永田議員の偽メール質議事件考 |
(最新見直し2012.8.1日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
遅まきながら「永田議員の偽メール質議事件」を検証する。 2009.3.16日 れんだいこ拝 |
【永田 寿康(ながた ひさやす、1969年9月2日 - 2009年1月3日)履歴】 |
2002.7月、元外相田中真紀子の公設秘書の給与流用疑惑をめぐり、衆議院政治倫理審査会で質問した永田と大野功統(自民党代議士)の議員宿舎などに白い粉が入った封筒が郵送されたことがある。警視庁は同一人物による悪質な悪戯と見て捜査している。 2004.10.15日、自民党旧橋本派をめぐる日歯連闇献金事件で、東京地検が元首相橋本龍太郎ら3人を不起訴処分としたことについて、「不起訴は不当」として、検察審査会に審査を申し立てた。 2004年、元客室乗務員と結婚。挙式は千葉マリンスタジアムを借り切り行った。出席者全員で「寿」の人文字を作り、最後に新郎新婦が「ヽ」の部分を作ったところで航空写真を撮影するといった大掛かりなものであった。翌年長女が誕生。「平成の爆弾男」と呼ばれ、物議を醸す発言や行動を多々行なったことで知られた。 |
【偽メール事件で議員辞職】 |
【武部とホリエモンの関係】 |
永田議員の追求した武部幹事長とホリエモンの関係は、偽メール事件化することにより葬られたが、疑惑は解消していない。ホリエモンの自民党公認出馬の背景に「ホリエモンは次男・毅を通じて武部幹事長に接触。武部幹事長は、千葉4区で出馬した藤田幹雄を通じてホリエモンから2~3億円の金をもらっているんです」という疑惑の声がある。藤田は、武部幹事長の長男・新の女房の姉の亭主という関係にある。「武部とホリエモンの関係問題」は闇に残され続けている。 |
【永田元衆議院議員変死】 |
2009.1.3日、偽メール問題で平成18年に議員辞職した永田寿康・元民主党衆院議員(39)が3日午後6時半ごろ、北九州市八幡西区の11階建てマンションの駐車場で倒れているのを住民が見つけた。病院搬送されたが、まもなく死亡が確認された。福岡県警の八幡西署は飛び降り自殺を図ったと断定した。 当時永田はマンション近辺にある精神科中心の八幡厚生病院に入院していた。他の患者の見舞客たちも、院内ロビーを呆然と歩く永田の姿を時々見かけていたという。同署によると、マンションの10階と11階の間の踊り場に遺書とみられるノートがあり、家族の名前に宛てて「死にたい」という内容が書かれていたという。空になった焼酎の紙パック(1.8リットル)も残されていた。県警によると、当時永田はマンション近辺にある精神科中心の八幡厚生病院に入院していた自殺当日、灰色のジャージー上下にダウンジャケットを羽織り、酒を入って現場マンションに立ち入ったとみられる。但し、マンションの出入口は住民以外は自由に出入りできないロック式の門扉になっており、永田がどのように侵入したのかといった疑惑が残っている。 死後、手塚仁雄は、自分が助言した寝酒に関して、永田を悼む気持ちを述べた(週刊新潮2009年1月15日号P.31)。また、落選中の手塚に対して「復活できる可能性があるからいいですね」とも語っていた。民主党の議員とはほとんど会っていなかったうえに、手塚とも2008年2月を最後に連絡を取らなくなったという。 2009年1月5日に営まれた葬儀の際には、実父の蒲池真澄が「5年で立ち直る、それにはあと3、4年だと思っていました。まさか死ぬとは全然考えていませんでした。それほど精神的な打撃が強かったのでしょうが、40代、50代になったときの知恵と経験として花開くと信じていました」と挨拶した。 |
|
【永田議員の偽メール質議事件、民主党の調査報告】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「永田議員の偽メール質議事件」総括として「2006.3.31日づけ民主党第367 回常任幹事会(報告事項)」があり、これを転載しておく。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3、 2 月20 日(月)、党幹部による対応策の協議が行われ、22 日(水)の党首討論に向けた準備が始まった。 1)2 月20 日(月)、「メール」の信憑性の立証、新たな疑惑調査とも進展はなかった。
2)2 月20 日(月)夜、幹部協議が行われ、22 日の党首討論までに新たな疑惑の情報を入手する方針が確認され、対策チームに伝達された。この夜の報道番組で、平沢議員が「メール」を入手したとしてそれを公表した。
3)2 月21 日(火)午前、野田国対委員長は、役員会、常任幹事会に前日までの経過を報告した。
4)2 月21 日(火)、「メール」の送信元と送信先のアドレスが同一との情報が流れたが、真偽の判断に至らないまま党首討論の準備が進められた。午後の記者会見において前原代表は、党首討論で「メール」問題を取り上げざるを得ないと考え、「楽しみにしていただきたい」と再び発言した。
