の場合には毎月60万円の給与で年収720万円。これにボーナスを80万円付けて800万円とする。初任給に対して年功と通常役職を上積みして行き最終800万円になるような給与体系を作れば良い。これを所得モデルとすべきではなかろうか。

 今現在の収入感覚論で云えば、年収800万円あれば充分食えるし、家族を養う事ができ、多少の余暇予算を持つことができ、生活意欲を高めることができる。この給与帯が一番能く働くことも分かっている。

 圧倒的多数が年収500万円前後であることを思えば、年収800万円を充分高額給与と思うべきだろう。これを公務員給与のひな型とする。年収800万円より年収1000万円の間を能力手当とする。年収1000万円を超える手当は特能手当とする。これに値するのは役所の代表クラスに限定する。その識別には手引きを設ければ良かろう。

 そもそも公務員の労働において、年収800万円を超すような能力労働がある訳がない。現行の如く年収800万円を超える部分がいとも容易く支給されているのは、単に従来式の年功序列的給与体系からところてん式に生み出されている悪乗りでしかない。れんだいこは、給与制度を根本的に見直すのは所要の手続きと時間を要すると思われるので、できあいの機構、制度をそのままに踏まえたうえで「年収800円縛り+年収1000万円縛りの二段構え策」を授けたい。

 具体的には、従来の徴収方法はそのままに施行する。これに加えて新たに年収800万円を超える部分に対して特別に「3割特別加算税」、年収1000万円を超える部分に対して特別に「4割特別加算税」を課すべしと思う。これは、「年収800万円以上の所得に対する新たな課税」であって、これ以上の支給が認められないと云うのではない。年収800万円以上の所得に対しては高率の税金が賦課されることを意味している。

 これにより、それほど税金徴収されるのなら意味がないとして「年収800円縛り」の線に留まることが予想される。となれば給与の相対的均一化が生じるであろう。それで良いではないか。これを仮に「高額給与法案」と命名する。

 高額給与法案により徴収される税金の会計を別にして、これを国が借り受ける形にする。但し、その支払を「有る時払いの催促なし」とする。こういう新たな借金を創造すれば良い。国債とは別発想の国の新たな借金種と位置づけることができる。国は該当者の名簿と返納金額を管理しておき、景気回復で世が良くなれば合理的な返済をすれば良い。その財源を景気振興策にのみ使い、そこから生まれる福利で払い戻せば良い。

 且つ高額給与納税者がその後の事情によって失格した場合、所定の手続きを経れば、それまで納めていた返納金額の半額を上限として引き出し利用できるようにすれば良い。このエリートによる組合が組織され、県単位、国単位の年次総会が開かれ、財源の有効利用に対する議論と成果報告が行われれば尚良い。

 公務員高給与は、そもそも不当に上積みされて支給されているところの類であり、これを没収されても仕方のない貪りのところを国が一時預かり式に借りると云うのだから異存がない筈である。公僕使命を持つ公務員がまず範を示し、これが民間給与の在り方を規制して右倣えせしめていくのが望ましい。最終的に官民問わずとなれば良い。これを国家の新たな財源にすればよい。

 これは明治維新期の版籍奉還、廃藩置県に匹敵する事業ではなかろうかと思われる。こういう創意工夫によってのみ目下の財政改革が為し遂げられる。ここに踏み込まず、徒に欧米式の国債発行、消費税導入で対処せんとするのは何の役にも立たないどころか有害なものでしかない。付言しておけば、国債発行、消費税導入のどちらもが国際金融資本による戦争政策に伴い導入された悪税である。各国ともこれに苦しめられているのは衆知の通りである。

 現在、欧米式の超高額給与支給方式が導入され定着しつつあるが、我が社会に於いては昔から、そういう富の偏在は馴染まない。労働能力に差があるのは事実であるから所得格差が生じるのは致し方ない。しかしながら、或る団体内での最低賃金者と最高賃金者の所得差は10倍以上であってはならないとする内規を拵えるべきで、これと高額給与法案」をリンクさせるのが良い。即ち団体の長の所得は初任給に対して10倍以内に押さえられねばならないとすべきで、仮に初任給を年収300万円とすれば10倍の3000万円が最高額となる。

 800万円を超す者は部長(局長)級以上として、仮に特別役職手当と命名するとして1ランク上がるごとに相応の上積みをして行けば良い。スペシャリスト的能力給も然りであろう。地方公務員の市町村の場合には首長を最高職として年収1500万円もあれば良いのではなかろうか。都道府県の場合には市町村の3割増として2000万円、国家公務員の場合には、都道府県の3割増として2600万円を最高額の目安とすれば良いのではなかろうか。

 今、民間では、日産のゴ―ンを始めとして外資系の進駐軍的経営者が年収数十億の給与を取得している。これに倣う企業が続々と生まれつつあり、高齢重役者が卒倒する高給与を支給されている。そういう所得格差拡大式の給与体系が生み出されているが馬鹿げていよう。民間給与は原則として任意であるべきであろうが、公務員的基準を設けることで次第に均していくのが良いのではなかろうか。

 公務員の場合には、最低賃金者と最高賃金者の所得差は10倍以上であってはならないとする内規を拵えたが、民間の場合には浮き沈みを常としているので制限を緩くしてもせめて100倍以内とすべきだろう。仮に初任給を250万円とすれば100倍で2億5000万円が最高額となる。ここまでが認められる限度としよう。不足と云うのなら初任給を上げるようにすればよい。民間がそれほど高いのなら公務員なぞやってられねぇとする者は民間へ行けばよい。公務員は公務精神を尊ぶ者が選抜されるべきだろうから。

 これが基本である。但し、これは公務員を基本とする長期勤続定年制の給与体系の場合の処方箋である。世の中には一時稼ぎ的職業も存在するので、これについては次章で補足する。

 2011.9.21日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1001 れんだいこ  投稿日:2011年 9月21日
 【野田政権に対するれんだいこ書簡その6の2、高額給与法案補足考】

しかし、こうなると、高額給与法案による国庫返納金が多い者に対して対価的な優遇措置をどう講ずるべきかが講ぜられねばならない。納税特別貢献者として表彰し且つ様々なプレミアをつけて優遇措置を講ずるべきであろう。何を優遇すべきは追って詰めて行けば良かろう。松下幸之助翁が満足するような措置を講ぜねばならない。これについては後で触れることにする。

 高額給与法案を導入すれば天下り問題などは忽ち解決する。目下の天下り全面禁止論は現実的ではない。我々が天下り問題に於いて怒るのは天下りそのものではない。公務員は定年が早いので天下り先も必要であろう。問題は、二次奉公であるにも拘わらず且つロクな仕事もしていないのに高給与、且つ高退職金のウグイスの谷渡りをしている高級官僚が相当数存在することである。これを掣肘せねばならない。