5)2 月22 日(水)、前原代表は、「国政調査権の行使に応じれば口座情報を明かす」と迫る方針にもとづき、党首討論で「メール」問題を取り上げた。その際、前原代表は「確証」を得ていると発言したが、終了後「言葉が間違っていた」と述べた。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅳ.党首討論後から処分等の決定に至る経緯 1、 2 月22 日(水)夜、永田議員は自らの進退を野田国対委員長に預けた。永田議員の意思は二転三転したが、翌23 日(木)朝、永田議員の進退が幹事長に一任され、その深夜、永田議員は世田谷区の病院に入院した。 1)2 月22 日(水)夜、野田国対委員長は、翌日に本会議が予定され、永田議員においても出席する必要があることを踏まえ、「翌23 日(木)の国対委員長定例会見に、永田議員が同席し、2 月17 日の予算委員会質疑以降の取り組みについて説明すべきだ」と考え、その打合せをするために永田議員と面会した。その際、永田議員は、野田国対委員長に進退を預けた。
2)2 月23 日(木)朝、永田議員の辞意が揺らぎ、「本人の意思が確認できれば辞任を認める」ことが確認され、その対応が鳩山幹事長に一任された。
3)2 月23 日(木)、永田議員は、鳩山幹事長と野田国対委員長に、辞職の意思がないことを伝えた。夜、役員懇談会において、永田議員を一旦入院させ、退院してから進退を判断することが了承された。
4)2 月23 日(木)夜、鳩山幹事長は、「永田議員の入院に関するコメント」と「『メール』の信憑性を100%立証することはできなかった」とするコメントを発表した。
2、 2 月26 日(日)夜、鳩山幹事長、玄葉幹事長代理、平野総合調整局長が事態収拾に向けた打ち合わせを行った。28 日(火)に永田議員が退院して記者会見を行うとともに、「メール」は本物ではないとの調査結果を発表し、役員等の処分を決定した。 1)2 月24 日(金)以降、調査を継続したが、新たな事実は判明しなかった。
2)2 月26 日(日)夜、鳩山幹事長、玄葉幹事長代理、平野総合調整局長が事態収拾に向けて打ち合わせを行った。翌27 日(月)、昼の幹部協議で、28 日(火)に永田議員が退院して記者会見を行い、役員等の処分を行う方針が確認された。
3)2 月28 日(火)朝、幹部協議および役員懇談会において、鳩山幹事長と野田国対委員長が辞意を表明した。前原代表の慰留に対し、鳩山幹事長は、「しばらくの間、事態収拾の責任を全うする」という思いに至り、辞意を撤回した。永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意などの方針が確認された。
4)2 月28 日(火)午前、永田議員が退院し、記者会見に向けて打ち合わせを行い、午後2 時45 分、永田議員が記者会見を行った。
5)2 月28 日(火)午後、役員会、常任幹事会、両院議員総会において、「メール」は本物ではないとの調査結果が報告され、処分等が決定された。続いて、鳩山幹事長と前原代表が記者会見を行い、自民党、武部幹事長およびそのご次男に対して謝罪を表明した。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅴ.その後の経緯 1、 3 月1 日(水)、自民党から公開質問状が届けられた。
2 、3 月1 日(水)、「メール」問題検証チームを設置した。
3 、3 月3 日(金)、国対委員長辞任に伴う役員人事が承認された。
4、 3 月15 日(水)、武部幹事長のご次男の希望にもとづき、同氏に対する謝罪広告を新聞6 紙に掲載した。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第四 事実の経緯からみた問題点 1 なぜ、永田議員は、西澤氏に騙されたのか。
2 なぜ、永田議員は、「メール」に関する調査を怠り、虚偽の質問を行ったのか。
3 なぜ、党は「メール」の真偽をチェックできず、永田議員の質疑を許したのか。
4 なぜ、前原代表は、2 月16 日の永田議員質疑直後の代議士会で「確度の高い情報」と発言し、その後、19 日と21 日に「楽しみにしていただきたい」と発言したのか。
5 なぜ、前原代表は 2 月22 日の党首討論において、「口座」を取り上げたのか。また、なぜ「確証」があると発言したのか。
6 なぜ、早期に方針転換できなかったのか。
7 党の危機管理に問題はなかったのか。
8 その他 1)「メール」は誰が何の目的で作成したのか。 検証チームの事情聴取において、西澤氏は、永田議員に「メール」を提供したことは認めたが、「自分はA氏の仲介をしただけ」と述べた。現時点では、「情報提供者」の存在を含め、「メール」の作成者は不明であり、その調査は不可能である。 2)金銭の提供はなかったのか。 金銭の提供はなく、その他についても、永田議員が懲罰委員会において説明した、雑誌「デュモン」の購入費42 万円の支払いおよび1 月30 日の飲食代金および、そこに行くまでのタクシー代以外にはない。 3)「メール」を偽物と判断した理由は何か。 以下の事項を総合的に勘案し、「メール」は偽物と判断した。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第五 私たちの反省と教訓 1 基本的立場と反省 民主党「メール」問題検証チームは、前述の通り率直に、永田議員が「偽メール」を取り上げて質問に至った経緯、また質問の仕方、質問後の国会対策委員会メンバーを主とした対応、2 月22 日の前原代表の党首討論に至る事実と心理、そして同日夜以降の民主党に対する批判・非難に対する対処(危機管理)の経過と永田議員および執行責任者に対する「処分」と自民党ならびに同党武部幹事長とそのご次男に対する謝罪などの事実を検証・認定し、その事実から導き出される問題点を摘示してきた。日本の戦後憲政史上初めてと言っても過言ではない、実質上の二大政党による政権交代による民主主義の深化・豊富化に向かいつつある状況下で、このような大失敗をし、その対処においても国民の批判を浴び、責任野党として政権政党への成長・成熟への国民の期待に背いた大失態を演じてしまったとの自覚をしなければならない。私たちは、この度の失敗の原因がどこにあるのかを摘出し、その反省の中から教訓を引き出し、その教訓を責任野党の組織のシステムとしてビルトインし、またその一員としての行動規範として体得するべく緊張感を持って自らを鍛えなければならない。 2 自らの力に対する客観的認識 私たちは野党に身を置いているという自覚を持つべきである。次の与党たらんとする情熱と気迫を堅持しつつ、いつも自らを客観化し、謙虚に自 らの力量を自覚するという態度が必要である。つまり、与党のような権力は持てていないのみならず、相手方の与党は、手にしている「権力」を手放さないことにその持てる力すべてを動員しているという冷厳な事実を忘れないことである。そして、政治および政治行動は、時機(タイミング)と時期(タイムリミット)に規定され、その効果が感じられることから、どうしても拙速に流れたり、準備不足のまま行動せざるを得ないことが多々あることを肝に銘じなければならない。 3 マネージメントとリスク管理 1)議員一人ひとりの政治活動についての「内なるガイドライン」 敢えて言うまでもなく、本事件を契機として、党所属議員一人ひとりが、議員の職責の重さ、疑惑追及のリスクなどを改めて再認識するとともに、質問技術の向上を図るなど、議員として自己教育に努めることが必要であり、次のような基準を持つべきである。 ①情報提供者や情報取材者に対し猜疑心を持つ必要はないが、その人たちに対する信頼が確かなものであるかどうかを反すうすること。 ②情報そのものの合理性について、周辺事情を含め調査すること。 ③間接情報(伝聞)については、自らの目と耳と体で確認すること。 ④自分がその立場ならどうするかを考えてみること。 ⑤信頼すべき同僚、ないし政治のしかるべき機関にチェックを申し出ること。 などが、調査、質問、政策づくりの活動にあたって心すべきであろう。 2)政党のチェックガイドライン 一般的にも政党は個々の議員の自主性と自己責任に委ねつつも、以下のような基準によってリスク管理をすべきである。
3)危機管理機能の強化
4)結語 民主党は野党である。しかし、責任野党(次の国政選挙を通じて政権交代を実現し、政権を担う政党)でなければならない。政権争奪のための闘いは日常の闘いであるが、これ自体大きなリスクを伴うことであることを改めて自覚しなければならず、政治活動の基礎たるフィールドワーク・情報収集や、調査、討論、政策立案のすべてにわたって、リスクに取り囲まれているという緊張感を持つべきである。しかし、政権与党と闘う以上“あつものに懲りてなますを吹く”ようなリスクを嫌う、リスクを避ける政治文化に浸ってはならないことも明らかである。そして、「人はときとして過ちを犯す」こともまたひとつの真実である。私たちは、過ちを犯すこともあることを謙虚に認めながら、これをできうる限り押さえ込み管理するシステムをつくり上げ、リスクを管理しながら、リスクをとって、政権交代に挑戦しなければならない。失敗は恥ずかしい、失敗によって迷惑を掛けた人々には心の底から謝罪しながら、「失敗」の経験から教訓を汲み出し、この教訓を私たちの貴重な財産とするよう努めることが「責任野党」への再生の道であることを確信する。 2006 年3 月31 日 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
民主党「メール」問題検証チーム ◎座 長 玄葉光一郎 幹事長代理 ◎委 員 仙谷 由人 幹事長代理 平野 博文 総合調整局長 藤村 修 前国対委員長代理 松野 頼久 筆頭副幹事長 佐藤 雄平 副幹事長 加藤 公一 広報戦略本部事務総長 細野 豪志 役員室長 蓮 舫 副幹事長 河村たかし 衆議院議員 山田 正彦 衆議院議員 末松 義規 衆議院議員 平岡 秀夫 衆議院議員 |
れんだいこのカンテラ時評№1056 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 7月21日 |