 天下り機関の給与は、純民間の中小零細企業の労働者、経営者の如くの労働実態に相応しい報酬で報われるべきではなかろうか。仮に平均月給50万、年収600万円として充分な支給ではなかろうか。ここでも「年収800円縛り+年収1000万円縛り」が適用されるべきであろう。理事長クラスで月給100万、年収1200万もあれば充分ではなかろうか。退職金も普通通りの支給であり僅か数年で数千万円貰うことなぞ許されるべきではなかろう。

 この高額給与法案により幾らの財源が生まれるのかどうか分からないので試算をお願いしたい。恐らく官民合わせればン千億円になるのではなかろうか。ン百億円ではない気がする。仮に思ったほどの財源にならないとしても、人の生き方、社会の在り方がよほど真っ当なものになるのではなかろうか。個人の利福と国家及び社会の利福が調和し、歪んだ社会から真っ当な社会へと転換できるのではなかろうか。目下の格差社会は人工的に造られた悪政の賜物であり、国際金融資本の得手とする搾取制に起源を発しているものとみなせる。我が社会には、かようなものは似合わぬ。上が民の竈を思いやる精神、労働を通じて社会に貢献する精神が貫かれなければならない。

 次に、先のブログの末尾に記したが、世の中には60歳定年型給与ではない、スポーツ選手等の一時稼ぎ的職業も存在するので、これについて処方箋しておく。体力消耗等により短期の一定期間しか稼げない業種については当面現行通りで良いのではなかろうか。作詞作曲著作等の文能利得、発明対価的な特許利得も然りで、当面現行通りで良いのではなかろうか。労働能力の在り方の違いとして認められ、国策上の見地から優遇されるべきであろう。株式、不動産収入に対してはむしろ分離課税方式にした上で現行通りで良いのではなかろうか。これでほぼ全部の収入形態に言及できたと思う。

 高額給与者が既に高額給与を前提にして借金を背負っている場合、あるいは背負う場合にはどうするか。これについては、その返済額部分が全額「特別加算税」から控除され、課税を免れるよう措置すべきだと思う。例えば学資、住宅、車両、医療、介護等々のローン費用が毎月の給与から差し引かれている場合、あるいは現実に出費が証明される場合には、これに配慮せねばならないと考える。こういう具体的措置については更に精緻に深める必要があろう。

 高額給与法案」はもう一つの縛りを要件とする。それは、給与がかように制限される政権される対価として、団体としての交際費、接待費、外渉費、支援費、寄付金等を大幅に会計経費に認められるようにしてはどうだろうか。即ち役職者の権能に於ける自由裁量的使途が団体会計経費に大胆に認められるべきである。これが役職権限のうま味になる。

 松下幸之助翁に打診したいところだが、翁の裁量で会社の経費を使っていろんな使い方ができるのであれば、個人給与を馬鹿高くするより賢明と云うべきではなかろうか。もう一つ。雇われ社長でない創業者社長及び取締役などは、保証人になるなどして企業と運命を一体化している限りにおいては、従来は個人給与から支出していた子供の養育費、車両購入費等の経費も社内経費として認められるようにするべきであろう。

 これらの諸問題は全てを経済活性化のカンテラで照らせば解ける筈である。景気が良くなるように政策誘導するのがコツである。こうなると税法の大幅な変更が要件とされることになるが、却って税収が伸びるのではなかろうか。分かり易く云うと、役所であろうが民間企業であろうが人が街に繰り出して使える資金が豊かになるように施策せよと云うことになる。今は逆のことばかりしている。

 目下の税法は複雑さにおいて自縄自縛に陥っている。新たな視点からの原理原則に基づいた新税法への転換が望まれているのではなかろうか。根本的には向こう10年、20年の審議を経て再構築される必要があると思う。れんだいこがなぜこういう発想をするのか。それは現行の仕組みが不景気になるよう誘導されているからである。逆発想から構想した次第である。

 野田首相の「どじょう政治論」が真っ当なら、財政再建、財政改革を名目とする増税の前にやらねばならぬことが以上述べた給与改革、税制改革、経済改革、政治改革であろう。れんだいこは、こういう政治を夢想とする。まだ試案段階であるが、野田政権が、面白いと受け止め早急な検討に入ることを望む。消費税の増税に次ぐ増税の薬物中毒の道に入り込む前に検討すべきと思う。

 これに手をつけず背を向けたままの増税論の何と安逸軽薄なことか。かく大ナタを振るえば良い。いろいろ抜け道が生まれるかもしれないが、それは試行錯誤で手引きを作って行けば良かろう。こういう政策の可能性について真剣な議論を経ぬうちの増税は「どじょう政治」に馴染まないのではなかろうか。昔から「新しい革袋には新しい水を入れねばならない」と諭されている。かく提言しておく。

 政治家の給与について一言しておくと、政治家とは選良を選ぶ大事な国家的営為であるから、選挙期間中を含むネットの全面活用を認め運動費の削減策を講ずるべきである。且つ、基礎票縛り付きで選挙資金の一定枠を国家がみれば良い。例えば、国政&首長選で2千万円、県議選で1千万円、市議選で500万円支給すれば良い。こうすることにより政治家の給与をも特例とすることなく一般化することができよう。

 更に、政治資金規正法は全申告公開を要件として企業、団体、個人献金ありの方が良かろう。政治家を貧する状態に置くことは却って危険であると考えるからである。政治家が自律して国政に関与できるような仕掛けを講ずるべきである。政治家を窮させると国際金融資本の狡知に嵌められる恐れがある。徒なキレイ潔癖を求めるのは却って裏があると読むべきだろう。

 2011.9.21日 れんだいこ拝

【野田政権に対するれんだいこ書簡その7、増税政治、原発政治のど坪に嵌まるな】
 野田政権が増税魔王、原発続投の姿勢を明瞭にし始めている。この動きに以下意見しておく。「菅政権に対するれんだいこ書簡」で明確にしておいたが、日本政治は日本の政治の為に為すものであり、国際金融資本の雇われ政治を行うものではない。先の菅派政治は、一時の権力の栄華に酔いしれる為に魂を売り、国際金融資本指令請負政治の道を進んだ。ここに菅派政治の本質がある。野田首相も菅派政治下の財務相として要職にあったので責任を免れることはできないが、政権組閣に於いて菅首相の反小沢政治一色に比して党内宥和人事を敷いたことにより一定の評価を得ている。但し、小沢派の取り込みにより国際金融資本指令請負政治の道へとっ信するとなると話は別になる。却って悪質と云うことになる。但し、今のところ野田政治は微妙な動きを見せている。これが「どじょう」効果なのかも知れない。