【「永田議員の偽メール質議事件」解析1、事件解析観点をかく問う】 過日、阿修羅情報によってだったか「永田議員の偽メール質議事件」(以下、単に「事件」と記す)の民主党の報告書があることを知った。そのサイトは、「2006.3.31日づけ民主党第367 回常任幹事会(報告事項)」(以下、単に「報告書」と記す)である。 事件とは、民主党が政権を取る2009年の3年前の2006.2.16日に発生している永田寿康・衆議院議員(以下、単に「永田」と記す。氏名につき以下同様とする)による失態的な国会質疑事件である。これにより、民主党内の有能な若手代表格であった永田は議員辞職を余儀なくされ完全失脚した。失意のままの2009.1.3日、北九州市の11階建てマンションからの飛び降りた形跡で変死している。自殺か事故死か他殺かさえはっきりしないまま処理されている。既に記憶の片隅でしかないこの事件であるが、妙な事が気になり始めたので記しておく。 それは、現下の野田政権は無論のこと民主党三代政権の重要閣僚に関係するのであるが、何と事件に深く関係している者がよりによって大挙して登用されていることが判明する。多くの者はこれを偶然と看做すかもしれないが、れんだいこのアンテナに引っかかる。れんだいこの読みが正しければ、永田は、事件を企画演出した者たちによる政治的儀式殺人ならぬ儀式廃人で葬られたことになる。 現代政治家の多くが国際金融資本グループの秘密結社員である可能性があり、そういう秘密結社は時に結束を強める為に儀式殺人をすることで知られている。永田は、その生贄にされたのではなかろうかとの疑いが捨てきれない。と云う事は逆に、永田を生贄にした連中がこぞって野田政権にへばりついているおぞましい姿が見えてくることになる。ウソかマコトか、2012年真夏の怪談として聞き流してくれれば良い。 本事件の経緯及びその検証は報告書に譲る。本稿の狙いは、同書を踏まえつつ同書が触れなかったキモの部分を炙り出し、事件の裏真実を抉(えぐ)り出すことにある。事件の奥底の深い謀略を嗅ぎつけ、その構図を暴くことにある。民主党三代政権の閣僚登用の裏に潜む陰謀を捕捉することにある。れんだいこの読みが正しければ、このようなイカガワシイ政権と一刻も早く決別し、日本再生の大道へ歩を進めねばならないと思う。 本論考末尾に記すべきであるが、ここで結論を先出しにしておく。事件の経緯から何を窺うべきだろうか。個々の疑問については文中に記す。総確認すべきは、本事件の登場する人物を見よ。単なる顧問格の面々、報告書委員に過ぎない河村、山田、末松、平岡の4名を除けば第一幕に「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」、第二幕に「細野、鳩山、平野、松野、玄葉」、第三幕に「松本、蓮舫、手塚、加藤、大塚、福山、笠、江田」が登場している。 何と、仮に「永田嵌められた説」に立てば、事件の裏で暗躍していたこれらの汚れ役が笠・氏一人を除いて揃いも揃って民主党政権で引き立てられ要職に就いていることになる。余りの符合に気持ちが悪いほどである。勿論、主役は野田、前原である。民主党のもう一つのスター失脚事件である石井議員刺殺事件に暗躍していた菅グループと合わせれば、民主党三代政権とは、永田及び石井抹殺グループのオンパレードと云うことになる。 つまり、2009政権交代によりもたらされた民主党の鳩山、菅、野田政権とは、「永田議員失脚事件と石井議員刺殺事件に暗躍した黒い人脈者どもによる宴の政権」であることが判明する。してみれば、事件に登場した人物群は、「ノ―パンしゃぶしゃぶ事件」で露呈した売国系の官僚群と同じく売国系の民主党政治家群と言えるのではなかろうか。本事件考察の重要性はここにあり、連中が垣間見えていることにある。 それにしても、マスコミの正義のペンは、こういうところの解明には向かわない。とにかくワシントンの仰せのままに小沢どんを目の敵にしてバッシングし続けており、ついこの間までは小沢金権論を云っていたかと思うと、夫婦不仲論に転じ、それも功を奏せず新党を立ち上げた今となっては小沢金欠論も交えて三面から舌鋒を鋭くしている。よくも口が曲がらぬ事と感心するが、大方の受け取りようはマスコミの云う事はその通りとしているように見える。かくしてマスコミはマインドコントロール機関として猛威を振っている。早くかような言論機関と決別して自由自主自律の独立系ネット言論機関を立ち上げねばと思う。 事件の当事者となる永田の履歴は「ウィキペディア永田寿康」その他で確認する。永田はこの時点で既に「国会の爆弾男」と呼ばれた楢崎弥之助(社会党出自の社会民主連合書記長、同党副代表)以来の「平成の爆弾男」と呼ばれるニックネームを得て国会での鋭い追及で名を馳せていた。そういうこともあってと思われるが、小泉政権の幹事長である武部勤の子息(次男)への不正献金疑惑ネタが持ち込まれる。これを仮に「ライブドアの最高経営者・堀江貴文の自民党幹事長・武部勤の子息次男への不正献金疑惑」と命名する(以下、「ホリエモン裏献金事件」と記す)。 |
れんだいこのカンテラ時評№1057 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 7月22日 |
【「永田議員の偽メール質議事件」解析2、国会質疑までの経緯】 事件の発端は、2005.10.18日、永田が「党所属議員の秘書の紹介」により議員会館の事務所で雑誌「Dumont」(デュモン)を発行する株式会社デュモン・マーケティング代表取締役CEO・西澤孝・氏の取材を受けたことに発する。西澤の側からのアプローチであったと云う。 ここでの問題は、事件を媒介した「党所属議員の秘書」が誰であるのか明らかにされて居ないことである。事件の胡散臭さを嗅ぎ取る側からすれば、最初の火つけ人であるこの秘書こそキーマンであるが、報告書は単に「党所属議員の秘書の紹介」と記して済ませている。永田と西澤を結びつけたのは、この秘書の単独発意なのか、秘書と西澤の二人のみによるセッティングであったのか、この二人がそもそも或る黒幕の教唆により接近したものなのかどうかの解明を要するが、報告書は追及していない。後の展開から見るのに、永田―西澤会談はそもそも永田にワナを仕掛ける為に接近されたものであり、永田が嵌められた形跡が強い。 初会談以降、永田と西澤の交流が始まる。報告書がこの経緯について記しているので、ここでは略す。この過程で、「ホリエモン裏献金事件」が耳打ちされ、国会での追及を教唆されている。2006.1.26日、永田と原口一博・衆議院議員及び秘書が西澤と議員会館で同疑惑に関する情報交換を行っている。この時、原口が登場しているが若干の考察を要する。真相は恐らく、永田が最も信頼の於ける議員仲間として原口の同席を誘い、原口に一緒に聞いてもらうことで情報の信頼性を確認しようとしていたものと思われる。 以降も同疑惑関連で永田と西澤の会食が続くことになるが略す。留意すべきは、この時点では、永田が「物証に乏しい」と述べていることである。これによると、永田は、事件追及に必ずしも積極的であったとは認めがたいことになる。してみれば、その後の永田の暴走は何によるのかが解明されねばなるまい。もう一つ、ここでの問題は、事件の追及に永田と原口に白羽の矢が立てられていると云うことである。奇しくもこの二人は民主党の中で国際金融資本の魔手の伸びていない稀有の若手有能政治家であり、共に将来が期待されるホープであった。故に狙われたのではなかろうかと思われる。但し、ここで二人の明暗が分かれる。即ち、その後の経緯から見て原口は乗り気にならず、逆に永田は食いつくことになる。 2.1日、永田は、議員会館で西澤の訪問を受け、「ホリエモン裏献金事件」の証拠物である「メール」の提供及び口座情報について説明を受けている。西澤は次のように述べている。「情報提供者情報によると、メールは間違いなくライブドアの社内メールであり、しかもライブドアの最高経営者の堀江本人が受信者に対して直接送信したものであり、その内容は同氏の裏口座から武部次男の個人口座に資金供与する旨を告げている。実際に8.29日に3000万円、10.14日に1000万円、10.31日に1000万円が送金されている」。不思議なことに、報告書は周辺情報を事細かに記すばかりで、「ホリエモン裏献金事件」が有ったのか無かったのかの肝腎な検証をしていない。 2.9日、永田は国会内で野田佳彦・国対委員長に事件の概要を伝え、国会追及の判断を仰いでいる。野田は、永田に対し調査を極秘裏に更に進め信憑性を補強するよう指示している。後日、永田は、野田から予算委員会の公聴会期日決定直前に取り上げるよう指示を受けている。報告書は永田から持ちかけたように記しているが、野田のけしかけぶりが判明する。推測するのに、野田は、永田が「ホリエモン裏献金事件」ネタで動いている事を既に知っており、その上で更にのめりこむよう指示している気配が認められる。 2.11日、永田は、当時の前原誠司・党代表に対し事件を聴会期日決定の直前に取り上げる旨を伝えている。前原は、「がんばってね」と後押ししている。これも然りであるが、前原は野田同様に永田が「ホリエモン裏献金事件」ネタで動いている事を既に知っており、その上で更にのめりこむよう指示している気配が認められる。 2.13日、永田は、野田に対し情報の信憑性に確信があると再報告している。これに対し、野田は16日の予算委員会一般質疑の準備に入ること、「情報提供者」との詰めを行うこと、同僚議員や専門家と事前に相談して発言振りに注意するよう指示している。この頃、詰めの作業を当時の藤村修・国対委員長代理と打ち合わせしている。藤村は、野田政権で官房長官に抜擢されることになるが、この頃から野田の懐刀であったことが分かる。 2.13―15日にかけて、野田の指示にもとづき、弁護士資格を持つ仙谷由人議員及び枝野幸男議員に個別に相談しアドバイスを受けている。報告書は、仙谷、枝野を単にアドバイスの役割で登場させているが、永田の事件の追及を止めさせる側のアドバイスではなく逆に煽り、その後の法律問題処理は任せておけと後押しした可能性もあろう。なお、この時点では仙谷、枝野は大物ではなく単に弁護士系の議員の一人でしかない。それにしても、その後の仙谷、枝野の頭角ぶりは尋常ではない。 ここでの問題は、永田が仮に永田個人の意欲で発意したものとしても、この時点で既に党中央の了解を取り付けており、それのみならず党中央の方がけしかけている様を見て取れることである。これを今日風の党の規約論、組織論でいえば、党中央の指示を受けた議員が党中央の意向を無視することはできまい。かくして永田がスケープコートの道に入れられたことが分かる。 こうなると次のように問わねばならない。「ホリエモン裏献金事件の国会追及」は果たして永田の単独犯的主導により進められたのか否や。上記の流れによれば、「ホリエモン裏献金事件」を永田に食いつかせ国会追及させるべくワナが仕掛けられていたとも読める。真相は藪の中であるが事件顛末を見ればそう推測することが大いに可能であろう。留意すべきは、この第一幕で「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」が登場していることであろう。この第一幕連中こそ事件の主役であり踊り子であろう。 2 .14日、永田は、西澤と最終調整を行っている。この時、「国会質問は予定外であり情報提供者が難色を示し始めている」と告げられている。この時、永田は、西澤から新たに「黒塗りしたメール」を渡され、2.8日に提供されたメールの原本を西澤に返却している。永田は、西澤が梯子を外し始めた事を意に介していない。