 しかしながらいつまでも旗幟鮮明にならぬのは良くない。

【野田政権に対するれんだいこ書簡その8、和の政治に舵を取れ】

【野田政権に対するれんだいこ書簡その9、後継者を育てよ】


Re::れんだいこのカンテラ時評750 れんだいこ 2010/06/17 21:19
 【菅政権に対するれんだいこ書簡-和魂洋学に立ち戻れ。その1】

 今れんだいこはなぜ二宮尊徳に学ぼうとしているのか。三戸岡道夫著「二宮金次郎の一生」により履歴を知り、「尊徳夜話」を読む進めて行くうちに、これは三戸岡氏ならずとも大いに称揚して行くべしと思うようになった。現下の財政破綻期の日本には特に尊徳思想の処方箋が必要なのではなかろうか。このところ自公政権以来の給付金バラマキ政策が続いているが、れんだいこの理解する尊徳思想によれば邪道なものでしかない。

 れんだいこの理解する尊徳思想によれば、こういう時期にあっては軍事防衛費等々非生産的経費の総量規制に断固たる大ナタを振るい、代わりに民力向上の諸施策に向かわねばならない。あくまでも期すべきは税収の自然増であり、その為の諸施策を講ぜねばならない。その為に真に必要な公共事業を大いに盛んにし、同時に農工商の経営環境を好転させるべく、それを阻害しているものを除去せねばならない。今日的には原始的な財政再建策であるが、基本はこうでなければなるまい。れんだいこの眼には、累積国債と消費税が大きなガンになっているように思われる。これに依拠しない財政策こそ真の政策であり、逆は逆であるように思われてならない。

 目下の問題で云えば、菅政権の消費税増税による財政再建政策は打つ手が逆であり危うい。恐らく、国債累積推進と消費税導入派の口車に乗り、更なる失態を演じようとしているように見える。類は類を呼ぶの法理で云えば、菅も同じ程度の頭脳と云うことであろう。角栄、尊徳先生のツメの垢でも煎じて飲めば多少は効くのだろうが、反角栄、反尊徳政治を目指すことで正義ぶる折柄、漬ける薬はないと云うべきだろう。

 思えば、尊徳思想とは、幕末の黒船渡来以来急ピッチで浸食し始めた西欧思想と云う名の実はネオシオニズム思想に汚染される前の原日本人的土着思想に基づく幕末版社会思想なのではなかろうか。原日本人的土着思想は本来体得感応すべき不文のところ、弟子の手により膨大な教話を遺して明らかにしている点で「尊徳夜話」の価値は高い。且つその思想の質の高みが、混迷窮地に立ち至っている現代日本を脱する処方箋を呈示していると思われる点で、日本総国民の必須指定学習文献とすべきではなかろうか。尊徳思想は学び実践し伝えられて行くべき日本の宝であり、これを絞殺してきた歴史こそ不審の眼で見直さねばならないのではなかろうか。

 れんだいこは自今、尊徳思想をもっと学び、れんだいこの時事評論の随所に尊徳思想の諭しを入れて行こうと思い立った。外来思想の警句で味付けする政治評論家が多い今日ではあるが、日本にも内部から自生した勝れた文句があることを知らしめようと思う。外国文明を排する為ではなく、日本文明にも精通してこそ意味があることを知らしめんが為である。日本の自由、自主、自律は言葉から思想から始めねばならぬ。そういう思いから今後、角栄、尊徳思想を広めて見たいと思う。れんだいこ的には、中山みき思想と角栄思想と尊徳思想をミックスさせた政策を生みだして行くのが日本再生の真の処方箋ではなかろうかと思っている。

 以上が総論であるが、尊徳思想をもう少し詳しく概括しておく。尊徳思想の特質は、幕末日本の農事、工事に適用した実践訓話集で、いわば縄文的土着思想の高度性を称揚し、この思想で導かれる穏和的な世直し、世の立て替え思想であると規定できよう。尊徳思想を如実に伝える「尊徳夜話」では全編で、原日本人的土着思想の質の高みからの農事、工事の指導、地域、藩の再建、ひいては世直し、世の立て替えを指南している。これを説く為に時に外来の仏説、儒説、古典中国思想を引用しているが、それらは見事に尊徳思想に焼き直され、咀嚼吸収された上で紡ぎだされている。あるいは時に、神、仏、儒思想の限界をも指摘して、尊徳思想の実践的有効性を自尊している。全て尊徳の経験に裏打ちされた諭しとなり且つ実践の手引きとなっている。ここに尊徳思想の特質がある。これだけの思想、教本を学ばぬ手はなかろう。

 れんだいこは、尊徳思想とは役行者(えんのぎょうじゃ)の幕末再来ではないかと比定している。役行者を知らない方の為に付言しておけば、聖徳太子以来の、最澄、空海に先立つ中間にあって、日本式仏教の型を創造した真の開祖であると規定できる。役行者あればこそ最澄、空海式仏教が生まれ、仏教の日本化としての独特の神仏混淆宗教が創造された。その元一日の開祖の地位にある人物である。二宮尊徳をして、その役行者の幕末版と云えば褒め過ぎだろうか。あながち的外れでもない気がする。少なくとも、二宮尊徳と大原幽学と中山みきを合わせれば、この云いは決して大袈裟ではなかろう。してみれば、今更ながら幕末時には数多くの役行者が生みだされていたことに気づかされる。

 役行者については「山伏修験道考」で推敲しているので、興味があれば読めば良かろう。
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kodaishico/nihonshindoco/yamabushisyugendoco/yamabushisyugendoco.htm)

 日本史は窮地に陥るやそのつど、類まれなる英明思想とそれを体現する政治家を生みだして乗り切って来た。その源泉はいつも原日本人的土着思想とも云える縄文思想であり、そこから叡智を汲みだして来た。社会状況の違いを踏まえ、古来よりの伝統思想を新しい時代に合わせ、適切な処方箋を生みだして来た。役行者を始祖とする山伏修験道の系譜は、その際の源泉である。れんだいこが山伏修験道に注目する所以であるが、明治維新以降、山伏修験道は弾圧されてきた。その理由をも問わねばなるまい。これについてはいつの日か論じたみたいと思う。

 2010.6.7日 2010.6.17日再編集 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評751 れんだいこ 2010/06/19 11:38
 【菅政権に対するれんだいこ書簡-和魂洋学に立ち戻れ。その2】

 そういう結構な尊徳思想がありながら、その後の日本は幕末維新-明治維新期に遭遇するや在地土着思想を卑下してかなぐり捨て西欧主義的文明開化の道へ向かった。そのこと自体は時代の趨勢であり非ではないのだが、今から思えば和魂洋才で摂取すべきであったところ、この時期のいわゆるエリート族がこぞって洋魂洋才に向かった。かって我々の先祖が漢学、天竺学導入の際に日本学の枠中に導入し見事に咀嚼したように西欧文明を吸収すれば良かったのに残念ながらできなかった。