このことにどういう事情があったのかは定かではない。この日、原口は永田から新しい証拠を入手したとの連絡を受けている。 2.15日、永田と野田が質疑のやり方について打ち合わせしている。翌日の爆弾質疑直前の打ち合わせであるが、どういうやり取りが為されていたのか分からない。推測するのに、野田が水田をけしかけ、党が全力で支援すると太鼓判を押していたのではなかろうか。永田は、これにより勇気りんりんで明日の質疑に思いを凝らしていたのではなかろうか。 2.16日、永田が予算委員会一般質疑で「ホリエモン裏献金事件」問題を取り上げ、その証拠としてメールに言及し、ライブドアの堀江、宮内、平松、武部、武部の次男の参考人招致と国政調査権の発動を要求した。終了後、国会内で堂々たる記者会見をしている。 この時、党中央側の野田が「衝撃的な質疑で大変重大な問題。今日は第一弾」、前原代表が「なかなか確度の高い情報だという認識」と発言して後押ししている。他方、武部は「全く身に覚えがない」、小泉首相が「ガセネタを委員会で取り上げるのはおかしい」、東京地検は「全く把握していない」とコメントしている。ここで留意すべきは、この時点で、小泉首相が「ガセネタ」と断じていることである。これは言葉のアヤではなく、既にこの時点で事件のガセネタ性を承知していた可能性も考えられる。この闇を嗅ぐべきではなかろうか。 2.17日、永田は、「ホリエモン裏献金事件」についての2回目の質疑を行った。但し既に精彩を欠いていた。但し、この時点までは、野田は「総理のガセネタ発言は看過できない。ガセの根拠を明らかにせよ」、前原は「入金記録を明らかにすれば信憑性への疑問は氷解する」と強気に発言しており、永田を後押ししている。他方、武部は「指摘の事実は見つからない。民主党は許されない」。堀江は「指摘の事実はない」とコメントしている。野田は、前原に対し、「メール問題の追及は、党首討論が仕上げだ」と述べている。 ここまでの経緯で確認すべきは、前原―野田コンビによる永田に対する十分なるけしかけぶりであろう。その梯子が外され、その後の永田がどういう風にあしらわれるのか、前原―野田が如何に上手く免責されるのかが後半の見どころとなる。 |
れんだいこのカンテラ時評№1058 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 7月22日 |
【「永田議員の偽メール質議事件」の解析3、その後の経緯】 永田の2回目の質疑後、「メールの真贋論争」が始まった。民主党は対策チームを設け情報収集と対応協議を始めた。この日、細野豪志・役員室長が、前原から「国対委員長と連携して関係者を集めて情報収集せよ」との指示を受けている。細野は、野田に関係者の招集を要請するとともに、党顧問弁護士に連絡をとるよう担当事務局(総合調整局)に指示している。これによれば、細野は、この頃より前原、野田の直系の下役であることが分かる。 同日午後8時頃、野田は顧問弁護士と共に永田の宿舎を訪れ、永田と一緒にいた「情報仲介者」と面会し、メール配布の了解を求めている。「情報仲介者」とは西澤のことか、ネタ元の情報提供者なのか、二人とも一緒に居たと云うことなのだろうか知りたいが分からない。 午後9時頃、対策チームが再集合したところへ、永田より野田からメール公表の了解が得られたとの電話が入った。午後9時半頃、永田が対策チームに合流し、「情報仲介者」が西澤であることを明きらかにした。野田は、「情報仲介者」の了解を得て記者会見を開き、メールのコピーを配布した。 その前後、細野は、前原及び鳩山由紀夫・幹事長に経過を報告している。報告を受けた鳩山は、細野に対し、平野博文・総合調整局長を対策チームメンバーに加えるよう指示した。これによれば、平野は、この頃より鳩山の直系の下役であることが分かる。鳩山政権で官房長官に起用されているのも頷けよう。 これを受けて細野は、野田に、平野への連絡を依頼するとともに、松野頼久・予算理事兼筆頭副幹事長に玄葉光一郎・幹事長代理への連絡を依頼している。 ここでの問題は次の事にある。ここで、第一幕の「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」に続いて第二幕として「細野、鳩山、平野、松野、玄葉」が登場している。第二幕の登場人物の特徴は、鳩山―平野を除き、第一幕の子分であることが分かる。それにしても、この時点で玄葉光一郎が登場している。細野、玄葉は党内でかなり若手の筈であるが、その後着実に登用の階段を上っている。本事件処理の汚れ役を引き受けた事が、その原点となっているように思われる。 2 .18 日夜、対策チームメンバーが対応を協議し、西澤についての調査、メールの鑑定、口座情報の調査を継続、メール以外の周辺疑惑の調査を開始した。 2 .19日、西澤から、永田に対し、「情報提供者が情報の電磁的データを売ってもいいと言っている」との連絡があった。同夜、対策チームメンバーが都内ホテルに集まり対応を協議している。永田は、この日より2.23日に世田谷の病院に入院するまでの間、このホテルに滞在し続けることになる。 2.20日、党幹部による対応策の協議が行われ、22日に予定されている党首討論に向けた準備が始まった。同夜、幹部協議が行われ、党首討論までに新たな疑惑の情報を入手する方針が確認され対策チームに伝達された。