 幕末維新-明治維新以来の文明開化は、和魂和学、和魂洋学を捨て洋魂洋学方向へ舵を切った。これにより祖国と民族のアイデンティティーを失ったインテリゲンチュアを粗製乱造して行くことになった。明治以前以降のインテリの質の差はこれによると思われる。これに悩んだ夏目漱石は相当の智者であったと云うことになる。悩まなかったその他大勢のインテリゲンチュアの軽薄性を知るべきではなかろうか。

 洋魂洋学派は概して知能が低い。それが証拠に、文明開化の名の下にテキスト化されていたのが西欧文明一般ではなくネオシオニズム思想に基づく学的体系であったと云うのに、それを見抜けぬままネオシオニズム思想を西欧文明一般であるかの如く錯覚させられたまま吸収して行った。そういう頭脳でしかなかったと云うことであろう。

 かって戦国時代に於いては、バテレンによって布教されたネオシオニズム思想に対し、神主僧侶を知的階級として庶民レベルまでも、その一神絶対教の非を問答して応答し、日本宗教の多神多仏相対教の是を逆に説いている。これにより、バテレン教は他の諸国ほどの広がりを見せなかった。バテレン教の流行るところ多くの神社仏閣が焼き打ちされたが、神主僧侶側は更なる策動を許さなかった。日本の在地土着的な神々信仰は揺らがなかった。

 当時の最高権力者となった豊臣秀吉は英明にもバテレン教の奥に潜む日本植民地化の動きを察知し、宣教師追放令で取り締まった。後継政権の徳川家康も又その政策を継承した。三代家光将軍の時に鎖国が完成するが、長崎の出島での往来のみ許した。何事にも一長一短あるので鎖国是非論は難しいが、日本植民地化の危機を未然に防いだことは確かである。欲を云えば、これで良しとせず、引き続いて世界の事情にアンテナを張り続けるべきであったであろう。ネオシオニズムに対してはそれほど警戒すべきであった。

 それはともかく、かくして太平の世が訪れ約250年続くことになった。その平穏が黒船来航と共に破られた。この時、ネオシオニズムが再上陸したことになる。そういう意味で、幕末の黒船来航は、日本史上初めての過去に例のない日本溶解的目論見を持って登場した異教思想の本格的来襲であったことになる。大いに警戒せねばならなかったが、これに気づく者は少なかった。さすがにと云うべきか孝明天皇及びそのブレーンが逸早く的確に見抜き、公武合体による攘夷運動を盛り上げて行った。但し、攘夷運動の精神的支柱として采配を振るおうとしていた孝明天皇は暗殺され、これに呼応した第14代将軍・徳川家茂も毒殺される。当時の朝廷、幕閣内へのネオシオニズム派の容喙を見て取るべきであろう。

 以降、幕末維新、明治維新の底流にこのネオシオニズムが一層浸透し続けて行くことになった。ネオシオニズムの危険性は、在地土着の有能の士を次から次へとテロって行くことでも認められねばならない。今、坂本竜馬ブームであるが、竜馬暗殺はネオシオニズムの線からも洗われねばならない。どういう訳か、ここに目が向かわない詮索ばかりが流行っている。やれ新撰組説、見回り組説、薩摩藩説、紀州藩説、土佐藩説等々があるが、内戦化でひと儲けを企てていた目論見を平和的大政奉還でくじかれたネオシオニズム派による粛清説の線も洗われるべきではなかろうか。

 やがて明治維新を迎えるが、明治維新期の薩長門閥の殆どはネオシオニズムのエージェントである。この時期、維新政府内は在地土着派とネオシオニズム派が暗闘する。征韓論争を経ての西郷派の下野、続く各地での士族の反乱、最後の大決戦たる西南の役に於ける反政府闘争とは、幕末維新以来の継続革命を夢見る在地土着派のネオシオニズム派政権に対する抵抗であったと捉えねばならない。かく捉える史観がなさ過ぎよう。俸禄を失った士族の復古的な不平不満運動などと捉える評は余りに平板化していよう。

 西南の役後の日本は、ネオシオニズム政権により着々と日本帝国主義化の道へ向かわしめられた。薩長門閥政治はこの頃の政治を云う。ネオシオニズム政策の向かうところ必ず国内収奪、海外侵略即ち戦争の道になる。日本は態良くネオシオニズムの駒として使われ始める。日清、義和団事件鎮圧出兵、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦へと行きつくことになる。

 時代は明治、大正、昭和へと続く。この間、反戦派の大正天皇は押し込められ、近代史上未曽有の不敬事件が発生している。これにより軍部が著しく台頭し始め、国家予算の半分を軍事費が占めるようになるほど奇形化して行くことになる。ご多分にもれず国債が刷り抜かれ悪循環に陥る。日本帝国主義は国内の疲弊打開と戦果を求めて中国大陸を徘徊し始める。これらはネオシオニズムによりもたらされた奇形政治である。この観点が欲しい。

 ところが歴史は摩訶不思議で、日本帝国主義は定向進化し続けることにより次第に自立化し始め、天皇制イデオロギーのみならず被植民地化されたアジア諸民族の解放まで鼓吹し始める。満州国の建国辺りが節目となるように思われる。これに応じて次第にネオシオニズムとの権益紛争を起すようになる。その挙句として第二次世界大戦に誘いこまれ、やむなく大東亜戦争へ突き進み、結果的に敗戦を余儀なくされる。見ようによっては豚の子戦略で太らされた挙句召しとられた格好となる。明治、大正、昭和20年史の歴史ベクトルはおおよそこのように回転したのではなかろうか。れんだいこ史観によればこういう観方ができる。

 それはともかく、この時代、ネオシオニズムの日本政界壟断の動きは政界上層部のそれであった面が見受けられる。何となれば、一般の人民大衆レベルではこの時期に於いても在地土着的な生活規範が根強く機能していたように思われる。幕末攘夷思想の大本となった水戸学、伝統的な神仏信仰、幕末新宗教、尊徳思想等々が脈々とあるいは細々と活きていたと思われるからである。これを是と見るか非と見るか、その歴史観が問われているように思われる。これを否定的にのみ捉える歴史学者の評は概いして薄っぺらである。自分の言葉で語れない分、西欧言葉をチラつかせて学があるかのように説く手合いが多い。

 2010.6.19日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評752 れんだいこ 2010/06/20 09:31
 【菅政権に対するれんだいこ書簡-和魂洋学に立ち戻れ。その3】

 日本史上、敗戦が時代を画することになる。これによって戦前戦後の時代区分けをすることになる。ネオシオニズム問題をこの眼で捉えると、戦前はまだ良かった。なぜならネオシオニズムの国家侵略は未だ各界上層部にとどまり、全体では和魂和才派、和魂洋才派が主力だったからである。つまり、洋魂洋才派が権力中枢の一部を占め、残りを和魂洋才派、和魂和才派と云う構図で三者鼎立していたからである。且つ、ネオシオニズム政権が代々政権を御していたとは云え内部は暗闘していた。つまり思うように易々とはネオシオニズム政策を遂行できなかった。

 その戦前日本は世界史的な帝国主義時代の渦に巻き込まれて次第に戦争経済化へ歩を進め始め、詰まるところは各派思惑は違えども洋魂洋才派、和魂洋才派、和魂和才派の三派が戦争政策に一蓮托生し、大政翼賛会体制の下で大東亜戦争に臨み、緒戦優位は束の間で遂にネオシオニズム軍隊たる米英連合軍に完膚なきまでに叩きのめされた。広島、長崎に投下された広域大量市民虐殺の原子爆弾がトドメとなった。

 敗戦により戦後日本が幕開けする。戦勝国は「勝てば官軍」で戦勝国の支配を容易にならしめるイデオロギーを注入するのが法理であるからして、戦後日本は洋魂洋学派の教育で染められ、彼らが次第に台頭を著しくする。和魂和才派、和魂洋才派を駆逐し洋魂洋学派であらずんば人でなしの風潮を生むことになる。これにより、戦前の皇国史観イズムはネオシオニズムイデオロギーに転換され、これが新たな神祇となった。この時点で日本は洋魂洋学派の支配する国になる筈であった。

 しかしながら歴史は摩訶不思議である。ネオシオニズムのエージェントとして送り込まれたマッカーサー将軍以下、ニューディーラー派と呼ばれる初期のGHQ将校が、「或る種の理想的社会主義国家」を求めて、ネオシオニズムの支配戦略から見ても「行き過ぎ」の左派政策を遂行する。これにより日本左派運動は空前の盛り上がりを見せて行くことになる。この風潮下で戦後憲法が制定され、ネオシオニズムの範疇に納まらない戦後民主主義イデオロギーが育つことになった。

 ところが戦後世界は次第に冷戦化し始め、それと共にマッカーサー政策が掣肘され始める。ニューディーラー派が駆逐され、マッカーサー将軍が左遷され、これにより振り子は再び古典的ネオシオニズムの統制下に戻ることになる。この時代の政権を担ったのが吉田茂率いる自由党であった。この時代に戦後日本は主権を回復する。但し、ネオシオニズムもしたたかで、日米安保条約受け入れを余儀なくさせる。これが後々の火種となり今日まで至っている。その後、日米安保条約が独り歩きし始め、至るところで戦後憲法秩序を食いちぎって行くことになる。この間政権与党として君臨した自由党政治は、洋魂洋学派、和魂洋才派、和魂和才派の三者鼎立を特質としており、これにより再度ネオシオニズム派と在地土着派との水面下抗争が開始されることになる。大ざっぱではあるが、戦後直後のGHQ政治、戦後政党政治の動態をこう捉えるべきではなかろうか。  

 以下、政治闘争の面に特化して見て行くが、実際には政治、経済、文化、思想、競技等々の全戦線で同様の抗争が立ち現われる。これらの全てを確認するのは煩雑になるので政治闘争の面のみ採り上げる。

 戦後間もなくの時代は、廃墟となった戦後日本の再建こそ眼前の政治課題であった。この時、国難に立ち上がり有能な働きを為したのは和魂和才派、和魂洋才派であった。かくして洋魂洋学派と合わせた三派が戦前同様に戦後日本政治を担うことになった。GHQ直接統治後の1950年代、続く1960年代、1970年代の三十年間、戦後日本を統治したのは、和魂和才派、和魂洋才派、洋魂洋学派が玉石混交する自民党権力であった。

 1955年、政界大編成が行われ、共産党は徳球系から宮顕系へ、社会党は左右両派が合同し、保守系の自由党と民主党が合同し自民党を創出する。これを55年体制と云う。55年体制下では、共産党の戦後革命を標榜する政権取り運動が止み、社会党が万年野党運動に堕し、つまり日本左派運動の系譜上、与党政治責任を担う意思と能力を持つ党派が不在となる。成り行き自民党が政府を構成し政治、政局を御して行くことになった。これに社会党が対抗し、表面的には政争、裏で懐柔される方式が編み出される。これを自社二代体制とも云う。れんだいこ史観によれば、55年体制を創出し、背後でコントロールしていたネオシオニズムの国際政治力を見て取る必要があろうと云うことになる。

 自民党政府権力の内部拮抗の中で台頭したのは吉田茂を開祖とするいわば戦後保守内ハト派であった。ここが面白い。この系譜は、吉田茂、池田隼人、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳、鈴木善幸と続いて途絶える。この時代に戦後日本は見事に再建復興され、世界史上奇跡と云われる高度経済成長時代を築いた。1970年代半ばの時点で、日本はアメリカに次ぐ国富を持ち、このまま進めば「ツモローアズ№1」の勢いを見せつつあった。2010年代の今日の日本が幾ばくかの余命を保っているのは、この時代に蓄えられた国富のお陰である。今それもハゲタカファンドに狙われ次々と蚕食され骨川筋衛門にされてしまった訳ではあるが。もはや郵貯資金、各界の積立資金以外めぼしいものは見当たらない。今それが狙われている。

 この時代の日本を検証せねばならないのではなかろうか。戦後保守内ハト派政治は田中角栄政権時代に頂点に達するが、れんだいこ史観によれば紛うことなき左派政治であった。左派政治と云う表現が嫌な方に対しては人民大衆政治と言い換えても良い。或るいは大国主の命政治と云うべきか。この時期の日本人大衆は等しく善政のおこぼれに与っている。

 日本列島は各地で都市と農村の有機的結合化に向かっており、今日的な疲弊なぞ有り得べくもない。ほんの例外を除き国債は発行されておらず消費税も導入されていない。日本列島は各地で公共事業に沸き、これにより社会資本が整備され、これを背に大中小零細企業が旺盛に事業展開し、日本はうなりを挙げて技術立国化、貿易立国化しつつあった。内治的には雇用、医療、年金が確立され、高福祉社会を実現しつつあった。

 内治政治に対する有能さは外治政治にも表れた。日韓協定、日中国交回復、日ソ交渉、西欧各国との対等外交、アジア諸国との友邦外交、アラブ諸国との友好親善等々目覚ましい活躍をしている。つまり、日本型社会主義と規定できる質の善政政治に向かっていたことになる。今日からみれば、日米安保体制のクビキ下でありながら驚きの自主自律外交を展開している。これを最も精力的に押し進めた田中政権外交は、その矛盾故にいずれ手酷いしっぺ返しに遭うことになる。これについては次章で述べることにする。