この夜の報道番組で、平沢議員がメールを入手したとして公表した。 2.21日午前、野田は、役員会、常任幹事会に前日までの経過を報告した。午後の記者会見で、前原は、党首討論に言及して「楽しみにしていただきたい」と再発言している。深夜、細野は、党首討論に向けた新たな疑惑の調査を断念し、その旨を前原の留守番電話に伝言している。 2.22日昼前後、前原、鳩山、松本剛明・政調会長、野田、玄葉、細野の6名の幹部が党首討論について打ち合わせした。いよいよ党首討論となり、前原は、「国政調査権の行使に応じれば口座情報を明かす」と迫る方針に基づき事件を取り上げた。その際、「確証を得ている」と発言し、終了後「言葉が間違っていた」と訂正している。 ここでの問題は、前原の「異様に強気な発言」にある。既に確認しているように事態は劣勢、真相が混迷している。にも拘わらず永田追及を更に後押しして踏み出し発言していることになる。これは単なるメンツでは説明できない尋常でない党首の暴走ではなかろうか。この「前原暴走」は当時もその後も何ら咎められていないことが不思議である。 午後7時頃、前原、松本、野田、玄葉、細野が都内ホテルに集まった。その場で、野田は、「永田の進退伺いを預かっている」と報告している。前原は、「本人のためにも、党のためにも、永田議員は自発的に辞職すべきである」と提案し、他の出席者もこれに同調している。前原は、「私が永田議員に辞職を促す」と述べたが、野田が「永田議員のことは自分に任せてほしい」と述べ一任されている。 ここも不思議なところである。前原は頻りに「永田切り」を吠えているが、既に党首討論で取り上げ事件を追及した以上、責任は前原の方が重いと看做すのが常識であろう。もはや「最低でも前原、永田の同時責任」となるべきところ当の前原が免責の上「永田切り」を吠えている不自然さが認められる。この前原のオールマイティーぶりは何に起因するのだろうか。 午後 7 時過ぎ、野田と藤村が永田が滞在するホテルの部屋を訪れた。その場で、野田は、永田に対し辞職を促している。これに対し、永田は「その判断に従いたい」と述べている。野田はその後、前原、鳩山に留守電している。その後、玄葉、細野に、「永田議員は辞職の意思を固めた」と報告している。野田は、藤村、蓮舫議員らと共に翌日の永田の記者会見に向けた準備を行っている。 2.23日午前5時半頃、永田は、野田から電話を受けた際、「辞職しません」と伝え辞意を撤回している。その後、永田は、同じホテルに宿泊していた野田の部屋を訪れている。野田は、「永田議員が辞職しないのであれば、自分が責任をとる」と述べ説得に努めたところ、永田は説得に応じ改めて議員辞職する意思を固めたと云う。但し、「永田議員は、心身の疲労が極限に達し、進退についての心境も大きく揺れ動いている」と感じ、藤村と手塚仁雄・前議員に永田の付き添いを要請しホテルを離れている。 午前8時、野田は、藤村と手塚の到着後、鳩山に緊急役員会の開催を要請した。午前9時45分、緊急の役員懇談会が開かれ、野田は、永田の進退が自分に預けられたと報告し一連の経過を説明している。会議では本人の判断を尊重すべきとの意見も多く出されたが、異論もあり、「本人の意思が確認できれば辞任を認める」ことが確認され、その対応が鳩山に一任された。 昼頃、鳩山は、野田から「永田議員が議員を辞めたくないと言っている」との連絡を受け、夕方、野田と共に永田が滞在するホテルを訪れている。永田は、鳩山に、「ご迷惑をおかけして申し訳ない」、「隔離された環境で情報が乏しく、入ってくる情報は進退にかかわることばかりで、精神的に大きく混乱しており、正常な判断を下すことは不可能だと思う」、「党内や国会そして世論がどのように反応するか全く予想できず、もしかしたら大変な迷惑をおかけすることになるかもしれないが可能であれば辞職は避けたい」、「進むも地獄。退くも地獄。だけど茨の道でも前へ進みたい」と述べている。 ここは特に留意すべきところである。永田は揺れ動きながらも頑強に辞意を撤回し続けた事が明らかにされている。これを、永田の私因的な議員への拘りと看做すべきだろうか。れんだいこは、「事件の国会質疑」は党により要請されたものであり、自身の尻尾切りで済む話ではない、ホリエモン裏献金事件」はガセネタではない、引き続き徹底調査すべきであるとする正論で抗弁し続けていたと読む。 推測になるが、「事件の国会質疑」は永田が質問するようお膳立てされ、党が総力で支援するとの約束の上で事に臨んだと思われる。こうして永田は2回に亘る質議へ誘導され取戻しのきかない破目に陥らせられたのではなかろうか。してみれば、これを誘導した者こそ陰の主役ではなかろうか。その主役の一人が野田である事は間違いない。2回目の質議の時点で既に流れが変わっており、永田は嵌められた事を悟り、嵌めた者に対するやり場のない怒りを表明し続けていたのではなかろうか。これこそ事件の裏真相なのではなかろうか。 午後7時30分、鳩山は、再び開催された役員懇談会において、「永田議員に辞職の意思がなく、精神的にも肉体的にも限界に達して不安定な状況にあるため、一旦入院させて退院後に進退を判断する」と報告している。一部出席者は永田の入院に反対したが、「永田議員が憔悴しているためやむを得ない」として鳩山報告は了承された。 夜、役員懇談会後に幹部が協議し、メールの信憑性がないことを認めることを確認した。