 興味深いことは、戦後保守内ハト派政治を支援していたのが和魂和才派、和魂洋才派であった。各界の有能士が現われ、阿吽の呼吸で活躍していた。その後の日本は、この有能政治、社会を絞殺して行くことになる。この時活躍したのが洋魂洋学派である。和魂和才派、和魂洋才派、洋魂洋学派の識別史観で捉えると、こういうことが見えてくる。恐らくこう云う風に捉える史観はなかろう。れんだいこ史観と云う所以がここにある。この史観に照らすと、これまでの善人が悪人に悪人が善人になる。名宰相が売国奴に諸悪の元凶が有能士になる。学問を机上ではなく市井でせねばならない理由がここにある。

 戦後からこの時期まで日本左派運動はかなり隆盛していた。しかしながら、体制転覆ないしは体制批判一辺倒でやり過ごし、日本史上の和魂和才派、和魂洋才派、洋魂洋学派の暗闘に対して余りにも無頓着であった。否むしろ洋魂洋学派と気脈を通じて和魂和才派、和魂洋才派及びその政治を排撃するのに忙しかった。これに違える例があるとすれば、60年安保闘争の岸政権打倒運動であったであろう。かの闘いにより、洋魂洋学派のネオシオニズム政治を排撃し、その後約二十年間を和魂和才派、和魂洋才派を主流とする政治をもたらした。これに貢献した60年安保闘争の意義、特にブント全学連の闘いは称賛されるに値するように思われる。

 だがしかし、その後の日本左派運動は、穏和派は穏和なりに急進派は急進なりに60年代、70年代を領導した戦後保守主流派のハト派政治時代に最も激しく反政府運動を展開し、タカ派政治時代になると逼塞する。本来は逆にならねばならぬところ、こういう本末転倒的役回りを演ずると云う愚挙を見せている。これをどう総括すべきだろうか。日本左派運動は、この辺りを総括せずんば明日はなかろう。その明日のないままにここ二十年来やり過ごしているように思われる。今一度軌道を転回せねばならないのではなかろうか。この見立てが、れんだいこ史観の本領であるえへん。

 2010.6.19日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評753 れんだいこ 2010/06/20 16:37
 【菅政権に対するれんだいこ書簡-和魂洋学に立ち戻れ。その4】

 1976年のロッキード事件は、金権腐敗政治の元凶としての角栄政治の訴追運動として正義ぶられたが、実は戦後世界を支配する国際金融資本帝国主義ネオシオニズムによる戦後復興してきた和魂和才派、和魂洋才派に対する断固たる鉄槌事件であった。首相辞任後も和魂和才派、和魂洋才派のドンとして日本を未曽有の発展に向けてリードし、政治的影響力を温存していた角栄を標的に政界追放を狙う国策謀略疑獄事件であった。こう捉えないとロッキード事件の真相が見えてこない。

 この時、ネオシオニズム派の代弁政治評論家として立ち現われた立花以下その他のジャーナリスト、これを提灯したジャーナリズムこそ今日的腐敗の嚆矢であろう。ところが、こういう手合いほど正義ぶる癖があるので始末が悪い。ロッキード事件を廻って未だに角栄の政界追放是認論を説く自称インテリの一群が存在する。彼らの言とは反対に、我々は、「信の置けない評論家」として確認すべきだろう。

 結果的に、この事件騒動を契機に戦後保守内ハト派は政治的地位を追われ、代わりにそれまで冷や飯を食わされてきた戦後保守内タカ派が台頭し我が世の春を謳歌し始めた。1970年代の派閥で云えば、前者が田中派、大平派、後者が福田派、中曽根派、三木派となる。田中派、大平派は落ちぶれ、福田派、中曽根派が主流派に転じ、田中派、大平派内の日和見派がその配下で利権の裾分けに与るようになる。竹下-金丸派は田中派解体に向けてネオシオニズム派の策動により創成された便宜的派閥であり、その功により約束通り一時ながら権力が与えられたが、用済みとなった時点で冷酷に処分失脚させられた。

 野中幹事長権力はこの時代のものである。今彼が悔いているのか居直っているのかは分からないが、先だっては貴重な官房機密費漏洩証言をして、「政治とカネ」に正義ぶるマスコミに「言論とカネ問題」を突きつけた。これにより政治評論家の売弁売文ぶりがあからさまにされた。今に至るも新聞各社ともこの問題を採り上げていない。そして相変わらず「政治とカネ問題」で小沢派を叩き続けている。キタナイ、ハシタナイと思うのはれんだいこだけだろうか。これを暴露した野中幹事長の政治的狙いが様々に評されているが、竹下同様に政治的役廻りの軌跡を「われ万死に値す」と評したうえでの贖罪的証言ではなかろうか。れんだいこは、そう解釈している。或るいは、その後の野中の動きから見て深い政治的思惑抜きに単に爆弾証言しただけなのかも知れない。

 留意すべきは、戦後保守内タカ派が主流派になって以来、戦後日本はバブル経済、国債刷りまくり、重税化方向に誘導され、公共事業の栓が閉められ、他方で貧富格差を生みだしつつあることである。日本の伝統的「上が下を思い、下が上を思う思いやり」精神が奇形化され、教育が荒廃させられ、世界史上頓馬天狗と云われる経済成長自絞殺時代を築き、今日の無惨な日本へと至っている。この間絞りとれらた国富は天文学的でなものと推定されるが、未だ実態が明らかでない。自衛隊は常時出動でいつの間にか世界各地へ派兵されている。やれ戦争協力金、復興支援金、思いやり予算等々の名目で底なしの軍事出費を強いられ続けている。これで国が逼塞しなければしない方がオカシかろうに。

 この政治過程に旧主流派の田中派、大平派が指を咥えていた訳ではない。但し、公家集団と云われた大平派からは特段の動きが為されていない。やはり頼りになるのは田中派の系譜である。二階堂派は筋を通したが政界の表舞台からは遠ざけられた。次に乱を求めたのが田中チルドレンであった。田中チルドレンは様々に分岐するが、その主力は小沢派である。小沢政治と田中政治は必ずしも同じではないが、戦後民主主義的統治制度を是として、その受肉化を図ろうとしている点では一致している。ここで仮にれんだいこ史観の如く戦後民主主義的秩序をプレ社会主義的なものと位置づければ、これを擁護しつつ戦後政治を担ってきた政府自民党ハト派は捩れているものの実は左派であったことになる。そういう目で見れば、政府自民党ハト派時代に多くのかっての転向左派が集っていたのも不思議ではなくなる。

 この系譜が現在逼塞させられており、現代政治では唯一小沢派が生き残っている。これに国民新党、社民党の一部が繋がろうとしている。この系譜は左派と云うより或いは日本古来よりの伝統的和合政治の継承派と捉えるべきかも知れない。和魂和学、和魂洋学派であることは間違いない。この灯を消すな、否護れ、否再度政界主流派に転じさせよ、これが日本政治の今後の軌道になるべきであろう。

 さて、その小沢派がかって自民党を飛び出し、政権交代を掲げて細川政権を誕生させ、羽田政権を経て潰えた史実を遺している。小沢派は以来、冷や飯を食い続けてきた。紆余曲折の末、自由党を立ち上げ、更に紆余曲折の末、民主党と合同する。その民主党が昨年の2009年、再度政権交代を実現させ、鳩山政権を誕生させ、つい先ごろ鳩山政権は管政権へと移行した。ところが、鳩山政権から管政権への移行過程で「小沢パージ」が目論まれ、小沢は初めて無役にされた。これが現下の政治情勢である。これをどう読むのかが問われている。小沢派の終わりか、雌伏か、捲土重来があるのかないのか、「小沢パージ」の流れは是か非か等々、論者の見識が問われている。

 もとへ。こうしてロッキード事件以来再び洋魂洋学派にあらずんば人に非ずの時代を迎えているが、これも歴史の摩訶不思議なことに、丁度この時代になって洋魂洋学派の正体が暴露されつつある。かって、幕末維新-明治維新以来、文明開化の名の下に洋学摂取が進んだが、その洋学の実態はまともな西欧学ではなしにかなり歪んだネオシオニズム学の押し付けに他ならなかったことが判明しつつある。1980年代初頭の中曽根政権以来、これに疑問を覚えることなく受容した粗脳の者のみが登用され、政財官学報司の上層部に住みつき、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの御用聞き政治に忠勤するという痴態を晒し続けている。粗雑な頭脳と性悪の者が権力を握って、日本の為にならない政治を為になると勝手に思い込んで権力を行使している。

 こういう政治家は居ない方が国益になるのだが、名宰相、実力派政治家として持て囃される。この時代を如何に止めさせるのかが問われているが、権力中枢の政官財学報司警軍の八者機関中枢がネオシオニズム派に壟断されていることにより、常に事態が逆に喧伝され続けている。これにより、この複雑な政治構造式が解明できず、ネオシオニズム派の我が世の春を許したままの政治が続いている。

 2009年、民主党連合政権による鳩山政権を誕生させ、菅政権へとバトンタッチされたものの、菅政治を見ると新たなネオシオニズム派政治を敷設しつつあるように見える。鳩山政権創出前の公約は「子供手当」を除いて何一つ実行されず、郵政再改革は先送りされ、高速道路無料化公約は、経済刺激策として予定されていたものの経済刺激にならない範囲でのみ部分的に実施されると云う変態政治が罷り通りつつある。唯一実施された「子供手当」も、消費税再値上げの導入の口実として利用されつつある。菅政権は、目前の参院選に、何の必然性もないのに消費税再値上げを政治課題に押し上げ、口先では参院選の勝利を云いながらその実は冷や水を浴びせ民主党敗退のレールを敷きつつある。

 この政治現象をどう評すべきであろうか。れんだいこは、今や国会は、政治を遊びに弄ぶ政治ピエロの巣窟と化しているのではないかと思っている。ネオシオニズム派政治に異議を唱え続ける小沢派政治、国民新党政治、社民党政治が今や僅かの希望である。しかしながら、この三党でさえ、れんだいこのメガネに叶わない。この三党を左バネで補完する真の人民大衆党が必要であると思っている。そういう意味で、左バネとしての新党創出を廻って日本政治は新たな胎動期を迎えていることになる。残念ながら、久しく無為な時間を浪費しつつあると云うことである。この認識を共にせんか。

 2010.6.20日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評754 れんだいこ 2010/06/20 17:05
 【菅政権に対するれんだいこ書簡-和魂洋学に立ち戻れ。その5】

 さて、ここで尊徳先生の出番となる。漸く戻って来れた。ここまで整理しないと、今なぜ尊徳思想が必要なのかが見えてこなかったからである。今はっきりと云える。ネオシオニズム派により仕掛けられている日本凋落、解体、分割統治の悪夢のワナの仕掛けから抜け出す為の叡智として、今こそ尊徳思想が復権されねばならないのではなかろうか。尊徳思想の目線は人民大衆に厳しいが温かい。人の何たるか、世の何たるかを弁えて、辛い甘いの手綱宜しく日本改造を指針させている。れんだいこが思想だと云う所以である。

 その中でも、れんだいこがハタと膝を叩いたのは、今で云う起業家、経営者の窮状に適宜な立て直し基金を貸し付け、立派な納税者として再登場するよう救援していることである。決して今時の無償給付金の方法は採っていない。何事も一味違うと云うべきだろう。まず民力を向上させ、その納税増を通して国家再建を図ると云うグランドデザインも打ち出しており素晴らしい。現在の日本の政党で、尊徳思想に基づく政治をはっきりと指針させているところはない。あるのはネオシオニズム派の御用聞きの一番手二番手を争う政党ばかりである。これでは幾ら投票権を得たとはいえ、投票に行くことが空しい。

 その尊徳思想は戦前の皇国史観に取り入れられ、皇民教育に利用された経緯があるが為に戦後民主主義時代を迎えるや仕舞いこまれた。戦前は恐らく殆どの小学校に立像されていた二宮金次郎像は、戦後になると意図的故意に取り壊された。よって、れんだいこの如く尊徳思想を知らぬままに還暦を迎える者が殆どとなっている。しかし、尊徳思想を知った今、これを称揚せずにはおれない。戦後教育が天皇制皇国史観を説かなくなったことは良いとしても、尊徳思想を消す必要はどこにあったのだろうか。れんだいこには解せない。察するにネオシオニズム思想から見て好ましくなかったと云うことではなかろうか。

 ところで、尊徳と同時代の農政家として大原幽学が居る。尊徳ほど知られていないが大変な人物である。れんだいこ評によれば、尊徳が幕末日本の世直し右派とすれば幽学は左派に位置する。二人は治績の手法に於いて鮮やかな対比を示している。れんだいこには両者とも興味深い。この二人と、もう一人の同時代の天理教教祖・中山みきの生き様とを合わせ、幕末日本に咲いた有能の原日本人的土着思想の質の高みを確認してみたいと思う。

 公認歴史教本はこういうところを教えない。故に自力で学ぶしかない。これらの教学が共にネオシオニズム学といかに対極的なそれであるか、ネオシオニズム学の虚妄に比して如何に有能な実用学であるのか、ネオシオニズム学の闘争理論に比して如何に共生理論であるのか、21世紀時代の学問としてどちらが採り入れられるべきなのか、こういう関心をもって追跡してみたいと思う。