深夜、鳩山は、記者団に「永田議員の入院について」と「メールの信憑性を100%立証することはできなかった」とするコメントを発表した。深夜、永田は世田谷区の病院に入院している。 2.26日夜、鳩山、玄葉、平野が事態収拾に向けた打ち合わせを行っている。 2.27日昼、幹部協議で、28日に永田が退院して記者会見を行い、役員等の処分を行う方針が確認された。「メールは本物ではない」との調査結果を発表し、関係者の処分を決定している。午後 1 時頃、野田は、前原に国対委員長の辞任を申し出た。前原は「預からせてほしい」とだけ答えた。ここもオカシなところである。前原が党首討論で事件を質議した以上、既に前原の党首責任こそ本星であろうにスル―され、永田と野田責任の方にのみ向かっている。前原をスル―させる力が働いていると読むしかない。 深夜、野田は、鳩山の留守番電話に国対委員長の辞意を伝言した。午後 1 時頃、玄葉は、細野に永田の記者会見および代表記者会見の準備を指示した。細野は、松本、加藤公一・広報戦略本部事務総長、大塚耕平・同代理、福山哲郎・役員室長代理、笠浩史・制作局長に協力を要請している。午後、鳩山は、羽田孜・最高顧問、渡部恒三・最高顧問、小沢一郎・元党首、菅直人・元代表、岡田克也・前代表(電話)を訪ね意見を聴いている。 2.28日、午前7時、前原と鳩山の打ち合わせが始まった。午前7時半頃、玄葉、平野、細野が加わり幹部協議および役員懇談会が開かれた。午前8時頃、松本、野田が加わった。その場で、鳩山と野田が辞意を表明し、前原は鳩山を慰留した。 午前 8 時半、江田五月・参議院議員会長が加わり、役員懇談会が開かれた。前原の慰留に対し、鳩山は、「しばらくの間、事態収拾の責任を全うする」という思いに至り辞意を撤回した。鳩山の辞任するしないの重要事がころころ変わる癖がこの時も確認できる。会議において、「永田の党員資格停止処分、野田の国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意」などの方針が確認された。 既に何度も指摘しているが、本来なら「前原代表辞任」も併せたものになるべきだろう。前原が責任を逃れる事ができるとしたら、党首討論段階での撤退によってであろう。それまでも永田をけしかけ、党首討論でも永田質議をエールした以上、前原責任は逃れるべくもなかろうに。 午前、永田が退院し、記者会見に向けて打ち合わせを行い、午後2時45分、永田が記者会見を行った。その場には、鳩山と野田が同席した。午後、役員会、常任幹事会、両院議員総会において、「メールは本物ではない」との調査結果が報告され処分等が決定された。続いて、鳩山と前原が記者会見を行い、自民党、武部幹事長及び次男に対する謝罪を表明した。 午後5時、両院議員総会において、永田が謝罪するとともに、メールは本物ではないとの調査結果、「永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意」などが承認された。両院議員総会終了後、代表と幹事長が相次いで記者会見し、国民への謝罪、自民党、武部幹事長及び次男に対する謝罪を表明した。前原代表が、ここでも自身の責任をする―させたまま能天気な会見をしている事が分かる。 3.1日、民主党は「メール問題検証チーム」を設置した。 メンバーは、座長・玄葉、委員として平野、藤村、松野、佐藤雄平・副幹事長、細野、蓮舫。全員が何らかの形で事件に関わっている者であった。このことが問題になったのであろう、無関係の河村たかし議員、山田正彦議員、末松義規議員、平岡秀夫議員の4 名が追加選任されている。その後、仙谷、加藤が追加選任されている。3.31日、「民主党のメール事件顛末書」が発表された。 最後にこの経緯で書ききれなかった妙な事を確認しておく。一つは、株式会社デュモン・マーケティング代表取締役CEO・西澤のその後であるが分からない。「ホリエモン裏献金事件」の収賄側とされている武部勤の子息(次男)であるが全く表に出てこない。「ホリエモン裏献金事件」ネタの元々の提供者も出てこない。いずれもオカシなことであろう。 西澤に関連して次のような2006/03/31日付け毎日新聞記事がある。
露骨な真相隠しだろう。末尾の「永田氏の懲罰決定に向けた真相解明が目的だったため、必要ないと判断した」は次のように云い換えることができる。「永田氏の失脚に向けた事件化が目的だったため、永田氏が失脚した以上、真相解明は必要ないと判断した」。 もう一つ、永田は揺れ動きながらも頑強に辞意を撤回し続けたが、その時の永田の弁が公開されていない。「民主党のメール事件顛末書」は、この弁を巧妙に隠す為にさも緻密そうに作成されているとも窺う事ができる。とすれば、この手の報告書なり会議なり機関が幾ら造られても何の意味もないと云うことになろう。以上。 永田は死して今なお告発していると云うべきではなかろうか。 |
【「永田議員の偽メール質議事件」の解析4、余話】 | |
日刊ゲンダイ2012/7/21日付け「民主党に詰問する このまま野田バカ首相と集団心中必至」の一部を引用し置く。「野田政権につきまとう自殺や内紛の暗いイメージ」の項に次のようなくだりがある。
|
【「依存症の独り言」の「2006/02/24 堀江メール事件総括」】 | |
「永田議員の偽メール質議事件」の参考として「依存症の独り言」の「2006/02/24 堀江メール事件総括」を転載しておく。
|
(私論.私見)