 興味深いことは、日本史は政治舞台の重要な局面になると地霊とも云える縄文的な知性が湧出し回天運動を起し、あるべき姿に戻すことである。最近の例では、戦後日本の再建エネルギーがそうであった。その前には幕末維新を引き起こしている。その前は戦国時代から織田、豊臣、徳川政権への回天である。その前は云々と辿るとキリがないので控えるが、日本はこうして神州としての自律自存を確保してきた。ここで云う神州とは天皇制と云う意味ではない。もっと奥行きが深く天皇制をも包摂する縄文的神州思想と理解した方が正確であろう。この点でネオシオニズに籠絡された形で始発した近代天皇制をもって天皇制の有るべき姿と勝手に鼓吹する下手な右翼は恥じて口をつむらねばならない。戦後のネオシオニズム化された拝金右翼は云わずもがなである。

 さて、今日本は再び回天運動が要請されているのではなかろうか。既に地霊が動き始めているのではなかろうか。それは間違っても、菅政権が向かおうとしている方向ではない。逆の路線である。れんだいこには、この足音が聞こえる。多くの同志が立ち上がり、かってと同様に倒れ、続くであろう。我々にはこの道しか残されていない。それで良いのではなかろうか。今尊ぶべきは義民思想ではなかろうか。下手なイデオロギーを振り回さず、日本古来のたすけあい精神に則り尊徳思想的経世済民の道を尋ねて行くべきではなかろうか。救国、救民族共同戦線の広域ネットワークを構築し、この難局に立ち向かうべきではなかろうか。消費税増税の道は間違いなく滅びの道であり、ゆめ騙されてはなるまい。

 2010.6.20日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評755 れんだいこ 2010/06/21 22:32
 【消費税値上げどころか今こそ廃止に立ち上がれ】

 目下、昨年来の政権交代第二番手たる菅政権が突如として消費税増税論議を持ち出している。参院選前に持ち出す拙劣さを問うよりも、敢えて持ち出し政権交代政権の信頼を毀損せしめんとしている魂胆を訝(いぶか)るべきであろう。国民新党以外ではオールシオニスタンばかりを寄せ集めた菅政権の為すことは尋常ではない。問題は、誰がこのように操作しているかであろう。偶然である訳がない。

 れんだいこは、消費税そのものの撤廃こそが、迂遠なようで日本再生の近道であると思っている。もし財源不足で成り立たないと云うのなら違うと云い返したい。消費税額5兆円として、これに相当する巨大出費源にメスを入れて捻出し賄えば良い。10兆円でも事態は変わらない。一番手が軍事防衛費、思いやり予算、各種戦争支援金、同復興支援金、米国債の買い支え等々の大ナタ見直しである。れんだいこの理想は、かっての自民党ハト派政権時代の「GNP1%枠」内に戻せば良いと考えている。そこまで行かなくても半減は可能である。

 次に、公務員の高給与部分の見直し、天下り先での高給与、高退職金のカット、天下り関連事業への補助金の見直しをすれば良い。真っ先に民間的なボーナスを廃止し、半期ずつ2ヶ月分額支給に切り替えれば良い。公務員、準公務員の月給は年功序列賃金では年収1千万円を越してはイケナイことにすれば良い。役職手当を上乗せるのは結構だが、それなりに理由がつかないとイケナイ。これで抑制する。こうするだけで、消費税額分が捻出できる。否余りかえるであろう。事業仕訳なぞ、その後でゆっくり取り掛かればよい。今はやっていることが反対だ。

 こうして消費税を廃止すると、庶民大衆には真の減税効果がある。何も子供手当なんかいらんわい。どうしても必要な家庭には第二奨学資金制を設け、社会人となってゆるゆる返済すれば良い式の貸付制にすれば良い。借りてまでは要らないという層が居る訳だから財源も大幅に節約できよう。普通に発想できるのに何でこうしないのかが問題だ。

 企業には、煩わしい消費税徴収、帳簿付け、納付の手間から解放される。良いことづくめである。今どれだけ中小零細企業が消費税で煩わされているか知られているだろうか。決算期に支払えず、確かサラ金並みかそれ以上の14.7%の高金利で追徴され塗炭の苦しみに遭わされている。税務署の胸先三寸で土俵を割る企業が目白押しとなっている。云うに恥ずかしいから云わないだけで実は深刻な社会問題化しつつある。国会議員は今のところ誰も採り上げていない、オカシナことだ。

 こういうことを思えば、消費税廃止こそ日本再生のカギであり、そういう訳だからしてマニュフェストに掲げねばならない。その資格のある一番手が社民党であるが、情けないことに消費税導入期には反対したものの、第一次値上げ期には賛成した経緯を持つ。社民党は自己批判し、今こそ消費税廃止、軍事防衛費、公務員高給与削減、同天下り先高給与、高退職金廃止、中小零細企業無条件1千万円緊急融資公約を掲げて闘いを挑まねばならぬ。

 問題は口先で反対して責任足れりとしないことである。政権与党に食い込んで、真に実効を勝ち取ることである。先ほどの普天間基地問題で云えば、普天間基地撤去、返還を勝ち取ることである。閣外へ出れば良いというものではない。罷免されるまで闘わねばならない。それでも共同するのが連合政権の意味である。これが責任政治であり、あれこれ云うだけなら責任政治とは云わない。ということなんだな。

 こういうことを断固として主張する党が出ないのなら、我がたすけあい党が出張らねばならない。ところがだ、我が党は企業、業界、団体、個人献金等全てアリアリルールにして待ち受けているのだけれども、未だ頂いたのは二人だけのアリサマだ。お二人様有り難う。つまり資金がない。まっ党員も5名だから仕方ないかもね。だがしかしだ、どっかの党を応援するぐらいの事はできる。今のところ、社民党、国民新党、大地党、小沢民主党辺りだな。もっとも、せめて消費税第二次値上げ反対、戦後憲法擁護ぐらいの線は打ち出してくれんとな。国民新党の憲法改正論はいただけないな、惜しいことだ。国民新党が何で憲法改正を打ち出しているのかが分からない。逮捕されてみれば良い。如何に憲法が有り難いかは右翼でもヤクザでも分かっているのに。

 もとへ。消費税増税派の魂胆は、日本をますます衰弱させて、国際金融資本売りを加速させようとするワナの御用聞きなんだな。そういう風に日頃から飼われているということなんだな。この手合いばかりが国会に巣くいだしたということなんだな。代わりに出世させ身分と権力と財貨を保証しようという甘言に一も二もなく飛びつき、我さえよければ良いと云う貧相な精神の持主の売国奴ばかりなんだな。

 れんだいこは断固闘う。ヤセガエルであろうとも心は売らない。どうせ寿命がある身を安売りしない。そう云えば、ここがイエスの始発だったんだな。「荒野でのささやき」を拒否したところからイエス教が始まっている。昔も今も一緒なんだな。興味のある方は以下のサイトで堪能してくれ。ほかでは書いていない真実を書いているつもりだ。

  別章【イエス教論・キリスト教論考】
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/jesukyo/) 

 2010.6.21日 れんだいこ拝






(私論.私見)